嬉しい
イライラする
悲しくなる
楽しい
すべて行動した後に
発生する感情。
思考は常に行動の感想を述べている。
思考が先ではなく
身体が動いて、体験するのが先になる。
動かなくても感情が溢れるのは
昔の体験を思い出して
感情が蘇っているだけ。
だから、行動が最初にある。
思考を「愛、感謝、祈り」
まるで母のような存在に変えてみる。
経験となる身体の動きを
いつも見守る、母のように。
身体を動かし、行動しないと
新しい情報は得られない。
毎日繰り返しの動きであっても、
繰り返し、繰り返し、動いて更新してきたから
習慣化されて行動している。
口うるさい母のように、
思考で指令して動くこともあるけれど
そこに楽しさはあっただろうか。
無理矢理、動いていたような気もする。
だから三日坊主で終わってしまう。
身体が強張り、非効率な動きにさえなっている。
動きが鈍くなったのも
興味があっても行動しなかったことも
失敗を恐れて行動しないのも
全ては思考の母のせい。
行動する身体を案じて
「あれは危険、これはあなたには無理」
「悲しませたくない、辛い目に遭わせたくない」
と、身体に体験するのを止めさせる。
身体は体験することで新しい発見ができるのに
思考の母は過保護過ぎる。
動きを止める思考の母を
「慈愛の母」に変えてみよう。
自分の身体が、
どんな体験をするのか、愛を持って見守って
体験してくれたことに、感謝して
無事に体験できるよう、祈ってあげる
何があっても口出しせずに、
見守り、感謝し、無事を祈る
日常生活、些細な動き
いつでも慈愛で見届ける。
身体の自由を取り戻そう。
体験して,体験して、体験する。
子どもが冒険するように。
人形相手に勇敢に。
行動する先に、何があるかわからないけれど
これからは、慈愛で見守る母がいる。
いつも口うるさかった思考の母
心配症で、臆病で、傷付かないように、
悲しませたくなくて、良い思いを選んであげたい
本当に本当に過保護な思考の母。
突然、自由に動いて良いと言われても
おっかなびっくり不安がいっぱい、躊躇する。
暑い,寒い、眩しい、暗い
これも、行動しないと感じられない。
どこで、誰と、何をしたか
身近な事から動きに集中。
勇敢に行動を広げて行こう。
ひとつ,ひとつの行動を積み重ね
新たな体験、経験の更新を感じてみよう。
慈愛の母の思考は、いつまでも
行動する自分の身体を愛してやまない。
身体の存在に感謝し続け
身体の健康を祈り続け
身体の体験を見届けている。











