半蔵さんは
なんで目がいいの?
と、勇太郎に聞かれる。
よく見ていますねと
感心する半蔵にとって
たとえ、血のつながりが無くても
目に入れても痛くない
愛おしい孫なのだ。
お寺カフェが始まって
天気の良い日曜日なら朝から忙しいが
曇り空の土曜日となれば
ゆっくりできる。
半日で終わって
学校の宿題を済ませると
お寺カフェを手伝う勇太郎。
打てば響く利発さは
半蔵の良き右腕になってくれる。
お年寄りや子どもたちは
箸や茶碗を落としたり
指や手を汚したり
何かと手間がかかるもの。
だが、どこで見ていたのか
手早く新しい箸を手渡し
割れた茶碗を片付け
何ごとも無かったように
ごゆっくりどうぞ、と声をかけ
さりげなく濡れ布巾を手にして
子どもの汚れた指を拭いてやる。
やっぱり
半蔵さんは忍者だ
と、勇太郎は
つぶやいてしまう。
付かず離れず
押し付けることもなく
気も使わせないが
相手が気がついた時には
その場を去っているのが
半蔵らしさ。
さぁて、ちょっとだけ
お話ししましょうと
縁台に並んで腰掛けた。
人間の目は
何かに焦点を合わせるのが
仕事のようですが
それをやると、どうしても
視界が狭くなります。
私の若い頃は
生まれ故郷の北海道で
山猟師をやっていました。
狩りのために山へ入るとき
ボーっと見るようにすると
視界が広がります。
危ないように思えますが
どうしてどうして
180度見えています。
八方目 ( はっぽうもく ) と言って
あえて、一点に目の焦点を合わせないことで
目の前の全体をとらえる。
しかも、自分の背後の気配にも
気が付きやすいのです。
獲物があらわれたら
初めて焦点像を確かめ
鉄砲で狙いを定める。
それが私のやり方ですね。
やたらと騒いだり
声をあげても獲物は逃げますから
森の中に溶け込んで息を整え
ジッと静かにしている。
すると
山の神さまが
与えてくださるものを
いただける。
何も無い日もあります。
それは、山の神さまがお休みに
なっておられるのです。
ですから、それはそれで
ごゆっくりお休みください、と
手を合わせて山を降ります。
いつのまにか
近くに座っていたのか
小柄な老爺が、ふんふんと唸って
半蔵の話を聞いていた。
おやおや失礼いたしました
と、立ち上がる半蔵へ
和定食を頼むと
勇太郎へ差し出したのは
千代紙で出来た小袋。
私は飴屋を
生業にしておりましてな。
今日は、よい話を聞くことができました。
お礼にひとつ。
いただきます
と、頭を下げた勇太郎が
中身を見ると
色鮮やかな可愛らしい
小さなアメ玉だった。
あちらは
仲良くやってますねぇ
と、半蔵がアゴで示すのは
日当たりの良い縁側で
寄り添っているのは
パパとママ。
パパとママは
いつもそうだよ。
半ば呆れたような
勇太郎の物言いに
つい吹き出してしまう。
よく見ていますね
勇太郎さんは、と
感心したように返す。
もっとよく見ているのが
志恩と礼恩なんだよ。
と、目で合図した先では
先ほどと違って
何やら揉めているようだ。
ぼくたちにナイショで
なかよくしたら
いけないんだよ!
と、甲高い声をあげて
パパとママに抱きつくのは
ちびっ子忍者のふたご。
何がいけないのか
ふたごの言い分は
さっぱり分からないが。
志恩、礼恩!
と、勇太郎が呼ぶと
さっそくパパやママを放って
お兄ちゃんへ向かって
裸足のまま走ってくるふたご。
アメ玉を見て
早くはやくと言って
勇太郎に絡みつくから
ちゃんと座ってからね
と、縁台に誘った。
まるで、よくやった
とでもいうような合図なのか
パパが大きく手を振ると
寄り添ったママも
手を振っている。
八方目って
いろいろ見えちゃうんだね。
茶化したように言う勇太郎へ
思わず苦笑した半蔵。
そばでは、飴屋らしく
歯のあまり残っていないない口を開けて
のんびりと笑う老爺までが
うんうんとうなづいている。
春休みに入って
雲の隙間から差す日差しが
ほっこりと暖かい。
アメ玉で膨らんだ
ふたごの頬に
木洩れ陽があたる。
他の庭木より
気の早いモミジが
赤い新芽を幾つもたくわえて
境内に色を添えていた。
