見せかけだけ不特定多数 | メタボリックがとまらない ver.7 東京出戻り編

メタボリックがとまらない ver.7 東京出戻り編

副題 : もう遠距離の異動は無いだろう

https://news.yahoo.co.jp/articles/d20e6761eb0f91230f12ebfd8f87faed15301bdb 


AERA dot.が、独自で2000人からアンケートを取っていたようで、その結果を公表しているのですが、AERA dot.でアンケートを取ったのなら、このような結果になるだろうなあとは思ったのですが、同時にそのような手法こそが、マスコミ不信に繋がっている事を理解してないんだなあとも思った。




このアンケートの結果自体は、確かにそのような数字を叩き出したのでしょうが、本当の意味での不特定多数だったのかと言えば、AERA dot.の読者を中心とするアンケートですので、不特定と呼ぶには厳しい。
テレビとは違って、公正中立を求められてませんから、偏りが有るのは否めませんが、偏りが有る事を隠す事に対して、今の人は敏感になっているし、偏りが有る事を隠していたのがバレた時には、今の人は過敏に嫌悪感を示すか、そのようなメディアから黙ってスーッと離れていく。
これは最近始まった事ではなく、少なくとも20年前には始まっていた傾向ですが、どうもメディアの世界に住んでいる人達は、そのような傾向が強まっている事を理解してないし、そのようなメディアを利用する人達も、そのような傾向が強まっている事を理解していない。




今回のAERA dot.の記事を例にすると、まずアンケートを取った2000人の支持政党を公表すべきなのに、それを省いて記事を進めている。
確かに2000人から集めたデータなんでしょうが、AERA dot.を好んで読む層という「偏り」がある以上、そのアンケートの結果には、同様の偏りが存在しても不思議ではない訳で、だからこそ「不特定」という言葉を使うのは厳しくなる。
AERA dot.を好んで読む層が、リベラルや左翼が多いのだとすれば、そのような層が支持する政党は、立憲や社民、れいわや共産となる傾向が強いでしょうし、反自民となる傾向が強いと思いますが、そのような「偏り」を隠して、あたかも国民の全てに共通する意識であるかのように、アンケートの結果を利用するからこそ、いわゆるオールドメディアに対する信用が薄れていくのだ。




「偏り」がある事は別に不思議な事ではないし、「偏り」がある事を批判している訳でもない。
しかし「偏り」がありながら、「公平」「中立」であるかのように振舞う事について、私は汚いと感じますし、それが世間にバレてきたからこそ、オールドメディア離れという結果も出ているのではないか?
「偏り」を持つ人が、「私には偏りがある」と宣言した上で主張するなら、聞き手も割り引いて主張を聞くでしょうが、「偏り」を持つ人が、「私は公平中立である」と宣言した上で主張したなら、聞き手は割り引かずに主張を聞くだろう。
そのような主張をした人が、実は「偏り」を持つ人だったとバレた時には、聞き手が嫌悪感や冷めた気分になるのは仕方ないのですが、聞き手がそのような感情を持つであろうという事を、オールドメディアは理解出来ないでいる。




そのような聞き手の感情を理解出来ないのに、国民感情とか、市民の思いとか言ってしまう事を、その界隈の人達は変に思わないのだろうか?
変に思わないからこそ、それを続けているのでしょうが、そりゃあ衰退していくわいな。