40を過ぎたあたりから、声が通るようになってきた。いや、通る声をようやく出せるようになったと言った方がよいか。
気づいたのは、選手たちを走らせている時だ。
4つのグループに分かれて100mを10本×2セット。私はゴール前にいて、10秒…13、14、15、16とタイムを毎回声を出して選手たちに伝える。つまり、80回も同じコールを出しているのだ。
多いグループは20人以上いるので、40mくらいに広がって走っている。そう、選手たちは息をハーハーして走っているのだ。私の声が聞こえなければ話にならない。なにせ、私が目標タイムを伝え、しかも全員、全部それに入るように鼓舞しているのだから。
ある時、自分の声がこだまとして聞こえてきた。
もちろん喉はつぶれていない。それまでの私は、いわゆる喉がつぶれたかすれた声しか出せなかった。さかのぼれば、それは高校の野球部時代からだ。当時、私が所属してい野球部は、それこそ大きな声を出すことが名物のようなチームだった。中学までは、そんなに大きな声を出した経験のなかった私も、人前で大きな声を出すことが苦にならない、むしろ得意な領域にさえなっていた。しかし、ひとつだけ問題が。人前で大きな声を出すことに抵抗は無くなったのではあるが、私の声は完全に喉がつぶれたかすれた声になってしまったことだ。よく言えばハスキーな声ではあるが、決して通る声ではなかった。
それは29から始めたトレーニングコーチになっても同じだった。私の声は相変わらずつぶれて、決して遠くに届く声ではなかった。
私が、自分の声がよく通る声になったと確信した出来事があった。
それは、ある年のチームの公式戦が熊谷ラグビー場で行われた時のことだった。試合後に1人の選手が、「森下さんの声が、むちゃくちゃ聞こえて頑張れました」と言ってくれたのだ。
それを言ってくれたのが、どちらかと言うと私とは距離があるタイプの選手だったので、尚更のこと嬉しかった。
気をよくした私は、それ以来、試合の時は、全力で大きな声を出して応援しようと決めた。
試合中の私の声は、ご父兄の方にも認知され時々感謝の言葉を伝えてもらえるようになった。
声が通るようになったことは発声のスキル的な問題が改善されたからに他ならない。しかし、1番大切なのは、その声が選手たちを後押しするものになっているかだ。
大きな声を出すのが習慣化された高校野球部の時、一つ学年が上の我々の指導者係の先輩は、我々にこう伝えた。
「本当の声を出せ」と。
なんでもかんでも大きな声を出すことではなく、味方を鼓舞する本当の声を出せと。
これは、我々にはむちゃくちゃ難しい課題だった。たかだか16歳だ。しかし、幼いなりにもその先輩が伝えたいことは、わかるような気がした。その先輩が発する声は、明らかに声がでかいだけではなかった。心の内から発するその声は、確かに相手に何かを伝える大きな力があったように思う。今なら、もう少しわかるような気がする、本当の声とは何か。それは、何をどう伝えるかではなく、誰が言うか、で説得力が全く違うということに。日頃から、信頼している、尊敬している人に励まされる声ならば、間違いなく当人には響くはずだ。
果たして私の声は、通るもの以上の声になり得ているだろうか。ひとつだけ言えるのは、選手を本気で応援していれば、それは選手たちにも伝わるのではないかということ。
長くなったが、今日、菅平の合宿中の試合を応援に行き、声援というのはどういうことか改めて考えてみた次第なのである。