【今日の1枚】Popol Vuh/Hosianna Mantra(ホシアンナ・マントラ) | 古今東西プログレレビュー垂れ流し

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Popol Vuh/Hosianna Mantra
ポポル・ヴー/ホシアンナ・マントラ
1972年リリース

宗教音楽とアコースティック楽器の融合から
生まれた神々しいまでの神秘性に満ちた名盤

 今は亡きドイツのキーボーディストであるフローリアン・フリッケ率いるプログレッシヴグループ、ポポル・ヴーのサードアルバム。これまでのアルバムはモーグシンセサイザーとパーカッションを中心とした電子音楽のパイオニア的なサウンドを試みていたが、本アルバムではシンセサイザーを放棄し、メンバーチェンジの上、ピアノやオーボエ、タブラといったアコースティック楽器を中心とした前衛的な宗教音楽となっている。ミサ曲にインスパイアされた3曲と旧約聖書にインスパイアされた5曲といった組曲形式となった本作品は、時代を超越した癒しの音楽として今なお高く評価されている。

 ポポル・ヴーは西ドイツのミュンヘンでキーボーディストであるフローリアン・フリッケが、1969年に創設したグループである。フリッケは1944年2月23日にドイツのボーデン湖のリンダウ島で生まれ、裕福な家庭のもとで生まれている。彼は幼少期の頃からピアノを弾き始め、後に公立音楽アカデミーのフライブルク音楽大学に入学し、また、ミュンヘン音楽院(ミュンヘン音楽舞台芸術大学)でピアノや作曲法、オーケストラの指揮を学んだという。そんなクラシック漬けだった彼に大きな変化が訪れたのは、ミュンヘン滞在中の18歳の頃である。彼は1960年初頭のアメリカのサックス奏者であるオーネット・コールマンの『フリー・ジャズ』に衝撃を受け、攻撃的で不協和音のような質感のあるフリー・ジャズ&前衛音楽に目覚めたという。このフリー・ジャズの実験的なアプローチが、後の彼の音楽性に繋がっていくことになる。また、フリッケは同時期に後のニュージャーマン・シネマの先駆者と呼ばれる映画監督のヴェルナー・ヘルツォークと親しくなり、1968年にギリシャで撮影されたヘルツォークの最初の映画である『サイン・オブ・ライフ』に無名のピアニストとして出演している。このヘルツォーク監督のスタイルは、絵コンテを避け、即興を強調し、キャストとスタッフを、制作中の映画の状況を反映した現実の状況に置くという、これまでにない新たな映画を作ろうとした人物で、フリッケ自身も影響を受けたという。そんなフリッケとヘルツォークはミュンヘン大学の図書館で『ポポル・ヴー』というタイトルのマヤの宗教書に出会っている。「共同体の書」とも言われるその宗教書は、マヤの天地創造神話、双子の英雄フナフプーとイシュバランケの功績、そしてグアテマラのキチェ族の年代記を含んだ内容に感銘し、フリッケはこの神秘的な宗教書を名にしたグループを立ち上げようと決心する。1969年に25歳となったフリッケはサウンドデザイナーのフランク・フィードラーとパーカッショニストのホルガー・トリュルシュと共にポポル・ヴーを結成。この時、フリッケは商用化されたばかりのモーグⅢシンセサイザーを入手し、最初に使用したミュージシャンとされている。1970年にレーベルであるリバティと契約して、同年にそのモーグⅢシンセサイザーをメインとしたデビューアルバム『Affenstunde(猿の時代)』と、レーベルをピルツに移籍した1971年にセカンドアルバム『In Den Gärten Pharaos(ファラオの庭にて)』をリリース。最新鋭のシンセサイザーで大自然の中の神秘を抒情的に描写したその2枚のアルバムは、現在でも電子音楽のパイオニアとして認知されている。しかし、フリッケはこれまで電子音楽によるアンビエントな音楽を辞めて、これまで使用してきたシンセサイザーとリズム楽器を放棄。メンバーチェンジを行い、ギタリストにコニー・ファイト、ヴォーカルにジョン・ユン、タブラ奏者にクラウス・ヴィーゼ、ゲストとしてヴァイオリン奏者にフリッツ・ゾンライトナー、オーボエ奏者にロバート・エリスク、フリッケ自身はピアノとチェンバロを担当とするアコースティック楽器をメインとした編成にしている。そして「神への讃歌」という宗教的なテーマとした『ホシアンナ・マントラ』が録音され、1972年にリリースする。そのアルバムはアコースティック楽器への回帰と稀代の女性ヴォーカリストであるジョン・ユンによる神秘性の高いサウンドとなっており、フリッケ自身が「もっとも美しいアルバム」と評した名盤でもある。
 
★曲目★
01.Ah!(アー!)
02.Kyrie(キリエ)
03.Hosianna-Mantra(ホシアンナ・マントラ)
~第五のモーゼ書~
04.Abschied(別離)
05.Segnung(祝福)
06.Andacht(礼拝)
07.Nicht Hoch Im Himmel(天はそこに)
08.Andacht(礼拝)
★ボーナストラック★
09.Maria ~Ave Maria~(アヴェ・マリア)

 アルバムの1曲目の『アー!』は、流麗なピアノの音色とそれの呼応するようなタブラの音色による静謐なインストゥメンタル曲。そこにスローアタックなギターが絡み、どこか儚げで揺れ動く水面のような不思議な空間を作り出している。2曲目の『キリエ』は、甘い響きを持つギターと流れるようなピアノ、そしてタブラをバックに「主よ 憐れみたまえ」といったキリスト教祈りの言葉で綴るユンの美声がこだまする。その清浄な歌声を包み込むようにギターやピアノが鳴り響き、やがて拡散していた演奏がひとつになっていく。やがて神秘的で平穏が雰囲気を崩すつむじ風のような演奏となり、静かにフェードアウトしている。3曲目の『ホシアンナ・マントラ』は、ピアノとチェンバロによる静かなイントロから始まり、仄暗い空間にまるで光が差し込むかのようなギターとユンの歌声が響く楽曲。意外とギターはブルージーであり、即興的な奏法になっているのが印象的である。後にオーボエの音が明るく照らし、天上のユンのヴォーカルと共に一瞬クラシカルな雰囲気にさせてくれる。レコードでいうB面は5章からなる『第五のモーゼ書』をモチーフにした楽曲。4曲目の『別離』は、12弦ギターとオーボエによる演奏を中心としたインスト曲。こちらも絡むようなタブラの音色が深淵な雰囲気を作り出しているが、哀愁漂うオーボエのメロディがひと際目立っている。5曲目の『祝福』は、静謐な中から響き合うギターとタブラをバックに、ユンの清らかな歌声が始まる楽曲。間奏ではピアノを中心にギターやヴァイオリン、オーボエも絡み、音を紡ぐような夢想感のある世界を創り上げている。6曲目の『礼拝』は、ギターを中心とした短いインタールードとなっており、7曲目の『天はそこに』は、翳りのあるピアノと憂いを帯びたユンの歌声から始まる。中盤では流麗なピアノのリズムに乗って泣きのギターが鳴り響き、どこか物寂しい雰囲気を再びヴォリュームを上げたピアノの音色と透き通ったユンの歌声で変化させている。8曲目は曲目と同じタイトルの短いリプライズとなっており、男声のハミングのような声が聴こえるのが印象的である。ボーナストラックの『アヴェ・マリア』は、美しいピアノとヴァイオリン、ギターを中心にヴォーカル曲。ジョン・ユンが1972年にソロ・シングルとしてリリースした楽曲である。こうしてアルバムを通して聴いてみると、前作の宗教をテーマとした形而上的世界観とアコースティック楽器が見事に融合したサウンドとなっており、美しき「神への讃歌」となっていると思える。また、ジョン・ユンという稀代の女性ヴォーカリスト加えたことで、神々しいまでの神秘性に満ちた素晴らしい音楽になっており、数あるポポル・ヴーの作品の中でも名盤の1枚と言っても過言ではないだろう。

 シドニー・モーニング・ヘラルド紙に寄稿したクリス・ジョンストンは、本アルバムを「大胆で美しく、1970年代のドイツのインディーズ音楽であるクラウトロックの外側に位置する」と賞賛し、オールミュージックのウィルソン・ニートは「日常の世界から遠く離れていながらも、日常の世界と一体化している」と、多くの批評家から高く評価される。その後、彼らはレーベルをコスミッシェ・ムジークに移籍し、1973年に4枚目のアルバム『聖なる讃美』をリリース。1975年になるとギタリストのコニー・ファイトからダニエル・フィチェルシャーに代わった5枚目のアルバム『雅歌』は、旧約聖書をモチーフに詩的な安らぎを与えたミニマルな内容となっている。その頃、彼らはヴェルナー・ヘルツォーク監督との協力関係を築き、ヘルツォーク監督が自ら脚本を手掛けた1972年の映画『アギーレ、神の怒り』のサウンドトラックを担当し、1975年にアルバム『アギーレ』を発表。後にフリッケは、このヘルツォーク監督の映画である『吸血鬼ノスフェラトゥ』(1979年)、『フィッツカラルド』(1982年)などのサウンドトラックを制作している。その後もポポル・ヴーは、チベットやアフリカ、コロンビアといった音楽から得たインスピレーションを基に、管楽器や弦楽器、電子楽器、アコースティック楽器を含んだ精巧な楽器編成によるアルバムを多く発表し、彼らのスピリチュアルなサウンドは多くのヨーロッパのグループに影響を与えたとされている。1999年には通算20枚目のアルバムとなる『メッサ・ディ・オルフェオ』がリリースされ、2000年代に入っても彼らの音楽は進化し続けていくと誰もが思っていたという。しかし、フローリアン・フリッケが2001年12月29日に57歳の若さで亡くなり、残念ながらグループは解散してしまうことになる。ニューエイジおよびアンビエントミュージックの先駆者と呼ばれ、常に革新的で実験的であり続けたポポル・ヴーのサウンドは、現在でも多くの人々に賞賛されており、フリッケ亡き後も2002年に『Future Sound Experience』、2015年に『Kailash』といった未発表曲を収録したアルバムやコンピレーションアルバムがリリースされている。

 

 皆さんこんにちはそしてこんばんわです。今回は電子音楽のパイオニア的な存在であり、ニューエイジおよびアンビエントミュージックの先駆者でもあるポポル・ヴーのサードアルバム『ホシアンナ・マントラ』を紹介しました。実はもうひとつの名盤であるセカンドアルバムの『ファラオの庭にて』から先に聴いたのですが、こちらはモーグシンセサイザーをメインに水や空気、大地といった大自然を音にした雄大なサウンドスケープとなった作品となった一方、本アルバムはそのモーグシンセサイザーを廃して、アコースティックな楽器を中心とした明らかに宗教色の強いサウンドになっています。個人的にリズムが強調されたサウンドが好きな私にとっては、本来であればこの手のサウンドは苦手の部類に入るのですが、フリッケのピアノが意外とリズミカルで、さらにリズム楽器を廃した音空間の中に不思議な広がりを感じるなど、聴き手に飽きさせない作りになっていることに気付かされます。きっと、明確なメロディを奏でるでもないポジションのタブラというインドの楽器がこの空間の中でうまく溶け込んでいるからだろうと思います。そんなデリケートともいえる空間で他のアコースティック楽器の配置もほぼ完璧であり、楽器の性質をきちんと知った上で構成されたサウンドになっています。ある種ヒーリングミュージックとも言えますが、単に安らぎを与えるといった安易な音楽ではなく、不思議と知性を感じる崇高なアルバムだと思います。

 さて、ポポル・ヴーといえば、フローリアン・フリッケの才覚なしには考えられませんが、彼がこのような音楽に目覚めたのは幼少期から青年期にかけた経験が大きく影響しています。彼の音楽は幼少期に学んだクラシックがベースにあり、後の学生の時に即興性のあるフリージャズと出会うことでプログレッシヴな感性を持つことになります。さらに当時19歳だったヘルツォーク監督と親友になったことで、お互いにアーティストとして生きることを決意しますが、一番大きく影響したのが1970年の時に南ドイツ新聞とシュピーゲルで映画評論家として働いた時だろうと思っています。この頃、フリッケは短編映画の撮影を行っていて、元ポポル・ヴーのメンバーで有能なカメラマンであるフランク・フィードラーと共に、シナイ砂漠やイスラエル、レバノン、メソポタミア、モロッコ、アフガニスタン、チベット、ネパールといった地に赴いています。この時にスピリチュアルなインスピレーションを得たことで、後の彼の音楽性につながったのだろうと思います。また、フリッケはそのような経験を経て音楽療法に取り組み、「体のアルファベット」と呼ぶ独自の治療法(ヒーリングミュージック)を開発したとも言われています。

 本アルバムでは電子音楽を廃してアコースティック楽器を中心としたサウンドになりますが、フリッケは持っていたモーグⅢシンセサイザーをアシュ・ラ・テンペルを脱退してソロ転向していたクラウス・シュルツェに売りつけています。クラウスはそのモーグを利用した音楽を作り続け、後に彼は1970年代のクラウトロックの第一人者となったことは有名な話ですね。

それではまたっ!