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ムーブメントコーチ ロボラガーのブログ

ムーブメントコーチ(重心移動のスキルを指導)として、高校生や大学生中心にトレーニング指導をしております。現場での試行錯誤を書きたいと思います!

School of movement 認定 マスターコーチ

一昨日、久々にグランドでのフィットネスセッションを担当させてもらった。30分だけだったのだが、今年になって初めてのことだった。もともと、ウエイトルームでの指導以上に好きなフィールドセッションだったので、前日からむちゃくちゃ張り切って臨んだ。ところが、終わってみれば反省しかない結果となってしまった。
完全に準備不足だった。いくら好きで何度も過去にやっていたからとは言え、1年ぶりのブランクは大きかった。
反省はおもに二つだ。ひとつは、電子ホイッスルに慣れていなかったこと。コロナの影響でコーチが笛を使用するのを控えるように伝えられていたので、6月になって電子ホイッスルを購入した。しかし、なかなか使用する機会はなかった。そして、昨日の最初のプログラム。スタートの合図にホイッスルを鳴らそうとするのだが、利き手でない左手で操作したこともあり、実際に鳴らしたいタイミングより早く触れてしまうミスをして

何度かホイッスルを鳴らしてしまったのだ。当然、選手たちはスタートを切るが、もちろん走りづらい。なんといったって、ホントに押したつもりのない合図なので、音も歯切れが悪いのだ。おまけに、最悪だったのが、セッション開始前に偉そうに、こんなことを話していたのだ。


「今日のポイントは3つあります。1つ目が、とにかくノーペナルティー、オフサイドしない、うつ伏せの種目は胸をつける、切り返しの種目は両足ライン超えることなど、とにかくノーペナルティー!
ふたつめは、力を出し切ること。速い選手は目標タイムより速く走って構わないし、遅い人も、1秒でもいいから速く走るように。そして、最後は仲間を頑張らせること。試合中と同じで仲間を頑張らせないと勝てないからな。オッケー!」

それが、最初のメニューでオフサイドさせないためのスタートの合図を何度もミスってしまったのだ。その種目が終わるなり謝る。「申し訳ない、これ慣れないから、もう使わないことにする」
電子ホイッスルをグランド脇に置き、気持ちを切り替えて、残りのセッションを続ける。ところが、今度は途中から私の喉がつぷれ、声が通りづらくなっしまったのだ。8年前から、グランドでも声が通るようになり、公式戦の大きなスタジアムでも、私の声は通ることで有名になっていたのだ、にも関わらずだ。その自信を持っていた声が通らないのだ。やりながら、最初のホイッスルのミスもあり、完全に自分自身が今ひとつ乗り切れなくなる。当たり前だが、そんな私の気持ちは選手にも伝わるのだ。昨日興奮していた気持ちはどこへやら。自分が思い描いていたセッションにならずに、久々に落ち込む。たった30分なのに、なんだか身体も心もとても疲れてしまった。

こんなことでは、とても目標である70歳までグランドに立ち現場で指導するという私の夢は到底叶わない。
自粛期間中に、お客様の前で歌わないからと言って、発声練習をしない歌手の方はいないだろう。自分の出番がないからと言って、声を出す練習をしていなかったこと、そして、電子ホイッスルを使いこなせるように練習しなかったこと、どちらもやってさえいれば防げたミス。次回は、いつグランドでのセッションがあるかわからないが、この二つのミスだけはしないよう、しっかり準備しておきたい。

 

以前のブログでも書いたが、自戒を込めて私の好きな言葉を書いておく。

Chance visits the prepared mind.

(幸運は 準備した者に 味方する)

10月11日は親父の命日だった、もう14年も経つ。

死んだ親父は生涯サラリーマンで営業一筋で、ほぼ毎日のように仕事で酒を飲み酔っぱらって帰ってきた。中学の頃までは、親父が酔って帰るのがいやでいやでたまらなかった。なにせ遠くの方から声が聞こえるのだ。「バーさん、茂、久美、帰ったぞ!」そして、酔えば必ず言うセリフがあった。「いいか、茂、最後は人だぞ」正直、親父のその言葉の意味を考えるよりも、酔った親父をどう扱うで手一杯だった。親父を見て「俺は絶対サラリーマンにはならないぞ、なんで、仕事の付き合いで酒を飲まなければいけないのか」そんなことさえ思うようになっていた。

 

そんな親父の言葉の意味を考えるようになったのは、私が個人事業主として働き出してからだった。ろくにあてもなく会社を辞めてフリーとして仕事を始めた頃、月の半分以上が暇だった。そんなきつい時に、私に仕事を紹介してくれる方々がいた。そのおかげで、少しずつではあるが、仕事が増えていった。ありがたいことに、独立して3年目には、自分では回ることができない仕事の依頼も受けたので、他の方を紹介することもあった。そして、気づけば今年で19年目になるが、なんとかこの仕事で飯を食っているのだ。これは、まさに親父の言う「人」のおかげだった。全ての仕事が人とのご縁で生まれたものだった。

お通夜の時、チームは公式戦にもかかわらず、試合後に監督始め、コーチ、選手全員が駆けつけてくれた。

そして、その年の最終戦に勝ち1部昇格を決めてくれた選手たち、監督、コーチに次いで私まで胴上げをしてくれた、あのときの感動は生涯忘れない。

 

親父の仕事と、私の仕事はまるで違う。しかし、どちらも変わらないものがある。営業もコーチも人を相手にしていることだ。そしてその人とのご縁がどれほど大切か、緊急事態宣言で自粛という経験したことのない状況の中、改めて強く感じた。4月当初は全ての仕事がなくなりどうなるか不安しかなかったが、指導先のチームは全てオンラインによるセッションに切り替えることができたのだ。なにせ、オンラインのセッションはもちろん初めてで、どこまでやれるかわからないにも関わらず、全面的に私の提案を受け入れてくれたのである。おかげさまで、奇跡的に自粛期間中でも収入は変わらずに乗り越えることができたのだ。

 

51年ほど生きてきて、人生でもっとも不思議なことは、人とのご縁かもしれない。今、私の身近にいる人たちとの出会いは、それぞれが本当に奇跡的なことばかりなのだ。高校生や大学生の指導先の選手にとっては、私との接点は、彼らの長い人生の中の、ほんの一瞬のことに過ぎない。それでも、その限られた時間の中で彼らとどう向き合うのか。親父の命日にして改めて思う、今、目の前の人を大切にすること、それが人生を豊かにする最高の法則であることを。

 

親父よ、まだもう少しだけ、俺はそちらの世界ではなく、こちらの世界で一喜一憂しながら生きていこうと思うよ。そして、いつかそっちに逝ったときには、一緒に飲もうな。

 

 

 

 

 

「大人」とは自分が〇〇を知らない、〇〇をできないと思える人で、「子ども」とは自分が〇〇を知っている、〇〇をできると思っている人のことだ、そう教えてくれるのは武道家の内田樹さんだ。

確かに、子どもはよく「〇〇は、こんなことも知らないんだ、バカじゃねえの」とか、何か出来ない人がいると「そんなこともできないんだ」と言って、上から目線で馬鹿にする。

大人とは、それをしない人なのだが、なかなか、これができないのだ。私なんかも、自分の子どもや選手(高校生や大学生)が、さも知っているかのような態度を取るとむちゃくちゃ腹が立ってしまうのだ。俺の方が知っているんだから、お前は偉そうにせずに、黙って言うことを聞け、そんなことを思ってしまう。もう、この時点で私も「子ども」そのものなのだ。

自分は〇〇を知らない、〇〇をできないと心底思っていれば、人は謙虚になれるはずだ。それが年下だろうと関係ない。
なんとか、そんな大人になりたいのだが。

でも残念ながら、私も含めて「大人」と呼べる人は少ないのだ。ならば、学ぶ側が「大人」になってしまった方が良い。
コーチが指導した時に、謙虚に耳を傾けること、それさえできれば、間違いなく多くのコーチは、より情熱をもって指導してくれるに違いないのだ。
人にものを学ぶにあたって、この謙虚さは最大の武器になるのだ。

もちろん指導者側も、いつまでも選手に腹を立てているわけにもいかないので、選手以上に大人になるべく努力した方が良い。自分が謙虚になるためには、自分には到底敵わない人に教えを受けるのが一番手っ取り早い。なぜならば、自分が〇〇を知らない、〇〇をできないということを自覚できるからだ。

いずれにしても、指導者も、学ぶ側の選手も、この謙虚さがあれば、間違いなくパフォーマンスは向上していくことだろう。

まずは自分が〇〇を知らない、〇〇できないと自覚すること、それが良いコーチングをするための最も重要な肝になるのだから。
「謙虚さこそは最大の学びの極意なり」




4月中旬から5月いっぱい、指導先のチームとオンラインで毎日35セッション、ほぼ休みなく携わることができた。

つまり、多い日は1日に5チームの指導をすることができたのだ。もちろん、全てのセッションが終わったらクタクタだったが、時間はまだ17時。

これは、まさにオンラインの1番のメリットだ。移動する時間が一切必要ないので、時間を有効的に活用できるというわけだ。

 

しかし、私のようにチームスポーツに携わる場合には、Liveでは、同じ日に複数のチームを指導するのはなかなか容易ではない。

せいぜい、1日に2チームの指導をするのが精一杯である。今日は、久々にその状況である。これから、2チーム目の指導先へと移動する電車内だ。

台風の影響か、非常に蒸し暑い。それでも、こうして現場に行けることは、やはりとてつもなく嬉しい😃

 

オンラインの方が効率は良い。が、仮に1日にひとつのチームにしか携わることができなくても、やはり、私はLiveが好きだ。コロナの影響で、世の中的にはデジタルトランスフォームだったか、とにかく仕事をデジタル化すべきだという流れだが、私は、できればその流れに逆らいたい。

選手たち1人ひとりの表情を見て仕草をみて、声を聞いて、そして、セッション中の取り組みやパフォーマンス、あるいは息づかいを見て、私なりに感じだことを伝える。

「今日は暑いな💦

「この前痛めた腰の調子はどうだ?」

「おー、お疲れ様!」

こうした、何気ない会話のやりとり。

やっぱりLiveでしか感じとれないことが沢山ある。もちろん、目と目を合わせ、息づかいを感じることでストレスも生むかもしれない。

でも、やっぱり私はオンラインより非効率的でも、現場に行きたい‼️

前任校の府中工業野球部、そして片倉高校野球部でお世話になっている、宮本先生が本を出した。

その中で、とても興味深いことを書いている。

 

「我々が目指すべき人間は、現状が辛くても我慢するような常に体制に従順な人間だけなのだろうか。世の中に常に疑いの目を向けて、これに立ち向かっていく人間がいてもよい。少々生意気なヤツも必要だ。私自身の中で目指すべき人間像がはっきりしない。または、はっきりさせてはならないのに、野球を通じて何か一つの形に近づけていくような人間形成を目指すなど安易に口に出せなくなっている。
もちろん選手たちには野球部の活動を通じ、人としても成長してもらいたい。自分のことしか考えられないガキのままでは困る。しかし、いわゆる理想と思われる選手像=人間像にひたすら近づけるために、日々、鍛えていくのはどうなのかと悩み始めたのだ。選手のヤンチャ性を生かしながら、一つにまとめ戦うチームにしていく。つまり、来た選手の素材は生かしながら、チームを作っていくことを目指すようになったのが、この1、2年である」

 

とても考えさせられる言葉である。

学生に携わる指導者の場合、勝利以上に、人間形成のために部活動がある、言い方を変えれば、人間力を高めるためと言ってもよい。教員ではないが、長く学生のチームをサポートしている私も、大事なことは、上手いこととかレギュラーになるとか、勝つとか、それ以上に大切なのは、人としてどうあるべきかだと考えてきた。しかし、宮本先生の言葉を読み、ある意味で、それは指導者側の勝手な理想に過ぎないのかもしれないと、そんなことを初めて考えさせられた。

いったい自分は何様のつもりか、私が求める人間像の枠からはみ出す選手がいれば、説教をすることもある。もちろん、ある程度の規律や秩序は必要だ。すべてが、個々の自由であることが個性の発揮ではない。

しかし、今一度、立ち止まる必要がある。今、私が選手たちに求めていることは、本当にそれでベストなのか。私というちっぽけな枠に閉じ込めてはいないか。