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ムーブメントコーチ ロボラガーのブログ

ムーブメントコーチ(重心移動のスキルを指導)として、高校生や大学生中心にトレーニング指導をしております。現場での試行錯誤を書きたいと思います!

School of movement 認定 マスターコーチ

かれこれ、2か月半、学校が休校のために部活ができない高校野球部との、Zoomを利用してのオンラインセッション。今週で、4週目に入った。セッションの進め方はオフラインとほぼ同じなのだが、オンラインならではのこともある。

それは、画面上に情報を共有するシステムがあるのだ。たとえば、私のパソコンの動画を選手たちにも見せることができる。またパワーポイントで作った資料なども見せることができるので、実技中に、ちょっとした座学を入れ込むことができるのだ。

これは、セッションに変化をもたらすので、選手たちの集中力を高めるように思う。また、動きを理解する補助としても使えるので、なかなかの優れものであるのだ。

 

昨日のあるチームとのセッション後に、主将がこんなことを言った。「まだ再開できるまで、時間があるから、森下さんに教わった動きを野球につなげられるようにしよう」

「おー、いいね。そうそう皆時間があるし、スマホを持っているのだから、YouTubeで上手い選手の動きをいっぱい見たらいいよ。俺とか先生の時代はさ、こんなものなかったけど、皆は自宅にいながら、自主練しながら、それを見れるんだよ。いいYouTube知ってるだろう?森下さんって人のYouTube(笑)」

 

そう冗談を言ったあとに、情報を共有して、ホワイトボードにこう書いた。

『ミラー・ニューロン』

 

「意味わかる? ニューロンってなに?」

すると、理系の選手の1人が「神経細胞」と答えてくれた。

「そう、直訳すると鏡の神経細胞。どういうことか説明するね。

たとえば、おれが腕立て伏せをしているときに、〇〇は見てるだけなんだ。でもね、○○の脳の細胞も、俺が腕立て伏せをしているときに働らく脳細胞と、同じところが活動するんだって。つまり、腕立て伏せをしてなくても、脳細胞の中では、同じ効果があるんだ。だから、昔から上手い人のプレイを真似しろとか、よく見ろって言われるけど、確かにそのとおりで、上手い人のプレイを見るだけで、自分の脳細胞は同じように働くんだよ。極端に言えば、今、野球のプレイはできなくても、見てるだけで上手くなれる可能性があるんだよ。だから、皆も今のうちに良いプレイをたくさん見た方がいいよ」

 

ミラー・ニューロンの話を私は、ずいぶん前に知っていたのだが、ふとそんなことを思い出し、選手たちに伝えてみた。もちろん、オフラインで練習しなければ上手くならない。が、自宅にいて時間があることは、ミラー・ニューロンを活性化させ、久しぶりに練習したら、できなかったプレイができるようになっていたなんてことが起きるのかもしれない。そうなったら面白い。私も、あらためて、良い動きをたくさん見ようと、そんなことを感じている朝なのである。

 

 

 

 

 

情報化社会と言われている。

30年前までは、考えれないくらいの量の情報を、瞬時に手に入れることができる。しかし、我々のおじいさんの代と、今でも脳が許容できる範囲は大して変わらないと。

 

では、我々の脳は、何をキャッチするのか?

それは、自分が普段、考えていることだと言う。

野球に興味がある人は、知らず知らずのうちに、野球に関係する情報をとらえる。仮にほぼ同じ情報を浴びたのにも関わらず、人によって入力されるものは無意識レベルでも変わるのだ。

たしかに、私はコーチングに興味があるので、知らず知らずのうちに、コーチングに役立つアンテナを張っている。哲学的な本を読むのが好きになったのも、そこからきたのかもしれない。

 

ここが面白いのだが、考えていることの情報が入力されてしまうということは、ポジティブに物事を考える人、ネガティブにものを考える人でも、大きな違いを生み出すのだ。ネガティブな考え方の人には、やはりネガティブな情報が多く入ってしまうのだ。だから、ますます思考はネガティブになるという具合だ。

 

あるいは、夢や目標を持つことで、その夢をかなえるための情報をキャッチできる。夢は必ずかなうわけではないが、そのことで自分を成長させてくれる情報をとらえることができるのだ。

 

しかし、少し考えなければいけないことがある。

TwitterやFacebookなどのSNSは、同じような考え方をもっている人どうしがつながりやすい。私もどちらも利用しているが、どちらかというと似たような価値観、考え方の人の情報が多く入る。とうぜん、そこで触れる情報に影響を受けるし、もちろん、そこで共有したもので、自分が頑張れることもある。誰もが、炎上するようなことはあまり気分はよくない。自分を成長させてくれるコミュニティに入ることは、間違いなく大切だと思う。逆に言えば、自分を成長させてくれないコミュニティなら、参加しない方がよい。

しかし、そのことが他のコミュニティや、価値観の違う他者を否定する方向にいくことには気をつけなければいけない。現に、世界中でその問題は、今も昔も起きている。

 

人にとって、言葉や環境が、その人の考え方を作る、もっと言えば、人格を形成する。だからこそ、自分がどうありたいのか、それが大切になるように思う。それは、昔も今も変わらないことなのだ。

先日、51年生きてきて、歓喜というものを4回味わったことがあると書いた。今回は残りの2回について書きたいと思う。

 

2006年、私がサポートさせてもらっている拓殖大学ラグビー部は、関東大学リーグ戦2部で全勝優勝を果たし、1部昇格を決めた。

その年は、1部に所属する日本大学ラグビー部の不祥事により、2部の1位になれば、入れ替え戦無しで自動昇格することになっていた。最終戦の山梨学院大学との試合、勝ったほうが1部昇格を決めるという、まさに絶対に負けられない試合となった。

前年度は優勝したのだが、入れ替え戦に負けたチームは、春からハードワークをし、確実に力をつけていた。私はフィジカル担当として、筋力と持久力のレベルアップが役割だった。チーム戦術的にも、とくに持久力を強く求められていたので、夏合宿も含めてそうと選手たちには走ってもらった。おそらく、選手からしたら、私の顔など見たくないほど。

そして迎えたシーズン、チームは順調に勝ち続けた。しかし、公式戦の真っただ中、10月に父が他界した。通夜の日、チームは公式戦が行われていた。ところが、試合後に監督、コーチはじめ、選手全員でお焼香をあげに来てくれたのだ。いやー、有難かった。

そんなこともあったせいか、試合後に監督、コーチについで私まで選手が胴上げしてくれた。これは、本当に想定外だった。監督とコーチはフルタイムとしてチームに携わっているが、私は週4日のみ。でも、その胴上げは、自分のやってきたことを選手たちが認めてくれているご褒美と思い、本当に嬉しかった。涙がこみあげた。

 

4回目の歓喜。それも同じく入れ替え戦に勝利したときのことだ。

2013年、チームは再び2部に降格した。2014年は、必ず1年で1部昇格を果たすべく、主将を中心に、本当に真摯にラグビーに取り組んでくれた。私自身も、前年度の指導方針を大きく変えて、新たなチャレンジをして臨んだシーズンだった。というのも2013年度は、やることなすこと全て上手くいかず、おまけに精神的にも年中ピリピリとしていた。にもかかわらず優勝が目標のチームがまさかの最下位となり、挙句の果てに入れ替え戦も敗れ2部降格となってしまったのだ。おおげさに言えば、この年から私自身の指導方針が大きく舵を切ることになる。ひとことで言えば、それは「選手たちを信じる」ことだった。それまでは、ここまで来れない選手はトレーニングする必要がない、やる気のある選手が頑張れば良い、そんな風に考えていた。でも、結果だけでなく、そのやり方は自分自身もしんど過ぎた。選手の前で、常に見栄をはっていた。こうあらねばならない、ストイックでなければならない、そう思い込んでいた。自分としては、そうやって選手と自分と戦っているつもりだった。でも、それは違うのではないか、負けたことで立ち止まることができた。そして、入れ替え戦でもスキのない試合をしてくれた選手たち。どんなにきつい状況でも泣き言を言わずに頑張った主将を中心に本当に良いチームができた。いやー、嬉しかった。

 

人生の中で4回あった歓喜、そのうち2回は、選手時代のもの、そして2回は指導者になってからのもの。そして、選手時代よりも、指導者としてのほうが、なんとも言えない喜びがあるのは、これは指導者にしかわからないものだと思う。指導者冥利に尽きる。

 

勝つことが全てではない、しかし、勝つことでしか味わえない歓喜があるのも事実だと思う。

幸いにも、20年この仕事をしているが、選手に手をあげたことはないし、逆に選手から手をあげられたこともない。

しかし、あわよくば殴られそうになったことは何度かある。ようは選手から反発されたということだ。もちろん、その時々で状況も違うので一概には言えないが、なぜ、選手から反発されたのだろうか。今だから言えるのだが、その大きな理由は私の考え方にあると思える。私は、性格なのだと思うが、手を抜くことやごまかす選手が好きではない。それと、人の邪魔をする選手もだ。

だから、自分のコーチング哲学の中にも、「ベストを尽くすことと同時に、ごまかさない、そして仲間をサポートする」ということを肝にしている。とうぜん、それは私の哲学なので選手側としたら、迷惑な話かもしれない。だから、選手があきらかに、ごまかしたり、手を抜いたり、人の邪魔をする行動をとった時は、「やる気がないなら帰れよ!」「ごまかすなよ!」「お前、本当に自分のベストを尽くしているのか!」「もういい、人の邪魔をするなら、出ていけ!」と、思い切り声を大にして、たいてい怒りの感情もむき出しにして伝える。

 

すると、当たり前だが、選手だって、その時々の思いや考えていることは違うので、「やってますよ!」「なんで俺ばかり言うんですか」「お前が帰れ!」。なかには、言葉でなく私を睨みつけてきたり、これは1度だけだが、胸ぐらをつかんできた選手もいる。

でも、私も自分の信念で言っているので、あとから思えば反省もあるし、時にはその選手の迫力にひるみそうになるのだが、絶対にひかない。だから睨んできたら、こちらも至近距離2㎝くらいまで眼前にせまり、睨み返した。とうぜん、選手側も興奮しているので、たいていは、怒ってそのまま帰ったり、他のスタッフや選手が間に入ることでおさまる。そして、たいていは選手側があとから謝罪にやってきて、こちらも、おれも興奮していたし、言い方が悪いこともあったと思うようなことを話し、まあ丸く収まった。だから、幸いにもそのまま選手と会話もしないままずっといくことはなかった。2~3週間は会話をしない選手もいたが。でも言ってみれば和解はできた。

 

元来、私は人とケンカするのは好きではないし、実際にケンカしたら弱い。はっきり言って臆病者である。だから自分よりも体も大きくて力もある選手から反発されたら、正直怖い。でも、なんとかそうした場面ではアドレナリンが出ているのか、正義感からなのか、あるいは絶対に譲ってはいけないという強い思いからなのか、一歩もひかなかった。

 

果たして、それが良かったのか、いまでも疑わしい。できれば、選手とそんな関係にはなりたくないと思っている。一言で言えば、私は白か黒か、という2つに一つの物の見方をしていた。手を抜くことは悪だ。手を抜かないことが素晴らしいのだと。でも、本当に50を過ぎてようやく、グレーゾーンというものの存在を認められようになったのだ。人間だから、さぼるときもあるよな、とか、あいつはあいつなりに頑張ってるんだよな、とか。まあ、そうは言っても、時々、腹が立って怒ることも、まあ選手からしたら大変なオッサンである。

 

なんだか、結論のない文章になってしまったが、自粛生活が続くなか、活動再開したら、それだけで嬉しくて、たいがいのことは許せそうな気がするが、でもきっとすぐに「〇〇、お前、なに手をぬいてるんだよ!」と叫ぶ自分も想像できるのである。

 

 

 

「森下さんみたいに、ポジティブには考えられないです」

 

時々、選手からそんな風に言われることがある。

ある人が、自己肯定力は10歳くらいまでのことが大きく影響すると言う。そうなると、だいたい各家庭の影響が強いのだと。

 

私は自分で言うのも変だが、ものごとをポジティブに考えるほうだ。たんに楽観主義だけな幸せ者かもしれないが。

では、私の10歳くらいまでのことを、思い出してみる。

 

年子の姉2人と4人暮らしだった。物心ついたとき、私は相当無口な少年だった。あとから母親から聞いた話だと、幼稚園の先生が不思議がっていたと。「茂くんは、しゃべらないのにお友達がたくさんいる」と。確かに小学校低学年くらいまで、私はかなり無口だった。それと人前で話すのは大の苦手だった。

ただ、得意なことが2つあった。それは絵を描くことと、走るのが速い方だったということだ。絵を描くのは、当時流行っていた『ドカベン』という野球漫画を真似して書くのが好きだった。それは、かなり夢中になってやっていた。今思えば、母親の友人で、時々会うおばさんが良かったのかもしれない。会うと必ず「茂くんは、ほんとうに絵が上手いんだよね!」 と、むちゃくちゃ嬉しそうに褒めてくれたのだ。これは、子ども心に、恥ずかしいんだけど、やはりそうとう嬉しかったのだ。

それと、もう一つ、かけっこは速く、たいていクラスのリレーの選手に選ばれていたのだ。足が速いというのは、子どものころは、ずいぶんと優越感を与えてくれるのだ。

 

そんなわけで、私は10歳くらいまでに、自分を肯定して育ったように思う。もちろん、中学、高校と進むうちに、その2つも大したことないことに気づき、自己否定に悩んだこともあったが、すくなくとも小学校時代までは、あまり人から否定されることは少なかった。

 

20年ほど高校生や大学生の部活動という場で選手たちに接している。そこでは、あきらかに自己肯定感が少ない選手たちとたくさん出会ってきた。私からすると、なんで、まだ若いのにそんなに人生にネガティブなのかと思うような選手もいる。

「どうせ、俺なんか何やってもだめですよ」

何度も、この言葉を聞いた。

そうなると、いつも説教臭く言ってしまう。

「いやいや、何事もお前自身がどう考えるかだよ。それは、トレーニングだけでなく、勉強だって、仕事だって同じで、お前が変われば、全て変わるんだよ」と。

もちろん、私がそんな話をしてすぐにやる気満々になる選手などいない。

 

人間のアイデンティティーは、言葉で作られるという。

そして、マザー・テレサの有名な言葉である。

 

思考には気をつけなさい それはいつか言葉になるから

言葉には気をつけなさい それはいつか行動になるから

行動には気をつけなさい それはいつか習慣になるから

習慣には気をつけなさい それはいつか性格になるから

性格には気をつけなさい それはいつか運命になるから

 

 

10歳を過ぎていても関係ない。まずは指導者側の私の思考を変えること。そして、ポジティブな雰囲気の環境を作ること、おそらくそれが、指導者がやるべき一番大切なことなのだ。今日のオンラインセッション、どれだけそうした環境をつくれるか。そのためには、まずは私が楽しむことだ。