【今日の1枚】Gilgamesh/Gilgamesh(ギルガメッシュ/不思議な宝石箱) | 古今東西プログレレビュー垂れ流し

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Gilgamesh/Gilgamesh
ギルガメッシュ/不思議な宝石箱
1975年リリース

超絶技巧のアンサンブルが冴えた
ブリティッシュジャズロックの名盤

 天才キーボードプレイヤーであるアラン・ガウエンを擁し、後にハットフィールド&ザ・ノースと合流して、ナショナル・ヘルスとなるカンタベリーミュージックの雄、ギルガメッシュのデビュー作。古代バビロニアの叙事詩からその名をグループ名にしたギルガメッシュは、その壮絶ともいえるテクニカルなアンサンブルを持ち味としたジャズロックとなっており、それぞれの局面でめぐるましく曲調が変化するのが特徴である。アルバムの絶妙な演奏配分を考えると、まぎれもなく計算された楽曲であることが分かり、カンタベリーミュージックを語る上で欠かせない究極の作品である。

 ギルガメッシュは1972年にキーボードプレイヤーのアラン・ガウエン(またはアラン・ゴーウェン)がメンバーを集めて結成したグループである。アラン・ガウエンは1947年にロンドン北西部にあるノース・ハムステッドで生まれ、幼少時からピアノを習っており、18歳でビバップから出発したジャズ・ピアニストとして活動している。彼は1960年代末には後にCMUというグループを結成するロジャー・オデル(ドラムス)やスティーヴ・クック(ベース)と共にトリオで演奏している。この当時のジャズシーンは、民族音楽や現代音楽など様々なジャンルによる異種混合が進んでおり、ニュージャズやジャズロックへと変化していた時代であった。アランはそんな時代を見据えたかのように、ジャズロックが盛んだったカンタベリーのメンバーと親しくなり、その中には後にハットフィールド&ザ・ノースのメンバーとなるフィル・ミラーとも親交があったという。彼がメジャーシーンに顔を出すのは1971年にアフロ・ロックグループのアサガイの加入である。さらに1972年にはアサガイに在籍していた後にキング・クリムゾンのメンバーとなるパーカッション奏者、ジェイミー・ミューアとそのグループの一部が飛び出した形で結成されたサンシップに参加している。しかし、サンシップは活動期間は短く、中心者であったジェイミー・ミューアが脱退したことで解散している。アランは次なるグループを探し求めていた時、ハットフィールド&ザ・ノースのキーボーディストのオーディションがあることを知る。これが有名なオーディション事件である。オーディションを受けたアランは結果的に落ちることになり、ハットフィールド&ザ・ノースのキーボードプレイヤーは、ディヴ・スチュワートが座を射止めることになる。事件と言葉を使ったのは、このオーディションを機にディヴ・スチュワートとアラン・ガウエンは親しくなり、後にギルガメッシュとハットフィールド&ザ・ノースの濃密ともいえる奇妙な関係が生まれるからである。アランは自身でメンバーを集めることになり、最初はリック・モアクーム(ギタリスト)、ジェフ・クライン(ベース)、マイク・トラヴィス(ドラムス)、アラン・ウェイクマン(サックス)という、ブリティッシュの生粋のジャズ・ミュージシャンが参加したギルガメッシュを結成する。しかし、リハーサルの段階でメンバーが入れ替わり、ジェフ・クラインが脱退した後にリチャード・シンクレアがベースを担当し、すぐニール・マーレイに代わっている。また、ギタリストもリック・モアクームからフィル・リーに替わり、サックス奏者のアラン・ウェイクマンはすでに脱退している。ハットフィールド&ザ・ノースとの親密な関係は続いており、それが単に精神的なものだけではなかったのが、1973年11月4日と23日にはアラン・ガウエン、フィル・リー、ニール・マーレイ、マイク・トラヴィスの4人からなるギルガメッシュとハットフィールド&ザ・ノースの2グループの共演の中で、アラン・ガウエン作曲の『ダブル・カルテット』が演奏されたことだろう。その後、またメンバーチェンジが続き、1975年3月にはアラン・ガウエン(キーボード、メロトロン、ピアノ、シンセサイザー)、フィル・リー(ギター)、マイク・トラヴィス(ドラムス)、ジェフ・クライン(ベース)、そしてゲストにディヴ・スチュワート(オルガン)、アマンダ・パーソンズ(ヴォーカル)が参加し、レコーディングを開始している。こうして本アルバム『ギルガメッシュ』がリリースされることになるが、ハットフィールド&ザ・ノースと良く似たユーモアあふれる楽曲であるにも関わらず、よりストイックなまでの技巧を凝らしたインストゥメンタルに比重を置いた楽曲になっている。

★曲目★
01.a.One End More(ワン・エンド・モア)
     b.Phil's Little Dance(フィルズ・リトル・ダンス)
     c.World's Of Zin(ワールズ・オブ・ジン)
02.Lady And Friend(レディ・アンド・フレンド)
03.Notwithstanding(ノットウィズスタンディング)
04.Arriving Twice(アライヴィング・トゥワイス)
05.a.Island Of Rhodes(アイランド・オブ・ローデス)
     b.Paper Bort(ペーパー・ボート)
     c.As If Your Eyes Were Open(アズ・イフ・ヨア・アイズ・ワー・オープン)
06.For Absent Friends(フォー・アブセント・フレンズ)
07.a.We Are All(ウィー・アー・オール)
     b.Someone Else’s Food(サムワン・エルシーズ・フード)
     c.Jamo And Other Borting Disasters(ジャーモ・アンド・アザー・ボーティング・ディザスターズ)
08.Just C(ジャストC)

 アルバムは1曲目と5曲目、7曲目は3つの楽章からなる組曲形式となっており、全14曲のうち12曲をアランが作曲をしている。プロデューサーには盟友であるディヴ・スチュワートが担当しており、アラン・ガウエンをはじめとするメンバーによるギルガメッシュの真髄を余すことなく伝えている。1曲目の『ワン・エンド・モア』から『ワールズ・オブ・ジン』は、組曲形式ながらそれぞれの局面でテンポや曲調がめぐるましく変化する内容であり、アランの即興性のあるジャズ風味のキーボードに合わせるかのようなリズムやギターが印象的なテクニカルな曲になっている。2曲目の『レディ・アンド・フレンズ』は、エレクトリックピアノとベースの美しい音色からなる緩やかな演奏となっており、3曲目の『ノットウィズスタンディング』では、前の曲からドラムとギターが加わるアンサンブルになり、アラン・ガウエンの巧みなキーボードプレイが堪能できる秀逸な曲である。4曲目の『アライヴィング・トゥワイス』は、エレクトリックピアノとシンセサイザーの小技が利いたメロディアスな楽曲であり、アランの作曲センスがうかがえる素晴らしい曲になっている。5曲目も『アイランド・オブ・ローデス』から『アズ・イフ・ヨア・アイズ・ワー・オープン』までの3つの楽章になっており、繊細なドラミングと緩急のあるキーボードの演奏をベースにしたアンサンブルになっており、めぐるましく曲調が変化するもつながりが自然であるのが印象的である。フィル・リーのギターが軽快ながらもテクニカルであり、楽曲だけではなく構成美にあふれた内容になっている。6曲目の『フォー・アブセント・フレンズ』は、フィル・リーの叙情的なアコースティックギターのソロを経て、7曲目へと移行する。7曲目の『ウィー・アー・オール』から『ジャーモ・アンド・アザー・ボーティング・ディザスターズ』は、ハットフィールド&ザ・ノースの楽曲と言われても違和感が無いほど計算された内容であり、明快な変拍子のメインテーマとアドリブパートの線引きがはっきりした、クールでスリリングな演奏になっている。ここではアマンダ・パーソンズの美しいヴォーカルを聴くことができる。ラストの8曲目の『ジャストC』はアランが最後を締めくくるように流麗なピアノソロで幕を閉じている。こうして聴いてみると、複雑な曲調やテンポがめぐるましく変化する中でもつながりが自然であり、曲の配置をはじめとする構成が巧みで非常に丁寧に作られたアルバムであるといえる。特に4曲目のエレクトリックピアノとアコースティックギターによる美しいメロディにまろやかなムーヴが絡んでいたり、中盤の6曲目にフィル・リーの優しいギターソロが入っていたりするなど、アドリブが続く比較的難解なジャズロックをディヴ・スチュワートのプロデュースによって、聴き手の集中力を保ったような作りになっていることが分かる。

 アルバムをリリースした後の1975年6月に、ハットフィールド&ザ・ノースを解散させたディヴ・スチュワートの正式な加入を得てツインキーボード編成となってBBCセッションに参加したりしたが、レコーディングは実現していない。そうこうしているうちにギルガメッシュの活動も立ち行かなくなり、同年に解散している。ハットフィールド&ザ・ノースとギルガメッシュの双方は無くなってしまうが、アラン・ガウエンとディヴ・スチュワートにハットフィールド&ザ・ノースのメンバーが再合流する形で新グループ、ナショナル・ヘルスが誕生することになる。1977年には両グループのエッセンスが散りばめられたアルバム『ナショナル・ヘルス』をリリースしている。翌年にはスタジオ限定で再度ギルガメッシュが再編され、『アナザー・ファイン・チューン・ユーヴ・ゴット・ミー・イントゥ』がレコーディングされている。このレコーディングには元ソフト・マシーンのベーシストであるヒュー・ホッパーが参加しており、アランは1978年にそのヒュー・ホッパーとエルトン・ディーン、ディヴ・シーンでソフト・ヘッド、そしてディヴ・シーンに代わってピップ・バイルが加入したソフト・ヒープに参加して精力的に活動を行っている。しかし、アラン・ガウエンはこの頃から病気と闘いながら活動を継続し、彼の最後の作品となったのが、フィル・ミラー、リチャード・シンクレア、トレヴァー・トムキンスと共に制作されたアルバム『ビフォア・ア・ワード・イズ・セッド』である。このアルバムが録音された直後、アラン・ガウエンは1981年5月17日に白血病で33歳の若さで亡くなることになる。アランが遺した数々の曲は、ディヴ・スチュワートをはじめとする所縁のメンバーで演奏、録音され、トリビュートアルバム『D.S. Al Coda』として1982年にリリースされている。

 

  皆さんこんにちはそしてこんばんわです。今回はカンタベリーミュージックシーンで絶大な影響を与えたアラン・ガウエンが率いるジャズロックグループ、ギルガメッシュを紹介しました。レコード盤での邦題は『不思議な宝石箱』となっています。このグループはハットフィールド&ザ・ノースやナショナル・ヘルスを合わせて聴くと、改めて立ち位置が分かるグループで、ハットフィールド&ザ・ノースが比較的ポップ性を加味したジャズロックであれば、ギルガメッシュはアドリブをメインにしたインスト中心の硬派なジャズロックで、その双方のエッセンスが散りばめられたのがナショナル・ヘルスといったところでしょうか。どちらも技巧的に繰り広げられる演奏の中で計算されたようなアンサンブルが特徴で、また、絶妙な演奏配分がまさに他のジャズロックとはひと味違うカンタベリーミュージックの真髄を伝えていると思います。

 上記にありますようにアラン・ガウエンとディヴ・スチュワートは、ハットフィールド&ザ・ノースのオーディションを経て親しい関係になります。オーディションの結果はディヴ・スチュワートがその座を射止めますが、ディヴは自分と似たような境遇にあったアランに何かシンパシーを感じたのかもしれません。ディヴはエッグというグループがレコード会社との契約上のトラブルとモント・キャンベルの脱退によって失意のうちに解散した後であり、アランもサンシップというグループが中心者だったジェイミー・ムーアが突然脱退して立ち行かなくなって解散した後でした。ただ、単に精神的な意味合いでの関係だけではなく、お互いキーボーディストとしてライバル意識を持っており、リスペクトし合っていたところもあります。実はオーディションで演奏したアランの技量を高く評価したのはハットフィールド&ザ・ノースのメンバーだったようで、ディヴ自身もアランの音楽家、または作曲家としての腕前をかなり意識したようです。ハットフィールド&ザ・ノースの傑作アルバム『ザ・ロッターズ・クラブ』に収録されている『マンプス』は、まさしくアランに影響されたとしか思えないアドリブ性の強い曲です。そんなアランとディヴが在籍する2つのグループの濃密な関係は、1973年に行われた両グループによる共演によって実現したことは先にも述べましたが、これが後のナショナル・ヘルスに繋がっていく大きなきっかけになったというのは非常に興味深いです。同じカンタベリーミュージックシーンで同じキーボーディストだったことで、お互いを意識し高め合いながら1970年代を突き進んだディヴとアランですが、それもアランの死で終わりを迎えます。彼の死はディヴ・スチュワートにとってどれだけ衝撃的だったか言うまでもありません。

 本アルバムの7曲目の『ウィー・アー・オール』から『ジャーモ・アンド・アザー・ボーティング・ディザスターズ』の組曲が、『ザ・ロッターズ・クラブ』の曲に寄せているあたり、アランとディヴの2人の関係性を物語っているようでなりません。

それではまたっ!