【今日の1枚】Analogy/Analogy(アナロジー) | 古今東西プログレレビュー垂れ流し

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ロック(プログレ)を愛して止まない大バカ…もとい、音楽が日々の生活の糧となっているおっさんです。名盤からマニアックなアルバムまでチョイスして紹介!

Analogy/Analogy
アナロジー/ファースト
1972年リリース

サイケデリックとプログレッシヴの
中間に位置した唯一無二の逸品

 Ventottoというマイナーレーベルからリリースされ、ドイツ人出身のメンバーで構成されたイタリアン・プログレッシヴロックグループ、アナロジーの唯一作。そのサウンドはハモンドオルガンとギターが絡むサイケデリックとプログレッシヴの中間に位置するサウンドとなっており、紅一点であるユッタ・テイラー・ニーンハウスのブルージーで妖艶なヴォーカルが魅力となっている。アルバムはわずか1,000枚というプレス枚数とメンバー全員がヌードを披露したジャケットアートが話題となり、コレクターの間ではオリジナルが35万円という高値で取引されたという超稀少盤として名高い。

 アナロジーは1968年に結成したSons Of Glove(サンズ・オブ・グローブ)から発展したグループである。サンズ・オブ・グローブは北イタリアのロンバルディア州ヴァレーゼという都市にあるインターナショナルスクールに通う、ドイツ人ギタリストのマーティン・トゥルン・ミソフが中心となって結成されている。マーティン・トゥルンは元々、ドイツのボンでナンバー・シックスというグループを結成したが、イタリア北部に引っ越ししたことで解散。彼はインターナショナルスクールに通い、新たにメンバーを募ってグループ結成に動いたとされている。メンバーには同学校に通うドイツ人のヴォルフガング・シェーネ(リズムギター)や後にペル・メルを結成するトーマス・シュミット(ヴァイオリン、フルート)、ユッタ・テイラー・ニーンハウス(ヴォーカル)が在籍していたという。彼らは英国のサイケデリックロックに影響を受けた音楽を演奏しており、英語で歌う紅一点のユッタ・テイラー・ニーンハウスのヴォーカルが印象的なグループとして人気を集めていたという。1970年にはトーマス・シュミットが脱退し、そこに同じ学校に通うユッタの弟であるヘルマン・ユルゲン・ニーンハウス(ドラムス)とイタリア人であるマウロ・ラッタッジ(ベース)が加わったことで、グループ名をThe Joice(ザ・ジョイス)と改名している。彼らは北イタリアのマッジョーレ湖畔にあるアロナで開催された音楽フェスティバルに出演した時、ピンク・フロイドの『原子心母』を自由な解釈で演奏するキーボード奏者の二コラ・パンコフと出会っている。彼らと二コラはステージ上で意気投合し、フェスティバル後に二コラはザ・ジョイスのメンバーの一員として迎え入れられる。6人となったメンバーは北イタリアやスイスを中心にライヴを行い、1971年にMessaggerie Musicaliが配給する小さなレーベルのProduzioni Ventottoと契約し、マーティン・トゥルンが作曲したシングル『ゴッズ・オウン・ランド/ソールド・アウト』をリリースする。しかし、レコード会社のミスによって誤ってグループ名をThe Yoiceとされてしまい、また、シングルが思いのほか売れてしまったため、しばらくThe Yoiceというグループ名で活動することになる。1972年初頭にベーシストのマウロ・ラッタッジが徴兵のために脱退し、ギタリストだったヴォルフガング・シェーネがベーシストに転向したこの時にグループ名をアナロジーと改名している。アナロジーというグループ名で活動を再開した彼らは、ローマのヴィラ・パンフィリ・フェスやカラカラ・ポップフェス、ナポリのBe-inに出演するなど、知名度の低かったイタリアの首都を中心にライヴを行ったという。1972年5月にミラノのモンディアル・サウンドスタジオに入り、プロデューサーにアルド・パガーニ、エンジニアにトニーノ・パオリージョを迎えてアルバムのレコーディングを開始。レコーディング時にはゲストにピアニストのJ・アンダーソンが参加し、同年6月にデビューアルバムとなる『アナロジー』がリリースされることになる。そのアルバムはプログレッシヴなハモンドオルガンとメロディアスなギター、そして妖艶なユッタのブルージーなヴォーカルが印象的なダーク系サイケデリックロックとなっており、メンバー全員が裸というアルバムジャケットが話題となった作品でもある。

★曲目★ 
01.Dark Reflections(ダーク・リフレクションズ)
02.Weeping May Endure(ウィーピング・メイ・インドゥア)
03.Indian Meditation(インディアン・メディテイション)
04.Tin's Song(ティンズ・ソング)
05.Analogy(アナロジー)
06.The Year's At The Spring(ジ・イヤーズ・アット・ザ・スプリング)
07.Pan-Am Flight 249(パンナム・ファイト 249)
★ボーナストラック★
08.God's Own Land(ゴッズ・オウン・ランド)
09.Sold Out(ソールド・アウト)
10.Milan On A Sunday Morning(ミラン・オン・ア・サンデイ・モーニング)
11.Vita Non So Chi Sei(人生って何)

 アルバムの1曲目の『ダーク・リフレクションズ』は、エクス・アン・プロヴァンス出身の女の子への報われない愛を嘆いたブルース。ドラマティックなハモンドオルガンやジャジーなギター、そして何よりもユッカ・テイラーの仄暗いヴォーカルが印象的である。多彩なドラミングと独特なベースラインからブルースをテーマにした多様な曲構成となっていることが分かる。2曲目の『ウィーピング・メイ・インドゥア』は、ユッカ・テイラーの高音で静かなヴォーカルパートと重々しいハモンドオルガンやハードなギターがコントラストとなって演奏される楽曲。インストパートはオルガンハードロックとも言える内容になっている。3曲目の『インディアン・メディテイション』は、アメリカの精神を描いた楽曲であり、ニコラ・パンコフの素晴らしいオルガンプレイが堪能できる。また、マーティン・トゥルンのギタープレイは初期のフロイドを彷彿とさせ、さらに彼が演奏するフルートがフィーチャーされている。4曲目の『ティンズ・ソング』は、ベネズエラ出身の「TIN」という男性と数週間一緒に過ごしたことを描いた楽曲。ギター演奏やパーカッションには南米風のタッチがあり、アルバムの中で最も軽快なサウンドとなっている。5曲目の『アナロジー』は、1960年代後半のサイケデリックロックに影響されたような楽曲。重さのあるギターワークやメロディアスなオルガン、そして深淵なユッカ・テイラーのヴォーカルなど、即興のピンク・フロイドに近いスタイルとなっている。6曲目の『ジ・イヤーズ・アット・ザ・スプリング』は、英国の詩人であるエリザベス・バレット・ブラウニングの歌詞を用いたブリティッシュ風ポップ。ダイナミックなユッカ・テイラーのヴォーカルが冴えており、オルガンやギターと共に1960年代を謳歌するような内容になっている。7曲目の『パンナム・ファイト 249』は、パンナム航空249便を歌ったものであり、プログレ色のあるブルージーな楽曲。ロングトーンのギターやオルガンの響きから突然、テンポが変わり、後半にはヴィヴァルディを意識したようなメロディが引用されているなど、構成に力を入れた内容になっている。ボーナストラックは2012年にリイシューされたベル・アンティーク盤に収録されたもの。『ゴッズ・オウン・ランド』と『ソールド・アウト』は、The Yoice時代のシングル曲で、マーティン・トゥルンのギターが冴えたメロディアスな楽曲となっている。ただし、ノイズが多少あるのが難点。『ミラン・オン・ア・サンデイ・モーニング』は、クラシカルな雰囲気のある内容になっており、ヴァイオリンやピアノを使用した室内楽風になっているのが特徴である。『人生って何』は、軽快なリズムとギターによるロックンロールになっている。

 アルバムはマイナーレーベルだったため、たった1,000枚しかプレスされなかったが、ディストリビューションに長けたMessaggerie Musicaliが配給を行ったことで入手は容易だったという。しかし、グループにはレコードの売り上げに関する収入は無く、プロデューサー兼マネージャーだったアルド・パガーニが全ての著作権料を独り占めしたとされている。1973年に音楽的、経済的な問題でキーボード奏者の二コラ・パンコフが脱退。この頃から彼らはクラシカルで中世的なフォークサウンドを取り入れ、スカラ座のオーケストラのフルート奏者であるロッコ・アバーテが加入する。その時に制作されたのがシンフォニック組曲『The Suite』であるが、レコード会社は全く興味を示さずお蔵入りとなっている。その後も彼らはスイスで60以上のライヴを行い、イアリアのアレアやクエッラ・ヴェッキア・ロカンダ、オザンナ、ロヴェッショ・デッラ・メダーリャをはじめ、英国のアトミック・ルースター、カーヴド・エア、ヴァン・ダー・グラーフ・ジェネレイターといった大物グループと共演してきたが、1974年に解散している。ユッカ・テイラーとマーティン・トゥルンは、解散前の1973年にイタリアのシンガーソングライターのフランコ・バッティアートとコラボレーションを行い、アルバム『Suite Corde Di Aries』に参加。さらに2人は新たな活動の場を広げるために英国のロンドンに渡り、1975年にアースバウンドを結成。2年後に解散するが、その後も別メンバーで再結成して、1979年にニューウェイヴ色の強いシングル『Liberated Lady/Robot』をリリースしている。後に2人はロンドン・サーキットやイングランド南部で多くのギグを行ったことで知られた存在となり、ラジオパーソナリティで有名なジョン・ピールも2人を取り上げていたそうである。1980年に2人は未収録で終わったシンフォニックオペラ『The Suite』を録音し、1993年にドイツのオーヴァシュルレコードより、アナロジー名義でCD化されている。これがきっかけで、1995年にユッカ・テイラーとマーティン・トゥルンが中心となり、グラジアーノ・メッザノッテ(キーボード)、ピノ・マレリア(ドラムス)を加えて新生アナロジーを結成。1996年にアルバム『25 Years Later』をリリースしている。これは制作前に亡くなったユッタの弟であるヘルマン・ユルゲン・ニーンハウスの追悼が込められているという。2003年にはユッタが50歳を記念した再結成後の初ライヴが行われ、グループ結成以来初めてドイツで行われたという。2010年初頭には結成30周年を記念したアナロジーとアースバウンドの曲が収められたボックスセットが発売され、ユッカ・テイラーとマーティン・トゥルン、マウロ・ラッタッジ、ロッコ・アバーテ、そしてアースバウンドのメンバーとタッグを組んだ発売記念ライヴを同年2月に行っている。

 

 皆さんこんにちはそしてこんばんわです。今回はドイツ出身のメンバーを中心に結成されたイタリアン・プログレッシヴロックグループ、アナロジーのデビューアルバムを紹介しました。ジャケットは見て分かる通り、メンバー全員がペインティングした裸という、なかなか衝撃的な写真となっています。この写真はThe Yoice時代にリリースしたシングル『ゴッズ・オウン・ランド/ソールド・アウト』のジャケット用に撮影された別バージョンとなっています。中央からやや左に青い帯が縦にありますが、当初、その帯のところに脱退したメンバーがいたので帯で隠したのでは?と言われていました。しかし、実際には草むらだけで誰もおらず、1人だけドラマーのヘルマン・ユルゲン・ニーンハウスがなぜか左脇にいるだけでした。ジャケットも衝撃でしたが、実は封入されているポスターがまたどエライことになっていまして、ペインティング無しのヌード写真となっているそうです。よく回収されなかったな~というのが率直な感想です。オリジナル盤は35万円で取引されるコレクターアイテムとなっていますが、わずか1,000枚のプレスという稀少さより、まだ20歳前後の男女の裸が写っているというのが珍しかったのかもしれません。

 さて、アルバムですが、イタリアで活動するドイツ人が中心となったグループだけあって、イタリアンロックとも言えず、はたまたクラウトロックとも言えないサウンドになっています。様々なスタイルに合わせて英語で歌うユッカ・テイラーの妖艶なヴォーカルを前面に打ち出し、プログレ要素のあるハモンドオルガンとロングトーンのギターが絡み合うブルージーでダークなサイケデリックロックという感じです。もっと言えばヨーロッパ大陸を根差したインターナショナルな作風と言ったほうが良いでしょうか。1曲目からドラマチックなドラムワークやシンフォニックなハモンドオルガン、ジャジーなギターがあり、3曲目のアメリカの精神を歌った『インディアン・メディテイション』は、サイケデリックなギターワークを備えたインストゥルメンタルとなっています。ライヴで培った彼らの演奏レベルも高く、決してジャケットの話題だけのグループではないことが分かります。個人的には2曲目の『ウィーピング・メイ・インドゥア』が英国の詩人であるジョン・ミルトン、6曲目の『ザ・イヤーズ・アット・ザ・スプリング』が英国の詩人であるエリザベス・バレット・ブラウニングの歌詞を使用していることから、イタリアという地でどこか英国を意識しているような気がしてなりません。そんなところが無国籍風のサウンドになったのだろうと思います。

 プログレッシヴロックとしては物足りない感じがしますが、ユッカ・テイラーの妖しいヴォーカルによるブルージーなサイケデリックロックとして聴くと、非常に魅力的な1枚です。

それではまたっ!