夕方からの。 | 東京。

東京。

東京に住んでます。

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午前起床。


品川の病院に行く予定だったが別の日にしてもらう。



以前母が送ってくれたレトルトのカレーで朝食。


ヤフオクで悩みに悩んだ商品を落札。決して安いものではない。



昼食に買い置きしていたカップラーメンに味付け卵とキムチを乗せてを食べる。



夕方まで家でパソコンをいじって過ごす。


そうして風呂に入り、着替えて外に出る。



ATMで落としたものの代金を振り込み、近くの古着屋を物色。三茶へ。



目的のビレッジバンガードで目的の本を二冊購入。立ち読みやらなんやらで計二時間近くウロウロする。



マックに行き夕食にとチキンフィレオをセットで購入。

予定を付けたり買った本を読んだりする。




普段何気無くやっている事を本気(言葉があっているのかは分からないが)でやったら、何かが見えるのかもしれないなと、購入した本を読みながら思う。


経験や知識なんて付けたところで、いざそれを使おうとする場面なんて滅多にあるものではないし(あればそれはラッキーであると思う)、むしろその経験や知識が自分の身になっている事を実感できることなんて(主観的に見ても客観的に見ても)、生きているうちに表れるか、それとも死ぬまで表れないか分からないのだ。




百均で買い物をし、家に帰ってゆっくりしているとムックからの突然の電話。


駅まで迎えに行くとムックの友人のリョウ君もいる。



リョウくんは僕が東京に来て間もない頃に行われた花見に、ムックの紹介で参加していて、そこで仲良くなったのだが、ムックに言われるまで名前も顔も思い出せなかった。

もう一年近く前のことなのだ。



よく行く居酒屋「ハイカラ屋」に行き酒を飲む。


他の友人を誘って、チヨ子、カツシ、ナギの順で到着。


計6人で飲酒。僕は相変わらずのビールばかり。



店を出て帰宅。

終電の終わったムックとリョウくんは僕の家にそのまま泊まる。




人が人の事を考えるのは難しい。自分の「立場」というものがあればあるほどに、その出来てしまった固定観念や既成概念というフィルターを通した言葉を分かりやすくひも解いて発さないと、意思の疎通が図られなくなり、そして相違が起こる。

言葉に限った事ではないんだけど。



ただ、相手の立場を敬っての会話というのは大切だと思うし、会話ってのは人とすることが前提だから、お互いが理解出来ることでないと、それは会話ではないと思う。



プライドは大切だけど、プライドとはまた別のところの話で、対象がある以上、何もかもが一方的では、そこに何も生産されないと思う。