「医療機器メーカーのアメリカ法人でCEOを務め、新型人工心臓の開発で130人を率いるリーダー野尻の流儀は、「チアリーダーになりきる」こと。月に一度行われる会社全体の会議では、スタッフたちが朝食を食べる中、野尻自身はイスを並べ、会議場の設営を行う。そして、スタッフの前ではつとめて明るく振る舞い、チアリーダーのように前向きにスタッフを盛り立て、モチベーションにつなげるのだ。」(プロフェッショナルより引用)    かつては心臓外科医だった野尻知里氏。助ける事ができなかった症例に限界を感じ、人工心臓の開発を始めます。正確には、弱った心臓を補助する(血流を強制的につくる)補助装置を体の横隔膜あたり、埋め込むのです。この補助装置の開発は、血液といかに共存するか、(いかに血栓ができないようにするか、)との闘いだとの事です。なにしろ、事故が起きれば、訴訟になりかねない非常にリスクの高い事業なのです。多国籍からなるスタッフをまとめて、ひっぱるには、「夢は、人を動かす。」という事を有言実行で示す事が極意だそうです。後、「苦しい事を、スプリングボードにする。」これって、ほんとウルトラポジティブです。圧倒されました。(この補助装置は、ヨーロッパで治験を通過し、認可されたそうです。今、心臓病大国アメリカでの認可に向けて挑戦されてます。)

プロフェッショナル
http://www.nhk.or.jp/professional/backnumber/081028/index.html
「厳しく鋭い観察眼、破天荒なまでの行動力、そして弱者への限りない慈悲。それらに裏打ちされた西原作品には、他の追随を許さない独特の凄みがある。」(トップランナーより引用)    前に、このブログで紹介した西原理恵子さんが出演されてました。南はアマゾンから北はアラスカまで、体当たりのルポ漫画家でもあり、家族間の痛みも表現。ラフと下書きを一緒に進め、手書きのふきだし。サインペン等、お手軽な道具。ネタについて、面白い表現をされてました。「おすし屋さんと一緒で、「わるいネタ」は仕入れない。」と。後、「泣いてる暇があったら、笑え。」って強烈。もろもろの苦労をエネルギーに変える方だと思いました。(でも、ご自分を悲観論者だと言われてたのが印象的でした。)

トップランナー
http://www.nhk.or.jp/tr/2008album/081124.html
「運をよくするのは技術であり、誰もが習慣と訓練で習得可能」(ノウハウ本の宣伝より)

一般的には、運というものは、人間の努力では得られない、次元の違う概念だと思います。しかし、ちょっと視点を変えると、運が自分に向かってきて、あっという間に自分から過ぎ去っていくのを、すかさず、つかむ事だとしたら、その運のため日頃、地道に積み上げた努力とか、磨いている感性であって欲しいものです。

「小事が大事を生む」(野村克也監督)

練習を他の人より少しでも多くすれば報われるという事だと思いますが、例えば、仕事で、日頃70%ぐらいの力で、こなしていたとした時、ここは、誰も言わないけれど、大事なところだと感じたら、少し無理しても、一歩踏み込んでおくと、後になって、いい判断だった(いい仕事をした)と感じた事があります。
その男は、いつも不満ばかり抱えてました。
そして、お金こそが、自分を満たしてくれるものだと思い、
稼ぐために仕事を頑張り、手当たり次第に買ったものを並べて、
眺めるのが好きでした。ところが、困った事に、どんなに欲しい物を
お金で手に入れても、満足する事ができませんでした。
ある日、仕事で無理をしすぎたのか、肺炎を患い、倒れてしまいました。

「ここに、おまえが成就すべき道がある。」との声を聞き、その男は、目が覚めました。
窓から注ぐ柔らかな日差しで、あたりを見回すと病室の中でした。
窓の外の屋根にスズメが1羽、いました。屋根づたいに飛び交うスズメの姿は、
冬に向かう厳しい環境でも、自由そのものでした。
その男は、そのスズメの姿を、しばらく追って、眼が洗われるように、つぶやきました。
「心を満たすには、身軽になって、つつましく、生きることなのだ。」と。

補足:この話には、元になった有名な逸話があります。
「12月初め、全国30万人(350人に1人の割合)の元に、裁判員の候補になったことを知らせる通知が届く。裁判員制度がいよいよ来年5月に始まり、決して他人事ではないことを、実感する瞬間だ。裁判員制度は無作為に選ばれた6人の市民がプロの裁判官3人とともに判決を下すもの。対象は殺人・強盗致死傷などの重大刑事事件で、年間およそ3000件にのぼると見られる。最も重い刑は「死刑」。一般の市民が被告の生死を決める重い判断を迫られることになるが、その時にどのような葛藤を抱くことになるのか、どのような決断をしなければならないのかについては、裁判所による検証が行われていない。そこでNHKでは独自に、本格的な模擬裁判を実施した。」(NHKスペシャルより引用)    先ほど、放送された番組ですが、模擬裁判は、死刑か無期懲役かという究極の事例となってましたが、かなり重い責務だと感じました。選ばれた裁判員は、当日に与えられる事件内容を知らされ、いきなり法廷に出廷です。しかも、重大な犯罪(殺人など)ほど、当制度の適用となる様です。殺人現場の無残な写真を見る事にもなりますし、原告及び被告のなまなましい証言を聞き逃す事なく判定の材料とする必要があります。平均3日間の議論を終え、最終的には、裁判員と裁判官による多数決との事です。人が人を裁く事の難しさに直面する、その重さに誰もが耐えられるのか疑問を感じました。当放送のアンケートでも、65%の方々が参加したくないと回答されてました。さて、なぜ、このような制度が取り入れられたのでしょうか。主権である国民は立法権と行政権には、間接的ですが選挙や世論として、関与できました。司法には、今まで関与できなかったのですが、日常感覚や常識を取り入れる裁判員制度で関与する事が先進国の趨勢であり、その流れにのったといえます。無作為に選ばれた一般人が、裁判員になる裁判員制度は、誰でも選ばれる可能性がある訳ですから、ひとごとでは、ありません。確率は1/350ですが、国民の義務(強制力のある義務、つまり、余程の理由がないと断れない義務)として新た司法制度が実施されようとしています。(もっと、司法関係者は、内容を国民に知ってもらう努力が必要な気がします。)

補足:死刑制度は、ヨーロッパEU諸国、及びアメリカの限られた州にはなく、日本の死刑制度は、国民の総意ではないと考えますがの抑止力として存在します。後、無期懲役は、おおよそ20年後に、仮釈放等があり、社会復帰の道を閉ざしていませんが、死刑は執行を待つのみという事であり、被告の人生の大きな分かれ道となります。

NHKスペシャル
http://www.nhk.or.jp/special/onair/081206.html