古今東西プログレレビュー垂れ流し

古今東西プログレレビュー垂れ流し

ロック(プログレ)を愛して止まない大バカ…もとい、音楽が日々の生活の糧となっているおっさんです。名盤からマニアックなアルバムまでチョイスして紹介!

Eskaton Ardeur アルバムジャケット

Eskaton/Ardeur
エスカトン/情熱
1980年リリース

躍動感あふれるキーボードと女性スキャットによる
ズール系シンフォニックロックの傑作

 1980年代に登場したマグマ影響下のフランス産ヘヴィ・プログレッシヴロックグループ、エスカトンのデビューアルバム。そのアルバムは脈打つベースライン上でジャズ要素のあるエレクトリックピアノやオルガンを中心としたキーボード、クラシカルなヴァイオリン、そしてニ声の女性スキャットによるハーモニーが渾然一体となり、独自のシンフォニックロックを形成した傑作である。躍動感あふれるリズムセクションやインテリジェンスなキーボード、そして情熱的なスキャットを軸とした彼らの渦巻く宇宙的なサウンドは、マグマとは一線を画するズールフュージョンと呼ばれることになる。

 エスカトンは1970年にフランスのイル=ド=フランス地方パリで結成されたグループである。結成時のメンバーはアンドレ・ベルナルディ(ギター)とマルク・ローゼンバーグ(ベース)、元ミュージック・ノイズ・グループ出身のジャン=フィリップ・ガレ(キーボード、ヴォーカル)、フィリップ・ザルカ(ドラムス)の4人編成であり、当初はエスカトン・コマンドケストラというグループ名だったという。彼らはクリスチャン・ヴァンデ率いるマグマが先導したズール派の伝統を継承したが、より親しみやすい音楽を目指すためにコバイア語の歌詞を廃止し、母国語であるフランス語を採用している。1973年になるとメンバーチェンジがあり、キーボード奏者のジャン=フィリップ・ガレとドラマーのフィリップ・ザルカが脱退。ザビエル・デ・レイモンド(フェンダーピアノ)、ジェラール・ケーニグ(ドラムス)、アラン・ブレシング(ギター)が加入。さらに1974年にはポール・クライナートとアマラ・タヒルという2人の女性ヴォーカリストをはじめ、エリック・ギヨーム(キーボード)が加入し、8人編成で主にライヴグループとして活躍するようになる。この時にグループ名をエスカトンと短くしている。約5年をかけてライヴで評判を築いた後、彼らは1979年に自主レーベルから最初のシングル『ミュージック・ポスト・アトミック』をリリースしている。彼らはシングルの売り上げや評判が上々だったこともあり、同年11月にStudio MELODYでアルバムのレコーディングを決行。タイトルは4曲入りの『4ビジョン』と命名してリリースしたが、アメリカではオーディオカセットでのみ発売されていたという。このアルバムは、実にテンポが速い型破りな楽曲となっており、催眠術のようなスタイルで演奏するアンドレ・ベルナルディのベースが主流となったサウンドになっている。その後、彼らの『4ビジョン』が話題となったことで、彼らは正式にアルバムレコーディングを行うことになる。彼らはパリにあるスタジオ・ラムセスに入り、プロデューサーにブノワ・ルーセルを迎えてレコーディングを開始。この時のメンバーはアンドレ・ベルナルディ(ベース)、ジェラール・ケーニグ(ドラムス)、マーク・ローゼンバーグ(エレクトリックピアノ)、ジル・ローゼンバーグ(ギター、オルガン、シンセサイザー)、パトリック・ル・メルシエ(ヴァイオリン)、そしてアマラ・タヒル、ポール・クレインナート(ヴォーカル)である。こうして1980年に彼らのデビューアルバムである『熱情』がリリースされることになる。そのアルバムはエレピ軸の反復リフをはじめ、低音を重視した脈打つベース、そして焦燥感を煽るヒステリック&オペラティックな女声スキャットによるマグマから強く影響を受けたヘヴィ・フュージョン志向の傑作となっている。

★曲目★
01.Ardeur(情熱)
02.Couvert De Gloire(栄光に包まれて)
03.Attente(待っている)
04.Eskaton(エスカトン)
05.Un Certain Passage(ある通路にて)
06.Pierre Et L'ange(ピーターと天使)
07.Dagon(ダゴン)

 アルバムの1曲目の『情熱』は、煌びやかなキーボードと女性スキャットによるアップテンポな楽曲。全体的にポジティヴな躍動感があり、より洗練された明快なサウンドになっている。2曲目の『栄光に包まれて』は、シングルでリリースされた『イフ』のアレンジ版。疾走感のあるリズムセクションとキーボード上で、スキャットを交えて歌う女性ヴォーカルが素晴らしい楽曲。1分半あたりからキーボードやヴォーカル、ヴァイオリンが響き合い、ジャズフュージョン的な展開となるが、曲はどこかコラージュチックでありながらドラマティックである。3曲目の『待っている』は、アルバム『4 Visions』にも収録されている楽曲。変拍子のあるリズムや攻撃的なベースがあるものの、焦燥感を煽るようなヒステリック&オペラティックな女声スキャットと共に渦巻くような暗黒性のあるサウンドが特徴であある。4曲目の『エスカトン』もアルバム『4 Visions』にも収録されている楽曲であり、アネクドデン風のヘヴィなギターメロディが交互に現れるのが特徴的である。緊張感あふれるシンセサイザーとジャズ的なエレクトリックピアノによる複雑なサウンドとなっているが、素晴らしい2人の女性スキャットが聴きやすくしている。後半の畳み込むようなベースリフは強烈だ。5曲目の『ある通路にて』は、ヴァイオリンやヴォーカル、そしてキーボードがサウンドスケープを創り出したメロディアスな楽曲。そして女性スキャットと軽やかなリズムセクションが重なり、重厚なシンフォニックロックへと形成していっている。6曲目の『ピーターと天使』は、渦巻くようなシンセサイザーの音色からドラムスと女性スキャット、そしてキーボードがリードした楽曲。オペラチックな女性スキャットによるクラシカルな雰囲気のある10分近い楽曲だが、4分半あたりから曲調が変わり、力強いベースとドラミングを中心としたヘヴィな展開となる。7曲目の『ダゴン』は脈打つエレクトリックピアノと軽やかなリズムセクション、そして女性スキャットによるスペイシーなサウンド。後にスキャットとキーボードが美しく融合し、5分半を過ぎる頃には、素晴らしいドラミングとビートがリードしつつ一気に盛り上がっていく。こうしてアルバムを通して聴いてみると、確かに『呪われし地球人たちへ』時代のマグマの影響下にあるサウンドになっているが、エレクトリックピアノをフィーチャーし、非常にダンサブルなポップスとジャズテイストが混じり合ったメロディアスなサウンドになっている。前作よりも曲は短く、アレンジはよりタイトになった作品だが、ポジティヴで躍動感のある彼らのサウンドは、今なお熱狂的なファンが多い。

 本アルバムはマグマに強く影響を受けつつも、音数を抑えた事による浮遊感のある1980年代のフレンチ・プログレを代表する1枚として評価される。このアルバムの成功に後押しされるように、1981年に彼らの事実上のデビューアルバムである『4ビジョン』がリリースされ、エスカトンはフランスのプログレッシヴロックの代表的な存在となる。しかし、フランスでもニューウェーヴやポップ指向のサウンドが主流となり、1983年に『Fiction』をリリースしたものの、あまり注目されなかったという。1984年にはジル・ローゼンバーグが脱退し、残ったメンバーで1985年に『 I'Care』がレコーディングされたが、こちらはアルバムがリリースされないままグループは活動停止することになる。その後、エスカトンはプログレ愛好家たちのあいだで囁かれる存在として続いていたが、1994年にアンドレ・ベルナルディを中心に再結成される。メンバーはオリジナルメンバーのアンドレ・ベルナルディ(ギター)とマーク・ローゼンバーグ(ドラムス)に加え、ミュージック・ノイズからフレデリック・ユイン(ベース)とデニス・ルヴァッサー(キーボード)の2人のミュージシャンが加入。彼らによって1985年にレコーディングしつつも未発表だったアルバム『I'Care』をリリースしている。その後、再度活動停止となったエスカトンだが、アラン・ルボンと彼のレーベルであるソレイユ・ズールによって、マーク・ローゼンバーグとアンドレ・ベルナルディは、エスカトンの全作品のリマスタリングに着手。『4 Visions』と『Ardeur』、『Fiction』の順にリイシューされ、マスタリングを行ったウディ・クームランとカヴァーイラストを手掛けたティエリー・モローが監修を務めたという。2011年にはマーク・ローゼンバーグとアンドレ・ベルナルディを中心に再びエスカトンは結成され、ジーン・フィリップ・ギャレット(ヴォーカル、キーボード)、ドゥニ・ルヴァスール(キーボード)、そしてフィリップ・ゼルカ(ドラムス)が参加。2013年10月ドゥニ・ルヴァスールは他のプロジェクトに専念するためにグループを脱退してしまうが、新たなメンバーを加えつつ、ポール・クライナート(ヴォーカル)、マーク・ローゼンバーグ(キーボード)、アンドレ・ベルナルディ(ベース)の3人を中心に現在でも活動を続けているという。

エスカトン「Ardeur」アルバムジャケットEskatonライブ演奏:キーボード、ベース、ドラム、ヴォーカルエスカトン、ライブ演奏:キーボード、ギター、ボーカルEskatonバンドのメンバー写真

 

エスカトン Ardeur アルバムカバー

 皆さんこんにちはそしてこんばんわです。今回はマグマの影響下でありながら独自のズール派の伝統を継承したフランスのプログレッシヴロックグループ、エスカトンのデビューアルバム『熱情』を紹介しました。実際のデビューアルバムは前年にカセットテープでリリースされた『4ビジョン』になりますが、ズールサウンド愛好家たちによると『4ビジョン』こそ極めてマグマサウンドを体現していると呼ばれています。元々、コバイア語という架空言語を用いた変態グループ…もとい、プログレグループのマグマがちょっとだけ苦手だった私ですが、逆にポジティヴでシンフォニックロックの感性を持った本アルバムこそ聴きやすいと感じたまでです。彼らは結成した1970年にキーボード主体のプログレッシヴロックを演奏していましたが、メンバーチェンジの末、マグマの影響を受けたズール派の伝統を継承するというユニークな経歴を持っています。その後、より親しみやすい音楽を目指すためにコバイア語の歌詞を廃止し、母国語であるフランス語を採用したことから、エスカトンがフランス語のマグマと呼ばれている所以でもあります。1985年に時代の流れに逆らえず、活動停止に追い込まれますが、マーク・ローゼンバーグとアンドレ・ベルナルディを中心に何度もエスカトンを復活させ、現在でもメンバーを替えながら活動を続けているというのは凄いことです。個人的に改めてマグマを含めたズール派の音楽をもっと聴いてみようと思いました。

 さて、本アルバムですが、呪術的な反復と暴力的なベースサウンドが顕著だったマグマの作品と似ている点があるものの、脈打つベースラインやエレクトリックピアノ、そして2人の女声スキャットを加えることで、ジャズやクラシック、オペラの要素を融合したテンポの速い魅力的なサウンドになっています。緊張感あふれるシンセサイザーとリズミカルなエレクトリックピアノによるジャズの風味が効いた力強いオーケストレーションが、彼らの挑戦的で複雑な音楽への道を開いていると感じます。エレクトリックギターは特に目立ちませんが、より密度の高いサウンドが補われ、同時に演奏されるキーボードの音色が活きています。とにかく躍動感あふれるキーボードに合わせて歌う2人の女性スキャットは、情熱的でありながら説得力のあるプログレサウンドに貢献していると思います。これがマグマ系ズールの領域を飛び越えたズールフュージョンと呼ばれる所以なのかも知れません。

 エスカトンは現代的なシンセサイザーによるリズミカルなサウンドを追求したことで、インスピレーションの源泉となったマグマとは一線を画したインテリジェンスなズール派サウンドに位置づけられています。ぜひともマグマファンにも通じる独創的なズールフュージョンを聴いてほしいです。

それではまたっ!

 

 

メリッサ 真夜中のトランポリン アルバムカバー

Melissa/Midnight Trampoline
メリッサ/真夜中のトランポリン
1971年リリース

むせび泣くようなフルートが胸を打つ
英国然としたオーストラリア産プログレ

 ヴァン・モリソンとジェスロ・タルの影響を受けたプログレッシヴロックグループとして知られるメリッサが1971年に残した唯一作。そのアルバムはジャジーなギターをはじめ、煌びやかなエレクトリックピアノやハーモニー豊かなコーラス、そして何よりもむせび泣くような抒情性あふれるフルートが特徴的な英国然としたサイケ風フォークとなっている。本アルバムのオリジナル盤は現在、かなりレアなコレクターズアイテムの1枚として君臨していると同時に、セバスチャン・ハーディー以前に誕生したオーストラリア産プログレの作品として再評価されている。

 メリッサは1970年にオーストラリアのシドニーで結成されたグループで、元々は1968年から活動をするモルテン・ヒューというグループが母体となっている。モルテン・ヒューのオリジナルメンバーは、元リック・アンド・ザ・バッド・ボーイズ出身のロバート・ガン(ヴォーカル、フルート)、リック・バレット(ギター)、ケン・フレイザー(ベース)、そしてウォーレン・スパーク(ドラムス)の4人である。彼らはホーンズビーとランドウィック=デイシービルで開催されたポリス・ボーイズ・クラブのダンスパーティーをはじめ、高校やCYOのパーティー上でも演奏。さらにシドニーの人気クラブであったチェッカーズやアップタイト、スージー・ウォンズ、ジョナサンズ、ジョセフズ・コート、ウィスキー・ア・ゴーゴー、アーツ・ファクトリーでも演奏したという。彼らはブルースロックやアシッドロックを演奏するグループとしてスタートし、ジェファーソン・エアプレインやカントリー・ジョー&ザ・フィッシュ、スティーヴ・ミラー・バンドといったアメリカ西海岸のロックスタイルを演奏したオーストラリアの先駆けのグループとなっている。1970年に入った頃に彼らは心機一転してグループ名をモルテン・ヒューからメリッサと変えたが、ベーシストのケン・フレイザーが個人的な理由で脱退。代わりにアイルランド出身のジョー・クレイトンが加入する。クレイトン自身もヴァン・モリソンやベルファスト・サウンドに影響を受けており、グループ全体にアイルランドの影響をもたらすことになる。3月になるとシドニーで一定の人気を博していた彼らは、オーストラリアのレコードレーベルであるフェスティバル・レコードと契約。ザ・クエスチョンズのロリー・トーマスがプロデュースしたデビューシングル『ミシシッピ・ママ』がリリースされる。この曲はテンポの良いプログレッシヴ・ブルースロックとなっていたが、B面には騒々しいボブ・ディランのカヴァー曲『トゥー・マッチ・オブ・ナッシング』が収録されていたという。その後、彼らはアルバム用の曲を用意し、プロデューサーにスペンサー・リーを迎えて、シドニーのユナイテッド・サウンド・スタジオで9ヵ月かけてレコーディングを行っている。こうして最終的にインディーズレーベルであるバナーから、1971年10月にデビューアルバム『真夜中のトランポリン』がリリースされることになる。そのアルバムはジェスロ・タルを彷彿とさせるむせび泣くようなフルートやジャジーなギター、そして豊かなコーラスが特徴的なプログレッシヴなサイケフォークとなっており、ヴァン・モリソンに魅了された2つのカヴァー曲を収録した意欲作となっている。

★曲目★
01.Matalla(マタラ)
02.Getting Through(乗り越える)
03.Young Lovers Do(若い恋人たち)
04.Out In The Country(アウト・イン・ザ・カントリー)
05.Cuckoo(カッコー)
06.Jennifer In New York(ニューヨークのジェニファー)
07.Madame George(マダム・ジョージ)
★ボーナストラック★
08.Mississippi Mama(ミシシッピー・ママ)
09.Too Much Of Nothing(トゥー・マッチ・オブ・ナッシング)

 アルバムの1曲目の『マタラ』は、ギリシャのクレタ島にある海辺の村マタラをイメージした曲。疾走感のあるアコースティックギターの音色から始まり、まさにヴァン・モリソンを彷彿とさせるヴォーカルが魅力的であり、途中から抒情性のあるフルートが響き渡るパートから、アップテンポのハードロック調に変化するなどアレンジの妙が感じられる。2曲目の『乗り越える』は、ジェスロ・タル風の唾吐きフルートと軽快なアコースティカルなギターのストローク、そしてハーモニー豊かなコーラスを中心とした楽曲。途中からジャズロック並みの流麗なベースラインと繊細なドラミングとなり、非常に一体感のあるサウンドに昇華している。3曲目の『若い恋人たち』は、ヴァン・モリソンのカヴァー曲。ミステリアスなエレクトリックピアノとフルート、ハイアットのシンバルを中心としたドラミングが特徴的な楽曲。ここでも力強いベースラインが曲を引っ張っている。4曲目の『アウト・イン・ザ・カントリー』は、スリー・ドッグ・ナイトが1970年8月にリリースしたアルバム『イット・エイント・イージー』に収録されたヒット曲。パーカッシヴなドラミングとアコースティックギターをバックにソフトなハーモニーを湛えたヴォーカルが美しい楽曲であり、ムーディー・ブルース風の田園ポップのイメージだが、アレンジはオーストラリアらしい抜けの良さがある。5曲目の『カッコー』は、オーストラリアの伝統的な曲をアレンジした楽曲。ここでは珍しくエレクトリックピアノとエレクトリックギターが前面に出たブルースハード調のプログレッシヴロックとなっている。6曲目の『ニューヨークのジェニファー』は、牧歌的なフルートと爽快なアコースティックギターの音色をバックにした典型的ともいえるアメリカン風のフォークロック。キャッチーなヴォーカルラインと繊細なリズムセクションも素晴らしいが、巡るめく曲調の変化があり、単調にならない彼らのアレンジ力の高さがうかがえる。7曲目の『マダム・ジョージ』は、こちらもヴァン・モリソンのカヴァー曲。カントリー風の曲だが非常に完成度の高い作品に仕上げている。ボーナストラックの2曲は1999年のCD化から収録された彼らのデビューシングル曲。クラブでウケそうなノリの良いロックンロールとなっている。こうしてアルバムを通して聴いてみると、明らかにフルートはジェスロ・タルからの影響を受け、ヴォーカルスタイルはヴァン・モリソンの『アストラル・ウィークス』に深く魅了された作品といえる。それでもサイケデリックロックやフォーク、ハードロックといった要素を取り入れており、フックの多い多様な楽曲スタイルとなっているのが魅力的である。

 本アルバムは売上が芳しくなく、すぐに廃盤となってしまったという。しかし、彼らはシドニー郊外のダンスミュージックサーキットで熱狂的な支持を集め、タリーやメッカといった有名アーティストとのアンダーグラウンドのイベントやパディントン市庁舎やダーリングハーストのアーツファクトリーといった会場でのコンサートで共演している。このグループの短いキャリアにおけるハイライトとなったのは、1971年10月に行われたエルトン・ジョンの初のオーストラリアツアーのシドニー公演でサポートを務めたことである。しかし、この頃にはレコーディング中に高まった内部の緊張からヴォーカルのジョー・クレイトンとヴォーカル兼フルート奏者のロバート・ガンが脱退。代わりクリス・キーストーンとケン・ハンリー、そして新しいキーボード奏者としてグレン・ファーリーが加入する。しかし、彼らは1972年まで活動を続けたものの、残念ながら同年末に解散している。解散後、ほとんどのメンバーはスタジオミュージシャンとして活動したり、音楽プロデューサーになったりとして活躍。その中でもジョー・クレイトンはオーストラリアでベーシスト兼ソングライターとして人気となり、2000年以降もソロアルバムをリリースするなど精力的に活動をしている。本アルバムはリリースと同時にほとんど見向きもされずに廃盤となってしまったが、年月を経て、この時期のオーストラリアのロックアルバムの中でも優れた1枚という評価を得て、現在では人気のコレクターズアイテムとなっている。幸運なことに彼らの音源は1990年代後半に発見され、1999年にレーベルであるVicious Sloth Collectiblesによって初CD化が実現。さらに2020年にはイタリアのインディレーベルであるブラックウィドウレコードから、49年ぶりにプログレファンの念願だったレコードの再発がなされている。

メリッサ 真夜中のトランポリン アルバムアートメリッサ/真夜中のトランポリン 1971年バンド写真メリッサ・真夜中のトランポリン プログレバンド写真

 

メリッサ 真夜中のトランポリン アルバムジャケット

 皆さんこんにちはそしてこんばんわです。今回はセバスチャン・ハーディー以前に英国風のプログレッシヴなサウンドを実現したオーストラリアのグループ、メリッサの唯一作『真夜中のトランポリン』を紹介しました。本アルバムは2020年に49年ぶりにレコードの再発がされて少し話題となった作品です。実はメリッサはオーストラリア、とくにシドニーでは知られたグループで、オリジナル盤は高価なコレクターズアイテムになっているにも関わらず、再発がされないまま50年近く過ぎてしまったという稀有なグループでもあります。どうやらマスターテープが行方知れずだったらしく、上記にある通り、レーベルであるVicious Sloth Collectiblesが音源を発見して初CD化が実現することになります。メリッサが登場した1970年初頭のオーストラリアの音楽は、英国から影響を受けたブルースロックやフォークロックが主流でしたが、ジェスロ・タルを彷彿とさせるフルートを大胆にフィーチャーしたサウンドは、はっきり言って珍しかったのでは?と思っています。当初はフルートとギターをメインとしたブルース色の強い楽曲が中心でしたが、新たなメンバーに北アイルランド出身のヴォーカリスト、ジョー・クレイトンが加入してから変化が起こります。彼は同じ北アイルランド出身のミュージシャンであるヴァン・モリソンを中心としたベルファストサウンドを畏敬しており、より英国色の強い北アイルランドの影響をもたらすことになります。実際にアルバムの中にヴァン・モリソンのカヴァー2曲が収録されており、彼らは明らかにヴァン・モリソンの『アストラル・ウィークス』に深く魅了されていることがよく分かります。もしかしたら彼らはオーストラリアのヴァン・モリソンになりたかったのかも知れませんね。

 さて、そんな本アルバムですが、最初に聴いた時はアメリカ的な抜けの良いフォークロックかな?と思いましたが、サイケデリックロックやジャズロック、ハードロックといった要素を大胆に取り入れており、初期のプログレッシヴロックに迫るフックの多い楽曲が多いです。基本はオーバーダビングした繊細な12弦ギターと抒情的なフルートの音色がメインですが、個人的には力強いベースラインとどこか英国的な陰のあるヴォーカルを持つジョー・クレイトンの存在が抜きんでています。鄙びたエレクトリックピアノの音色も妙に味があって、このアメリカ的でも英国的とも言えない独特のサウンドこそオーストラリアなのかな~と少しだけ思ってしまいました。ヴァン・モリソンの『若い恋人たち』と『マダム・ジョージ』、そしてスリー・ドッグ・ナイトの『アウト・イン・ザ・カントリー』のカヴァー曲も聴きましたが、それを公然と体現し、オマージュを込めた非常に完成度の高い楽曲に仕上げているのも好感が持てます。多様性のあるアルバムと言えば聞こえは良いですが、個人的には『マタラ』や『ジェニファー・イン・ザ・シティ』のような牧歌的なブルースポップにシフトしていれば、もしかしたらオーストラリアで一定の人気グループに成りえたかも知れません。

 本アルバムは1971年という未だアメリカ的なフォークロックが根強かった時代に、多彩なジャンルを巧く取り入れて英国的なプログレッシヴロックに迫った作品です。オーストラリアの草創期のプログレの1枚として、ぜひとも味わってほしいです。

それではまたっ!
 

 

 

ノイ!デビューアルバムのロゴ

Neu!/Neu!
ノイ!/ファースト
1972年リリース

クラウトロックの歴史において
転機となった偉大なるビート音楽

 元クラフトワークのミヒャエル・ローターとクラウス・ディンガーの2人が結成したドイツのクラウトロックグループ、ノイ!のデビューアルバム。そのアルバムは「モトリック・ビート」と呼ぶ豊かなアナログエレクトロニクスとメトロノームのような脈動を伴うギターが見事に融合したサウンドになっており、後のテクノやアンビエント、ミュージック・コンクレート的なアプローチも魅せたクラウトロックの歴史において転機となった作品でもある。発売当初はあまり見向きもされなかったが、後にデヴィッド・ボウイやブライアン・イーノ、レディオヘッドのトム・ヨークといった多くのミュージシャン達によって評価され、現在では1970年代の偉大なるビートミュージックの1枚とされている。

 ノイ!は1971年にミヒャエル・ローターとクラウス・ディンガーによって、ドイツのデュッセルドルフで結成されたグループである。2人は元々、1970年にラルフ・ヒュッターとフローリアン・シュナイダーを中心に結成されたエレクトロニック音楽の革新者であり先駆者として名高いクラフトワークの初期メンバーである。ヒュッターとシュナイダーはクリング・クラン・スタジオと呼ばれるデュッセルドルフの鉄道駅近くの工業地帯に空いている作業場で、防音設備を整えてステレオテープマシンとカセットレコーダーでラフマスターを録音。その後、ミキシングのために設備の整ったスタジオに持ち込み、1970年7月から9月にかけてプロデューサーのコニー・プランクを迎えてレコーディングを行っている。このデビューアルバムの録音時にクラウス・ディンガーはドラマーとして参加している。デビューアルバムは、サイケデリックなルーツとミュージック・コンクレートのノイズとサーキュラー・ジャムの突然のジャンプカットを持つアートロック作品と評され、クラフトワークは後にメロディーメーカー誌が冗談めかして「クラウトロック」と呼んだ当時のドイツの実験音楽とアートシーンの中心的な存在となったという。ドイツを中心に広範囲にツアーを行った後、ラルフ・ヒュッターは突然「もう演奏できない」と決断してグループを脱退。翌年の1971年には新たなメンバーとしてギタリスト兼作曲家のミヒャエル・ローターがクラフトワークに加入することになる。ローターは1970年までヴォルフガング・リーヒマンやヴォルフガング・フリューアと共にスピリット・オブ・サウンドというグループに所属していたミュージシャンである。また、ベーシストとしてフロリアン・シュナイダーのバンド仲間であったエバーハルト・クラーネマンも参加していたが、クラーネマンのベース奏者としての才能はあまり必要とされておらず、1972年にはディンガー、シュナイダー、ローターの3人でドイツのテレビ番組「ビート・クラブ」に出演している。しかし、その頃の彼らの演奏はクラフトワークのスタイルとは異なっており、多くの人からクラフトワークのスタイルからノイ!のスタイルへの移行期と捉えられたという。その予感通り、その後まもなくミヒャエル・ローターとクラウス・ディンガーはクラフトワークを脱退し、新しいという意味を持つ「ノイ!」を結成。ローターとディンガーは、すぐにレコーディング・セッションを開始し、ハンブルクのスター・スタジオで、新進気鋭のクラウトロック・プロデューサーであるコンラッド・プランクを迎えて、1972年3月にデビューアルバム『ノイ!』がリリースされることになる。そのアルバムはディンガーは初めて有名な「モトリック・ビート」を演奏し、クラウトロックの特徴的な容赦のないリズムビートと豊かなギターが融合した画期的なサウンドとなっている。また、本アルバムには日本の大正琴が持ち込まれてセッションに使用されている。

【曲目】
01.Hallogallo(ハロガロ)
02.Sonderangebot(ゾンダーアンゲボート)
03.Weissensee(ヴァイセンゼー)
04.Im Glück(イム・グリュック)
05.Negativland(ネガティヴランド)
06.Lieber Honig(リーバー・ホーニッヒ)

 アルバム1曲目の『ハロガロ』は、「モトリック・ビート」と呼ばれるディンガーのリズミカルなドラムビートに支えられたノイ!の代表的な楽曲。エフェクトで処理されたシンセサイザーが楽曲に浮遊感を与えており、ローターのギターはリズムに合わせたフレーズを反復している。楽器編成にはほとんど変化がなく、シンプルながらも複数のメロディック・モチーフが全編に流れており、10分近くの長い曲であるにもかかわらず、まったく飽きさせない魅力がある。2曲目の『ゾンダーアンゲボート』は、非常にミニマルなアンビエントミュージック。ノイズやエフェクトを多用することで、これまでの楽曲構造を壊した実験性の高いサウンドになっている。3曲目の『ヴァイセンゼー』は、よりミニマルなトラックのトレンドを継承しており、軽いドラミングとギターワークが加わったサイケデリックな雰囲気が醸し出した楽曲。少ない楽器編成でイメージや感情を非常にうまく捉えており、各要素が特定のメロディやフックに貢献するのではなく、音のイメージとトーンに焦点を当てている。4曲目の『イム・グリュック』は、水の音や風の音など環境音を取り入れた実験的でアンビエントな楽曲。水の効果音は非常に心を落ち着かせる効果があり、まばらなギターの音も同様の効果を生み出している。ディンガーのドラムはほとんど聞こえず、代わりに自然音が楽曲全体を包み込んでおり、ローターのシンセサイザーは幻想的なメロディを奏でている。5曲目の『ネガティヴランド』は、ディンガーのパワフルなドラムとローターの鋭いギターリフを中心とした攻撃的でエネルギッシュな楽曲。10分近くまで続くエキゾチックなサウンドサーカスの中で、ドラムビートの推進力やテンポよりもベースラインがはるかに目立っており、シンセサイザーによるノイズやエフェクトが妙な緊張感を与えている。この曲は、後のインダストリアルロックやポストパンクに大きな影響を与えている。6曲目の『リーバー・ホーニッヒ』は、ディンガーの語り掛けるような詩的なヴォーカルをフューチャーした内省的な楽曲。未来へのヒスノイズであり、控えめなギターメロディが、テープヒスノイズの中へと探るように染み込んでおり、不安感をあおる脆くも間近に迫るヴォーカルラインが特徴的である。こうしてアルバムを通して聴いてみると、人の手によるテクノの元祖たる所以を示す一方、アンビエントやミュージック・コンクレート的なアプローチも見せた、様々なエモーションを喚起させる作品である。難解なサウンドが渦巻いていたクラウトロックシーンの中で、これだけシンプルで聴き手に印象を残すサウンドを創り出した彼らのアルバムは、後の多くのアーティストに影響を与えることになる。

 本アルバムは当時のアンダーグラウンドのアルバムとしては好調な売れ行きを示し、ドイツ国内で約35,000枚を売り上げたという。リリースを宣伝するため、レコード会社のブレイン・レコードはツアーを企画。元Pissoffのフロントマンであり、クラフトワークのメンバーでもあったエバーハルト・クラーネマンがベースを担当し、3人で準備としてジャムセッションを録音している。この録音した内容は後に『Neu! '72 Live in Dusseldorf』としてリリースされる。ツアー日程は予定されていたものの、実際に実現したのはごく一部で、ローターは後にノイ!はツアーバンドではないと感じ、彼とディンガーはパフォーマンススタイルを巡ってよく意見が対立していたという。1972年の夏、ディンガーとローターはシングルをレコーディングするため、ケルンにあるコニー・プランクのスタジオを訪れている。しかし、レコード会社は商業的に採算が取れないとして制作を思いとどまらせようとしていたが、結局シングルの『Super/Neuschnee』はリリースされることになる。A面の『Super』は後にディンガーが自身のグループである「La Düsseldorf」で採用され、プロトパンク・スタイルを体現していたという。翌年1月にディンガーとローターは2枚目のアルバム『ノイ! 2』をレコーディングするために再びスタジオに入っている。次のアルバムのレコーディングに意欲を燃やしていた2人は、視野を広げるためにいくつかの新しい楽器を購入。しかし、レコード会社からの前金で残っていたお金では、アルバムの半分しかレコーディングできなかったという。ファーストアルバムの売り上げが振るわず、レーベル側も失敗作になる可能性が高いアルバムにさらなる資金を出す理由がないと判断したためである。この素材不足を補うため、彼らは2枚目のサイドに、既にリリース済みのシングル「Neuschnee/Super」の加工バージョンを収録している。これが後のリミックスの先駆けと言われている。しかし、ディンガーとローターは創作の方向性が異なり、1970年代最後のアルバム『ノイ! '75』をリリース後にグループは解散することになる。1974年、ミヒャエル・ローターはすでにドイツのエレクトロニック・デュオ、クラスターとコラボレーションし、ハルモニア名義でアルバム『Musik Von Harmonia』をレコーディングしている。一方のクラウス・ディンガーもラ・デュッセルドルフを結成し、3枚のアルバムをヒットさせている。

 1980年代に入るとディンガーとローターは再度タッグを組んで、1985年10月から1986年4月にかけて、シンセサイザーを導入して楽曲に若干の商業的要素を加えることで、Neu!の熱気を再燃させようと試みようとしたという。しかし、個人的な問題と音楽的な問題により、再び解散を余儀なくされる。1990年代に入ってもディンガーとローターの確執が鮮明になり、長年にわたる激しい対立と法廷闘争により、ノイ!の音楽をCDで販売するためのライセンス契約について合意に至らなかったとされている。そのため、レコードからマスタリングされた質の悪い海賊盤が出回っていたという。2001年に入ると2人の騒動は解決し、ローザーとディンガーは意見の相違を脇に置いてスタジオに入り、オリジナルのマスターテープからノイ!の3枚のアルバムをCDにマスタリング。これらのアルバムはGrönland Records(米国ではAstralwerksレーベルにライセンス供与)によって制作・リリースされたという。ローターはディンガーとノイ!の5枚目のアルバムのレコーディングを検討していたが、個人的な意見の相違が再燃したため、この計画は頓挫したと述べている。そんな中、クラウス・ディンガーは2008年3月21日に心不全で亡くなってしまう。ローターは、彼が亡くなる直前まで病状を知らなかったと述べている。ノイ!のバックカタログの権利は、ローターとディンガーの遺産管理団体、そしてコニー・プランクの未亡人であるクリスタ・ファストが共同で所有しているという。その後、ローターは2010年にソニック・ユースのスティーヴ・シェリーとトール・ファーズのアーロン・ミュランとタッグを組み、ノイ!の楽曲と新作を披露するライヴプロジェクト「Hallogallo 2010」に参加。その後もドイツのトリオ、カメラと散発的にツアーを行い、ノイ!、ハルモニア、そして自身のソロ曲を演奏しているという。なお、デビューアルバム『ノイ!』の発売50周年を記念して、ローターは2つのコンサート「Michael Rother & Friends: Celebrate 50 years NEU!」を開催。1つ目は2022年10月26日にベルリンで、2つ目は2022年11月3日にロンドンで開催されたという。

Neu! ノイ! アルバムカバーノイ!デビューアルバムのトラックリストノイ!のミヒャエル・ローターとクラウス・ディンガーノイ!のミヒャエル・ローターとクラウス・ディンガー

 

ノイ!デビューアルバムのアニメ風イラスト

 皆さんこんにちはそしてこんばんはです。今回はシンプルながらも革新的なサウンドで後の音楽シーンに大きな影響を与えたドイツのビートグループ、ノイ!のデビューアルバムを紹介しました。メンバーのミヒャエル・ローターとクラウス・ディンガーは、エレクトロニック音楽の革新者であり先駆者として名高いクラフトワークの初期メンバーです。その電子音楽のノウハウを巧くノイ!に注ぎ込み、一貫してミニマリズムと反復を基盤にした特徴的な「モトリック・ビート」を生み出した偉大なグループでもあります。ディンガーのシンプルで力強いドラムスタイルを放つ一方、ローターのギターとシンセサイザーは、エフェクトを駆使した広がりのあるサウンドスケープを創り出し、その2人のアイデアとセンスがアルバム全体に行きわたっているように感じられます。アルバムをリリースした1972年当時はドイツ国内以外ほとんど注目されませんでしたが、後にデヴィッド・ボウイやブライアン・イーノ、レディオヘッドのトム・ヨークといった多くのミュージシャン達によって評価されることになります。特にブライアン・イーノは「1970年代には3つの偉大なビートがあった。フェラ・クティのアフロ・ビート、ジェームス・ブラウンのファンク、そしてクラウス・ディンガーのノイ!ビートだ」と語ったそうです。さらに2001年のQ誌は、本アルバムのモトリック・ビートを「クラウトロックの特徴的な容赦ないリズム」と評し、その後のアンビエント・ミュージックやパンクに影響を与えたと述べ、2008年にはニューヨーク・タイムズのベン・シサリオは、このアルバムとその後継作品を「ドイツの実験的ロックの金字塔」と評したと言われています。やはり、プログレッシヴロックをはじめとする実験的なサウンドは、時代を越えるとはこのことですね。

 さて、本アルバムは「モトリック・ビート」と呼ばれる革新的なサウンドとなった1曲目の『ハロガロ』から始まり、ディンガーの直線的でリズミカルなドラムビートとローターの反復的なフレーズ、そしてエフェクト処理されたシンセサイザーが浮遊感を与えています。私はクラフトワークやカン、アモン・デュール、タンジェリン・ドリーム、グル・グル、クラスターといったクラウトロック勢を聴いた後に、ノイ!を聴いたためか、これだけシンプルで力強いサウンドにかなり衝撃を受けたものです。周囲の人に聴くとノイ!はクラウトロックの入門的な存在と捉えており、個人的になるほど~と思ったものです。2曲目以降はノイズやエフェクトを利用したアンビエント要素の強いサウンドになっており、ノイ!の前衛的な一面を魅せた内容になっています。そして最後の曲の『リーバー・ホーニッヒ』は、控えめなギターメロディの中で孤独感の痛みを歌ったクラウス・ディンガーの悲しげなイントネーションによるヴォーカルパフォーマンスが特徴的な楽曲であり、電子的で実験的なサウンドの中でも最後は肉体的な音楽で締めているのが何となく美しく感じてしまいます。厳格なリズムがあると同時に、人間の脆弱性という潜在意識を物語っているような気がします。

 本アルバムはクラウトロックの金字塔であり、音楽史における革新的な作品です。ミヒャエル・ローターとクラウス・ディンガーの2人が生み出したシンプルで革新的なサウンドをぜひその耳で聴いてみてほしいです。

それではまたっ!
 

 

 

アルマンド・ティレリ『預言者』アルバムジャケット

Armando Tirelli/El Profeta
アルマンド・ティレリ/預言者
1978年リリース

格調高いキーボードによるリリシズムに
満ちた本格シンフォニックロック

 ウルグアイの伝説的なロックグループ、セクステト・エレクトロニコ・モデルノのキーボード奏者&作曲家であったアルマンド・ティレリのソロデビュー作。そのアルバムはレバノンの作家&芸術家であり、1960年代のカウンターカルチャーの象徴でもあるカリル・ジブランの詩的小説『預言者』に基づいた一大コンセプト作となっており、格調高いピアノやシンセサイザー、そして抒情美あふれるフルートを盛り込んだ重厚なシンフォニックロックとなっている。サイケデリックロック&ジャズロックが主流であったウルグアイにおいて数少ないシンフォニックロック作品であり、オリジナル盤は南米プログレ屈指の激レアアイテムとして知られている。

 アルマンド・ティレリは、ウルグアイのモンテビデオ出身の音楽アーティストである。彼が表舞台に登場するのは、1966年に結成され、主に映画のインストゥルメンタル音楽を演奏するセクステト・エレクトロニコ・モデルノというグループである。このグループは1967年に一度解散してしまうが、マネージャーのカルロス・シモネッティは新メンバーを加えて継続することを決意。その時にハモンドオルガン奏者として加入したのがアルマンド・ティレリである。ティレリ以外のメンバーはフリオ・セオアネ(ベース)、ダニエル・ポデスタ(エレクトリックピアノ)、フアン・オリヴェラ(ギター)、フアン・カルロス・シェパード(ドラムス)、ダニエル・ペーニャ(サックス)であり、彼らが1968年に最初のリリースしたシングルは、映画の『男と女』や『レディ・ジェーン』、『カジノ・ロワイヤル』、『恋人たちのコンサート』といったのインストゥルメンタル曲だったという。彼らは当時最も人気のあるロックグループの1つであったロス・デルフィネスと共演し、ウルグアイ国内で一躍人気グループとなったことで、1968年10月にロンドンレコードから初のフルアルバム『Para Exigendos(アルゼンチン盤タイトル)』がリリースされる。商業的にも成功を収め、初版1000枚はわずか1週間で完売している。さらに翌年の1969年には2枚目のアルバム『Sin Comentarios』は、世界的にヒットした曲をカヴァーするという従来のスタイルが踏襲しているものの、アルマンド・ティレリが作曲した4曲が追加されているという。アルバムリリース後にサックス奏者のダニエル・ペーニャが脱退し、代わりにウンベルト・ジャコメッティ(トランペット、フレンチホルン)が加入。1970年8月に彼らはペニャロール宮殿を観客で満員にした「ミサ・ビート」と題したパフォーマンスを行い、1週間後にシネ・プラザで演奏し、そのパフォーマンスを収録したアルバムをリリースしている。しかし、1971年にグループのメンバー3人(ティレリ、シェパード、オリヴェラ)はカルロス・ガリ(ベース)と共にメキシコへ渡ることを決めたことで、セクステト・エレクトロニコ・モデルノは解散。3人はメキシコで2年間ほどエクソドというグループ名で活動し、1972年には1枚のアルバムを残している。この背景には1960年代から続くウルグアイの左翼武装組織「トゥパマロス」によるテロによって、国内の政治や経済が最も不安定だったことが要因となっている。ティレリはしばらくメキシコで音楽活動を続け、主に作曲を中心に制作を行ったという。この頃にティレリはレバノンの作家&芸術家であり、1960年代のカウンターカルチャーの象徴でもあるカリル・ジブランの詩的小説『預言者』をテーマにした曲作りをしていたとされている。

 軍事政権から民主主義的な動きを見せ始めた1976年頃に、ティレリはソロで音楽活動するためにウルグアイに帰国。彼は先に帰国していたドラマーのフアン・カルロス・シェパードをはじめ、アルバムに参加してくれるメンバー集めをしている。最終的にアルマンド・ティレリ(作詞・作曲・監督・編曲、ピアノ、エレクトリックピアノ、メロトロン、シンセサイザー、ヴォーカル)、フアン・カルロス・シェパード(ドラムス、パーカッション、ヴォーカル)、J・カラーラ(ベース、ギター)、G. ブレグスタイン(サックス、フルート)がメンバーとなり、ゲストとしてロディ・トロックリ(ギター)、G. チャイブン(フルート)、リカルド・ボザス(ドラムス)、そして有名な舞台俳優であるロベルト・フォンタナが作詞家として参加。プロデューサーにはウルグアイの偉大なギタリスト兼作曲家であるホルヘ・アブチャルジャを迎え、1978年にブラジルのレーベルであるレコードランナーより、アルマンド・ティレリ初のソロアルバム『預言者』がリリースされる。そのアルバムはレバノン出身の20世紀を代表する詩人&芸術家であるカリル・ジブランの代表作『The Prophet(預言者)』を基にした一大コンセプト作であり、ティレリの格調高いピアノやシンセサイザーを中心としたシンフォニックロックの傑作となっている。

★曲目★
01.Prólogo "El Profeta"(序章「預言者」)
02.Candombe - Samba(カンドンベ・サンバ)
03.El Barco De Los Sueños(夢の船)
04.Tema Central "El Profeta"(メインテーマ「預言者」)
05.El Momento De Partir(出発の時間)
06.Amanecer En Orphalese(オルファレーゼの夜明け)
07.Háblanos Del Matrimonio(結婚について教えて)
08.Háblanos Del Dar(寄付について教えて)
09.Háblanos Del Amor(愛について教えて)
10.Los Ecos De Almustafá (アルムスタファの響き)
11.Háblanos De Los Hijos(子どもたちについて教えて)
12.Tocata Scarauala(スカラウアラ・トッカータ)
13.Tema Central "El Profeta"(メインテーマ「預言者」)

 アルバムの1曲目『序章「預言者」』は、8分を越えるアルバム中最長の曲。唸るようなシンセベースとジャジーなピアノ、そしてギターの音が重なり合い、ミニマルなピアノやベース、ドラムへと変化し、ドラマティックなナレーションとなる。その後は軽快なフルートと豊かなシンセパッドによるジャズの雰囲気をしっかりと保っている。フュージョンのタッチがあるが、後半にはセル・ギランやスイ・ジェネリスを彷彿とさせる澄み切ったコーラスが素晴らしい。2曲目の『カンドンペ・サンバ』は、美しいフルートを主軸としたシンフォニックロック調の楽曲。ピアノのブレイクは​​この世のものとは思えないほど美しく、最後は精緻なリズムセクションとアグレッシヴなギターが印象的である。3曲目の『夢の船』は、ピアノと柔らかなコーラスに溶け込んだヴォーカルが特徴のメロディアスな楽曲。スペイシーなシンセサイザーがアクセントとなっており、最後まで穏やかな雰囲気が続いている。4曲目の『メインテーマ「預言者」』は、リリカルなピアノとベース、そしてフルートの音色によるアンサンブル。後半はシンセサイザーが加わってスペイシーなシンフォニックロック調となっている。5曲目の『出発の時間』は再びピアノと柔らかなコーラスを中心となった楽曲。この曲ではモーグセクションとフルートが使われており、非常にユニークな作品に仕上げている。6曲目の『オルファレーゼの夜明け』は、ノスタルジックな雰囲気を持つ流麗なピアノとフルートによるシンフォニックな楽曲。クラシックの影響とプログレの根本的な変化が混ざり合った素晴らしい1曲である。7曲目の『結婚について』は、ピアノを基調とした神秘的な曲。暗い雰囲気が漂うものの、ティレリはムーグを使って明るい面を作り出すことに成功している。ここでも情熱的なナレーションが展開されている。8曲目の『寄付について教えて』は、より柔らかくメロディアスなピアノをバックに歌うスペイン風のコーラスが印象的な楽曲。最後まで穏やかに進行するが、豪華なキーボードセクションを巧く活用している。9曲目の『愛について教えて』は、サックスやフルートを中心とした明るいラテンジャズ。中盤には抒情的なヴォーカル曲となり、雰囲気を一変させている。10曲目の『アルムスタファの響き』は、ピアノをベースに複雑で精巧なジャズ風味の楽曲となっており、コーラスやフルートが素晴らしいアクセントとなっている。ここでもリズムセクションが完璧なほど精緻を極めている。11曲目の『子供たちについて教えて』は、明瞭なナレーションによる反復的なロックセクションで始まる楽曲。その後はワイルドなギターやパワフルなドラミング、そしてサイケデリックなキーボードによるハードな展開となる。12曲目の『スカラウアラ・トッカータ』は、まるでキース・エマーソンを彷彿とさせるクラシックの影響を受けたピアノのショートトラックを経て、最後の曲『メインテーマ「預言者」』となり、コーラスとシンセサイザーによって盛大に締めくくられている。こうしてアルバムを通して聴いてみると、カリル・ジブランの代表作『The Prophet(預言者)』を基にした歌詞と、ピアノとシンセサイザーの響きが全体をまとめたジャズ要素のある独特のシンフォニックロックとなっている。独特の音色をはじめ、ナレーションと歌のスムーズな融合、そして心を揺さぶるドラマティックな展開を持った他に類を見ない傑作アルバムである。

 本アルバムは1970年代のウルグアイにおいて、ほとんど探求されていなかった本格的なプログレッシヴ&シンフォニックロックの傑作とされ、特にアルゼンチンでの評価が高かったと言われている。ティレリはアルバムリリース後に母国ウルグアイから離れ、スペインに移住。そこで作曲家兼編曲家、そしてキーボード奏者として活躍することになる。その後のティレリは表立った音楽活動はしてこなかったものの、2004年に一時的にセクステト・エレクトロニコ・モデルノを再結成して、ウルグアイにある文化施設ジタローザ・ホールで公演している。その公演にはアルマンド・ティレリやフアン・カルロス・シェパード、ダニエル・ポデスタ、ダニエル・ペーニャ、フアン・オリヴェラ、ウンベルト・ジャコメッティのオリジナルメンバー6人が32年ぶりに共演し、ウルグアイの多くのファンが喜んだという。なお、オリジナルレコードは未だ入手困難とされているが、1997年にアルゼンチンのレコードランナーからCD盤が出回っており、その軽快なジャズ要素を持った南米ウルグアイ独特のシンフォニックロックを聴くことができる。

アルマンド・ティレリ「預言者」LPジャケットアルマンド・ティレリ 預言者 アルバムジャケットセクステト・エレクトロニコ・モデルノ5人アルマンド・ティレリ、シンフォニックロック演奏


アルマンド・ティレリ/預言者 アルバムカバー

 皆さんこんにちはそしてこんばんわです。今回は南米ウルグアイの偉大な音楽アーティストの1人とされているアルマンド・ティレリのソロデビュー作『預言者』を紹介しました。このアルバムは2010年あたりからアルゼンチンやブラジルの多くの南米プログレッシヴロック作品が再発された中で浮上してきたもので、サイケデリックやジャズの傾向が強かった当時のウルグアイにおいて、珍しい本格的なシンフォニックロック作品だったと言われています。また、ティレリは1960年代から活動するウルグアイの伝説的なグループであるセクステト・エレクトロニコ・モデルノのメンバーとしても知られています。このグループはプログレッシヴな音楽を演奏していたわけではありませんが、クラシックとジャズの影響を色濃く受けており、ティレリ自身もその経験を活かしてアルバムを制作したと思われます。しかし、彼が活躍していた1970年代初頭の頃のウルグアイは左翼武装組織「トゥパマロス」によるテロによって、国内の政治や経済が最も不安定な時期だったそうです。その時に彼は仲間とメキシコに渡って音楽活動をしたり、本アルバムリリース後にスペインに移住したりするなど、母国で活動する時期がほとんどなかったとされています。それでもセクステト・エレクトロニコ・モデルノのメンバーとして作曲家や編曲家、演奏者として活動する傍ら、仲間との交流を続け、2004年に母国でオリジナルメンバーとの共演を果たすことになります。一時的な結成とはいえ、ウルグアイの多くのファンがどれだけ歓喜しただろうと思われます。

 さて、本アルバムですが、レバノンの作家&芸術家であり、1960年代のカウンターカルチャーの象徴でもあるカリル・ジブラン(1883年~1931年)の詩的小説『The Prophet(預言者)』に基づいた一大コンセプト作となっています。実は散文詩と呼ばれるカリル・ジブランの作品を私自身読んだことはありませんが、『預言者』は世界30ヵ国以上に翻訳されており、これまで2,000万人以上読まれていると言われています。彼の作品には深い思索と信仰心に支えられ、なおかつ哲学的で宗教的な色彩を帯びた普遍的な愛の言葉が宿っていると言われ、世界中に多くのファンが存在しているそうです。そんな『預言者』をテーマにしたアルバムには、13曲全てが音楽的に相互に繋がっており、格調高いピアノの響きと色彩感のあるシンセサイザーが全体をまとめている感じがします。そして歌詞はナレーションを中心に東洋宗教の叡智、とりわけスーフィズムのような神秘主義的な精神性の潮流を反映しつつ、自然と深く結びついた多くの部族社会のアニミズム信仰にも通じる物語となっています。これらすべてが、1970年代のウルグアイではほとんど探求されてこなかったプログレッシヴ、またはシンフォニックな雰囲気の中で、歌声によるコーラスと織り交ぜられています。インスト面ではリリシズムあふれるフルートと緊張感あふれるギター、そして精緻でありながら力強いリズムセクションに支えられており、どこかレ・オルメやP.F.M.といったイタリアン・プログレッシヴロックを聴いている感じがしてしまいます。それだけ本アルバムはドラマティックな展開と琴線に触れるような美しいメロディに包まれていると思います。

 本アルバムはジャズの要素とラテンの明るさを持った独特のシンフォニックロックとなっています。南米のブラジルとアルゼンチンという大国に挟まれたウルグアイから生まれた世界に通じる傑作をぜひ聴いてほしいです。

それではまたっ!
 

 

 

Apoteosi アルバムジャケット

Apoteosi/Apoteosi
アポテオジ/神格
1975年リリース

女性ヴォーカルをアクセントにした
緻密なシンフォニックロック

 紅一点のシルヴァーナ・イダを含めた3人兄妹が中心となって結成されたイタリアのプログレッシヴロックグループ、アポテオジの唯一作。そのアルバムはアコースティックピアノやオルガン、シンセサイザーといったキーボードを中心に、ギター、フルート、そして女性ヴォーカルをアクセントにした洗練されたイタリアン・シンフォニックロックの逸品となっている。何よりも端正で緻密なアレンジが魅力であり、限定プレスだったこともあり、数あるイタリアンプログレの中でも、好事家の間で高く取引されていた貴重なアルバムでもある。

 アポテオジはイタリアのカラブリア州パルミ出身のフェデリコ・イダ(ベース、フルート)、シルヴァーナ・イダ(ヴォーカル)、マッシモ・イダ(キーボード)の3兄妹が中心となって結成したグループである。3兄妹の父親は音楽作曲家兼ミュージシャンである一方、ミラノのCGDレコード会社を経て、自身のレーベルであるSaid Recordsを立ち上げたサルヴァトーレ・イダである。3兄妹それぞれが父親の影響で幼いころから音楽や楽器演奏に目覚めており、長男のフェデリコは早くも学生時代にクラシック音楽を学びつつ仲間と共にロックを演奏していたという。高校を卒業して20歳となったフェデリコは、以前からP.F.M.(プレミアータ・フォルネリア・マルコーニ)やムゼオ・ローゼンバッハといったプログレッシヴロックに憧れ、同じく音楽に精通していた妹のシルヴァーナと弟のマッシモと共に結成したのがアポテオジである。当時のマッシモは14歳の中学生だったという。フェデリコはフルートやベース、ギター、ドラムスが演奏できるマルチプレイヤーであり、当初は兄妹のみで活動をしようと考えていたらしい。しかし、周囲の勧め(父親のサルヴァトーレの意向)もあって、知り合いのフランコ・ヴィンチ(ギター、ヴォーカル)、マルチェロ・スラーチェ(ドラムス) を加入させている。こうして5人編成となった彼らは、3兄妹の父親であるサルヴァトーレ・イダに掛け合い、自分たちのプロデューサーになってほしいと願い出ている。サルヴァトーレは彼らのために作詞作曲を行い、メンバーはそれを基にアレンジを施したという。アルバム用の曲が出来上がり、リハーサルも順調だったことから、サルヴァトーレは彼らに自身のレーベルであるSaid Recordsと契約させている。エンジニアには名手フランコ・パトリニアーニを起用してレコーディングを行い、1975年にデビューアルバムである『アポテオジ(神格)』がリリースされる。そのアルバムはキーボードを中心に、ギターやフルート、女性ヴォーカルをアクセントにしたシンフォニックな作品であり、その端正で緻密なアレンジが魅力的ともいえる1枚となっている。

★曲目★
01.Embrion(エンブリオ)
02.Prima Realta'(最初の現実)
03.Frammentaria Rivolta(分断された叛乱)
04.Il Grande Disumano(大いなる非人間性)
05.Oratorio ~Corale~(オラトリオ~コラール~)
06.Attesa(待機)
07.Dimensione Da Sogno(夢の広がり)
08.Apoteosi(神格)

 アルバムの1曲目の『エンブリオ』は、ミステリアスなオルガンの響きとベースから始まり、端正なピアノと共に軽快なリズムセクションとギターとなる楽曲。2分半の短い楽曲だが、まるでメンバー全員のアイデアが断片的に混ざり合った内容になっている。2曲目の『最初の現実』は、美しいピアノやアコースティックギター、フルート、歯切れの良いドラムスとベースから始まり、何よりも紅一点のシルヴァーナ・イダの点にも昇るようなヴォーカルが堪能できる。ピアノとキーボード主体のマッシモ・イダの疾走感あふれる音楽セグメントを切り抜けた先に、フェデリコ・イダの美しく穏やかなフルートによる田園的な瞬間が聴き取れる。3曲目の『分断された叛乱』は、前曲からなだれ込むように入り、旋回するキーボードの連打と推進力のあるベースのアタックの間に、ピアノによる繊細でクラシカルな優雅さが散りばめられた楽曲。荒々しいギターのグラインドと激しいドラミングが続くものの、後半はフルートとアコースティックギターにいるシンフォニック調に変化し、シルヴァーナのヴォーカルは甘くメランコリックである。4曲目の『大いなる非人間性』から6曲目の『待機』までは、3部構成の組曲となっている。『大いなる非人間性』は、控えめで荒々しいピアノのイントロに、信じられないほどの繊細なエレクトリックギターの響きが加わって始まる。この曲はアップテンポのピアノを含めたジャズロックの雰囲気を醸し出している。ヴォーカルはフェデリコ・イダである。5曲目の『オラトリオ~コラール~』は、荘厳なオルガンとメンバー全員によるコーラスによる楽曲であり、シルヴァーナの天にも響くような美しいヴォーカルが印象的である。6曲目の『待機』は、エマーソン・レイク&パーマーやドイツのトリアンヴィラートを彷彿とさせる軽快で躍動感あふれる内容へと展開する。こちらはギターをメインとしたアップテンポのジャズとなっており、多彩なフレーズが飛び出すキーボードプレイが魅力的である。7曲目の『夢の広がり』は、流麗なピアノをバックにした、シルヴァーナの美しいヴォーカルが印象的な楽曲。シルヴァーナが威厳と精神をもって歌うことで、まるで勝利と希望に満ちた曲調に変わっていくようである。8曲目の『神格』は、シンセサイザーによって展開する深宇宙のようなきらめきと、ゆっくりと燃え上がるようなエレクトリックギターによるサイケデリック性の強い楽曲。ジャムベースのインストゥルメンタル曲であり、マルチェロの美しいドラムワークとフランコの効果的なギターワークで構成されている。こうしてアルバムを通して聴いてみると、キーボードを中心に様々な楽器が相互作用したシンフォニックな作品だが、雑多なイメージは無く、どちらかというと洗練されていると言っても過言ではない。安定したリズムセクションや美しいシルヴァーナの女性ヴォーカルは惹きつけられるものの、やはり当時14歳とは思えないマッシモ・イダの表現力の高いキーボードプレイは驚きのひと言である。

 本アルバムは父親のレーベルであるSaid Recordsから限定プレスでリリースされたため、非常に枚数が少なかったとされている。彼らはアルバムリリース後、学業を優先し、1979年に同じメンバーで商業的に転向したグループ、ストレスバンドという名で活動を開始。シングルにはカナダの人気ミュージシャンであるジノ・ヴァネリの曲のイタリア語ヴァージョンを収録しているという。その後、メンバーは独自で活動をするようになり、ヴォーカルのシルヴァーナ・イダは、子ども向けの童謡歌やアニメーションの主題歌を中心に歌う歌手として活躍したが、その後は音楽界から引退している。また、レコーディング時は14歳という若さだったキーボード奏者のマッシモ・イダはローマに移り、セッションミュージシャンやテレビ音楽プロデューサーとして活動する傍ら、ファンキー&ディスコグループであるフランキー&カンティーナ・バンドで20年以上演奏活動を続け、1982年にはティト・スキパ・ジュニアのアルバム『Dylaniato』のプロデュースと演奏も手掛けたという。兄のフェデリコ・イダもマルチプレイヤーのミュージシャンとして活躍し、弟のマッシモとザ・ゾンビーズを結成するなど精力的に活動をしていたが、1992年9月28日に37歳という若さで亡くなっている。なお、ギタリストのフランコ・ヴィンチは演奏活動を続け、自身のグループと共にブルース界で活躍。ドラマーのマルチェロ・スラーチェはイタリアとフランスでセッションミュージシャンとして活動を続け、マッシモ・イダと共にフランキー&カンティーナ・バンドでも演奏活動を行っている。彼らが残したアルバムは限定盤だったこともあり、オリジナル盤は現在では入手が非常に困難となっている。1980年代ではイタリアンプログレマニアの好事家が注目するレアアイテムとして長く君臨してきたが、1993年にメロウ・レコードによって初CD化が実現。多くの人たちに彼らの生み出すクラシカルなキーボードやフルート、そして女性ヴォーカルによる抒情性のある素晴らしいイタリアン・シンフォニックロックを聴くことができている。

アポテオジ 1975年シンフォニックロック アルバムジャケットアポテオジのイタリアンプログレバンド、メンバー写真アポテオジ プログレシンフォニックロックアポテオジ、シンフォニックロックバンドのライブ演奏アポテオジのシルヴァーナ・イダらバンドメンバー写真

 

アポテオジ アナログ盤に笑顔の女性

 皆さんこんにちはそしてこんばんわです。今回はイタリアのプログレファンの間で長らくコレクターアイテム化とされていたプログレッシヴロックグループ、アポテオジの唯一作を紹介しました。アポテオジとは日本語で「神格化」、「美化」、「理想的な」という意味があるそうです。本作品のオリジナル盤が好事家の間で高く取引されていたのは、たぶん数百枚のみプレスされたという限定盤だったためです。そのため、現在でも入手が困難な1枚となっているわけですが、そこまでしてプログレファンを惹きつけて止まないのは、意外とアルバムとしての完成度が高く、洗練されたシンフォニックロックの作品とされていることです。イダの3兄妹は音楽家としての知識はあるものの、プロとして活動した経験がありません。それでもこれだけの演奏力と表現力が伴っているのは、単に父のプロデュース能力やエンジニアによるものとは言い切れない彼らが持つ音楽的なセンスとしか思えません。決してテクニカルではありませんが、ゆるやかなイタリアらしい叙情としっとりとしたマイナーっぽさがとても魅力的です。

 さて、本アルバムですがクラシカルなピアノを中心としたキーボードに艶やかなシルヴァーナのヴォーカル、そして安定したリズムセクションによる非常に雰囲気が良いサウンドが散りばめられています。親しみやすいメロディアスなプログレッシヴロックを目指している感じがしますが、ピアノやフルートによるシンフォニックな静寂パートがある一方、軽快なリズムによるサウンドへの大胆な切り替えがあり、思った以上にインストパートが充実しています。前半はオルガンやフルートを中心としたクラシカルな楽曲が多く、4曲目あたりからアップテンポなピアノやギターによるジャズロックがあり、最後の曲はキーボードとギター主体のサイケデリック&スペイシーな楽曲になっています。これだけ多様性のある音楽が実現しているのはメンバーそれぞれの力量とセンスによるものですが、やはりメンバーの中でも当時14歳とは思えないマッシモ・イダの高いキーボードの表現力があっての作品だと思えます。

 本アルバムは数あるイタリアンシンフォニックプログレの中でも、好事家がうなるほどの隠れた逸品とされています。ぜひ、この機会に彼らの洗練された楽曲に触れてみてください。

それではまたっ!
 

 

 

スティーヴ・ハウのソロアルバム「Beginnings」ジャケット

Steve Howe/Beginnings
スティーヴ・ハウ/ビギニングス
1975年リリース

技巧的なギタープレイと

多様な曲想が散りばめられた逸品

 イエスの黄金期を支えたギタリスト、スティーヴ・ハウが1975年に発表した初のソロアルバム。そのアルバムはアコースティックギターを中心に、多彩な弦楽器によるフォークやカントリー、バロック音楽といった多様な曲想が散りばめられており、イエスとはまた違った幻想的な世界観を構築している。ゲストにキーボード奏者のパトリック・モラーツ、ドラマーにビル・ブルーフォードやアラン・ホワイト、そしてグリフォンのメンバーを迎えてレコーディングが行われ、ハウ自身はそれ以外の弦楽器やベース、ヴォーカルを担当しているなど、こだわり抜いた1枚と言える。なお、本アルバムは全英アルバムチャートで22位、全米ビルボード200で63位を記録。

 スティーヴ・ハウ(スティーブン・ジェームズ・ハウ)は1947年4月8日に、イギリスのロンドン北部にあるホロウェイ地区で生まれたミュージシャンである。父のシリル・ハウはビショップスゲートにあるレストラン「ザ・パーマーストン」の料理長を務めており、母エイダと兄のフィリップとジョン、そして妹のステラと共に生活をしていたという。ハウは幼い頃にレス・ポールやテネシー・アーニー・フォードといった両親のレコードコレクションによって音楽に興味を持ちはじめ、また、クラシックギターやジャズを聴いては、主にバーニー・ケッセルに影響を受けている。さらにハウは1959年に初めて聴いたウェス・モンゴメリーやチェット・アトキンス、ボブ・ディランからも大きな影響を受けたと述べている。ハウはホロウェイ・スクールに通い、その後、イズリントンのバーンズベリー・ボーイズ・スクールに通ったが、1962年に退学。両親はそんな12歳となったハウに、ロンドンのキングスクロスにある店でクリスマスプレゼントとしてFホールのアコースティックギターをプレゼントしている。ハウは正式なレッスンを受けることも楽譜を読むこともせずに独学でギターを覚え、学校の友人と共にトッテナムのパブ「ザ・スワン」でシャドウズの『Frightened City』のカヴァーを演奏する初のギグを行ったという。しかし、ハウ自身はこの出来事を大惨事だったと回想している。14歳となったハウとトッテナムの友人は、ユースクラブで演奏するグループを結成。やがてパブや舞踏会でも演奏するようになり、この頃からハウはギタリストを志し、専業ミュージシャンになろうと考えたという。1961年頃にハウは初めてのエレクトリックギターであるソリッドボディのグヤトーンを購入。続いて1964年にはギブソンES-175Dを購入し、後にハウの代表するギターの1本となっている。この頃のハウはピアノ工場で働き、その後楽器店で働いていたが、定期的にギグの仕事が増えると店を辞めたという。

 1964年に17歳となったハウは、北ロンドンを拠点にジョー・ミークがプロデュースしたR&Bグループであるシンジキャッツのメンバーとなる。グループでの3つのスタジオ録音のうち最初のものはチャック・ベリーの『メイベリン』で、これはシングルとしてリリースされている。一方のB面にはハウがグループのヴォーカルであるトム・ラッドと共作した『トゥルー・トゥ・ミー』が収録されているという。シンジキャッツは時折クリス・ファーロウとサンダーバーズのオープニングアクトを務めるほど人気が高まっていたが、ハウは1965年に脱退。彼はトッテナムで頻繁に演奏していたソウル&カヴァーグループであるイン・クラウドへの加入の誘いを受けて参加。このイン・クラウドというグループはオーティス・レディングの『That's How Strong My Love Is』のカヴァーをリリースし、 1965年5月に全英シングルチャートで48位を記録している。しかし、グループはすぐにトゥモローと改名し、サイケデリックロックを採用。より多くのオリジナル曲を書き、ステージ衣装も変えたという。1967年には『マイ・ホワイト・バイシクル』と『レボリューション』の2枚のシングルをリリースしている。その後、彼らはロンドンのクラブサーキットを回り、ピンク・フロイドと共演したり、ジミ・ヘンドリックスとジャムセッションをしたり、アールズ・コートで開催されたクリスマス・オン・アースのコンサートで演奏したりしたが、1967年にトゥモローは解散。解散後、ハウはヴォーカルのキース・ウェストと数曲参加し、ウェストの『The Kid Was a Killer』でベースを演奏し、ギタリストのロニー・ウッドやドラマーのエインズリー・ダンバーとも共演。そんなギタリストとしてのハウの評判が高まり、1968年にロンドンのロックグループであるボダストに加入。彼らはテトラグラマトン・レコードとレコーディング契約を締結。1969年にトライデント・スタジオでウェストをプロデューサーに迎えたアルバム用に数曲をレコーディングしたものの、リリース直前にレーベルが倒​​産するという憂き目に遭っている。ボダストが解散した後、ハウは新メンバー候補としてキース・エマーソン率いるザ・ナイスのオーディションを受けたが、自分には合わないと判断して翌日に脱退している。続いてジェスロ・タルのオーディションも受けたが、彼らが求めていたギタリストが作詞作曲に参加しないと知り、ハウは参加を断っている。さらにハウはカール・パーマーが在籍していたアトミック・ルースターのオーディションを受けたが、「あまりしっくりこなかった」と断っている。最終的にハウはアメリカのソウル・シンガーであるPPアーノルドのバックバンドのメンバーとしてツアーに参加している。

 1970年4月、ロックグループであるイエスは、ピーター・バンクスの脱退に伴い、新しいギタリストを探していたという。ハウはフラムでジョン・アンダーソンやクリス・スクワイア、ビル・ブルーフォード、トニー・ケイからなるグループのトライアウトに招待され、合格してその年の6月にイエスのメンバーとなっている。この時、イエスはセカンドアルバム『時間と言葉』をレコーディングしていたが、まだ発売されておらず、アメリカ版のアルバムカバーには、ハウが演奏していないにもかかわらず、ハウとグループの写真が使われたという。数回のギグの後、イエスはデヴォンに戻り、1971年のサードアルバム『ザ・イエス・アルバム』の制作を皮切りに、『こわれもの』や『危機』、『海洋地形学の物語』といったイエスの黄金期ともいえるアルバムに参加。しかし、キーボード奏者のリック・ウェイクマンが脱退を表明し、代わりにスイス人のパトリック・モラーツが加入。1974年11月にイエスの7枚目のスタジオアルバム『リレイヤー』を発表したものの、行き詰まりを感じたこともありグループの活動を休止。それぞれがソロアルバムをプロデュースすることに合意している。ハウは早速、イエスの元メンバーであるビル・ブルーフォードをはじめ、アラン・ホワイト、パトリック・モラーツ、そしてグリフォンのメンバーなど、様々なゲストミュージシャンを起用。プロデューサーにはエディ・オフォードを迎えてレコーディングを行い、1975年10月に初のソロアルバム『ビギニングス』がリリースされる。そのアルバムはアコースティックギターをメインに繰り広げられたフォークやカントリー、バロック音楽など、多様な曲想が用いられたファンタジックな世界観を描いた内容になっており、何よりもハウ自身が曲や楽器にこだわった究極の1枚とされている。

★曲目★
01.Doors Of Sleep(ドアーズ・オブ・スリープ)
02.Australia(オーストラリア)
03.The Nature Of The Sea(遥かなる海)
04.Lost Symphony(ロスト・シンフォニー)
05.Beginnings(ビギニングス)
06.Will 'O' The Wisp(ウィル・オー・ザ・ウィスプ)
07.Ram(ラム)
08.Pleasure Stole The Night(歓喜の夜)
09.Break Away From It All(ブレイク・アウェイ)

 アルバムの1曲目の『ドアーズ・オブ・スリープ』は、ハウの妻へのトリビュートと言えるラヴソング。アラン・ホワイトがドラムス、ハウがギターとベース、そしてヴォーカルを担当しており、非常に泥臭いポップチューンとなっている。歌詞は、19世紀のイギリスの女性参政権運動家アリス・メイネルの「At Night」による詩に基づいた内容になっている。2曲目の『オーストラリア』は、流麗なアコースティックギターソロとスティールギターを交えたジャズの雰囲気を持った楽曲。間奏ではイエスの『サード・アルバム』を彷彿とさせる展開がある。3曲目の『遥かなる海』は、グリフォンのメンバーが参加したインストゥルメンタル曲。ギターで海の穏やかな側面とよりエネルギッシュな側面を交互に表現した聴き応えのある曲でもある。4曲目の『ロスト・シンフォニー』は、ゲストでベースのコリン・ギブソンとピアノのパトリック・モラーツ、そしてバド・ビードルとミック・イヴのサックスも加わったアップビートな小曲。ハウのマンドリンはオルガンとの相性も良く、サックスはアルバムの他の曲よりも豊かな質感を与えている。5曲目の『ビギニングス』は、フィルハーモニアと呼ばれる伴奏セクションが設けらたシンフォニックな楽曲。その合間に巧みなハウのクラシックギターが流れ、モラーツはピアノで参加しており、ここではより控えめなハープシコードとモーグで短いパッセージを加えている。6曲目の『ウィル・オー・ザ・ウィスプ』は、ハウとホワイトの控えめなデュオであり、そこにモラーツのメロトロンやピアノが加味した楽曲。ハウのギターワークは他の曲よりも際立っており、モラーツのキーボードは安らぎを与えているようである。7曲目の『ラム』は、2分ほどの小曲で、ハウによる非常に短いインタールードソロ。ドブラやバンジョー、ウォッシュボードなど、様々な楽器を演奏しており、彼の弦楽器に対する愛着が感じられる1曲である。8曲目の『歓喜の夜』は、ラテン的なギターとコーラスが印象的な楽曲。マルコム・ベネットがフルートで参加しており、また、アルバムの最後の方でビル・ブルーフォードがドラムスで担当している。9曲目の『ブレイク・アウェイ』は、エレクトリックギターとスティールギターの両方で軽快に演奏するハウと、キャッチーなコーラスのある楽曲。ビル・ブルーフォードの比類なきドラミングが奏でる力強さが印象的である。

 本アルバムはイエスの5人のメンバー全員がソロアルバムをリリースするという企画の第一弾として注目され、全英アルバムチャートで22位、全米ビルボード200で63位を記録。また、『ラム』と『ビギニングス』のプロモーションビデオもリリースされたという。その後もハウは1979年に2枚目のソロアルバム『ザ・スティーヴ・ハウ・アルバム』をリリースしており、歌手のクレア・ハミルが参加している。ハウはその後もイエスのメンバーとして演奏していたが、1980年初頭にジョン・アンダーソンとリック・ウェイクマンがグループを脱退。数週間後にトレヴァー・ホーンとジェフ・ダウンズが後任としてイエスに参加することになる。アルバム『ドラマ』では、これまでのプログレッシヴなイエスのスタイルは大きく変化し、ニューウェイヴの要素が取り入れられたという。ハウは1981年初頭にイエスが正式に解散するまで在籍していたが、グループは1年も経たないうちに再結成されたたものの、そこにはハウは含まれていなかったという。1981年1月初旬、ハウは元キング・クリムゾンやU.K.のベーシスト兼ヴォーカリストのジョン・ウェットンと共にA&R担当のジョン・カロドナーとゲフィン・レコードの呼びかけに応じてニューアルバムの曲作りに参加。やがて元エマーソン・レイク&パーマーのドラマーであるカール・パーマーと、ハウのイエス仲間でキーボード奏者のジェフ・ダウンズが加わり、新たなグループが誕生する。それがエイジアである。

スティーヴ・ハウ、ソロアルバム「ビギニングス」のジャケットスティーヴ・ハウ『ビギニングス』ソロアルバムスティーヴ・ハウ、ビギニングス、ギター奏者スティーヴ・ハウ「ビギニングス」期のギタリスト姿スティーヴ・ハウ:ギターとソロアルバム

 

スティーヴ・ハウ、ソロアルバム「Beginnings」を披露

 皆さんこんにちはそしてこんばんはです。今回はイエスの黄金期を支えただけではなく、ギターをこよなく愛するギタリストとしても有名なスティーヴ・ハウの初のソロアルバム『ビギニングス』を紹介しました。彼を初めて知ったのはやはりエイジアが最初で、当時は多くのギタリストの1人と考えていましたが、イエスやGTR、そしてソロアルバムを聴いてから、演奏技術だけではなく、ギターが持つ雰囲気、性格、感情、情景といった「曲が醸し出す味わい」を表現する素晴らしいミュージシャンとして敬愛しています。また、若い頃はギターが盗まれないように添い寝をしたり、自身でオリジナルのギターを制作したりと、何よりもギターに対する愛着がハンパないところに惹かれてしまい、たぶん、プログレッシヴロックシーンでは最も好きなギタリストの1人でもあります。彼は1960年代で14歳でプロのミュージシャンとなり、引く手数多のギタリストだったことで有名です。また、イエスに加入したハウは、作曲に貢献しただけではなく、アコースティックギターとエレクトリックギターを融合させた演奏で、イエスのサウンドと方向性を決定づけたといっても過言ではないです。解散後、エイジアやGTRを経て1990年以降に復帰しますが、2000年代以降は次々とリタイアしていくメンバーの中で、イエスのギタリストとして、そしてイエスの中心メンバーとして現在でも演奏を続けており、多くのファンやアーティストから称賛を受けています。

 さて、本アルバムですが、ロジャー・ディーンによる素晴らしいカヴァーのデザインに目が惹きつけられますが、やはりイエスのギタリストとして彼なりに並々ならぬこだわりが感じられる作品になっています。アコースティックギターやエレクトリックギター、その他にもスティールギターなど、多彩な弦楽器を演奏するスティーヴ・ハウの技巧的で多様性のある楽曲が散りばめられています。一方、イエスを彷彿とさせるようなプログレッシヴな楽曲はあまり無く、ハウ自身が幼少のころから影響を受けた音楽にスポットを当てたような感じがします。ハウのヴォーカルは決してお世辞にも上手とは言えませんが、アルバムに対する意気込みが感じられ、当初は「ひどいな~」と思っていた自分が受け入れられています。本アルバムを出した頃の彼は20代です。まるでちょうど少年から大人へと昇る過程を描いたような作品だと思っています。ギターのテクニックに行ってしまいがちなギタリストのソロアルバムが多い中、これだけ多様な曲想を散りばめたアルバムは早々無いと思います。

 本アルバムはスティーヴ・ハウがまだ20代でイエスのメンバーとして順調なキャリアを謳歌していた時期にリリースした初のソロアルバムです。彼の素晴らしいギターワークと、彼が全曲を自分で歌っている最後のアルバムをぜひ堪能してほしいです。

それではまたっ!
 

Northwind Distant Shores プログレ アルバムカバー

Northwind/Distant Shores
ノースウインド/遠い岸辺
2002年公開(1978年録音)

24年の時を越えて陽の目を見た
古典的な英国風プログレ

 1978年に録音したデモ曲が、2002年にヤン・ステプカのホームページ、2010年にBandcampで無料公開されたアメリカのプログレッシヴロックグループ、ノースウインドのサードアルバム。そのアルバムはサックスやクラリネットを模したウインドシンセサイザーをはじめ、多彩なキーボードやギターを駆使したユーモアにあふれたサウンドになっており、ジェネシスやイエス、ジェスロ・タルなどから影響を受けたような英国然としたプログレッシヴロックとなっている。1972年に録音した『ラスト・デイ・アット・ロクン』と1974年に録音した『ザ・ウッズ・オブ・ザントール』のデモ盤も合わせて公開されており、いずれも非リリースながらクオリティが高いものの、その中でも本アルバムが傑作と謳われている。

 ノースウインドは1968年にローランド・アーネスト(ギター、ヴォーカル、キーボード)とヤン・ステプカ(キーボード)を中心に、アメリカのミシガン州デトロイトで結成されたグループである。彼らは当初、ドラマーのスティーブ・ホワイトを加え、ザ・ビートルズやドアーズ、クリーム、ザ・ムーディー・ブルース、プロコル・ハルムといったグループの曲をカヴァーしていたという。しかし、1970年初頭から英国で勃興したキング・クリムゾンやエマーソン・レイク&パーマー、イエス、ジェネシスといったプログレッシヴロックの影響を受け、キーボード主体の音楽に傾倒している。1970年にはオリジナルのロックオペラ『ラスト・デイ・アット・ロクン』の制作を開始しており、1972年にデモアルバムを録音している。このアルバムはオークランド大学で2トラックのテープに録音され、6曲のデモとして1トラックにミックス。限定500枚のアナログレコードにプレスされている。しかし、1974年にドラマーのスティーブ・ホワイトがギタリストになるためにグループを脱退してしまい、代わりにトム・イアカボニが加入。トム、ローランド、ヤンの3人は、ローランドの家族が住む邸宅の地下室で、コレクターの間では世界的に有名なノースウィンドのデモアルバム『ザ・ウッズ・オブ・ザントール』を録音。そのアルバムは百枚程度のアナログレコードにプレスして、いくつかのレコード会社に送ったが残念ながら失敗している。ドラマーのトムは根っからのジャズドラマーだったこともあり、すぐに脱退、代わりにティム・ケイヒルがドラムスとパーカッションで参加。また、短期間、ボブ・パスコーがギターでノースウインドに貢献している。彼らはその後、主にクラブを中心に演奏し、特にカナダで評判を博したという。彼らはこの時期、生活費を稼ぐために主に他のロックグループのカヴァーを演奏していたり、アルバイトをしていたりしたらしい。1977年にはオリジナル曲に戻り、ローランドがギターを引き継ぎ、管楽器を模したウインドシンセサイザーを演奏するロブ・フォスターが加入。そして1978年に彼らはミシガン州スターリングハイツにあるローランド家の地下室で、本アルバム『Distant Shores』をレコーディングすることになる。

★曲目★
01.The Sentient Man(知覚能力のある男)
02.Stepping Softly(静かに歩く)
03.When Dreams Are Lost(夢を失ったとき)
04.Pretty Face ~You're Just Another~(プリティ・フェイス~あなたもただの1人~)
05.Silly Little Will(おバカなウィル)
06.Jamaica(ジャマイカ)
07.Where To Now?(次はどこへ?)
08.Just Yesterday(昨日のこと)
09.As It Stands(現状)
10.Distant Shores(遠い岸辺)

 アルバムには全10曲が収録されており、主に1977年頃にローランド・アーネストが作曲している。1曲目の『知覚能力のある男』は、イエスを彷彿とさせるキーボードワークとアーネストの情感的なヴォーカルを中心としたプログレッシヴな楽曲。メランコリックなオルガンのフレーズが心地よい内容だが、曲調が変化するなどユーモアのある構成になっている。2曲目の『静かに歩く』は、チェンバロ風のオルガンのリズムに乗せたヴォーカル曲。コミカルな雰囲気が漂うがメロウなコーラスやフルートやサックスに模したウインドシンセサイザー、そしてギターが加わり、次第に重厚なサウンドに昇華しているのが面白い。3曲目の『夢を失ったとき』は、ピアノとアコースティックギターによるバラード曲。グロッケンシュピールが素晴らしいアクセントになっており、後半の荘厳なオルガンとフルートによる美しいシンフォニックサウンドに繋げている。4曲目の『プリティ・フェイス~あなたもただの1人~』は、リリカルなオルガンとギターを中心としたポップソング。中盤からティム・ケイヒルのパワフルなドラミングが堪能できるなど、単なるメロウなポップに終わらせないところに好感が持てる。5曲目の『おバカなウィル』は、ウインドシンセサイザーによるサックスとコミカルなオルガンを中心としたキャッチーな楽曲。後半はサックスとオルガンとのジャム的なサウンドがあり、彼らのテクニカルな演奏が堪能できる。6曲目の『ジャマイカ』は、フルートやカリブ風のパーカッションが心地よいトロピカルなダンス曲。彼らのソングライティングとポップセンスの高さが垣間見える1曲である。7曲目の『次はどこへ?』は9分を越えるアルバムの中でも最長の曲であり、オルガンとフルートから始まり、アコースティックギターとシンセサイザーによる荘厳なサウンドに変化していく。3分過ぎから多彩なキーボードによるシンフォニックな要素とシアトリカルなヴォーカルとなり、まるでピーター・ガブリエル時代のジェネシスを彷彿とさせる。情感たっぷりのアーネストのヴォーカルも素晴らしく、夢想的な楽曲に合っているように思える。8曲目の『昨日のこと』は、地元ラジオ局のデトロイト周辺のグループの音楽を集めた『Home Grown』というコンピレーションアルバムに収録されたポップソング。ギターをメインとしたロック調の内容になっており、ヴォーカルハーモニーが大きな特徴になっている。9曲目の『現状』は、アコースティックギターとフルートのアンサンブルが美しいヴォーカル曲。1曲の中で巡るめく曲調の変化があるものの、シームレスに移行しているのが素晴らしい。10曲目の『遠い岸辺』は、テンションの高いサックスとオルガンのリフが印象的なプログレッシヴな楽曲。途中から荒々しい波の音をバックに寂し気なサックスの音色、そしてリリカルなオルガンの音が漂い、後に荘厳なシンフォニックサウンドに変化する。繊細なアコースティックギターとオルガンをバックにした憂いのあるヴォーカル曲となる。この曲のヴォーカルメロディは実に素晴らしく、最後は力強い演奏でクライマックスへと導いている。こうしてアルバムを聴いてみると、キーボードとギターを中心としたオーソドックスなプログレに聴こえるが、フルートやサックスを模したウインドシンセサイザーやグロッケンシュピールが良いアクセントとなっており、曲によって重厚さやポップさを表現している。長い曲があるものの決してダレることなく、彼らのソングライティングのレベルの高さがうかがい知れる。

 本アルバムに収録されている1曲『Just Yesterday』は、地元ラジオ局のデトロイト周辺のグループの音楽を集めた『Home Grown』というコンピレーションアルバムに収録されたという。これを機にローランドとグループのマネージャーであるロン・ゲディッシュはレコード契約の獲得に奔走したがことごとく失敗。その影響からドラマーのティム・ケイヒルが脱退し、代わりにハワード・ウェルズがリハーサルにドラムスとパーカッションとして参加したが、グループの維持が難しくなり、同年の1978年に解散することになる。結局、彼らが録音した3枚の作品はいずれも非リリースとなっている。解散後の彼らの動向は不明である。しかし、彼らが残したデモ盤はプログレッシヴロックファンのあいだで話題に上がり、高価なコレクターアイテムとなったのは言うまでもない。ノースウインドが注目されたのは2002年にキーボード奏者のヤン・ステプカが、自身のグループの音楽と記憶を永遠に残すためにホームページを作成したことである。ウェブ上には1972年に録音した『ラスト・デイ・アット・ロクン』と1974年に録音した『ザ・ウッズ・オブ・ザントール』、そして1978年に録音した本アルバム『遠い岸辺』のデモを合わせて公開している。2010年にはBandcampで無料ダウンロードができるようになっており、そのユーモアあふれるサウンドを聴くことができる。

Northwindのプログレバンド、3人のメンバー写真ノースウインド Distant Shores メンバー写真ノースウインドのライブ演奏、プログレロック

 

Northwind Distant Shores アルバムアート

 皆さんこんにちはそしてこんばんわです。今回は非リリースの作品が時を越えて陽の目を見たアメリカのプログレッシヴロックグループ、ノースウインドが1978年録音した『Distant Shores(遠い岸辺)』を紹介しました。これまでアルバムリリースがされないままグループが解散してしまい、数十年後にCD化されたという作品はありましたが、ダウンロード形式オンリーは初めてだと思います。もちろん、私自身も初めて聴いたグループであり作品でもありますが、1968年に結成されていることから意外と古いグループであることにびっくりです。さらに1972年と1974年にもデモアルバムが制作されており、もしもリリースされていたら数あるアメリカのプログレッシヴロックの作品の中でも草創期の部類に入るかも知れません。彼らが公式にアルバムリリースが出来なかった理由は、やはりマネジメント不足としか言いようが無く、たぶん、自宅の地下に録音スタジオがあったため、演奏して録音したことで満足してしまったのではないかと考えています。しかし、本アルバム『Distant Shores(遠い岸辺)』は出来栄えが良かったためか、実際にマネージャーを雇ってレコード会社にアタックしたものの、時すでに遅く、契約はことごとく失敗。1970年代末と言えばパンク/ニューウェーヴが席巻しており、単にプログレッシヴな音楽は時代遅れになったということでしょうね。2002年頃からノースウインドの音楽はヤン・ステプカの手によってウェブ上で陽の目を見ることになりますが、それまで彼らの残したデモ盤はコレクターの間で相当話題になっていたようで、中でも1974年に録音された『ザ・ウッズ・オブ・ザントール』は1枚数十万円は下らないと言われています。

 さて、そんな彼らが残した作品の中でも最高傑作と言われたのが、本アルバムの『Distant Shores(遠い岸辺)』です。このアルバムも枚数は不明ですが配布用としてアナログ盤をプレスしたようです。10曲が収録されており、内容はオルガンを中心としたキーボードとアコースティックやエレクトリックに持ち替えたギタープレイを中心とした楽曲になっていますが、サックスやフルートを模したウインドシンセサイザーを演奏するロブ・フォスターの参加が、単なるクラシカルなプログレにとどまらず、曲全体を味わい深いものにしています。短い曲はよりポップ性の高いキャッチーなサウンドになっており、一方の長い曲は多彩な楽器が渦巻くような曲調の変化のあるプログレッシヴなサウンドとなっているなど、彼らの音楽に対するスタンスが見て取れます。言葉を変えればアメリカのグループにしては、非常に英国的だな~というのが個人的な感想です。長い曲でオススメなのがイエスに影響されたような1曲目の『知覚能力のある男』やジェネシス的な曲展開とシアトリカルなヴォーカルを挿入した7曲目の『次はどこへ?』、そしてオルガンやサックスのリフを前面に出した10曲目の『遠い岸辺』といったプログレッシヴな楽曲ですが、個人的には美しいアンサンブルに昇華していく3曲目のバラード曲『夢を失ったとき』が好きです。どれも緩やかな流れの中でシームレスに曲調が変化しているところに、彼らの作曲とアレンジ力の高さがうかがえて非常に好感が持てます。本アルバムはインストパートが多いもののヴォーカル曲がメインになっており、ほとんどの曲にローランド・アーネストのヴォーカルが充てられています。彼の声はややメランコリック過ぎるところがあり、曲によっては好き嫌いがあるかも知れませんが、私は最後まで楽しめました。

 本アルバムは録音したもののリリースされずにお蔵入りとなりましたが、時を経てメンバーの手で陽の目を見た作品です。多彩なキーボードやギターによるオーソドックスなプログレに、サックスやフルートを模したウインドシンセサイザーを用いたユーモアあふれるサウンドをぜひ聴いてみてください。

それではまたっ!
 

ソフト・ヒープのアルバム:パスタとワイン

Soft Heap/Soft Heap
ソフト・ヒープ/ソフト・ヒープ
1979年リリース

プログレッシヴな感性を兼ねた
即興主体のカンタベリージャズロック

 エルトン・ディーン(サックス)、アラン・ガウエン(キーボード)、ヒュー・ホッパー(ベース)、ピップ・パイル(ドラムス)の4人によるカンタベリージャズロックグループ、ソフト・ヒープ名義のデビューアルバム。そのアルバムはフュージョンにならなかった1970年代のソフト・マシーンを継承するかのような即興主体のジャズロックとなっており、奔放なフリージャズを振る舞うだけではなく、凝ったアンサンブルや構成に力を入れているなど、プログレッシヴな感性が息づいた作風となっている。カンタベリーシーンの最後のスーパーグループと呼ばれた彼らが残した唯一の作品は、時代を越えた今でも愛され続けている。

 ソフト・ヒープは1977年の秋、Carla Bleyのツアー・グループで再び顔を合わせた元ソフト・マシーンのエルトン・ディーン(サックス)とヒュー・ホッパー(ベース)が、元ギルガメッシュのアラン・ガウエン(キーボード)と元ナショナル・ヘルスのピップ・パイル(ドラムス)を誘って1978年に結成したグループである。エルトン・ディーンは1969年から1972年までソフト・マシーンのメンバーとして活躍し、脱退後は自身のグループであるジャスト・アスを結成。1975年から1978年にかけては9人編成のグループ「Ni​​nesense」を率い、ブラックネル・ジャズ・フェスティバルなどのイベントで演奏している。彼はフリージャズのスタイルで活動するカルテットを考えており、最初に共にソフト・マシーンで共演したヒュー・ホッパーに声をかけている。ヒュー・ホッパーはソフト・マシーンを脱退後、ツトム・ヤマシタのイースト・ウィンド、アイソトープ、ギルガメッシュ、カーラ・ブレイ・バンドといったグループを歴任し、エルトン・ディーンとは自身のソロアルバムの『Cruel But Fair』や『Hopper Tunity Box』で共演している。ホッパーはディーンの誘いを快く受け、1977年3月にナショナル・ヘルスを脱退したキーボード奏者のアラン・ガウエンをディーンに紹介している。誘いを受けたガウエンは、今度は活動が停滞していたナショナル・ヘルスのドラマーであったピップ・パイルを誘ったという。こうしてエルトン・ディーン(サックス)、アラン・ガウエン(キーボード)、ヒュー・ホッパー(ベース)、ピップ・パイル(ドラムス)の4人が集結し、ソフト・マシーンの「ソフト」と4人のファーストネームを並べた「HEAP(ヒープ)」と合わせた、ソフト・ヒープというグループ名を1978年に結成する。彼らは1978年の春から夏にかけてツアーを行ったが、活動を開始したナショナル・ヘルスのため、ドラマーのピップ・パイルがツアーに参加することができず、代わりにデイヴ・シーンが参加。そのため、グループの名前はデイヴの「D」に差し替えたソフト・ヘッドに変更されている。ソフト・ヘッド名義のライヴアルバム『Rogue Element』は、1978年5月にフランスのブレス=シュル=グロスヌにあるChez Jacky『A L'Ouest de la Grosne』で行われたツアーで録音され、1978年にリリースされている。また、アラン・ガウエンは同年にヒュー・ホッパーを加えて、ギルガメッシュのセカンドアルバム『アナザー・ファイン・チューン・ユーヴ・ゴット・ミー・イントゥ』を録音している。彼らはソフト・ヒープで活動する傍ら、アルバム制作をはじめとする他のグループからの要請にも応え、激動ともいえる1970年代後半を駆け抜けている。1978年秋にディーン、ガウエン、ホッパー、そして復帰したパイルの4人はアルバム制作のために、ロンドンのパスウェイ・スタジオに集まり、レコーディングを開始。1978年末にソフト・ヒープ名義として初のアルバムがリリースされることになる。そのアルバムはソフト・マシーンを継承した即興主体のジャズロックとなっており、奔放な中にスリリングなロックらしいセンスを盛り込んだ傑作となっている。

★曲目★
01.Circle Line(サークル・ライン)
02.A.W.O.L.
03.Petit 3's(プティ・3’s)
04.Terra Nova(テラ・ノヴァ)
05.Fara(ファラ)
06.Short Hand(ショート・ハンド)

 アルバムの1曲目の『サークル・ライン』は、ホッパーが作曲したもので、彼のベースのハーモニクスから始まるイントロとディーンのパワフルかつロマンティックなサックスがリードした楽曲。ガウエンの煌びやかなエレクトリックピアノとシンセサイザーがからみつき、翳りのあるファンタジックな世界を創り上げている。2曲目の『A.W.O.L.』は10分近くある4人の共作であり、まるでキング・クリムゾンを彷彿とさせるベースやドラムス、サックスによるフリージャズのようなイントロから始まる楽曲。ホッパーの歪みを利かせたベースが攻撃的であり、サックスも応じるかのようにパワフルである。後半は妖しいガウエンのシンセサイザーが加わり、暗黒の世界を演出している。3曲目の『プティ・3’s』は、ガウエン作でディーンが持つロマンチシズムなサックスをガウエンらしいエレクトリックピアノでクロスオーヴァーで支えたバラード調の楽曲。メロディアスなサックスとエレピの音色をジャズ風のリズムセクションが支え、ムーディーな雰囲気を創り上げている。4曲目の『テラ・ノヴァ』は、ディーンとホッパーのユニゾンから始まり、そこにエレクトリックピアノが絡みジャズロックとなる。3分過ぎのガウエンのエレクトリックピアノはリターン・トゥ・フォーエヴァーのようであり、ファンキーさのあるリズムが心地よい。5曲目の『ファラ』は、トロンボーン奏者であるラドゥ・マルファッティとソフト・マシーンに在籍していたトランペット奏者のマーク・チャリングが参加したディーン作。寂しいメロディを持ったモダンジャズのようだが、なんともいえない黄昏感とユーモアがある。6曲目の『ショート・ハンド』は、ロールを交えたドラミングと変拍子のあるサックス、そしてエレクトリックピアノによるユニゾンが冴えたガウエン作。挑発的かつキュートなサックスと鬱憤を晴らすかのようなパイルの畳みかけるようなドラミングが素晴らしい。

 アルバムリリース後はライヴ活動を行っていたが、1979年から1980年にかけて音楽活動を休止したヒュー・ホッパーに代わって、ナショナル・ヘルス出身のジョン・グリープスが参加。また、アラン・ガウエンは同じく1979年から1980年にかけて、脱退したディヴ・スチュワートの代わりにナショナル・ヘルスに再加入している。しかし、ガウエンはこの頃から病気を患っており、リチャード・シンクレア(ベース、ギルガメッシュに短期間在籍)、フィル・ミラー(ギター、ナショナル・ヘルス所属) 、トレバー・トムキンス(ドラムス、ギルガメッシュ所属)と共にレコーディングした1981年のアルバム『Before a Word is Said』を最後に白血病で他界してしまう。その後、ガウエンの代わりとしてギタリストのマーク・ヒューインズが参加し、1981年のメンバーはジョン・グリーブス、エルトン・ディーン、ピップ・パイル、マーク・ヒューインズとなっている。グリープスとヒューインズは加入時にグループ名を変更する機会を与えられたが、アラン・ガウエンを尊重し、ソフト・ヒープのまま活動をすることを決意。その後、彼らは1980年代を通して断続的にツアーを行い、時にはフレッド・フリスやフィル・ミントンなどのゲストも参加したという。1980年代はアルバムこそリリースされなかったが、彼らはライヴ活動を続け、10年間で4回のツアーに乗り出し、合計25回のヨーロッパコンサートを行っている。また、1988年5月11日にはフランスのクタンスで開催されたフェスティバル「Jazz sous les pommiers」では、彼らのために特別に作られたサーカステントでライヴを開催。その模様はFR1ラジオで録音されライヴ放送されたという。本アルバムは日本のキングレコード傘下のセブン・シーズ・レコードが、1982年にいち早くレコードリリースしており、現在フランスや日本、ヨーロッパで相次いでCDリマスター化されている。

Soft Heapアルバムジャケット(写真とイラスト)Soft Heap アルバムジャケット: メンバーと曲リストソフト・ヒープ メンバーの笑顔と楽器ソフト・ヒープのメンバー4名ソフト・ヒープのメンバー写真 collage

 

ソフト・ヒープ、カンタベリージャズロックのイラスト

 皆さんこんにちはそしてこんばんわです。今回はカンタベリーシーンの最後のスーパーグループと言われているジャズロックグループ、ソフト・ヒープの唯一作を紹介しました。この作品はハットフィールド&ザ・ノースやギルガメッシュ、ナショナル・ヘルスを聴いた流れで行き着いたもので、他にもエルトン・ディーンやヒュー・ホッパー、キース・ティペット、ジョー・ギャリバンの『Cruel But Fair』や1980年代半ばにはピップ・パイルの『エキップ・アウト』やフィル・ミラーの『イン・カフーツ』といったグループの作品にも出会えています。他の多くのジャズグループが、ジャズを基盤にロック、ファンク、R&B、ラテン音楽などをミックスしたフュージョンを演奏しはじめたのに対して、カンタベリー出身のミュージシャンはあくまで即興主体を重視し、特にライヴツアーでステージ上で施行を経ながら楽曲を完成させるという方法論を取っています。このやり方はソフト・マシーンをはじめ、ハットフィールド&ザ・ノースやギルガメッシュ、ナショナル・ヘルスでも採用されており、無論、それらのグループを渡り歩いたミュージシャンが在籍するソフト・ヒープにも受け継がれています。ではソフト・ヒープは奔放なだけのフリージャズなのかと言うと決してそうではなく、凝ったアンサンブルや構築性のあるサウンドといった工夫があり、カンタベリーらしいユーモアとプログレッシヴロック的な作風を随所に見せています。そういう意味では非常に英国的なジャズロックともいえます。

 さて、実際の本アルバムはカンタベリーの名ミュージシャンが参加しているものの、はっきり言ってしまえば地味で、彼らの関わってきた素晴らしい作品の数々と比較すると平凡に感じてしまうかも知れません。それでも1曲目からのエレクトリックピアノやシンセサイザーとサックスによる幻想世界は、リターン・トゥ・フォーエヴァー、またはウェザー・リポートを彷彿とさせ、ホッパーのファズベースは相変わらず存在感があり、いつもより派手さを抑えたかのようなパイルのドラミングは、他のメンバーの演奏を引き立てているように感じます。彼らの創り出すジャズロックは聴きやすい商業主義的なフュージョンとは違い、1960年代から培われた英国的な陰りとカンタベリーの残り香のような感じがしてしまいます。1970年代末に散り行く古いプログレッシヴロックと似ている点があるからこそ、多くの人が今でも彼らの残した作品が愛おしいと思えるのだと思います。

 エルトン・ディーンをはじめ、アラン・ガウエン、ヒュー・ホッパー、ピップ・パイルの4人は、すでに鬼籍に入っております。個人的に何度か聴いてみましたが、彼らのひた向きな音楽に感動すら覚えます。

それではまたっ!
 

 

 

Nektar Recycled アルバムジャケットNekter/Recycled
ネクター/リサイクルド
1975年リリース

型破りなシンフォニックサウンドに
目覚めたネクターの歴史的な名盤

 英国出身ながらドイツを拠点に活動をするプログレッシヴロックグループ、ネクターの6枚目のスタジオアルバム。そのアルバムはこれまでのハードなギターとハモンドオルガンを中心とした英国的ロックスタイルから、ポリフォニックなシンセサイザーやピアノを活用し、本来持っていたサイケデリック&スペーシーなセンスを見事に融合した目の覚めるようなシンフォニック・プログレとなっている。さらにパーカッションやギター、キーボードを型破りに組み合わせることでSF的な雰囲気を醸し出しており、彼らの最高傑作であると同時にプログレッシヴロックの金字塔ともいえる作品となっている。

 ネクターは1969年にドイツのハンブルグで英国人であるドラマーのロン・ハウデンとベーシストのデレク・ムーアを中心に結成されたグループである。2人は英国アーティストの欧州ツアーに追随するミュージシャンだったが、フランスで偶然出会ったことで親交を深め、遠征先のドイツに留まってグループ結成に動いたのが始まりである。当時の多くの英国ミュージシャンは、ヨーロッパ各地を拠点とする活動が盛んであり、特にザ・ビートルズがハンブルグで一時期活動していたこともあって、ドイツのハンブルグは人気のツアー遠征先であり拠点であったといわれている。そこに同じくツアーなどで遠征し、ハンブルグに留まった英国ミュージシャンである元レインボウズのロイ・オルブライトン(ギター、ヴォーカル)、英国のセッションミュージシャンだったアラン・フリーマン(キーボード)が加わり、1969年にネクターを結成することになる。さらに彼らはサイケデリックなモチーフのセットに優れたライトショーと取り入れた新たなライヴステージを実現するために、照明や効果全般を担当するミック・ブロケットとキース・ウォルターズをメンバーとして加入させている。グループメンバーの3分の1が演奏に関与していないというのは非常に珍しいことである。結成後に行ったその派手なライヴステージが話題となり、1971年にドイツのベラフォン傘下のバチルスレコードと契約し、デビューアルバムとなる『ジャーニー・トゥ・ザ・センター・オブ・ザ・アイ』をリリースする。そのアルバムはヒプノシスが手掛けたザ・グレイテスト・ショウ・オン・アースの1970年のアルバム『ホライゾンズ』を彷彿とさせる大きな目にメンバーが写り込んだジャケットとなっており、世界の核戦争勃発が近い地球を離れたロケットが、宇宙の中に見えた巨大な目の中に飛び込んでいくといったSF的なコンセプトに基づいた独特なサウンドになっている。彼らのサイケデリックな音楽性と照明効果が伴ったライヴステージは評判となり、1972年3月から4月までにかけて、イギリスのジャズロックグループであるイフと共に英国ツアーを実現して大成功を収めている。

 ハンブルグに戻った彼らはスタジオに入り、次のアルバムに向けたレコーディングを開始。プロデューサーにバチルスレコードの創始者であるピーター・ハウク、エンジニアにはドイツの多くのロックグループを手掛けたディーター・ディークスが担当したセカンドアルバム『ア・タブ・イン・ジ・オーシャン』が1972年11月にリリースされる。そのアルバムはドイツ国内だけではなく英国でも高く評価され、ネクターは一躍有名となり、これに乗じた彼らは1973年にサードアルバム『サウンズ・ライク・ジス』をリリース。2枚組となったこのアルバムは、よりインプロゼーションパートを拡大した後の大作主義の基盤となった作品となっている。この時に照明効果を担当していたキース・ウォルターズは脱退していたが、派手なライヴステージは健在であり、多くのファンを増やしている。同年にはアメリカの市場を意識した4枚目のアルバム『リメンバー・ザ・フューチャー』をリリースし、目の不自由な少年と青い鳥の物語をコンセプトに、そのストーリー性のあるメロディックなサウンドが功を成し、アメリカのビルボードのアルバムチャート19位にランクインする快挙を成すことになる。1974年の初期の集大成となったライヴアルバム『サンディ・ナイト・アット・ザ・ロンドン・ラウンドハウス』を経て、同年に5枚目のスタジオアルバム『ダウン・トゥ・アース』がリリースされる。そのアルバムはサーカスをテーマにしたコンセプト作となっており、こちらも好調なセールスを記録し、アルバムチャートのトップ40にランクインしている。そして彼らは1975年7月から約1か月間、フランスのル・シャトー・デルーヴィルやロンドンのエアスタジオに入り、次のアルバムに向けたレコーディングを開始している。レコーディングにはオーケストラ・モーグ・アレンジメントやシンセサイザー奏者、エンジニアのラリー・ファストやイングリッシュ・コラールの指揮者であるロバート・ハウズが参加した6枚目となるアルバム『リサイクルズ』が1975年10月にリリースされる。そのアルバムはグループメンバーの環境問題への懸念をテーマとしたコンセプト作となっており、シンセサイザーを駆使したシンフォニックロックの傑作となっている。

★曲目★
「PartⅠ」
01.Recycle(リサイクル)
02.Cybernetic Consumption(サイバネティック・コンサンプション)
03.Recycle Countdown(リサイクル・カウントダウン)
04.Automaton Horrorscope(オートメーション・ホロスコープ)
05.Recycling(リサイクリング)
06.Flight To Reality(フライト・トゥ・リアリティ)
07.Unendless Imagination?(アンエンドレス・イマジネーション?)
「PartⅡ」
08.São Paulo Sunrise(サンパウロ・サンライズ)
09.Costa Del Sol(コスタ・デル・ソル)
10.Marvellous Moses(マーヴェラス・モーゼス)
11.It's All Over(イッツ・オール・オーヴァー)

 本アルバムは1曲目から7曲目をパートⅠ、8曲目から11曲目をパートⅡとして収録している。それぞれ環境問題への懸念をテーマとしたコンセプト作となっており、曲がシームレスに繋がっているのが特徴である。パートⅠはリサイクルエネルギーだけが残された悪夢のような未来を描いており、パートⅡは人々によって手つかずの自然が破壊されるという現代的な懸念を描いている。

「パートⅠ」
 アルバムの1曲目の『リサイクル』は、ティンパニの響きとギターのカッティング、そしてスペイシーなシンセサイザーに彩られシンフォニックロック。ロイ・オルブライトンのハイトーンのヴォーカルは、どこかイエスのジョン・アンダーソンを思わせ、力強いドラミングと共に高揚感あふれる内容になっている。2曲目の『サイバネティック・コンサンプション』は機械的で不協和音的なシンセ・パーカッションとギターリフ、そこから突き抜けるようなメロディアスなキーボードを中心としたインスト曲。非常にハイテンポ、ハイテンションな演奏になっており、エレクトリック調でありながら意外とシンフォニックな要素が散りばめられている。3曲目の『リサイクル・カウントダウン』は、ヴォーカルを中心とした1曲目のサウンドに回帰しており、より重厚さのある内容になっている。4曲目の『オートメーション・ホロスコープ』は、ボコーダーを利用したスペイシーなサウンドから始まり、リズミカルなドラミングとハードなギターリフによる力強い楽曲。中盤から煌びやかなシンセサイザーの音色とヘヴィなギターをバックにしたヴォーカルパートとなり、ファンキーさのある内容になっている。5曲目の『リサイクリング』は、アコースティックギターとピアノから始まるヴォーカルパートから、オーケストラ・モーグによるシンフォニックロックに変化する楽曲。まるでヘヴィさとクラシカルが1曲の中に同居したような内容になっている。6曲目の『フライト・トゥ・リアリティ』は、トッド・ラングレンのユートピアを彷彿とさせるスペイシーなシンセサイザーとヴォーカルが印象的な楽曲。続く7曲目の『アンエンドレス・イマジネーション?』は、朗々としたテンションのシンセサイザーとギターリフ、そしてコーラス隊が登場する一大シンフォニックロックとなっている。最後は爆発音となり、その後は星がまたたくかのような演出となっている。

「パートⅡ」
 8曲目の『サンパウロ・サンライズ』はまるで鐘の音から、トロピカル風のリズムとラテン風のギターによるまさに南国をイメージしたようなファンキーな楽曲。この活気ある曲は汚染された街の太陽の光が消え去ったことを皮肉った内容でもある。9曲目の『コスタ・デル・ソル』は、コーラス隊による荘厳な歌から始まり、その後はピアノやファンキーなギターカッティングによるラテンジャズを意識したようなヴォーカル曲となっている。コーラス隊との入り方も見事で、多彩なジャンルが交錯した不思議な楽曲になっている。10曲目の『マーヴェラス・モーゼス』は、ファンキーな要素の強い楽曲だが、オルブライトンのギターがより力強く、キーボードパートではオルガンとギターがより存在感を増している。高揚感を生み出すリズムセクションも素晴らしい。11曲目の『イッツ・オール・オーヴァー』は、アコースティカルなギターとピアノをバックにオルブライトンの情感的なヴォーカルから始まり、やがて美しいシンセサイザーによるシンフォニックサウンドに変化する楽曲。そのメロディックな豊かさとエモーショナルな情景描写は、かのムーディー・ブルースを彷彿とさせる。こうしてアルバムを通して聴いてみると、全体として素晴らしくテンポの速い組曲と言っても過言ではないと思える。環境問題への懸念をテーマにしているが、作曲とテーマ構築に細心の注意を払った非常に力強い作品である。

 本アルバムは彼らのサイケデリック性とスペイシーな感性を融合したシンフォニックな作品となっており、彼らの最高傑作と呼び声高い。1976年にはギタリスト兼ヴォーカリストのロイ・オルブライトンが脱退し、代わりにディヴ・ネルソンが加入。1977年に7枚目のアルバムである『マジック・イズ・ア・チャイルド』をリリースしたが、次の年の1978年にグループは突然解散している。理由は定かではないが、中心メンバーだったロイ・オルブライトンを欠いたのが大きかったのだろう。1978年にはアラン・フリーマンの呼びかけでロイ・オルブライトンが復帰し、新たなベーシストにカーマイン・ロハスとドラマーのデイヴ・プラターを加えて再編成し、1980年に『マン・イン・ザ・ムーン』をリリースする。しかし、すでにパンク/ニューウェイヴの台頭でプログレッシヴロックは終焉を迎えつつあったことでグループの存在意義が無くなり、再び解散することになる。それから20年以上経った2001年にロイ・オルブライトン、アラン・フリーマン、新ドラマーにレイ・ハードウィックを加えた3人編成による新生ネクターが再結成され、21年ぶりにアルバム『ザ・プロディジカル・ソン』がリリースされる。翌年にはベーシストのデレク・ムーア、ドラマーのロン・ハウデンが復帰し、初期のラインナップが集結したことで多くのファンが歓喜。後にメンバーチェンジを繰り返しながら、2013年までライヴ盤を含むアルバムを10枚以上リリースするなど精力的に活動を続けていたが、中心メンバーであったロイ・オルブライトンが2016年7月27日に死去。グループはロイの死によって一時解散をしたが、2019年にベーシストのデレク・ムーア、ドラマーのロン・ハウデンといった創設メンバーによって活動を存続。しかし、2023年9月29日、ロン・ハウデンは長年癌を含む数々の健康問題に悩まされた後、78歳で死去。また、ネクターの元キーボード奏者であったアラン・フリーマンも2021年8月22日に76歳で亡くなっている。現在はデレク・ムーアを中心にアメリカを拠点とするネクターと、2017年のオーディションで加入したアレクサンダー・ホフマイスターを中心にドイツを拠点とするニューネクターと分かれて活動している。

Nektar Recycled アルバムジャケットネクター リサイクルド ジャケット アートワークNektar 6th Album Recycled credits and designネクター リサイクルド メンバー写真

 

Nektar Recycled アルバムジャケットとアニメキャラ

 皆さんこんにちはそしてこんばんわです。今回は怒涛ともいうべき壮大でドラマティックなシンフォニックサウンドを披露したネクターの6枚目のアルバム『リサイクルド』を紹介しました。ネクターのアルバムはセカンドアルバムの『ア・タブ・イン・ジ・オーシャン』に次いで2枚目の紹介となります。ネクターは英国人アーティストながらドイツを拠点に活躍したグループで、初期のサウンドはハードロック調のロイ・オルブライトンのギターリフやアラン・フリーマンの饒舌なハモンドオルガンを中心としたサイケデリック性の強いサウンドでした。ハードロックの枠組みで変化する流れは、各パートの演奏面から見てもイエスの『サードアルバム』やディープ・パープルの『イン・ロック』を意識しており、初期のハードでサイケなサウンドとヘルムート・ヴェンスケによって描かれた怪奇SF的なジャケットアートと共に彼らのひとつの美学となっていました。そんな彼らがサイケデリックロックからプログレッシヴロックと変化し、さらにシンフォニックロックに進化したのが本アルバム『リサイクルド』と言っても過言ではないです。

 さて、本アルバムはメンバーの環境問題への懸念をテーマとしたコンセプトアルバムになっています。現在は1~11曲に分かれていますが、本来、アルバムには1~7曲目をまとめた「Part One」と8~11曲目をまとめた「Part Two」というタイトルの2曲となっています。「Part One」はリサイクルエネルギーだけが残された悪夢のような未来を描いており、「Part Two」は、人々によって手つかずの自然が破壊されるという、より現代的な懸念を描いているそうで、彼らのSF的なセンスが息づいた作品ともいえます。そんな作品が壮大なシンフォニックロックとなったのは、ゲストとして参加したラリー・ファスト抜きでは語れません。ラリー・ファストは本アルバムでオーケストラ・モーグ・アレンジメントやシンセサイザー奏者、そしてエンジニアを兼ねており、メインのキーボード奏者であるアラン・フリーマンを完全に食った演奏を披露しています。もうひとつ、このアルバムは「ポリフォニック」モーグサウンドをフィーチャーした最初のアルバムの1つとも呼ばれています。アルバムのシンフォニックなスケール感の大部分はラリーによってもたらされ、さらにイングリッシュ・コラールという合唱団の指揮者であるロバート・ハウズとタッグを組んだことで、よりシンフォニック度を高めている感じがします。そういう意味では彼らが本来持っていたサイケデリック&スペイシーなセンスを呼び覚まし、ラリーの手による全く新たな感性のシンフォニックロックに仕上げた作品になっていると思います。パート2はロイ・オルブライトンのギターセンスとリズムセクションが爆発した内容になっていて、ファンキーですがとても魅力的なサウンドになっています。

 ポリフォニックなシンセサイザーとヘヴィなギターリフを中心とした非常にテンションの高い楽曲ばかりとなっていますが、時折、ネクターらしいロマンティックな曲も見え隠れします。本アルバムのことをシンフォニックなジェントル・ジャイアントと呼ぶ方もいますが、その枠にすら当てはまらないほど独特なサウンドになっていると思います。

それではまたっ!
 

 

 

フェルマータ「ワスカラン」アルバムジャケット 演奏風景

Fermáta/Huascaran
フェルマータ/組曲「ワスカラン」
1978年リリース

荘厳なクラシックの手法を取り入れた
テクニカル系プログレッシヴロックの名盤

 21世紀になっても活動を続けている旧チェコスロバキアの名グループ、フェルマータが1978年にリリースしたサードアルバム。そのアルバムはペルーの最高峰、ワスカラン登頂に挑むチェコ山岳隊の物語をモチーフとしたコンセプトアルバムとなっており、ダイナミックなリズムセクションと荘厳なシンセサイザーをフィーチャーした技巧的なジャズロックとなっている。さらにピアノやチェロといった楽器も効果的に使っており、クラシックの技法を織り交ぜたグループの最高傑作でもある。テクニカルな疾走感とリリカルな歌を配し、ドラマチックな流れのある1曲目の『ワスカランⅠ』は、東欧プログレッシヴジャズ屈指の名曲として知られている。

 フェルマータは1972年に旧チェコスロバキア(現スロバキア)のブラティスラバで、ギタリストのフランティシェク・グリグラクとキーボード奏者のトマーシュ・ベルコによって結成されたグループである。フランティシェク・グリグラクは1960年代後半、デジョ・ウルシニー率いるスロバキアのビッグビートグループ、ザ・ソウルメンに影響を受け、学校の友人と共にインサイド・オブ・ファイアを結成し、ジミ・ヘンドリックスやキンクスなどのカヴァー曲を演奏していたという。彼はこの頃からオリジナル曲を書き始めており、そのデモがスロバキア人ギタリスト兼シンガーのパヴォル・ハメルが注目。ハメルは当時17歳のグリグラクをプルディの1971年のアルバム『パヴォル・ハメル・ア・プルディ』で演奏するよう招き入れたという。これが彼にとって初めて公式にリリースされた音源であり、プロとしてのキャリアの始まりとなっている。グリグラクは1971年初頭、コレギウム・ムジクムのギタリストであったラスティスラフ・ヴァチョが脱退したため、グループのリーダーであるマリアン・ヴァルガから声をかけられている。元々はパヴォル・ハメルに声をかけたが断られたため、ハメルがヴァルガにグリグラフを紹介したという。グリグラクはオーディションを受けて見事合格し、コレギウム・ムジクムのメンバーとして活動。さらに彼はライヴ演奏中にいくつかの曲を仕上げ、それらは後に1971年のダブルLP『コンヴェルゲンツィエ』の収録曲となっている。彼は1972年までコレギウム・ムジクムのメンバーとしてツアーを続けていたが、ヴァルガに脇に追いやられたことで、自分の作曲した曲を演奏してもらいたいという欲求が満たされなくなったという。彼はグループから離れ、パヴォル・ハメルが在籍したグループ、プルディのキーボード奏者であったトマーシュ・ベルコと組み、1972年にジャズロックグループのフェルマータを結成。その後、ベーシストにラコ・ルチェニッチとドラマーのパヴォル・コズマが加入し、4人編成で活動を開始することになる。

 彼らはグリグラクが作曲した曲を元にリハーサルを行い、ブラティスラヴァ近郊の大小のクラブで演奏。彼らが演奏するインストゥルメンタル・ジャズロックのブランドは国内でも人気が高く、共産主義政権からは良くて承認、悪く言えば黙認され、1974年に国営の官僚レーベルであるOpusと契約することになる。彼らはファーストアルバムのレコーディングの時点で、ギブソンやフェンダー、リッケンバッカーといった高品質な西洋楽器に加え、メロトロンとモーグを除くあらゆるキーボードを所有していたという。これは、国境封鎖体制の監視下にあったロックグループとしては異例である。レコーディング時にベーシストにアントン・ヤロ、ドラマーにピーター・サプーに交代し、レコーディングスーパーバイザーにイーゴリ・ボハチェクを迎えたデビューアルバム『フェルマータ』を1975年にリリース。そのアルバムはギターとキーボードによるスリリングな展開、そして変拍子を多用したテクニカルなジャズロックとなっており、マハヴィシュヌ・オーケストラを彷彿とさせる高品質な作品となっている。彼らは数ヵ月かけて国内でツアーを行い、その後、次のアルバムの制作に動き始めたが、ドラマーのピーター・サプーが脱退し、代わりにシリル・ゼレニャクが加入。この頃からアルバム毎にリズムセクションのメンバーが頻繁に交代するようになる。こうしてレコーディング時にはヴァイオリン奏者のミラン・テドラがゲストとして参加し、1977年にセカンドアルバム『尾根からの歌』をリリースする。こちらも前作の流れを踏襲しつつ、ヴァイオリンを加えたアンサンブルを重視したクオリティの高い内容となっている。グリグラクは次のアルバムで、1970年に発生したペルーのワスカラン山を震源地とする大地震をテーマとするアルバムを考案。その山にはスロバキアの登山家グループが関与しており、作品は彼らへのトリビュートとしているという。再度メンバーチェンジがあり、ベーシストにラディスラフ・ルチェニッチ、ドラマーにキャロル・オラーが加入。そしてゲストとしてヴォーカルにキャロル・オラーの弟であるピーター・オラー、チェリストにデジダー・ピトが参加。こうしてコンセプト作となったサードアルバム『組曲「ワスカラン」』が1978年にリリースする。

【曲目】
01.Huascaran I(ワスカランⅠ)
02.80,000
03.Solidarity(結束)
04.Huascaran II(ワスカランⅡ)

 アルバムの1曲目の『ワスカランⅠ』は、13分を越える大曲となっており、大きく4つのパートに分かれた内容になっている。宇宙的なシンセサイザーの音色と煌びやかなエレクトリックピアノの響きからリズムセクションが加わり、重厚なジャズフュージョンに変化する楽曲。複数のキーボードが空間的な広がりを感じさせつつ、5分過ぎから物憂げなピアノとヴァイオリンによるシンフォニックな展開となる。8分過ぎにはピーター・オラーのヴォーカルと美しいシンセサイザーをバックに、グリグラクのヤン・アッカーマンを思わせるメロウなギターソロとなる。最後は激しいドラミングとベース、そしてヘヴィなギターによるテクニカルなジャズロックとなって締めている。2曲目の『80,000』は、ワスカラン山を震源地とする災害の犠牲者の数を表している。最初はキーボードのコードプレイによる鎮魂歌から始まり、その後はリズムセクションとギター、キーボードによるインタープレイとなっており、リターン・トゥー・フォーエヴァーのアルバム『ロマンティック・ウォリアー』を彷彿とさせる。6分経つとアグレッシヴなギターが鳴り始め、うねるベースと激しく鳴り響くドラミングが素晴らしい。3曲目の『結束』は、煌びやかなエレクトリックピアノとメロウなギター、そしてタイトなリズムセクションによるジャズフュージョン。この曲のメロディの基盤は非常にカラフルで、単調な構成ですら一瞬たりとも飽きさせない。全体的に高揚感のある楽曲になっており、メンバー同士の連帯感や一体感が垣間見れる逸品。4曲目の『ワスカランⅡ』は、11分を越える大曲でメカニカルなキャロル・オラーのドラミングと存在感のあるラディスラフ・ルチェニッチのベースをバックに、超絶技巧ともいえるグリグラクのギターが冴えまくった楽曲。その後はギターの代わりに鳴り響くトマーシュ・ベルコの激しいキーボードとなり、5分過ぎには分厚いベースと軽やかなドラミング、そしてキーボードによる落ち着きのあるサウンドとなる。最後は心臓の鼓動と鳥のさえずりのような効果音が響き渡りながらフェードアウトしている。こうしてアルバムを通して聴いてみると、リターン・トゥー・フォーエヴァーを意識したであろう曲構成とアレンジやジョン・マクラフリンを思わせるギタープレイがあり、全体的にテクニカルで高揚感のあるメロディアスなジャズフュージョンになっている。1970年のペルー地震の悲劇をテーマにしているもののサウンド自体は明るく、さらにギターやキーボード、リズムセクションなどの音色が空間を満たしているところが東欧ジャズフュージョンの傑作と呼ばれる所以なのだろう。

 アルバムは国内で高く評価されただけではなく、ヨーロッパ各国でも注目され、東欧ジャズロック屈指の傑作となる。その後、ベーシストはコレギウム・ムジクムに所属していたフェドル・フレショに代わり、4枚目となるスタジオアルバム『組曲「ドナウ川伝説」』を1980年にリリース。そのアルバムはより洗練されたプログレッシヴ・ジャズロックの秀作にふさわしい作品になっている。1981年には5枚目のアルバム『ジェネレーション』、6枚目のアルバム『ビエラ・プラネータ = 白い惑星』を立て続けにリリースするが、1984年のアルバム『Ad Libitum(自由に)』では、これまでのジャズロックとは違い、シンセサイザーロックへと変貌していくことになる。その後、創設者の1人であったキーボード奏者のトマーシュ・ベルコが脱退。グループはしばらくの間、活動休止に追い込まれることになる。1991年にグリグラクはベーシストにマリウス・バルトン、ドラマーにインドリヒ・G・プランカ、キーボード奏者にマーティン・ハンゼルというメンバーで新生フェルマータを結成。8枚目となるアルバム『Simile...』をリリースし、その後は定期的にメンバーを替えながら2000年代でも活動を続けている。最新のアルバムは2025年の『バックステージ』であり、ギタリストのフランティシェク・グリグラクの健在ぶりをアピールしているほか、キーボード奏者のトマーシュ・ベルコが演奏に参加している。なお、グリグラクは2010年にコレギウム・ムジクムを再結成し、ライヴアルバム『スピーク、メモリー』をレコーディングしており、 2018年にはゴパス・アリーナで行われたプルディ追悼コンサートでパヴォル・ハンメルと共演している。

FERMATA組曲ワスカラン アルバムジャケットフェルマータHuáscaránのバンドメンバー写真フェルマータ「ワスカラン」ライブ写真フェルマータ、ワスカラン組曲のメンバー

 

フェルマータ Huascaran アルバムジャケット

 皆さんこんにちはそしてこんばんわです。今回は東欧最高のジャズ&プログレッシヴロックグループと呼ばれているフェルマータのサードアルバム『組曲「ワスカラン」』を紹介しました。フェルマータは東側諸国で最初に起こったビッグビートブームから現れ、ブルー・エフェクトやコレギウム・ムジクムなど、当時の他のチェコスロバキアのインストゥルメンタル系のジャズロックグループやプログレッシヴロックの類似点を持ったグループです。当時、彼らは西側のロックミュージックの制限を行っていた共産政権からある意味、黙認されるほど優れたグループと認識されていました。その中でもギタリスト兼作曲家のフランティシェク・グリグラクは、プルディやコレギウム・ムジクムを歴任したこともあり、現在スロバキアの英雄的なミュージシャンとなっているそうです。そんなフェルマータの最高傑作としてふさわしい本作品は、1970年にペルーで発生した悲惨な地震をテーマにしたコンセプトアルバムになっています。アルバムタイトルは震源地となった山の名前に由来しており、2曲目のタイトルの『80,000』は、この災害による犠牲者の数を表しています。当時、彼らの国(現在のスロバキア)の登山家グループがその山に登っていたこともあり、本アルバムは彼らへのトリビュートとして制作されたものといえます。そのような大作を実現するため、ギタリストとキーボード奏者以外をすべて交代させていますが、チェロ奏者やヴォーカリストを加えたこれまで最も多い6人編成で臨んでいます。また、グリグラクがギターだけではなく、ピアノやシンセサイザーを演奏しているのもポイントです。

 さて、本アルバムですが、ギターやキーボード、リズムセクションを中心としたテクニカルなジャズロックとなっていますが、シンセサイザーを活用したスペースロックの高揚感やシンフォニックの手法を巧く取り入れた重厚でプログレッシヴなサウンドになっているのが特徴です。実際、彼らの音楽はよくスペインのイセベルグやオランダのフィンチと比較されますが、やはりマハヴィシュヌ・オーケストラのダイナミクスな力強さとディ・メオラ時代のリターン・トゥ・フォーエヴァーの回帰が感じられます。宇宙的なシンセサイザーの装飾音と、浮遊感のあるエレクトリックピアノの旋律が美しく調和し、インタープレイを中心とした楽曲はあるものの、しっかりとアンサンブルを重視しているところに好感が持てます。ワスカラン山で発生した地震災害の悲劇と再生をテーマにしていますが、破壊と力、そして結束といった概念を様々な色彩とムードで喚起し、効果的な音楽的アイデアと緻密な演奏によって見事に表現されていると思います。最後の曲である『ワスカランⅡ』では、最後の鳥のさえずりなど様々なモチーフの連続的なつながりがあり、まるで明らかに人間と自然の和解を暗示しているようです。

 本アルバムはフェルマータの最高傑作であり、東欧プログレッシヴ&ジャズロック屈指の傑作でもあります。ぜひ、この機会に聴いてみてください。

それではまたっ!