感謝の捉え方 | rossiの世界

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心の声、心の葛藤や変化を書き残しています。




感謝をすると変わること


感謝をしても変わらないこと


人は感謝の対象を


いつも外に求めてしいがち。






「ありがとう」は、ただの合言葉に過ぎず、


注目するべきは、自分の感覚。







ケンカしたのに感謝する?


相手に不満があるのに感謝する?


意地悪されたのに感謝する?


心の中は怒りでいっぱいなのに感謝する?







何かを受け取ったり、


何かを与えられたり、


何か助けてもらったり、


心の中が喜びでいっぱいなら感謝する?







怒りでいっぱい


喜びでいっぱい


感謝🟰喜び事、という認識が


なぜか、自分を狂わせる。






感謝の認識はなんとなく尊い感覚


自分にとって都合の良いこと🟰感謝


都合の良いことが足りない🟰感謝が足りない


これでは、


良いことがない限り


良いことを見つけない限り


感謝に出会えないことになる。





良いことを見つけ出して


良いことと捉えて


感謝、感謝、感謝の呪縛。






実は感謝は簡単なこと。


喜び事も、嘆き事も、


体験できたことに感謝なのだ。






「私、今、嫌な目に遭って、不愉快だ」


不愉快な気分を認めた自分に感謝


不愉快な気分にさせてくれた者に感謝


不愉快な気分を味わった自分に感謝


そして、不愉快に感謝した時の


テンション、モチベーション、想念の位置を


感じてみる。






「私、今、祝福されて、嬉しいな」


祝福された気分を認めた自分に感謝


祝福された気分にさせてくれた者に感謝


祝福された気分を味わった自分に感謝


そして、祝福されて感謝した時の


テンション、モチベーション、想念の位置を


感じてみる。






感謝🟰喜び事、と都合良く捉えがちだけれど、


望むこと、望まないこと


良くも悪くも関係なく


自分の色々な感情を


素直に感じて認めてあげたとき、


全てが感謝というものになる。







知人、他人、取り巻く環境、自然、動物、物質


それらが無ければ、何も反応する事はなく


それらが無ければ、何も感じる事もない。


それらが無ければ、感謝する対象もなく


それらが無ければ、何も体験できない。






あ〜嬉しいな


あ〜悲しいな


あ〜ときめいちゃうな


あ〜腹がたつな


素直に思える自分に感謝


素直に感じる自分に感謝


素直に認める自分に感謝


そんな気分させた人や物に感謝


自分を取り巻く何かがあるから


自分の体験に関わる全てに感謝





「感謝をしよう、ありがとう。」


と、無理にハードル上げなくたって


感謝に対する視点を変えれば


感謝するのが楽しくなる。


感謝にはその時々でモチベーション、テンション、


想念の位置、高さや軽さが違うことを意識する。


例えば、感謝とは、嫌な目に遭うことが感謝です。


と、社会的に意味合いの常識が変わったら、


感謝を感じるシーンが増えるかも知れない。






人が感謝に期待するのは


感謝🟰良き事の認識で


過去に、大なり小なり、


テンション、モチベーション、想念の位置が


高くなるを経験したから


もう一度、その高さを味わいたい


そんな風に感じるからかも知れないね。






感謝とは、


イメージ、現実、どんな状況であっても、


それを体験した受領みたいなもの。


買い物でレシートに印字された

商品 〇〇円のように、


〇〇体験 △△テンション

○○体験 △△モチベーション

  合計 △△△想念、波動の高さ


だから、感謝とは良くも悪くも存在せず、


感謝の定義を作っているのは


自分自身に他ならない。





あなたの感謝に対する認識は?


もっと感謝を身近に感じて、


自分の気持ちを受領してみよう。