Supertramp/Crime Of The Century
スーパートランプ/クライム・オブ・ザ・センチュリー
1974年リリース
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世界への第一歩を踏み出した
プログレッシヴポップの傑作
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プログレッシヴロックの洗練されたアレンジとコンセプチュアルな歌詞をポップの世界に持ち込んだ英国のロックグループ、スーパートランプのサードアルバム。そのアルバムは新たにドラマーのボブ・C・ベンバーグ、木管楽器奏者でバックヴォーカルのジョン・ヘリウェル、ベーシストのダギー・トムソンを迎え、そして共同プロデューサーのケン・スコットが参加した初のアルバムであり、商業的に失敗した前作までのプログレッシヴな要素を払拭し、若者の孤独や不安といった歌詞世界を類まれなポップセンスで落とし込んだ彼らの初期の傑作でもある。本アルバムは多くのシングルヒットが生まれ、イギリスやカナダ、ドイツでトップ5入りを果たし、オーストラリアやフランスでもトップ20入りを果たすほど商業的に成功し、ローリングストーン誌の「史上最高のプログレッシヴロック・アルバム50」で27位に選出されている。
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スーパートランプは1970年にザ・ロンリー・ワンズというグループのオルガン奏者であったリック・デイヴィスを中心に、英国のロンドンで結成されたグループである。リック・デイヴィスが所属をしていたザ・ロンリー・ワンズは元々R&Bを演奏するグループだったが、1968年に多くのドイツ映画のサウンドトラックを手掛けるザ・ジョイントに改名している。その後、ディヴィスはドイツのミュンヘンを拠点に音楽活動をしていたが、このまま続けていった方が良いか悩んでいたという。そんな折に彼はミュンヘンでオランダ人の大富豪であるスタンリー・アウグスト・ミーゼゲスと出会い、新しいグループを結成するための資金援助の申し出を受けることになる。デイヴィスは新しいグループを結成することを決意し、スイスから帰国後、1969年8月に音楽雑誌「メロディー・メーカー」に広告を掲載。その広告に募集してきたのがベース兼ギタリストでありシンガーソングライターでもあるロジャー・ホジソンである。2人はすぐに意気投合し、当初はダディというグループ名だったが、1970年1月にスーパートランプと改めている。スーパートランプという名前はデイヴィスが同姓のよしみで好きだったというウィリアム・ヘンリー・デイヴィスの小説『素晴らしき放浪者の自叙伝(The Autobiography of a Super-Tramp)』からとられたものである。
2人はさらに、リチャード・パーマー(ギター)、チャード・デイヴィス(オルガン、ピアノ、ハーモニカ)、ロバート・ミラー(ドラムス、パーカッション)をメンバーにして5人編成にしている。こうして彼らは新興のA&Mレコードのイギリス支社と契約した最初のアーティストの1つとなり、1970年の夏までに最初のアルバム『スーパートランプ』をレコーディングすることになる。そのアルバムはホジソンの繊細なハイトーンを活かした幻想的な楽曲と、デイヴィスの力強い低めの声を活かしたブルージーな楽曲の対比がグループの音楽性に幅を持たせていたという。その後、ホジソンとデイヴィス以外のメンバーを一新し、フランク・ファレル(ベース、ピアノ、アコーディオン、ヴォーカル)、デイブ・ウィンスロップ(フルート、サックス)、ケビン・カリー(パーカッション)を迎えたセカンドアルバム『消えない刻印』を1971年にリリースする。しかし、デビューアルバムと同様に商業的に失敗し、レコード会社が企画したツアーも失敗してしまい、グループは窮地に追い込まれたという。そんな中、デイヴィスとホジソンはドラマーのボブ・C・ベンバーグ、木管楽器奏者でバックヴォーカルのジョン・ヘリウェル、そしてベーシストのダギー・トムソンを迎えてグループを再活性化を図り、そこにレコード会社であるA&Mのデイブ・マージェレソンが協力。マージェレソンはこの新しいメンバーを含めた5人を西ドーセットにある17世紀の農場に送り、次のアルバムのリハーサルを行わせたという。1974年2月から6月にかけて彼らはロンドンのトライデントスタジオ、ラムポートスタジオ、スコーピオサウンドスタジオに入り、ケン・スコットを共同プロデューサーに迎えてレコーディングを行っている。アルバムのレコーディング中、デイヴィスとホジソンは約42曲のデモ曲を録音し、その中からアルバム用に8曲を選曲している。こうして日本語で「世紀の犯罪」というタイトルの『クライム・オブ・ザ・センチュリー』が、1974年10月25日にリリースされる。
★曲目★
01.School(スクール)
02.Bloody Well Right(ブラッディ・ウェル・ライト)
03.Hide In Your Shell(貝殻のひとりごと)
04.Asylum(アサイラム)
05.Dreamer(ドリーマー)
06.Rudy(ルーディ)
07.If Everyone Was Listening(ピエロになるのは嫌)
08.Crime Of The Century(クライム・オブ・ザ・センチュリー)
アルバムの1曲目の『スクール』は、ハーモニカのイントロから、ギターのフレーズに乗ったハイトーンのヴォーカルへと続くジャズフュージョンの影響を受けた逸品。この曲がデイヴィスの寄宿学校での自身の経験に基づいており、少女の叫び声については多くの意味が込められているという。悲し気な歌詞と対比するかのような力強さがあり、プログレを演奏してきた彼らなりのアレンジの賜物でもある。2曲目の『ブラッディ・ウェル・ライト』は華麗なエレクトリックピアノやワウギター、サックスを中心とした楽曲。曲調によってヴォーカルが替わるなど、緩急とハーモニーを活かした彼ららしいサウンドである。この曲はアメリカのビルボードホット200で35位に達している。3曲目の『貝殻のひとりごと』は、メロウなエレクトリックピアノとサックスに乗せたポップソング。この曲はホジソンがとても孤独を感じていた時に思いついた曲であり、ポップでありながらどこか悲し気なヴォーカルが印象的である。サックスが導くサビのメロディは逸品のひと言。4曲目の『アサイラム』は、誘われるようなピアノの音色をバックに歌うデイヴィスの情感的なヴォーカルが素晴らしい楽曲。気分が優れず、他人から「狂っている」と思われて「精神病院」に送られる人を描いた歌詞がユーモラスである。5曲目の『ドリーマー』は、ホジソンが19歳の時に母親の家で自宅のウーリッツァー・ピアノを使って作曲したキャッチーなポップソング。煌びやかなウーリッツァー・ピアノとコーラスの融合をマルチトラック・マシンでかけて実現している。6曲目の『ルーディ』は、ルーディという孤独な男を描いた歌詞が印象的な楽曲。流麗なピアノとパーカッションを中心としたジャズフュージョンであり、列車の音はロンドン・パディントン駅で録音され、曲中の群衆の声はレスター・スクエアで録音されたという。7曲目の『ピエロになるのは嫌』は、直訳では「もし皆が聴いていたら」であり、終わりが近づいていることを告げる陰鬱なミュージカルの最後のセリフのような歌声が印象的なメランコリックな楽曲。高らかなピアノとメロウなサックスの音色、そしてリチャード・ヒューソンによるオーケストラアレンジががどこか物悲しく感じる。8曲目の『クライム・オブ・ザ・センチュリー』は、アルバムで最も力強い曲。激しいブルースから始まり、ピアノとストリングスオーケストラへと続き、そして抒情的なサックスで盛り上がりながら終わっている。まさにこれから「世紀の犯罪」が行われようとしている映画の予告のようである。こうしてアルバムを通して聴いてみると、若者たちの孤独と精神の探求といったテーマに基づいたコンセプチャルな歌詞と、キーボードやギター、サックス、ストリングスといった楽器で、プログレを演奏してきた彼ららしい巧みなアレンジが結びついた傑作である。感情的なロジャー・ホジソンとよりロックを追求するリック・デイヴィスという方向性が異なる2人の作曲家が、共通の方針で作った素晴らしい作品でもある。
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本アルバムは英国で1975年3月のアルバムチャートで最高4位に達し、グループの商業的な躍進のきっかけとなり、アメリカでも初の全米トップ40アルバムとなったという。シングルの『ドリーマー』は英国のチャートで13位に達する大ヒットとなった一方、B面の曲『ブラッディ・ウェル・ライト』はアメリカのビルボードホット100で35位にランクインしたという。また、本アルバムはカナダで特に成功し、2年以上アルバムチャートに留まり、最高4位に達して100万枚以上の売上を示すダイアモンド認定を受けている。さらに1978年には、著名なロック評論家やDJの投票で史上最高のアルバム200枚を選出する「ワールド・クリティック・リスト」で108位にランクインしたという。本アルバムで一気に人気グループの仲間入りを果たした彼らは、その後も1975年に『危機への招待』や1977年に『蒼い序曲』などリリースして立て続けにヒットを飛ばし、1976年5月には唯一の来日公演を行うなど、日本でもスーパートランプが注目されることになる。そして1979年に発表したアルバム『ブレックファスト・イン・アメリカ』は、全米ビルボードチャート第1位を獲得。そのポップなメロディとユニークなジャケットの効果もあって、アメリカだけで400万枚(全世界で2,000万枚)を売り上げるなど、彼らにとって最大のヒットとなったという。しかし、1982年の『フェイマス・ラスト・ワーズ』発表後、中心メンバーの1人であるロジャー・ホジソンが脱退してしまいソロに転向。グループはもう1人の主要メンバーであるリック・デイヴィスを中心に活動を続けるもののセールス的には下降線をたどることになり、1988年のツアー終了後、ダギー・トムソンの脱退表明を機にスーパートランプは解散してしまうことになる。その後、1996年にデイヴィスの呼びかけで再結成が図られ、翌年の1997年にアルバム『永遠への贈り物』を発表。しかし、再結成したもののライヴ活動やアルバム制作もままならならず、2002年に5年ぶりの新作アルバム『Slow Motion』をリリースするも振るわず、再度グループは活動休止してしまう。2010年にはスーパートランプ40周年記念として再度デイヴィスを中心にライヴツアーを敢行するために再結成が図られたが、デイヴィスは2015年まで続けていたツアーをキャンセルしている。理由は多発性骨髄腫と診断されたためである。彼は2025年9月6日、ニューヨーク州イーストハンプトンの自宅で、病気の合併症により81歳で亡くなることになる。一方のロジャー・ホジソンはその40周年記念のライヴツアーに招待されなかったが、2010年にソロアーティストとしてアメリカ、オーストラリア、ニュージーランド、南米、ヨーロッパ、カナダなど世界ツアーを敢行。2012年5月にホジソンはフランスから芸術文化勲章ナイトを授与され、2019年6月4日にはパリのオランピア劇場でのツアー中に、今度はフランスの文化大臣フランク・リーステール氏から芸術文化勲章を授与されたという。本アルバムは2015年にローリングストーン誌によって、27番目に優れたプログレッシヴロック・アルバムに選出されるなど、スーパートランプの初期の傑作だけではなく、その後の多くのロックミュージシャンに影響を与えた最高のアルバムとして高く評価されている。
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皆さんこんにちはそしてこんばんわです。今回は1979年リリースの『ブレックファスト・イン・アメリカ』と双璧をなすスーパートランプのサードアルバム『クライム・オブ・ザ・センチュリー』を紹介しました。以前の2枚のアルバムがほとんど売れず、ツアーも失敗して解散寸前まで追い込まれた彼らが、メンバーを一新して尚且つプログレ色を払拭して挑んだアルバムです。その反動は凄まじく、プログレッシヴロックの洗練されたアレンジとコンセプチュアルな歌詞をポップの世界に持ち込んだ本作は、本国イギリスだけではなくカナダやドイツ、アメリカ、オーストラリア、フランスでも注目され、商業的な成功だけではなく世界的なグループへと足がかりとなった作品でもあります。ホジソンとデイヴィスは両者とも、このアルバムのレコーディング中はグループ内のコミュニケーションが最高潮に達したと述べており、また2人の異なる個性のぶつかり合いこそが、あの素晴らしい音楽を生み出していると言われています。全米で1位となった『ブレックファスト・イン・アメリカ』のアルバムは世界的な名盤とされていますが、『スクール』や『ブラッディ・ウェル・ライト』、『ルーディ』といったライヴの定番曲が多い本アルバムも、やはりスーパートランプの初期の傑作であることは間違いありません。
さて、そんな本アルバムですが、思春期の不安『貝殻のひとりごと』や大人の疎外感『ルーディ』と怒り『アサイラム』など、若者たちの孤独と精神の安定というテーマで綴られたコンセプトアルバムになっています。歌詞についてホジソンは「ルディがこのアルバムの登場人物であり、当時のデイヴィスの自伝的側面もある」と述べており、日本語に訳された歌詞を読みながら聴いてみると、まるで英国の街中が思い浮かぶ短編映画を観ているような気分になります。元々、プログレッシヴロックを演奏していただけあって、キーボードやギター、サックスといった楽器の配置やアレンジ、そして緩急の付け方は素晴らしいのひと言です。ポップなのにジャズフュージョン的な要素があったり、クラシカルな要素、さらにはブルース的な要素が散りばめられており、彼らの巧みな演奏力はさすがとしか言いようがありません。アルバムが最後の曲である『クライム・オブ・ザ・センチュリー』は、荘厳なオーケストラアレンジが導入されており、だんだん盛り上がっていく流れは、まるで「世紀の犯罪」がこれから行われようとしている映画の予告のようではありませんか。個人的には1曲1曲それぞれ聴きどころが多いものの、トータルで聴くと人間の生き様を描いたコンセプトアルバムであるということに気付かされます。
本アルバムは解散寸前だったグループの状態から起死回生の大ヒットとなった彼らの初期の傑作です。後の名盤『ブレックファスト・イン・アメリカ』にも通じるハイレベルのポップセンスをぜひ聴いてみてください。
それではまたっ!




























































