いきなりこんなことを綴るのも失礼極まりないのですが、正直に記すと、私は当初、八重沢なとりさんの配信を見るつもりは全くありませんでした。
 誤解があるといけないので補足しますが、最初にピノ様の配信と出会った時点では、アイドル部メンバー全員の動画を見たり配信を追ったりするつもりは全くなかったのです。

 理由は、ピノ様の最初の配信でアイドル部メンバー紹介があって、全員で12人いると分かった時に、これは全員の動画を見るのはかなり大変だぞと思ったからです。
 見たとしても、ピノ様とごんごんさんだけかなと。

 でも、昨年末から年明けにかけて、ピノ様とごんごんさんの動画を、配信をリアルタイムで見るのも含めてずっと見てくる中で、アイドル部の横のつながりが強いというか、例えば、変にグループが出来ていて、そのグループ間ではほとんどつながりがないみたいなことがないということが、次第にわかってきて…。
 ピノ様はほかのメンバーのことを「お姉ちゃん」呼びしていて、ほかのメンバーのことを大切に思っている様子が伝わってきましたし、ごんごんさんは雑談の中で物まねをしていて、いったいどういう人なんだと、次第に興味が湧いてきたのです。
 特に、「オスオス!もこ田めめめだよ!」とごんごんさんが物まねするのが強く印象に残っていて…。
 なので、実はごんごんさんの配信や動画を一通り見終えて、次に見たのはめめめさんの動画や配信だったりするのですが、実はその頃には、アベマTVでの実況王の動画を見ていて、ヤマトイオリさんとなとりさんのことは、少し知っていました。

 で、めめめさんの動画を一通り見終えた後は、確か『マリオカート』でコラボしたイオリさんの動画を見始めて、その頃になとりさんが『ポケモン』のイーブイ(通称ピカブイ)の配信をしているのを、おすすめ動画か何かで知り…。

 なので、なとりさんの配信や動画を見始めてからは、実はまだ3か月くらいしか経っていないのです。たぶん、2月のピカブイの配信はリアルタイムで見れなかったのですが、その少し前くらいにアーカイブ動画を見たのかな?
 あれ?計算が合わないな。その前の配信はリアルタイムで見た気がします。その配信の直前にアーカイブを頑張って見終えたはずです。
 で、その時の配信で、なとりさんのくしゃみがオンエアされるという。そして、ものすごく慌てていたのです。

 その瞬間に立ち会えたことで、一気に私はなとりさんのファンになりました。

 ごんごんさんの時もそうでしたが、生配信中にトラブルを巻き起こしたり、巻き込まれたりしたときに、その瞬間や直後の対応が面白い人というのは、私は本当に好きなのです。

 もしもあの時、くしゃみオンエアがなかったら、私はなとりさんの動画については、ピカブイ以外は見なかったと思うのです。

 なぜここまで、私はピノ様以外の配信に消極的かというと、元々の性格が、のめりこみやすいからです。
 少しでも面白いと思うと、それに集中してしまうのです。
 でも、先述の通り、アイドル部は12人います。その12人の動画を一通り見たり、配信をすべて追ったりするのは、かなり大変です。少なくとも、最初はそう思っていました。
 なので、全員を追わずに、アイドル部の中の2~3人だけ追えばいいかなと。
 でも、ピノ様から始まり、ごんごんさん、めめめさんと、いろいろな人の動画や配信を見るようになり、また私が興味のあるゲームに手を出しているのを知ってしまうと、つい、見てしまうのです。
 で、アイドル部メンバーは各々、異なった魅力があり、結果、5月12日にこの記事を執筆しているのですが、この時点でまだ動画を見ていないのは木曽あずきさんの物だけです。夜桜たまさんの動画もまだすべて見終えていませんが、興味がない麻雀動画さえも見始めています。

 ただ、アイドル部以外は追わないつもりでいた中で、25年前になるのですね、スーパーファミコンの『スーパードンキーコング』をプレイする新人V-Tuberが登場してしまい、その人の動画を見ています。
 …これ以上、動画や配信を追う対象を増やさないようにと思っているのですが、どうなることやら…。

 とまあ、こんな具合なので、一度面白いと思ってしまうと夢中になってしまうという性分を、私自身が一番よく知っているので、そうならないように、興味ないように構えていたのです。

 でも、なとりさんの配信は、その私の姿勢をあっさりと突き破り、心を動かしてしまったのです。

 つい先日、チャンネル登録者数5万人を達成したことを記念しての配信をした際に、なとりさんは感極まって泣いていました。
 その感涙は、見ている私にも涙を誘うものでしたが、ただ、一言だけ言わせてください。泣くのは早い!

 まあ、私みたいなちょろい人間に言われたところで大した励ましにもならないかもしれませんが、なとりさんの配信や活躍は、少なくとも私の心を動かすことができていますし、そして同じように心を動かされた人が、今では6万を超えるわけですからもっと自信をもってもいいと思うのです。
 歌にしても、イラストにしても、雑談内での瞬発力にしても。
 歌唱力は見ている人のほとんどが太鼓判を押していますし、イラストなんかはピノ様とのコラボの時に披露した緻密なイラストを見せられれば、その評価に異論を唱える人などほとんどいません。雑談も、身内ネタではあるものの、その語り口が面白くて、退屈しません。
 一体神はなとりさんにいくつの才能を与えられたのかと、嫉妬はさすがに私もいろいろとあきらめているので抱きませんが、ただ、不公平だなとは思います。それくらい、なとりさんは才能に恵まれているのです。

 もちろん、その才能の裏側には、人知れぬ努力が絶え間なく続けられたのかもしれませんが、でも、そんなのをひけらかすのはプロではありません。見せるべきではない努力に対して評価を求めるのは素人のやることです。

 少し自戒を込めて綴りました。歌やイラスト、話術について、なとりさんはあまり雑談などでひけらかしていないはずです。…単に私が寝落ちして見落としたり聞き逃したりしている可能性もありますが、私にはそのあたり届いていないので、ひけらかしていないと信じています。そして、私自身がなとりさんを見習わなければと思う次第です。

 ですが、そんな才能においては完ぺきななとりさんが、配信の雑談では結構だらけたというか、ふにゃふにゃな部分が出ています。
 一通り動画を見たはずなのですが、あまり覚えていないところを見ると、寝落ちしていたのかもしれませんが、初期からそうだったのか、しばらくしてからそうなったのかはわかりませんが、そのふにゃふにゃなしゃべり方が、まるで見ている人に気を許しているような感じがして、ある程度見た人にとってはなごむのです。

 ツイートも結構こまめにやっていて、私はあまり返信をしたことはないのですが、見ていると、なとりさんのツイートに対して常連さんの返しが早く、またそのツイートに対してなとりさんから返信することもまれにあって、ファンを大事にしている姿勢が伝わってきます。

 では、長々と綴ってきましたが、私が個人的になとりさんに対して好感を持っているところを記していこうと思います(ここまでは一応、経緯というか、そんな感じの話のつもりなので)。

 まず、なとりさんの魅力は何といっても、喋りです。

 そりゃあ、歌がうまいとかイラストが上手とか、挙げるべきことはありますが、これらは多少先述したので。

 ゲーム配信で解説や説明があるとナレーション口調になるのですが、読み終えると例のふにゃっとした喋りに戻るのです。このギャップがたまらないのです。
 ほかにも、登場人物に合わせた喋り方をするのです。演じ分けですね。
 この演じ分けは、身内の話をするときにも行われていて、話をより面白くさせるのです。内容はごく普通の家族の話なのですが、聞いている私は退屈せずに聞けるのです。

 …ただ、ゲームの方はたまに退屈します。

 初期のホラーゲーム配信が挙げられます。
 ホラーが苦手ななとりさんは、この先に何か起こると感じると、なかなか次の行動に出ようとしないのです。これは、ごんごんさんの『ラスティレイク…』以上にイラっとしました。
 ごんごんさんの場合はわからないで同じことを繰り返す感じですが、なとりさんの場合はわかっていて先に進めようとしないのです。
 多分、この立ち往生がなければ、1時間枠で実際には4回にわたって配信したものが、3回でおさまっていた可能性さえあります。
 もっとも、立ち往生にもいくつかありますが。怖さのあまり泣いてしまって・・・というのもあるので、あまり非難はできないのです。
 あと、私自身はピカブイの配信が好きなのですが、ただ、本当にわからなかったり忘れてしまったりしているのか、ここ2回くらいの配信で、なかなか先に進めない傾向にあるのです。
 おそらく、私自身が赤緑時代の『ポケモン』を、確か4回くらいプレイしたことがあるから、それと共通しているところの多いピカブイにおいて、先がある程度わかるために、なとりさんの余計な動きについて苛立ちを覚えるのかもしれません。そしてこれは、ごんごんさんにおける、『ラスティレイク…』をプレイしたことがある人や、謎解き要素の答えが分かった人にとって、ごんごんさんがなかなか解けないことに対してイライラしてくるのと同じことなのかもしれません。
 あと、3時間ぎっしりとした内容ならいいのですが、結構間延びというか、長時間枠ゆえか、だいぶゆっくり進めている印象なのです。なので、楽しみである反面、疲れているときには少し寝落ちしてしまいます。

 そして、そのあたりはこのゲームに限らず、またなとりさんに限らず、アイドル部メンバーで歌を歌う人が何人かいるのですが、彼女たちのチョイスする歌、まあほとんどがリクエストされた楽曲なのですが、私の知らないものが多く、若干退屈に感じるのです。
 なので、実はこの記事、5月12日の神楽すずさんの配信から作り始めているのですが、今回は珍しく、私でも知っている楽曲がウクレレの演奏とともに歌われたのですが、しかしやはり半分は知らない曲でした。
 また、同日昼のなとりさんのピカブイ配信内でも少し歌の話になったのですが、なとりさんが知っていたり歌えたりする歌というのは、ほとんどがアニソンらしく、しかし私は歌われるアニソンのほとんどを知らないのです。
 まあ、ジェネレーションギャップと言ってしまえばそれまでなのですが。それこそ、すずさんの配信で歌われたアニソンで知っているのは、『アンパンマンのマーチ』だけでしたからね。

 それでもなとりさんの配信を見るのは、雑談やゲーム、歌が楽しみだからなのです。退屈な時も確かにあるのですが、それでもまた見たくなる不思議な魅力が、なとりさんの配信にはあるのです。
 例えば、やはり私にはわからないゲーム、『APEX』というのがあるのですが、このゲームをなとりさんが初めて配信でプレイしたときに、周りはやりこんでいるプレイヤーばかりで、なとりさんはその中で唯一の新人で、いろいろとフォローされながらゲームを進めていくのです。で、唯一なとりさんが操るキャラクターができた行動が、煙を焚くこと…。
 この日、「煙焚きのなとり」という愛称が生まれました。
 ほかにも、背骨が鳴ったり、くしゃみしたり、あとは身内の物まねをしたりと、面白い瞬間が必ずあるのです。
 一方で、私でもわかるゲームでのすごいプレイというのもあります。『マリオカート』です。
 30秒くらい遅れてスタートしても1位でゴールするとか。
 これを目の当たりにした時に、めめめさんとイオリさんと3人でコラボしたらどうなるのだろうと思ったものです。
 ちなみに、この3人にピノ様が加われば、先述の『実況王』の配信でのチームレッドのメンバー勢揃いです。でも、ピノ様が『マリオカート』をプレイした配信を見た覚えがないので、もしや苦手なのかもと思い、敢えてピノ様は除きました。

 そして、なとりさんには感受性豊かなところがあります。ピカブイ配信の中で泣き出した時には…。
 あの時はアーカイブ動画を見たのです。ピカブイやったことなくて、でも赤緑シリーズならやったことがあるという人なら、シオンタワーと言えば、なとりさんが泣いてしまった理由がわかるかと思います。
 ゲームボーイで遊んだときにはあんな表現がなかったので、動画を見ていた私もかなりやばかったです。アニメではそのシーンがあったらしいのですが、見ていなかったので…。
 ホラーで泣くだけでなく、こういう場面で泣ける人は、ましてやふいうち的にあのシーンになったのを目の当たりにして、言葉が消えて、すすり泣きする音がして、声が震えて…。
 打算でそういうことをやる人も中にはいるかもしれませんが、動画を見ている限り、私はなとりさんがそういう人だとは思いませんでした。その時点でほぼピカブイの動画しか見ていなかったのですが、直感というのですかね、それがなとりさんが打算でこういう場面で泣くような人ではないと思ったのです。
 のちに、ホラーゲームでも、やはり怖くてというのではなく、感動的な場面があって、その時も泣いていました。美術館を舞台にしたホラーゲームだったかと思います。もしかしたら、もちさんと混同しているかもしれませんが。
 でも、その場面を先に見ていたので、5万人達成の時に感極まって泣いてしまったときに、私はもらい泣きしそうになったのです。

 もしかしたら、初見があの配信だったとしたら、冷めた印象を抱いていたかもしれません。
 でも、アーカイブ動画や配信を見て、こういうことに関しては打算で動くような人ではないということは、わかっていたので、素直に涙を誘われたのです。

 それに、最近のアコースティックギターを親に買ってもらうという話の中で、なとりさんがママリ(母親)に対しておかしいと思うことを指摘していたのですが、見ている人から、「ママリが配信見てたら…」みたいなコメントが寄せられて、ものすごく焦っていたのです。その中で、「ギターを買ってもらうまではいい子でいる」と、打算的な発言をしていますが、本当に打算的な人なら、配信でもそういった話をそもそもしないわけで、少し不器用なところというか、見ている人を楽しませることを最優先にしているというか、そんな姿勢が伝わってきて、改めていい子だなと思うに至ったのです。

 スカート丈が短いのに「短くない!」と反論するのも、なとりさん自身がどう考えているかはさておき、そのやり取りがコミュニケーションの一つになっていて、それをも大事に考えているのかもしれません。

 でも、スカート丈についてはやっぱり短いと思います。


(以下、カット予定)
 そりゃあ、ピノ様と比較したら、どっこいどっこいか、もしかしたらピノ様の方が若干短いかな?とは思いますが、14歳と17歳とで、魅力に差があるでしょう?
 10歳くらいなら認められるファッションが、17歳では認められないこともあると思います。いや、認められているのかもしれませんが、明らかに煽情的なものになっていることだってあるでしょう?
 今も流行っているのかどうかわかりませんが、一昔前に、尻の下の部分が見えるくらい丈が短い短パンが、一部の若い女性の間で流行っていましたが、同じ短パンを10歳くらいの女の子が穿くのと、20歳の女性が穿くのとでは、意味合いがかなり変わってくるでしょう?

 例えば、これがイメクラ(イメージクラブ、風俗店)なら、この制服のスカート丈でも許されるかもしれません。そういう目的の店なのですから。
 でも、一応は健全な学園のはず。そういう場では、いささか短すぎるのではないかと思うのです。
(カット解除)

 私が通っていた高校ならアウトですよ。スカート丈に関する基準は知りませんが、たぶんアウトです。

 でも、スカート丈はともかくとして、アイドル部の中で、たぶん、一番なじみ深いというか、身近に感じる外見をしているのは、なとりさんだと思います。

 というわけで、今回はなとりさんへのメッセージという形でお送りしてきましたが、言い訳やら苦言やらが目立つ内容となってしまったかもしれません。個人的にはもっと称賛する内容にするつもりだったのですが。
 なので、もしかしたらなとりさんについては改めて書き直すかもしれません。


(掲出時追記)
 ノーカットで掲出しました。また、書き直す暇もなかったので、そのまま出しました。
 カット予定だった部分は、掲出時に判断しようと思ったのですが、面倒くさくなり、そのまま出しました。

 こんなタイトルつけると、私も親なのかと思われそうですが、あいにく独身です。結婚願望はあるものの、相手のいない三十路です。
 では、なぜ子どもの話をするのかというと、まあそんな私でもいろいろと思うところがあるからです。

 多分、立場的には、親になったことが無いので、どちらかというと子どもの目線でいろいろと考えることができると思います。まあ、年齢的には大人ですが、ただ親になるとそういった子ども目線とか、子どもの頃の記憶とか、そういったものがどんどん希薄になると思います。それは、自分のことを棚に上げてでも、自分の子どもには立派になってもらいたいとか、そういった思いもあるのかもしれません。自分の子どもの頃など、大して立派なことなどしていなかったり、視野が狭かったり、価値観が親ゆずりの物で果たして自分はそれが正当だと考えていたのかどうかも怪しいものであったりするものですが、その他自分の黒歴史もすべてひっくるめて棚に上げて、自分の子どもには、自分が子どもだった頃にはそんなことくらい難なくこなせたものだとか、そんなことを言いつつ、立派な親を演じるのです。
 まあ、最近はそんな演技もろくすっぽできない人間が増えていますが。そして、コミュ障な大人が増えている現代、そういう人間はさらに増えると私は予想しています。

 コミュ障な大人が増えたのには、やはり人間関係の画一化が原因の一つだと思います。これは、いわゆる核家族化によるところが大きく、親世代の横のつながりと、子どもの横のつながりはあるものの、その中間に位置する人たちとのつながり、あとは親世代以上の人たちとのつながりが極めて希薄で、加えてそういった状況なので接する人たちの数も必然的に少なくなってしまい、ありとあらゆる世代の人と会話することが難しかったり、ありとあらゆる趣味やし好、価値観を持つ人たちと接することが苦手になってしまうのだと思います。そういった訓練が、経験が否応なく不足してしまうからです。
 たとえば、親が人づきあいが良くて、ありとあらゆるコミュニティーに参加していて、そこに子どもも連れて行っていたのだとしたら、ある程度はそういった状況が解消されるかもしれません。が、そういった親は果たしてどれくらいいたのか。
 多分、親もそれなりにコミュニティーに参加していると思うのですが、それは自分に近しいコミュニティーに偏っていて、その分野で知っている人は多くても、別の分野の知り合いはまるっきりいないという具合になるでしょう。
 まあ、私も偉そうなことは言えません。少なくとも、家の近所や親の知り合いとは顔見知りではありますが、たとえば普段の生活ではかかわりを持たないような人たちとのつながりはほとんどありません。政治家とか役所関係者とか、何かしらの団体の関係者とか。まあ、つながりがあればあるで、いろいろとしがらみがあったり、法に触れるけれどやらなければならないことをせざるをえなかったりと、損得ともにあるわけですが。

 で、話を子どもに戻しますが、それが良い方向に作用するか悪い方向に作用するかはともかくとして、子どもには様々なタイプの人と接するようにするべきだと思うのです。
 別に私は育児の専門家でも何でもないのですが、これは今まで生きてきた中で感じたことです。もちろん、子どもの頃でなくても、成人後でもいいのかもしれません。ただ、その頃になってようやくいろいろな人と接するようになると、世間知らずや知識の無さで笑われる時の恥ずかしさ加減は大きなものです。子どもの頃なら、世間知らずでも知識が無くても、これから学べばいいということで、たいていの大人は許してくれますが、成人後は許されない場面も出てきます。さまざまな人と接することで、そういったことを少しずつでも学んでいけば、成人を迎える頃には、恥を掻くこともほとんどなくなるのではないかと思うのです。
 さまざまな人と接するというのは、親だけでは学びきれない世間一般の常識や風習を学ぶ機会が増えるわけですから。

 さて、そろそろ本題に入りましょう。

 さまざまなところに子どもを連れていき、そこでいろいろなことを体験させるというのも良いですが、同時に、さまざまな人間と接する機会も作ってやるべきと前置きで記しましたが、一方で私の中で感心しないことがあります。

 それは、自分の主張を正当化するために子どもを理由にすることです。

 東日本大震災以来、その傾向が一段と強くなったように思います。
 原発事故で放射能漏れを起こした時、放射能の影響について「子どもに影響が無いか心配だ」という意見がやたらとメディアで取り上げられました。
 別に放射能漏れの影響は子どもに限らず、大人にだってありえます。もちろん、その影響が大きいのは子どもだと言われていますし、それは私も知っていますが、ただ、やたらと強調し過ぎているような気がするのです。
 子どもを守るのは親の役目ではあります。ただ、一方でそういう考えの下、それって子供関係なくない?と思うこともありますし、あとは子どもを利用して自分の被害者ぶりを演出しているきらいも見受けられます。

 まあ、子ども関係なくない?という事例を今すぐに思い出すことはできませんでしたが、一方の子どもを利用して演出というのは、何かの裁判だったか、記者会見だったかで、子どもをベビーカーに乗せて親が登場するシーンが、ニュースか何かで強調されていたのです。
 どんなニュースだったか、記憶は定かではありませんが、もしかすると、待機児童問題のことだったかもしれません。
 そういう記者会見か何かの場に子どもを連れてくるというのは、親にとっては「それだけ深刻なことなのだ」という意図というか、主張を強調するためなのかもしれませんが、一方の子どもにとっては、そういった環境にいきなりさらされるのは、大きなストレスになるはずです。
 もちろん、子どもそれぞれ性格が違うので、必ずしもそうなるとは限りませんが、多分中には、報道陣の前にさらされることで大きなストレスを感じた子どももいたと思うのです。確かその記者会見には、複数の親が登場していたはずです。
 別に親だけが記者会見に臨めばいいのです。なのにわざわざそういった場面に子どもを連れてくる神経が、私にはわかりません。果たして本当にその子どものことを考えているのか?

 放射能漏れ以降も、何かしら問題が起こるたびに、多くの場合が母親なのですが、「子どもがそういうのを口にしかねないので心配だ」とか、そういった意見がよく出ます。
 別に自分が不安だと感じるのはいいのです。ただ、そこに子どもをわざわざ引き合いに出す必要はあるのか?甚だ疑問です。
 良いじゃないですか。子どももさることながら、自分も不安だと言えば。親だからと言って、自分が不安だということを口にしてはいけないというルールなどないはずです。なのにわざわざ「子どもが・・・」と主張してくるあたり、どうにも私には、子どもを言い訳の道具にしているように感じられるのです。
 それは、一見すると子どものことを気遣っているように見えますが、当の子どもにとっては、嬉しいと思う子どもがいる一方で、余計な御世話と感じる子どももいるわけで、押しつけがましいと厭う子どもさえもいるでしょう。感受性豊かな子どもの中には、「自分のことを言い訳の道具にした」と感じて、親に対して不信感を抱く人も、少なからずいそうな気がします。

 まあ、結局のところ私の想像なのですが、どうにも最近は子どもを道具に見ている節が感じられて仕方ないのです。

 子どもを道具に・・・と言えば、やはりテレビなどの世界がそうです。
 たとえば、4~5歳くらいの子どもなど、私の経験上、初期の『クレヨンしんちゃん』に出てくる子供のような感じが当たり前でした。
 が、最近はテレビに出てくるそれくらいの年頃の子どもも、やたらと礼儀正しかったり、まるで面接で好印象をもたれるような感じのはきはきしたしゃべりをしていたりしていて、何だか気持ち悪いです。
 それができるということで、それなりに才能があるのでしょう。あるいは、そうでなければ演技など出来ないということなのかもしれません。ですが、いやに不自然な感じがするのです。

 そして、その背景には、子どもの自我を殺してまでも、親の理想を子どもに体現させている光景があるような気がして、嫌気がさすのです。まあ、親の理想に限らず、芸能プロダクションの理想、制作現場での理想、そしてそういった創作物を見る世間の理想を、年端もいかぬ子どもに押しつけて、体現させているような感じがするのです。
 もちろん、それに喜びを感じている子役の人もいるのかもしれません。あるいは、そういう演技をすることで誰からも喜ばれると理解し、チョロイものだとほくそ笑んでいるのかもしれません。まあ、後者だったらぶっ飛ばしてやりたくなりますが・・・。
 で、何よりも、子どもを使えば注目を集めると勘違いしている(?)某テレビ局の神経にイラッと来ます。タイトルコールに使ったり、番宣に使ったり。そんな発想しかできないから、ろくな番組ができないのだと。どことは言いませんがね。

 まあ、たとえばドラマとかの創作ものにおいて、どうしても子役が必要になるわけで、その職業などを否定するつもりはありません。
 ただ、どうしてもこの仕事は子どもじゃないとだめだという場面以外で、やたらと子どもが使われていて、そして最近は親が子供を自身の演出の道具のように利用しているような印象さえも受けます。
 それでいて、「子どものためだ」とか、そういう言葉が続いてくるので、どうにもそういった傾向に対して批判しづらい感じがします。でも、よくよく考えて見て、果たしてそれは本当に子どものためを思っての行動なのか?

 見た目や親の表面的な発言だけで判断するべきではないのかもしれません。その先にどういった意図があるのか、どういったことが考えられるのかまでしっかり読み解くことが求められるのではないかと思います。
 記事執筆時点、おそらく掲出時もそうだと思うのですが、今まさに伊集院さんはダイエット中で、平日朝のラジオではその模様が紹介されています。
 で、私はというと、ダイエットはしていません。ただ、最近は年のせいか、以前に比べて食が細くなりました。で、同時に筋力低下を実感して、毎日ではないものの、腕立て伏せなどの筋トレを再開しました。
 始めたとせず再開としたのは、中学から高校に掛けて、筋トレを日課にしていたことがあったからです。10年以上のブランクを経て、再開したのです。
 あと、10kgのダンベルを使った運動も始めました。これも、ダイエットを目的とはしておらず、腕立て伏せだけでは付かない筋力を付けるためです。
 そこに、副業の仕事が動き回る内容で、携帯電話の万歩計機能によれば、日に差はあるものの、大体1万歩くらいを計測しています。
 すると、仕事のある平日は結構な運動になるので、以前に比べたらだいぶお腹回りがすっきりしてきたかな?とは思います。つまり、意識せずにダイエットしていることになっているのです。
 でも、私自身、ダイエット自体はしたくない人なのです。した方がいい体型ではあるのですがね。(485字)
 うまい具合に、今日は5月31日と、完全な月末となりました。

 5月は新元号「令和」を迎えたわけですが、この2019年というのは、実におかしい年ですね。

 何がって?天気ですよ。

 関東圏、特に埼玉のことしか言えませんが、とにかく雨が少ない!

 冬場は雪が降るわけですが、降雪量もそれほど多くはなく、それよりも、強風がやたらと吹いた印象です。
 で、雪に限らず、雨もまた、時々まとまった雨が降る程度で、これまでの5か月の降雨量は、平年以下なのではないかと思います。
 だって、畑は常に乾いていて、砂ぼこりが舞っていましたからね。

 作物もあまり大きくならなくて、弱ったものです。

 で、4月の中旬でしたかね、雪が降るという。これもまたおかしな話です。

 そりゃあ、数百年レベルで見れば、そんなこともあるわな…てな感じなのでしょうが、四季が乱れてる感じがして、どうにも…。
 で、つい1か月前に雪が降ったのに、5月の下旬には真夏日、場合によっては猛暑日となったかもしれません。…この記事を作っているのは5月25日で、翌26日には場合によっては38度になるかもしれないなんて予報が出ていましたからね。記事執筆時点の予報は見ていませんが、前の日の予報ではそんな感じでした。

 どうなってるんですかね?

 というわけで、月末恒例の蔵出し企画です。今回は、鉄道関連の話題です。





     ノスタルジーと環境の共存のために


 電車好きとしてのキャリアはだいぶ長いと自負しています。何分、幼いころから電車を見るのが好きでしたから。もっとも、その後車やバイクにも関心が広がり、最近は乗り物全般に関心があるわけですが。
 で、電車に派生して、ディーゼルや蒸気と言った機関車にも関心があり、高校時代には急に思い立って、秩父鉄道のSL、パレオエクスプレスに乗りました。熊谷で買い物をした時、目当てのものがなかったのか、それとも買ったのかは覚えていませんが、たまたま時間が午前9時半過ぎで、そういえばと思い、秩父鉄道の窓口に行くと、ちょうどいい具合だったので、財布の中身も珍しくある程度あったので、急きょ、SLに乗ることにしたのです。
 間近でSLを見たのはこれが初めてでした。その後もう一度乗って、2回か3回乗ったことがあります。ただ、その後、三峯神社に行くようになると、運行スケジュールが微妙に合わず、急行列車には乗るようになったものの、SLには乗らなくなりました。でも、近いうちにまた乗りたいとは思っています。
 ・・・いや、思い出しました。その時が初めてではなく、もっと小さいころ、と言っても小学校高学年くらいだったと思うのですが、上越線の高崎から水上までの臨時列車で奥利根号というのがあり、元々D51が運用されるわけだったのですが、故障していて、代打でC58、秩父鉄道のパレオエクスプレスに運用されているSLが回ってきたのです。その時に見たのです。忘れてました。

 で、あれから20年くらい経ったわけですが、SL、増えてますね。あの頃から新たに復活したのは、貴婦人ことC57が磐越西線でしたか、運行されるようになりましたし、東武鉄道でもSLが運転されるようになりました。全国に目を向ければさらにいろいろあることでしょう。JR東日本管内でも、C61だったでしょうか、復活しましたね。

 でも、懸念もあります。それは、石炭をくべている点です。

 日本政府はやたらと石炭火力発電を推していますが、世界的には「なんでやねん?」という反応らしいです。世界的には脱炭素に向けて動き出しているのに、先進国の中では日本だけが石炭火力推しという具合に逆行しているのです。
 政府は、技術革新で環境にやさしくなった石炭火力発電を世界に売り込もうとしているようですが、その宣伝とは裏腹に、日本の石炭火力を導入した東南アジアのどこかの国の話で、発電所周辺では農作物が育たなくなったとか、健康被害が出始めているとか、そんなことが伝えられました。何かの情報番組だったと思うのですが、だいぶ前のことなので詳細は忘れました。どの国だったかさえも。確かインドかタイだったと思うのですが。発電所周辺の住民は反日感情が高まっているとか。・・・いや、反日感情と記すと、中韓みたいですが、そこまでひどくはなかったと思いますが、「何とかしてくれよ!」みたいな反応はあったかと思います。

 一方で、衛星でオーストラリアの鉄道の現場を紹介する番組を見たのですが、その中で観光鉄道だったと思うのですが、SL列車があるのです。そこで一人の女性が機関士になるべく勉強中で、まもなくそのための試験を受けるという話でした。
 その中で、環境保護団体の過激派が、そのSL観光列車に投石などの妨害行為を繰り返しているとも。
 確か、オーストラリアのSLは、石炭ではなく石油で動くように改造されていたかと思います。その改造のせいか老朽化のせいかはわかりませんが、結構ぐずるようで、坂道の途中で力を失って登れなくなることもあるようです。それはさておき、石炭よりかは有害物質が出にくいと確か言われていたと思うのですが、石油で動いてもSLは白い目で見られるようなのです。

 そして、2020年にはオリンピックが開催されるわけで、それはすなわち、今以上に外国人が日本に来るようになるわけで、その中には環境保護に強い考えを持っている人も当然ながらいることでしょう。
 そんな中で、石炭をくべて黒い煙とすすをまき散らしながら運転される蒸気機関車を見て、どう考えるでしょうか?
 オーストラリアの事例のように、投石するのでしょうか?置石でしょうか?もっと過激に爆発物を・・・なんてこともやりかねないのではないでしょうか?

 それでなくても、日本政府がごり押しする石炭火力発電も、どうやら実際には環境負荷が大きいようで、あまり優しくないらしいのが、インドかタイか、はたまた別の東南アジアの国かもしれませんが、そこに輸出され、設置された周辺では住人たちの訴えで示されています。これと言って特に何も対策を講じられていない蒸気機関車が我が物顔で運転されていて、しかも観光資源を掘り起こすためか何かで、次々と復活させているのです。
 国内ではノスタルジーとか、なにやらかにやらで好意的に受け止められていますが、諸外国の人からすれば、日本人は環境破壊を続けているとか、環境保護とは逆の方向に邁進しているとか、そういう印象を持たれる可能性が高いです。
 あの、バラエティー番組における黒塗り問題のように。日本国内では問題意識はそれほど持たれなかったものの、世界的には差別主義的だと思われたようです。

 日本独特の価値観や考え方も必要ですが、それに固執して世界で孤立すれば、北朝鮮みたいなことになりかねません。ある程度は足並みをそろえることも必要でしょう。
 まあ、こういうのは一概には言えないものではありますが。私だって、足並みをそろえるべき点はあると思う一方で、あまり世界各国から圧力が加えられるのは、日本文化を侮蔑しているような感じがしてイラっと来ますから。複雑なのですよ、人間というものは。

 で、私としては、SLを観光列車として運転することには賛成です。

 ですが、一方で、私は大学時代には環境問題をある程度勉強してきた身です。低炭素社会、いや、脱炭素社会を目指す必要性も理解しているつもりです。
 しかし、SLの運行継続と、脱炭素社会の実現は相反するものです。少なくとも、そのままの形では。
 脱炭素社会とは、つまりはオール電化みたいなものなのですが、ただ、個人的にはそれはすなわち、今以上にエネルギー消費を増やすことにつながるのではないかとも思うのです。無限にかつ大規模にエネルギーを作り出せる技術が確立したのなら、それでもいいかもしれませんが、しかし、エネルギー、電気に限らず火や水、光、風なども含めると、電気一辺倒というのは、それが何らかの形で作り出せなくなった状況(例えば地震などの災害)において、おおきな不安があります。
 発電機を使えば・・・と言っても、それを動かすにはガソリンや軽油が必要です。暖を取るのに、ガソリンを使って一度電気にして、それで電気式のヒーターを使うのは、回りくどいですし、かえってエネルギーの無駄のようにも思います。ガソリンをそのまま使うわけにはいきませんが、同じ化石燃料を用いるなら、灯油でストーブをつけた方が手っ取り早いですし、石油ストーブなら同時に湯沸かしにも使えます。湯沸かしに使えるなら、レトルト食品が活用できます。スープを作ることもできますし、餅を焼くこともできます。さすがに肉を焼くには厳しいですが、
 なので、何でもかんでも化石燃料を悪者にするのもやりすぎではないかとは思います。ただ、普段使いはなるべく低炭素あるいは脱炭素を意識して、温室効果ガスの排出は最小限にすべきだとは思いますが、それを突き詰めすぎて、いざという時に代替品がないというのはまずいと、そう思う次第です。

 一方で、観光資源としてのSLの運用は、このままではいずれ世界的に批判の対象になりえます。何しろ、先進諸国では脱炭素に向けて動き出しているのに、石炭利用ということで、温室効果ガスと有害物質をまき散らしているわけですから。
 なので、大規模な改造で石炭を使わないようにするか、あるいは石炭の代替品の開発が必要ではないかと思うのです。
 石炭の平均的なサイズの固形燃料で、かまにくべても有害なすすが発生せず、温室効果ガスについても、天然由来の、いわゆるバイオマスというのでしたかね、そういうのをおおいに使うわけで、それを使うことにより排出される温室効果ガス、ここでは簡単に二酸化炭素としましょう、それが発生するのは、その固形燃料を作るのに用いられた植物がこれまで吸収した分のみで、おおきなサイクルで見れば、新たな二酸化炭素の排出はないという、いわゆるカーボンニュートラルになるのです。ただ、その固形燃料を作る段階で使われるエネルギーと発生する温室効果ガスについては、話は別です。
 だからと言って、薪を使うと、もしかしたら蒸気機関が壊れかねません。でも、薪で代用できるのなら、それに越したことはありません。たぶん、石炭と違って、すすは発生しないはずです。するのかな?詳しくないのでわかりませんが…。
 とにかく、従来通りの石炭を用いる形からの脱却は、そろそろ図るべきだと思います。今すぐは無理でも、少なくともそうなるように動き出しているという姿勢くらいは見せるべきです。
 でないと、SLを狙ったテロが起こってしまうかもしれません。それはあまりにも悲しい話です。

 でも、そもそも蒸気機関は、水を沸騰させることで車輪を動かす仕組みのはず。もちろん、その過程でいろいろな働きがあるわけですが、単純にすればそういうことです。
 ならば、なにも水を沸かすのに石炭を使う必要はないはずです。石油という手もありますが、日本ならその先、電気で沸かすことを考えてもいいと思います。
 例えばC58なら、蒸気機関車本機と、後ろのテンダー車というユニットですが、そのテンダー車にパンタグラフみたいなのを設置して、そこから電気を供給して、テンダー車内部の変圧器か何かで電圧などを適正化して、本機に電気を流して、その本機のかまとその先の筒状の部分で大規模な電熱設備を持たせていて、それで水を沸騰させるのです。もちろん、テンダー車には水タンクもあります。
 これなら、完全に脱炭素で運用できます。石炭不要ですが、それにより黒い煙は出ませんが、元々、SLで貨物列車を運転していた祖父の話によると、黒い煙を出すのはかまたきが下手な証拠で、ベテランは黒い煙を出さないとのことでした。つまり、本来は黒煙はほとんど出ないはずです。水蒸気である白煙が出るのでも、SLとしての風情は残るでしょう。
 でもって、ちゃんと水を使っているので、シュッシュッというSL独特の音は残るはずです。水の供給なんかは、その気になればオートメーション化できるでしょう。つまり、SLも一人で操縦できるようになるのです。観光資源なので二人体制を維持するかもしれませんが。

 で、元々は石炭をくべていたというのは、博物館などで紹介すればいいのであって、現代においてその形を、実際の運用において残す必要はありません。
 何しろ、自動車は徐々に電気自動車が普及しつつあるのです。元々電車が多い日本において、環境負荷と一人当たりの移動におけるエネルギー消費が小さいというのが最大の売りであった鉄道が、無理に逆行することはないのです。まあ、その中でSLは、たとえ蒸気を発生させる過程でエネルギーを大きく消耗したとしても、観光資源という位置づけであり、それがたくさん運用されているわけではないので、そんなに問題はないでしょう。これが山手線レベルで頻繁に運用されていたとしたら、大問題ですが。

 なんにしても、この先は、SLの観光列車の生き残りのために、SLそのものの体質改善は必ず必要になります。というか、それが結果的には、運用コストの低減につながる可能性があり、それでいて環境負荷も従来よりも低減させられるわけです。さらには、その姿勢、その状況が、脱炭素を目指す先進諸国において良いものに映り、イメージアップにもつながるでしょう。
 これだけ日本でSLが運転されているのです。大々的に技術革新をして、一斉にとはいかないまでも、徐々に石炭から脱却すべく、動き出してもいいのではないでしょうか?


 ということで、SLは今のままでいいのか?という話でした。

 この話を思いついたきっかけは、ちょうどそのころ見ていた衛星の番組で、オーストラリアの鉄道のドキュメントがあって、そこで観光SL列車の話があって、本編中に記述したようなことが起こっていたのです。投石です。
 環境保護団体の過激派が、SLの運行に敵意を向けていて、強硬手段に出ていたのです。
 おそらくは、日本の捕鯨に対して異を唱えている組織と似た性質と思われます。自分の思い通りに行動しないと強硬手段に出るという、一種の過激派です。
 でも、来年にはオリンピックということで、そういった人たちもまた来日し、そして日本のSLを見て、オーストラリアよりもひどいじゃねえかってことで、テロ行為に及ぶかもしれません。

 考えすぎ?

 でも、それくらいのことを想定しないと。起こってからでは遅いですからね。

 そして、石炭を今まで通り消耗するというのも、世界的には化石燃料からの脱却を図ろうという動きの中で、やはり逆行していることになると思うのです。
 ならば、SLという観光資源において、環境負荷を低減させるための取り組みをすることが求められると思うのです。
 本編で私がつづったやり方はあくまで一例で、素人考えなのでほころびも多々あるでしょう。そのあたりは、技術者が集まって、考えて、取り組んで、開発すればいいのです。その結果、よりよい方法で、環境負荷を可能な限り0に近づけて、しかしSLらしさだけは残っているという、そんな感じで、進化したSLが、10年後くらいにはいろいろな人を楽しませてくれているかもしれません。

 特に、パレオエクスプレスは、運用開始から30年が経過し、あちこちでがたが来ているそうなので、これを機に、構造を大規模にリニューアルして、石炭を使わないSLに生まれ変わるのもありなのではないかと思います。
 これがうまくいけば、全国から注目が集まり、一目見ようと多くの人が集まるかもしれませんし、何よりも、このリニューアルにより、メンテナンスや修理などがかなり効率的になり、コストも低減されるかもしれません。主に、部品点数の削減や消耗品の長寿命化などで。

 新幹線の高速化もいいですが、ゆっくり走るSLの技術革新もまた、考える価値はあるのではないかと思います。

 というわけで、今回の蔵出しはこれくらいにしましょう。
 今朝、神奈川県川崎市の登戸駅付近で、小学生を多数含む20人近くが、一人の男によって殺傷されるという、痛ましく、やりきれない事件が起こりました。

 報道では逐次、経過が報告され、昼くらいに、小学6年の女の子の死亡と、切りつけた男の死亡が発表されました。そして昼過ぎに、39歳男性の死亡も発表されました。

 記事を作っている時点では、犠牲者が二人と、加害者の自害という状況です。

 学校側の記者会見から、事件のわかる範囲の詳細が伝えられましたが、ただ、今回についてもまた、学校側に、この事件においては、今のところ、何ら落ち度はありません。
 大津で起こった自動車事故の巻き添えで保育園の園児が数人亡くなってしまったのと共通しています。

 記者会見直前の保護者会ではいろいろな要望が出ていたようですが、少なくとも、事件が起こる前までにおいて、学校側のやり方というのは、大きな問題があったとは言えませんし、事件が起こらなければ、少しずつ、「このやり方だとちょっと…」というのが見えてきて、都度対応していく感じだったと思います。
 事件が起こったことで、いろいろと直すべきところが一気に見えてきて、対応を求める声が上がったのではないかと思います。

 もちろん、こればかりは私の推測の話ですが。

 ただ、今のところは、犯人と学校側との間に何らかの接点があったというわけではなさそうですし、報道によると、どうやら小学生のスクールバス待ちの列に襲い掛かる前に、亡くなった男性に切り掛かっていたようです。いや、刺したのかな。いずれにせよ、襲い掛かったようです。

 となると、事件の性質から、私は何年か前の、相模原の施設で発生した連続殺傷事件に共通しているのではないかと思いました。
 もちろん、こまごましたところは異なると思います。犯人の動機とか、事件後の生き死にとか、襲われた人の多くは小学生でしたが、たまたまその場にいた人も襲われていましたから。
 でも、現時点では、被害者や犠牲者に何ら落ち度がなく、犯人が一方的に刃物で切りかかってきたという、その点においては、共通していると思うのです。

 その残忍性や身勝手さなんかは…。

 そして、犠牲となった男性は、外務省職員で、報道によると、ミャンマー語の通訳をしていて、報道機関の映像にも顔を出すほどの方だったそうです。
 おそらくはこの先も、主にミャンマー関連で、活躍が見込まれていたのではないかと思います。

 そんな人が、突如降りかかってきた事件によって、命を落としてしまい…。

 で、その一方で、文科省職員が覚せい剤所持で逮捕という…。

 …なにしてんだよ!!

 つい何日か前に、経産省でも覚せい剤で捕まったやつがいましたね。

 …馬鹿じゃねえの?

 そりゃ言葉も汚くなりますよ。同じような組織で、仕事はいろいろあるかもしれませんが、この雲泥の差ですよ?

 …本当に、しまらねえな。

 まあ、別の日に捕まっていたとしても、今回の事件を機に、やはり同じような思いに駆られていたと思います。

 最後は取って付けたように、省庁の不祥事を取り上げましたが、これも含めて、なんだかやりきれない思いがしたので…。

 そして、被害を受けたり、犠牲になったりした方々に、お悔やみ申し上げます。


参考
・死亡の2人はカリタス小6年女児と外務省職員の男性
   https://news.yahoo.co.jp/pickup/6324830
・文科省参事官補佐を逮捕 覚醒剤と大麻所持疑い
   https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20190528-00000141-kyodonews-soci