他人軸は、自分軸
他人軸を利用して
自分軸はできている。
相手に合わせる上っ面
良い人の顔をするご機嫌取り
自分を差し置き相手のために
本心隠して装う自分
何が悪い?
とっさに取った行動は
紛れもなく、
なりたい自分の行動なのだ。
何がいけないと言うのだろう?
その後に、
やってやったと言わんばかりに
見返り、期待するからだ。
相手に合わせる
良い人を演じる
甘くも、苦くも、あるけれど
「本当はそんなんじゃない!」
後出しジャンケン✊
後からジャッジする癖
そろそろやめてみようかな。
「良い人を演じ切った」
自己満足、自画自賛する自分と、
「期待や見返りいっぱい」の
それが返って来ないと後悔する自分
どちらを選んで、
どちらを捨てる?
両方得ようと欲張ってしまうから
いつまで経っても終わらない。
どちらにしても
その時取った行動が
その時の自分の実力
その時の自分の最善
すべて瞬時のアドリブだ。
他人軸と言う表現は
自分の逃げ道、言い訳を作ってしまう。
他人軸と言う表現は
自分は卑怯者だと言っているようなもの。
自分都合で相手に合わせて
勝手に見返り求めて期待
得られないから勝手に怒る。
怒って相手のせいにする。
誰かに不満をぶち撒けて
あの人は悪い人だと言いふらす。
自分軸、他人軸
自分の手柄にしたいのか
相手のせいにしたいのか
実際は自分の軸しかないし
軸がぐにゃぐにゃブレているだけ。
ついつい相手に合わせてしまったら
本音と後悔バッサリ切ろう。
とっさに選んでしまった事は
自分が合わせる事なのだから、
相手に譲ってあげた自分を
素晴らしく良い人だったと
褒めて褒めて褒めたら完了。
相手の思惑通りに合わせる自分を
バッサリ切るのか。
相手に見返り求めて期待する
自分の本心をバッサリ切るのか。
自分が心地良い最善を選んでみる。
何度も機会はやって来る。
何度もアドリブは体験できる。
何度も失敗繰り返しながら
自分の心地良さの位置を探してみる。
良い人のふりをしたのなら
良い人になれば良い。
人に合わせてしまったのなら
とことん合わせる人になれば良い。
本当は、本心は、、、
本音,本心こそが
実は嘘つきなのかも知れない。
いつも基準にある本心
その本心に縛られてはいないか?
その本心に逃げてはいないか?
バッサリ切って捨て去ろう。
新たな本心が見えてくるかも












