朝から面談行ってきた。
面談は1時間程度、申請と現在の状況の聞き取り。最悪な感じだった。

自立支援の受給資格ということだから、まぁ躁うつの状態について聞かれるのだけれども、躁エピソードについてかなり聞かれたうえに、「それは躁というのかしら」みたいなことを言われたり。典型的(なのかどうかわからないけど)な躁エピソードが無いか根掘り葉掘り聞かれ、それが無ければ躁うつじゃないんじゃない?っていう感じ。
それは診断した医師に聞いてくれって、わたしだって知りたい。
ただ、父親が双極性障害で、それもあって薬の躁転の時に判断されたということもあるんじゃないかと話したら納得はしてた様子。先に話せば良かった。
そしたらいろいろ躁の話を暴露して辛いという思いもしなかったかもしれないし、結局遺伝性で判断されるのかという残念な気持ちもある。

でも、こういうものなのかもしれない。話したくない「躁」の話を自分から進んで話して説得しないといけないので辛かったのだと思う。躁エピソードってあまりふりかえりたくない部分だし。
あと、いままでなぜ医療給付を受けなかったのですか?と聞かれて、答えに困った。理由なんかないし、生活が豊かだからって訳でもないし。理由はいるのか?

問題はそのあと。
保健師の話では受給資格決定は自立支援医療給付を受けていないので今日できず、診断書が来たところで判断となる、なので診断書が来て資格決定、それ以降の給付なので施設の人がなんというか、と。
おまけに、施設に診断書ができてからとなるので時間がかかる事を伝えて欲しい、それでもし施設が何か困るなどあればこちらに連絡してもらえば善処しますと言う。
よくわかんないけど支給開始が遅れるのであれば、無料体験を長々と続けるのもあれだからその間休んだ方がいいのかなとか考えて、言われたまま施設の方に報告したのだけれど、すでに通所している分もさかのぼって給付受けられるので大丈夫という。
なんで話がくいちがうのかわからない。「申請日」が双方認識がちがうのだろうか?
それに保健師の言うとおりにしたので、わたし、進捗状況をいちいち報告する神経質な人みたいになってるじゃないかと思った。神経質にはなってるけど報告はうながされただけだし。
正直、手続きのことからはもう手を話したい気持ちでいっぱいだ。

で、面談も終わったし、診断書来ないと審査できないみたいだけど、診断書を先生にせかすというのだけはやりたくないので、もう診断書は普通に次の診察の時にお願いしてという形にしようと思った。
すっごーく遅くなると思うけど。
リワークに通う際に必要な「自立支援法訓練等給付」の受給申請の件だが、先日市役所に電話して担当者が日程調整して面談の日取りを決めて連絡します、というところまで来ていた。
その時の話では来週あたりをめどに今週調整というニュアンスだったのだけれども、結局来週にあたる金曜まで連絡がなかった。
時期的に忙しいのかとかいろいろ思い巡らしていたけれど、さすがにどうなってるのか問い合わせたいと思って昨日電話したら、担当の人が忘れていました、申し訳ありません、と。
なんだかもう怒りを通り越してあきれ果ててしまった・・・
受給資格判断のための面談はとりあえず決まったのでよかったけれど。
施設も自分がどういう扱いなのかなんだかよくわからない状態で通っているのが、不安だったので話が進めば気分的に楽になるかもしれない。
やれやれという感じだ。
今回はメモ無しで。
レンドルミンを2錠にしてもたいして効果無いので、セロクエルを増やしてもらおうと思ってそれだけをメインに。
一応リワーク通い出して緊張が続いて寝られなくて、でも頭が静まらないという話をしたからだと思うけど、コントロールできてる?って聞かれて焦った。
一瞬何をかなと思ったけど、まぁ躁のことかなと思って、一応買い物をしたり夫や施設でケンカになるようなこともないので大丈夫だと思いますと答えたら、医者も何が躁か判断するのが難しいのよねとか言われた。
園芸にははまっているけれど、高い苗や花を買ったりとか高い鉢を買ったりとか、そういう極端さはないので大丈夫だと思う。
躁になっているというよりは、今まで引きこもり気味だったから、施設に通っていろいろ体験することが、頭の中でうまく情報処理できないでいる感じ。
話した内容とかよりもその日その日のインパクトの強い人の顔が何度も思い浮かんだり・・・そういう感じ。
セロクエルに関しては特に渋られることも無く、先生にはけっこうセロクエルよく勧められるし、お気に入り?なのだろうか。
二週間って言われたけど、三週間にしてもらった。だっていまはお休みが貴重なんだもの。。。

処方は、
リーマスとデパケン、フルボキサミンは変わらず、セロクエルを25㎎に戻してもらった。多すぎるなと感じたらピルカッター使えばいいやと。
あとはリーゼを10錠処方にしてもらった。リーゼはだいたいリワーク直前に舌下投与している。レンドルミンは1錠に。
セロクエルは太るのが嫌だけれども、結局リーマス増やした分だけやっぱり太ってるし、それよりも躁の芽を抑える方が大事かなと思って。
セロクエルは躁にもうつにも適用されるのだけれど、わたしはうつにはあまり効果を感じない。でも、逆に躁の時は効くなぁと感じる。
せん妄を抑えるため高齢者の眠剤としても使われているらしいのだが、そういう効き目と似ている感じだ。
リワークに見学行ってちょうど三週間、少ない回数だけれど一応通所を続けている。行ってしまえば楽なのだけれど、前日の夜から起きたあと家を出るまではまだ憂鬱だ。

憂鬱がおそってこない日が来るのか?と思ってるのだが、思い返してみれば仕事をしていた時もほとんど憂鬱な気分のまま出勤していた日の方が多かった。
いまは慣れてないことやわからないこととかストレスが多いというのもあるけれど、たぶん、学校でも仕事でも何かに通うということそのものが「憂鬱」に感じる気質なんだろう。
「憂鬱」に負ける時もあるし、「憂鬱」ながらも通えることもあるので、「憂鬱」とうまく折り合いをつけていくことが継続するヒントになるのかなと思う。
自分が嫌だったもの、もしくは恐れていたものは、この「憂鬱」と否応無しにつきあっていくことなのかなと思う。
これってたぶん変わらない部分の様な気がする、残念ながら。。。
イヤな気分とは、結局さよならできていない。(バーンズの著書は読んでいないけども)

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話は少し変わるけれど、この二週間は通うことと生活とのバランスを取ることに、ちょっと緊張感が高まりすぎて、躁うつ混在した気分の日が多かった。
身体は疲れているのに、あれもこれもやらないと!と頭の中は躁的でぐるぐるする感じ、そのうえ眠れないので大変だった。
それでリラクゼーションミュージックでも無いかとアプリを探していたら、ヨガ(寝たままする瞑想の様なもの)のアプリを試してみたら、これがかなりすっきりして楽になる。
時間は30分程度なのだけれど、やっているうちに寝てしまうことも多い。。。
疲れてるけれど頭がせわしない時は時間を取ってこのヨガをしている。
昨日もリワーク体験行ってきたのだけれど、やっぱり終わったあとにぐったり疲れた。
行く前にもやっぱり憂鬱感があって、電車に乗っている間にCBTをして・・・という感じ。
CBTしてもあんまり楽にはならないけれど、自分の自動思考(というより妄想?)がものすごい滑稽なのでびっくりする。
でも、その時は真剣にそこまで考えている。
とくに保健師との面談がまだ終わっていないので、なんというか、そこが不安で悪い方に考えている。
まあ、もし駄目だったらクリニック系列のところに行けば良いのだけれども。
そういう風にどうせ駄目だろうとあきらめてしまうのではなくて、不安のまま通い続けるのも練習になるだろう。

どうしても動く気がしない、という時は自分では気づいてない自動思考に絡まっているのかもしれない。

認知が偏っている場合、それをもう一度見直すというのがCBTには大事になるのだろうが、自分は元の認知(からくる自動思考)を修正する行為に抵抗を感じていた。
元の考えもなにか裏付けがあって見ている世界だし、それはもともとなにか経験してきたことから生まれているものだろうし。

でも、その抵抗感が少し減ってきたなとこのごろ感じる。
自分はずっと辛い状況で育ってきた。だからいま生まれる自動思考も本当は生きてきた知恵のひとつでもある。(ハーマンの「心的外傷と回復」から得た知識)
だけど、それはそれとして、現状どうなのか?を考えてみようと思えるようになった。
いまに不具合な自動思考が生まれること自体、自分自身が受け入れれば、CBTも使いやすくなったという感じだ。

変なところでマインドフルネスが役に立ってるなと感じる。
世に認知行動療法を受ける人はたくさんいると思うけれど、認知のゆがみなど、他のラベリングで惑わされないで欲しいなと感じる。
回復は直線ではない。
自動思考も自分自身なのだとまず認知し、排除しないことが大切な気がする。