このブログはパソコンで記事を作っていて、ようやくパソコンの前に。そのため、だいぶ出遅れた感じがありますが、朝、ラジオで聞いて耳を疑いました。

 電気グルーヴのピエール瀧逮捕

 コカインを使っていたとのことで、容疑を認めているそうです。

 いやはや、とにかく唖然です。

 明日の「たまむすび」(TBSラジオ)どうなるのでしょう?

 普段、1時ごろから仕事再開なので、状況報告ほとんど聞けませんでした。タイムシフトで聞けますかね?

 というわけで、この件と、ほかにもいろいろ思ったことがあったのですが。それについてはあさってまとめて記事としてつづろうと思います。
 今から8年前の3月11日、午後2時46分。

 今まで経験したことのない大きな揺れに遭遇し、その瞬間、いつもの日常ががらりと変わったのを、今でも覚えています。

 この場末のブログでも、当時、こんなことをつづりました。




     未曾有の大地震、実際に体験して・・・


 その時、私は屋外にいました。

 ビニールハウスの中で仕事をしていました。昼過ぎからそこで仕事を始めたのですが、何度か揺れているような感覚を覚えました。ですが、足が疲れたのだろうと思い、さほど気にもとめませんでした。
 そして、3時になる少し前、またしても横揺れを感じました。初めは「また足が疲れたのかな」と思いましたが、いやに揺れが長く、しかも次第に強くなっていきます。
 揺れは段階的に強まっていき、ついには地面がとどろいているような音が聞こえてきました。
 立ち上がることもできず、しかしビニールハウスは大きく揺れ、倒壊するのではないかと不安を感じずにはいられませんでした。けれど、あまりの揺れの強さに、立ちあがって、ハウスの外に逃げ出すこともできません。
 学生時代に避難訓練で「机の下に隠れて」と指示されたことがあります。しかし、ビニールハウスに机はもちろん、ビニールハウスの骨組みである鉄骨から頭を守るすべはなにもありません。日差しが強かったので帽子をかぶっていましたが、何の意味もなしません。
 揺れは3分くらい続いたでしょうか。ようやく揺れが収まってきたところで、仕事を切り上げてビニールハウスを後にしました。

 そこで見た光景はというと、近くにある家の瓦が部分的に落下し、別の場所では積まれていたタイヤが崩れて道路に転がっていました。半壊や倒壊したという家は、私がいた北関東のとある場所にはありませんでした。
 揺れの割には被害はあまり大きくなかった。最初に抱いた感想です。しかし、それは誤った認識であったことを、ほどなくして知ることになるのです。

 事務所に戻る途中のカーラジオから、地震の情報が次々と飛び込んできます。宮城県で震度7、マグニチュード7.9、北関東で震度6弱・・・。天井が落下した、火災が発生した、大きな津波を警戒・・・。
 そして事務所に到着。積んでいた折り畳み式のかごが崩れ、(収穫して立てて並べてある)加工前のネギは倒れ、さらに電気と水道はストップしていました。
 極めつけは、道路です。液状化などの大きな被害ではありませんが、信号が全く機能していなかったのです。
 仕事もできないということで、夕方、暗くなる前に帰宅するのですが、家までの道中、機能している信号は皆無でした。ところどころで誘導している警察官がいましたが、「どうしてここにはいないの?」と思うようなところにいないなんてことも・・・。途中で渡る東北道に車の姿はなく、頭ではわかっていても、実際に目にしてみると何とも不思議な感覚でした。
 それでも、運が良かったのか、はたまた比較的交通量が少ないルートだからか、踏切が通行止めになっていたというアクシデントはあったものの、1時間程度で家に着きました。

 家に着くまでの間、カーラジオからは被害の様子が次々と伝えられ、高さ10メートルを超す津波が発生したと聞いた時には、思わず驚嘆の声をもらしました。(今回の地震以前の)今までの報道で「津波に注意」と言っていて、3メートルとか予測していながら、実際には10センチだかそこらということがあったので、「10メートルなんて、またまたオーバーな・・・」と、正直なところ高をくくっていたのです。他にも、行方不明の人とか、心肺停止状態の人とか・・・。
 家もやはり停電していて、電気が復旧したのは午前4時前後。ちょうど大きな余震があった時です。テレビをつけてみると、その余震が中越地方の地震だと言います。やはり震源近くでは6強という震度でした。
 それからしばらくして、津波の様子を見ることができましたが、画面を通じてでも、その影響には言葉を失いました。
 そして、頻度こそ低くなってきたものの、余震はなおも続きます・・・。

 今回の大地震。11日の午後2時46分に発生した「東北地方太平洋沖地震」は、その後訂正を重ねて、マグニチュードは8.8となり、日本国内におけるもっとも激しい大地震となりました。
 また、被害状況も次第に明らかになり、死者数・行方不明者数はともに増加傾向にあります。
 圧巻だったのは、夜中にラジオで聞いた「200~300人の遺体が見つかった」という、仙台市若林区の沿岸の報道。情景を想像しただけで何とも言えない気持ちになりました。
 地震そのものの被害より、それに起因する津波による被害が極めて大きいように見えます。津波によって家屋が水没し、場所によっては壊滅的な被害を受けたとのこと。

 地震ももちろん怖いです。それは昨日、実際に体験し、大いに実感しました。ですが、津波の恐ろしさのほうがそれをはるかに上回ります。地震なら逃げ道がまだ残されているでしょうが、津波は事前に察知していないと逃げ場がありません。映像を見ただけで、それを理解しました。

 今回の大地震で、いろいろなことがわかりました。
 一つは、地震に対する認識が甘かったという自身の考え。
 一つは、津波の猛威。
 そして、甚大な自然の猛威には人間の文明は塵同然であること。

 大地震の発生で電気などのライフラインはストップし、生活に大きな影響が出ました。加えて、鉄道は完全にストップし、大勢の人の足に影響が出ました。職場や公共施設で一夜を過ごしたという人も大勢います。
 でも、それで済んだのはまだ幸運かもしれません。津波の被害を受けていなかっただけ、命の危機にさらされなかっただけでも・・・。
 そう考えると、確かに地震の恐ろしさに直面しましたが、私なんかは非常に運に恵まれていたといえるのかもしれません。帰宅に際して足止めを食らわず、普段よりちょっと時間がかかったくらいで家に帰ることができたのですから。停電による不便さは甘んじて受けるべきなのかもしれません。
 そしてなにより、昨晩苦労された方たちと、なおも不安を抱えている方たちをねぎらう立場にあるのだと思います。直接的なことはできないにせよ、何らかの形で支援できたらと強く思います。
 特に、津波の被害を受けた方々は、地震の恐怖だけでなく、津波の恐怖をも体験され、加えて、日常生活に戻るのはいつになるのか不明瞭であることも不安の要因と言えます。私が体験した恐怖など、実に小さいものです。

 どこか信頼できる所で募金をしていたら、微力ながら協力しようと心に決めた次第です。

 というわけで、今回は予定を変更して、地震に関する内容(おもに体験記と感想)にしました。来週は予定通りの記事を掲出します。




 これは、震災の翌日の2011年3月12日の夕方に、私のブログで掲出したものです。

 この記事の後、マグニチュードは9に変更され、被害状況も日に日に悪化していき、1万5千人を超える犠牲者が生じたほか、今(2019年3月時点)もなお、行方不明者数が2500人くらいとなっています。
 復興が進められ、不通となっていた東北地方の鉄道路線は徐々に復旧していきますが、一方で、原発事故の影響は今も続き、故郷に帰れない人が大勢います。
 2020年の東京五輪は、復興五輪と位置付けているらしいですが、オリンピックを開催して、復興につながるものでしょうか?
 そもそも、確かに東京でもある程度の被害は出ましたが、最も被害の出た福島県や宮城県といった、東北の太平洋側に、オリンピックの恩恵はあるのでしょうか?
 私には、オリンピック以前と以後とで、震災の記憶が急激に風化され、過去のものへと追いやろうとしているような気がしてなりません。

 もちろん、過去ばかり振り返るのもよくありません。過去から教訓を得て、未来へとつなげることが求められますが、しかし、政治や東電の動きを見ると、そのあたりの真剣さに欠けるように思います。
 原発事故による賠償金については、東電に果たして負担があるのか疑問です。過程はともかく、結果的には税金で賄われて、悪く言えば、国民の治めたお金を使って賠償している形になっているのではないかと、邪推してしまいます。・・・邪推じゃなくて、事実かもしれませんが。
 政治家も、被災地を訪問して、定型文じみたコメントを出すばかりで、復興庁でしたかね、その関係者だか大臣だかが、ぬかるみが歩けないということで、おぶってもらっていましたね。革靴で被災地に行っているということで、まあ現地に入るまではともかくとしても、長靴がないなら、そこまでの道中のホームセンターなり作業洋品店なりに立ち寄って調達すればいいじゃないですか。それくらい自腹切っても罰は当たりませんよ。

 マスコミのせいでもあるかもしれません。というのも、例えば鉄道が復活とか、道路が直ったとか、避難している人はいなくなったとか、そういう大きな動きは伝えますが、そういったマクロ情報のみが伝えられ、一人一人のケースであるミクロな情報がほとんど伝えられません。
 そりゃあ、この時期になれば、そういったミクロな視点も紹介しますが、年に1回のペースです。そして、そういったミクロな部分にこそ、復興の動きがなかなか及んでいないわけで、故郷に帰れない人々、どうにか家を確保できたけれど、かなり大きな支出が強いられ、この先の生活においての先行きが不安だとか、私でも知っているレベルだと、たったこれっぽっちしか、把握できていません。
 年に一度のこの時期の特番を見れば、多少はもう少しいろいろなことを知ることができるのでしょうが、問題は、その記憶が継続できないということです。

 日々、いろいろな出来事、事件や事故、不祥事などが起こっていて、ニュースを見るたびにそういった情報に更新されます。
 それこそ、千葉県野田市の虐待致死事件だって、年末に、「2019年を振り返る」的な番組を見た時に、私なりに何があったかを思い出そうとして、思い出せるかどうか、正直わかりません。おそらくは、10月か11月ごろに何か大きな事件が起これば、そういうのはすぐに思い出せるかもしれませんが、年初の出来事はほとんど思い出せないでしょう。
 そして、東日本大震災関連で、今年、何か新たな情報を得たとしても、その記憶がすぐに引っ張り出せる状態にあるかどうかは、わからないのです。

 つまりは、マクロな動きだけでなく、ミクロな出来事についても、ちゃんと継続的に報じることこそ、マスコミに求められる姿勢なのではないかと思うのです。
 そういうミクロなところにこそ、政策における抜け穴というか、粗というか、そういうのがあるわけで、その点を指摘して、改善を重ねないと、真の復興は達成できないと思うのです。

 気が付けば、あれからもう8年が経ちました。

 それ以前の大震災は、阪神淡路大震災ですが、こちらも24年が経過し、おそらく私より年下の人たちは覚えていない、あるいは生まれる前の出来事だったということで、記憶の風化は確実に進んでいます。
 そして、東日本大震災も、着実に、風化は進みます。

 それは、先の大戦でも同じことで、太平洋戦争を経験した私の身内は、全員鬼籍に入りました。
 おそらく、日本の人口の8割以上が、戦争を経験していない人となっているのではないかと思います。
 戦争の場合は、国レベルの大きなことなので、記憶の風化は、その衝撃もあって、おそらく進みは遅かったと思います。
 ですが、東日本大震災ですら、日本の一部において発生した災害で、実際にあの大きな揺れや、大津波を経験した人というのは、実は限られます。
 その分、記憶の風化も早いのではないかと思うのです。

 しかし、あれからも、熊本や北海道で大地震が発生していますし、これらほどではないものの、震度5強や5弱、4といったレベルの地震は、あちこちで発生しています。
 そして、そういった地震が普段起こらないところで、急に大地震が起こるということもあり得ます。
 中には、その大地震が大津波を誘発させる可能性もあり、それは、東日本の大惨事に匹敵したり、下手すればそれ以上になったりもします。

 ヤフーブログのサービス終了に伴い、この場末のブログで東日本を振り返るのは今回が最後になりますが、願わくば、あの大震災の記憶の風化が、少しでも遅らせられればと思います。
 私も、最近本格的に始めたツイッターなどを通じて、毎年同じようなことをツイートしつつ、その記憶の風化を可能な限り押しとどめようと思います。
 あいにく私は芸能人ではないので、「お客様は神様です」などという高尚な考えを持ち合わせていません。
 私も野菜を作るだけでなく、たまに販売をすることもありますし、副業では客相手の仕事をしています。が、パートだからとか、そういう話以前に、私は仕事をやる以上は真剣にやります。しかし、だからと言って客側から不条理な態度を取られ、難癖をつけられれば、私だって人間ですから、苛立ちを覚えますし、場合によってはつかみ合いの喧嘩に発展する可能性だってあります。幸いにして、今までそういう話の通じない客はいなかったので、そういうことになったことはありませんが。
 つまりは、芸能人だろうと、商売だろうと、お客様は神様だと、そういう信念を持つことは素晴らしいとは思いますが、ただ、客にもそれなりにわきまえてもらいたいということです。いくら神様だとは言っても、客は基本的には人間なのですから。

 そんなわけで、今回は神様についての話をしていこうと思います。

 もちろん、私は神道や神話関連の専門家ではないので、ここで綴ることはすべて私なりの考えや推論です。信憑性を期待されても困ります。

 さて、何か窮地に陥ると、「神様仏様・・・」と神頼みをすることがあります。
 この行動から、日本人は神様も仏様も同一視する傾向にあるとか、そんな話を聞いたことがありますが、多分そうなのだと思います。

 なぜそう思うのか?

 まずは「仏様」の方を考えますが、考えるまでもなく、これは仏教の話です。
 仏教において拝む相手はお釈迦様なわけですが、実は私はそんなに仏教に詳しくありません。「実は」も何も、そんなことは分かっていると、これをご覧の方は先刻承知のことと思います。
 大雑把にというか、テレビか何かで取り上げている範囲なら、漠然と知っているというレベルです。
 なので、たとえば「大日如来」や「薬師如来」といった像が、確か高崎の白衣観音の中に祭られていたかと思うのですが、これはお釈迦さまと同一なのか、別物なのかも、よくわかっていません。というか、仏教において崇める対象はどれだけあるのかも、よくわかっていません。
 唯一分かっていることは、仏教が今のインドが発祥地で、中国を経由して日本に伝わったということです。日本における仏教にも歴史はありますが、日本古来というか、日本の歴史において最初から存在しているわけではないということです。
 そして、歴史の流れの中で、いわゆる神道と仏教とが、同一視されるというか、崇める対象という意味では同じような物になったということです。
 なので、年間の行事の中で、お盆、初詣という具合に、神仏が混じっているのだということくらいはわかります。
 また、仏教というと、少なくとも私は、死んだときにお世話になる物という認識があります。死んでから7日間は線香の煙を絶やしてはいけないだったでしょうか、そのあたりも改めて確認する必要はありますが、四十九日、一周忌、三回忌、七回忌といった具合に、故人をしのぶ機会が何度かあります。そしてそれは同時に、普段顔を合わせない血縁・親族と交流する機会でもあります。
 私も今でこそ三十路を迎えましたが、それまでのこれらの法事は、私にとっては初めて顔を合わせる親戚を知る機会でもありました。もっとも、それ以来顔を合わせていない親戚もだいぶいますが。
 一方、神道ではそういった法要が行なわれているのか、そのあたりのこともわかりません。神道においては墓があるのかどうかも。

 このように、仏教と神道それぞれについて、ある程度の知識があるのに、それ以外のことは全く知らないというのが、今の私です。

 なぜそうなったのか?

 昔は神宮寺がたくさんあったそうです。神社の敷地内に寺があって、逆に寺の敷地内に神社があるというような感じで、まとめて神宮寺とされていたそうです。
 が、明治に入った時だったでしょうか、神仏分離をしなければならなくなり、神宮寺の場合はどちらかを選択せざるを得なかったようです。
 確か、私がよく行く三峯神社も神宮寺の一つで、その頃に寺を廃していたかと思います。その名残でもあるかと思いながらいつも境内を散策するのですが、わかりません。博物館で改めて資料を見ればわかるのかもしれませんが・・・。

 でも、もしも今もなお神宮寺が存在している世の中だったとしたら、人が死んだ後にお世話になるのが仏教で、今の生活に災いが起こらないように願うのが神社と言ったようなすみわけはなかったかもしれませんし、それはつまり、神道と仏教それぞれのことをより詳しく知るきっかけにもなっていたかもしれません。

 では、そもそもなぜ神宮寺が形成されたのか。

 おそらくは、古来から日本人が崇めていたもの、今でこそ神道とされていますが、はるか昔はその「神道」として形成されていなかったり、あるいはその土地独特の信仰があったはずです。その信仰によって、最近まで行なわれていた風習なんかもあったようです。たとえば、成人の儀として、身近にいる女性(母や叔母など)と交わるというのがその代表例です。多分神道とは異なるものだと思うのですが、しかしその地域では古くから信仰されていたもので、その土地に住む者としての結束の象徴だったのかもしれません。
 その土着の信仰については様々な形があると思うので、一概には言えませんが、ただ、今の神道の原形というか、その元になった風習や信仰はあったと思います。あるいは、それさえも大陸から伝来されたものなのかもしれませんが、ただ、日本全国に神道が広まる過程で、地域の信仰が取りこまれてきた可能性は、否定できません。
 あるいは、取りこまれなかったとしても、たまたま、その信仰と類似しているところはあったかもしれません。

 その一つに、八百万の神という考え方があります。

 身近にあるありとあらゆるものには神が宿っているという考え方です。木々、草、生きもの、気候にも神が宿っているのです。
 その信仰は、多分、人間が農耕を始める以前から抱いていたのではないかと思うのです。
 狩猟で命をつないでいた頃には、今とは比べ物にならないくらい、人の手ではどうにもならないことがたくさんあったはずです。その神が宿る何かによって仲間が命を落とすと、おそらく他の国々はその対象を破壊していたかもしれませんが、その信仰をもつ人々はそれを恐れたのだと思います。そこに宿る神を怒らせてしまった、と。
 それを繰り返すうちに、身の回りにあるありとあらゆるものに、今で言う「神」が宿っていると考えるようになり、人々は命を落とさないために、それらを崇めていたのだと。

 その中で、神道が形成されたか、あるいは外部からもたらされたのだと思います。

 その信仰が発展したという形ならともかく、外部からもたらされたとしたのなら、多分その頃の神道は、八百万神の考えはなかったのではないかと思うのです。
 神話について詳しくないのと、宗教がどのような変遷をたどってきたのかもわからないので確たることは言えませんが、ただ、大陸から伝わったとしたのなら、人間の力を誇示するような中身だったのではないかと、漠然とながら、思うのです。
 そして、神道をもたらしながら、今の天皇の祖先が日本列島を平定します。が、当時の日本には数多くの民族集団(ムラやクニと言ったでしょうか)が存在し、その多くが八百万の神を信仰していて、当時の天皇やその側近がいくら神道の考えを押しつけようとしても、恐れ多いと突っぱねられて、それどころかさらなる抵抗に遭っていたと思うのです。
 そこで、当時の天皇は土着の信仰を神道に取りこむことにして、自分たちはその神々をまつって、神が怒った時にはそれを鎮め、人の手で何かするときには神にその許しを乞う存在だと言って回ったのではないかと。
 以来、神道では神々に対して祝詞を捧げて、全国の神々を崇めているのだと、そう思うのです。

 まあ、どんな流れがあったのかなど、私の推測でしかないのでわかりませんが、ただ、日本において先に定着した信仰である神道が、目に見えない物を畏れ、崇めていることは確かです。
 その目に見えない物の中には、かつての英雄なども加わるようになりました。過去の天皇や神話に登場する人の形をした神々なんかは、もちろん擬人化されたものもありますが、そうでないものについては、実は本当に存在していたのではないかと思うのです。
 それこそ、初代の神武天皇なんかは、日本の地に降り立っていたかどうかは日本神話などを確認しないとわかりませんが、仮に日本の地に降り立っていなかったとしても、その神武天皇あるいはそのモデルになった人物は存在していたのではないかと思うのです。
 もちろん、数百歳まで生きたとか、そういったデフォルメというか誇張というか、そういうのはありますが、ただ、可能性としては当時の平均寿命に比べてかなり長生きしていたことは確かかもしれません。
 そして、そういった人たちが亡くなり、姿を見せなくなるわけですが、ただ、その魂はいつまでもこの世にとどまり続けるという考え方は、あったかもしれません。
 元々生きていた人が亡くなってなおも魂が生き続けているという考えは、神という言葉に当てはまるのも、そんなに時間はかからなかったのではないかと思います。
 つまり、神道において、過去に生きていた人が亡くなると神になるということになるケースがあるのです。
 本当に過去に生きた人だったかどうかは、その史実が正確かどうかにもよりますが、最近読んでいる『神様の御用人』という小説でも、元々は人だったけれどその後神格化された存在というのは出ていましたし、実は日本神話に登場する神々の中には、そういうケースで神になった存在は案外多いのではないかと思うのです。

 で、仏教になるわけですが、仏様というのは、お釈迦さまを指す一方で、亡くなった人に対しても使うことがあります。
 存在としてはだいぶ違いますが、ただ、お釈迦さまも見方によっては、現代においてはすでに亡くなった人です。つまりは、亡くなった人を仏様とすることと相違ないのです。

 そう考えると、「神様仏様・・・」と神仏まじったお祈りの決まり文句も、実は指し示す物は同じということになり、違和感を覚える必要はないのかもしれません。

 そして、その考えによると、神様というのは、これまで亡くなった人の数だけあるわけで、そこにさらに自然界のありとあらゆるものが加わるので、もはや数え切れないほどの神様が存在するわけです。
 昔は、人の手の施しようのない、さまざまな自然現象も神によるものと考えられてきたので、信仰も厚いものでしたが、昨今は自然現象も科学的に解明され、信仰心はだいぶ薄くなり、それこそ冒頭の私のように、仏教は死んだあとお世話になる物、神道は初詣と七五三、あと結納の時に関係するという感じになっています。
 ただ、信仰心はどうあれ、唯一神によって世界が動いているという考えよりかは、身の回りに神が宿っていて、それこそ人だってある意味では神のようなもの、あるいは神は実は人そのものでもあるみたいな考えの方が、何となく平和な感じがします。

 神を信じる信じないは、サンタの存在を信じるか信じないかみたいな感じで、実際のところ無意味な議論だと私は思います。
 実際に神は存在するのだとか、そういうことを言いたいのではありません。ただ、居るものだと考えて身を引き締めて生活を送ることで、何かいいことがありそうな気がしますし、逆に災いが避けられるのではないかと、そう思うわけで、これはまあ、生まれてから今までの人生というよりかは、そういう血が流れているようなものであって、今さらその考えを根底から変える気はないわけです。
 だからほら、いざって時には神頼みをしてしまうでしょう。口では何と言っていても、根底にはその信仰心が染みついているのです。

 そこまでなってほしいとは思いませんし、唯一神の宗教の下でこれまで生きてきた人たちにそう考えてほしいとは言いませんが、そういう考えもあるのか程度に認識してもらうだけでも、だいぶ平和な世の中になるのではないかと、そう思う時もたまにあります。
 まあ、神話を見ると、人も神みたいなものという考えを抱いたとしても、憎しみやら何やらが消えることはありませんが。

 何と言うか、記事を作る少し前までは考えがまとまっていたような気がしたのですが、どうやらそうでもないようです。
 この話題はまたいつか。その時も結論が出るかどうかはわかりませんが、今とはまた違った考えを持っているかもしれません。とりあえず、「四十路男子シリーズ」の時にでも・・・って、その頃まで続いているのか?この場末のブログ・・・。

(掲出時追記)近々終わりますがね、ヤフーブログ自体が(記事執筆が2017年1月のはじめなので、当時の私に知る由もありませんが)。
 ネット上には公式ホームページがたくさんあります。商業的な物を除くと、ファンクラブとか、テレビ番組のページとか。
 特にテレビ番組のものは、放送局が作った物でないページだと、かなり作りこまれていて、その作品の舞台設定をモチーフにしたものになっていて、見ていて楽しいものです。
 その手の公式ホームページから、作品制作に対する意気込みが感じられます。
 ただ、やはりというか、伝える情報が大概同じなのが残念です。ストーリ紹介、最新情報は番組という性質上仕方ありませんが、やれ「DVD発売中」とか、そういった宣伝色がやたらと濃いのです。もちろん、宣伝のための公式ページなわけで、当然と言えば当然なのですが、見ている側としては、それ以外のお楽しみ要素みたいなのが欲しいのです。
 たとえば、そのページでだけ見ることができるおまけ映像とか、原作があるならそれを数ページ立ち読みできるとか、公式イラストが週に1回のペースでアップされるとか、出演者からのメッセージとか。
 とにかく、見ている側がついついページを見たくなるような、そんな工夫が欲しいのです。このままだと、テレビにおけるCM見たいな感じになり果ててしまいます。(492字)
 電車の話でもしましょうかね…。


 そうそう。おそらくいないと思うのですが、不定期的に、しかし古くからこの場末のブログに立ち寄ってくださっている方の中には、「…」の表記の変化に、もしかしたらお気づきかもしれません。
 実のところ、最近本格的に始めたツイッターの影響を受けているのです。
 今までは、「・・・」の表記を使っていました。一昔前のパソコンで変換してこれを出すと、「3点リーダ」とかって名前が出ていましたが、今使っているパソコンだと「環境依存」と出ています。これは、ワードなりブログなりで、「…」を使うと、なんだか物足りないというか、「……」にしても、例えば会話などで無音状態を表現する際に、その時間経過が短いような気がしてしまって、ならもうちょっと大きめの表記である「・・・・・・」を使う方が、もう少し長い無音状態のイメージがしやすいのではないかと思い、こちらを使っていました。
 ですが、ツイッターで「・・・」を使うと、3文字分消化してしまい、多用すると140字でまとまらなくなってしまい、やむなく「…」を使うことにし、そして最近はこちらを多用していたので、自然とこのブログでも「…」を使うようになっていたのです。ちなみに、ツイッターだと「…」で1文字分となります。

 さて、記事執筆は前日の3月7日なのですが、ネットのニュースで、「8時ちょうどのあずさ2号、再び消滅」という見出しを見つけました。
 これは、今の時点で中央本線の上りの特急あずさ2号が大月駅を、午前8時ちょうどに出発しているのですが、16日のダイヤ改正で消滅してしまうということらしいです。

 あの名曲からして、新宿を8時ちょうどに出発し、松本方面に進んでいくのだろうと思っていましたが、あの歌が発表されたころというのは、国鉄特急の番号の振るい方が、上りと下りともに1号、2号…としていたそうです。
 つまりは、新宿始発のあずさ2号がある一方で、松本始発のあずさ2号も存在していたようなのです。
 私はその頃まだ生まれていないのと、そういった事情も知らなかったので、へぇ~と思いました。
 のちに、松本始発の上りが偶数、新宿始発の下りが奇数で振るうようになり、新宿発のあずさ2号が消滅したという、そういうことらしいです。
 で、今は大月駅を8時ちょうどに出発するあずさ2号があるということなのですが、ダイヤ改正で消滅してしまうと。

 そして、ニュース記事によると、特急あずさの大月駅停車本数がだいぶ減るらしいです。

 私は普段、中央本線や中央線快速に乗らないので、ダイヤの事情に詳しくありませんが、ただ、勝手な印象として、中央線には特別快速が走っていて、その一部は大月駅まで運転されていたかと思います。
 特急あずさの停車本数が減る代わりに、特別快速が増えるのではないかなと、そう思っているのですが、どうでしょう?
 あるいは、特急かいじなら止まると思うのですが、新宿から大月の区間においては、それでも十分速いのではないかなと思います。

 私は高崎線沿線の住人なので、そもそも特急が少ない路線に慣れてしまっているので、いまいちピンとこないのです。

 何しろ、新幹線が走っているので。

 これ、別に自慢ではありません。だって、埼玉県内の駅としては、大宮、熊谷、本庄早稲田とありますが、まともに新幹線が止まるのは大宮だけですからね。
 熊谷と本庄早稲田に至っては、北陸新幹線のはくたかすら止まりませんからね。埼玉県北部、もっと言えば、高崎線における上尾か桶川あたりから北に住む人たちは、高崎まで高崎線で行って、そこから北陸新幹線に乗るか、熊谷で上越新幹線に乗って、高崎で接続するかのどちらかを選ばなければならず、特に長野から先に行こうとしたら、必ずどこかで乗り換えなければならないのです。
 大宮なら、乗り換えなしで金沢まで行けますし、かがやきにだって乗れます。でも、熊谷と本庄早稲田は、長野どまりのあさまの一部に乗れるだけです。そのあさまですら、半分くらいは通過です。
 つまり、大宮ならともかく、埼玉県内には上越・北陸新幹線の駅がほかに2つもあるのに、その新幹線の恩恵をあまり受けていないのです。

 はっきり言います。北陸新幹線、いや、当時は長野行き新幹線と呼ばれていましたね、あれが開業する以前、特急あさまが高崎線内を走っていたころの方が、熊谷や本庄といった、埼玉県北部において比較的大きな駅に停車する特急が多く、時間こそ掛かるものの、長野方面に行く際には、あまり時間を選ぶ必要がなく、利便性が高かったです。
 大体が、大宮、熊谷、高崎にとまっていましたが、一部のあさまは深谷と本庄にも止まっていたかと思います。
 それが、あさまが新幹線になったとたんに、熊谷にとまるあさまは10本あるかどうかというレベルにまで減りました。

 大宮に一度行けばいい?

 まあ、かがやきに乗って金沢に行く分には、もしかしたらそのほうが速いかもしれませんが、料金が余計にかかってしまいます。そうしてまで急ぐというケースも無きにしも非ずですが、ほとんどありません。
 そういえば、上越新幹線も、越後湯沢どまりのたにがわなら熊谷と本庄早稲田にだいぶ止まっていたかと思いますが、新潟まで行くときは…、表記すると分かりづらいですね、「とき」は半分くらいが通過していた気がします。

 つまり何が言いたいかというと、確かに高崎線沿線には新幹線が走っていますが、埼玉県南部はともかく、北部についてはそれほど恩恵を受けていないということです。少なくとも、乗り換えの手間が強いられているという点においては、特に北陸方面は。

 まあ、これはほかの新幹線でも、似たような事例があると思いますが。新幹線があるからと言って、便利かというと、案外そうでもないのです。

 だから、リニア中央新幹線が開通したとして、神奈川県の橋本か相模原でしたかね、あの辺りとか、長野県とか、途中にいくつかの駅が設けられると思うのですが、途中駅という時点で、乗り換えの必要はないかもしれませんが、しかし、あちこちで喧伝されているような速達性の恩恵は受けられません。
 もちろん、各駅停車があったとして、それでも十分に、ほかの途中駅や名古屋、品川に向かう分には、十分早いのですが、東京~名古屋40分というレベルには至らないのです。

 で、話を戻しますが、中央本線の特急あずさの大月駅停車本数が減るという話。

 あずさの停車駅は、東京方面においては、八王子、新宿くらいで、あとは一部が停車するのが何駅かといったレベルだと思うのですが、では、かいじはどうでしょう?
 かいじだと、八王子、立川、三鷹、新宿にとまるのではないかと思います。立川と三鷹に止まるだけで、あずさとの所要時間の差は、せいぜい3分くらいじゃないかと思います。別に、あずさだから常に120キロで走るわけではありませんし、かいじだからといって運転速度を落としているというわけでもないでしょうから。
 で、松本方面の場合はというと、これは私も正直わかりませんが、でも、甲府まで出ればあずさには乗れるでしょうから、それでも十分ではないかと思います。

 高崎線に置き換えれば、大月=上尾という感覚で、昔の特急あさまに置き換えれば、上尾の人たちも長野に行く際には熊谷まで移動して、そこで特急に乗り換えていたはずです。その感覚に近いのではないかと思います。
 ちなみに、特急あさまはどうだったかはわかりませんが、今の特急、草津とあかぎは、全部じゃなかったと思いますが、上尾には停車します。特に、スワローあかぎは全部止まっていたのではないかと思います。
 まあ、私の場合は、平日夜に高崎線を利用する機会がほとんどないので、うろ覚えですが。

 でも、いいですよね、中央本線は。次々と新型車両が投入されていて。

 高崎線なんか、常磐線に使われていた車両の使いまわしですからね。それ以前は、新幹線リレー号として作られた車両が長年にわたって使われていましたからね。…もっとも、185系は、あの形状とか、結構好きでしたし、今でも東海道線の踊り子で使われていますが。
 高崎線特急の置き換えがまだ決まっていなかった頃には、てっきりE257系が投入されると思っていたのですが…。まさかの651系ですよ。まあ、デザインは好きですが。現役で常磐線内を走っていたころには、一度乗ってみたいと思っていましたが。
 …思い出したら、乗ってみたくなりました。後で費用と時間を調整して乗ろう。せめて上野~大宮くらいは。

 なんにしても、遠くに旅行とかでない限り、特急に乗るという機会がほとんどありませんからね。それこそ、中央線特急には一度も乗ったことがありませんし。


 なんだか話がごちゃごちゃになってしまいましたが、一方で場末のブログらしいとも思う次第です。こんな感じで、ヤフーブログ終了まで、いや、移行手続きが終わるあたりまでは続けていこうと思います。


参考
・「8時ちょうどのあずさ2号」再び消滅へ JR中央本線ダイヤ改正で「通過」に
   https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20190307-00010000-norimono-bus_all