前記事にはヘビーなことを書いてますが、自分のことも少しだけ前に進めています。

完全にコネですが、月1の書評のお仕事をもらえました。
実際は隔月なので、月2でやらないといけないのですが、7月の半ばからなんとかやって、赤待ちです。

相変わらず、引きこもり気味のニート主婦がメインなのですが、本が読めるようになったこと。(うつだと読めなくなる)
父の手術自体は終わったこと。
少なくとも家事はなんとかこなせるようになったこと。
それなので、しんどいなりにもやってみようかなという気になりました。

収入なんておこづかい程度ですけれど、それ以上に得られる達成感が。
もちろん、直しが入ると思うんですけれども。

ひさびさに頭絞って、どこを抜き出してみようかとか、テーマをどうするかとか、楽しかった。
書評は学生の頃のレポートしか書いてないけれども。
そのレポートより字数少ないんで、逆に大変なんですけどね・・・

リワーク通ってた頃に、前職がそういう関係だった方が、試しにデパートかなんかの体験記事をアルバイトでやったらしく、思ったよりやれるんだというのがすごく自信になったと言っていたこと。

わたしはそれに比べれば、ホントちいさな一歩だけれども、それでもホントに嬉しいです。
カウンセラーさんが働くことで、誰かの役に立っているということを感じることは、とてもやりがいのあることなんですよって、言っていたのを思い出します。

もちろんこれを生業にするというわけではないですし。
こんな病気だから、また後退するかもしれないけど、「回避をしていない」現実への一歩を踏み出せた様な気がします。
まずは父のこと。
その後、父は同じ府内の別の医科大にて、短期入院にて検査を何度か行い、手術も無事終わった。
それが6月中旬のこと。

後からわかったことだが、前回の強制退院を考慮して、医科大の方でも小分けに検査することにしてくれたようだ。
本当にありがたい。

父の病状は小腸がん、ものすごく発症率が低いらしく、1年に1人受診があるかないかということらしい。
小腸がん自体は取り切ったのだが、肝臓にも新たに癌ができていて、こちらは肝がんの再発かと疑われたけれど、小腸がんの転移で、思った以上に良くない状況だった。

結果的に、がんは全部取り切ることができず、傷が治った7月下旬からTS1による抗がん剤治療を開始。
がんを取りきらなかった理由は、できている場所と肝硬変があるためある程度肝臓を残しておかないと機能しないためであるらしい。
抗がん剤も本当はTS1(錠剤)だけでなく点滴と併用したいが、身体が持たないと判断され、錠剤も普通の量より減量した状態で始めると言われたそうだ。

良かったのは短期入院で済んだので、わたしは手伝いに出向かずに済んだことぐらい。
父はというと幸いというべきか、相変わらず躁状態で、きちんと服薬管理できているのかも疑わしい。
放っておいていいのもか、ホントに毎日気持ちがぐらぐらするのだけれど、父と同居するのは、父の躁状態を考えるとまず無理。
わたしの体調的にも無理、そういう矛盾を抱えたまま、過ごしている。

一応、母と相談して病院のケースワーカーにも病状と躁のことを話してみたりはしたものの、入院時期に問題があれば精神科受診をさせることは可能、でも今は退院していて、かつ本人の意思がなければ精神科受診は無理とのお答え。
ちなみに、もともと父が躁転して田舎で牛小屋をたてて云々の経緯を相談している保健師さんを通して、状況については話していたのだけれども、やっぱりケースワーカーさんは対応不可能と。

そもそも、抗がん剤さえ使えないのに、躁を抑える薬を使えるのか?というのもあるし、仕方ないのかもしれない。
でも、現状、父は入院している間に預けていた牛をまた引き取って世話している。この猛暑の中。
副作用は?と思ったのだが、電話で聞く限り、けっこう飲み忘れている様だ。

…入院を要する躁の時に、自ら医者に出向く患者なんてどれだけいるのだろうか?
わたしは入院歴がないのでわからないけれど、ほとんどが家族などが受診させるパターンなのではという気がする。
結局、優先順位として、がんの治療なのだろうけれど、おとなしく治療に専念しない父に対して、自分はどう対峙すればいいのだろう。

答えなんかないので、毎日堂々巡りをしているだけだけど。
まぁ、父に関してはそんな状態だ。
1月のうつ状態に比べれば、わたしのうつ自体はずいぶん調子が戻ってきた。
が、父親が大変なことになっていて、毎日気持ちが落ち着かない。

父は双極性障害Ⅰ型なのだが、発症後もあまりまじめに治療を受けず、3年前からはほぼ気分安定剤は飲んでいない。
2008年から躁の時期になるたびにいろいろとはちゃめちゃな出来事を起こしていたのだが、一昨年の12月に突然祖母の土地に移り住み、牛を飼いだした。
母は父ととても一緒に暮らせる状況ではないので、母の故郷にて父と別居する形で暮らしている。
父はこの一年は住民とのトラブルもそれほどなく、ひたすら牛の世話にいそしみそれなりに安定した?生活を送ってたみたいだ。

話は少しそれるが、2008年秋に父は肝細胞癌を患っている。
肝がん自体は予後も悪くなく、3ヶ月に一度の定期検査を受けている状態。
ところが前回1月末に受けた検査によると肝臓に問題はないが貧血を起こしているので至急近くの病院で検査をしてくれと連絡があったようだ。
貧血といってもふらふらするとかそういうレベルのものではなく、輸血をしなければいけない状態とのこと。
その時点で連絡があり、結局父は3度の輸血をして、貧血自体は基準値よりは低いが生活自体に問題はないという状態まで回復した。

女性の場合貧血は毎月の生理で起こることもあるのだが、男性が急激な貧血を起こした場合、消化管出血を疑うらしい。
父はずっとぼっとん便所で生活していたので気づかなかったのだが、下血でタール便が出ていたらしい。
まずは下から上から消化管の検査をすることになったので、入院の手伝いに向かった。
実はわたしは1月下旬から2月頭まで母の里にいたので、とんぼ返りではないが今度は地元へ向かうことになった。

結果、直腸、大腸、胃、食道、十二指腸には出血原因が見当たらなかった。
残るは小腸とのことだが、小腸検査というのはできる病院が限られているということで、元々肝臓癌の経過観察でかかっていた大学病院に戻ることになった。
小腸以外の検査は普通の病院でできるので早いうちがいいでしょうということだと思う。

その時点でわたしは戻り、あとは大学病院に入院して検査をしてもらうというところまで来ていた。
実際、父は入院はした。
だが、そこで幾度もトラブルを起こした。

まず、検査入院とはいっても、その後腫瘍もしくはポリープなり見つかった場合、切除や抗がん治療とどうなるかわからない。
つまり検査入院とはいっても実際には長引くことであろうことがわかっていたはずなのに、なぜか車で病院へ行った。
もちろん病院の駐車場は入院している間車を止めさせてくれるはずもなく、その車をどうにかしないといけない状況になった。
それで、車の受け取りについて地元に住んでいる妹とトラブルを起こした。
もちろん車を移動して欲しいということは病棟から言われたらしいのでその時点で問題だ。

それ以外にも病棟から勝手に出たり、後で聞いた医者の話では、4人部屋にもかかわらずラジオを聞いて部屋を移されたらしい。
看護師に怒鳴ったり手を挙げて威嚇したり暴言を吐いたそうだ。

実は父が一人で牛を飼うということになった時点で、母が保健所に相談に行き、父は保健師の管轄のような対象になっていた。
今回の入院に関しても、突然牛も父も消えたということではと思い、あらかじめ母が保健師に相談してみたところ、大学病院で問題を起こした際には精神科対応してもらえないかと頼んでもらっていた。
だが、結局、父の態度は改善することもなく、精密検査の始まるその日に強制退院させられることとなった。
検査の前夜、真夜中に病棟でトラブルを起こし、夜中にもかかわらず主治医を呼び出したらしい。
肝がんでかかっていた主治医は同じ消化器科の医師で、精神科の医師とも話してくれたそうだが、強制退院となる患者を精神科でも受け付けることはできないという判断になったらしい。

父は今まともなコミュニケーションがほとんどできない状態だ。
実際に話しても躁で意識はあちこち飛ぶし、せわしないし、こちらの主張を理解できているのかわからない。
それでも入院している間は
1月にはどちらかというと鬱気味だったのだけれど、また癌かもしれないという気持ちが躁転を招いたのかもしれないし、季節的なものかもしれない。
個人的には家族に対して声を荒げたりはしていても、一般の人にはそういうことはしていなかった。
でも、今回は看護師に対して怒鳴ったりしたということだ。こういうのは躁の問題なんだろうか?
DVはあったものの、ここまでひどくはなかった。もう少し社会に順応していた。
病院でトラブルを起こすと検査に響くことぐらい、いくらなんでも判断付くぐらいではあった。
そうなると病が加速させているのだろうか。
それとも全く別の病なのだろうか。

今、父は精神疾患の躁の問題と小腸の出血と二つの問題を抱えている。
父が自分で招いたこととはいえ、気持ちとしては簡単に割り切れるものではなく、怒りとあきれと心配と不安、諸々でごちゃごちゃだ。
牛を飼うと言い出した時点でやはり入院させた方が良かったのかもしれない。
あのときは私は父の精神科の主治医に申し出たのだが、結局、母と妹が及び腰で頓挫した。

とりあえず、強制退院とはいえ、主治医も腫瘍がある可能性が高いと話しているので、同じ検査ができる病院のリストと診断書を送るようだ。
結局、そのリストを待って新しい病院を探さないといけないということになる。
大学病院は胃がん、肝がんとの経緯もあり、主治医がいたから病床も早めに入れてもらえたのに。

徒労に終わる・・・
まさにそういう気分だ。
今日はあまり冷え込まなかったので、気分的にはましだった。
でも、いやな夢を見て早朝覚醒した。
自分にはめずらしく音(重低音)が夢の中で鳴っててびっくりした。

ツイッターの森田療法のbotに「できること」「少しがんばればできそうなこと」「できないこと」に分けて考えてみようとあったので、とりあえず、トイレにはいけるなと思って起きてみる、そんな感じで起きる。
起きてしまえば、すこしづつ家事をすることはできている。
ベランダに出て花に水やりもできた。
情けない気分もあるが、いまはここまでが限界だと受け入れる。

情けないと思うのも当然で、でもできないのが症状なので仕方ない。
いままで沈みきったこともないので、そのうちにもう少し上がるだろう。

いま、対人関係療法の本を二冊読んでいて、コントロールできない感じから解放されることの大切さを実感している。
うつも「どうにもならない感覚」はそのまま置いておいて、「できることがあるという感覚」に主眼を置くのが大切なのかなと。
少しCBTの発想と似ている。

本を読めるのだから、中程度からは上がっているのだろうと思う。

あ、あと知人の死から「自分が生きていることの罪悪感」は出てくるものらしい。
自分が去年の先輩の死で、なぜわたしが生きていて先輩が死ぬのかと苦しかったのもそれなのだろう。
亡くなってしまった先輩とはもう交流はできない。
でも、自分の命はいまもあって、それもダメ人間としてしか生きながらえてなくて辛い。
だけどダメ人間なりに浮上するたゆまぬ努力はします。
と、先輩に伝えたい。
うつうつスパイラルにとらわれて大変な感じ。
単に寒いから怠けてるだけなんじゃないか、とか、そもそも社会復帰とか目指すことが間違ってるんじゃないかとか。
あー、うつのスパイラルーと思えるようになっただけましか。
そういう自動思考出てきたら、「うつスパイラル!!」とラベリングする様に。なるべく。

おともだちが今週で終わりで、その発表みたいなのを見に行きたかった。
でもそれができない自分駄目過ぎる・・・ってうつスパイラル。
ホントは前日の夜に夫にリワークまで付き添ってくれないか頼もうか悩んだ。
しんどい状態で付き添われて見学来てる人もいるし、自分もやってみたら行けるかもと。
でも、結果的に頼めなかった。自分のくずなプライドが邪魔して。

でもコーピングってのはそういうことなのかもしれない、という考えに及んだのいいや。
もし復帰できるようになったとき、行くのが怖かったら、付き添ってもらおう。玄関まででも。
今回できなかったけれど、次はもう一つ対策思いついたからいいや、で。

思えば父はうつで会社行けなくなるときに、いつも母に付き添ってもらってた。
医者にも会社の上司との面談にも。
でも、わたしはいじめに遭ってそのあと学校行くときも一人で行った。
きっと父のことを情けないと思っていたのだろうと思う。
父のようにはなりたくないという思いが強いだけなのだけども、躁うつ自体はもう仕方ないのにな。
DVや虐待、SA、アルコール依存、そういうことが怖くて、人として情けないし、責めてる部分なのに、病から来るうつの部分で自分を責める必要はないはずなんだけども。
きちんと整理しているつもりでも、暴力にさらされてた時は混乱しているから、いまもくっついてしまうのだろう。

CBTで言ったら自動思考ーコアビリーフースキーマ、のつながり的なもの、複雑性PTSDの過去の記憶がやたらと浮き上がってくる状態になっている。