半蔵は
朝に夕に境内を掃き
落ち葉を集めることを
冬仕事と言って
日課にしている。

境内はもちろんだけれど
北風が集めた家や庭の落ち葉は
ことさら丹念に片づける。

集めた落ち葉は
ブリキの雨よけがある
肥料用の穴に入れ
米ぬかや水を撒いて踏む。
毎日の積み重ねた落ち葉が
やがて肥料になって
畑に撒かれる。

空気の乾燥が続くと
境内から寺や母家の回りに
水を撒いておく。

半蔵のマメな性分かと
勇太郎は思っていたが
それは想像していたのと
まったく違う。

お年寄りは
よく言っていたものです。

山が乾く日には
火を山に入れるな
風の音が違う時には
野焼きをするな、と。

冬の落ち葉を母家や庭の隅に溜めて
そのままにしておけば
庭の火が引き金となって
燃える時があります。
寒がって億劫になるのは人の性ですが
家が焼けるのは山の火ではなく
庭の火なのですよ。

落ち葉は、七輪やカマドや
庭の焚き火の導火線になる。
ですから、家のまわりや裏山の
落ち葉を片づけるのは
防災になるんですね。

昔からの先人の知恵で
山火事を防ぐ深謀遠慮な計らいだと
知ってからの勇太郎は
学校から帰ると
宿題に取りかかる前に
半蔵を手伝い
落ち葉を掃くよう心がけている。

たまに
弟のふたごたちがおもしろがって
お兄ちゃんの邪魔をするように
遊び始める。
風に舞う枯葉を
忍者だと言って追いかけて
小さな足で踏むが
勇太郎はお構いなしに
掃き掃除に没頭するのだ。

住職のパパは
修行と思えば何でもない。
それどころか
やりたい、とさえ思うようになる
と、言っていた。

掃いても掃いても
落ち葉は空中を舞い降りる。
風に飛ばされ
思うようには集まらない。

修行というものは
自分の思い通りにならない
目の前のことに
ひたすらにやり続ける。

それをやっているうちに
頭の中の雑念が
少しずつ消えていく。

思い通りにならなくてよい。
それをやることに
意味があるのだからと。



今日のは

大寒卵だと言いながら

産みたての卵を持ってきたのは

縁起物を振る舞うのが好きな

森山という老爺だ。


もっとも寒いとされる

大寒の日に生まれた卵は

うまみが凝縮されて濃厚な味わいになり

昔から健康運や金運に繋がると

言われたものだ。


ウンチクを語りながら

冬の間は休むお寺カフェが始まるのを

心待ちにしている森山は

半蔵のお得意さまのひとり。


しんしんと

寒さが一日中続く日に

ありがたいのは火の回り。

囲炉裏の灰に埋めた

さつまいも、里芋、じゃがいもに

ほどよく火が入って

食べ頃になっているようだ。


お寺カフェが休みでも

参詣人や来客があれば

お茶をふるまい

囲炉裏端で出来た

オヤツを勧める。


囲炉裏はちょうどいいんですよ。

暖かさに集まって来る人たちへ

ひと休みしていただく。

それが寒い時期の

楽しみですからね

と、半蔵も抜かりがない。


付いた灰を吹き吹き

器用に皮を剥いて

きぬかつぎという

小さな里芋を頬張る森山は

塩を付けるのが好みだ。


いつのまにか

そばに座るふたごは

ちゃっかりと座って

さつまいもを

食べながら言う。


おじちゃんの

たまごさんは

オムレツになるんだよ、と

おしゃべりも達者だ。


灰から顔を出した

大きな芋を残して

小さな芋を手にして

皮ごと頬張っている。


さんざん

お兄ちゃんの邪魔をして

動き回ったようだから

お腹もすいただろうに。


ひと段落した勇太郎が

手を洗っているようだ。

お兄ちゃんの おいもさん

のこっているからね。

と、声をかけてから

二人で顔を見合わせる。


何も言わずとも

子どもたちは

分かっているのか。


ハイハイ

お夕飯はオムレツですね。

赤いご飯にしましょう。

と、半蔵が言えば

やったー!と笑う。


半蔵の目が

ことさら細くなって

いとまを告げる森山へ

手早く新聞紙に包んだ

里芋やジャガイモを持たせる。


懐にしまえば

温もりがあって

帰り道もあたたかい。


北風が強くなって

まだまだ冷える気配の

大寒の太陽は

心許ないほどに

小さく見える。


急ぎ足で

家路に向かう森山へ

見送るかのように

落ち葉がはらりと

宙に舞った。