困った時の神頼み。
毎日朝から感謝の祈り
神社にふらっと験担ぎ
宇宙にお願い届くかな
真言唱えて守ってもらう
龍神だって負けやしない
大天使さえ拝み倒す
世界中を見渡して
ご祈祷、お祓い、叶えたい。
困った時の神頼み。
心の平安祈る時。
宇宙に、地上に、果てしなく
幻想的に祈ってしまう。
時にはご利益叶ったり。
祈りとは何かと通じるもの
何を信じる?
何と通ずる?
神さま、仏さま、ご先祖さま
如来さま、龍神さま、大天使さま
星よ、宇宙よ、海、山、自然よ
祈りの対象限りなく
両手を合わせて祈ってる。
何かと通じる合掌ポーズ
いつの間にやら願掛けしてる。
それはまるで、、、
話しがしたくて電話で繋がった相手に
一方的に頼みごとばかり話しているような
迷惑ポーズになっているかも。
自分に自信がないからと、
お願いされたからやってみるも、
こちらも上手くできなかったら
あなたを信じた私が間違いだったと
逆情されて嫌われることも。
祈っているから大丈夫?
お願いしたから大丈夫?
そこには損害保険なんて存在しない。
困った時の神頼み。
心の平安祈る時。
何のために願うのか
何のために祈るのか
何と通じる
何と繋がる
何を信じる
何に期待する?
ちょっと変わった祈り方、
神さまの名前を、自分の名前に置き換えよ。
祈りの対象となる名前を、自分の名前に置き換えよ。
「神さま、神さま、私の願いを叶えてください」
→「〇〇さま、〇〇さま、私の願いを叶えてください」
自分が自分の名前さまにお願いしてみる。
好きな神さまやいつも祈る対象があるのなら、
〇〇神の姿をした、(自分の名前)さま
〇〇神社にいる、(自分の名前)さま
この土地に、この場所に、
その祈りの対象の中に眠る(自分の名前)さま
必ず主である(自分の名前)さまに祈りを捧げる。
叶うも叶わないも、
味わうのは自分でしょ。
心の不安も平安も
味わうのは自分でしょ。
他力本願待つよりも、
自力本願祈りを捧げる。
叶ったものが120 %合っているかどうかだなんて
自分自身にしか分からない。
どんなに誰かが協力したって
叶ったと自覚するのは自分以外には分からない。
好きなアファメーションにある言葉。
「宇宙はとてつもなく素晴らしい事を起こしてくれる」
それを自分の名前に置き換えて、
「〇〇はとてつもなく素晴らしい事を起こしてくれる」
脳には主語が分からないらしい。
ならば主語は何でも有りだ。
何かを願い祈る時、
何かを信じて繋がって
何と通じてみたいのか、
それは味わう自分の姿。
いろんな姿に形を変えて
(自分の名前)さまに祈りを捧げよ。
ちょっと変わった祈り方。









