ISM | I think now like this.

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日々、感じたこと、思ったことをただ書いておく場所です。

種田陽平、という男。
柔和で、物静かな佇まいのその中にある、「プロ」という形の凄まじさ。
昨今、メディアでは様々な「プロフェッショナルの形」にスポットが当てられる機会が増え、プロの一端、その形を覗く場面も増えた。
プロの形なんていろいろある。
自分にプロ意識があると自覚している者は、 そんな沢山の「プロフェッショナリズム」に触れるうちに、自分の中に「憧れのプロフェッショナリズムの形」が出来てくる。

そりゃ、俺だって例外じゃない。

しかし、この種田陽平という男がもつ"ISM"は、俺が抱き始めていた「憧れの・・・形」とは少し異なっていた。
なのに、そこに宿る彼の強烈な意志の力に、俺の「憧れの形」は瓦解させられた気がする。

 

決して主張しない。
表立って人に影響力を感じさせない。
 

自分がひっそりと持つ理念の確かさ、技術の高さ、そして何より、その感性の正しさ。
それを、来る日も来る日も、ただ一心に、「仕事」を通じて体現していくだけ。

人の迫力って、本当はこういうことなのかもしれない。

 

圧力でない、迫力。
強さでない、迫力。
 

本当の迫力とは、やはり"ISM"なのだろうと思う。

そして、その"ISM"とは、決して自らの口で、人に滔々と説いて聞かせるものではなく、その"ISM"に触れた人間が感じ取り、理解するプロセスで生まれる言葉を使って客観的に表されるべき性質のものであるべきだろう。

この人の仕事ぶりから何を感じ取るか。
なにが感じ取れるのか。

自分が試されている、と感じるほどに、凄まじい"ISM"に触れた、そんな週末の夜だった。

 

迫力って、やはり格好いい。