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ムーブメントコーチ ロボラガーのブログ

ムーブメントコーチ(重心移動のスキルを指導)として、高校生や大学生中心にトレーニング指導をしております。現場での試行錯誤を書きたいと思います!

School of movement 認定 マスターコーチ

4月1日より、全ての指導先のチームが休部状態となり、当初は完全に仕事がない状態だった。だから、必然的に政府が呼びかけている自宅で過ごすという目標を見事に実施することができている。

ただ、有難いことに、4月中旬からは、既存の指導先のチームと、オンラインでのセッションを、ほぼ毎日実施することができている。

 

もともと、高校生と大学生の部活動のサポートが私の仕事だったのだが、実は同じ日に複数のチームにいくことはほとんどできなかった。それは、まさに物理的に難しかった。ところが、オンラインでのセッションの場合に、多い日は4チーム、平均でも2チーム以上の指導をすることができている。そのわりには、慣れてくると意外と時間にゆとりがあるから不思議な感じだ。

なぜか、そう、答えは移動する時間、すなわち通勤時間がゼロだということ。今までは、メインのチームでも往復2時間、チームによっては往復6時間以上も電車に乗っていくこともあった。

1日に4チームの指導をしている割に、時間的に余裕があるのは、まさしく移動の時間が、まったく無いということに尽きるのだ。

言い方を変えれば、それはオンラインで仕事をする大きなメリットの一つなのだ。おかげさまで、仕事としても成り立ち、時間的にも効率が良い。家族と過ごす時間は、劇的に増えた。こんなに有難いことはない。が、自宅にいることでのデメリットに気がついた。

 

それは、まさにこの移動時間がゼロということだ。どういうことか。

実は私は、車でも電車の移動でも、この移動する時間に、下手をすると一番頭が働くのだ。読書をするのは電車が一番集中でき、新しいアイデアが浮かぶのも、けっこう移動中のことが多いのだ。

さらに言えば、あの時間と空間が好きなのだ。もちろん、満員電車や渋滞は好きではないが。

つまり、移動する時間がないということは、読書は進まない、アイデアは生まれにくいということなのだ。

 

昔から考え事をするのは、「馬上、枕上、厠上」と言うが、私はこの中でも特に「馬上」が、まさに考え事をするのに最適なのだ。

オンラインで仕事をすることで、恩恵もたくさんあるのだが、この移動する時間と空間をどう確保するかが、当面の課題である。

 

 

「セッションの中に物語を作ることが大切です」

こう教えてくれたのは、私のムーブメントトレーニングの師匠で、school of movement 代表の朝倉全紀さんだ。

どういうことか。

 

セッションの途中だったり、終わってから、

「あー、この種目は、さきほどやった、あの感覚と同じだ!」 

「なるほど、今まで、股関節の使い方があいまいだったけど、そうか、そういうことだったのか」

「この動きって、バッティングの軸足の使い方と同じだな」

とか、一つ一つのことが、何らかのつながりをあることを感じてもらえるかどうかだ。別に、それはその日のセッションでやったことではなく、ウエイトルームでやっている種目とつながっても、もちろん構わない。大事なことは、指導者側ではなく、選手自身が、自分の経験値や、自分の感覚の中で、そのつながりを持てることだ。

 

では、どうしたら、選手につながりを感じてもらえるのか。

ヒントとなるものが二つある。

 

ひとつは、「比喩力」だ。「これって、例えば、アレのような感じ」と、説明する際に、選手に伝わりやすい、例え話をどれだけもっているかだ。大事なのは、選手にわかる比喩だ。

「この重心移動の感じ、小島よしおの『そんなの関係ねー!』だよ」

とか、「このお尻を後ろに引く感じは、プロレスの越中詩郎のヒップアタックだよ」。この話でピンとこない方には、つまり、この例え話ではいけないということ。子どもに股関節がどうのこうのと言っても、おそらく伝わらない。?マークのまま、ただやろうとするだけだ。子どもに伝わる例え話ができるかどうかが肝なのだ。

 

もう一つが、フォームを教えるのではなく、感覚を引き出せるかどうかだ。もちろん、怪我のリスクを減らし、効率的な身体のために、フォームは大事である。が、そこだけにフォーカスすると、自分の身体感覚を研ぎ済まなくなってしまう。言い方を変えれば、内観することができなくなる。そうなると、どんなに良いものをセッションで教わったとしても、一つひとつがブツ切れになってしまう可能性があるのだ。そうなると、間違いなくセッションの中で『物語』は生まれないのだ。

 

朝倉さんは、こうも話す。

「現実に起きていることと、選手の感覚は違う。だから、指導者は選手の感覚を鋭敏にすることができるかどうかが、とても大事です」と。

 

でも、この『物語』を作ることを大事にすると、指導者側もむちゃくちゃセッションが楽しくなるのだ。5年前に出会ったムーブメントトレーニング、おかげさまで、仕事がますます面白いのである。

 

 

「10年、一つのチームにいれたら、たいしたもんだよ」
個人事業主になりたてのころ、師匠にそう言われた。師匠は、メインの社会人の強豪チームに20年も携わった。
しかし、気づけば、私も10年以上サポートするチームがいくつか出てきた。当時を思えば、信じられない。20代後半に、他業種から転職した私。体育系の大学を出たわけでもなく、選手としてもまったくの3流だった私が、まさかトレーニングコーチとして、10年以上も携わるチームを持てるとは。なぜ、私のような凡人に、それが可能になったのか。自分で、自分のことを客観的に評価するのは難しいが、ひとつだけ、私には武器がある。それが自分の武器とは、以前は考えたこともなかったのだが。もし、私のような者が、仕事が継続している理由があるとしたら、このことしかないように思う。
 
自分で言うのもなんだが、私のストロングポイントは何か。
それは、「自信がないこと」である。なに、自信がないことが武器とは、とうとう森下、頭までおかしくなったのか、と思われるかもしれない。そういう、私もこのことに気づいたのは、おそらくこの数年のことだ。高校時代から読書が趣味になっていた。趣味というよりも、自分に自信のかけらもなかった私は、本にその拠り所を求めた。野球部の副主将になるも、レギュラーには程遠い存在。それなのに、リーダーとして何ができるのか、何をすべきか、もちろんわからない。そして本に出会った。まずは、スポーツ選手や監督が書いたものを読んだ。そして、名言集みたいなものも好きで、その中の言葉の数々が自分を励ましてくれた。時には本の中で出会う言葉にさらに自信を失うこともあった。しかし、たいていの言葉は、弱い自分を後押ししてくれた。その習慣は社会人になっても続いていた。とくに、30手前で指導者の道を歩み出してから、その習慣は加速していった。
 
まだ、この仕事に就いてまもない頃、指導先の尊敬する先生が、私のことをこんな風に言ってくれた。
「森下さんは、謙虚だからいいんですよ」と。
すかさず、私は答えた。
「いえいえ、ただただ自信がないだけなんです」と。
ほんとうに、本心からそう答えた。しかし、そのときは気づかなかったのだが、どうやらそれが私の武器なのだ。
それは、私でなく、私の出会った数多くの本の中で、先人の方々が教えてくれた。(以下、出典不明、敬称略お許しください)
 
「学ぶことがなくなったら指導者をやめるべき」
(元サッカーフランス代表監督 ロジェ・ルメール)
 
「謙虚さこそが、人間を一流に導く根源」
(野村克也)
 
「聞く耳を持つんや。それが『成長』するための最大の秘訣やで」
(『夢をかなえる像』 飛鳥新社 水野敬也著 ガネーシャ主人公ガネーシャの言葉 )
 
「自分が不完全であると謙遜せずに言うことは、大切だし意外に難しい。それはコミュニケーションノ段位になるほどかもしれない。それほど人は他人を虚飾で見てしまう」 
(精神科医 名越康文)
 
「自分の言葉に違和感を抱いているという君は、見込がある。言葉に疑いを抱かない人間の書く文章なんてろくなもんじゃない」
(随筆家 田村隆一さんの言葉)

「人間の偉大さは、人間が自分の惨めなことを知っている点で偉大である。樹木は自分の惨めなことを知らない。だから、自分の惨めなことを知るのは惨めであることであるが、人間が惨めであることを知るのは、偉大であることなのである」
(哲学者 ブレーズ・パスカル)
 
「自分の正しさを雄弁に主張することのできる知性よりも、自分の愚かさを吟味できる知性のほうが、私は好きだ」
(武道家の内田樹)
 
「わからないことがあるということを、必ず留保としておいていないと謙虚にならないんです」
(解剖学者の養老孟司)
 
20年、指導者としてやってきて、唯一自信をもって言える事。
それは、自分があまりにも、知らない、できないことが多すぎて自信を持てないことである。でも、もしかしたら、そのことが仕事が継続していることの最大の理由なのかもしれない。
 
師匠は言った。「勝負事だから、勝つこともあれば負けることもある。でも勝ったら、監督や選手のおかげで、決してお前のおかげだと思うなよ。その代わり、負けたらお前のせいだと思え。では、我々に対する評価は何か。それは勝っても負けても仕事が継続していくことだよ」と。
 
おかげさまで、ほとんどの仕事が長いこと継続している。そのことで満足してはいけないが、少しは自分を褒めてもいいですかね、師匠。「お前、そんなことで満足した瞬間成長はとまるぞ」と、師匠から怒られそうである。あと、10年続いたら、そのときは褒めてくださいね。

 
ずいぶん昔だが、とある競技の監督から聞いた言葉がある。
「できないのに、笑うなよ。その代わり、できたら笑っていいよ」
高校生や大学生にトレーニングを指導していてると、その言葉の言わんとすることに、よく遭遇する。たいてい、それは体力テストや、初めてチャレンジする種目があるときにやってくる。 たとえば、立ち幅跳びの測定にチャレンジするときだ。1人の選手が、もうあきらかに適当に跳び、目標値に届いていないのに、笑ってしまう。おそらく、彼は立ち幅跳びが苦手である。だから、格好悪いところを見せたくない、そんな照れ隠しからそういう言動になってしまうのだと思う。誰もが、自分の弱点をさらけ出すのは嫌だし怖いものだ。
 
実際に、人間というのは酷なもので、周りで見ている選手が、上手くいかない選手を笑ってしまうことがある。だから、そんなとき、こんな風に言う。「やっている選手が、自分でふざけてやるのも問題だけど、もっと良くないのは、できない選手を笑うことだよ。できないのに笑わない!でもできない選手を笑うのはもっと最低だ」と。
 
自分と向き合わず、照れ隠しのように本気でやらない選手も問題がある。でも、一番の問題は、選手たちが真剣にやることを馬鹿にするような環境なのだ。そして、その環境は、指導者が作っているものだと私は思っている。日頃から、能力の高い低いに関わらず、それぞれの選手が、自分と向き合い、チャレンジしていく、失敗を認める環境作りができているかどうか。
 
偉そうなことを書いているが、50を過ぎても、やはり人前で失敗をするのが怖いし、できれば恥をかきたくないと思っている。でも、誰かが失敗したときには、許せる人間でありたいと思う。ましてや、高校生や大学生、若い彼らが失敗したり、間違えるのは当たり前なのだ。環境を作るのが指導者の仕事とは、よく言われているが、改めて、そのことを肝に銘じたい。そして、自分の弱さをさらけだせない選手がいたら、思い切り言ってやりたい。
 
できないのに、笑うなよ。その代わり、できたら笑っていいよ」と。
 
 
 
 
 
 
個人事業主となった最初の年、月の半分が暇だった。時には、違う業種のアルバイトもした。カミさんが、まっとうに働いてくれていたので、なんとか飯は食うことができた。翌年、いろんな方のおかげで、少しずつ仕事が増えていった。それでも、まだ時間的には余裕があった。
 
そんなとき、確か11月頭くらいの時だった。以前お世話になっていたある高校野球部の先生から電話があった。
「新チームから、体制が変わりまして、また森下さんにトレーニングをみてもらいたいと思いまして連絡しました」と。
 
いやー、むちゃくちゃ嬉しかった。というのもそのチームは、指導料よりも交通費の方が高くなるほどの遠方のチーム。だから、私を呼ぶということは、かなりの予算が必要になるのだ。にもかかわらず、以前よりも頻度多く来て欲しいとのお話。少しずつ仕事が増えたとはいえ、まだ十分な空きがある私にとっては、もうただただ感謝の言葉しか見当たらなかった。
 
Chance visits the prepared mind.
(幸運は 準備した者に 味方する)
 
仕事がない頃に、出会った言葉だ。仕事がなくて、暇なときにどう過ごすか。そんな自分に、大切なことを投げかけてくれる言葉となった。昔から、いろんな言葉によって自分を励ましてきた。
そして、この言葉は、仕事がろくになかった私を、懸命に励ましてくれた。
 
「人事を尽くして天命を待つ」 という言葉よりも、私はこの言葉が好きだ。こちらの方が、よりポジティブな感じがする。そして、今、コロナの影響で、自分の仕事に影響が出るなか、改めて、この言葉が私を励ましてくれる。
 
Chance visits the prepared mind.