人間に上も下もない。
能力、力量、器の大きさに違いはあっても
人間に上も下もない。
どんなに優れていたって
後輩、部下、生徒、弟子、経営者、ファン、消費者
その人を取り巻く人達が去って行ったら
やはり、ただの人に戻ってしまう。
地球上の生物から見ても
人間はただの動物にしか見えない
だから、人間に上も下もない。
「生き辛さ」 から、「生き易く」と
「自我(エゴ)に惑わされるな」
「思考を止めて」
それは、
自分の意思を知るためのヒントであって、
知らなくたって人間でなくなる訳ではない。
人間としての資格が奪われる訳ではない。
生き辛いのはいつからか、と
原因と結果を探っても
結果が出てしまっているのに
原因を考えたって、後悔しか見えてこない。
「呼吸をしっかり整えて」
「グラウンディングをしっかりと」
空を飛ぶ生物から見たら意味不明。
人間は既に立って動いているのに
地上で不思議な事をたくさんしているよね。
寿命が長いと課題が多いみたい。
人間以外の生物は
生まれて、ひたすら生きている
日々、生き延びることに集中している。
何の疑いもなく、生きている。
それが、生まれて来た使命だから。
鳥なのに、飛ばなければ
食べ物にあり付けない。
地上にいる人間も同じこと。
人間には人間としての能力があるけれど、
その前に、
地上での生物であり
動物に過ぎないことを思い出そう。
健常者、障害者、どちらであっても
人間という動物的機能や感は
誰にでも備わって生まれている。
人間も動物という生き物で、
動物として生きて行くのが生まれた使命。
いつの間にか、
「自己主張し辛い」が
「生き辛い」に変わっていないだろうか。
身体が故障した訳ではないのに
「生き辛い」なら
正確には、
自己主張が通らないから
「身動き取り辛い」になっている。
だから、
自分の動きが止まって辛くなる。
子どものように、
欲しいものが手に入るまで
そこから動こうとしない事を
大人になってもやっている。
人間という動物で生きて行くために
「自我を整え」「思考を止める」
自分自身で動きを止めてしまった強張る身体を
認識するために「深く呼吸する」
何も特別なことではなく、
意識して拘る方が不自然だ。
本来は自然にできるはずなのに。
日常生活の動きが鈍くなったら
自意識過剰になっているかも。
そんな時は身体を動かし弛ませて
動物としての自分を思い出そう。
身体の動きが整ったら
今度は、
自我主張ではなく、
自分のアイディアを主張してみよう。
動きを軽く
主張はアイディア
美しい自然な動きのある動物になろう。
地球上、人間はただの動物だから
動いてみないと感じられない。
どんなにアイディアが浮かんだとしても
動いてみないと主張できない。
















