古今東西プログレレビュー垂れ流し

古今東西プログレレビュー垂れ流し

ロック(プログレ)を愛して止まない大バカ…もとい、音楽が日々の生活の糧となっているおっさんです。名盤からマニアックなアルバムまでチョイスして紹介!

SAGAのアルバム「Images at Twilight」ジャケット

Saga/Images At Twilight
サーガ/黄昏のイメージ
1979年リリース

キーボード主体の明朗で躍動感にあふれた
ドラマティック・プログレハードの傑作

 現在もメンバーを替えながら活動を続けているカナダのプログレッシヴハードグループ、サーガのセカンドアルバム。そのアルバムはサーガの発展において重要な楽器となるボコーダーキーボードが導入されており、曲にメリハリがついているほか、さらにメロディアスでドラマティックになったアメリカンプログレハードに近い内容になっている。本アルバムはカナダで初めてチャート入りを果たし、シングル『It's Time』がカナダのチャートで最高84位を記録。さらに他国のラジオでも頻繁に流れるなど、サーガの知名度が飛躍的にアップした記念碑的な作品でもある。また、収録曲の『You're Not Alone』はライヴの定番曲として有名である。

 サーガは1977年にカナダのオンタリオ州オークビルで、ソングライターであるジム・クライトン(ベース、キーボード)を中心に結成されたグループである。他のメンバーはピーター・レイション(キーボード)、スティーヴ・ネガス(ドラムス)であり、数か月後にジム・クライトンの弟であるイアン・クライトン(ギター)が加入したことで、最初はPockets(ポケッツ)というグループ名で活動を開始している。彼らはトロント近郊のバーを回りながらツアーを行っていたが、ちょうど地元のロックグループのトラックを脱退し、フリーになっていたウェールズ生まれのマイケル・サドラー(ヴォーカル、キーボード)をフロントマンとして迎え入れて5人編成となり、この時にグループ名をサーガと改めている。サドラーのヴォーカルスタイルは、彼らの革新的でありながらも折衷的なサウンドと見事に融合したという。間もなく彼らはメイズ・レコードの目に留まり、すぐにレコード契約を結んでいる。トロントのフェーズ・ワン・スタジオでポール・グロスによってレコーディングされたセルフタイトルのデビューアルバムは、1978年にリリースされ、そのタイトで洗練されたアプローチが瞬く間に絶賛されたという。シングル『How Long』はカナダのチャートでは振るわなかったものの、イギリスとドイツのラジオでコンスタントに放送され、海外では『Humble Stance』がヒットチャートを賑わせたと言われている。最終的にデビューアルバムはカナダではまずまずの成功を収め、ドイツでは輸入盤として3万枚以上を売り上げたという。こうした中、キーボード奏者のピーター・レイションがグループを離れることになり、代わりにグレッグ・チャッドが加入。この時にチャッドはムーヴシンセサイザーと合わせて、「機械的な」音を合成するエフェクターのボコーダーという電子楽器を導入している。こうして前作同様にプロデューサーはポール・グロスが担当し、1979年5月にセカンドアルバムである『黄昏のイメージ』がリリースされる。そのアルバムは前作よりもハードエッジなギターとプログレッシヴなキーボードのリズムが融合したメロディアスでドラマティックさが増したサウンドになっており、サーガの知名度が一躍広がった記念碑的な作品になっている。

【曲目】
01.It's Time ~Chapter Three~(イッツ・タイム~チャプター・スリー~)
02.See Them Smile(シー・ゼム・スマイル)
03.Slow Motion(スロー・モーション)
04.You're Not Alone(ユーアー・ノット・アローン)
05.Take It Or Leave It(テイク・イット・オア・リーヴ・イット)
06.Images ~Chapter One~(イメージズ~チャプター・ワン~)
07.Hot To Cold(ホット・トゥ・コールド)
08.Mouse In A Maze(マウス・イン・ア・メイズ)

 アルバムの1曲目の『イッツ・タイム~チャプター・スリー~』は、シンセサイザーによる心地よいメロディとクールなギターソロが特徴的な楽曲。ニューウェーヴとハードポップの中間的なサウンドになっているが、マイケル・サドラーのパワフルながらも情感的なヴォーカルは素晴らしく、近未来的なイメージを想像させてくれる。2曲目の『シー・ゼム・スマイル』は、軽快なシンセサイザーの音色とタイトなリズムセクション、そしてメロウなギターリフによるハードポップ。新たに導入した電子楽器のボコーダーが使用されており、ちょっとしたエレクトロニックな感覚がある。3曲目の『スロー・モーション』は、愛嬌のあるシンセサイザー音とポップなヴォーカルが特徴の楽曲。ニューウェーヴ的な要素が強いが、後半ではストリングスシンセサイザーを用いたシンフォニックな展開が待っている。4曲目の『ユーアー・ノット・アローン』は、前曲とは対照的に力強いメロディを持った変化に富んだロックナンバー。ラテンの要素がありつつも中盤ではプログレッシヴ性のある展開があり、曲構成やアレンジの妙が見受けられる。この曲は後のライヴの定番曲となっている。5曲目の『テイク・イット・オア・リーヴ・イット』は、ベース音が強調されたシンセサイザーポップ。商業的ともいえるキャッチーなメロディで覆われており、非常に躍動感のあるサウンドになっている。6曲目の『イメージズ~チャプター・ワン~』は、美しいピアノの序曲で彩られた夢心地で叙事詩的なバラード曲。調和のとれたキーボードとギターは、プログレッシヴに装飾されたセミシンフォニックともいえる。7曲目の『ホット・トゥ・コールド』は、TOTOの流れを汲んだエネルギッシュなディスコ系ロックナンバー。ギターリフを強調したドラマティックな展開は、1980年代のネオプログレッシヴグループを予感させるサウンドである。8曲目の『マウス・イン・ア・メイズ』は、美しいキーボードの音色をはじめ、スタッカート調の楽器編成、そしてヴォーカルメロディが冴えたネオプログレのサウンドである。後のダークなトーンのキーボードや攻撃的なギターリフなどもあり、次世代を見据えた素晴らしいハードポップといえる。こうしてアルバムを通して聴いてみると、キャッチーなヴォーカルとコーラス、メロウなギター、そして躍動感あふれるキーボードを中心としたダイナミックなポップといえる。プログレッシヴな要素は少ないものの、『イメージズ~チャプター・ワン~』のような彼らのプログレッシヴなルーツを真に体現したサウンドがあるなど侮れない。

 本アルバムは再び批評家から好評を博し、収録曲の『It's Time』と『See Them Smile』はトロント周辺ではラジオで頻繁に放送されたという。アルバムの売り上げも前作同様に上々であり、シングルの『It's Time』はカナダのチャートで最高84位を記録している。リリース直後にキーボード奏者のグレッグ・チャッドが脱退し、代わりに英国スコットランド出身のジム・ギルモアが加入し、新たなメンバーで3枚目のアルバム『Silent Knight』を1980年にリリースし、『Don't Be Late』と『Careful Where You Step』がシングルカットされ、彼らの国際的な成功をさらに推し進めたという。そして1981年には4枚目のアルバム『Worlds Apart』がリリースされ、シングル『On the Loose』はトップ40内に入り、1982年1月にカナダのチャートで最高22位にまで上り詰めている。この時、サーガは「今年最も有望なグループ」としてジュノー賞を受賞している。また、1982年12月にはアメリカでもブレイクを果たし、1983年2月のビルボードチャートで最高26位に達したという。彼らは1982年にジェスロ・タルの北米ツアーのオープニングアクトを務めたこともあり、さらに人気を押し上げ、最終的にアルバムは1983年のアメリカでゴールドディスクに認定されている。1983年にリリースされた5枚目のアルバム『Heads or Tales』もまた成功を収め、1985年の6枚目のアルバム『Behaviour』でもシングルがチャートインする活躍を見せている。しかし、以前のようなヒットは見込めず、1986年にドラマーのスティーヴ・ネガスとキーボード奏者のジム・ギルモアは、マネジメント上の懸念からグループを脱退し、すぐにギルモア=ネガス・プロジェクト(GNP)という新しいプロジェクトを結成することを決定。1988年に彼らは唯一のアルバム『セーフティ・ゾーン』をリリースしている。一方、残ったサーガはマイケル・サドラーとクライトン兄弟に加え、セッション・ミュージシャンを加わてレコーディングとツアーを続けたという。1987年にリリースされた『Wildest Dreams』は、新レーベルのアトランティック・レコードからリリースされ、シングル『Only Time Will Tell』はゴールドディスクを獲得したが、彼らの復帰が真に評価されたのは、やはりヨーロッパであったという。1989年のアルバム『The Beginner's Guide to Throwing Shapes』は、以前のヨーロッパでの人気に再び焦点を当て、SF寄りのポップ要素を少し加えた初期のプログレッシヴスタイルに戻っている。1992年には脱退したスティーヴ・ネガスとジム・ギルモアが復帰。1993年に次のアルバム『The Security of Illusion』がリリースされ、カナダとヨーロッパのサーガファンに好評を博したという。その後もソングライターであるジム・クライトンとマイケル・サドラーは全てのアルバムに参加し、メンバーチェンジがありながらもコンスタントにアルバムをリリースしている。2007年1月16日にレコードレーベルであるInsideOutは、リードシンガーのマイケル・サドラーが個人的な理由により、2007年末でサガを脱退すると発表。また、同年の2007年10月、ドラマーのブライアン・ドーナーが心臓発作を起こし、その後は回復したもののツアーの予定をこなすためにキム・ミッチェル・バンドのクリス・サザーランドが務めたという。サーガはグループの活動継続のため、リードヴォーカルのオーディションを行い、大西洋とカリブ海諸国から20人以上の候補者がデモを提出。ロブ・モラッティが、新しいリードヴォーカリストとして加入し、2009年にアルバム『The Human Condition』をリリースしている。2011年1月28日にマイケル・サドラーがサーガのリードシンガーとして復帰し、2012年7月6日にサーガの20枚目のスタジオアルバム『20/20』がリリースされている。最近では2021年3月12日にアコースティックアルバム『Symmetry』をリリースしており、現在でもレコーディングやビデオクリップの作成など精力的に活動をしているという。

サーガ アルバム『黄昏のイメージ』ジャケットSaga Images at Twilight アルバムジャケットサーガ、黄昏のイメージ、5人組バンドサーガ黄昏のイメージバンド写真

 

SAGA 黄昏のイメージ アルバムジャケット

 皆さんこんにちはそしてこんばんはです。そして新年明けましておめでとうございます。今年もよろしくお願いいたします。というわけで今回はラッシュとはまた違ったスタイルでカナダのロックシーンを盛り上げた、サーガのセカンドアルバム『黄昏のイメージ』を紹介しました。4枚目のアルバム『Worlds Apart(邦題:パラレル・ワールド)』が、世界的にヒットしたので、このアルバムだけは知っている方も多いのではないでしょうか。サーガは2000年代まで多くのアルバムをリリースしており、その人気はアメリカやヨーロッパに轟き、40年以上のキャリアを持つカナダのベテラングループに位置していますが、なぜか日本ではあまりヒットせず、知名度もイマイチなグループでもあります。その理由の1つとして1979年に日本でもポリドールからレコードがリリースされていますが、その後、日本での再発はおろかCD化もされておらず、プログレマニアやアメリカンハード好き以外は、あまり知られることが無かったからだと考えられます。それでもハードエッジなギターサウンドとプログレッシヴなキーボードのリズムが融合したサウンドは素晴らしく、聴いてみると非常に明朗でメロディアスなハードポップになっていると思います。ちなみに初期の3枚のアルバムがプログレハードとして、現在でも高く評価されているようです。

 さて、本アルバムですが、プログレッシヴな傾向を取り入れながら、シンセポップともいえるキャッチーでメロディアスなサウンドを強めた作品に仕上げています。これは彼らが後の10年を見据えて、プログレッシブな要素を残しつつ、ポップスと融合した独自のプログレと言っても過言ではなく、1980年代の彼らのアルバムは賛否両論を得ながらも、このスタイルを続けていくことになります。そういう意味では本アルバムは時代にうまく迎合したシンセサイザーによるポップサウンドになっており、これを皮切りにカナダ国内はもとより、アメリカやヨーロッパで人気となっていきます。聴き方によってはチープなサウンドに聴こえてしまう可能性もありますが、複数のシンセサイザーを巧みに使い、躍動感あふれるダイナミックさとドラマティックな展開は、やはりプログレッシヴのルーツを持ったグループであると感じます。特に6曲目の抒情性と幻想性のあるプログレッシヴな展開が素晴らしい『イメージズ~チャプター・ワン~』や8曲目のダークなトーンのキーボードと攻撃的なギターリフのあるハードエッジな『マウス・イン・ア・メイズ』は個人的にお気に入りです。彼らのサウンドはどちらかと言うとアメリカンプログレ、またはプログレハードに近いです。非常にキャッチーな楽曲が散りばめられているので、ぜひ一度聴いてみてほしいです。

それではまたっ!
 

 

 

ルオヴォ・ディ・コロムボ 卵 アルバムジャケット

L'Uovo Di Colombo/L'Uovo Di Colombo
ルオヴォ・ディ・コロムボ/ファースト
1973年リリース

軽やかで疾走感のある
テクニカル系キーボードロック

 日本語で「コロンブスの卵」というグループ名を持つイタリアのプログレッシヴロックグループ、ルオヴォ・ディ・コロムボのデビューアルバム。そのアルバムはエンツォ・ヴォルピーニによる縦横無尽なハモンドオルガンやシンセサイザー、ピアノを中心に、シャープでテクニカルなリズムセクションとのコンビネーションによる荒々しいキーボードロックとなっており、ジャズ、クラシック、ハードロックなど多彩なジャンルを網羅した傑作となっている。1枚のアルバムを残して解散してしまうが、元々FLEAで演奏していたギタリストのエリオ・ヴォルピーニはエトナに復帰し、ドラマーのルジェロ・ステファニーはサマディへ、ヴォーカリストのトニ・ジョンタはゴブリンの前身グループであるチェリーファイヴに加入するなど、それぞれがイタリアの重要グループを渡り歩くことになる。

 ルオヴォ・ディ・コロムボは1970年代初頭に、イタリアの音楽シーンですでに活躍していた4人のミュージシャンによって結成されたグループである。メンバーは元ザ・フォークス(後のレアーレ・アカデミア・ムジカ)のメンバーだったエンツォ・ヴォルピーニ(キーボード)とルジェロ・ステファニー(ドラムス)、そして元Flea(Flea On The Honey)で演奏していたエンツォの弟であるエリオ・ヴォルピーニ(ギター、ベース)、そしてトニ・ジョンタという芸名で歌手をしていたトニー・タルタリーニである。彼らはかつて在籍していたグループの解散をきっかけに、ビート音楽からの脱却とプログレッシヴな音楽を目指すために、既成概念にとらわれない発想とアイデアの重要性を説いた「コロンブスの卵」をグループ名にしている。彼らは当時最も将来有望なグループの1つとして頭角を現し、数々のフェスティバルやコンサートでライヴパフォーマンスを披露している。中でも1973年3月10日にローマのパラスポルトで行われたディープ・パープルのコンサートであり、3度のオープニングアクトを依頼されている。また、同年にはアラン・ソレンティやマウロ・ペロシなどといった多くのアーティストと共に、ヴィテルボ・ポップ・フェスティバルにも参加している。そんな彼らに多くのレコード会社が接近し、最終的にEMI傘下のコロムビアレコードと契約。曲はエンツォ・ヴォルピーニが作成し、他のメンバーがその曲を元に編曲、作詞を行い、すぐにローマにある名門レコーディングスタジオのフォーラムスタジオでアルバムの録音を開始している。プロデューサー兼エンジニアはフランコ・パトリニャーニが担当し、1973年にデビューアルバムがリリースされる。そのアルバムは攻撃的とも言えるエンツォ・ヴォルピーニのキーボードを中心に、タイトで鋭いドラミングやベースとのコンビネーションが素晴らしいイタリアンロックの傑作となっている。

★曲目★
01.L'Indecisione ~Vedi ''I King''~(ためらい)
02.Io(私)
03.Anja ~Coscienza E Vanità~(アンジャ)
04.Vox Dei(神々)
05.Turba(動揺)
06.Consiglio(示唆)
07.Visione Della Morte(死への恐怖)
08.Scherzo(冗談)

 アルバムの1曲目の『ためらい』は、冒頭から脈打つクラシカルなオルガンとドラムから始まり、その後にヘヴィなピアノやシンセサイザーに入れ替わる変幻自在なキーボードが特徴の楽曲。エネルギッシュなキーボードの連打がアルバムの主軸となっていることが明らかであり、力強いリズムセクションに加えてギターも巧みである。2曲目の『私』は、アグレッシヴなオルガンを基調としたブリティッシュ・ブルースロック風の楽曲。その上でトニ・ジョンタは典型的なイタリアのプログレッシヴスタイルのヴォーカルに徹しており、後半のクールで控えめなベースソロも素晴らしい。3曲目の『アンジャ』は、美しいハーモニウムのようなオルガンの響きとトニの透き通るようなヴォーカルが加わったシンフォニックな楽曲。中盤にはシンセストリングスが加わり、より厚みのあるサウンドパレットを表現している。4曲目の『神々』は、力強いベースとドラムが主張を強めたオルガン中心のプログレッシヴロック。90秒という長めのヘヴィなイントロの後、オルガンプレイに移行してコーラスを湛えたトニのヴォーカルとなる。後半は非常にパワフルな演奏となり、エリオ・ヴォルピーニのベースは常に動き続け、重厚なサウンドに躍動感を与えている。5曲目の『動揺』は、安定したドラミング上で力強いオルガンとベース、そしてギターが冴えたハードロック。最初はエリオのギターとエンツォのシンセサイザーが交互にソロを奏でており、その後はハープシコードのようなエレクトリックピアノと変わり、後半ではパワフルなギターソロが展開されている。6曲目の『示唆』は、ユーライア・ヒープを思わせる重厚なオルガンとパワフルなヴォーカル、そしてヘヴィなギターが特徴のバラード曲。重厚なギターがトニのメロディラインを担い、ブルージーな雰囲気の中でテクニカルなジャズエッセンスが光った内容になっている。7曲目の『死への恐怖』は、フォーク調のスチール弦アコースティックギターをバックにしたヴォーカルから始まる楽曲。ハープシコードやハンマーダルシマーのような楽器が加わり、その後、メンバー全員が複雑なアレンジで歌い上げている。そして奇妙なフェイドアウトが起こった後に1分ほどのドラムソロが展開し、最後には流麗なエンツォのピアノソロとなり、フルートを交えたシンフォニック調の内容で終えている。8曲目の『冗談』は24秒の短い曲であり、テープの逆回転を用いた編集マスタリング上でのかわいいジョークを収録したものである。こうしてアルバムを通して聴いてみると、メンバーがすでにいくつものグループで在籍してきた経歴から、演奏レベルが非常に高く、安定度は半端ない。アグレッシヴなキーボードプレイに注目しがちだが、エリオ・ヴォルピーニの躍動感あふれるベースラインやルジェロ・ステファニーのテクニカルなドラミングが素晴らしく、安定したリズムセクションがあってこそ、ブルースやジャズ、クラシック、ハードロックなど多彩なジャンルが演奏できたのだろうと思える。

 アルバムは高く評価され、アルバムに収録している『ためらい/動揺』の曲をシングルとして同年にリリースしている。しかし、品質の良いアルバムであったにも関わらず、オデオンとコロムビアのレーベルでリリースしたEMIはまったくサポートしなかったという。アルバムの評価とは裏腹に売り上げにほとんど結びつかなかったことにメンバーは落胆し、1973年にナポリで開催されたアヴァンギャルド&ニュー・テンデンシーズ・フェスティバルにも参加できなかったという。このフェスティバルには彼らも招待されたものの、「技術的な理由」で参加できなかったと言われている。これらが原因となり、グループは同年末に解散することになる。解散後、ギタリストのエリオ・ヴォルピーニは、かつてのFleaに復帰し、メンバー編成後にエトナというテクニカル系ジャズロックグループを結成している。ドラマーのルジェロ・ステファニーは、シンフォニックとジャズの要素を融合させたスーパーグループ、サマディに参加。その後はメディテラネオやアルンニ・デル・ソーレというグループを渡り歩き、最後はセッションミュージシャンとして活躍したという。ヴォーカルのトニ・ジョンタはトニー・タルタリーニの本名に戻り、ゴブリンの前身グループであるチェリーファイヴに参加。その後はストラダペルタというグループに参加した後、1986年にアントネッラ・アイエシとのデュオでシングルを1枚残している。キーボード奏者のエンツォ・ヴォルピー二は、歌手のクラウディオ・ロリのアルバムに参加し、1980年代以降は作曲家として活躍している。解散後のメンバーはそれぞれの道に進んでいたが、2020年頃にギタリストのエリオ・ヴォルピーニが動き始める。彼は2024年にリリース予定のニューアルバム『Schiavi del tempo 』に向けて、新たなラインナップの新生ルオヴォ・ディ・コロムボを再結成したという。メンバーはヴォルピーニに加え、ステファノ・ヴィカレッリ(キーボード)、サブリナ・スクリヴァ(ベース)、ルクレツィオ・デ・セタ(ドラムス)が参加。アルバムには『L'Uovo di Colombo 』から3曲、 Fleaの『Topi o uomini 』から1曲、 そしてエトナの1975年のアルバムから3曲に加え、主にジャズロック調の新曲3曲が収録されているという。

ルオヴォ・ディ・コロムボ アルバムジャケットL'Uovo Di Colombo アルバムジャケット 写真ルオヴォ・ディ・コロムボ メンバーのライブ写真ルオヴォ・ディ・コロムボの卵ジャケット

 皆さんこんにちはそしてこんばんわです。今回はまるでエマーソン・レイク&パーマーに迫るような攻撃的なキーボードロックを披露したイタリアのプログレッシヴロックグループ、ルオヴォ・ディ・コロムボのデビューアルバムを紹介しました。このアルバムは1989年にいち早く日本のキングレコードが「ヨーロピアン・ロック・コレクション」の一環としてCD化していたので、プログレファンにとっては知っている方も多いのではないでしょうか。かく言う私はキングレコードのCD盤は当時高かったため、メロウレコードの輸入盤で手に入れたものです。もう20年以上昔の話です。最近ではビニールマジックなどからリリースされた再発レコードが多く、逆にCD盤が貴重になりつつあるそうです。私は紙ジャケCDにシフトしてからレコード盤は一切買わなくなりましたが、やっぱり需要があるんですかね。それから話は変わりますが、この記事を書いていた時、2024年にルオヴォ・ディ・コロムボが再結成されて、さらに最新アルバムがリリースされていたことを初めて知りました。エリオ・ヴォルピーニも70歳を越えていると思われますが、未だに音楽活動をしていることに驚きとともに少しだけうれしくなってしまいました。いつまでも元気で活動をしてほしいなと願うばかりです。

 さて、本アルバムですが、メンバーがすでにいくつものグループを渡り歩いた腕利きのミュージシャンであることから、演奏レベルは申し分が無いほどテクニカルです。英国のエマーソン・レイク&パーマーを彷彿とさせるアグレッシヴなキーボードプレイが素晴らしく、連打するようなオルガンやピアノでジャズ的なアプローチをする一方で、ストリングスシンセサイザーを用いたシンフォニックな展開があったりと、多彩なキーボードを変化させた変幻自在なサウンドは驚くばかりです。そこに自己主張するようなベースと手数の多いドラミングが下支えしていて、妙なコンビネーションと言うか調和が保たれているのが面白いです。イタリアらしいハイテンションな作品とも言えますが、土着的な野暮ったさを感じさせるのが多いイタリアのプログレにしてはとても珍しく、アグレッシヴな中にスタイリッシュさとクールさを感じさせる点が大きな特徴と言えます。確かに後にメンバーが在籍することになるチェリーファイヴやエトナに通じるところがあるように思えます。個人的には1曲目のハイテンションな『ためらい』と、イタリアンロックらしい3曲目の『アンジャ』、フォーク調から始まり、最後は雄大なシンフォニック調になる7曲目の『死への恐怖』がお気に入りです。

 本アルバムは腕利きのメンバーによる洗練された演奏と、キーボードをベースとしたイタリアのプログレッシヴロックの傑作です。聴いたことの無い方はぜひ、この機会に聴いてみてください。

今年はこれで最後となります。皆さん良いお年を!


それではまたっ!
 

 

Eden Rose アルバムジャケット

Eden Rose/On The Way To Eden
エデン・ローズ/オン・ザ・ウェイ・トゥ・エデン
1970年リリース

サイケデリック色を加味した
グルーヴ感あふれるオルガンロック

 抒情派フレンチプログレの代表格であるサンドローズの前身にあたるエデン・ローズの唯一作。そのアルバムはアンリ・ガレラが奏でるリリカルでグルーヴ感のあるハモンドオルガンを中心に、ジャン=ピエール・アラルサンの卓越したギター、そしてタイトでファンキーなリズムセクションが冴えたフランス初期のプログレ&サイケデリックアルバムの中でも屈指の傑作となっている。廃盤になってから30年以上も眠ったままだったが、2001年にフランスのムゼア、日本のベル・アンティークによって初のCD化を果たしている。

 エデン・ローズは元々、フランスのマルセイユで1965年に結成したレ・ガルディアンというグループを母体となっている。レ・ガルディアンはアンリ・ガレラ(キーボード)、クリスチャン・クレアフォン(ベース)を中心としたグループで、フランスのシャンソン歌手であるクロード・フランソワのツアーサポートをするために結成している。その後、マルセイユを拠点に様々なスタジオの仕事を足がかりとして音楽キャリアを積み、ミュージシャンのバックバンドやセッションミュージシャンとしての地位を高めていったという。有名アーティストのサポート役を務めるだけでは満足できなかった2人は、グループとして活動をするために、マルセイユで偶然出会ったミシェル・ジュリアン(ドラムス)をメンバーにして、ジャズロックグループであるレ・ゴールデンを結成。トリオ編成となった彼らはアルバム制作を夢見てパリへ向かい、いくつものクラブで演奏したという。1年近くパリを拠点に活動してきた彼らは、1969年に新進気鋭のレーベルであるカテマの芸術監督と出会い、念願のレコード契約を果たすことになる。この時、芸術監督はメンバーにフランスで才能あるセッションギタリストとして名を馳せていたジャン=ピエール・アラルサンを紹介し、彼をシングルのレコーディングに参加させている。彼らはグループ名をエデン・ローズと改名して、1969年に『レインイェット・ナンバー/オブセッション』、1970年に『トラベリング/アンダー・ザ・サン』のシングルをリリース。シングル用のレコーディング時でゲストミュージシャンとして参加していたジャン=ピエール・アラルサンは、シングルリリース後に正式にエデン・ローズのメンバーとなっている。こうして4人編成となった彼らはアルバムのレコーディングを行うために、1970年3月にパリのワシントン通り10番地にあるスタジオに入っている。この時、ギタリストのジャン=ピエール・アラルサンは、アルバム用の曲をわずか数日で覚えてレコーディングに臨んだという。こうしてスタジオライヴ形式で録音されたデビューアルバムは、1970年4月に『オン・ザ・ウェイ・トゥ・エデン』というタイトルでリリースされることになる。そのアルバムは、アンリ・ガレラのグルーヴ感あふれるハモンドオルガンを中心に、卓越したギター、そしてタイトでファンキーなリズムセクションによるフランス初期のサイケデリック&プログレの屈指の傑作となっている。

★曲目★
01.On The Way To Eden(オン・ザ・ウェイ・トゥ・エデン)
02.Faster And Faster(ファスター&ファスター)
03.Sad Dream(サッド・ドリーム)
04.Obsession(オブセッション)
05.Feeling In The Living(フィーリング・イン・ザ・リビング)
06.Travelling(トラベリング)
07.Walking In The Sea(ウォーキング・イン・ザ・シー)
08.Reinyet Number(レインイェット・ナンバー)

 アルバムの1曲目の『オン・ザ・ウェイ・トゥ・エデン』は、煌びやかなハモンドオルガンとアコースティックピアノの音色をメインとしたクラシカルな楽曲。1960年代後半の英国のエッグのスタイルに近いながらも、かなりセンチメンタルなメロディである。2曲目の『ファスター&ファスター』は、ブライアン・オーガーを彷彿とさせる即興的なハモンドオルガンとタイトでファンキーなリズムセクションによるジャズロック。終始アップビートで迫るようなオルガンと畳みかけるドラミングが素晴らしい。3曲目の『サッド・ドリーム』は、クラシックタッチのオルガンとアラルサンのソフトなギターソロが加わった曲。プロコル・ハルムの『青い影』をイメージさせるような感傷的なメロディとなっており、ギターがさらに深みを与えている。4曲目の『オブセッション』は、即興的なハモンドオルガンとブルースのリフを加味したギターによるグルーヴ感たっぷりの楽曲。ガレラとアラルサンの2人がまるで火花を散らすようなバトルチックな演奏は、聴いていて心が躍ってしまう。5曲目の『フィーリング・イン・ザ・リビング』は、ソウルやファンク、ジャズの音楽的影響が感じられる楽曲。ファズを利かせたギターソロやサイケデリックなオルガンが巧くマッチしており、非常に心地よいサウンドに仕上げている。6曲目の『トラベリング』は、アラルサンの多彩なフレーズを用いたギタープレイが堪能できる楽曲。ガレラのハモンドオルガンはファンキーであり、アラルサンの力強いギターはまるでジミー・ペイジのようである。7曲目の『ウォーキング・イン・ザ・シー』は、非常に感傷的で官能的なスローナンバー。エレクトリック・リバーブのかかったリフとアコースティック・ストロークが織り交ぜられ、他のどの曲よりも軽やかなキーボードアレンジが印象的である。8曲目の『レインイェット・ナンバー』は、ファンキーでジャジーなリズムが特徴の楽曲。卓越したギターとハモンドオルガンを駆使しつつ、ドラムソロがあるクールさを極めた内容になっている。こうしてアルバムを通して聴いてみると、1960年代後半の英国で流行したハモンドオルガンをメインとしたサウンドを継承し、なおかつフランスらしい感傷的で官能的なメロディが大きな特徴となっている。オルガンとギターとリズムセクションがスリリングに絡み合いながらも曲調はポップでファンキーさがあり、サンドローズとはまた違った魅力を放った好盤である。

 フロントマンのアンリ・ガレラによる、キーボードとハモンドオルガンのソロがふんだんに盛り込まれたサイケデリックなジャズロックはフランス国内で大きく注目されたという。彼らはすぐにフランス全土のツアーを行い、遠征してアルジェリアでもコンサートを行っている。次のアルバムのレコーディングも視野に入れていたが、元々レコーディング時からレーベルのプロデューサーとの関係が悪く、特に印税の支払いをめぐってますます険悪となり、最終的にエデン・ローズは解散を決意している。ギタリストのジャン=ピエール・アラルサンは、すぐにエデン・ローズのメンバーと共にサンドローズを結成し、女性ヴォーカリストのローズ・ポドウォジニーを迎えて、1972年にアルバム『サンドローズ』をリリースしている。グループは1973年に解散してしまうが、唯一のアルバムはフランスのプログレッシヴアルバム史上トップ5に数えられ、未だに人気の高い1枚として君臨している。解散後、ギタリストのジャン=ピエール・アラルサンは、シンガーソングライターのフランソワ・ベランジェと共に活動し、自身のソロ活動のほか多くのミュージシャンとのコラボレーションを行っているという。キーボード奏者のアンリ・ガレラは、カメルーン出身のサックス奏者ジミー・ムボンド・ムヴェレと、ベーシストのノエル・アソロと共にEquateurを結成。その後は多くのミュージシャンやアーティストに曲を提供する作曲家となっている。ドラマーのミシェル・ジュリアンは、フランスの多くのミュージシャンと演奏した後、パリのホテル・ルテシアで20年間メインドラマーを務め、フランスの一流ジャズシンガーたちと共演したという。ベーシストのクリスチャン・クレアフォンは、セッションミュージシャンとして活動し、ジョセフィン・ベイカーからストーン&シャーデンまで、数多くのアーティストとコラボレーションしたという。本アルバムはサンドローズの前身グループとして一定の知名度があったにも関わらず、再発の機会に恵まれないまま30年以上経ったが、2001年にフランスのムゼアが音源を発掘し、日本のベル・アンティークと共に初のCD化を果たしている。

Eden Rose アルバム「On The Way To Eden」ジャケットEden Rose メンバー 5人組 写真エデン・ローズ、オルガンロックバンドの演奏風景

 

Eden Rose アルバムカバー画像

 皆さんこんにちはそしてこんばんわです。今回は叙情派フレンチ・プログレの名作を残したサンドローズの前身グループであり、フランス最高峰のオルガンロックグループでもあるエデン・ローズの唯一作『オン・ザ・ウェイ・トゥ・エデン』を紹介しました。私は2001年のベル・アンティーク盤のCDで初めて聴いて、そのアンリ・ガレラのグルーヴィーなハモンドオルガンに心躍ったものです。ヴォーカル無しのインストゥルメンタル曲ということで、まるでサイケデリックさのあるエッグ時代のディヴ・スチュワートのハモンドオルガンと即興性のあるブライアン・オーガーのハモンドオルガンをうまく融合した感じがあります。そこにすでに天才の片鱗をうかがわせるジャン=ピエール・アラルサンのギタープレイが素晴らしく、アンリ・ガレラのオルガンとしっかりバトルしている点が好印象です。サンドローズは女性ヴォーカリストのローズ・ポドウォジニーとジャン=ピエール・アラルサンのギターを中心に組み立てられたプログレッシヴなサウンドですが、エデン・ローズはアンリ・ガレラのキーボードを中心に展開するサイケデリックなオルガンロックと言っても良いです。どちらも方向性は違えど、フランス初期のサイケ&プログレの傑作であることは間違いありません。

さて、本アルバムのレコーディングは、スタジオライヴ形式で行われています。ほぼリテイク無しの一発録音だったことから、彼らがどれだけ卓越したミュージシャンだったかよく分かります。また、アルバムはジャンル的にサイケデリックな作品として分類されていますが、実際はジャズをベースにした非常に技巧的なサウンドになっています。ギターはモダンジャズのサウンドとシンプルなファズを融合させていて、ハモンドオルガンは即興的でありながら現代的なブルースのリフにも根ざしたサウンドになっています。正直なところ、1960年代後半に英国で見られたオルガンロックと同じくらい時代遅れに感じてしまいがちですが、当時のハモンドオルガンをメインとした作品の中では最もセンチメンタルでスリリングなアルバムだと思っています。1960年代から長年一緒のメンバーが演奏していることもあって、本作品が彼らのこれまでの経験の集大成と言えるのかもしれません。しかし、ヴォーカルのローズ・ポドウォジニーを迎えたサンドローズの方が、はるかに高い評価を得ていたことを考えると、収録曲すべてがインストゥルメンタルだったエデン・ローズのスタイルは、少なくともフランスの聴衆に受けにくかったことを物語っているような気がします。それでもこれだけのハモンドオルガンとギターが弾きまくりのアルバムは早々無く、聴けば聴くほどオルガンロック好きな人は魅了されること間違いなしです。

 本アルバムはサイケ色も加味したスリリングなオルガンロックが炸裂する傑作です。エッグやブライアン・オーガー好きな人にはオススメのアルバムです。

それではまたっ!

 

 

アラン・パーソンズ・プロジェクト「アイ・ロボット」アルバムカバー

The Alan Parsons Project/I Robot
アラン・パーソンズ・プロジェクト/アイ・ロボット
1977年リリース

SF小説『アイ・ロボット』をテーマにした
史上最高のコンセプトアルバム

 アビーロードスタジオのエンジニアとして、ザ・ビートルズやピンク・フロイドなどを手掛けたアラン・パーソンズと、ソングライターのエリック・ウルフソンによるアラン・パーソンズ・プロジェクトのセカンドアルバム。そのアルバムは作家アイザック・アシモフのSF小説『アイ・ロボット』シリーズをコンセプトに、人工知能に関する哲学的なテーマを扱った作品となっており、プログレッシヴながらもポップさを失わない彼らの音に対する真髄が発揮された名盤でもある。また、レコーディングには元パイロットのギタリストであるディヴィッド・バトンやイアン・ベアンソン、キーボード奏者のダンカン・マッケイ、オルガン奏者でオーケストラ担当のアンドリュー・パウエルなど、優れた多くのセッションミュージシャンが参加している。アルバムは世界中で大ヒットし、200万枚を越えるセールスを記録。

 アラン・パーソンズ・プロジェクトは、数々のアーティストのエンジニアやアレンジャー、プロデューサーを務めてきたアラン・パーソンズと主にセッション・ピアニストやソングライターとして活動していたエリック・ウルフソンと共に、1975年に立ち上げたプロジェクトグループである。アラン・パーソンズはザ・ビートルズやピンク・フロイド、ホリーズのレコーディングエンジニアをはじめ、アル・スチュワートやパイロットなどのプロデューサーを務め、ロック史において最も高名な音楽エンジニアの1人とされている。彼は1973年のピンク・フロイドの『狂気』のレコーディングエンジニアを務め、この作品で初めてグラミー賞にノミネートされた実績を持っている。しかし、当時のパーソンズはクリス・トーマスがミキシング・スーパーバイザーとして参加したことで、「私がエンジニアリングの功績を全て認められなかったことは、私にとって少し悔しかった」と『狂気』について語ったという。その後のパーソンズの活躍は目覚ましく、アル・スチュワートの『Year of the Cat』ではサックスのパートを追加し、フォークのコンセプトをジャズの影響を受けたバラードに変化させてヒットさせ、スコットランドのポップロックグループであるパイロットのアルバム3枚をプロデュースし、『January』や『Magic』などのヒット曲を世に送り出している。また、アメリカのグループであるアンブロシアのデビューアルバムのミックスと、セカンドアルバム『Somewhere I've Never Travelled』のプロデュースも手掛け、パーソンズは両アルバムでグラミー賞にノミネートされる快挙を成している。この成功の裏にはプロデューサー兼ソングライター、そしてシンガーとしても活躍するエリック・ウルフソンの存在がある。パーソンズは1974年の夏、アビーロード・スタジオの食堂でエリック・ウルフソンと出会っている。2人はそれぞれ別のプロジェクトに取り組んでおり、パーソンズはウルフソンにマネージャーを依頼し、2人は先のパイロットやコックニー・レベル、ジョン・マイルズ、アル・スチュワート、アンブロシア、ザ・ホリーズなど、数々のグループやアーティストと共演している。この時、パーソンズはレコーディングエンジニアだけではなく、プロデューサー、アレンジャー、ギターやキーボード、ヴォーカルといったマルチプレイヤーとして活躍しており、1975年にウルフソンと共に自身のグループであるアラン・パーソンズ・プロジェクトを発足させる。そのプロジェクトはスタジオ・ミュージシャンとヴォーカリストの入れ替わりのグループで構成された音楽集団であり、後に10枚のアルバムを制作して残すことになる。このプロジェクトの発案にパーソンズはピンク・フロイドの『狂気』の次の作品であるアルバム『炎~あなたがここにいてほしい~』の参加の誘いを断っている。

 ウルフソンは映画業界の発展に基づいたアルバムを作るというアイデアをパーソンズに提示している。彼は映画のプロモーションの焦点は、映画スターからアルフレッド・ヒッチコックやスタンリー・キューブリックなどの監督に移っていることを知り、映画業界が監督の媒体になりつつあるならば、音楽業界はプロデューサーの媒体になる可能性が高いと感じていた。そのため、ウルフソンは以前に作曲したエドガー・アラン・ポーの作品を思い出し、自分とパーソンズの才能を組み合わせる方法で作品を作ろうと考えたという。その考えにパーソンズは同意して2人が作詞作曲した曲のプロデュースとエンジニアリングを行い、最初のアラン・パーソンズ・プロジェクトが開始される。1976年にプロジェクトの最初のアルバム『Tales of Mystery and Imagination(怪奇と幻想の物語 - エドガー・アラン・ポーの世界)』は、20世紀フォックス・レコードからリリースされ、パイロットとアンブロシアのメンバー全員が主要な曲に参加したという。このアルバムはビルボード200チャートでトップ40にランクインする成功を収め、グラミー賞にもノミネートされるなど高い評価を得ている。自信を得た2人は今度は作家アイザック・アシモフのSFロボット小説をコンセプトに、人工知能に関する哲学的なテーマを基にした作品を作ろうと考えたという。ウルフソンはアシモフ本人と話し合い、アシモフはこのアイデアに熱意を示したと言われている。レコーディングには元パイロットのギタリストであるディヴィッド・バトンやイアン・ベアンソン、キーボード奏者のダンカン・マッケイ、ドラマーにスチュアート・トッシュ、オルガン奏者でオーケストラ担当のアンドリュー・パウエルなど多くのセッションミュージシャンが参加し、ジャケットデザインにはイギリスのアートデザイングループであるヒプノシスが制作している。こうして1977年7月8日にプロジェクトの2作目となる『アイ・ロボット』がリリースされることになる。

★曲目★
01.I Robot(アイ・ロボット)
02.I Wouldn't Want To Be Like You(君は他人)
03.Some Other Time(サム・アザー・タイム)
04.Breakdown(ブレイクダウン)
05.Don't Let It Show(何も見たくない)
06.The Voice(闇からの声)
07.Nucleus(核)
08.Day After Day ~The Show Must Go On~(デイ・アフター・デイ)
09.Total Eclipse(皆既食)
10.Genesis Ch.1. V.32(創世記)

 アルバム1曲目の『アイ・ロボット』は、シンセサイザーによる演奏とスペーシーなバックコーラス、効果音を利用したグルーヴ感のあるテクノオペラ的な楽曲。反復的でありながらキャッチーなリズムと心地よいシンセサイザーによって彩られている。2曲目の『君は他人』は、レニー・ザカテックがヴォーカルを務めるディスコビート風ポップソング。シングル向けのキャッチーな楽曲だが、イアン・ベアンソンの味わい深いギター演奏が素晴らしい。3曲目の『サム・アザー・タイム』は、美しいピアノとシンセサイザーフルート、そして12弦ギターから始まり、ジャッキー・ウィットレンとピーター・ストレイカーの2人のヴォーカルがその効果を高めたバラード曲。アンドリュー・パウエルによる卓越したオーケストラアレンジもあり、深みのあるサウンドに仕上げている。4曲目の『ブレイクダウン』は、アラン・クラークの独特なヴォーカルトーンが1960年代を彷彿とさせるポップソング。しかし、ポップなサウンドにオーケストラとプログレッシブの要素と、落ち着いたフォーマルな合唱との妙なコントラストを生み出している。5曲目の『何も見たくない』は、教会風のオルガンをバックに歌うデイブ・タウンゼントのヴォーカルが神聖のあるバラード曲。後半はリズム感のある軽妙な演奏で聴く者の気分を高揚させるセクションがある。6曲目の『闇からの声』は、単調なベースラインと効果音やボコーダーを加えたエレクトリックな楽曲。ソウルフルなハンドクラップがあるものの、アクセントとなるストリングスの挿入が効果的である。ヴォーカルはスティーブ・ハーレー。7曲目の『核』は、深みのあるシンセサイザーと巧みなドラムの演奏が、フュージョンっぽいサウンドスケープを生み出したメランコリックなバラード曲。開放的で叙情的なムードを演出するバレアリックを感じさせる不思議な曲である。8曲目の『デイ・アフター・デイ』は、前曲から続いた夢心地な雰囲気を漂わせたストレートなバラード曲。非常に人間味のあるアコースティックベースのサウンドであり、遠い昔の青春時代の失われた夢への自己憐憫の賛歌となっている。9曲目の『皆既食』は、崩壊を意味する不穏で混沌とした不協和音が続いた楽曲。超現代的なコラールのヴォイシングと、映画『2001年宇宙の旅』を彩ったネオクラシカル作品から、明らかに影響を受けたアヴァンギャルドな交響曲が不気味に融合している。10曲目の『創世記』は、聖書には存在しない創世記第1章32節であり、これは創造物語の続きを暗示した実在しない聖書の章である。ギターとキーボードのメロディが、チャイムの音やコーラス、そして安定したパーカッションによる魅惑的なテンポに乗せた素晴らしい楽曲に仕上げている。こうしてアルバムを通して聴いてみると、商業的なポップセンスを強く感じさせるアルバムだが、音楽における多様なテクスチャや楽器編成が素晴らしく、インストゥメンタル曲で見られる実験性も兼ねたプログレッシヴ性のある作品となっている。音楽と歌詞のバランスが絶妙であり、ディストピア的なストーリーラインを力強く描いている点もアルバムの価値を高めている。

 本アルバムは世界中で大ヒットし、200万枚を越えるセールスを記録。特にアメリカやドイツ、オーストラリア、カナダといった多くの国でプラチナやゴールドディスクを獲得している。彼らはライヴパフォーマンスは行われない代わりに、アルバムのプロモーションとして2段階のキャンペーンが行っている。1つ目はパーソンズとウルフソンは全米のいくつかの都市を訪れ、メディア関係者へのインタビューやアルバムの再生を行い、2つ目はラジオ局やレコード店でのロボット製作コンテストや展示、そしてレコードワールド誌がワシントンD.C.でのツアーを行ったという。イギリスではロイヤル・フェスティバル・ホールで、150人がヘッドフォンで『アイ・ロボット』のアルバムを聴く特別イベントが開催。このイベントでの「1つの音源に同時に接続されたヘッドフォンの最多数」の世界記録を更新したという。その後もアラン・パーソンズとエリック・ウルフソンの協力によるプロジェクトは続き、1978年には『ピラミッド』、1979年に『イヴの肖像』、1980年に『運命の切り札』、1982年に『アイ・イン・ザ・スカイ』、そして10枚目となる1987年の『ガウディ』まで、アルバムは全世界でトータル5,000万枚を越えている。その後の2人はソロキャリアへと進み、パーソンズは11枚目のアルバムの予定だった『フロイディアナ』をミュージカル版としてプロデュースし、その一方で初のソロアルバムを制作。その制作グループに元マンフレッド・マン・アース・バンドのギタリストであるクリス・トンプソンが参加し、ライヴツアーを収録したアルバム『アラン・パーソンズ・ライブ』を1995年にリリースしている1998年にパーソンズはアビーロード・スタジオを含むEMIスタジオ・グループの副社長に就任したものの、すぐに辞退してよりクリエイティブな活動をするためにグループのクリエイティブ・コンサルタント兼アソシエイト・プロデューサーとして留任している。1999年以来、彼はウルフソンの許可を得てアラン・パーソンズ・ライブ・プロジェクトとしてツアーを行っている。現在のメンバーはPJ・オルソン(リードヴォーカル)、ジェフ・コールマン(ギター)、ダニー・トンプソン(ドラムス)、トム・ブルックス(キーボード)、ガイ・エレズ(ベース)、トッド・クーパー(サックス)、ダン・トレーシー(ギター)、そしてアラン・パーソンズがリズムギター、キーボード、ヴォーカルを担当している。このグループは2013年にコロンビアのメデジンでアラン・パーソンズ・シンフォニック・プロジェクトとしてライヴを行い、その模様はコロンビアのテレビ向けに収録され、2016年に2枚組CDとDVDでもリリースされている。その後もプロデューサー、エンジニア、ミュージシャンとして活躍するアラン・パーソンズは、長年の功績を表彰され、2021年6月に大英帝国勲章を叙勲している。一方のエリック・ウルフソンはプロジェクト解散後、11枚目のアルバムの予定だった『フロイディアナ』のミュージカル化を模索していた矢先、アンドリュー・ロイド・ウェバーと『キャッツ』のミュージカルを手掛けたブライアン・ブロリーを紹介される。ウルフソンはパーソンズをプロデューサーに迎え、さらにブロリーの協力を得て『フロイディアナ』を舞台ミュージカル化に成功させている。しかし、プロジェクトの所有権をめぐってブロリーとウルフソンの間で訴訟が勃発し、1990年以降の計画は中断してしまったという。その後もウルフソンはミュージカルをテーマに『ガウディ』や『ギャンブラー』、『エドガー・アラン・ポー』などの作品を手掛けている。2007年には韓国の劇作家チャム・ボムソクの反戦劇『森林火災』にインスピレーションを受け、アリエル・ドーフマンの脚本による『ダンシング・ウィズ・シャドウズ』が韓国で初演されたという。そんな様々なプロデュース業に励んでいたエリック・ウルフソンだったが、残念ながら2009年12月2日にロンドンで腎臓癌のため、64歳で亡くなっている。

アラン・パーソンズ・プロジェクト『アイ・ロボット』アルバムジャケットアラン・パーソンズ・プロジェクト『アイ・ロボット』歌詞カードアラン・パーソンズ・プロジェクトの二人アラン・パーソンズ・プロジェクトのポートレートアラン・パーソンズ・プロジェクト I Robot アルバム制作

 

アラン・パーソンズ・プロジェクトのアイ・ロボット

 皆さんこんにちはそしてこんばんはです。今回はザ・ビートルズやピンク・フロイドの作品を手掛けたアビーロード・スタジオの名エンジニアであるアラン・パーソンズと、主にセッションピアニストやソングライターとして活動していたエリック・ウルフソンの2人が手を組んだ音楽集団、アラン・パーソンズ・プロジェクトのセカンドアルバム『アイ・ロボット』を紹介しました。このアルバムはアラン・パーソンズ・プロジェクトの名が全世界に広まったコンセプトアルバムの傑作として名高く、現在でも様々なオーディオファイルでリリースされている偉大なアルバムでもあります。『アイ・ロボット』は作家アイザック・アシモフのSFロボット小説をコンセプトに、人工知能に関する哲学的なテーマを探求したものであり、カバーインレイには「われ、ロボット…機械の台頭と人間の衰退の物語。それは逆説的に車輪の発見と重なる…そして、人間が自らのイメージに似せてロボットを作ろうとしたため、この惑星における人間の短い支配はおそらく終焉を迎えるだろう」と警告にもとれる内容が記されています。最後のトラックの曲名『Genesis Ch.1 v.32』もこのテーマに沿っており、創世記第一章は31節しかないことから、天地創造の物語の続きを暗示しているように思えます。また、このアルバムの凄いところは『スター・ウォーズ』がアメリカで公開された直後にリリースされたことで、ロボットをはじめとするSFが突然に大流行した時代に、当時ロボットがジャケットに描かれた唯一のアルバムだったことです。『エドガー・アラン・ポー』や『ピラミッド』、『イヴの肖像』など、時代や流行、社会を巧くテーマとして取り入れては作品にしていくことになる彼らが、最も時代とマッチしたと言えるのが、今回のSF=ロボットのテーマだったということになります。また、アルバムジャケットはイギリスのアートデザイングループであるヒプノシスが制作しています。ジャケット写真はパリ郊外にあるシャルル・ド・ゴール空港の円形第1ターミナルビルであり、アートディレクターのストーム・ソーガソンのアシスタントたちが写るエスカレーターチューブと、その上に原子を脳として持つロボットの絵が重ねられています。ちなみにこの写真は空港管理者の許可なく撮影されたそうです。

 さて、本アルバムですが、前作の『怪奇と幻想の物語 - エドガー・アラン・ポーの世界』が思いのほか成功し、アラン・パーソンズ・プロジェクトとして正式に活動を開始した直後のアルバムです。音楽的には前作と比べてロック要素が強まっていますが、オーケストラ要素は彼らのサウンドの形成において依然として重要な要素であることは間違いなく、また、前作とは違ってシンセサイザーのレイヤーとエフェクトの存在感が強く、このコンセプトにおけるロボットを中心とした対立の未来的な雰囲気を的確に表現していると思います。本アルバムのレパートリーにおける彼らの創り出す曲調は、魅力的なバラードやキャッチーなロックチューンに、プログレッシヴ風の展開やエレクトロニックな効果音、そして上品なオーケストレーションを導入していることにあります。その異なるジャンルを聴きやすいポップミュージックに変化させている点が、2人の職人芸的なセンスを感じずにいられません。誰かがこのような楽曲をクロスオーバー・プログレと呼んでいましたが、まさしくその通りだと思いました。

 本アルバムはプログレッシヴながらもポップさを失わない、アラン・パーソンズ・プロジェクトの真髄が遺憾なく発揮された名盤です。ロボットをテーマにした近未来的なサウンドスケープと、多彩なジャンルを融合して見事なポップ曲に仕上げた彼らのセンスを感じてほしいです。

それではまたっ!

 

Abel Ganz Gratuitous Flash アルバムカバー

Abel Ganz/Gratuitous Flash
アベル・ガンツ/儚き閃光
1984年リリース(カセット)

華美なキーボードとギターの音色を湛えた
ハード系シンフォニックロックの傑作

 1980年代初頭の英国のポンプロックシーンを支えたグループの1つ、アベル・ガンツのデビューアルバム。そのアルバムはギターのアルペジオと優美なシンセサイザーのコンビネーションを中心としたシンフォニックなサウンドになっており、ネオプログレ特有のビート感とドラマティックな展開が大きな特徴となっている。当初はカセットでのみのセルフリリースだったが、次第に多くのファンを掴み、また批評家から高く評価されたことで、1991年に公式にCD化を果たしている。なお、後にPallas(パラス)のメンバーとして活躍するヴォーカルのアラン・リードが在籍していたグループとしても有名である。

 アベル・ガンツは1980年にスコットランドのグラスゴーで、キーボード奏者のヒュー・モンゴメリーとマルチ楽器奏者のヒュー・カーターによって結成されたグループである。2人は1970年代のプログレッシヴロックに対する共通の関心と、それを自分たちの手で作曲して表現したいという想いが、グループ結成の由来となっている。特に2人はジェネシスやイエス、キャメルといった優れたプログレッシヴロックグループから影響を受けており、シンセサイザーを組み合わせたドラマティックな展開、感情に訴えかけた歌詞を創り上げたという。2人はそのような楽曲を演奏するため、早速、ギタリストのマルキー・マクニーヴンとドラマーのケン・ウィアーをメンバーにして、アベル・ガンツというグループ名で活動を開始する。彼らはグラスゴー周辺でライヴグループとして活動し、1983年まで定期的にライヴを続けたことで注目が集まり、人気グループの1つとなったという。この背景にはマリリオンやIQ、ペンドラゴン、ソルスティスといった英国でネオ・プログレ、またはポンプロックが次々と誕生してブームになりつつあったことが大きい。同年、彼らは自分たちが作曲した楽曲をアルバムとしてリリースするため、スタジオでレコーディングを開始している。その時、彼らはレコーディング時、新たなヴォーカリストとして元トランス・マカブルのアラン・リードを迎えている。こうして1984年に6曲入りのアルバムが完成し、タイトルを『Gratuitous Flash(儚き閃光)』としてセルフリリースされることになる。そのアルバムはリリース時、カセットとして発売し、主にライヴ会場で配布されたものだが、メロディアスなシンセサイザーの響きや泣きのギターといったネオプログレ特有の華美なサウンドとなっており、クオリティの高いシンフォニックロックの1枚として今なお人気が高い。

★曲目★
01.Little By Little(少しずつ)
02.Kean On The Job(仕事に熱意)
03.You And Yours(あなたとあなたのもの)
04.The Scorpion(スコーピオン)
05.Gratuitous Flash(儚い閃光)
06.The Dead Zone(デッド・ゾーン)

 アルバム1曲目の『少しずつ』は、ジェネシスを彷彿とさせる華美なシンセサイザーを中心とした楽曲。ピーター・ガブリエル似のアラン・リードのヴォーカルやメロウなギターソロも心地よく、英国ロックらしい抒情性を織り込んだドラマティックな展開が素晴らしい。2曲目の『仕事に熱意』は、パーカッションの響きとリリカルなピアノを中心としたポップなヴォーカル曲。アラン・リードのエモーショナルなヴォーカル、伸びやかなギターソロなど、全体的に非常に優しいサウンドに仕上げている。3曲目の『あなたとあなたのもの』は、軽快なシンセサイザーとベースラインが特徴の楽曲。ギターのアルペジオとフルート風のキーボードの音色はジェネシスっぽく、センチメンタリズムを誘うようなメロディラインが見事なポンプロックらしい内容になっている。4曲目の『スコーピオン』は、タイトなリズムとヘヴィなギターリフ、刻むようなキーボードの音色といったスピーディーな展開が特徴のインストゥルメンタル曲。パワフルな曲調から次第にシンフォニック調に変化していくのが面白い。5曲目の『儚い閃光』は、重厚なシンセサイザーとヘヴィなギターリフのコンビネーションを活かしたノリの良い楽曲。ここでのヴォーカルはシアトリカル調であり、最もピーター・ガブリエルっぽく感じられる。6曲目の『デッド・ゾーン』は16分を越える大曲であり、スティーブン・キングの小説を題材にした曲。シアトリカル調のヴォーカルに合わせたリリカルなキーボードの調べとギターのアルペジオが印象的なオープニングから、フルート風のシンセサイザーによるシンフォニック調の展開に思わず心が奪われる。心地よいグルーヴ感とメロディをベースにした聴きやすいイージーリスニングといった感じだが、モンゴメリーの多彩なフレーズをつないだキーボード音が素晴らしく、そこにメロウなギターソロが加わるとまさしく天上のサウンドとなる。最後のキーボードソロはモンゴメリーの力量を示した深みのある美しい流れになっている。こうしてアルバムを通して聴いてみると、1980年代の典型的なブリティッシュ・プログレッシヴスタイルの複雑なメロディが融合したサウンドになっている。モンゴメリーのキーボードは素晴らしく、ピアノとシンセサイザーの両方で美しいサウンドスケープを奏でており、彼の創り出す音の世界感こそがアルバムの価値を一層高めていると思える。

 アルバムは主にライヴ会場で配布されたものの多くのファンが購入し、カセットの売り上げは非常に良かったとされている。しかし、グラスゴーのケルビングローブ・フェスティバルでのアラン・リードのパフォーマンスは、同じグラスゴー出身のPallas(パラス)のメンバーが注目。ユアン・ローソンの後釜としてヴォーカルのアラン・リードは、Pallas(パラス)に加入するために脱退してしまう。さらにギタリストのマルキー・マクニーヴンも他のプロジェクトを追うために脱退してしまったため、新たにギタリスト兼ヴォーカルのポール・ケリー、ベーシストにはゴードン・マッキーが加入することになる。グループが新体制になったことで、ヒュー・カーターは演奏から離れ、グループのマネージャーとなっている。この新たなラインナップで1985年にセカンドアルバム『Gullibless Travels』をレコーディングし、同年にカセットテープでリリースされる。しかし、レコーディング直後にベーシストのゴードン・マッキーが脱退。直後にマネージャーだったヒュー・カーターが再度べーシストとして復帰している。また、数ヵ月後にはドラマーのケン・ウィアーも脱退することになり、代役としてアラン・クインが就任。メンバーの入れ替えが激しくレコーディングがままならない状態が続き、グループの解散も考えたが、1988年に脱退したギタリストのマルキー・マクニーヴンとヴォーカルのアラン・リードがゲストとしてレコーディングに参加。スタジオミュージシャンであったドラマーのデニス・スミスを迎えて、同年にサードアルバム『The Danger Of Strangers』をリリースする。こちらも前作同様にセルフでカセットテープでの販売だったが、売れ行きは上々だったという。しかし、創設メンバーであったキーボード奏者のヒュー・モンゴメリーが脱退することになり、彼の代わりにはスチュアート・クライドが務めることになる。この頃から彼らは名声を高めつつも、サウンドはAORへと変化していき、かつてのネオプログレッシブなサウンドから遠ざかって行くことになる。この影響で唯一創設メンバーとして残っていたヒュー・カーターは、グループの解散を決意したという。

 それから約10年後の2001年、ヒュー・カーターとヒュー・モンゴメリーが再度出会い、F2レコードと新たなレコーディング契約を結び、コンピレーションアルバム『Back From The Zone』をリリースしている。この復活では、ドラマーのデニス・スミス、ギタリストにデイヴィー・ミッチェル、ベーシストのスティーブン・ドネリー、そしてカーターとモンゴメリーが出演したという。ヴォーカルにはミック・マクファーレンが必要に応じてラインナップに加わり、2008年にアルバム『シューティング・アルバトロス』をリリース。このアルバムはプログレツアーや古いメンバーなど、多くのゲストと共にレコーディングした豪華な内容になっているという。また、6年後の2014年には20分を超える長い組曲を収録したアルバム『アベル・ガンツ』がリリースされ、彼らが未だにプログレッシヴな感性を持ち続けた意欲作となっている。現在、アベル・ガンツは依然として活動しており、ライヴツアーに従事しつつ、新たな曲を作りを続けているという。最近では2020年に最新アルバム『The Life Of The Honeybee & Other Moments Of Clarity』をリリースしており、健在ぶりをアピールしている。

Abel Ganz Gratuitous Flash アルバムカバーAbel Ganz Gratuitous Flash カセットテープアベル・ガンツのメンバー3名Abel Ganz Gratuitous Flash アルバムジャケットAbel Ganzバンドメンバーの写真

 

アベル・ガンツのアルバム「Gratuitous Flash」

 皆さんこんにちはそしてこんばんわです。今回は初期の英国ポンプロックシーンを支えたプログレッシヴロックグループ、アベル・ガンツのデビューアルバム『Gratuitous Flash(儚き閃光)』を紹介しました。私は1991年にリイシューされたCD盤を聴きましたが、調べてみるとリリースした当初はセルフでしかもカセットテープだったことに驚きです。アベル・ガンツは1980年代初頭のプログレッシヴロックの復活に貢献したグループであり、ネオプログレというジャンルを最初に提唱したグループの1つです。IQやマリリオン、ペンドラゴン、ソルスティスといった他のネオプログレのグループとは異なり、優れたテクニックとアレンジ力があったにも関わらず、あまり知られていないのが少し残念です。特にデビューアルバムはヒュー・モンゴメリーを中心とするキーボード・サウンドが中心のハード系シンフォニック作品ですが、今こそもっと再評価されるべきアルバムだと思っています。

 さて、そんな本アルバムですが、CD盤になってもカセットテープ時代の6曲をそのまま収録したものになっています。実際聴いてみると分かると思いますが、シンセサイザーによる美しいサウンドスケープはまるでトニー・バンクスであり、シアトリカルなヴォーカルはまるでピーター・ガブリエルのようです。ギターフックはまるでスティーヴ・ハケット風であり、全体的に『ア・トリック・オブ・ザ・テイル』、『静寂の嵐』時代のジェネシスを彷彿とさせます。ジェネシスのクローンとまでは言いませんが、複雑な要素はほとんど無く、軽快なグルーヴ感と聴きやすいメロディが特徴であり、英国ポンプロックらしい優美さを兼ね揃えた作品になっています。特にヒュー・モンゴメリーの多彩なフレーズを持ったキーボードプレイは素晴らしく、1曲目と最後の6曲目は聴く価値が高い内容です。ライヴで培われた演奏力は申し分なく、挑戦的で巧みに作られた瞬間が多いアルバムだと思っています。

 本アルバムはまさにネオプログレが盛んになる以前に作られた意欲作です。マリリオンやIQ、ペンドラゴン、ソルスティスとはまた違ったキーボードサウンドをぜひ聴いてほしいです。

それではまたっ!
 

 

 

Madison Dyke Zeitmaschine アルバムカバー

Madison Dyke/Zeitmaschine
マディソン・ダイク/ツァイトマシーン
1977年リリース

ギターとフルート、メロトロンが織り成す
シンフォニックプログレの隠れた逸品

 単発ながら良質な作品を残したことでマニアの人気が高いレーベル、Racket Recordsからリリースされたドイツのシンフォニックロックグループ、マディソン・ダイクの唯一作。そのアルバムは抒情性の高いアコースティックギターやフルート、メロトロンをふんだんに使用した古典的なシンフォニックロックとなっており、同国のエロイやノイシュヴァンシュタインと比較されるも、さらなるリリシズムと儚い夢想感を内包した隠れた逸品とされている。リリースした1977年はパンク/ニューウェーヴが席巻していた時代で、アルバム自体はすぐに廃盤となってしまったが、2004年にガーデン・オブ・デライツより27年ぶりにCD再発を果たしている。

 マディソン・ダイクは1973年頃、ドイツのニーダーザクセン州の州都ハノーファーで結成されたグループである。結成時のメンバーはユルゲン・バウマン(ギター、ピアノ、メロトロン、シンセサイザー、ヴォーカル)、アンドレアス・ネッテ(ギター、ヴォーカル)、ブルクハルト・リトラー(リードヴォーカル、フルート、メロトロン、パーカッション)、ブルクハルト・エンゲル(ドラムス、パーカッション)、ロバート・クラウス(ベース)の5人である。メンバーはそれぞれハノーファーで演奏していたミュージシャンで、ユルゲン・バウマンが中心となって集められている。バウマンは英国のジェネシスやキャメル、同国のエロイやノヴァリスといったプログレッシヴロックグループに影響を受けており、自分たちもキーボード主体のシンフォニックロックグループを作ろうとしたのがきっかけとされている。彼らは作曲を兼ねていたアンドレアス・ネッテのオリジナル曲を元にリハーサルを開始し、1974年からハノーファーを中心としたクラブでライヴを始めている。2人のギタリスト(うち1人はシンセサイザーも兼任)、ドラマー、ベーシスト、そしてフルートとキーボードも演奏するリードシンガーで構成された彼らの独特の演奏は話題を呼び、地元ハノーファーでは人気グループとなっている。彼らはハノーファーにあるトンコーペラティブ・スタジオで2曲レコーディングを行い、1975年にセルフでシングル『ウォーキン/ダイス・ボックス』を制作し、ライヴ限定で配布している。ライヴの活動範囲もハンブルクやベルリンまで広げ、一定の知名度を上げていた彼らは、1977年にようやくドイツのレーベルおよび配給会社のDA Music(ドイチェ・オーストロフォン)の傘下であるRacket Recordsと契約することになる。アルバムのレコーディングを行うためにトンコーペラティブ・スタジオに入り、1977年7月から8月にかけて録音をしている。レコーディングエンジニアには主任エンジニアであるエッカート・ステフェンスとカルステン・ザイデンベルグの2人を起用し、プロデュースはグループ自身で行ったデビューアルバム『ツァイトマシーン』が、同年の冬にリリースされる。そのアルバムはエレクトリック&アコースティックギターを巧みに使用し、さらにフルートやメロトロンをふんだんに利用した古典的なシンフォニックロックとなっており、そこにクラウトロックとスペースロックの音楽スタイルを融合させたような独自性のあるサウンドを構築している。

★曲目★
01.First Step(最初のステップ)
02.Cooking Time Of An Egg(卵の調理時間)
03.Next Conceptions(次の構想)
04.Zeitmaschine(ツァイトマシーン)
★ボーナストラック★
05.Walkin'(ウォーキン)
06.Dice-Box(ダイス・ボックス)

 アルバムの1曲目の『最初のステップ』は、10分を越える大作だが、3分以上のシンセサイザーによる反復的なオープニングから始まり、優しいフルートとヘヴィなギターリフが交差するシンフォニック調の楽曲となる。6分過ぎの曲間ではスペイシーなキーボードとギターリフとなり、ジェスロ・タルらしいフルートを交えたアンサンブルとなる。アコースティカルな要素とエレクトリックな要素を巧みに使い分けた独特のアレンジが面白い。2曲目の『卵の調理時間』は、シンプルなアコースティックギターフィルにフルートが重なるパートから始まるヴォーカル曲。アコースティックギターの豊かな音響や繊細なフルート、愛らしいヴォーカルによるメロディが素晴らしく、非常に心地よい内容になっている。3曲目の『次の構想』は、イントロでアコースティックギターとフルートが織り成すフォーク調の流れから始まり、メロトロンやギター、ベースによるキャメルスタイルの素晴らしいアンサンブルとなる。その後はメロトロンとメロウなギター、そして力強いヴォーカルが印象的である。後半のツインギターによる共演は聴きどころである。4曲目の『ツァイトマシーン』は16分を越えるアルバムのハイライト。メロディアスなリードギター、軽快なベース、そして巧みに挿入されシンコペーションされたヴォーカルなど、ダイナミックな展開のある内容になっている。途中からリリカルなピアノと泣きのギター、シアトリカルっぽいヴォーカルとなり、盛り上げに使用するメロトロンが効果的である。後半ではフルートやヘヴィなギターがリードし、ノスタルジックなモーグの響きがある。メロウでスペーシーなキーボードから、エンディングに向かってよりアップテンポのメロトロン主導のプログレへと変化していく流れが素晴らしい。ボーナストラックの2曲は1975年のセルフでリリースされたシングル曲である。『ウォーキン』は、シンセサイザーをバックにしたストレートなロック曲。曲間ではクラシック曲をモチーフにしたギターリフが展開されている。『ダイス・ボックス』は、リリカルなピアノとフルートと対比したヘヴィなギターリフとシンセサイザーによる曲調に変化するハードロック。本アルバムの楽曲の延長線上にある興味深い内容になっている。

 本アルバムはプログレッシヴロックが衰退し始めた1970年代後期にリリースしたこともあり、あまり注目されなかったという。しかし、パンク/ニューウェーヴが席巻している一方で、エニワンズ・ドーターやパンケーキ、アメノフィス、フェイスフル・ブレス、ノイシュヴァンシュタインなど、ドイツでは1970年代後期に多くのプログレッシヴロックグループが誕生して一定の評価が集まることになる。マディソン・ダイクのアルバムもリリースしてから数年後に注目されたが、すでにグループは解散した後だったという。メンバーは地元のセッションミュージシャンやスタジオミュージシャンとして活躍。中でもギター兼キーボード奏者であるユルゲン・バウマンは、1980年に6人組のロックグループ、ファイアーホースを結成して1枚のアルバムを残している。本アルバムはすぐに廃盤となって再発されずに時が過ぎていったが、ドイツのボーフムに拠点を置くレーベルのガーデン・オブ・デライツによって、2004年に初のCD化を果たしている。そのCD再発にはセルフリリースしたシングル曲『ウォーキン/ダイス・ボックス』の2曲が、ボーナストラックとして収録されているという。

Madison Dyke Zeitmaschine ジャケット画像Madison Dyke Zeitmaschine シンフォニックプログレマディソン・ダイク、バンドメンバー写真Madison Dyke ツァイトマシーン メンバー写真Madison Dykeのバンドメンバーとギター

 

マディソン・ダイクのアルバム『ツァイトマシーン』

 皆さんこんにちはそしてこんばんわです。今回は1970年代後期のドイツにおいて、いくつものプログレグループが誕生した中であまり認知されていないマディソン・ダイクの唯一作『ツァイト・マシーン』を紹介しました。このグループのアルバムはドイツのRacket Recordsというレーベルからリリースされていますが、他にノイシュヴァンシュタインの『バトルメント』、クラウス・シュルツェがリチャード・ヴァンフリードという別名でリリースしたアルバムがあるなど、カントリーやプログレッシヴ、エレクトロニックといった多彩なジャンルを扱い、良質な作品を世に送り出したレーベルとして知られています。しかし、そんなマディソン・ダイクの作品もパンク/ニューウェーヴ時代の到来と共に注目されず、たった1枚のアルバムを残して解散することになります。その後のメンバーがあまり表舞台で活躍してこなかったこともあり、マディソン・ダイクというグループ名と作品は、プログレファンの中でも知る人ぞ知る伝説のグループとなります。私自身も最近まで知らなかったグループで、きっと他にもこのようなグループと作品があるんだろうな~と、少しだけ感慨深くなってしまいました。

 さて、そんなアルバムですが、少々粗削りな部分はあるものの、抒情的なギターとフルート、そして荘厳なメロトロンをふんだんに使った古典的なシンフォニックロックとなっています。彼らの曲の大きな特徴となっているのが繊細なフルートとアコースティックギターの調べと、ヘヴィなリズムセクションとエレクトリックギターの対比であり、そこにメロトロンやシンセサイザーの音を巧妙に利用しているところにあります。1曲の中に牧歌的なフォークロックの要素とパワフルなハードロックの要素が混在しており、さらに聴いてみるとスペイシーなクラウトロック的な要素もあるという、他のプログレッシヴロックにはあまり無いひと味違うサウンドになっていることに驚きます。エレクトリックギターとリズムセクション、ヴォーカルはどう聴いてもハードロック路線ですが、フルートやメロトロン、アコースティックギターがあるとノスタルジックなシンフォニックロックでもあるという、なかなか侮れない作品になっています。個人的には非常に面白い作品だなと思ってしまいました。

 本アルバムは英国のジェネシスやキャメル、同国のエロイやノヴァリスから影響を受け、それぞれ巧みに融合した作品です。彼らのユニークなヘヴィ系シンフォニックロックをぜひとも一度聴いてみてください。

それではまたっ!
 

 

 

ハルモニウム、五季、プログレフォーク

Harmonium/Les Cinq Saisons
ハルモニウム/レ・サンク・セゾン
1975年リリース

正統派フォークに多彩なジャンルを
組み込んだケベック州最高のアルバム

 カナダのケベック州出身のプログレッシヴロックグループ、ハルモニウム(またはアルモニウム)のセカンドアルバム。そのアルバムは四季にもう一つの架空の季節を加えた五季をテーマにしたコンセプト作品になっており、ドラムレスのフォークをベースにジャズやロックを取り入れた壮大でファンタジックな音世界を構築している。そのユニークな音楽性はカナダ国内で高く評価され、1976年のジュノー賞で本作が年間のベストセラーアルバムに選出されただけではなく、2015年では『ローリングストーン』誌が選ぶ史上最高のプログレッシヴロックアルバム50選の中で第36位に選ばれた名盤でもある。

 ハルモニウムは1972年11月にカナダのケベック州モントリオールで結成されたグループである。結成の経緯は18歳からプロとして音楽活動をしていたセルジュ・フィオリ(ヴォーカル、ギター)が、劇場音楽の会合でミシェル・ノルマンドー(ヴォーカル、ギター)との出会いから始まる。そこにルイ・ヴァロワ(ベース)が加わり、ハルモニウムを結成している。トリオグループとして活動を開始した彼らは、すぐにケベック州のラジオ局CHOM-FMから声がかかり、初のエアプレイを行っている。その時に3曲を演奏しており、『インスタントコーヒーを注ぐ』と『音楽家のパルミタント・ドートル』の2曲はプロのレコーディングが行われ、最終的に1974年2月にリリースされるデビューアルバム『ハルモニウム』に収録されることになる。『インスタントコーヒーを注ぐ』という曲はケベック州で非常に人気があり、1974年の夏にラジオで大ヒットしたことでアルバムの売り上げも伸びたという。彼らは1974年4月に新たなメンバーとしてピエール・デニョー(サックス、フルート、ピッコロ、クラリネット)と8月にセルジュ・ロカ(ピアノ、キーボード)を迎え、ケベック州全域とフランス領カナダでソールドアウトツアーを開催。その合間にCBCラジオの番組『ジ・エンターテイナーズ』にも出演し、インタビューを受けたり演奏を行ったりするなど、ハルモニウムの知名度は飛躍的にアップしたという。

 1974年秋にセルジュ・フィオリとミシェル・ノルマンドーは、次に向けて『もし私たちに5番目の季節が必要だったら』という、春夏秋冬の四季に架空の5番目の季節を加えたコンセプトアルバムを考え始めている。それが1975年4月15日にリリースされるセカンドアルバム『レ・サンク・セゾン』である。特に5番目の曲は17分間に及ぶ長大な曲になっており、彼らのデビューアルバム『ハルモニウム』で演奏してきたフォークロックサウンドから脱却し、独自のプログレッシヴフォークサウンドへと移行した画期的な作品となっている。1975年3月にケベック州モントリオールにあるスタジオ・シックスにメンバーが入り、レコーディングを開始。レコーディングセッションには『イン・ザ・フェイス』でオンド・マルトノを演奏するマリー・ベルナールと、『言葉のない物語』で歌ったヴォーカリストのジュディ・リチャーズが招待されている。彼らは『ハルモニウム』を手掛けたミキシングエンジニアのピーター・バーンズの協力を得て、自分たちでセルフプロデュースしたという。こうして本アルバムはクオリティ・レコードの子会社であるセレブレーション・レコードからリリースされることになる。

★曲目★
01.Vert(緑)
02.Dixie(ディキシー)
03.Depuis L'Automne(秋から)
04.En Pleine Face(イン・ザ・フェイス)
05.Histoires Sans Paroles(言葉のない物語)

 本アルバムの1曲目の『緑』は春をイメージした曲であり、素晴らしいフルートのメロディから始まり、これまでのハルモニウムをイメージさせるアコースティカルな演奏とヴォーカルが特徴の楽曲。中盤からエレクトリックピアノが巧みに加わったジャズロックとなり、ヴォーカルのハーモニーは最高にキャッチーである。2曲目の『ディキシー』は夏をイメージした曲であり、ジャズの要素がありながらもフォークの要素はしっかりと残したポップチューン。跳ねるようなピアノの演奏と明るいヴォーカル、そして陽気なサックスなど、まるで踊り出したくなるような素敵な曲に仕上げている。3曲目の『秋から』はタイトル通り秋をイメージしており、10分を越える大曲となっている。少し暗雲めいたダークなオープニングからフォーク調のヴォーカル曲となり、悲し気なピアノの響きからバックに素晴らしいメロトロンが流れる。豊かな和音響く正統派フォークながらも壮大な雰囲気に仕上げており、セルジュ・フィオリの切ないながらも優雅な歌声が胸の奥に来てしまう。4曲目の『イン・ザ・フェイス』は冬をイメージした曲であり、素朴なフォークソングとなっているものの、アコーディオンやマリー・ベルナールによるオンド・マルトノの響きが牧歌的を越えて荘厳ですらある。繊細な賛美歌でもあり、フィオリが表現力豊かなヴォーカリストであることを改めて実感させてくれる。5曲目の『言葉のない物語』は、架空の季節を描いたもので17分に及ぶ大曲となっている。5つのパートに分かれており、最初はフルートのソロが展開されており、そこにメロトロンやアコースティックギターの旋律が華を添えている。そして陶酔するようなピアノの響きとギターリフが織り成し、桃源郷か夢想的な世界を描き切っている。中盤にリコーダーとメロトロンをバックに悲哀がこもったヴォーカルを聴かせてくれるのは、ゲストのジュディ・リチャーズである。長大な曲だが優雅な歌声にフォークの牧歌的要素や木管楽器を加えたメリハリの効いた情緒あふれる奥深い仕上がりには驚くばかりである。

 本アルバムは多くの音楽評論家から絶大な支持を受け、「これまでに録音された中で最も優れた過渡期のアルバムの1つであり、ケベックの音楽史に欠かせないもの」と評価されたという。その後、本作はRPMのトップアルバムチャートに16週間ランクインし、最高46位に達している。そしてリリースから1年以内にカナダ国内だけで5万枚を越える売上を記録し、カナダレコード協会からゴールド認定を受けることになる。彼らはクオリティ・レコードの子会社であるセレブレーション・レコードとの契約が切れたばかりだったが、この成功を受けて多くのレコード会社による争奪戦が起きている。最終的に1976年2月12日にコロンビアレコードのケベック拠点の子会社であるCBSディスクと契約。その数日後、アルバムはジュノー賞の年間最優秀アルバム賞にノミネートされ、ハルモニウムは年間最優秀グループ賞にもノミネートされ、それぞれ受賞している。1976年2月になるとボ・ディドリーのモントリオール公演のバックバンドに招集された彼らは、ドラマーのデニス・ファーマー(元ヴィル・エマール・ブルース・バンド、コントラクション、トゥバブー)と出会い、そのままハルモニウムに加入している。こうしてケベック州サン・セゼールにあるフィオリの自宅で数ヶ月に渡ってレコーディングを行い、1976年11月にサードアルバム『L'Heptade』をリリースしている。しかし、レコーディングが始まって間もなくアルバムの大半の作曲に携わったミシェル・ノルマンドーが脱退することになる。特に新たなメンバーを補充することなく、彼らは1976年9月から1977年6月にかけて110公演に及ぶ長期ツアーを組んでいる。ツアーは3つのレグに分かれており、それぞれゲストミュージシャンやセットリスト、演出を変えるほど凝っていたという。彼らはスーパートランプのヨーロッパツアーのオープニングを務め、世界的なグループへの足がかりを作ったが、今度はキーボード奏者のセルジュ・ロカがソロアルバムを録音するため、1977年11月に脱退。ロカの脱退に伴い、グループの活動は休止することになり、メンバーは外部のプロジェクトや活動をするようになったという。彼らはこれまでアメリカ全土のツアーこそ実現しなかったが、1978年9月にバークレーとロサンゼルスで数回のコンサートを行うよう招待されている。再度フィオリを中心にメンバーが集まり、キーボード奏者のセルジュ・ロカの代わりにはイヴァン・ウエレット、後にジェフ・フィッシャーが務めることになる。その後、グループの中心的な存在だったセルジュ・フィオリは、アメリカ公演を終えた後に脱退し、リチャード・セガンとタッグを組んでフィオリ・セガンとして一連の公演を行っている。フィオリが脱退する前、1979年4月にリリース予定だった4枚目のアルバムの作曲をほとんど終えていたという。ハルモニウムはヴァロワ、ファーマー、スタンリー、スビラナ、フォートゥーという構成で活動を継続していたが、結局4枚目のアルバムリリースは実現しなかったという。これが要因でメンバーは散発的にライヴで集まるのみになったとされている。

 それから30年後の2007年に、ハルモニウムのスタジオ・アルバム3枚すべてがボブ・マーセローの著書『カナダのベストアルバム100』において、カナダ史上最高のアルバム100枚に選出される。ケベック州出身のフランス語アルバムとしては、ジャン=ピエール・フェルランの『ジョーヌ』に次いで唯一の選出である。また、数分間の新録音を加えたアルバムのリミックス版である『L'heptade XL』は、2016年11月18日に40周年を記念してリリースされている。『L'heptade』の最初のミックスは、グループがケベックとニューブランズウィックをツアーしている間に作られたという。2018年には第40回ガラ・ド・ラディスクでハルモニウムが名誉フェリックス賞を受賞。ケベックの音楽史上最も影響力のあるグループの1つであったにも関わらず、残念ながらこの賞が創設された頃、グループは解散していたため、フェリックス賞を受賞することはなかったという。2015年の『ローリングストーン』誌は、本アルバムをベスト50プログレッシヴロックアルバムの36位に挙げ、ベストプログレッシヴフォークアルバムであると宣言している。

ハルモニウム レサンクセゾン アルバムアートハルモニウム レ・サンク・セゾン アルバムアートハルモニウム5人組のプロモ写真ハルモニウムのメンバー写真ハルモニウム、ライブ演奏の様子

 

アニメキャラが絵本の絵を見せる

 皆さんこんにちはそしてこんばんわです。今回はケベック州最高のプログレッシヴフォークグループであるハルモニウムのセカンドアルバム『レ・サンク・セゾン』を紹介しました。正式には『Si on avait besoin d'une cinquième saison』というタイトルで、四季にもう1つの架空の季節を加えた五季がテーマとなったコンセプトアルバムです。実はハルモニウムはフォークロックグループと認識していた私は、最近まで聴く機会が無く、数ヵ月前にようやく本アルバムを通して聴いたという経緯があります。確かにハルモニウムは牧歌的なフォークロックとして扱われていますが、その一語では片付けられないほど、ジャズ要素を巧みに取り入れ、しかもファンタジックに仕上げています。本アルバムは前作のフォークロックサウンドから脱却し、独自のプログレッシヴフォークサウンドへと移行した画期的な作品であり、聴けば聴くほどケベックロックを代表する最高のアルバムの1つであると気付かされます。

 さて、本アルバムですが、最初の4曲は季節でいう春夏秋冬をイメージした内容になっており、最後の5曲目が17分に及ぶ架空の季節を描いた構成になっています。ドラムレスのアコースティックサウンドを中心にフルートやクラリネット、ピアノやシンセサイザーを利用して瑞々しく演奏し、ジャズやロックを取り入れた非常にユニークな作品になっています。デビュー時はトリオ編成でしたが、本アルバムレコーディング時には金管楽器奏者のピエール・デニョーとキーボード奏者のセルジュ・ロカが加入したことで5人編成となり、音楽の幅が一気に広がったことも大きな要因の1つだと思っています。フルートやエレクトリックピアノといった柔らかい楽器に加えて、セルジュ・フィオリの心地よいフランス語のヴォーカルも素晴らしいです。17分を越える5番目の架空の季節を描いた『言葉のない物語』は、アートワークに描かれている桃源郷のようなファンタジックな音世界になっており、メロトロンも使用されて非常にプログレッシヴ性の高い内容になっています。彼らは3枚目のアルバム『L'heptade』で本格的にプログレッシヴロックの分野に足を踏み入れることになりますが、本アルバムはちょうど正統フォークロックからプログレッシヴロックサウンドへと向かう過渡期を演奏力で巧みに表現しています。とにかく彼らのアコースティカルな楽器と金管楽器は技術的なだけではなく、フォークロックらしい温かみがあるのが魅力的です。

 本アルバムはフランス語の美しい響きの歌詞にロックやジャズといったジャンルやグループの特徴を取り入れた、カナダのロック音楽の中でも特異点ともいうべきケベックロックを代表する気品ある1枚です。ローリング・ストーンズ誌が選ぶ音楽史上最高のプログレッシヴロックアルバム50選で、36位となった本アルバムは聴けば聴くほど味わい深いです。

それではまたっ!
 

カメレオン ライジング アルバムカバー

Chameleon/Rising
カメレオン/ライジング
2013年リリース(1973~1978年録音)

40年ぶりに発掘された
アメリカンプログレハードの傑作

 1970年代から1980年初頭まで活動していながらアルバム1枚も残せなかったアメリカのプログレッシヴロックグループ、カメレオンの未発表音源集。そのアルバムはイエスやジェネシスの影響を受けたテクニカルなシンフォニックロックとなっており、同時期のバビロンやリフト、イエッダ・ウルファといったグループに共通する非常にポテンシャルの高い演奏が大きなポイントになっている。本アルバムは1973年から1978年までのスタジオトラックだが、テキサスのレーベルであるシュルームエンジェル・レコードによって発掘されるまで、約40年間陽の目を見なかった貴重な作品でもある。

 カメレオンは1975年にアメリカテキサス州ヒューストンで結成されたグループである。元々、1969年に当時高校生だったマイク・ヒューイ(ドラムス)、リック・ヒューイ(ベース)の兄弟が中心となって結成したガレージバンドが母体となっており、友人のスペンサー・クラーク(ギター、ヴォーカル)をメンバーに引き入れ、エヴォレポというグループ名で活動を開始している。その後、1970年にクレイグ・ガイスラー(キーボード)が参加し、グループ名をロリエンと変更している。彼らの熱心なリハーサルとオリジナル曲の制作し、ヒューストン市内や近郊で演奏。その中のライブハウス「オブ・アワー・オウン」では、キャプテン・ビーフハートやアンボイ・デュークス(テッド・ニュージェント)、MC5のオープニングアクトを行っている。しかし、1972年の春になるとスペンサー・クラーク、マイク・ヒューイ、そしてクレイグ・ガイスラーの3人は高校卒業を目前にしており、すでに2年前に卒業していたリック・ヒューイと共に音楽活動を続けていくか悩んだものの、最終的に全員が共に活動をしていくことを誓っている。この頃、彼らの音楽はプログレッシヴな領域に踏み込んでいなかったが、英国のキング・クリムゾンやエマーソン・レイク&パーマー、ピーター・ガブリエル時代のジェネシス、そしてイエスといったグループの音楽を聴いては影響を受けていたという。後にキーボード主体のプログレッシヴロックへと目覚めていった彼らは、1975年までにグループ名をカメレオンに改名。そしてプログレッシヴロックグループとして知られて高く評価された彼らは、イーズ(後にオートマチックと改名)やラ・パス、エリック・ジョンソン率いるエレクトロマグネッツ、ヘイヨカ、ワン・ハンド・クラッピング、オズ・ノズといったヒューストンの著名なグループと共演している。彼らはヒューストン西部にあるスペンサーの納屋を改築した邸宅で週4~5晩リハーサルを行い、そこでプログレッシヴなスタイルを磨き上げていったという。この納屋でリハーサルされた楽曲は「バーン・テープス」として知られ、いくつかの楽曲をレコーディングしている。1978年にドラマーのマイク・ヒューイがグループを離れ、オズ・ノズからマーティ・ノールが加入。彼らはプログレッシヴロックグループになるというビジョンを強め始めたが、1981年にプログレッシヴロックの衰退を目の当たりにし、グループは解散することになる。本アルバムは1973年から1978年まで彼らが残した「バーン・テープス」を40年ぶりに発掘し、『ライジング』というタイトルで2013年にCDとしてリリースされた作品である。

【曲目】
01.Texas Cyclone(テキサス・サイクロン)
02.Follow Your Love ~Paradise Lost~(愛に従って~失楽園~)
03.Pilot Thoughts(パイロットの思考)
04.Brave New Way(ブレイブ・ニュー・ウェイ)
05.Drool Away(よだれを垂らす)
06.Pass Thru The Columbian Mountains(コロンビア山脈を通過)
07.Everyday Everyway(エヴィリディ・エヴリウェイ)
08.Mirkwood Forest(闇の森)
09.In The Heart(心の中で)
10.Saturate(飽和)
11.Midnight Matinee(ミッドナイト・マチネ)
12.Life Positions(人生のポジション)
13.In My Own Way(自分なりのやり方で)

 アルバムの1曲目の『テキサス・サイクロン』は、9分を越える大曲であり、彼らが最もプログレッシヴロックに寄せていた時代の楽曲。キーボードを中心にイエス風の猛烈なオープニングから疾走するベース、ハードなギターリフ、そして後半ではピアノをベースにした優雅な展開があり、彼らの構成やアレンジのセンスが高さが伺えるテクニカルな内容になっている。2曲目の『愛に従って~失楽園~』は、スペイシーなシンセサイザーから突き進むような痛快なロックナンバーとなる楽曲。スペンサー・クラークのギタープレイやヴォーカルが冴えており、アメリカらしい抜けのよいメロディとなっているのが特徴である。3曲目の『パイロットの思考』は、爆発シーンもあるものの、ドリーミーでメロウなスライドギターや優しいシンセサイザー、そして柔らかなアコースティックギターを聴かせた楽曲。ヘヴィな中でも全体的に非常にメロディアスであり、彼らの楽曲のセンスの高さが感じられる。4曲目の『ブレイブ・ニュー・ウェイ』は、跳ねるようなベースワークが特徴の軽快でポップな楽曲。全体的にヘヴィなギターとコーラスに満ちているが、最後には狂気じみたミニモーグ・ソロが展開する。5曲目の『よだれを垂らす』は、軽快なアコースティックギターとソウルフルなリードヴォーカルが特徴のブルージーなロック。後半の渦巻くようなキーボードやギターのアンサンブルがなかなか面白い。6曲目の『コロンビア山脈を通過』は、うねるようなベースや激しいギター、パワフルなドラムスの演奏を中心にしたインストゥルメンタル曲。ねじれたタイムチェンジが特徴で意外と中毒性がある。7曲目の『エヴィリディ・エヴリウェイ』は、ヘヴィなギターを中心としたハードロック。後半のツインギターの展開があるものの、これまでの曲とは一線を画した内容になっている。8曲目の『闇の森』は、ギターとキーボードによる豪快でダイナミックなオープニングから、落ち着いたアコースティックギターの調べと美しいシンセサイザーをバックにしたヴォーカル曲。泥臭さはあるもののトリッキーな展開が多く、意外と複雑な内容になっている。9曲目の『心の中で』は、ベースとアコースティックピアノが活躍するジャズフュージョン。1978年頃に録音された楽曲であり、彼らがフュージョンにも足を踏み入れていたことが分かる。10曲目の『飽和』は、ドナルド・フェイゲンとウォルター・ベッカーの影響が感じられる楽曲。こちらも1978年頃の録音であり、グルーヴィーなフュージョン・サウンドを狙っていたのだろう。11曲目の『ミッドナイト・マチネ』は、美しいシンセサイザーとギターの響きをメインにした軽快なポップロック・ナンバー。イエス風のハーモニーと中盤のエロイ風のスペーシーな展開が魅力的である。12曲目の『人生のポジション』は、こちらもイエス風の壮大なロックナンバー。浮遊感のあるスペイシーなキーボード、ドラマティックな展開、夢心地なヴォーカルなど、他のビッググループに引けを取らない内容になっている。13曲目の『自分なりのやり方で』は、1973年録音と言う彼らの最も古い楽曲。ピアノとアコースティックギターをバックにしたコーラス曲となっており、後半では賛美歌風のオルガンをフィーチャーしている。

 1981年の解散間際ではプログレッシヴロックスタイルからディスコやポップ路線も考えたという。しかし、自分たちの音楽がもう受け入れられない時代に突入したと感じ、解散を決意したという。メンバー全員はバラバラとなったが、キーボード奏者のクレイグ・ガイスラーは後にカントリーミュージックの道に進んでいる。ドラマーのマイク・ヒューイは地元ヒューストンのミュージシャンのバックバンドとして活躍し、1978年に加入したドラマーのマーティ・ノールは、以前在籍していたオズ・ノズに戻り、2000年代までそのグループのドラマーとして活躍している。彼らの残した「バーン・テープス」は録音状態があまり良いものではなかったが、発掘したテキサスのレーベル、シュルームエンジェル・レコードが修復して2013年に、13曲入りのコンピレーションCDとしてリリース。そのアルバムは当時公式に作品を残せなかったのが惜しまれる充実の内容になっている。

カメレオン ライジング アルバムアートワークカメレオン Rising アルバムカバー写真カメレオン ライジング メンバー写真カメレオン ライジング ライブ写真

 

カメレオン ライジング ジャケット画像

 皆さんこんにちはそしてこんばんわです。今回はアメリカのヒューストン出身のプログレッシヴロックグループ、カメレオンの未発表曲集であるアルバム『ライジング』を紹介しました。このアルバムは上でも述べている通り、当時公式に残せず、40年ぶりにテキサスのレーベルであるシュルームエンジェル・レコードによって発掘された作品です。一歩間違えれば陽の目を見ない作品だっただけに、こうしてCDとして聴くことができるのは奇跡的としか言いようがありません。彼らは高校生だった1969年から活動を始め、MC5やキャプテン・ビーフハート、そしてジ・アンボイ・デュークス(テッド・ニュージェント)のオープニングアクトを務めるなど、かなり実力を持っていたにも関わらず、レコード会社との接点が見いだせないまま解散することになります。彼らは「バーン・テープス」といった録音テープを残すことになりますが、たぶんそのテープはギター兼ヴォーカルのスペンサー・クラーク宅の改築した納屋で発見して、スペンサー自身がレーベルに提供したのではないかと思っています。とはいえ、受け取ったシュルームエンジェル・レコードが録音状態を確認して修復の末、3フォールドのデジパックCDとしてリリースしているのに好感が持てます。しかも1973年から1978年までの彼らの活動を網羅した13曲入りのコンピレーションCDとなっており、彼らを知る上では十分な内容になっていると思います。

 さて、本アルバムですが、ブリティッシュスタイルのアートロック、シンフォニック、ジャズフュージョン、そしてハードロックといった幅広いジャンルによるバラエティ豊かな作品になっています。特に彼らのプログレッシヴロック魂を感じられる1曲目の『テキサス・サイクロン』は、先の読めない展開と疾走感、ヘヴィでありながら優美であるアレンジ力が素晴らしいです。他にもトリッキーな展開が多く、意外と複雑な内容になった8曲目の『闇の森』やイエスを彷彿とさせる12曲目の『人生のポジション』など聴きどころのある楽曲が多く、1曲1曲、意外と丁寧に作られているな~と感心してしまいます。プログレに限らず、ハードロックやジャズフュージョンといった演奏できる辺り、彼らの進む方向性はいくつもあったはずなのに解散してしまうとは残念です。その演奏力の高さから当時公式作品を残さなかったことが惜しまれる作品です。発掘された作品は必ずしも傑作とは言い切れないものが多いのですが、本アルバムは個人的には当たりです。ぜひ、この機会に聴いてみてください。

それではまたっ!
 

 

チェレステのアルバムジャケット、妖精と小人

Celeste/Second Plus
チェレステ/セカンド・プラス
1993年リリース(1976年録音+)

神秘性と幻想美を内包した
幻のセカンドアルバム

 当時のイタリアのグループでは珍しいメロトロンを前面にフィーチャーしたチェレステが、セカンドアルバムとしてリリースする予定だった幻の作品。本アルバムは1991年にアナログで限定リリースされた1976年当時の未発表音源集『CelesteⅡ』に、数曲のボーナストラックを加えてCD化されたものであり、メロトロンやフルートを活かしたシンフォニックなサウンドがありつつも全体的にサックス奏者のレオナルド・ラゴリオによるプログレッシヴなジャズロックになっているのが特徴である。ファーストアルバムとはまた違ったジャジーな味わいのある内容になっているが、これが未発表曲とは信じられないほどの圧巻のクオリティを誇った名作となっている。

 チェレステはイタリアの西側に位置するイグーリア州の港湾都市サンレモで結成されたグループである。このサンレモという都市は、1951年から続くイタリアの様々なポピュラー音楽やアーティストを輩出し、多くの外国アーティストも参加する世界的な音楽祭があることで有名である。そんなチェレステは元々、1969年から1971にかけて活動していたIl Sistema(イル・システマ)というグループが母体となっている。メンバーはエンツォ・メログノ(ギター、ヴォーカル)、レオナルド・ラゴリオ(フルート、サックス、エレクトリックピアノ)、フロリアーノ・ロジェロ(オルガン)、ルチアーノ・カバンナ(ベース、ヴォーカル)、チロ・ペリーノ(ドラムス、パーカッション、フルート、ヴォーカル)の5人編成である。このイル・システマは1970年代初期のグループに多かったハモンドオルガンを駆使したクラシカルな音楽性とサイケデリック色の強いプログレッシヴな感性を持ち合わせたグループであり、ムソルグスキーの『はげ山の一夜』をモチーフにした楽曲もあったという。イル・システマはイタリア国内で多くのライヴを行ったり、スタジオでレコーディングを行ったりと活動の幅を広げてきたが、アルバムのレコーディング途中でメンバーの分裂騒動が起こり、1971年に解散している。なお、このイル・システマが録音したと思われるスタジオテイクのいくつかの曲は、後に発掘されて1990年代にCD化されている。

 分裂騒動に発展したイル・システマのメンバーだったエンツォ・メログノとレオナルド・ラゴリオは、1971年に同じサンレモ出身のカヴァーグループであるラ・キンタ・ストラーダのメンバーといっしょにイタリアンプログレの傑作『ツァラトゥストラ組曲』を生み出したムゼオ・ローゼンバッハというグループを結成する。しかし、アルバムのレコーディング前にレオナルド・ラゴリオが脱退し、1972年にイル・システマのドラマーだったチロ・ペリーノと組んで結成したのがチェレステである。結成当時のメンバーはレオナルド・ラゴリオ(キーボード、フルート、サックス)、チロ・ペリーノ(ドラムス、パーカッション、フルート、キーボード、ヴォーカル)、マリアーノ・スキアヴォリーニ(ギター、ヴァイオリン)、ジョルジョ・バッタリア(ベース)の4人編成となっており、チェレステはシンフォニックな音楽性を追求したムゼオ・ローゼンバッハとは違い、アコースティックの楽器を中心とした繊細な演奏を追求するために結成されたという。彼らは地元のサンレモでライヴ活動を行いつつ、スタジオでリハーサルやレコーディングを繰り返し、アルバムのリリースに向けて準備を整えていたという。しかし、なかなかレコード会社が決まらず、結成から4年の月日が経った1976年に、イタリアのFonit Cetra傘下のレーベルとして発足したgrogレーベルと契約。デビューアルバムとなる『Celeste(Principe di un Giormo)』がリリースされる。このアルバムのマテリアルは1973年頃に作曲、1974年頃にレコーディングされたものを使用しているが、アコースティックギター、フルート、ヴァイオリン、そしてメロトロンを中心とした牧歌的で哀感を湛えた秀逸なメロディにあふれたイタリアンプログレの傑作となっている。しかし、アルバムリリース後に、彼らはセカンドアルバムのレコーディングを開始するが、デビューアルバムのセールスが芳しくなかったことに対するメンバーの不満とそれに伴う音楽性の不一致が原因で1977年に解散している。さらに所属していたgrogレーベルがイタリアの社会情勢のあおりで消滅してしまったため、本アルバムは廃盤後、長い間プレミア化が続くことになる。そんな中、突然10年以上経った1991年に当時リリースできなかったセカンドアルバムのリリース化の話が舞い込む。それはメンバーだったドラマーのチロ・ペリーノが創始者となっているMellow Recordからの計らいであり、1991年に4曲の未発表音源を収録したアナログ盤『チェレステⅡ』をリリース。彼らにとってお蔵入りしていたセカンドアルバム用の音源が陽の目を見たことになる。そして1993年にボーナストラックを加えた本CD盤『セカンド・プラス』がリリースされることになる。

★曲目★
01.Il Giardino Armonico(ハーモニアス・ガーデン)
02.Bassa Marea(干潮)
03.Un Mazzo Di Ortiche(イラクサの束)
04.Settottavi(ラウンド16)
05.All'ombra Di Un Fungo(キノコの影)
06.La Danza Del Mare - Parte I/II(海のダンス - パート I/II)
07.Slancio Dell'immaginazione(イマジネーションズ・リープ)
08.Un'anima Nell'universo(宇宙の魂)
09.Nodissea(ノディッセア)
10.Ala Del Pensiero(思考の翼)
11.Lontano Profondo(ファー・ディープ)
12.Il Giardino Armonico - Ripresa(ハーモニアス・ガーデン - リプライズ)

 アルバムの1曲目の『ハーモニアス・ガーデン』は、芳醇なメロトロンによる響きを中心とした美しい曲。シンフォニックな要素を持った重厚なサウンドだが、イタリア然とした温かみを感じる。2曲目の『干潮』はダークなボレロをイメージさせる曲。ティンパニのリズムに乗せて多彩なキーボードが渦巻いている。3曲目の『イラクサの束』は、13分を越える大曲。レオナルド・ラゴリオのサックスとジョルジョ・バッタリアのベースが際立ったジャズロックだが、アコースティックギターやシンセサイザーをバックにしたフォーキーな要素がある。4曲目の『ラウンド16』は、こちらも10分を越える大曲になっている。シロフォンの軽やかな響きとパーカッション、そしてシンセサイザーをバックに伸びやかなサックスを乗せたシンフォニックなジャズロックとなっており、非常に心地よいサウンドに仕上げている。5曲目の『キノコの影』は、アコースティカルなギターと牧歌的なフルート、そしてサックスをバックにしたヴォーカル曲。録音自体はあまり良くないが手数の多いドラミングやメロトロンの使用など全体的なクオリティは高い。6曲目の『海のダンス-パートⅠ/Ⅱ』は、14分を越える大曲であり、アルバムのハイライト的な楽曲。哀愁のあるサックスを中心としたジャムセッションであり、アコースティックギターとの絡みが聴きどころ。シロフォンを加えたパーカッシヴな要素があるなど、リズムセクションが活躍している。7曲目の『イマジネーション・リープ』は、エレクトリックピアノやサックスを中心とした典型的なジャズ。そこにサイケなシンセサイザーを加味させている。8曲目の『宇宙の魂』は、チノ・ペリーノのフルートを中心としたジャズロック。繊細なフルートの音色とエレクトリックピアノとの絡みが心地よい。9曲目の『ノディッセア』は、ムーディーなサックスと重厚なベース音がリードするジャズロック。転がるようなエレクトリックピアノの鍵盤裁きや情感的なフルートの音色が特徴である。10曲目『思考の翼』は、エレクトリックピアノとベース、メロトロン、そしてサックスが際立った楽曲。緩やかな流れの中でそれぞれの楽器がしっかりと主張している。11曲目の『ファー・ディープ』は、フルートやメロトロンを駆使したシンフォニックな楽曲。従来のチェレステらしいメロディを主体とした美しい内容になっている。12曲目の『ハーモニアス・ガーデン - リプライズ』は、1曲目と同じ重厚なメロトロンによるハーモニーで終えている。こうしてアルバムを通して聴いてみると、当時の彼らが繊細なアコースティック楽器を駆使したシンフォニックな演奏から、ジャズロック的なアプローチのある演奏へと路線変更を考えていたことが分かる。イタリアの多くのグループがジャズロックを演奏して成功していた時期でもあり、彼らも追随する流れだったが、結局心に残ったのはメロトロンを利用したシンフォニックロックであったという。

 本アルバムがリリースされた後、1992年にMellow Recordから別のアルバム『I Suoni In Una Sfera』がリリースされる。これは1970年代の未発表音源(後に『Principe Di Un Giorno』に収録される2曲を含む)が収録されているほか、映画のサウンドトラック用に作曲されたものとされており、デビューアルバムに近い内容になっているという。ちなみにグループが解散した後、ドラマーのチロ・ペリーノはベーシストだったジョルジョ・バッタリアも所属していたSt.Tropezをはじめ、Compagnia Digitale、SNCなどで演奏。ペリーノは1980年にソロアルバムをリリース後、マウロ・モロニとともにイタリアのプログレッシヴロックの世界的普及に重要な役割を果たすことになるMellow Recordを設立することになる。Mellow Recordは先の『セカンド・プラス』や『I Suoni In Una Sfera』、2010年にはイル・システマやSt.Tropezのすべての録音作品と多くの未発表曲を収録した4CDボックスセットをリリースするなど、チェレステに関する作品を次々と世に送り出す貢献を果たしている。そんな中、2019年にチロ・ペリーノを中心とした多数のゲストミュージシャンと共に制作したニューアルバム『Il Risveglio Del Principe(王子の目覚め)』でチェレステを復活させている。これはチェレステのスタジオアルバムとしては2枚目であり、タイトルはファーストアルバムに近いものにしている。2021年には『Il Principe Del Regno Perduto(失われた王国の王子)』、2022年には『セレスティアル・シンフォニー・オーケストラ』、2024年には『Echi Di Un Futuro Passato』、最近では『Anima animus』がリリースされているなど、現在でも精力的に活動を続けている。

チェレステの幻想的なイラストと妖精チェレステのライブ演奏写真とセカンドアルバム情報チェレステメンバー4人:キーボード、ベース、ドラム、サックス

 

チェレステ セカンドプラス イラスト

 皆さんこんにちはそしてこんばんわです。ちょっと私自身が入院と自宅療養することになり、さらにPCの調子が良くなかったことも相まって約1ヵ月ブログがストップする羽目になりました。報告が遅れただけではなく、多くの方に御心配をおかけしたことを本当に申し訳なく思っています。というわけで復活したわけですが、これまで通りマイペースで書いていきます。今後ともよろしくお願いいたします。

 さて、今回は現在でも活動を続けているイタリアのプログレッシヴロックグループ、チェレステの未発表音源集とボーナストラックを収録した『セカンド・プラス』を紹介しました。このアルバムとの出会いは古く、ヨーロピアン・ロック・コレクションシリーズでファーストアルバムを聴いて感動し、数年後の1990年代後半あたりに手に入れて聴いていました。個人的に本アルバムの大きな特徴としまして、やはりジャケットのイラストにあると思っています。楽器を持った小人とそれを眺めるフェアリーと言った感じでしょうか。私の好きな日本のイラストレーターである天野喜孝のイメージにも近く、半分はこのために買ったといっても過言ではありません。ちなみにイラストを手掛けたのはアラベル・ウィギンズというイラストレーターで、1993年のチロ・ペリーノのソロアルバム『内なる庭』のジャケットも描いているそうです。

 そんなチェレステのセカンドアルバムに相当する作品ですが、1991年にリリースした限定300枚のアナログ盤『Ⅱ』の4曲とボーナストラックの8曲の計12曲の構成となっています。『Ⅱ』の4曲は3、4、5、6曲目であり、長めのジャズロックとなっているのが大きな特徴で、この4曲だけ聴くとチェレステのファーストのイメージから程遠く感じてしまうかも知れません。全体的にサックス奏者のレオナルド・ラゴリオとジョルジョ・バッタリアのベースによるプログレッシヴなジャズ/フュージョンといった感じですが、フルートやアコースティックギターを織り成した繊細なサウンドはチェレステらしく、フォークロックをベースにしたシンフォニックな要素が垣間見ることができます。それでも1曲目のメロトロンを駆使したハーモニーや11曲目のフルートやメロトロンの美しいアンサンブルといったメロディを主体とした楽曲に、彼らの美学が感じられて思わず感動していまいます。彼らはイタリアの潮流でもあったジャズロック路線に進もうとしましたが、やはりアコースティカルな楽器を主体としたメロディアスな旋律こそチェレステであり、それを知ってか知らずか、再結成後の2019年のアルバムはファーストを彷彿とさせる神秘性と幻想性が広がった素晴らしいサウンドになっています。

 本アルバムはチェレステがサックスやフルートを駆使したジャズロックをメインに、シンフォニックな楽曲を残したバラエティに富んだ作品になっています。ファーストのイメージからは程遠いですが、両方聴くと彼らの幅広い音楽性とメロディにおけるセンスが感じられるはずです。ぜひ、これを機に聴いてみてください。

それではまたっ!
 

 

SERÚ GIRÁN SR-2 QB-32304 車両

Serú Girán/Serú Girán
セル・ヒラン/ファースト
1978年リリース

圧倒的な技巧と優美な感性で彩られた
アルゼンチンが誇るラテンロックの傑作

 天才チャーリー・ガルシアが凄腕のミュージシャンと組んだアルゼンチンのプログレッシヴスーパーグループ、セル・ヒランのデビューアルバム。そのアルバムは波打つようなストリングス・シンセサイザーや流麗なラインを刻むベース、そして何よりも切ないまでの抒情的なヴォーカルが素晴らしく、技巧を誇るミュージシャンが詩情あふれる「歌」にすべてを託したラテンロックの大傑作。本アルバムには『セル・ヒラン』、『セミナー』、『エイティ・レダ』といった後のアルゼンチンロックの名曲が収録されおり、2021年リマスター化を機に注目されている作品でもある。

 セル・ヒランは1978年にチャーリー・ガルシア(キーボード、ヴォーカル)、ペドロ・アスナール(ベース)、ダヴィッド・レボン(ギター)、オスカー・モロ(ドラムス)によって結成されたアルゼンチンのスーパーグループである。中心となっているのはチャーリー・ガルシアで、彼は10代の頃の1960年代後半に同級生のニト・メストレと共にスイ・ジェネリスというグループを結成し、商業的にも成功した3枚のスタジオアルバムをリリースしたマルチミュージシャンとして有名である。1976年に解散した後、彼は短命に終わったアコースティックグループのポルスイジェコとラ・マキナ・デ・アセル・パハロスに参加。後者は南米のロックシーンにおいてプログレッシヴロックを試みた2枚のアルバムを残している。その後、彼は新しいアルバムの曲作りをするために、ギタリストのダヴィッド・レボンに声をかけてブラジルに渡っている。ダヴィッド・レボンは1960年代にアルゼンチンロック界での先駆者の1人とされているビリー・ボンドのグループに参加したのを皮切りに、エデルミロ・モリナーリが率いるカラー・ヒューマノやルイス・アルベルト・スピネッタが結成したペスカド・ラビオソというグループにも参加。さらに1973年にはチャーリー・ガルシアが在籍していたスイ・ジェネリスにもゲストで演奏しており、その頃からガルシアとは旧知の仲だったという。彼は1975年末にスイ・ジェネリスのドラマーであるファン・ロドリゲスとベーシストのリナルド・ラファネッリと共に、ポリフェモというロックグループを結成したが、1枚のアルバムをリリース後に解散。その後、新たなメンバーを迎えてセレステというグループに変えて活動していたが、チャーリー・ガルシアを中心としたブラジルで音楽制作のプロジェクト「セル・ヒラン」に参加している。1978年にガルシアとレボンの2人はブラジルのリオデジャネイロから東に170km離れたブジオスに向かったという。そこで曲作りを始めたが資金難となり、大きな成果を生み出せずにアルゼンチンに帰国している。ブエノスアイレスに戻ったガルシアは、ある夜、フォークロックグループのパストラルが演奏しているバーで、そこで弾いていたペドロ・アスナールのベースに魅了したという。それはガルシア自身が、演奏後に舞台裏に赴いてアスナールを探しに行ったほどである。ペドロ・アスナールは15歳の時にピンク・フロイドのアルバムにちなんで名付けられたグループ、マドレ・アトミカからキャリアスタートしており、1977年にはグスタボ・モレットに誘われて、プログレッシヴロックグループであるアレスに参加した名ベーシストである。モレットが音楽の洗練さを求めてボストンへ旅立ったため、アレスは解散。その頃アスナールはベーシストのジャコ・パストリアスと彼のフレットレス・ベースの演奏に初めて触れ、その後フレットレス・ベースを弾くようになったという。1977年後半にはラウル・ポルチェットのグループに加入し、フォークロックグループのパストラルにも短期間在籍。そのパストラルのライヴの時にチャーリー・ガルシアと出会うことになる。ペドロ・アスナールはガルシアの誘いに応じ、「セル・ヒラン」に参加することになる。

 そしてその数か月後にガルシアは知り合いのドラマーであるオスカー・モロをメンバーに加えている。オスカー・モロは1960年代のアルゼンチンの名グループであるロス・ガトスに在籍していたドラマーで、1970年に解散した後はバスのドライバーになっていたという。その後、ダヴィッド・レボンが一時ドラマーとして参加したエデルミロ・モリナーリが率いるカラー・ヒューマノで復帰し、実験的なアルバム2枚を残している。モロはその後、スイ・ジェネリス解散後にガルシアが着手したシンフォニックな実験グループであるラ・マキナ・デ・アセル・パハロスへの参加を依頼。そこでアフリカ由来のパーカッションを取り入れるなど、彼のドラムスの幅を広げたという。1976年にパストラルのアルバム『ヒューノス』のレコーディングにも参加し、パストラルのライヴステージではベーシストのペドロ・アスナールと共演している。2枚のアルバムを残してラ・マキナ・デ・アセル・パハロスは解散し、行くあてが無かったモロをガルシアが誘った形になっている。こうして1978年にチャーリー・ガルシア(キーボード、ヴォーカル)、ペドロ・アスナール(ベース)、ダヴィッド・レボン(ギター)、オスカー・モロ(ドラムス)というスーパーグループが誕生することになる。契約金の前金で、ガルシアはサンパウロ行きのチケット代を全額負担し、彼らは先にブラジルに向かっていたレボンと合流。すでにブラジルに住んでいたビリー・ボンドは、セル・ヒランのメンバーと再会し、彼らのファーストアルバムをプロデュースしている。彼らは経済的な困難にもかかわらず、15曲以上を作曲。その中の8曲がファーストアルバムに収録されることになる。レコーディングはサンパウロのエルドラド・スタジオで始まり、アメリカのロサンゼルスにあるABCレコーディング・スタジオまで足を運んでいる。こうして1978年11月2日にセル・ヒランのデビューアルバムが、レコードレーベルのサザムからリリースされることになる。

★曲目★
01.Eití Leda(エイティ・レダ)
02.El Mendigo En El Andén(プラットフォーム上の物乞い)
03.Separata(別れ)
04.Autos, Jets, Aviones, Barcos(車、ジェット機、飛行機、ボート)
05.Serú Girán(セル・ヒラン)
06.Seminare(セミナー)
07.Voy A Mil(私は1000マイルを走る)
08.Cosmigonon(宇宙創生)

 アルバムの1曲目の『エイティ・レダ』は、ストリングスをバックにアコースティックギター、そしてピアノを湛え、甘美なヴォーカルを綴った曲。どこか牧歌的で静謐さがありながら力強さが感じられるが、ブレイク後にシンセサイザーとブラスが加味されたフュージョンタッチのアンサンブルに変化する。後半にはレボンのギターソロもあり、官能的ともいえる彼らのメロディが散りばめられた名曲である。2曲目の『プラットフォーム上の物乞い』は、アコースティックギターとピアノ、そして柔らかなベースによる楽曲。AORにも似たファルセットのコーラスハーモニーがあり、全体的に煌びやかなラテン的なノリのあるメロディアスな内容になっている。3曲目の『別れ』は、ピアノの伴奏をバックに悲哀のこもったヴォーカルが印象的な楽曲。短いながらも非常にロマンティックな内容に終始している。4曲目の『車、ジェット機、飛行機、ボート』は、テクニカルなパーカッションのリズムと多彩なメロディを放ったシンセサイザーが特徴的なフュージョンナンバー。サンバ風なノリとストリングスを加味させたシンフォニック的な要素が合わさっており、優美なアレンジに昇華している。5曲目の『セル・ヒラン』は、荘厳ともいえるオーケストラを導入した幻想美あふれた楽曲。クラシカルなピアノと合わせるようなファルセットのヴォーカル、そしてジャズやロックが融合したアンサンブルへと変化していくのが素晴らしい。6曲目の『セミナー』は、ピアノをバックにガルシアの心のこもった哀愁のヴォーカルが胸打つ楽曲。軽やかに進む中、後半のシンセサイザーソロは感動的である。7曲目の『私は1000マイルを走る』は、レボンのエレクトリックギターがリードするファンキーなラテンロック。アスナールの凄まじい指捌きのベースをはじめ、ストリングスやブラスが加わっており、これまでとは打って変わった力強いヴォーカルが印象的である。8曲目の『宇宙創生』は、ヘヴィなギターリフとストリングスシンセサイザーを中心とした楽曲となっており、宇宙というミステリアスな雰囲気を創生した楽曲で終えている。

 アルバムレコーディング後、セル・ヒランの初ライヴは、ブエノスアイレスにあるリアチュエロ川に停泊した船上で行われ、ジャーナリストやミュージシャン、そして友人のみを招待している。その2週間後の1978年7月28日にブエノスアイレスのルナ・パーク・スタジアムで初の観客の前で演奏。ヒューマン・ジェネティクス・ファウンデーションと名付けられたフェスティバルには、ニト・メストレやパストラル、レオン・ヒエコらも参加していたという。しかし、アルバムリリース後、アンセムとなるヒット曲を収録していたにもかかわらず、懐疑的な観客の心を掴むことはできなかったとされている。その後、メディアは彼らを批判し、中でもラ・オピニオン紙は彼らをアルゼンチンで最悪の存在と評し、「同性愛者のような声」を持っていると非難している。しかし、1979年に最初にカセットテープでリリースしたセカンドアルバム『La grasa de las capitales』で、アルバムカバーは人気雑誌『Gente』のジャケットを模し、トラックの一部には当時大流行していたディスコミュージックを採用。ディスコのような「商業音楽」と、シンフォニックロックやプログレッシヴロックのような「野心的な音楽」との対立の中で、社会の浅薄さを浮かび上がらせたメッセージが人々の心をつかみ、セル・ヒランは当時アルゼンチンで最も影響力のあるグループの1つとされる。その後も彼らはライヴステージで並々ならぬ努力と粘り強さで、批評家と観客の両方の意見を変えることに成功している。1980年には独裁政権下で政治的に困難な時期を迎えたアルゼンチンの現実をとらえたサードアルバム『ビシクレタ』をリリース。そして1か月後の1980年8月に彼らはブラジルのリオデジャネイロで開催されたリオ・ジャズ・モンテレー・フェスティバルに出演。そこではギタリストのパット・メセニーやジョージ・デュークとの演奏をはじめ、ジョン・マクラフリンやエルメート・パスコアル、エグベルト・ジスモンティ、ウェザー・リポートなどとも演奏する機会を得たという。その後、人気アーティストだったルイス・アルベルト・スピネッタと共にライヴを行い、1980年12月30日には6万人を動員したラ・ルーラルで歴史的な無料コンサートを開催している。この若者たちの強い影響から1981年、当時の独裁者だったロベルト・ヴィオラは、若者が直面する問題への「懸念」を国民に示すため、ロックミュージシャンとの関係構築を試みる動きをし、最初に声をかけたのがセル・ヒランである。そして1981年に4枚目のアルバム『ペペリーナ』がリリースされ、多くのヒット曲が生まれている。しかし、1982年1月にベーシストのペドロ・アスナールが、名門バークリー音楽大学への進学を表明したためグループから脱退。彼はその後、アメリカ人ギタリストのパット・メセニーに誘われて、彼のグループに参加することになる。アスナールの脱退が引き金となり、セル・ヒランは数か月後に解散をすることになる。その後、彼らはアルゼンチンのロックやジャズシーンを牽引するアーティストとなって活躍。1992年には法的な問題を乗り越えて、ガルシアとモロ、アスナール、そしてレボンが再び集まり、5枚目となる『セル '92』をレコーディングしている。このスタジオアルバムは発売前にも関わらず、数々の賞を受賞し、商業的にも成功を収めている。その後も各メンバーはそれぞれのソロアルバムに参加したり、プロジェクト的に集まったりと2000年代まで活動を続けたという。しかし、2006年7月11日の朝、ドラマーのオスカー・モロがブエノスアイレスのパレルモ地区の自宅で胃出血のため逝去。58歳という若さだった。オスカー・モロの死から1年後の2007年7月26日には、多くのアルゼンチンのロックスターが追悼コンサートに集まり、チャーリー・ガルシアとペドロ・アスナールが『デサルマ・イ・サングラ』をはじめ、5曲を演奏して彼の死を悼んだという。

Serú Girán アルバムジャケットと車両セル・ヒラン debut album photographyセル・ヒランのデビューアルバムメンバー写真セル・ヒラン、メンバー集合写真

 

Serú Girán SR 2 OB 32304 レコード

 皆さんこんにちはそしてこんばんわです。今回はその卓越した演奏技術で南米ロック史上最高のグループの1つとされているセル・ヒランのデビューアルバムを紹介しました。彼らは5年間という短い活動期間でありながら、アルゼンチン国内だけではなくラテンロックの発展において最も重要な音楽グループとされており、その後に登場する数多くのアーティストやロックグループに多大な影響を与えた名グループとして有名です。また、1970年代後半から1980年代初頭にかけて国を覆ったアルゼンチンの軍事独裁政権に対してアルバムを通して反対する声明を発したことで、多くのメディアの注目を集めたグループでもあります。すでにメンバー4人とも1960年代から1970年代のアルゼンチンロックシーンを牽引するグループに所属していた経歴を持っており、結成時はスーパーグループとされていました。しかし、彼らは軍事政権下であったアルゼンチンを離れ、ブラジルでレコーディングした時は、一時ビリー・ボンド・アンド・ザ・ジェッツというグループ名を使用して活動していたそうです。ビリー・ボンドはセル・ヒランのメンバーたちが最初の曲をレコーディングできるようにスタジオを確保し、その見返りとしてビリー・ボンドと共に演奏したテープを保管する約束をしていたためです。このテープは1年後に『ビリー・ボンド・アンド・ザ・ジェッツ』というタイトルでリリースされています。軍事政権下であったアルゼンチンで活動を制限されていたため、セル・ヒランのメンバーはブラジルと自国のアルゼンチンを行き来し、ライヴで資金を集めながらアルバム制作をせざるを得なかったというのがよく分かります。そんなスーパーグループでさえも最初はマスコミから叩かれ、音楽関係者からは批判され、一時は解散も考えたそうです。しかし、セカンドアルバムからファンの心を掴み、ライヴで多くの音楽関係者の考えを変えていくことになります。さらには軍事政権に対して反対するメッセージを込めたアルバムをリリースし、6万人を動員したラ・ルーラルで歴史的な無料コンサートを開催するなど、国民的なグループに昇りつめることになります。セル・ヒランがアルゼンチンロックシーンにおいて重要なグループとされているのは、1980年代から勃興する多くのロックグループに道を作ったグループとされているためです。

 さて、そんなセル・ヒランのデビューアルバムですが、楽曲の複雑さに加えて、プログレッシヴロックやジャズフュージョンといった多様なリズムや音楽スタイルの探求、そしてシンセサイザーやオーケストラシンフォニーの使用など、アルゼンチンにおけるロックの転換点となった作品とされています。4人のテクニカルな演奏の中で天上から舞い降りるかのような美しいメロディ、そしてセンチメンタルなガルシアのヴォーカルによる最高峰ともいえる「詩情」を綴っており、そのすべてがメロディへと昇りつめていく格調高いフュージョンタッチのアンサンブルは素晴らしいのひと言です。チャーリー・ガルシアによる胸打つストリングスシンセサイザーやペドロ・アスナールの圧倒的な技巧のベース、ダヴィッド・レボンの甘美なギターワーク、そしてオスカー・モロの繊細でありながら力強いドラミングなど、4人のこれまでの技術を集約したかのような演奏には感動すら与えます。また、チャーリー・ガルシアの切なくどこか哀しみを湛えたヴォーカルは、ロバート・ワイアットに迫るような悲哀さを持っています。シンフォニックロックとなった1曲目の『エイティ・レダ』や優美なオーケストラを纏ったタイトル曲の『セル・ヒラン』、そして『セミナー』は、名曲であり個人的に好きな曲です。

 本アルバムは後年のアルゼンチンにおけるアーティストや音楽グループに大きな影響を与えたと言われている作品です。ぜひ、彼らの技巧的な演奏の中にひと際光った「詩情」あふれる音楽を堪能してみてください。

それではまたっ!