【今日の1枚】Boston/Boston(幻想飛行) | 古今東西プログレレビュー垂れ流し

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ロック(プログレ)を愛して止まない大バカ…もとい、音楽が日々の生活の糧となっているおっさんです。名盤からマニアックなアルバムまでチョイスして紹介!

Boston/Boston
ボストン/幻想飛行
1976年リリース

アメリカの音楽シーンを塗り替える
驚異の大ヒットとなったボストンのデビュー作

 アメリカで1,700万枚、全世界で2,500万枚以上を売り上げ、デビュー作では異例の大ヒットを記録したボストンのデビュー作。マルチプレイヤーであるトム・ショルツがほぼ1人で作り上げたというそのサウンドは、分厚いギターサウンドによるハードな音作り、それでいてポップで聴きやすいメロディ、そして爽やかなコーラスワークなど、デビュー作とは思えない完成度を誇ったロック史に残る名盤となっている。自作した機材や改造した楽器をはじめ、リミックス作業に膨大な時間と労力を費やしたというその音源は、1970年代に作られたとは到底思えないほどのハイクオリティに仕上げており、アルバムジャケットに刻印された“シンセサイザーを使わず、“コンピューターを使わず”が未だに信じられない驚異のアルバムである。

 ボストンはマサチューセッツ工科大学の機械工学修士課程を卒業したトム・ショルツによって結成されたグループである。トム・ショルツは1947年3月10日にアメリカのオハイオ州に生まれており、7歳でピアノを習うなど幼少のころから音楽に触れた裕福な家庭で育ったという。18歳になると名門マサチューセッツ工科大学の機械工学科に入学して電気工学や音響工学などを学びつつ、一方でザ・ビートルズをはじめとするロックを好んで聴いては在学中にギターを独学で覚えている。この頃からトムは趣味で曲を作り始め、曲がりなりにも音楽の世界にのめりこんでいったという。大学を卒業後、ポラロイド社に就職したトムはプロダクト・エンジニアとして働く傍ら、ボストン郊外にある自宅に電気工学の知識を活かして多重録音可能な地下スタジオを構築している。このスタジオはかつてポラロイド社を通じて得た技術を元に自作したマルチトラックレコーダーから始まり、コツコツと働いたお金を費やしては独自で改造した機材を取り入れ、プロのレコーディングスタジオ顔負けの自作スタジオを作り上げたという。その地下スタジオでトム自身がほとんどの楽器を演奏したデモテープを制作していたが、ライヴでのレコーディングを実現するためにアマチュアグループにいた友人のジム・マスデア(ドラムス)とバリー・グドロー(リードギター)が協力。そしてヴォーカリストに当時ミスターコーヒーのマシンの熱線を作る工場で働いていたブラッド・デルプを迎えている。こうしてブラッドや友人の力を借りて完成したデモテープだったが、いくつかのレコード会社に送り付けた結果、最初は誰も興味を示さなかったという。それでもポケットマネーで数年をかけて何度もミキシング作業を繰り返し、彼らの作るデモテープはいつしか地元の口コミから次第にニューヨークやロサンゼルスのレコード会社にまで噂になったという。やがてお金が尽きかけていた1976年に3つのレコード会社が興味を示すことになる。最終的にエピックレコードと契約にこぎつけることになるが、そのデモテープがあまりにもハイクオリティなサウンドだったためレーベルサイドは非常に驚いたという。そこは電気工学の知識を活かしたトムの多重録音の作業によるものだが、実はトムのワンマンレコーディングだったとは全く信じなかったというエピソードが残っている。契約したエピックレコードはすぐにでもアルバムをリリースする手筈を整えていたが、トムはマスターテープを作るために地下スタジオにこもって密かにミキシング作業を続けていたという。そこでエピックレコードのプロデューサーであるジョン・ボイランは気を利かせて、会社を欺く形でロサンゼルスにあるスタジオにこれまでトムのレコーディングに協力してくれたバリー・グドローとシブ・ハッシャン(ドラムス)、フラン・シーハン(ベース)を連れて『レット・ミー・テイク・ユー・ホーム・トゥナイト』を録音している。この時にグループ名はジョン・ボイランとエンジニアのウォーレン・デューイにより、ボストンと名付けられている。こうして時間を得たトムはミキシング作業を終了し、1976年12月にデビューアルバム『幻想飛行』がリリースされることになる。そのアルバムは分厚いギターによるスケール感を伴う楽曲でありながら、緻密さとヒットポテンシャルに長けたメロディ、そして心血を注いだトムの膨大なミキシング作業によるこれまでに無いロックシンフォニーを実現した驚異のサウンドになっている。

★曲目★ 
01.More Than A Feeling(宇宙の彼方へ)
02.Peace Of Mind(ピース・オブ・マインド)
03.Foreplay/Long Time(フォアプレイ/ロング・タイム)
04.Rock&Roll Band(ロックン・ロール・バンド)
05.Smokin'(スモーキン)
06.Hitch A Ride(ヒッチ・ア・ライド)
07.Something About You(サムシング・アバウト・ユー)
08.Let Me Take You Home Tonight(レット・ミー・テイク・ユー・ホーム・トゥナイト)

 アルバムの1曲目の『宇宙の彼方へ』は、全米シングルチャートで5位にランクインした楽曲。スケール感が伴いながら親しみやすいメロディ、緻密なアンサンブル、そして何よりもブラッド・デルプの魅力的なハイトーンヴォーカルが、ボストンというグループを象徴している。まさに瞬く星が散りばめられた宇宙の彼方へいざなうような心地よさのある曲である。2曲目の『ピース・オブ・マインド』は、哀愁のメロディとスリリングな楽曲構成からなるギターオーケストラ。しっかりとコントロールされた多重録音による華やかなギターサウンドは、ロックというダイナミズムを十二分に活かした素晴らしい曲である。ちなみにこの曲は全米シングルチャート36位となっている。3曲目の『フォアプレイ/ロング・タイム』は、トムが音楽に目覚めた時に作った曲であり、最もミキシング作業を費やしたという『フォアプレイ』。そしてスペースシンフォニーともいうべきオルガンとギターが冴えた『ロング・タイム』がカップリングされた楽曲。プログレッシヴな要素を巧みに取り入れ、バリー・グドローの伸びやかなギターワークにトムの絡むようなオルガンが象徴的である。この曲は全米シングルチャート22位となっている。4曲目の『ロックン・ロール・バンド』は、アグレッシヴなロックンロールチューンであり、ブラッド・デルプの力強いヴォーカルが象徴的な楽曲。ギターソロの部分もオーケストラ風にフレーズを散りばめているなど聴きどころのある内容になっている。5曲目の『スモーキン』は、ブギーから始まるロックチューンだが、大々的にオルガンを配したプログレッシヴな展開のある楽曲。ボストン流ともいうべき、スリリングなギターとクラシカルなオルガンが絶妙に配置されたスケール感のあるサウンドである。6曲目の『ヒッチ・ア・ライド』は、美しいヴォーカルハーモニーとギターハーモニーに焦点を当てたフォークロック調の楽曲。後半の泣きのギターの掛け合いは鳥肌モノである。7曲目の『サムシング・アバウト・ユー』は、キャッチーなメロディによるパワーポップ的な要素が強い楽曲。ハードなギターワークながらも哀愁が漂っており、ロックの醍醐味が十分に味わえる内容になっている。8曲目の『レット・ミー・テイク・ユー・ホーム・トゥナイト』は、ブラッド・デルプが作曲したもので、安堵感の漂うアメリカンロック的な楽曲。コーラスワークが素晴らしく、後半になるにつれてスケール感が増していっている。こうしてアルバムを通して聴いてみると、これがトム自身の趣味から地下スタジオで作られた楽曲とは思えない完成度を誇る楽曲である。過去の様々なロックやポップの音楽を集約し、1人の才能と今ある技術によって誰もが親しみやすい“音”や“メロディ”に作り変えてしまったと言っても過言ではないだろう。ロックが斜陽になりつつあったアメリカで、ボストンの作り出した音楽はあまりにも異彩を放っており、後のアメリカンロックの盛況に繋がったことは歴史が物語っている。

 アルバムは1976年11月にリリースされたが、全米ビルボードチャートでは最高第3位を記録し、142週チャートイン。初年度で800万枚を売り上げたという。ラジオでも頻繁に彼らの曲が流れ、3枚のシングルもチャートインしている。これを機にレーベルはライヴを決行しようとしたが、ボストンはスタジオミキシングによる精密な曲であるため、トム自身もライヴを意識して作っていなかったという。しかし、その懸念を払拭するかのように、トムはライヴパフォーマンス用に特殊で斬新なツールを開発し、アルバムに匹敵するようなライヴ音を作り出してしまったという。メンバーはトム・ショルツ(ギター、オルガン)、ブラッド・デルプ(ヴォーカル)の2人に、バリー・グドロー(ギター)、シブ・ハッシャン(ドラムス)、フラン・シーハン(ベース)が参加。これがボストンのラインナップとなる。そしてデビューアルバムから2年という長い期間を擁した1978年にはセカンドアルバム『ドント・ルック・バック』がリリースされ、全米アルバムチャートで見事1位を記録。こちらも600万枚という驚異的な売り上げを誇るアルバムとなる。ロックのダイナミズムとポップなメロディーを兼ねた大衆に向けたスタイルのロックは、いつしか、ジャーニーやカンサス、スティクスなどのグループと共にコーポレイトロック(産業ロック)と呼ばれるようになる。これほど商業的に成功したアルバムだったにも関わらず、トム・ショルツはもっと緻密でもっとメロディアスでもっと整合性のあるロックを時間をかけても追い求めていたという。当然、その考えはレコード会社とは折り合うことはできず、非協力的ということで訴訟に発展することになる。訴訟で泥沼化していくトム・ショルツの周囲には誰もメンバーはいなくなり、1970年代の終了と共にボストンは忘れられていくことになる。しかし、1986年の夏ごろに“あのボストンが帰ってくる”とアメリカの音楽業界が慌ただしくなる。1986年9月に全米シングルチャート2週連続1位に輝くシングル『アマンダ』を引っさげ、全米ビルボードチャート3週連続1位となるサードアルバム『サード・ステージ』が8年ぶりにリリースされる。レーベルはエピックからMCAに変わっていたが、リリース前には200万枚の予約が殺到していたという。トム・ショルツは訴訟後も1人で曲を作り、8年をかけてミキシングを続けていたのである。しかもオープンリールのテープの切り貼りというアナログ的な手法で、「シンセサイザーを使わず」、「コンピューターを使わず」という全く当時と変わらないピュアで美しいスペースシンフォニーを作り上げていた。そんなトムの作り上げた楽曲に息吹を注ぎ込んだのは、デビュー当時からの相棒でヴォーカリストであるブラッド・デルプである。

 

 新年明けましておめでとうございます。2023年の最初はアメリカンロックの衰退期に、まさに宇宙の彼方からやってきたような新たなロックサウンドを作り出したボストンのデビュー作『幻想飛行』の紹介です。ボストンは1980年代にジャーニーやカンサス、スティクスといったグループと合わせて、まさに産業ロックにどっぷり浸かっていた時期に聴いていました。その中でもボストンはメロディーやハーモニーの流れを大事にしていて、尚且つロックのダイナミズムを最大限に活かしており、デビュー作を初めて聴いた時の衝撃は今でも色褪せる事はありません。当時はボストンというグループは、結成の経緯や楽曲の作り方は謎に包まれていて、後に『サード・ステージ』以降にトム・ショルツがやっと口を開いたことで明らかになったと言われています。私はボストンというグループのエピソードを知った時、衝撃から驚異に変わったものです。「自分が聴きたい音楽を作りたい」と想ったトム・ショルツが、自費で地下室のスタジオを作り、音楽的な実験を重ね、途方もない時間と労力をかけた楽曲であるということを知ったからです。しかもその音の精緻さと濃密さは凄まじいものがあります。多重録音といえば過去にマイク・オールドフィールドというアーティストがいますが、マイクのほうは多重録音で前衛的なサウンドを作り上げましたが、ボストンはロックというジャンルで誰でも親しみやすいメロディとハーモニーを主軸にしているところが大きいです。そんなトム・ショルツの完璧主義に近いサウンドは、8年をかけたミキシングとなった『サード・ステージ』に集約されているといっても良いです。普遍的なメロディだけではなく、彼のミキシングの能力も高さも圧倒的です。2006年のリマスター盤を聴きましたが、当時の音源とほとんど変わらなかったというのは驚きの一言です。

 

 さて、ボストンにとって、もう1人忘れてはいけないのがヴォーカリストのブラッド・デルプです。彼のヴォーカルは、まさにトム・ショルツの作る壮大なサウンドに非常にマッチした伸びやかなハイトーンになっていると思います。知り合いだったとはいえ、アマチュアグループで活動しつつ工場で働いていた彼をヴォーカリストとして迎えたトムの慧眼には恐れ入りますが、デビューアルバムとしては異例の大ヒットとなったのは彼の歌声の素晴らしさも大きな要因となっています。彼なしでボストンサウンドは語れないといっても過言ではないです。

 本アルバムはコンピューターやシンセサイザーの使用を敢えて拒否し、気の遠くなる多重録音やエフェクトなどの地道な作業を繰り返して、独自のスペイシーなサウンドな生み出してしまったロック史に残る傑作です。ロックスピリットは失われたと歌ったイーグルスの『ホテル・カリフォルニア』がリリースされた1976年に登場し、後のジャーニーやカンサス、スティクスといったグループの盛隆を作り、産業ロックの代表格となった本アルバムは、今こそ聴いてほしいアルバムです。私も聴いていますが、やっぱりボストンのサウンドはヘッドフォンでボリュームいっぱい聴くのが良いですね。

 

というわけで、今年もどうぞよろしくお願いいたします。
それではまたっ!

 すでにご存じかも知れませんが、2007年3月9日にデビュー時からリードヴォーカルを務めてきたブラッド・デルプが亡くなっています。ニューハンプシャー州アトキンスの自宅近くの車の中で、一酸化炭素中毒による自殺だったそうです。個人的には『サード・ステージ』でのトム・ショルツと握手しているブラッド・デルプのにこやかな写真が今でも思い出されます。