ROCK AND READのブログ -806ページ目

RR37取材裏話その13(キリト/Angelo)

8.31に発売される「ROCK AND READ 037」の裏表紙&巻末ロングインタビューを飾るのはAngeloのキリトさん!

実はなぜこの号が31日発売になったかは、からくりがあります。

詳しいことはまだ言えませんが、
この本が出る直前に渋谷AXで行なわれるAngeloのFCライブは必見ですよ!

キリトさんがツイッターでもツイートしてましたが、
なんか発表があるみたいです!

詳しくはまだ言えませんが。。。。

というわけで、詳しくはまだ言えないので(何回言うんだ!)
撮影現場写真を1枚アップします!

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てか、キリトさんカッコいい!

とにかく、FCライブに注目!
そして、本誌次号に注目!

詳しくはまだ言えませんが!(まだ言うか!)


ROCK AND READ 037/著者不明

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RR37取材裏話その12(NAO/BY-SEXUAL)

「ROCK AND READ 037」の取材秘話公開第11弾!

90年代を席巻したやんちゃバンド、BY-SEXUALが
9月に16年振りに復活するんですが、
それに対し中心で動いたドラムのNAOさんが本誌初登場です!

1990年にメジャーデビューしたBY-SEXUALは、
当時全員が弱冠19才の4人組。

金、赤、緑、青の髪の毛でド派手にデビューしましたが、
とんねるずやダウンタウンのバラエティ番組にも出演するなど、
等身大の魅力で、瞬く間にお茶の間の人気者になりました。

が、ボーカルSHOの脱退により、1995年に活動を休止。
以来、これまで一度も復活をしませんでしたが、
3月の震災を受け、友人を通して知った、
被災者の一言が、それまで炊き出しなどで支援活動を続けていたNAOさんの心を動かしました。

「一度でいいからBY-SEXUALを見たい」

そして、9.3(土)にBY-SEXUALは品川ステラボールにて1日限りの復活チャリティライブを行うことが決定しました。(チケットはソールドアウト)

それまでの流れを含め、BY-SEXUALとは何だったのかを、
16年振りに、NAOさんの言葉を通して検証します。


そのときの撮影中の一コマを。
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なお、参考までに
BY-SEXUAL活動休止後のメンバーの足取りを、

SHOはソロ活動の後、引退。
RYOとDENは、ZIGZOを経て、現在test-No.で活動中(SAKURAを迎えBY-SEXとしても復活活動中)
NAOは、nitro(リップスライムのイルマリがボーカルだった)、foodを経て、HAKUEI&Kiyoshiのmachineなどでのサポートや、BADUBで活動中。



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Jasmine Youさん2万字インタビュー(4/4)

(part4of4)
ーー雀羅はなぜ解散してしまったんですか?
 解散当時は「音楽性の違い」と公表していたんですけど、今思えばそれにプラスしてそれぞれの個性がすごく出てきてしまったというのが一番の理由でした。ほかにも、プライベートですれ違いが出てきてしまったんです。それで、途中でボーカルが替わって僕が一番年上になってしまったんですけど、自分にはバンドをまとめる力がなかったのかなと思います。ミーティングももっとたくさんすべきだったし、ほかのメンバーの意見をもっと尊重して、みんなが好きなことをやれる環境を整えてあげることができなかったのも原因だと思います。解散を決めたミーティングでは、僕以外全員が解散したいという意見でした。5人バンドだったんですが4対1で、バンドを続けたいと思っていたのは僕だけだったんです。
ーーそれはちょっとつらい状況ですね。
 そうですね。僕は本当にすべてを雀羅に注いでいたし、自分自身が雀羅だと思っていたくらいなので、ものすごくショックでした。髪も抜けましたし、そのあとはメチャクチャな生活になってしまいました。1曲1曲に思い出があったので、解散ライブのときは「この曲はもう一生できないんだ」と、かみしめながら演奏しました。
ーーリーダーだったんですか?
 もともとのリーダーはギターだったんですけど、2人で進めてました。僕は結構ギャンブラーな性格なので、彼がそれをおさえてくれていたんです。僕がいつも突拍子もないことを言って、彼がそれをうまくまとめてくれてました。
ーーその人が、最初から一緒にやってた人?
 はい。そのメンバーは早い時期に抜けました。わりと入れ替わりの多いバンドで、初期メンバーは解散のころには僕だけになってましたね。メンバーが替わると大変だなというのは、そのときに実感しました。自分たちはまだいいんですけど、ファンの子の思いを考えると、せつないですよね。
ーー解散後は、新しくバンドを組もうと考えたんですか?
 雀羅の解散ライブのときに、HIZAKIくんとか大阪から見に来てくれたんですよ。バンドを一緒にやろうって誘ってくれてたんです。でも、わざわざ名古屋に何回か来てくれて、食事しながら話してたんですけど、僕は雀羅を一生懸命やりすぎてしまって、次の展開に切り替えることができなかったんです。それで、なんだかうやむやにことわったような状態になってしまって、ずっと悪いなと思ってました。HIZAKIくんとは雀羅のころからよく対バンしてて、「すごいギタリストだな」と思ってました。曲もいいし、ギターもうまいし、感情がある。「この人とは友達になりたいな」と思っていたので、誘われたときにはすごくうれしかったんですけど、自分のモチベーションが上がらなくて、自然消滅みたいな形になってしまいました。
ーー返事ができなかったんですね。
 はい。それで、HIZAKI Grace Projectがはじまるまで3年くらい期間が空いてるんですけど、その間は、ニューハーフの友達のお店を手伝ったり、いろいろなことをしていました(笑)。時間を見つけては、ちょくちょく自分の車で東京にも行ってました。
ーーなにをしに行ってたんですか?
 心の中ではバンドがやりたかったので、東京に行けばなにかあるかなと思ってたんです。バンドマンを集めてお酒を飲んだり、友達のライブに行ったりして、刺激をもらってました。
ーーKAMIJOくんが「ラレーヌの楽屋に、気がつくとJasmine Youがいた」と話していたけれど、それはいつごろの話ですか?
 その当時ですよ。ラレーヌは、インディーズバンドをやってる人から見たらものすごい存在のバンドだったんです。僕にとっても憧れ的存在でしたし、ずーっとKAMIJOさんと話がしてみたいと思ってました。どういう性格の人なんだろう、どうやって音楽を作っているんだろうって、すごく興味があったんです。本当に、「この人のステージをずっと見ていたい」って感じでした。それで食事を一緒にするようになって、納豆以外は食の趣味も合ったので、うれしかったです(笑)。
ーー納豆は、どちらが好きなんですか?
 KAMIJOさんです。僕はまったくダメなんで。でも、憧れというか、「この人とバンドがやれたら最高だな」という気持ちはずっとありました。雀羅が解散してからいろいろ話はあったんですけれど、どうにも自分の気持ちが進まなかったんです。次は、ほかのメンバーが全員レベルが高くて、自分が一番低い状態のバンドをやりたいと思ってたんですよ。そう考えると、僕のまわりにはKAMIJOさんしかいなかったんです。
ーーそういう気持ちはアピールしたんですか?
 いや、してないです。普通に食事をしたぐらいです。ラレーヌのほかのメンバーとも一緒に食事に行ってました。KAMIJOさんはまだラレーヌをやっていたので、そんなことは言えなかったんです(笑)。初めての出会いは、ニューソドミー(KAMIJOの前のバンド)でした。北海道で雀羅と対バンしたんですけれど、あそこまでの衝撃を受けたボーカリストは初めてでした。歌が心にグッとくるボーカリストは、あの当時、彼しかいなかったです。
ーーそんなYouくんを暗黒の時代から引っぱり上げてくれたのは、HIZAKIくんなんですよね?
 そうです。当時、彼はサルファリックアシッドというバンドをやっていて、僕もよく遊びに行ってたんです。一回、誘われたのをうやむやにしてしまったので最初は気まずかったんですけど、彼はやっぱりすごいし刺激にもなるので、名古屋に来たときは一緒に飲んだりしてました。それで、たまたま居酒屋で飲んでるとき、「ソロでライブをやりたいから、サポートでベースを弾いてくれない?」と言ってくれたんです。でも、解散してから人前に出たのは、名古屋と東京のイベントでした。名古屋のイベントでのギターにHIZAKIくんを誘って一緒にやったんです。そこからちょくちょく連絡を取りあうようになりました。それで、HIZAKI Grace Projectがはじまりました。
ーーグレースプロジェクトは、サポートではなかったんですよね?
 違うとは思いますが、だったのかな(笑)? そのへんは、ノリです(笑)。
ーー雀羅が解散してから、結局3年もかかったわけですね?
 最初のセッションが決まってから、モチベーションが上がりました。体がなまっていたので、ライブでやる曲を聴きながら、実家のまわりを走ってました。HIZAKIくんもほかのメンバーもバリバリ現役で活躍中だったので、絶対に負けたくないと思ったんです。以前から見てくれているファンの方も見に来てくれると思ったので、カッコ悪い姿は見せられないと思ったんです。昔は髪が長かったんですけれど、そのころは切ってしまっていたので、ウイッグをつけて、以前と変わらない状態で人前に出たいと思って、熱心にトレーニングを重ねました。ただ、ほかのメンバーには「適当だから~」とか言ってましたね。よく学生が本当は勉強してるのに、テスト前に「全然勉強してないよ」って言うじゃないですか。僕はそういうタイプなんです(笑)。そのライブは、ヴェルサイユにつながる、自分の中で印象に残るライブになりました。
ーーその3年の間に、バンドをやめてしまおうと思ったことはなかったんですか?
 あります。ニューハーフの友達の店は、彼女がドラァグクイーンを並行してやっていたので、2人組でデビューしようかという話はありました。
ーーその暗黒の時代を経て、やっぱりバンドだということになるわけですね?
 HIZAKIくんの作る曲は、それまで味わったことのない快感だったんですよ。それまではバンドの中で自分が一番年上の立場だったので、自分よりレベルが高い人の楽曲にワクワクしたんです。この人とずっと一緒にやっていけたらいいなと思ってました。
ーーそれから、以前からずっと憧れていたKAMIJOくんとも一緒にやるという流れになっていくんですよね?
(昨年末のC.C.レモンホール公演の)パンフレットでも話したんですけど、ヴェルサイユには正式に「加入してくれ」と言われたわけじゃないんですよね(笑)。
ーーでも、そういうふうになってきたときはどう思いました?
 うれしかった反面、プレッシャーもありました。全員が自分よりもスキルが上なので。ブランクという言葉は使いたくないんですけど、実際に3年間、ほぼ音楽活動はしていなかったし、心の奥底にはそのことに対する不安はありました。
ーー実際にはじめてみて、どうでした?
 プレイに関してはまだまだのところはあったんですが、ステージや撮影とかには自信があったので、大丈夫でした。
ーーヴェルサイユのメンバーが集まったとき、どんなふうに感じましたか?
 とにかくド派手で、ヴィジュアルシーンだけではなくて、世界各国どこでも通用するバンドになると思いました。スタジオで音を合わせたときもそうですし、「THE REVENANT CHOIR」を作っているときもそうですし、普段食事をするときもそう感じましたね。人としてすべてのメンバーを尊敬できるので、あとは自分のスキルをもっと上げていけば、絶対にいけるという確信がありました。
ーーヴェルサイユがはじまって2年経ちますが、この2年間はYouくんにとってどんな日々でした?
 自分のベースプレイのスキルのなさとか知識のなさとかを思い知らされて、かなり努力した2年間だったと思います。常にモチベーションは高かったです。メンバーはもちろん、ファンの方や関係者さんやマネージャーさんからもたくさんインスピレーションを受けて、すごく刺激的な毎日でした。暗黒の3年間は世間から少し離れた感じだったんですが、それがあるからこそ、今、がんばれるような気がします。東京に移り住んだときは、車で寝ていた駐車場の近くに部屋を借りてました。どんな境遇になっても、その3年間のつらかったことを忘れてはいけないと思ったんです。
ーーヴェルサイユは6月24日に、シングル「ASCENDEAD MASTER」でメジャーデビューを果たしましたが、その感想は?
 プレイヤーとしては個人的にもっと演奏のクオリティを上げたいと思っていますが、気持ち的にはインディーズ時代とまったく変わってないです。バンドに対する気持ち、親も含めてまわりの人に対する気持ち、ファンのみなさんに対する気持ちは、まったく同じです。ただ自分たちをもっときわめ、もっと高めて、ヴィジュアル系というシーンを牽引する存在になっていきたいです。
ーー作品的には?
 この2年間の集大成的な作品だと思います。すべてがゴージャスで、気合いもかなり入ってます。それぞれがプレッシャーの中で戦って生みだした「命」だと思います。
ーーこれからのYouくんの目標は?
 日本のファンの方々もそうですけれど、世界中の方々に向けて、元気というか、聴いてくれる人のモチベーションを上げられる存在になりたいと思います。みんながそれぞれの夢ややりたいことを実現していくきっかけを、音として伝えていければいいですね。それはCDでもライブでもいいんですけれど、僕たちの作る作品や活動が刺激になって、より多くの人が輝ければいいなと思います。


interview & text by Akemi Oshima