掛布退団を考える | I think now like this.

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掛布が辞める。
これは我々世代にとれば由々しき事態である。
何故、掛布が辞めなければならないのか。
巷間囁かれていることを要約すれば、即ち『掛布の甘さが金本の癇に触った』と言うことのようだ。
本当に掛布が甘いのか、それとも単純に金本が『脳ミソ筋肉野郎』なだけなのか。


その方針に齟齬があった、という事実を、掛布、金本、各々の「プロ野球選手としての生い立ち」の観点から考察してみたい。

 

自らの体験を後進に課す、というのは極めて一般的な「人の習性」だと言える。
例えば育児だが、多くの親は、幼少期に自分が如何に大人に扱われたか、というのがひとつの指針となる傾向にあるようだ。
但し、それを踏襲するか、はたまた否定して別の方向を見出だすかについては、結局、その人間が幸せだったのかどうかが決めるように思う。
子供の頃、親に厳しく躾けられて育った人間が、大人になった自分の人格形成に親の躾が寄与したと自覚しているなら、やはり自らの子にも厳しくなるだろうし、奔放にのびのびと大人になった人間が、例えば世間の荒波にもまれ、自分の甘さを強烈に自覚したなら、自分の生い立ちを否定する局面もあるかもしれない。
逆に、その厳しい躾によって今の人生が壊されたと感じているものは、我が子から厳しさを遠ざけるだろうし、愛情を滝のように浴び、慈愛の心に溢れて育った自分が幸せなら、子にもそうするのが当たり前である。

 

ではこの二人の、プロ野球選手としての生い立ちがどうであったのか、という部分を比較してみよう。

 

掛布雅之 現役通算15年 1625試合 5673打数 1656安打 打率0.292 349本塁打
金本知憲 現役通算21年 2578試合 8915打数 2539安打 打率0.285 476本塁打

 

掛布は高卒で18歳からのプロ生活なのに対し、金本は二浪で大卒。プロ野球選手は24歳からである。掛布の引退は33歳。金本は44歳まで現役を続けた。
打撃成績を見れば、打率を除き、すべて金本が勝っている。

二人がプロ野球選手として過ごした時代こそ違え、この成績を見ればプロ野球選手として成功したのは掛布より金本、ということになる。

二人に共通するのは、二人ともが「練習の虫」と言われるほどに練習に明け暮れた、ということ。
「人の三倍練習して一番になれ」という父親の思いが31という背番号の由来だといわれるほど掛布は練習したというし、金本も広島時代に、三村、山本という厳しい二人の指導者に出会って、「人間扱いされなかった」というほどに練習したと伝えられる。
そんな厳しい現役生活を同じように過ごした二人に、なぜ野球観に違いができ、袂を分かつに至ったのか。

 

私は、それがこの二人の打撃成績に表れているような気がしてならないのである。

 

金本は、激烈な練習をこなし、強靭な肉体と、故障に負けない精神を手に入れた。
掛布は、激烈な練習をこなしても、デッドボールに端を発した故障に苦しみ若くして現役を引退した。

おそらく、金本にとっての「厳しい練習」はその成功体験を形作り、掛布にとっての「厳しい練習」は、自らに挫折を強いた苦い体験を形作っているのではないのか、と思うのである。
前述のとおり、自らの体験を後進に課す、ということができるのは、成功体験を持つ者。
逆に自らの経験を反面教師ととらえて逆の方針をとるのは、成功体験に乏しかった者、である。

ミスタータイガースと呼ばれた掛布雅之でさえ、成績を見れば決して成功したといえない。しかし金本は、やはり成功者である。

この価値観の違いが、今回の亀裂を呼ぶことになったというのが私の見立てである。

 

今回の「掛布退団」という事件を情緒的に捉えるならば、確かに掛布の何が悪いんだ、金本め、となる。
でもしかし、こうしてその各々の実績を比べ、組成を紐解くと、なるほどな、と感じる部分もあるのである。

私は、掛布退団の事実をどう納得しようか考えていた。
そしてこの1週間、いろいろ考えているうちにこの結論にたどり着いたのである。

結論、金本が言う掛布の「甘さ」は、掛布の選手時代の挫折に起因しているのだと。
どちらが正しいかなんて一概には言えないが、一軍の監督が金本である以上、金本が正しいと言わざるを得ないのが実際のところではないか。

 

ため息とともにこう思う。

 

掛布雅之は、でもやっぱり、我々世代の大阪の子にとってはヒーローだし、背番号31の輝きは、今でも眩しく鮮やかな光に溢れている。
この光は未来永劫、影になることがないという事実だけ、胸に刻んでおけばいい。

そう自分に言い聞かせながら、この問題を理解しようと思う。