Van Der Graaf Generator/Pawn Hearts
ヴァン・ダー・グラーフ・ジェネレイター/ポーン・ハーツ
1971年リリース
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ハモンドの音色に個性的なヴォーカルが合わさり
不思議な壮大さが広がった大作志向の傑作
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孤高の詩人ピーター・ハミル率いるヴァン・ダー・グラーフ・ジェネレイターの4枚目となるアルバム。そのアルバムは元々、ピンク・フロイドの『ウマグマ』のようなソロマテリアルとスタジオライヴの2枚組として構想された意欲的な作品であり、宇宙的なハモンドオルガンの響きと個性的なピーター・ハミルのヴォーカルが絡み合い、変化する混沌とした世界を卓越したテクニックで表現した孤高ともいえる内容となっている。イギリス国内ではその難解な歌詞と曲が理解されず、商業的には芳しくなかったが、イタリア国内ではアルバムチャートで1位を獲得するほどの絶大な支持を受け、後に批評家から「もっとも誤解されたアルバム」として賞賛されたヴァン・ダー・グラーフ・ジェネレイター史上、最高傑作と呼び声高い作品でもある。
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ヴァン・ダー・グラーフ・ジェネレイター(以下、VDGG)は、1967年の秋頃にマンチェスター大学の化学コースで学んでいたピーター・ハミル(ヴォーカル、ギター、ピアノ)と、アメリカを放浪して大学に復帰したクリス・“ジャッジ”・スミス(ヴォーカル、ドラムス)との出会いから始まっている。2人は意気投合して音楽グループの結成に動き、同マンチェスター大学の教授で静電型発電機の発明者であるロバート・ジェミソン・ヴァン・デ・グラフから名前を取って、ヴァン・ダー・グラーフ・ジェネレイターというグループ名にしている。興味を持ったロンドンのマーキュリー・レコードと2人は契約して活動を開始するが、結成時にメンバーにいたニック・パーン(オルガン)はすぐに辞めている。後に改めてヒュー・バントン(オルガン)を迎え、数ヵ月後にキース・エリス(ベース)、ガイ・エヴァンス(ドラムス)のメンバーがそろい、さらにエリスの縁で元スポーツ記者で後にカリスマ・レコーズを設立するトニー・ストラットン=スミスがマネージャーとして加入している。このメンバーでファーストシングル『People You Were Going To』をレコーディングしている。しかし、当のマーキュリー・レコーズがレコードリリースを模索したもののうまくいかず、結果、1968年にアメリカではテトラグラマトン・レコーズ、イギリスではポリドール・レコーズからリリースすることになる。だが、セールス的に振るわないどころか、マーキュリー・レコーズとの契約違反によって法的問題が生じて回収の憂き目に逢ってしまう。さらにクリス・“ジャッジ”・スミスがピーター・ハミルとの主導権争いの末に脱退し、また、ロンドンでワゴンごと機材を盗まれてしまうなどの悪条件が重なり、1969年7月にグループは一度解散することになる。
しばらくしてマネージャーだったトニー・ストラットン=スミスが手を差し伸べたことにより、マーキュリー・レコーズからピーター・ハミルのソロ作の打診が入り、彼の元にメンバーが集まったことで再度VDGGが再結成される。ピーター・ハミルは劣悪だったマーキュリーとの契約解除を条件にグループ名義でアルバム『Aerosol Grey Machine』をレコーディングしている。そして1969年9月に本国イギリスではリリースされず、ドイツとアメリカのみでリリースされる。事実上、VDGGのファーストアルバムとなったわけだが、一度のセッションのみだと考えていたベーシストのキース・エリスは、ジューシー・ルーシーというグループに加入したため、代わりにニック・ポッターが加入。また、もう1人、デヴィッド・ジャクソン(サックス)が加入して5人編成となる。ロンドンのライシアム劇場でコンサートを何度も行い、エールズバリーのフライアーズ・クラブに出演するなど、グループは着実に人気を集めていったという。特に2つのサックスを同時に吹くことができるデヴィッド・ジャクソンは大きく注目されたという。後にトニー・ストラットン=スミスが設立したカリスマ・レコーズと契約し、1970年にセカンドアルバムの『ザ・リースト・ウィ・キャン・ドゥ・イズ・ウェイヴ・トゥ・イーチ・アザー(旧邦題:精神交遊)』をリリースする。4日間という短いスケジュールのレコーディングだったが、グループのスタイルが確立したアルバムとなっており、イギリスでは熱狂的に受け入れられたアルバムとなっている。ことにメロディ・メイカー誌のリチャード・ウィリアムスが内容を褒めちぎっている。自信を持ったVDGGはライヴの機会が増えて、1970年4月にドイツのブレーメンに行ってテレビ番組「ビート・クラブ」用に2曲をレコーディングし放映。5月にはカナダのブランプトン・フェスティバル、6月にはロンドンのロイヤル・フェスティバル・ホールなどで注目されるコンサートを行い、7月には初のヨーロッパツアーを慣行している。トニー・ストラットン=スミスはVDGGを広く認知させるためにコンサートだけではなく、雑誌やテレビといったメディアを多く利用して紹介したという。ライヴの合間に次なるアルバムの制作に取り掛かり、トライデント・スタジオで再度ジョン・アンソニーをプロデューサーを迎えてレコーディングを開始するが、過密なスケジュールに嫌気を指したベーシストのニック・ポッターがレコーディング中に脱退。オーディションでベーシストを獲得しようとしたが適任がおらず、最終的にオルガニストのヒュー・バントンがベースを兼任することで落ち着いている。また、スピークイージーというクラブでキング・クリムゾンのロバート・フリップと共演したことがきっかけで、1曲のみロバートがレコーディングに参加している。こうして、多忙の中でアルバムのレコーディングが完了し、1970年12月にVDGGにとって3枚目となるアルバム『天地創造』がリリースされる。1970年の暮れには伝説となったジェネシスやリンディスファーンとのイギリスツアーを行い、次のアルバムの曲はその合間に作られ、その後、2ヶ月間をかけてサセックス州クロウバラにあるマネージャーのトニー・ストラットン・スミスの家でアレンジしている。レコーディングは1971年7月から9月にかけてトライデント・スタジオで行われ、グループメンバーに加えてプロデューサーのジョン・アンソニー、エンジニアにロビン・ケイブル、デイヴィッド・ヘンチェル、ケン・スコットが担当。こうして1971年11月12日に4枚目のアルバムとなる『ポーン・ハーツ』をリリースすることになる。そのアルバムは23分に及ぶ組曲『ア・プラグ・オブ・ライトハウス・キーパーズ』を含む3曲で構成され、イギリス国内よりもイタリアで絶大な支持を受け、ピーター・ハミルいわく「初めてプロの演奏家としての自覚を持つようになった」と言わしめた傑作となっている。
★曲目★
01.Lemmings ~Including Cog~(レミングス)
02.Man-Erg(マン・アーグ)
03.A Plague of Lighthouse-Keepers(ア・プラグ・オブ・ライトハウス・キーパーズ)
a.Eyewitness(アイウイットネス)
b.Pictures/Lighthouse(ピクチャーズ/ライトハウス)
c.Eyewitness(アイウイットネス)
d.S.H.M
e.Presence of the Night(プレゼンス・オブ・ザ・ナイト)
f.Kosmos Tours(コスモス・ツアーズ)
g.~Custard's~Last Stand(ラスト・スタンド)
h.The Clot Thickens(ザ・クロット・シッケンス)
i.Land's End ~Sineline~(ランズ・エンド)
j.We Go Now(ウィ・ゴー・ナウ)
アルバムの1曲目の『レミングス』は、「集団自殺」すると誤解されているレミング(タビネズミ)の生態を意味する言葉で、静かなアコースティックギターのリフから始まり、ハモンドオルガンとフルート、サックス、そして力強いドラムスで幕を開ける。ピーター・ハミルの迫るようなヴォーカルと蠢くような管楽器、ハモンドオルガンが混沌とした世界を構築しており、音楽理論を無視したような即興性を秘めた圧巻のサウンドになっている。5分過ぎにはアコースティックギターソロと不協和音に近い管楽器のパートが交互に繰り返され、ピアノの連打と手数の多いドラムスによる緊迫したインストが展開されている。最後はフルートの悲し気な音色と共に余韻を残しつつ終えている。2曲目の『マン・アーグ』は、一転して美しいピアノとチャーチ風のオルガンによる弾き語りとなっており、シンフォニックな一面を魅せた楽曲。3分過ぎには曲調が変化し、刻むようなサックスとギター音と、絶叫するハミルのヴォーカルになり、この曲の異様さをアピールしたものにしている。善と悪の対立について書かれたものであり、曲の中では「天使」と「殺人者」として表現されている。ジャズ的な手法とメロディを前面に出したアルバムの中でも最も構造が分かりやすく、歌詞の強烈なインパクトと対比させたドラマティックな曲になっている。3曲目の『ア・プラグ・オブ・ライトハウス・キーパーズ』は、23分に及ぶ10の楽章に分かれた壮大な組であり、2分から5分の短いセクションに分かれて録音されている。曲のテーマはピーター・ハミルの海への興味からインスピレーションを得た楽曲で、沖で人々が死ぬのを見続ける灯台守についての物語である。メンバー全員が楽曲制作に参加しており、ハミルのオリジナルの組曲に加えて、バントンはオリヴィエ・メシアンに影響を受けたオルガン曲『ピクチャーズ/ライトハウス』のセクションを提供し、エヴァンスは短いピアノリフを中心に『コスモス・ツアーズ』を書き、ジャクソンはエンディングテーマ『ウィ・ゴー・ナウ』の曲を書いている。シンフォ系のプログレとは異なり、インプロゼーションを含んだ複雑な構造を持った楽曲だが、オルガンやピアノがメロディをしっかり刻んでおり、ハミルのヴォーカルも憂いを帯びている。波の押し引きをイメージさせるシームレスに進行する楽曲は物語性に加えてドラマティックであり、最後の荘厳なコーラスワークが消えるまで、一瞬たりとも気の抜けない緊迫感が漂っている。こうしてアルバムを通して聴いてみると、楽曲にありがちな様式や構造は皆無に等しく、宇宙的な共振、もしくは人間の持つ感情の渦巻きをストレートに表現したような混沌とした内容になっている。それでも闇の中から一筋の光が差し込むような美しいパートがあり、彼らの音楽には凄まじい静と動の対比が存在する。その中で生まれた緊迫感と切迫感が、曲の荘厳さと威厳さを作りだしており、他のプログレとは異なる「美学」を提示しているように思える。
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本アルバムはイギリス国内では商業的に成功しなかったが、イタリアでは1位を獲得している。その後、レコードミラー誌のレビューでは「彼らが正確に何を達成しようとしているのか全く知らなかった」と告白した一方、メロディ・メーカー誌は「組曲『ア・プラグ・オブ・ライトハウス・キーパーズ』は最も魅力的でドラマチックな作品の1つ」と称賛したという。アルバムリリース後、彼らはイタリアの成功を受け、プロモーションのためにイタリアをツアーを敢行。そこで彼らはスーパースターのように扱われ、イタリアの軍用車両と機動隊に守られる事態になったという。しかし、人気に比例するようにライヴツアーやアルバムレコーディングが次々と組まれ、その過密なスケジュールに疲れ果てた彼らは、1972年に2度目となる解散を決めている。ピーター・ハミルはソロに転向し、1971年に『フールズ・メイト』 、1973年に『カメレオン・イン・ザ・シャドウ・オブ・ザ・ナイト』といったソロアルバムをリリースするが、かつてのメンバーがバックアップに務めるなどして交流は続いていたという。機運が高まった1975年に再度VDGGを結成し、5枚目となるアルバム『ゴッドブラフ』をリリース。1976年には『スティル・ライフ』、そして『ワールド・レコード』と続けてリリースするが、オルガニストのヒュー・バントンの脱退に伴うメンバーチェンジを行ったことで、グループ名をヴァン・ダー・グラーフと変えている。1977年には『ザ・クワイエット・ゾーン/ザ・プレジャー・ドーム』を出した後、約10年に及ぶ活動に終止符を打っている。歴史の中に封印したかと思えたVDGGだったが、2005年にクラシック・ラインナップと呼ばれる4人編成で、アルバム『プレゼント』で奇跡の復活を遂げる。2007年以降はジャクソンが脱退したため、ハミル、バントン、エヴァンスのトリオという今までにない編成となり、演奏面ではバントンのオルガンとハミルのギター&ピアノを核としたサウンドになっている。2008年と2012年には来日公演を果たし、2016年には13枚目のアルバム『ドゥ・ノット・ディスターブ』がリリースされ、現在でも精力的に活動を続けている。
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皆さんこんにちはそしてこんばんわです。今回はその難解で壮大なテーマから批評家の間でも賛否両論を巻き起こし、後に誤解された最高傑作とも呼ばれたヴァン・ダー・グラーフ・ジェネレイターの4枚目のアルバム『ポーン・ハーツ』を紹介しました。上でも書きましたが、元々、ピンク・フロイドの『ウマグマ』のような2枚組を想定していたアルバムだったらしく、1枚目は発表された『ポーン・ハーツ』の楽曲、2枚目は A面に『Killer』『Darkness』『Octopus』のスタジオライヴ曲、B面にはエヴァンス、ジャクソン、バントンのソロ曲を考えていたそうです。しかし、レコード会社から却下され、今のような3曲の1枚組となっています。前作の『天地創造』が高く評価されたため、次のアルバムはそれを越えるものにしようとする彼らの有り余るエネルギーが感じられます。ちなみにエヴァンス、ジャクソン、バントンのソロ曲は2005年のCD盤以降のボーナストラックで、BBCラジオ1のオリジナル・エンディングテーマとして使われたジョージ・マーティン作曲のカヴァー『テーマ・ワン』と、最終的にアルバムには収録されなかった『W』と共に聴くことができます。なお、アメリカとカナダ盤には『テーマ・ワン』が追加された4曲となっています。
さて、本アルバムのタイトルである『ポーン・ハーツ』は、「ホーン・パート」を意味するスプーナー語から来ているそうで、チェス用語をもじったもの、または「管楽器のパート(Horn Parts)」から音をもじったものとも言われています。さらに、アルバムのカヴァーは、カリスマレコードの常連アーティストであるポール・ホワイトヘッドがデザインしていており、ピーター・ハミルから「王様だろうが、貧乏人だろうが、何であろうと、君はポーンだ」と言われたことで、地球とカーテンをバックにチェスのように人を立てたデザインになったそうです。内側の見開き写真は、キース・モリスがラックスフォード・ハウスで撮影したもので、メンバーがクロウバラ・テニスをしながら、お互いにナチス式の敬礼をしており、ちょっとした問題になったそうですが、バントンは後に「これは単にメンバーがモンティ・パイソン風に馬鹿げたことをしようとしただけだ」と語っています。そんな様々な思惑のあるアルバムですが、後のイタリアのヘヴィプログレなどにも影響を及ぼしたと思われる23分に及ぶ組曲『ア・プラグ・オブ・ライトハウス・キーパーズ』が圧巻のひと言です。ピーター・ハミルの個性的な歌声とスペイシーなハモンドオルガンの音色を中心としていますが、多くのインプロビゼーションの要素を盛り込んでおり、シンフォ系のプログレ大曲とは異なる強引さがあります。一瞬たりとも気を抜くことを許さない緊張感が要求されますが、それでも歌はあくまでメロディアスであり、後半に向かっていくにしたがって不思議な壮大さが広がっていきます。ピーター・ハミルの楽曲と歌詞をベースとしているため、聴き手側からしたら混沌としていて難解で分かりにくい楽曲ですが、音楽理論を無視した異なる次元での強烈さを与えた作品として、やはりヴァン・ダー・グラーフ・ジェネレイターを語る上で欠かせない傑作だと思います。
本アルバムはピーター・ハミルは「初めてプロの演奏家としての自覚を持つようになった」と語った作品です。いわゆる「プログレ」グループとしてのヴァン・ダー・グラーフ・ジェネレイターの地位を確固たるものにした作品であり、自分たちの想い描いていた音楽からかけ離れてしまった作品でもあります。最終的に自分たちが解散に追い込まれるほど、高次元のエネルギーに満ちた本アルバムは、百花繚乱に咲き乱れる1970年代初頭から一歩抜きんでた揺るぎない傑作だと思っています。
それではまたっ!