父の病院通い | 家庭菜園と、趣味で満喫生活

家庭菜園と、趣味で満喫生活

記録のために始めた新築計画ブログ(о´∀`о)
今は普段の生活ブログも兼ねながら、家庭菜園、DIYなどの趣味を綴ります。旦那くんと子供3人の賑やか家族。
三浦半島へ毎年出かけていますが今は自宅で発散方法模索中。


もともと不整脈持ちだった父は、

普段から医者通いしなかった




2月半ば、

息苦しさを長男にボソッと言ったらしい。

弱音を吐かない父が、

私たちには言えず、

孫である私の長男に、

最近、寝ると苦しいんだよなぁ。

起きてると平気なんだけど。

そういったらしい。

長男も、父の訴えに違和感を感じ、

その日、私に伝えてきた。


今日じいちゃんが、

最近寝てると苦しいって。

顔色も疲れてるみたいだし、

俺に言うくらいだから、よっぽどだと思う

(さすが一緒に住んでただけある長男の気付き)


私も同じく察して、

翌日、すぐ段取りを組んだ。



まず、紹介状をもらうため、

かかりつけへ行き、

そこからの紹介で、F病院耳鼻科へ。



数日後、F病院からの紹介で、

片道約1時間半の県内の

A病院へ訪れてから半月経ち。。



その間、検査に何十回も通い、

慣れない辛い検査もして、

もういいや、と、全て止めたいと、

止めてあげたいと思った日もあった。

本当に、緊急的なもので、

連日といっていい程、検査の連続。

それも片道1.5時間を車で。


父は、それをすごく気にして、

姉と私と旦那くんが交代で、

仕事休んでまで、距離があるからなぁ、

悪いなぁおねだりと。


考え方変えれば、近い所に

専門の医者があったんだから、

気にしないで!当たり前の事、

出来ることしてるだけだからね。


そう、言った



薬の処方のお陰で、

息苦しさは無くなったから

安心していたところで、


今日は、半月の間の全ての検査結果を

聞くため、私は有給をとっていた。




旦那くんは、

昨日夜から明日まで遠方へ出張🏢🚄




今日も午前中簡単な検査の後で、

午後の診察まで時間があるから

お昼を済ませたりしていてお待ちください


って言われたから、

だいぶ早い昼食を

病院レストランにて10:40凝視

しかも、美味しくなかった



診察時間になって、

検査結果を聞く。



はっきりと、あっさりと、

深刻な病名が伝えられた。

話されてから、すらすら

すらすら、先生の言葉がどんどん

聞こえては来るけど、

何を話していたか、さっぱり思い出せない



淡々と話を聞いて頷いていながら、

自分の父の事だという実感が湧かない。

まだ70才。

年を感じながらも、

現役で仕事をしている姿から、

そんなはずか無い、と。



母は、涙していた。



見た目でもわかる程の腫瘍で、

ネクタイも結べないくらいになっていたそれは、

書類に甲状腺癌

という病名が書かれていた。

肺への転移も見つかった。


転移、、


その時に、やっと私は、事の大きさに、

現実なんだと気付かされた気がする。



それに、更に現実は辛く、

肺への胸水も貯まっているということ。

なんか幾つも色々あって、



で、!

父はどれくらい生きれるの?

年内?3年?5年くらいは生きれる?



勝手に脳内で会話していた



ただ、父の甲状腺癌は、

進行がゆっくりで、

今後詳しく検査をして、

良性か悪性か、また

どんな種類なのかわかれば、

それに合った薬もあるので、

まあ、どちらにしても、

これだけ大きいので、

手術にはなります。と、さらり。

どうしますか?


という話。


どうしますか、と言われても、

誰も受け入れられていなくて、

言葉が出てこなかった。



父はすごく落ち込んだ。

小さな会社も経営していて、

農家もしている。

色んな事が巡っただろう。

振り返って、父が私に

“紅藍、大丈夫か?”

と聞かれ、

父が抱える全ての事を

任されたと感じた瞬間でした。



心配しなくて大丈夫だよ!

私は言った



父は、

ゆっくり話を受け入れながら、

気丈に、先生に、



前向きにやるしかないんで、と父。


その言葉に、

先生は、嬉しそうに、

ヨシッ❗そう言ってもらえると、

我々も全力で頑張りますんで❗


県内でも優秀な先生なようで、

父の病状では、

このA病院以外受け入れは出来ないでしょうね、

と、頼もしい先生に出会えた事

まず良かったと思える。




診察室出て、

ソファーで待っててと言われたけど、

父は、自販機を探しに🚶‍♂️



多分、飲み物欲しいのと、

気持ち落ち着かせに行ったんだろうな


私はそう思ったけど




私が、どう居たら良いかわからなくて、

気持ちが置いていかれそうな中、

看護師が次の治療の手順とか、

書類とかの話に来たり、

淡々と、話が進んでいる、、




私は、どうしたらいい。



完全に、気持ちが追い付いてこない



今月に、甲状腺の腫瘍摘出手術が決まった。

問題は、肺への転移が確認されたことだった。



甲状腺の手術自体は、

場所が場所だけに、

無理はしないとの事で、

最悪、取りようが無いと判断した場合は、

部分切除もせずに、

そのまま閉じることもありますが。と。

私は、無理をしなくていいです。

それでお願いしますと言った。



ひとり親方で、ずっと

仕事一筋、優先してきたお父さん。

その合間に、子供や家族の時間を

ちゃんと作ってくれてたお父さん。



堅物で、難しい人だけど、

親の存在の大きさを感じたよ




帰りの車、

何も話さない時間が続く。



外は眩しいくらいに晴れていて、

自分の心とのギャップを感じながら

車を走らせる



泣きはしないけど、

気づくとボーッとしてた帰り道だった



父は、

私に何か食べさせようと、

店によって食べようと言うので、

帰り道にある、いっちょうへ入って。



父はもう、終う雰囲気で、

色んな話をしてきた。

姉の結婚、本家のおじさんへの不満、

私の旦那との事、母の実家の事、

祖父の事、家業の事、

時折、孫を生まれた順に懐かしんだり。



私は、ただうんうん、と聞くだけ。

だけど、私は治る事に期待している。

私たちで力になれることは、何でもする。

父も、母も

そうやって、育ててきてくれたから。




ただ、

何気ない日常が、

変わりつつあるのを

実感した日だった。