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ムーブメントコーチ ロボラガーのブログ

ムーブメントコーチ(重心移動のスキルを指導)として、高校生や大学生中心にトレーニング指導をしております。現場での試行錯誤を書きたいと思います!

School of movement 認定 マスターコーチ

かれこれ、18年ほど、その先生にはお世話になっている。

都立高校の先生なので、その間に異動が一度あり、現在のチームが2校目のサポートになる。

その先生のチームは毎年不思議なことがある。新1年生としてスタートしたばかりの4月に指導に行くと、たいてい、何人かの選手は、人の話をまともに聞けない有様だ。まあ、たんに幼いだけのこともあるのだが。しかし、ひと月に一度お伺いするたび、そんな選手こそ顔つきが変わってくるのだ。下手をすると、そんな選手の1人が上級生になったときに主将をやるくらいなのだ。その成長ぶりは、やんちゃだった子どもが、まさに青年へと変貌を遂げると言っていい。

 

もちろん、その先生の指導ぶりは、決して威圧的なものではない。

よくある、先生が怖くて、いっけん言うことを聞くフリをしているわけではないのだ。むしろ、そのチームの選手たちは、言葉としては悪いかもしれないが高校野球児っぽくないのだ。とにかく明るく野球に取り組んでいる。そう、まるで少年のころに無邪気に野球を楽しんだ頃のままの野球小僧のようなのだ。

でも、それだけでなく、人が話をするときは集中して聞くとか、最低限のマナーや規律も確保できている。ひとことで言えば、、メリハリがあるのだ。でも、高校生や大学生世代だと、このメリハリのあるチームというのは実は少ない。

 

そんな光景を毎年のように見ている私は先生に質問した。

「なぜ、先生のチームの選手は、入部当初やんちゃだったのに上級生になると、劇的に成長するのでしょうか」

すると、先生はこんなことを話してくれた。

「新1年生が入部してきたときに、上級生が背伸びをすることが大事だと思うんだ」と。

 

このチームの選手たちの成長の一つの要因に、この考え方があったのだ。そう言えば、ドラッカーもこんなことを言っている。

「人が成長する一番の方法は、人に教えることだ」

そう、だからトレーニングを指導するうえでも、できるだけお互いが教えあう環境を作ることが大切になるのだ。いや、むしろその環境をつくるのが指導者のやるべき最優先課題かもしれない。

 

 

私の所属していた高校野球部は東京都立東大和高校で、もう30年以上前のことだが、当時、都立の星と呼ばれていた。部員も100名以上おり、私の一つ上の代も、夏の西東京大会で準優勝した。我々の代になったとき、下手くそな私が副主将に任命された。しかい、まったく試合に出れる可能性がない私は、実はそうとうもがき苦しむことになる。下手くそな私が副主将になったのは、チームの文化として、野球が上手いことよりも、手を抜かずにやることのほうが大事であることが、監督やコーチのみならず、選手全員に共有されていたからだ。

 

とは言え、まだ17歳の未熟な私は、自分がレギュラーには程遠い位置にいるのに、皆を引っ張るリーダーになったことは相当荷が重かった。とりあえず、そんな私がやれることは、練習を誰よりも一生懸命に取り組むことだけだった。教室にいるときの自分とグラウンドにいるときの自分では、完全に別な人間になろうとしていた。そうやって自分にも周りの選手にも妥協を許さないことを求めた。ようは不器用だったのだ。結局、レギュラーにはなれずに、チームも目標の甲子園には程遠いベスト16止まりで引退することになった。

 

なぜ、あのときの自分は苦しかったのか。おそらくそれは、「東大和高校野球部の副主将は、こうあらねばならない」という、自分で作り上げたものに、はるか遠く及ばない自分が情けなかったからだ。だから、毎日書いていた『野球部ノート』には、ほとんど同じことしか書いていない。

「今日も自分の限界を超えられなかった、明日こそ自分の限界を超えたい」と。今でも、そのノートは自宅にあるのだが、もうほんとにそんな言葉のオンパレードでしかない。ようは成長を実感できなかったのだ。

 

しかし、大学の途中から、少しずつ「こうあらねばならない」という呪縛から解放された。言い方を変えれば、誰かと比較をして自分はダメな奴と思うことが少なくなっていったのだ。言い方を変えれば、人からどう思われるかを気にしなくなったのだ。当たり前だが、そうなると以前より、自己嫌悪に陥ることは格段に減った。

 

そして、それは指導者となってからも同じだった。30代前半から40代中盤までは「指導者はこうあらねばならぬ」みたいな、理想のイメージを持っていた。しかし数年前より、自分がどう思われるかよりも、選手たちがどうなるか、そっちの方に関心がシフトしていくと、むちゃくちゃストレスが減ってきたのだ。とは言え、時には選手からこんな風に思われたらイヤだなとか、同業のトレーナーの人に見られた時に、見栄をはる自分、つまり他人の目を気にしている自分はもちろんいる。

 

でも、一つだけ言えるのは自分の弱点を受け入れることができると、以前よりは他者に対して寛容になれるのだ。真面目なことが悪いわけではないが、どちらかと言うと生真面目な性格だった私は、自分に求めることを選手にも要求しようとしていた。だから、そこから外れる選手とは平行線にしかならなかった。

しかし、ようやくこの最近、まったく価値観の違う選手のことを少しは受け入れられるようになってきた。まあ、それは単に歳をとって丸くなっただけかもしれないが。

ただ、そう思えるのも、あの高校時代に、必死にもがいていた自分がいたからこそだと思う。今の自分なら、あそこまでストイックにはとてもできない。言い方を変えれば、あのストイックな自分のおかげで今の自分がいるのは間違いないのだから。

4月1日、私の指導先のチームが全て活動を停止した。

つまり、仕事がなくなり暇になってしまった。トレーナーの中には、すでに3月よりオンラインでのセッションを始めていた方もいたが、私は完全に準備不足。大慌てで、Zoomというアプリの使い方を覚え始めた。同時に、仲間のトレーナーのYouTube動画撮影のお手伝いをする機会があった。すると、一人の方が、「森下さんも、せっかくだから、YouTubeのチャンネルを作ってしまいましょう」と、言って頂き、撮影後にファミレスで私のチャンネルを作って頂いた。

 

翌日、たまたま姉貴夫婦が自宅に顔を出していたので、「俺もついにYouTube配信したんだよ、チャンネル登録してね」と話したら、

義兄が「高校生とか、部活ができなくて自宅にいるから、喜ぶんじゃないの」と。あー、そうか、何も目的とか考えずにYouTube配信したけど、そうか、自分の指導先のチームの選手たちの自主練用に、今までグラウンドで指導してきたものを提供すれば、選手にも先生にも喜んでもらえるなと。「おー、そうだ、そのアイデアがいいね。そうかそれでいこう」と、YouTube配信の目的がはっきりしたので、そこからはZoomのセッションに向けての準備と同時進行で、YouTube配信のための動画撮影と編集に追われる日々となった。

 

そして、義兄の言った言葉が確信に変わったことがあった。4月頭から無料のWEBセミナーを受けていた。オンライン化をビジネスとするための全6回シリーズだったのだが、その最初のセミナーで講師の方がこんなことを話してくれたのだ。

「誰のためにオンライン化のビジネスをするのか? ここを明確にする必要があります。問題解決することができずに困っている、そして、その問題解決のために、あなたの能力があれば助けることができる、だから、やるんだという、一番大切なこと、まずはそれを考えてください」と。

 

もう、この言葉を聞いたとき、義兄の言葉とつながり、まさに、休校中で部活動の停止を余儀なくされている選手たち、この選手たち、このチームのためにZoomでのオンラインセッションを立ち上げ、YouTubeによる動画配信もするのだ、というもっとも大切なことを確信に変えることができたのだ。そうなれば、あとは、少々の不安はあるものの突き進むしかない。おかげで、最初こそ慣れずに苦労したこともあるが、4週間経過し、オンラインセッションは当たり前のように私の日常になった。YouTube配信も、ほぼほぼ3週間毎日配信し、おおむね落ち着いてきた。最近では、オンラインセッションの最後は決まってこんな話をする。

「みんな、家にいて時間がたっぷりあるんだから、良い動画をたくさん見たほうがいいよ。なんといっても、みんなはスマホがあるから、YouTubeをいつでも見れるのだから。いいYouTube知っているだろう。森下さんて人のYouTubeだよ」と、冗談を言って終わるのだ。

 

いやー、4月の頭には想像もしていなかったライフ生活、そして仕事になってはいるが、人間、追いつめられるとなんとかなるものだ。でも、おかげで、自分の仕事をする目的がより鮮明になった。それはオンラインでもオフラインでもまったく同じである。携わっている選手たちのために、全力を尽くすこと。義兄のおかげで、それに気づけたのである。

2017年3月、ラグビーのアンダー20日本代表のフィジー遠征に、ストレングス&コンディショニングコーチとして帯同させて頂いた。

おかげで、初めて、フィジーという国に行くことができた。

私の所属しているチームに、一人フィジー出身の選手がいたのだが、それ以外は、まったくフィジーという国のこと、フィジーの人たちのことは知らなかった。しかし、そこでは、日本とはまったく違う時間が流れていた。

 

まず、なによりも、フィジーの人たちは、気さくである。町を歩いていると、すれ違うたびに「ブラ!ブラ!」とあいさつをする。「ブラ」というのは、日本語で「おはよう」でもあり、「こんにちは」でもあり、「こんばんは」でもあるようなのだが、ホテルでも、どこでも会う人みんな、日本人とか関係なく挨拶をしてくれる。

私はもともとあいさつは、日本でもする方の人間なので、とても楽しかった。私からも積極的に「ブラ!ブラ!」と声をかけた。

 

つぎにフィジーの人たちは、時間の感覚があまりない。我々はラグビーのツアーで来ていたこともあり、明日のバスの出発は何時で、氷は何時までにロッカールームに届けて欲しいとか、前日に伝えるのだが、たいていは、遅れてやってくる。でも、彼らはまったく悪気がないのだ。だから、いつもどおり笑顔でいるのだ。2分間間隔で来る山手線が少し遅れるだけで、イライラしたり、文句言っている日本の感覚からすると、もうそれは別次元だ。

 

最後に、なにより、彼らはいつも明るいのだ。ホテルの従業員の人たちも、とにかくみんな明るい。日本人からすると、仕事しているのかわからないくらい、それぞれの担当の人がエンジョイしている。私はたいてい、グランドへの行き帰りに準備のために他のスタッフとは別で早く移動していた。その時に、運転手として私を送り迎えしてくれたのがワキさん。もう、ほんとうに彼は陽気だった。いつも歌を口ずさみながら、運転する。正直、私は慣れないツアーで、そうとうに失敗をしまくり、毎日がストレスの連続だった。でも、ワキさんは、おそらく私のそんな気持ちを察してくれていた。

ワキさんは、英語は話せるが私はカタコトのみ。それでも私は、ワキさんのおかげで、なんとかツアーを無事やり終えることができた。

 

言葉が世界を分節する。特に日本人は仕事だからちゃんとしなければいけないと思いこんでいるところがある。でも、仕事という言葉にしばられなければ、もう少し人生を楽しめるのではないか。

正確な数字は知らないが、フィジーは決して豊かな国ではない、が、世界の幸福度ランキングで、なんと4度も1位になっているのだ。日本はちなみに最近、どんどん落ちていて62位なのだ。

 

どうやら、我々日本人は物は豊かになったが、何か人生において一番大切なものを忘れてきているのではないか。でも、今回のコロナの影響で自宅で過ごす時間が増え、満員電車もだいぶマシになり、いわゆる消費活動を抑える中で、なにが人生にとって大切なのか見つめなおすチャンスなのかもしれない。

 

 

 

自粛が続いていることもあり、オンラインでの講演や対談を見る機会が増えた。私が興味のあることが、この危機的状況で何をすべきかということと、コーチングとか教育なので、そのあたりをテーマにしたことを中心に見ている。すると、あることに気づいた。

 

「あなたは、本当は何をやりたいのですか」

「その仕事はあなたにとって、本当にやりたいことですか」

というような問いかけが多かった。あたらめて、その問いを考えると、私の場合は、その部分は自信をもって「イエス!」なのだ。

もともと、29歳のときに、この仕事をやりたくて、アルバイトから拾ってもらった。20年以上続けているが、下手すると始めた当初以上に、この仕事の面白さにとりつかれているくらいなのだ。

 

もちろん、ストレスがまったく無いわけではない。時には自分のあまりの無知さに途方にくれたり、選手から反発されて、自己嫌悪に陥ることある。また、将来への不安もある。でも、それ以上に、どうしたら選手たちが、前向きにトレーニングに取り組み、トレーニングすることで成長することができるのか、そのことを考えるのが面白いのだ。そして、選手や先生から感謝の言葉を頂いたあかつきには、この仕事をやっていて心底良かったと思えるのである。

 

そして、それプラス、5年前に出会ったムーブメントトレーニング。

安全に効率的に身体を操作しようという、このトレーニングに出会ってからは、少しでも多くの人に、このことを伝えたい、知って欲しいと思うようになった。この仕事を始めたときも、興味があって好きだからだったのだが、今は、それプラス、一人でも多くの人に、このスキルを伝えたいという思い、大げさに言えば使命感が加わったのだ。

 

職業のことを英語では「コーリング」という。これには「天職」という意味もあると言う。自分で言うのも変だが、私は今の自分の仕事のことを天職ではないかと思っている。ただ自分が好きだったことから、使命感が生まれたことで、そのことをより強く感じている。

 

コロナの影響でスポーツやトレーナー業界は大打撃を受けている。知り合いのトレーナーの方には、「もうお客さんが戻ってこないのではないか」。そんな不安を言う人もいる。確かに厳しい状況には違いない。しかし、なんとしてもコロナ後も、この仕事に携わり、一人でも多くの選手たちに、安全で効率的なムーブメントトレーニングを伝えていきたい。たくさんの講演や対談を見ることで、改めて、自分の使命を確認できたのである。自粛に感謝。