先日の続きです。
無事に退院して家に帰ってきました。ご心配おかけしました。
生まれたら何しようかという楽しいことをたくさん考えてきた2ヶ月でした。
帰ってきた時に,寂しい気持ちにならないように,入院する前に出産に向けて用意したもの(ノンカフェインの飲み物や本など)を綺麗に片付けてからいきました。
家はすごく綺麗です。
気持ちもちょっとクリアになりました。
手術は入院した翌日に全身麻酔でしました。
通常赤ちゃんの成長が止まると,大体2週間くらいで自然に出てきます。
その時期を過ぎても自然に出てこない場合には,今回の私のように全身麻酔下で出てきてもらう処置します。
(海外だとお薬飲んだりするそうですが,日本ではその薬の認可がない)
入院日が決まってからは,どうかその日まで出てこないでね。と願っていました。
週末に仕事のセミナーがあって登壇しないといけなかったというのと,自然に出てくる場合の大量出血や腹痛に耐えられる自信がないというすごく自分勝手な理由でした。
こういう表現は気持ち悪いと自分でもわかっているんですが,すごくいい子でした。
親のエゴで,まだいて欲しいとか,今は出てきてほしくないとか本当に自分勝手ですけどね。
処置の朝は早く6時には水も全て絶食で,点滴をはじめます。
午後14時くらいからの入室(手術室への移動)だったので,午前中は少しまどろんで,午後はTwitterとpixivで好きな作品漁って,気分を紛らわせてました。
入室で呼ばれて,手術着と紙パンツに着替えて移動です。
移動は徒歩で。
手術室の入り口のところで,本人確認と担当する看護師さん,ドクターと挨拶していよいよ手術室へ。
数が多いので,私は10番という手術室だったんですが,迷路のような道のり。
手術室入ったら,部屋の中央にある手術台に自分で乗って,横になったら全身麻酔の準備。
担当のドクターから「好きな曲かけれますよ。」って言われたが,当然その場で好きなマクロスをとかMay'nちゃんをとは言えず。
すでにかかっていたジブリオルゴールのままでいいですってしか言えなかったです。
またこのジブリのオルゴールが魔女の宅急便の「風の丘」で,なんかノスタルジー極まって涙が出てきて。
麻酔は点滴から入れるんですが,麻酔が全身回って意識がなくなるまで,名前を呼ばれるんですが,しばらく効かなくて。
ぼんやりした頭で,次にこの曲聞いたら,またこの時のことを思い出すんだろうなと。
そういう意味で,よく聞く好きな曲をこの瞬間に聞いていなくてよかったなと思っています。
最後意識がなくなる数秒はあっという間だったけど,お腹の子に対して「ありがとう」と「どんな形でもいいからまた会いにきてね」という心で願ってました。
処置中の記憶は全くないです(当たり前ですけど)
麻酔から目が覚める直前は,ハイキューの日向と景山の夢というかイメージが残っています。
真っ白い背景に,黒い翼で羽ばたいている,日向と景山の背中が見えました。
とっても眩しかったです。
多分直前まで見ていたpixivのせいだと思う。
自分の病室のベットがリカバリールーム(術後に麻酔から覚める間に寝かされる部屋)に持ってきてあって,眼が覚めた時には自分のベットでした。
リカバリールームは他の手術の後の方も横並びに何人か寝ている感じです。カーテンで仕切られていますが。
そこで10分から20分ぐらい,酸素マスクしてもらっていて,ゆっくり身体が覚めていきます。
痛み止めも点滴してもらっているから,特に痛みもなく。
ある程度意識戻ってからは病室にベットごと戻って,2時間くらい様子をみて。
あとは酸素マスクも外れて,通常どおりに過ごせました。
夕ご飯もモリモリ食べて。
ご飯後に止血のために入れたガーゼを抜いて。
そのあとは月経のときのような出血が続くので,数日間様子見ということでした。
仕事がら小さな命を見送ってきましたが,こうして自分のこととして経験してみると当たり前ですが抱く感情はまた異なるなと思っています。
ただ,ネガティブな感情はほとんどなくて,ずっと「ありがとう」という気持ちです。
私のところに来てくれてありがとう。
少しでも一緒に過ごしてくれてありがとう。
寂しいけど,いつか別の形でまた会えたらいいね。
またね。って気持ちで送り出しました。
何が悪いとか,ダメだったということではないので「ごめんね」はなしです。
「ありがとう」と「またね」
長くなってしまいましたが,こうして自分の記憶の整理のために全部書き連ねたので,おしまい。
また二次創作やオリジナルでも色々と表現できたらと思います。
食事おいしかったので,写真残しました(写真の向きが直せないw)