元来、私は怠け者で、出不精である。新しいことにチャレンジすることはめったにない。だからといって、人生がつまらないわけではない。ここまでのところ、好きな仕事もできているし、ありがたいことに子どもにも恵まれ2児の父親としても楽しめている。たまに休みの日には、家でラグビーのビデオを見て、昼間からビールが飲めたら、こんなに幸せなことはないのだ。通勤の道は、めったに変える方でもないし、食事をする店も、たいてい同じ場所で同じモノを頼む。50を過ぎても好きな食べ物は、焼き肉とチャーハンとラーメンと餃子とトンカツだ。着る服や髪形には、さらに興味が薄く、人生のほとんどを坊主頭で過ごしているし、いまだに冠婚葬祭用の礼服と、ブレーザーとスラックスを一つ揃えているだけだ。それくらい、変化を求めることをしていない。あとは、読書ができて、時々映画を見れれば、もう、ほんとうに人生十分だと思っている。
そんな、変化をすることを求めない私も、3月からは仕事と生活面で変化せざるを得ないことになった。
仕事面では、オンラインでの指導を始めたこと、いや始めざるを得なかったこと。YouTubeの配信を始めたこと、そして、このブログを、ほぼ毎日書き始めたことで、それにより、デスクワークの時間が圧倒的に多くなり、代償として、肩首周りがパンパンに張っていること。生活面では、3ヶ月のあいだ、バーベルを使用したトレーニングを一切していないこと、子どもたちも休校なので、信じられないくらい家族と一緒にいる時間が増えたこと。そして、これは意図的にやったわけではないのだが、読書の時間が減ってしまったことと、ラグビーを始めとしてスポーツの試合をほとんど見ていないことである。
そして、ようやく来週から、その変化にも新たな変化が起きようとしている。現場での仕事が始まるのだが、そこでは、今までとまったく同じようにはいかないということ。コロナ対策、怪我予防、さらには熱中症対策を考慮しながら、プログラムを組む必要がある。また、おそらく選手の中には、気持ちがきれてしまっている者もいる可能性があるので、そうした選手へどうアプローチしていくのか、ともかく、今まで以上に臨機応変さが求められるし、多角的に物事を考えていかなければならない。自分自身の経験値では、どうにも対応できないことだらけなのだ。
もしかしたら、これは、今までは自分のことだけ考えて生きてきた私に、良い意味で変化を求めているのかもしれない。今後のスポーツや部活動のありかた、トレーナーのありかた、もっと言えば、これからの社会の在り方、いろんなことを考えさせられた3ヶ月になった。
変化することがすべて良いとは思わない。成長することが人生の目標でなくても私はよいと思っているし、些細なことを楽しめれば、それで十分である。しかし、変化することは、自分で決めつけている殻を破り、新たな可能性に出会うチャンスでもあるのだ。正直、オンライン指導の可能性は、やってみて初めて気づいたのだ。そして、ふたたびの変化する機会が、もうまもなく訪れる。これを、どうとらえ、自分の中で消化するのか、それは、結局は自分次第なのである。変化を楽しむこと、それも自分の人生に加えたいと思う。
人は五感を通して世界を認識する。
ただ、どの感覚を優位にとらえるかは、人によって違うと言う。
五感なのだが、味覚・嗅覚・触覚はまとめて身体感覚として、残りの視覚と聴覚の3つのタイプに分ける。
つまり、視覚優位なのか、聴覚優位なのか、身体感覚優位なのかだ。
このことを知っていると、コーチングするときにも大いに役立つのだ。
それぞれの特徴を書いてみる。
■ 視覚優位
天才肌タイプ(うさぎ)、見えちゃう、あきっぽい、話聞かない、くどくど言っても聞かない、映像による指導に向いている、デモンストレーション見せるだけでOK、早口、処理スピード速い、原色を好む
未来を語る
中田英寿、本田圭佑、グアルディオラ、ロナウド (あくまで、これは勝手にそうではないかと)
■ 聴覚優位
理論派タイプ、論理や理屈を好む、服装きっちり、理解し納得したらやる、プロセスを大事にする
過去のことを鮮明に覚えている
野村克也、岡田武史、長谷部誠、モウリーニョ (あくまで、これは勝手にそうではないかと)
■ 身体感覚優位
かめタイプ、反復するのが得意、腑に落ちるの時間がかかる、質問してもなかなか言葉にできない、
服装は心地よいもの好む(短パン、サンダル)、処理スピード遅い、人にやさしい、空気感感じる力ある、
感情でしゃべる、泣く
長嶋茂雄、岡崎慎司、野人岡野、メッシ (あくまで、これは勝手にそうではないかと)
これを見ると、「あー、なるほど、だからあの選手は、いくら説明してもわからないのか」 とか、
「彼は、理詰めで考えるから、こちらも言葉を多くしよう」 とか、相手のタイプに応じてコーチングや声がけを変えることができるのだ。たとえば、視覚優位タイプに言葉を多くして説明しても、お互いがストレスになるだけで、ミスしたときに、言葉で責めると聞かない、それよりも、「見えてた?」と聞く方が良いと。
そして、選手のタイプだけでなく、指導者自身のタイプを知っておくことも大事だという。
面白い話がある。卒団式のときに、指導者のタイプが出るというのだ。
視覚優位のコーチは、卒団式で未来を語り、聴覚タイプは過去を語る、それもとても細かいことまで覚えているのだ。身体感覚タイプのコーチは、卒団式でどうなるか、泣くのだ。
では、私はどうか、完全に身体感覚タイプなのだ。
まず、服装は気にしない、理論的に話すのは苦手で、もちろんすぐできる天才肌要素は一つもない。
私の声がけ、「おー、それそれ、その感じ!」 「こんな感じ」 、そればかり。
しかも、間違いなく卒団式では泣くタイプだ。
実は、今日がオンラインセッションが最後になる高校野球部。最後の言葉をかけるとき、思わず泣きそうになった。こんな状況にも関わらず、真摯に取り組んでくれた彼らの姿を見ていて、下手をするとグランドではもう会えないかもしれないと、そんなことを考えると、話しているうちに、泣きそうになってしまった。
もちろん、選手も指導者も、いろんなタイプがいる。どれが良いとかはないのだが、このことを少しでも知っておけば、コーチングが変わるかもしれない。言葉が変わるかもしれない。
武道家の内田樹さんの言葉を拝借する。
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コミュニケーションというのは、本来は「わかること」だけをやりとりするものじゃなくて、「わからない」ことを「わかること」に組み入れてゆくことでしょう。自分自身の「わかること」の領域を押し広げてゆくことですね。それは「可聴音域を広げる」「チューニング能力を高める」ということに尽きるのです。そういう能力開発を目標にし、普段から訓練していれば、いずれ、自分たちと語法の違う、違う語彙で語る人と会ったとしても、相手のメッセージをなんとか聞き出し、相手の可聴音域に自分のメッセージをおいてゆくという、そういうデリケートな手作業ができるようになる。
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「わからないこと」を「わかること」に組み入れてゆくこと。
そうなのだ、多くの人が勘違いしていることなのだが、自分の意見を主張することがコミュニケーションにおいて大事ではないのだ。そうではなくて、自分とは価値観の違う、考え方の違うものを受け入れられること、それができることがコミュニケーション能力が高いということなのだ。
「自分たちと語法の違う、違う語彙で語る人と会ったとしても、相手のメッセージをなんとか聞き出し、相手の可聴音域に自分のメッセージをおいてゆくという、そういうデリケートな手作業ができるようなる」
そういうコミュニケーションができるようになれば、世の中は、もっと大らかで優しい社会になるように思う。私も含めて、価値観の違う他者を受け入れることができれば、誹謗、中傷を受けて傷つく人が減るように思う。
しかも、声のほとんどは、
「5秒前! サン・ニー・イチ! オッケー! 終わり‼️」
「〇〇! ちゃんと胸つけろ‼️」
罵声とか怒声みたいなものばかり聞こえるのだ。だから、せっかく子どもたちの前で、仕事していて頑張る父ちゃんの姿を見せられる絶好のチャンスなのに、むしろ、「うるさい‼️」と一蹴されてしまう有様なのだ。
いつのまにか、私は、あの世から親父が常に見守ってくれている、そんなことを自然に感じるようになっていたのだ。
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日本人のある世代までは
「ご先祖様に顔向けができない」
という感覚があります。絶対的な神様がいない代わりに、日常のなかで死者の目にさらされて恥ずかしくないように生きる、という倫理観を持っている。そういう生き方を僕自身もしてきた。だから、西洋でいう「神」の代わりが、日本では「死者」なのではないだろうか。死んだ人間はそのままいなくなるのではなく、私たちの生活を外側から批評し、私たちの倫理的な規範の役割を引き受けてくれているのではないか。つまり、物語の外側から私たちを批評するのが死者であり、物語の内側で私たちを批評するのが子どもなのではないか…。
『映画を撮りながら考えたこと』(ミシマ社)
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今朝も思春期の娘に怒られながら、そんなことを考える父ちゃんなのである。