【今日の1枚】Mona Lisa/グレゴワール氏の小さなヴァイオリン | 古今東西プログレレビュー垂れ流し

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Mona Lisa/Le Petit Violon de Monsieur Gregoire
モナ・リザ/グレゴワール氏の小さなヴァイオリン
1976年リリース

シアトリカルロックとしてのアイデンティティを
確立したモナ・リザの最高傑作

 フランスのジェネシスと呼ばれたシアトリカルロックグループ、モナ・リザのサードアルバム。本アルバムは初期の暗いシアトリカルサウンドから脱却し、華麗なるシンフォニックなサウンドを追求した傑作となっており、アンジュ、アトールと並ぶフレンチ・シンフォニックグループの代表格となった作品である。アクの強い老人の仮面を着けたヴォーカリスト、ドミニク・ル・ジュネを中心に、強烈ともいえる視覚的なステージを経て、シアトリカルロックのアイデンティティを確立した名盤である。

 モナ・リザはフランスのパリの南にある都市オルレアンで結成されている。モナ・リザの原型となったのはオルレアンで活動していたフェルナンドス・グループというバンドであり、1966年頃にフランシス・ブーレ(ドラムス)、ジャン・ポール・ピエルソン(ギター)、ジャン=リュック・マルタン(ベース)が在籍していたという。3人はグループから離れて、新たにサンダー・サウンドというグループを結成。そのグループにギタリストのクリスチャン・ガラが加入し、R&Bやブリティッシュロックを演奏していたという。1968年頃には地元のクラブでギグを行うようになり、後にヴォーカルとしてジャン=ジャック・フーシェが加入し、主にレッド・ツェッペリンやディープ・パープルのようなハードロックを演奏していたらしい。当時のオルレアンではサンダー・サウンドの他に、N.S.U.やメタカロン・エクシペイントといったグループが存在し、それらが英語からフランス語のオリジナル曲を演奏するようになったことを受け、サンダー・サウンドも新たなアイデンティティを求めるようになり、この時にグループ名をモナ・リザに変更している。1971年の1月まで精力的に作曲やギグを続けていたが、メンバーが兵役のためにグループは1972年まで活動を中断している。この年にモナ・リザのメンバーは当時、フランスで注目されていたロックグループ、アンジュのコンサートを観て、「プログレッシヴロック」という自分達の音楽の方向性を確信することになる。ジャン=ポール・ピエルソンはギタリストからピアノやオルガンを弾くキーボーディストとなり、彼らは新たな方向性を元に中央フランスのコンテストに出場して優勝を果たしている。グループとして順調な活動を始めたが、1973年にヴォーカルのジャン=ジャック・フーシェが脱退してしまう。代わりにちょうどその年の2月に解散したN.S.U.というグループに在籍していたドミニク・ル・ジュネが加入する。このドミニクがモナ・リザに加入したことは、地元のオルレアンではちょっとしたニュースになったという。後の4月に地元でギグを再開した時にはモナ・リザの知名度はさらに高くなり、やがてオルレアンの劇団に曲を提供する話が持ち込まれる。この劇団に曲を提供した経験が、モナ・リザのシアトリカルなスタイルに影響を与えた大きなきっかけとなっている。

 1973年10月にアンジュのマネージャーからArcaneレーベルを紹介され、同レーベルと3年の契約を結ぶことに成功し、ファーストシングル『Illusion D'un Temps/Voyage Vers L'Infini』をリリースしている。リリース後にアンジュ、アトールと共にステージに立ち、ドミニクの友人でアンジュのギタリストでもあるジャン=ミシェル・ブレゾワールをプロデューサーに迎えたファーストアルバム『L'escapade』を12月にリリースする。しかし、アルバムは商業的には成功しなかったが、モナ・リザは新たな可能性を求めて90分のライヴショーを展開したツアーを決行する。そのステージはアンジュやジェネシスの影響を受けたと思われる視覚的な側面に力を入れたもので、最初にツアーを共にしたのはイギリスの北アイルランド出身のFruupp(フループ)である。1975年になると前半はツアーと演劇用の曲作りに明け暮れ、9月にようやくスタジオ入りしてセカンドアルバムの『Grimacas』をレコーディングする。同年11月にリリースされたセカンドアルバムは高く評価され、直後のコンサートでは前半を『かもめのジョナサン』をテーマにした組曲、後半を新譜からの曲を演奏するなど大胆な試みを行っている。しかし、メンバーのクリスチャン・ガラとジャン・ポール・ピエルソンの2人のギタリストが口論となり、ジャン=ポールが脱退してしまったことでグループは解散してしまう。フランシス、ジャン=リュック、ジャン=ポールの3人は、一時デニー・フランクのグループで活動し、そのグループでギタリストを務めていたパスカル・ジャルドンと出会う。パスカルを迎えて再度モナ・リザの再編成を試みようとするが、クリスチャン・ガラは最後まで抵抗してグループに帰属することはなかったという。新たにパスカルを加えて再スタートしたモナ・リザは、すべてのギグで大成功を収め、その勢いのままサードアルバムのレコーディングを開始する。1976年末にリリースした『グレゴワール氏の小さなヴァイオリン』は、モナ・リザが目指したシアトリカルロックのアイデンティティを確立したアルバムとなっており、フレンチ・シンフォニックロックの代表格となった記念碑的な作品になっている。

★曲目★
01.Le Chant Des Glaces(氷の歌)
02.Allons Z'Enfants(いざ、祖国の子らよ)
03.Le Publiphobe(広告恐怖症の男)
04.Solaris(ソラリス)
05.Le Petit Violon De Mr Gregoire(グレゴワール氏の小さなヴァイオリン)
 Ⅰ.La Folie(狂気)
 Ⅱ.De Toute Ma Haine(憎しみの限り)
 Ⅲ.Plus Loin Vers Le Ciel(遠く空へ)
★ボーナストラック★
06.La machine a theatre(劇場機械)

 本アルバムのメンバーは、ドミニク・ル・ジュネ(ヴォーカル、フルート、シンセサイザー)、フランシス・ブーレ(ドラムス、パーカッション、ヴォーカル)、ジャン=ポール・ピエルソン(ピアノ、オルガン、シンセサイザー)、ジャン=リュック・マルタン(ベース、ヴォーカル)、パスカル・ジャルドン(ギター)の5人編成である。曲はドミニクとジャン=ポールの2人が中心に制作しており、20分を越える三部構成の5曲目『グレゴワール氏の小さなヴァイオリン』が目玉となっている。1曲目の『氷の歌』は、キーボードとギターを中心としたドラマティックなインストゥメンタルであり、明朗で開放感のある演奏がジェネシスを彷彿とさせる内容になっている。時折、エレクトリックピアノのリリカルな響きが夢心地な雰囲気を作っており、これから始まる不思議な物語の世界へ誘っているようにも思える。2曲目の『いざ、祖国の子らよ』は、ピアノとアコースティックギターの優しい演奏上で歌うドミニクのヴォーカルから始まり、独特なキーボードとギターのフレーズで異様な雰囲気に包まれる。アクの強いドミニクのヴォーカルが楽曲の世界観を作り出しており、これぞシアトリカルロックであると言わんばかりの構成になっている。3曲目の『広告恐怖症の男』は、ゆるやかなシンセサイザーとけたたましいベルの音や様々な効果音上で、語るように歌うドミニクのヴォーカルが印象的な曲である。途中で咳き込むような音が入るが、これもまた臨場感を演出しているようである。4曲目の『ソラリス』は、明朗なギターを中心としたインストゥメンタルになっており、手数の多いドラミングやリリカルなピアノが開放感のあるアンサンブルを紡いでいる。この曲は『広告恐怖症の男』と共にシングルカットされている。5曲目の『グレゴワール氏の小さなヴァイオリン』は、3部構成に分かれたレコードでいうB面をフルに活用した大曲である。『狂気』はドミニクの語りから始まる緩急のあるアンサンブルになっている。ピエロの格好でヴァイオリンを弾く男の思い出が綴られる内容になっており、フルートが悲しくも切ない世界を描いている。ジェネシスが得意とする7拍子の演奏を取り入れており、中間のインストパートはドラマティックである。『憎しみの限り』は、怒りを伴うドミニクの力強いヴォーカルと重いリズムとフレーズが全体的に覆っており、ハードロック的な要素のある楽曲になっている。後半はハードな展開から、ピアノとフルートをメインにした美しい牧歌的な演奏を聴かせてくれたりと、彼らなりの様式美を貫いている。『遠く空へ』はリリカルなピアノとキーボードを経て、ドミニクのヴォーカルに合わせた演奏が特徴の楽曲。天国をイメージしているらしく、なだらかなキーボードとフルートをバックに甲高く笑う声を含めたコーラスがあり、疾走するようなアンサンブルで締めくくっている。ボーナストラックの『劇場機械』は、静寂なフルートのソロから始まり、オルガンのソロを経た厳かな曲。これまでの曲とは違い、モダンな楽曲になっており、彼らの持つシンフォニックな要素が色濃く出た曲になっている。こうしてアルバムを通して聴いてみると、初期のジェネシスを意識したような楽曲があるものの、明朗なギターとダークなキーボードが交錯するモナ・リザ独自のシアトリカルさがにじみ出た作品になっている。ドミニクの演劇性のあるヴォーカルはまさに孤高であり、情感の強いフランス語の歌声が牧歌的なバックの演奏と重なった瞬間、まるで異次元の世界に迷い込んだ幻想美に包まれた感覚に陥ってしまうようである。

 ジェネシスやアンジュのパクリと揶揄されたモナ・リザが、本アルバムで独自のシアトリカルな楽曲を提示したことでようやくそのような揶揄から脱却し、リスナーから高い評価を得ることになる。彼らは後にArcaneレーベルが主催するツアーに参加し、アンジュやマグマと共演。モナ・リザは曲ごとにドミニクのコスチュームを替えたステージが評判となり、フランスで人気グループに登りつめる。1977年には夏まで大規模なツアーが組まれ、後にエンジニアのフィリップ・オムヌを迎えた4枚目のアルバムのレコーディングに入っている。1978年1月にリリースされた『限界世界』は、彼らのスタイルが極限までに高められた傑作となり、本アルバムと並んで名盤となっている。しかし、同年の5枚目のアルバム『AVANT QU'IL NE SOIT TROP TARD』がリリースした後、ロード生活に疲れたベーシストのジャン=リュック・マルタンが脱退。代わりにジャン・パタンが加わったものの、同年夏にパリのオリンピア劇場で予定されたコンサートの直前にキーボーディストのジャン=ポール・ピエルソンが倒れる事態が起こる。このことがきっかけで、ヴォーカリストのドミニク・ル・ジュネが脱退し、ギタリストのパスカル・ジャルドンも個人的な都合で脱退している。ドラマーのフランシス・ブーレがヴォーカルを担当し、1979年に6枚目のアルバム『VERS DEMAIN』をリリースするものの、結局グループは解散することになってしまう。その後、解散から約20年経った1998年にVarsailleのメンバーをバックに、ドミニクがモナ・リザを再結成している。同年にスタジオアルバム『De L'ombre a La Lumiere』をリリースし、2000年には復活後の欧米ツアーの一環となった北米の『PROGFEST 2000』の公演を収録したライヴ盤を出している。そのライヴでは本アルバムの『グレゴワール氏の小さなヴァイオリン』の楽曲を披露している。

 

 皆さんこんにちはそしてこんばんわです。今回はアンジュの弟分ともいえるフランスのシアトリカルロックグループ、モナ・リザのサードアルバム『グレゴワール氏の小さなヴァイオリン』を紹介しました。モナ・リザの経緯を書いていて初めて知ったのですが、このグループは二度解散しているのですね。一度目の解散後に再編成して本アルバムのような名盤を作り出したというのは、なかなか凄いことだと思います。今ではフレンチ・シンフォニックロックグループの代表格になっていますが、アンジュやアトールといったフランスのプログレッシヴロックの成功が無ければ、評価されにくいグループだったかも知れません。そういう意味では、自分達のアイデンティティを確立するために、いろいろ模索しながらたどり着いた作品なんだと思います。

 このアルバムは次の4枚目のアルバム『限界世界』と並び称されることが多く、本アルバムがライトなイメージのシアトリカルロックに対して、『限界世界』はダークなイメージのシアトリカルロックといった感じがします。イギリスのシアトリカルロックの先駆者であるジェネシスとよく比較されますが、特にヴォーカリストのドミニク・ル・ジュネのヴォーカルを聴くと、ピーター・ガブリエルがフランス語で歌うとこんな感じになるのかな~と思ったりします。ピーター・ガブリエルが奇抜なメイクで歌うのに対して、ドミニクは老人のマスクを着けて歌います。曲に合わせて衣装を替えるステージ・パフォーマンスなんか見ても、やはりジェネシスを意識しているのだろうと思います。それでもサウンドはジェネシスほどテクニカルではないにしろ、異次元のようなファンタジック性があり、どこか滑稽ともいえる演劇的な音作りがモナ・リザの真骨頂ともいえます。まるでフィリッペ・ハートが描いたアルバムジャケットのピエロが、どことなくそのモナ・リザの滑稽さを映し出している感じがします。

 アンジュやジェネシスからインスピレーションを得て、独自の叙情性とドラマ性によって作り上げたモナ・リザのシアトリカルロックはなかなか味があります。フランスのプログレッシヴロックに痕跡を残した彼らの傑作を、ぜひ聴いてほしいです。そういえばクレジットはされていませんが、アトールのヴォーカリストのアンドレ・バルザーがバックヴォーカルとして参加しているそうです。

それではまたっ!