【今日の1枚】Bakerloo/Bakerloo(ベイカールー) | 古今東西プログレレビュー垂れ流し

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ロック(プログレ)を愛して止まない大バカ…もとい、音楽が日々の生活の糧となっているおっさんです。名盤からマニアックなアルバムまでチョイスして紹介!

Bakerloo/Bakerloo
ベイカールー/ファースト
1969年リリース

様々なジャンルからの影響を受けた
ブリティッシュロック黎明期の傑作

 後にコロシアム、ハンブル・パイ、ラフ・ダイアモンド等に参加するギタリスト、デヴィッド・クレム・クレムソン(ティム・クレムソン)らが中心となって活動していたベイカールーの唯一作。そのアルバムはジャズやブルース、クラシック、ハードロックなどの多彩なジャンルからの影響が感じられるプログレッシヴなサウンドとなっており、聴くほどに新たな発見があるブリティッシュロック黎明期の傑作となっている。他のメンバーのキース・ベイカーはユーライア・ヒープの名盤『ソールズベリー』に参加し、テリー・プールはブルース&ジャズ・ロックの革新者であるグラハム・ボンドのアルバムやメイ・ブリッツに参加。また、ジョン・ヒンチはジューダス・プリーストのデビューアルバム『ロッカ・ローラ』に参加するなどでアルバムの価値は上昇し、当時レコードは1枚約65ポンド(23,000円)で取引されていたという。

 ベイカールーはジミ・ヘンドリックス・エクスペリエンスとザ・クリームの影響が絶頂に達していた1960年代後半に、スタッフォードシャー州のティム・クレムソンとテリー・プール、ジョン・ヒンチによって結成されたブルースロックトリオである。ティム・クレムソンは幼少の頃からクラシックのピアニストとして教育を受けていたが、ロックの影響を受けてギタリストに転向し、18歳の頃にスタッフォードシャー州出身で元ピンチ、ザ・ジェネレーションというグループに在籍していたジョン・ヒンチらと共にザ・ベイカールー・ブルース・ライン(後のベイカールー)を結成している。グループ名はジョン・"ポリ"・パーマーやジョン・ヒンチを含む数人のドラマーと活動していたロンドン地下鉄のベイカールー・ラインにちなんで命名されたという。メンバーはティム・クレムソン(ギター、ヴォーカル)、テリー・プール(ベース)、ジョン・ヒンチ(ドラムス)のトリオ編成であり、当初はザ・クリームに影響を受けたブルースロックを演奏していたという。後にジョン・ヒンチがセッションミュージシャンとして活動していくことで脱退し、代わりにキース・ベイカーが加入している。彼らはバーミンガムにあるヘンリーズ・ブルース・ハウスで定期的に演奏するようになり、当時アースと名乗っていた頃のブラック・サバスのマネージャーであったジム・シンプソンに見出される。彼らはシンプソンの薦めでアースやロコモティヴ、ティー・アンド・シンフォニーなどのグループと共にビッグ・ベア・フォリーの英国ツアーに参加することになる。また、1968年10月18日にはロンドンの有名なマーキー・クラブで行われたレッド・ツェッペリンのデビューのサポートアクトを務めている。この頃にベイカールーとグループ名を短くし、1969年半ばにEMIのプログレッシヴロックレーベルだったハーベストレコードと契約。同年7月にリリースした『ドライビン・バックワーズ/ワンス・アポン・ア・タイム』のシングルでデビューを飾ることになる。A面はJ.S.バッハの曲『ブーレ ホ短調』の編曲となっており、ジェスロ・タルのセカンドアルバム『スタンド・アップ』に収録された曲『ブーレ』よりもひと月も早くリリースされたクラシカルなナンバーである。リリースしたシングルの評判が高かったことから、1969年の秋からエルトン・ジョンのプロデューサーで知られるガス・ダッジョンを迎えて、マーキースタジオにてアルバム制作のレコーディングを開始している。ゲストにトランペット奏者のジェリー・ソルズベリーが参加し、同年の11月にデビューアルバムとなる『ベイカールー』がリリースされることになる。そのアルバムはブルースロックをベースにジャズやクラシック、ハードロックなどの様々なジャンルを貪欲に取り込んだバラエティ溢れる作風となっており、ギターだけではなくピアノやハープシコード、ハーモニカを演奏するティム・クレムソンの才能が遺憾なく発揮された名盤である。

★曲目★
01.Big Bear FFolly(ビッグ・フェア・フォリー)
02.Bring It On Home(ブリング・イット・オン・ホーム)
03.Drivin' Bachwards(ドライビン・バックワーズ)
04.Last Blues(ラスト・ブルース)
05.Gang Bang(ギャング・バング)
06.This Worried Feeling(ジス・ウォリード・フィーリング)
07.Son Of Moonshine(ソン・オブ・ムーンシャイン)
★ボーナストラック★
08.Once Upon A Time(ワンス・アポン・ア・タイム)
09.This Worried Feelings(ジス・ウォリード・フィーリングス~ディファレント・ヴァージョン~)
10.Georgia~Previously Unreleased Outtake~(ジョージア~未発表ヴァージョン~)
11.Train(トレイン)
12.Son Of Moonshine Part 1(ソン・オブ・ムーンシャイン パート1~ディファレント・ミックス・インストゥメンタル~)

 アルバム1曲目の『ビッグ・フェア・フォリー』は、ベイカールーも参加したジム・シンプソンの英国ツアーの名前から採ったもので、フリージャズの要素の強い即興演奏のあるインストゥルメンタル曲。テリー・プールとキース・ベイカーの高速かつ猛烈なベース&ドラミング上で、ヘヴィに弾きまくるクレムソンのギターが印象的である。2曲目の『ブリング・イット・オン・ホーム』は、レッド・ツェッペリンで有名になったウィリー・ディクソンのブルース曲のアレンジヴァージョン。クレムソンがギターだけではなくハーモニカとヴォーカルを担当し、ブルージーな雰囲気を作り出している。クレムソンのハーモニカが板についており、まるで彼らがブルースをルーツとしたグループであると主張しているようである。3曲目の『ドライビン・バックワーズ』は、シングルにもなったJ.S.バッハの『ブーレ ホ短調』(リュート組曲ホ短調第5楽章)の編曲。ゲストのトランペット奏者であるジェリー・ソルズベリーが参加しており、フリースタイルのジャジーなインストゥルメンタルになっている。この曲でのクレムソンはハープシコードも弾いており、彼らが様々なジャンルを貪欲に取り入れているのがよく分かる。4曲目の『ラスト・ブルース』は、ムーディーなブルース調から、クリームスタイルを踏襲した激しいブルースジャムに変化するナンバー。最後は再度ムーディーなブルースに戻って終えている。5曲目の『ギャング・バング』は、リズムセクションにスポットを当てたハードロックナンバー。ジンジャー・ベイカーのスタイルに似たテクニカルなドラムソロを披露しており、キース・ベイカーの腕前が垣間見れる内容になっている。6曲目の『ジス・ウォリード・フィーリング』は、ブルースギターとヴォーカルの対話によるフリートウッド・マック風のスローなブルースから、美しいピアノの音色とダーティーなギターになだれ込む楽曲。1960年代のモダンなブルースを受け継いだ彼らのルーツともいえる内容である。7曲目の『ソン・オブ・ムーンシャイン』は、15分に及ぶ大曲となっており、イントロのヘヴィなギターリフは後にT・レックスなどのブギーにもつながるハードなブルースロックになっている。この曲は基本的に長いジャムセッションとなっており、長いティム・クレムソンによるワイルドなギターワークを中心に展開される。9分過ぎから曲調が変わり、パワフルなリズムセクションを中心としたハードロックとなり、うなりを上げるヘヴィなギターが印象的である。ブルースにとどまらず、後のハードロック特有のギターリフや実験的な要素が過分に含まれた野心的な楽曲と言える。ボーナストラックの『ワンス・アポン・ア・タイム』は、シングルのB面に収録されたキャッチーな英国ロック。『ジス・ウォリード・フィーリングス~ディファレント・ヴァージョン~』は、オリジナル曲の短いヴァージョンで、ギターパートがわずかに異なっている。こうしてアルバムを通して聴いてみると、ブルースロックを主体に多彩なジャンルを掛け合わせた楽曲になっているが、グループの主な魅力はクレムソンのギターワークにあるにも関わらず、ベーシストのテリー・プールとドラマーのキース・ベイカーが素晴らしいリズムセクションを披露している。ブルースの泥臭さを可能な限り排除し、純粋に技巧的で華麗なサウンドを目指している感があり、それがプログレッシヴブルースとなった所以だろうと思える。

 グループはアルバムリリース後もマーキー・クラブで演奏を続けていたが、1970年夏ごろに解散している。解散の理由はティム・クレムソンがギタリストであったジェイムズ・リザーランドの後継としてコロシアムに引き抜かれたためである。クレムソンは1970年リリースのコロシアムのアルバム『The Grass Is Greener』に参加し、同年のバース・フェスティバルを含むフェスにも参加。グループが解散した1971年10月からは人気絶頂だったピーター・フランプトンの後継としてハンブル・パイに加入している。その後は1975年にコージー・パウエルと元ハンブル・パイのベーシストであるグレッグ・リドリーと共にストレンジ・ブリューを結成するが、クレムソンが手首を骨折してしまったため頓挫。同年にはリッチー・ブラックモアが抜けたディープ・パープルのリハーサルに参加している。1976年にはハンブル・パイのスティーヴ・マリオットと手を組んで活動を行い、同年に元ユーライア・ヒープのデヴィッド・バイロンと共にラフ・ダイアモンドを結成。その後はセッションミュージシャンとしてプロコル・ハルムのドラマーであったボビー・ハリスンのグループであるスナッフや元ファミリーのロジャー・チャップマンのグループ、ロジャー・チャップマン・ショートリストに加入している。1981年にはイエスのジョン・アンダーソンのソロアルバム『アニメーション』に参加したほか、ジャック・ブルースやボブ・ディラン、ロジャー・ウォーターズの作品に参加したり、グラハム&ザ・ドルフィンというグループに加入したりするなど活躍。1994年にはコロシアムが復活したのを機にグループに復帰している。ベーシストであるテリー・プールは、当時のブルース&ジャズ・ロックの革新者であるグラハム・ボンドのグループのアルバム『We Put Our Magick On You』に参加。その後はセッションミュージシャンとして元ザ・ゾンビーズのシンガー、コリン・ブランストーンのソロアルバムやギタリストのポール・ブレットのアルバムにも参加している。ドラマーのキース・ベイカーは、当時ダディと呼ばれていたスーパートランプの加入を経て、ナイジェル・オルソンの後任として1971年のアルバム『ソールズベリー』からユーライア・ヒープのメンバーとして活躍することになる。結成時のドラマーだったジョン・ヒンチは、1972年から1973年までヴォーカリストのロブ・ハルフォードと共にヒロシマというグループで演奏。1973年にヴォーカリストだったアラン・アトキンスの代わりにロブ・ハルフォードと共にジューダス・プリーストに加入し、1974年にデビューアルバム『ロッカ・ローラ』のレコーディングに参加。ヒンチはグループの運転手兼マネージャーを務めつつ、1975年までツアーでもドラムを演奏したという。脱退後はジェイムソン・レイドやウリ・ジョン・ロート、ファッション、スティール、ザ・ビューローといったヘヴィメタルやハードロックのグループを渡り歩き、近年では音楽伝記作家やインタビュアーから連絡を受けてはジューダス・プリーストについて語っていたという。晩年はセッションミュージシャンとして活動していたが、2021年4月29日に73歳で亡くなっている。

 皆さんこんにちはそしてこんばんわです。今回はブリティッシュロック黎明期に結成し、解散後のメンバーはそれぞれ名グループを渡り歩くことになるベイカールーの唯一のアルバムを紹介しました。ベイカールーはかつてハードロックを聴いてきた私にとっては伝説的なグループで、当時はレコードはもちろん、CDさえも高価だったことを覚えています。2013年にベル・アンティークから紙ジャケで発売されましたが、すでに入手困難状態となり、ついこの間やっと中古で見つけて手に入れました。値段は定価の倍近くありましたが、ええ…そりゃもう満足していますよ(´;ω;`)ウッ…。ベイカールーの名前のルーツは上にも書いた通り、ロンドン地下鉄の路線のひとつのベイカールー・ラインから採用しています。このベイカールー・ラインは当時、ジョン・ヒンチを含む数人のドラマーがベーカー・ストリート駅などで活動していたそうで、ヒンチが命名したのだろうと思います。ただ、ジョン・ヒンチの代わりに加入したキース・ベイカーが、これではまるで俺のグループのようだと揉めたそうですが、その後和解してベイカールーとして収拾したと言われています。ちなみにジャケットデザインはマスタード・クリーシー&アソシエイツというデザイン会社が描いており、1890年代から始めたとされるベイカールーの地下鉄の作業風景を描いたものになっています。掘削機を中心に男たちを囲んでいますが、地下鉄の建設は多くの作業者の命が失われる過酷なものだったと言われています。このモノトーンのジャケットを見るとキャラヴァンの『ウォータールー・リリー』を少しだけ思い出します。

 さて、アルバムですが、ブルースロックをベースにジャズやブギー、クラシック、ハードロックなど、当時の多彩なジャンルがひしめき合う英国ロックに大きく影響した重厚なサウンドとなっています。中でもコロシアムやハンブル・パイ等で活躍するティム・クレムソンの才能が垣間見れる内容になっていて、彼のギターだけではなくピアノやハープシコード、ハーモニカといった幅広い演奏を堪能できる逸品となっています。そこにジャズやハードロック調に変化するキース・ベイカーのドラミングやテリー・プールのベースがうまくサポートしており、クレムソンの演奏に華を添えている感じがします。2曲目の『ブリング・イット・オン・ホーム』の独自ヴァージョンを披露することで、自分たちがブルースのグループであることを主張しつつ、3曲目の『ドライビン・バックワーズ』でJ.S.バッハの曲『ブーレ ホ短調』のジャズヴァージョンを挟み、4曲目の『ラスト・ブルース』でもうブルースは終わっていると言っているようです。彼らなりに新たな音楽、つまりプログレッシヴなロックを受け入れており、それが最後の曲である15分に及ぶ『ソン・オブ・ムーンシャイン』に大きく表れることになります。この曲はブルースやハードロック、初期のメタル、ブギー、ファンクにも通じる圧巻の内容となっていて、その高度に即興的なサウンドは後にユーライア・ヒープやコロシアム、グランド・ファンクといった多くのハードロック、プログレッシヴロックグループに影響を与えたに違いありません。

 ベイカールーは後に名グループを渡ることになるティム・クレムソンをはじめとするメンバーのルーツとなるグループです。1960年代のブルースを受け継ぎ、1970年代のハードロックやプログレッシヴロックへの橋渡しとなった画期的な作品です。ブルースロックやプログレッシヴロック好きの方にはぜひ聴いてほしい味わい深いアルバムです。リマスター化しているとはいえ、1969年の録音とは思えない素晴らしい音質になっています。

それではまたっ!