Deep Purple/The Book Of Taliesyn
ディープ・パープル/詩人タリエシンの世界
1968年リリース
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サイケ&アートロックにも通じる
ディープ・パープルの華麗なる世界
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レッド・ツェッペリンやブラック・サバスと並び、1970年代前半の偉大なハードロックグループの代表格であるディープ・パープルのセカンドアルバム。そのアルバムは6世紀ごろ活動したと言われるウェールズの吟遊詩人タリエシンの作品を編纂した『タリエシンの書』から取られたもので、ニール・ダイアモンドやザ・ビートルズ、アイク&ティナ・ターナーのカヴァー曲をはじめ、ベートーヴェンの『交響曲第7番』第二楽章やリヒャルト・シュトラウスの交響詩『ツァラトゥストラはかく語りき』を用いた曲があるなど、サイケデリック&アートロックの色彩が強い作品となっている。8曲中3曲がカヴァー曲となっているが、ジョン・ロードのキーボード奏者としてのクオリティと創造性の高さ、そしてリッチー・ブラックモアのハードエッジなギタープレイが堪能できる第一期の全盛期とも言える作品になっている。
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ディープ・パープルは1968年イギリスのロンドンで結成されたグループである。ディープ・パープルの前身となったのは前年の1967年に元サーチャーズのドラマーであったクリス・カーティスが結成をしようとしていた新グループ、ラウンドアバウトである。カーティスはグループのメンバーがまるで音楽のラウンドアバウトのように「乗り降り」するスーパーグループを作ることだったという。この計画に感銘を受けたロンドンの実業家トニー・エドワーズは、ラウンドアバウトのマネージャーを受け、ビジネスパートナーであるジョン・コレッタとロン・ハイアと共に、この事業に資金を提供することに合意。彼らはハイヤー・エドワーズ・コレッタ・エンタープライズ(HEC)を設立することになる。グループの最初のメンバーは、カーティスのルームメイトであり、クラシック音楽の訓練を受けたハモンドオルガン奏者のジョン・ロードである。ロードは当時、ヴォーカルグループであるフラワー・ポット・メンのバックバンドとしてベーシストのニック・シンパー、ドラマーのカルロ・リトルと共に演奏していたという。ロードはラウンドアバウト・プロジェクトに採用されたことを2人に知らせ、シンパーとリトルは了承。その後シンパーは、ロードにギタリストのリッチー・ブラックモアを推薦している。シンパーは自身の最初のグループであるレネゲードがブラックモアの初期のグループの1つであるドミネーターとほぼ同時期にデビューしており、以前から知っていた間柄であったという。人選に難航していたHECは、シンパーの推薦通りに動き、1967年12月初め、当時ハンブルクで主にセッション活動をしていたギタリストのリッチー・ブラックモアに加入を要請している。その後、ロードはニック・シンパーにベースで参加するよう説得し、また、ブラックモアの推薦でヴィンス・テイラーのプレイボーイズの元ドラマーだったボビー・‘ウッドマン’・クラークをメンバーにしている。こうして、1968年3月にロード、ブラックモア、シンパー、ウッドマンの4人は、ハートフォードシャー州サウスミムズのカントリーハウス、ディーブスホールに引っ越し、彼らはこの家で生活しつつ作曲やリハーサルを行ったという。この時、マネージャーのエドワーズとコレッタは6,000ポンドを投資してハモンドオルガンC3など必要な楽器や機材をメンバーに買い与え、以後もビジネス面で様々な貢献をしている。ラウンドアバウトの結成に始まるディープ・パープルの歴史において、エドワーズとコレッタが果たした役割は非常に大きかったと今日に至るまで評価されている。
彼らはリードヴォーカリストの募集を行い、ロッド・スチュワートを含む数十人がオーディションを行ったという。その中でクラブバンドであるメイズのロッド・エヴァンスの声が、自分たちのスタイルに合っていると考えて採用。さらにオーディションに来たエヴァンスには、同じくメイズのメンバーだったイアン・ペイスが同行していたという。ブラックモアは1966年にドイツでメイズのツアーに参加していた当時18歳のペイスのドラミングを見て感銘したという。こうしてペイスはドラマーのボビー・‘ウッドマン’・クラークと交代する形で加入することになる。彼らは1968年4月にデンマークとスウェーデンを短期間ツアーした際、依然としてラウンドアバウトの名で活動していたが、ブラックモアは祖母のお気に入りの曲であるピーター・デローズの『夢のディープ・パープル』にちなんで、新しいグループ名としてディープ・パープルと改めている。レコード会社との契約交渉は難航したが、1968年5月6日にアメリカのテトラグラマトン・レコードという小さなレコード会社と契約し、5月11日から13日まで、ブラックモアとは旧知の間柄だったデレク・ローレンスをプロデューサーに迎えてデビュー・アルバムを制作。6月にはジョー・サウスの曲をカヴァーした『ハッシュ』をデビュー・シングルとして発表している。このシングルは9月のビルボード誌でシングルチャート第4位を記録するヒットとなり、彼らは新人グループとしては異例と言われるほどの順調なスタートを切っている。デビュー・アルバム『Shades of Deep Purple(ハッシュ)』は、1968年7月にアメリカでテトラグラマトンレコードから、9月にイギリスでパーロフォンから発表。アメリカのチャートでは10月24日に最高位24位を記録し、日本ではテトラグラマトンレコードの原盤が、1969年4月に日本グラモフォンから『紫の世界』の邦題で発売されている。ディープ・パープルの初舞台は、1968年8月にイングランドのサリーで開催された第8回ナショナル・ジャズ・アンド・ブルース・フェスティバルである。商機と見たテトラグラマトンレコードは、彼らに次のアルバムの制作を要請。ディープ・パープルの2枚目のアルバム『詩人タリエシンの世界』はすぐにレコーディングされ、ツアーと同時期の1968年10月にアメリカ、カナダでリリースされることになる。そのアルバムは8曲中3曲がカヴァー曲となっているが、ジョン・ロードの創造性豊かなキーボードによるサイケデリック&アートロックの音楽性の中で、リッチー・ブラックモアのハードエッジなギターが光っており、後のハードロックグループとして君臨するディープ・パープルの片鱗がうかがえる逸品となっている。
★曲目★
01.Listen, Learn, Read On(リッスン、リーン、リード・オン)
02.Wring that Neck(リング・ザット・ネック)
03.Kentucky Woman(ケンタッキー・ウーマン)
04.a.Exposition(エクスポジション)
b.We Can Work It Out(恋を抱きしめよう)
05.The Shield(シールド)
06.Anthem(聖なる歌)
07.River Deep, Mountain High(リヴァー・ディープ、マウンテン・ハイ)
アルバムの1曲目の『リッスン、リーン、リード・オン』は、古典的な神話やヒッピーの神秘主義を巧みに織り交ぜた非常に優れたサイケデリックロック。イアン・ペイスの複雑で手数の多いドラミングが素晴らしく、ロッド・エヴァンスの深いリバーブの中、低い声で詩を語るヴォーカルが印象的である。2曲目の『リング・ザット・ネック』は、ロードのオルガンとブラックモアのギターによるインストゥメンタル曲。第二期以降でも演奏されるライヴの定番曲であり、2人のコンビの真価が存分に発揮されている。アメリカ版では『Hard Road』と題されている。3曲目の『ケンタッキー・ウーマン』は、1967年のニール・ダイアモンドのヒットシングル曲。ディープ・パープルのバージョンは音楽的にミッチ・ライダーの『デビル・ウィズ・ア・ブルー・ドレス・オン』のスタイルに傾いている。4曲目の『エクスポジション』は、2つの章に分かれており、前半ではベートーヴェンの『交響曲第7番 第二楽章』とチャイコフスキーの幻想序曲『ロメオとジュリエット』のパロディである。また、ジョン・ロードがハモンドオルガンを激しく弾き、リッチー・ブラックモアはより激しいギターワークを披露し、トリッキーなフェイクエンディングも収録している。後半ではザ・ビートルズの『恋を抱きしめよう』の曲をベースにしており、グルーヴィーな雰囲気に仕上げている。5曲目の『シールド』は、速いウォーキングビートとマイナーとメジャーの間を揺らめくサウンドが特徴的な楽曲。また『ハッシュ』でも使用されたハモンドパーカッションと独創的なギターブレイクがある。6曲目の『アンセム』は、シンフォニック要素のある楽曲で、中間部にはジョン・ロードによる見事なバロック調のアレンジが施されている。弦楽四重奏とブラックモアの味わい深いギターの融合も素晴らしい。7曲目の『リヴァー・ディープ、マウンテン・ハイ』は、アイク&ティナ・ターナーが1966年に発表した楽曲のカヴァー。10分を越える大曲となっており、ハモンドオルガンを中心に展開された壮大な楽曲となっている。冒頭にはリヒャルト・シュトラウスの交響詩『ツァラトゥストラはかく語りき』を用いており、ヴァニラ・ファッジのようなスローダウンした引き延ばされた葬送曲となっており、曲が進むにつれてオーソドックスなオリジナルのカヴァーへと変化している。リッチー・ブラックモアは素晴らしいハーモニーギターがあり、1960年代後半のサイケデリック&アートロックの神髄が堪能できる曲となっている。
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本アルバムはニール・ダイアモンドの『ケンタッキー・ウーマン』が収録されており、シングルはアメリカのビルボードチャートで第38位、カナダのRPMチャートで第21位にランクインしたものの、アルバム自体は芳しくなかったという。それは前作同様、レコード会社の意向でアメリカ市場を中心とした販売だったことが大きく、本国イギリスでは翌年まで発売されなかったことが大きい。必然的にアメリカでの活動が重視され、リリース月から年末まで初のアメリカツアーを開催。彼らはツアー初日の10月18日にロサンゼルスのザ・フォーラムで、フェアウェルツアーを行っていたクリームの前座を務めている。それを皮切りに数々の活動を行い、年末の12月20日から31日まではニューヨークのフィルモア・イーストやエレクトリック・サーカスのステージに立っている。また、1968年後半のアメリカツアー中に彼らは『プレイボーイ・アフター・ダーク』や『ザ・デーティング・ゲーム』など、テレビ番組に出演して注目を集めている。この間に『詩人タリエシンの世界』から先の『ケンタッキー・ウーマン』がシングルカットされて38位まで上昇し、同アルバムも40位まで上昇している。なお、イギリスではアメリカツアーが終わった後の1969年7月に、本アルバムがハーヴェスト・レコードから発表され、日本ではテトラグラマトン・レコードの原盤が、1969年6月に日本グラモフォンから『ディープ・パープルの華麗なる世界』の邦題で発売されている。
1969年初頭に彼らはアルバム未収録だったシングル『エマレッタ』をリリースしている。これは当時のミュージカル『ヘアー』の出演者で、エヴァンスが口説こうとしていたエマレッタ・マークスにちなんで名付けられたである。その後、彼らはイギリス国内で活動を行いながら、2月から3月にかけてサードアルバムを制作。アルバムには、弦楽器と木管楽器をフィーチャーした『エイプリル』という曲が収録されており、バッハやリムスキー=コルサコフといったロードの古典音楽の先駆者的な作品が披露されている。ディープ・パープルの北米レコードレーベルであるテトラグラマトンは、1969年のアメリカツアー終了までディープ・パープルのアルバム制作を延期している。この延期と破産寸前のレーベルによる精彩を欠いたプロモーション活動のため、アルバムは売れ行きが振るわず、ビルボードのトップ100にも入らなかったという。1969年6月下旬にサードアルバム『ディープ・パープルⅢ』がようやくリリースされた直後、テトラグラマトンは倒産してしまい、グループは資金難と不透明な将来に見舞われたとされている。テトラグラマトンの資産は最終的にワーナー・ブラザース・レコードに引き継がれ、同社は1970年代を通してアメリカでディープ・パープルのレコードをリリースしていくことになる。一方、この頃からグループ内でメンバー間の意見の対立が表面化し、同年3月頃にシンパーとエヴァンスがグループから離れることになる。この背景には1969年のアメリカツアー中、ロードとブラックモアはペイスと会い、グループのヘヴィロック面をさらに発展させたいという希望について話し合ったという。この頃の英米のロックシーンはレッド・ツェッペリンによる当時は斬新だったハードロック・サウンドに注目が集まっていたという。エヴァンスとシンパーは彼らの思い描くスタイルには合わないと判断し、その夏に両者を辞めさせたという経緯がある。シンパーとエヴァンスは、6月にイギリス各地で行われたコンサートを終え、7月4日のカーディフ公演を最後にディープ・パープルを去っている。エヴァンスとシンパーは後にそれぞれキャプテン・ビヨンドとウォーホースというグループを結成することになる。このような形で第一期ディープ・パープルは崩壊していくことになる。
新しいヴォーカリストを探していたブラックモアは、19歳の歌手テリー・リードに目をつけたが断られている。その後、ブラックモアのジ・アウトローズ時代からの旧友であるミック・アンダーウッドからエピソード・シックスのイアン・ギランを紹介されている。成功を夢見ていたギランは承諾し、ギランは条件として同行していたエピソード・シックスのベーシストであるロジャー・グローヴァーの加入を要請したという。こうして2人は正式にディープ・パープルのメンバーとなり、ジョン・ロード、リッチー・ブラックモア、イアン・ペイス、イアン・ギラン、ロジャー・グローヴァーの5人による第二期ディープ・パープルが始動することになる。
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皆さんこんにちはそしてこんばんわです。今回は第一期ディープ・パープルのラインナップによるセカンドアルバム『詩人タリエシンの世界』を紹介しました。ディープ・パープルというと第二期以降のハードロック路線が有名ですが、プログレッシヴロックの愛好家からすると第一期も非常に興味深く、ミステリアスな中に妙に官能的で繊細さが感じられるサウンドに惹かれます。その中でもジョン・ロードの古典的なクラシックの要素を散りばめたキーボードプレイやリッチー・ブラックモアのハードエッジなギタープレイ、そして何よりもロッド・エヴァンスの色っぽくジェントルなヴォーカルが楽曲に非常に合っている気がします。これまでリッチー・ブラックモアは「ヴァニラ・ファッジのクローンになりたかった」と主張しているとおり、ポップソングをハードロック風にアレンジしたり、シュープリームスの曲をカヴァーしたりするヴァニラ・ファッジのスタイルを積極的に取り入れていました。しかし、サードアルバムの制作中の1969年にレッド・ツェッペリンがデビューし、重厚なサウンドによるハードロック路線が注目したことにより、すぐさま方向転換してロッド・エヴァンスとニック・シンパーを交代させています。当然、第一期のクラシックとの協調路線を推進していたジョン・ロードもハードロック路線に反対していましたが、ロイヤル・アルバート・ホールで作曲家のマルコム・アーノルドが指揮するロイヤル・フィルハーモニー管弦楽団と共演。ロードが作曲した『グループとオーケストラのための協奏曲』を披露したことによって、少しは満足したのか最終的にジョン・ロードはハードロック路線を承認しています。とにかく一歩間違えればグループが崩壊しかねない状況の中、あの手この手でグループの将来に向けた動きをしたリッチー・ブラックモアの熱意と手腕に驚くばかりです。
さて、本アルバムですが、時間的な制約から完成度の高いオリジナル曲が十分に揃わなかったため、計8曲の収録曲のうち3曲がカヴァー作品となっています。当時のロックグループはレコード会社の意向もあり、英米のヒット曲をアレンジして発売するやり方が流行っていましたが、本アルバムはアメリカ市場での売り上げを意識し、ニール・ダイアモンドやアイク&ティナ・ターナーのカヴァー曲を収録しています。しかし、デビューアルバムの『Shades of Deep Purple』よりもトラック数は長く、アレンジはより複雑でサウンドはより洗練されています。レコーディング作業のテンションは非常に高く、特にリッチー・ブラックモアが完璧な演奏を繰り広げていたと言われており、当時は充実した中で録音が行われたことがうかがえます。5曲のオリジナルのうち『エクスポジション』は、ベートーヴェンの『交響曲第7番 第二楽章』とチャイコフスキーの幻想序曲『ロメオとジュリエット』をモチーフとしており、アイク&ティナ・ターナーの『リヴァー・ディープ・マウンテン・ハイ』の導入部にリヒャルト・シュトラウスの交響詩『ツァラトゥストラはかく語りき』といったクラシック曲を用いています。音楽スタイルはサイケデリックロック、プログレッシヴロック、ハードロックを融合したもので、当時のオリジナル曲やカヴァーのアレンジはキーボード奏者ジョン・ロードが主導権を握っており、彼の古典的なクラシック要素と手法を取り入れていることが分かります。その一方で1曲目の『リッスン、リーン、リード・オン』でイアン・ペイスによる複雑なドラミングをはじめ、2曲目の『リング・ザット・ネック』のキーボードとギターの共演から、後のハードロックの片鱗を魅せているのも興味深いです。また、イギリスのイラストレーター兼作家のジョン・ヴァーノン・ロードによってペンとインクと色を使って描かれた素晴らしいジャケットアートも本アルバムの価値を一段と高めていますね。
本アルバムは第一期ディープ・パープル時代のサイケデリック&アートロックの神髄が味わえる作品です。第二期以降のハードロック路線とはまた違ったミステリアスで官能的なサウンドをぜひ聴いてみてください。
それではまたっ!





























































