ぼくたちの
てのあとだよ。
ふたごが指をさした先には
コンクリートで固めた
土間の入り口に
四つの小さな手の跡が残る。
来客があるたびに
手を引いて教えているのは
裸足のままで
砂場で遊んでいる
ふたごの志恩と礼恩だ。
母家を建てた頃
二歳になったばかりの
ふたごは目が離せなかった。
見るものすべてが
持ち前の好奇心を刺激するものなのか
なんでも触ってしまう。
玄関の土間に残る手の跡も
家人や職人たちが
ちょっと目を離したスキに
付けられたもの。
固まる前のコンクリートを
口にしなかっただけでも
ありがたい、と
夫婦して涙ぐんだものだ。
長男の勇太郎は発語も遅く
絵本を読んでもらうと
ジッと聞いているような
物静かな子どもだった。
ところが、長じるにつれ
口から生まれてきたのかと思うほど
大人の口を真似て
よくしゃべる ふたごは
思いのほか好奇心が旺盛だったから
ちょっと目を離すと姿が見えなくなって
何かと忙しい夫婦にしてみれば
気が気ではなかった。
同じ母親の腹から
生まれて来たのか?と
思ったくらいに
性質が違う。
当時、過去の記憶を無くしたとはいえ
半蔵がいてくれるだけで
どんなに心強かったか
母親の志乃は今でも
実母のトミに話すことがある。
志乃の心労を思い
幼な子たちが、むやみやたらと
山や森に迷い込まないよう
境内に遊具や砂場を作ったのは
他ならぬ半蔵だった。
境内の隅にある砂場の砂は
半蔵が毎夕に馴らしておくから
朝起きた子どもたちが遊ぶ時には
自分の足形を付けるのが
日課のような楽しみになっている。
裸足になって
走り回っている様子を見ると
寒かろうが暑かろうが
子どもたちには
さほど苦にはならないらしい。
砂場からほど近く
母家の裏にある
二十畳ばかりの広い納屋は
古い檜の柱と柱の間の
白い壁が目に眩しい。
志乃や半蔵が
手間をかけて作った
梅干しや味噌や、干物や燻製
ジャムや保存食を所狭しと並べて
大家族の食糧庫になっている。
本堂と母家は
新しく建て直したが
もともとあった庫裡は
しっかりとした作りを生かし
そのまま納屋になった。
僧籍に入る前までは
左官屋を生業としていた
住職の御厨屋が
風雨に晒されて崩れた納屋の土壁をはがし
昔取ったキネヅカとばかりに
塗り上げた漆喰の壁が
丹念に仕上げてある。
母家から見える壁の一面に
そこには、子どもたちの
両手両脚の跡が付いていた。
父親の手伝いをした
勇太郎のためらいがちな手形と
狙ったように付いた
ふたごの力強い手形。
その下の方に
それぞれに脚の指先が
目立つような足形。
大きくなった時に
兄弟仲良く
父親の手伝いをしたことを
思い出すのだろうか。
粘土細工のように
漆喰をこねて
汚すように遊びながら
壁に向かっていたのを。
孤児だった御厨屋が
ずっと欲しいと願っていたのは
血を分けた兄弟。
両親さえも分からないのに
兄弟などと叶わないものだと
分かってはいても
他人の兄弟を見るたびに
自分にもいたらいいのに
という思いは
幾重にも重なってきた。
漆喰の壁につけられた
子どもたちの手や脚の型は
そのまま御厨屋の思いを
物語るようだった。
石灰岩を
千度以上の高温で焼き
冷ました消石灰と呼ぶものに
水、糊、繊維を加えた塗り壁素材が
漆喰 ( しっくい ) だ。
この漆喰は
すぐ固まるものではなく
二酸化炭素を吸いながら
百年という長い年数をかけて
固まっていき
やがて石灰岩に戻っていく。
時間をかけることで
父と子という形で
御厨屋の願いは叶った。
我が子が
男の子三人の兄弟になるとは
想像もしなかったが。
それは
一人で長く刻んだ人生への
贈り物のように
思いがけず
手元に届いたものだった。
