Todd Rundgren's Utopia/Same
トッド・ラングレンズ・ユートピア/ファースト
1974年リリース
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トリプルキーボードを駆使した
未来的なテクニカル・ポップ
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アメリカのミュージシャン兼プロデューサーとして名高いトッド・ラングレン率いるプログレッシヴロックグループ、ユートピアのデビューアルバム。そのアルバムは前半の3曲がライヴ録音、後半の大作がスタジオ録音といった構成になっており、テンション高めのアナログシンセサイザーやハモンドオルガンといったトリプルキーボードを駆使したポップでメロディアス、そして技巧さもあるアメリカらしいプログレサウンドになっている。トッド自身はエレクトリックギターとヴォーカルを担当しており、彼のソングライティングの能力や演奏技術の高さを改めて認識することになるキーボードロックの名盤でもある。なお、本アルバムはビルボード200で最高34位を記録している。
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トッド・ラングレン(トッド・ハリー・ラングレン)は、1948年6月22日にアメリカのペンシルベニア州南東部フィラデルフィアで生まれたミュージシャンである。彼の両親はスウェーデン系移民の血を引く父親とオーストリア系(ドイツ系)移民の血を引く母親を持ち、比較的に裕福な家庭で育ったという。そんなトッドが17歳の時に、フィラデルフィアを中心とするポール・バターフィールド・ブルースバンドの影響を受けたウッディーズ・トラックストップというグループを出発点に、1967年にベーシストのカーソン・ヴァン・オステン、ドラマーのトム・ムーニー、ヴォーカル兼キーボードのロバート・アントニと共にナッズを結成。このグループで『Open My Eyes』や『Hello, It's Me』といった曲を発表して注目されることになる。この頃のトッドはイギリスのロック(ローリング・ストーンズやザ・ビートルズ、ザ・フー、ヤードバーズ、ザ・ムーヴなど)をはじめ、アメリカのベンチャーズやビーチ・ボーイズ、そしてローラ・ニーロなどのミュージシャンから音楽的に影響を受けたという。他にもギルバート・オサリバンやR&Bのギャンブル&ハフ、デルフォニックス、オージェイズなどの名も挙がっている。この間にナッズとして1968年に『ナッズ』、1969年に『ナッズ・セカンド』、1971年に『ナッズ・サード』と3枚のアルバムを発表したが、2枚目のアルバムでトッドとカーソンの2人が脱退したため解散。21歳のトッドは一時的にコンピュータープログラマーとして働くことを考えたが、ニューヨークへ渡り、ボブ・ディランやジャニス・ジョプリンのマネージャーとして知られるアルバート・グロスマンに拾われ、レコーディング・エンジニアとしてスタジオワークをこなしていくようになる。グロスマンは、同名のテープ会社との合弁事業であるアンペックス・レコードを設立したばかりで、ウッドストック近郊にベアーズビル・スタジオを建設している。しかし、1970年にジャニス・ジョプリンのアルバム『パール』のプロデューサーとして起用されるが、ジャニスと衝突して降板。そんなトッドだったが、その年の9月には初のソロアルバム『ラント』をアンペックス・レコードよりリリースしており、翌年の6月にはソロ第2作の『ラント:ザ・バラッド・オブ・トッド・ラングレン』をリリースしている。そして1972年には初の2枚組アルバムである『サムシング・エニシング』を発表し、同アルバムからシングル『I Saw the Light(瞳の中の愛)』が全米16位まで上昇。さらに1973年後半にリリースされたシングル『Hello It's Me』は5位に達したという。これによってローリングストーン誌の「史上最高のアルバム500枚」リストで『サムシング・エニシング』が173位にランクインしている。
これを機にトッドはニューヨークに自身のためのスタジオを新築。同年3月に4枚目のソロアルバム『A Wizard, a True Star(未来から来たトッド)』をリリースし、これまでのストレートなポップソングからプログレッシヴなサウンドに劇的に変化したという。トッドはアルバム発売後の数週間でグランド・ファンク・レイルロードのアルバム『ウィー・アー・アン・アメリカン・バンド』とニューヨーク・ドールズのセルフタイトルのデビュー・アルバムの2枚をプロデュースしている。前者のアルバムは全米チャートで2位を獲得し、同名のシングルは全米1位になる。そして後者はパンクロックの先駆けとなった作品として著名である。トッドは1973年に自身のソロアルバムに参加してくれたメンバーを集めたグループ、ユートピア・マークⅠを結成。最初のメンバーはトッド・ラングレン(ギター、ヴォーカル)以外に、ハント・セールス(ドラムス)、トニー・フォックス・セールス(ベース)、デイヴィッド・メイソン(キーボード)、ジャン=イヴ・ラバット(キーボード、ギター)で構成されていたという。このメンバーでトッドは野心的なステージショーを考えており、ツアーは4月に始まったたものの、残念ながらわずか数週間で中止となったという。その後、トッドはユートピアの改良版の構想を練り始めたが、シンセサイザーを多用した2枚組のアルバム『トッド』を録音し、1974年2月にリリースしている。そんな中、リズムセクションを担当していたセールス兄弟が脱退してしまったが、トッドはセッションミュージシャンのケビン・エルマン(ドラムス)とジョン・シーグラー(ベース)のフュージョンジャズの感性に注目したという。さらにトッドはデイヴィッド・メイソンとジャン=イヴ・ラバットの代わりに、ムーギー・クリングマン(キーボード)とラルフ・シュケット(キーボード)と迎え、彼らをユートピアの新しいメンバーとして選んでいる。トッドはポップ志向のロックからプログレッシヴロックへと音楽スタイルを広げることを決意し、3人のキーボーディストを含む6人編成のグループとしてライヴ活動を行っている。本アルバムのほとんどはスタジオで録音されたものの、オープニングトラックの『ユートピア・テーマ』は、1974年4月25日のコンサート(フォックス・シアター)のライヴ録音である。こうして1974年10月4日にトッド・ラングレンズ・ユートピア名義でデビューアルバムがリリースされることになる。
★曲目★
01.Utopia(ユートピア・テーマ)
02.Freak Parade(フリーク・パレード)
03.Freedom Fighters(自由の戦士たち)
04.The Ikon(アイコン)
アルバムの1曲目の『ユートピア・テーマ』は14分を越える大曲であり、1974年4月25日のジョージア州アトランタにあるフォックス・シアターで行われたコンサートでのライヴ録音。未来志向のシンセサイザーを多用し、ヘヴィなギター、そしてジャズロック風のリズムセクションで構成された高密度のアンサンブルとなっている。トッドの経歴を思わせるポップでメロディアスなサウンドになっているが、全体的にサイケデリックでスペイシーなハードロックといった感じである。2曲目の『フリーク・パレード』も10分を越える大曲であり、フランク・ザッパを彷彿とさせるジャズテイストの強い楽曲。変化に富んだサウンドが特徴で、キャッチーなベースリフとセンセーショナルなモーグシンセサイザーによるブレイク、壮大なシンセサイザーサウンドに続き、そして終盤のスウィンギーなリズムとピアノなど、数々の素晴らしい音楽的アイデアが盛り込まれている。3曲目の『自由の戦士たち』は、トッド・ラングレン特有のヴォーカルハーモニーとキャッチーなリズム、そして情熱的なギターによるプログッシヴポップ。AORやレゲエの要素があるポップソングで、本アルバムの中で最も親しみやすい曲になっている。4曲目の『アイコン』は30分を越える大曲。センセーショナルなモーグやクラビネット、ピアノのキーボードワークによる変化に富んだ展開、ブレイクと加速、そしてトッド・ラングレンのインスピレーションあふれる情熱的で鋭いギターソロが盛り込まれている。6人編成のグループのメンバー全員がスポットライトを浴びるようなスリリングなジャムセッションがあり、エマーソン・レイク&パーマー風のリターン・トゥ・フォーエヴァーを思わせる部分もあれば、リック・ウェイクマン時代のイエスを思わせる部分もあり、いくつかの英国プログレを彷彿とさせる要素がある。それでも無駄な部分や冗長な部分は一切なく、プログレッシヴロックの傑作といえる1曲となっている。
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本アルバムは批評家の反応は賛否両論だったものの、ビルボード200で最高34位を記録している。1975年10月にはグループ初の完全ライヴアルバム『アナザーライヴ』をリリース。このアルバムには後にグループの主力メンバーとなるロジャー・パウエル(キーボード、プログラマー)とウィリー・ウィルコックス(ドラムス)が参加した初のアルバムであり、一方、キーボード奏者のラルフ・シュケットとムーギー・クリングマンが参加した最後のアルバムとなったという。ドラマーだったケビン・エルマンは家族経営のレストラン「ビーフステーキ・チャーリーズ」の営むためにグループを脱退している。1975年10月9日にユートピアはロンドンのハマースミス・オデオンで初のイギリス公演を行っている。メンバーはトッド・ラングレン、ジョン・シーグラー、ロジャー・パウエル、ウィリー・ウィルコックスという小規模な編成で、バックコーラスは後にソウルスターとなるルーサー・ヴァンドロスとアンソニー・ヒントンが務めたという。この時にグループ名をユートピアと短くしている。その後、4人は1976年にディスコ・アレンジのスタートレックのテーマ曲やオリジナル曲を収録したインストゥルメンタル・アルバム『ディスコ・ジェッツ』を録音。さらに4人は同年にトッド・ラングレンのソロアルバム『フェイスフル』も参加し、初来日を果たしている。1977年にはサードアルバム『太陽神』をリリースするが、4枚目のアルバムからポップ化指向がさらに進んだという。音楽性を変えながら1986年まで活動したが、1984年の『Oblivion』と1985年の『POV』のアルバムをリリースしたPassportレーベルが倒産。過去3枚の作品からの楽曲と新たに録音された2曲を収録したコンピレーションアルバム『Trivia』をリリースした後、ユートピアは解散することになる。1992年に一時的に再結成を果たし、来日公演が実現。この模様を収めたライヴアルバム『Redux '92:Live in Japan』をリリースしている。その後もメンバーと繋がりはあるものの再結成はかなわなかったが、2011年1月29日と30日に1974年時代のユートピア・マークIIのメンバー(トッド・ラングレン、ムーギー・クリングマン、ラルフ・シュケット、ジョン・シーグラー、ケビン・エルマン)がニューヨーク市のハイライン・ボールルームで2夜連続で再結成ライヴを行うために集結。その理由は、公演の収益をムーギー・クリングマンの癌治療費に充てるためである。10か月後の2011年11月に、1975年以来初めて「トッド・ラングレンズ・ユートピア」としてライヴツアーを行っている。メンバーはラングレンの他にクリングマン、シュケット、シーグラー、エルマン、グレス、サルトンという顔ぶれだったが、残念ながらクリングマンは2011年11月15日に死去している。ラルフ・シュケットも2021年4月7日に73歳で死去しているが、その後もメンバーを替えながらライヴを続けているという。
皆さんこんにちはそしてこんばんわです。今回はスタジオですら楽器にしてしまう音の魔術師、トッド・ラングレンが率いるプログレッシヴロックグループ、ユートピアのデビューアルバムを紹介しました。トッド・ラングレンといえば未知の音楽領域へと進み始め、エレクトロニックミュージックやプログレッシヴロックだけでなく、ミュージックビデオ、コンピュータ・ソフトウェア、インターネット音楽配信においても先駆者となったミュージシャンとして著名です。また、彼は敏腕プロデューサーであり、ギタリストとしての腕前も素晴らしいのですが、私個人としてはユートピアのメンバー共々、何度も来日して公演を行うほどの親日のミュージシャンであることも付け加えておきたいです。彼はかのザ・ビートルズのメンバーとの接点が多くあったことから、当時に関わったミュージシャンとの音楽エピソードは数知れませんが、成功も失敗も彼なりにしっかりと音楽に反映しているのが面白いです。トッドは大ヒットしたシングル『I Saw the Light(瞳の中の愛)』が、キャロル・キングの男性版と揶揄されたことに不快感を示したそうです。彼は当時さまざまな幻覚剤を試しており、その曲が収録しているアルバム『サムシング・エニシング』の大部分が定型的で怠惰から生まれたものだと考え、次は「より折衷的でより実験的な」アルバムを作ろうとしたといいます。次の1973年のアルバム『A Wizard, a True Star(未来から来たトッド)』の中で、トッドは「あと1年待てば、ユートピアはここにある」という歌詞を歌っており、自身のグループであるユートピアの結成に繋げています。元々、グループの最初の活動は野心的で派手なステージショーの下で演奏するライヴ中心だったそうです。それがライヴ曲を含めたデビューアルバムの構成や2枚目で完全ライヴアルバムをリリースするという、トッド・ラングレンが狙うユートピアのスタンスが垣間見えます。
さて、そんなユートピアのデビューアルバムですが、はっきり言って3台のキーボードとギター、そしてリズムセクションという楽器で魅せた音の魔術師トッド・ラングレンの神髄ともいえる作品です。トータルアルバムの時間がA面で28分40秒、B面で30分26秒というレコードフォーマットの限界を越えた作品でもあり、アルバム全体の折衷的な勢いとエネルギーが凝縮されており、ソロ演奏も優れています。キース・エマーソンやリック・ウェイクマン的なキーボードフレーズがありますが、クラシックをベースとしたシンフォニックテイストははっきり言って無いに等しく、どちらかというとジャズロックをベースに、そこにサイケデリアやファンク、ディスコ、レゲエ、カントリーといった要素を加味しているところがあります。技巧的でありながら非常にメロディアスであり、こういった親しみやすい曲作りはヒット曲を多く生みだしてきたトッドらしいといえます。そう考えると本アルバムはプログレッシヴロックやフュージョンといったジャンルだけではなく、トッド・ラングレンのキャリアにおいて、極めて独特といえる位置にあると思います。
本アルバムはユートピアがこのスタイルからあっという間に離れて、ありきたりなパワーポップグループになってしまう前のプログレッシヴな感性が息づいた作品になっています。ぜひ、彼のミュージシャン兼プロデューサーとしての有り余る感性と天才ぶりを聴き取ってほしいです。
それではまたっ!
































































