【今日の1枚】Pekka Pohjola/Keesojen Lehto(妖精ケーソスの森) | 古今東西プログレレビュー垂れ流し

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Pekka Pohjola/Keesojen Lehto
ペッカ・ポーヨラ/妖精ケーソスの森
1976年リリース

透明感のあるシンフォニックな世界を紡ぐ
ペッカ・ポーヨラの3作目となるソロアルバム

 フィンランドのトップグループであるウィグワムの絶頂期のメンバーであり、北欧きっての名ミュージシャンであるペッカ・ポーヨラが1976年にリリースした3作目となるソロアルバム。妖精の世界をモチーフにしたファンタジックなジャケットイラストを象徴するような透明感あふれるシンフォニックなサウンドになっており、マイク・オールドフィールドとの共作として話題となったアルバムである。躍動感のあるベースやクラシカルなチェンバロ、ピアノを演奏するペッカの才能が遺憾なく発揮された傑作である。

 1952年にフィンランドのヘルシンキで生まれたペッカ・ポーヨラは、幼少期に両親の勧めでクラシックの教育を受けていたという。しかし、強制的にピアノやヴァイオリンを弾く毎日に嫌気を差し、反抗するかのようにロックを聴いたり演奏したりするようになる。当時もっとも影響を受けていたのがザ・ビートルズであり、後にフランク・ザッパをはじめとするブリティッシュロックやブラスロック、ジャズフュージョンを好むようになる。クラシック学校の名門シベリウス・アカデミーに入学したペッカは同校で作曲法をマスターし、キーボードやベース、ドラムスなどを演奏ができるまでになっていたという。卒業後は地元のヘルシンキでブルースをメインに演奏していたザ・ボーイズに参加し、初めてプロとして活動することになる。18歳になったある時、ザ・ボーイズで演奏していたポーヨラに、かねてから目をつけていたというウィグワムから参加要請を受けて、1970年より正式メンバーとなっている。ウィグワムはフィンランドで最も人気のあったグループであり、ポーヨラはセカンドアルバムの『トゥームストーン・ヴァレンタイン』から、1971年の『フェアリーポート』、そして1973年の『ビーイング』まで、グループの絶頂期のアルバムに参加。それぞれのアルバムではベーシストだけではなく、ピアノやミニ・モーグ、アコースティックギター、ヴァイオリンを演奏し、マルチプレイヤーとして活躍している。しかし、ペッカ・ポーヨラやユッカ・グスタフソンが推し進めるプログレッシヴな方向性と、ジム・ペンブロークやロニー・オスターベルグが進めようとするロック志向とのバランスが崩れ、1974年にペッカ・ポーヨラはユッカ・グスタフソンと共にグループを脱退することになる。

 実はペッカ・ポーヨラは1971年にフィンランドのジャズロックを代表するグループ、タサヴァラン・プレジデンティのギタリスト、ユッカ・トローネンのソロアルバムに参加している。彼はユッカ・トローネンのソロアルバムに触発されたかのように、ウィグワム在籍中の1972年に自身のソロアルバム『樹脂の眼、樹皮の耳』をリリースしている。彼はアルバムの全曲を作曲し、多彩なキーボードとベース、ヴァイオリンを演奏し、サックスやクラリネットなどの金管楽器はゲストミュージシャンを招いて制作している。この時彼は20歳であったが、すでに天才ミュージシャンとしての片鱗を覗かせた素晴らしいアルバムとなっている。そしてウィグワムを脱退した1974年には、次なるアルバムを録音するために早くもスウェーデンのストックホルムのマルクス・ミュージック・スタジオに移動している。サムラ・ママス・マンナのギタリストであるコステ・アペトレアを招いて作られた2枚目のソロアルバム『カササギ鳥の一日』は、ペッカの音楽的な才能が開花した傑作となっている。3作目のソロアルバムである本作『妖精ケーソスの森』を同スタジオで制作していた折、デビューアルバム『チューブラー・ベルズ』や『オマドーン』などで世界的なヒットを飛ばしていた英国の天才マルチミュージシャンであるマイク・オールドフィールドからプロデュースの依頼があり、ポーヨラとのアルバムの共演が実現することになる。こうして完成されたアルバムは、前作までの金管楽器を主体としたサウンドからギターとキーボードを主体としたシンフォニック色の強いサウンドに生まれ変わっている。
 
★曲目★
01.Oivallettu Matkalyhty(認知された旅行用ランタン)
02.Kadet Suoristavat Veden (両手をまっすぐにする)
03.Matemaatikon Lentonaytos (数学家の空中広告)
04.Paantaivuttelun Seuraukset(首をねじまげた結果)
 a.Osa1-Sulamaan Jatetty Kipu(パート1 痛みは和らぐ)
 b.Osa2-Nykiva Keskustelu Tuntemattoman Kanssa(パート2 見知らぬ人との、とぎれとぎれの討論)
05.Varjojen Varaslahto(影の間違った始まり)

 本アルバムに参加しているメンバーは、ペッカ・ポーヨラ(ベース、ピアノ、キーボード、ハープシコード、ストリング、シンセサイザー)、マイク・オールドフィールド(ギター、パーカッション)、元ゴングのピエール・ムーラン(ドラムス)、ポーランド出身のウロデック・グルコウスキー(キーボード)、ヴェサ・アールトネン(ドラムス)、ゲオルグ・ワデニウス(ギター・パーカッション)であり、マイクの姉であるサリー・オールドフィールド(ヴォーカル)も参加している。1曲目の『認知された旅行用ランタン』は、ポーヨラが生き生きとしたベースを披露しているのが印象的な曲であり、叙情的なギターに手数の多いドラミングがマッチした躍動感あふれるジャズフュージョンになっている。この曲ではポーヨラがグランドピアノも演奏している。2曲目の『両手をまっすぐにする』は、ポーヨラのクラシカルなチェンバロとマイクのメロディアスなギターによる美しい曲で、サリーの清らかなヴォイスが幻想的であり、アルバムタイトルの『妖精ケーソスの森』を思わせる至上の楽曲になっている。3曲目の『数学家の空中広告』は、ポーヨラとマイク、そしてピエールの3人による演奏で、ペッカの独特のベースラインと突き抜けるようなマイクのギター、ピエールのテクニカルなドラムがリフレインされる曲になっている。3人の息が合った最後のアンサンブルは必聴である。4曲目の『首をねじまげた結果』は2部構成となっており、パート1の『痛みは和らぐ』は端正なピアノから始まり、叙情的に奏でるポーヨラのベースが印象的な曲である。マイクの伸びやかなギターがあり、後半は流麗なピアノとギターを加えたアンサンブルは一級のジャズフュージョンになっている。パート2の『見知らぬ人との、とぎれとぎれの討論』は、パート1から続くジャズフュージョンになっており、これまで以上に即興的な演奏になっている。とくにウロデックのシンセサイザーとポーヨラのベースが絡むところはスリリングですらある。5曲目の『影の間違った始まり』はリズミカルな演奏になっており、妖精たちの喧騒をイメージするようなユーモアたっぷりのコミカルな曲になっている。こうして聴いてみると、基本的な音楽性はやはりポーヨラの目指すところのジャズロックがベースとなっているところは間違いない。それでも彼が演奏するピアノやチェンバロ、そしてシンセサイザーは彼が学んできたクラシックの素養が活きており、ジャズ要素の強い透明感のあるシンフォニックロックである言っても過言では無いだろう。

 本アルバムはマイク・オールドフィールドと共演したことも話題となり、フィンランドのみならずヨーロッパ中で高い評価を得ることになる。特にペッカ・ポーヨラの作曲能力やマルチプレイヤーとしての才能は世界に認知されるようになり、彼の音楽制作において一段高みに登ったと言わざるを得ない傑作となった。彼は後に様々なセッション活動を行っており、1975年には2枚目のソロアルバムに参加していたセッポ・パークナイネンが結成したジャズロックグループのUNISONO、1976年には本アルバムに参加していたギタリストのゲオルグ・ワデニウスのグループ、メイド・イン・スウェーデンの再編アルバムに参加している。1978年には本アルバムに参加していたドラムスのヴェサ・アールトネンとUNISONOのオッリ・アーヴェンラーティ、セッポ・タイニーによるジャズロックグループ、ザ・グループを結成してアルバムをリリースしている。また、翌年の1979年には本作で共演したマイク・オールドフィールドのツアーを収録したライヴ盤『Exposed』にも参加している。1980年代はよりジャズロック要素を強くした作品を次々に制作し、1986年まで5枚のアルバムをリリースしている。その後1990年代までジャズ関連のセッションやアレンジ、プロデュースを行い、1992年に今までのメンバーと決別して新たなメンバーで傑作『チェンジング・ウォーターズ』を完成させている。1994年に初の来日公演を行い、1997年にも2度目の来日を果たすほど精力的に活動をしていたが、2008年11月26日未明に自宅にて逝去している。母国のフィンランドではメディアで大きく取り上げられ、哀悼の意が捧げられている。また、2009年1月14日には追悼コンサートが行われ、多くのファンが彼の偉業を称え、死を惜しんだという。

 

 皆さんこんにちはそしてこんばんわです。今回はフィンランドの天才ミュージシャンであるペッカ・ポーヨラのソロアルバム『妖精ケーソスの森』を紹介しました。ペッカ・ポーヨラはウィグワムのアルバムで初めて知ったアーティストで、最近になって彼のソロアルバムを入手して聴いた次第です。そもそもイギリスやイタリアのプログレを多く聴いていたので、フィンランドのプログレまでなかなか手が行かなかったというのが正直なところです。それでもウィグワムをはじめ、タサヴァラン・プレジデンティといったジャズロックやファンタジア、タブラ・ラサ、ノヴァといった良質なプログレグループと出会えたことは個人的にうれしい限りで、その中の1枚が本アルバムの『妖精ケーソスの森』ということになります。とにかくベーシストであるペッカ・ポーヨラが、ピアノ、キーボード、ハープシコード、ストリング、シンセサイザーといった多彩な楽器を演奏しつつ、作曲まで行っているというマルチプレイヤーぶりに驚きます。共演したマイク・オールドフィールドもマルチプレイヤーとして有名ですが、きっと相性が良かったのでしょう。2人はアルバムの中で才能を高め合うようなスリリングな演奏があって、お互いに有意義な作品になったのではないかと思えます。話では本アルバムのレコーディング時には、かのABBAやフランク・ザッパからも参加依頼があったというから、ペッカ・ポーヨラがどれだけ優れたミュージシャンであったかが良く分かります。

 さて、本アルバムの録音中にマイク・オールドフィールドからプロデュースをぜひやらせて欲しいという連絡によって共演が実現したことは上記でも述べました。マイクがこのような連絡をした背景には、1974年にリリースした『ハージェスト・リッジ』や1975年にリリースした『オマドーン』の評判が芳しくないとのことで、ひどく落ち込んでいた時だったそうです。ちなみに『ハーヴェスト・リッジ』は全英アルバム1位で、『オマドーン』は4位を記録しています。デビューアルバムの『チューブラー・ベルズ』があまりにも売れてしまったために、成功によって生じた精神的重圧の苦しみに陥っていたというわけです。マイクはアルバム制作から離れて様々なミュージシャンと活動することになり、その1人がペッカ・ポーヨラだったそうです。2人は同じマルチプレイヤーだったからかも知れませんが、意気投合して本アルバムの共演を果たしただけではなく、ポーヨラ自身もマイクのツアーやライヴ盤にも参加しています。本アルバムの成功がきっかけになったのか、マイクは1978年に4枚目のアルバムとなる『呪文』をリリースしてカムバックを果たし、その後、あまり好まなかったライヴツアーを精力的に行うことになります。

 上記にあるようにペッカ・ポーヨラは2008年の11月26日に逝去されています。享年は何と56歳という若さです。そんな有り余る才能を22歳の時に発揮した彼の素晴らしいサウンドを堪能しつつ、今でも偲びながら聴いている毎日です。

それではまたっ!