本当にちいさないのちの話 | こまどりの散歩

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日々の雑多な感想。少女に戻れない中途半端な大人のブログ。

また久々の投稿です。

何かないと投稿しなくなっているんですが,今回は小さないのちのことを書きます。

 

9月の頭に妊娠がわかって,予定日は来年の5月ごろ,2020年の夏コミは参加難しいなとかそれくらいの時期でした。

不妊治療先のクリニックの最終受診日が9月末にあって,分娩予定の総合病院の初診が10月中旬予定でした。

初診までの約3週間くらい,少しずつ気持ち悪さが出てきたり,身体が変わっていくのを感じてました。

 

そして,初診の日。

すでに赤ちゃんの心拍は止まっているとわかりました。

赤ちゃんの膀胱がかなり膨れていて,おそらく赤ちゃんの将来尿道になる部分がうまく作れなくて,膀胱がぱんぱんになってしまったのだろうとのこと。

原因はわかりません。

10週前後ぐらいの赤ちゃんの死因(流産の原因)は染色体異常(その子の身体をつくる遺伝情報が生まれつき過不足があって,臓器に合併症がでてしまうこと)が一番多いのですが,原因追求に躍起になったところで,すべての原因を調べ尽くせるわけではないので,これ以上の追跡はしないと決めています。

 

 

正直,自分は人間として子どもを育てるとかそういうことに向いてないのではないかとか,すごく自己都合な理由で子ども欲しくないなとか思っていた20代を経て,ようやく子どもを授かることの責任を持ってきちんと向き合おうと意気込んでいた矢先だったので,そういう意味合いでも,肩の力が抜けてしまいました。

 

夫の妹や私の妹も来年3月,5月に出産予定なんですが,妹たちは無邪気だから,妊娠とわかってすぐに両親に話していて,そして彼女たちの子は無事に今のところ育ってくれています。両親たちはとてもとても妹たちのことを喜んでいて,出産に向けて楽しそうに準備を進めています。

姉(義姉)である私にも当然,いつ妊娠するの?というプレッシャーではないですが,そういう期待をもって接しているのが痛いほどわかるので,私の初診を終えたら,両親に伝えて,喜んでもらいたいなとか甘いこと考えてました。

だけど,こうして流産となって,よくよく自分の考えを振り返ると,私の子どもは,私の親を喜ばせるために授かるものでもないしなとか,冷静になる部分もあります。

 

 

よく流産すると,他の妊娠している妊婦や子供がいる家庭が羨ましいとか,妬ましいとかそういう感情をもつことがあると看護師さんに言われましたが,正直自分の子を身ごもっているわけではないので,私はよその妊婦さんに対してそういうネガティヴな感情を抱くことは全くなかったです。

ひとりひとりが,命がけで小さな命を守って,育てている。

それだけ尊い生命の営みに対して,応援の気持ちは芽生えども,悲観的な気持ちになることなんてないなと。

ただ,私の気持ちの揺れたのは,生きてこの子には会えないのだということ。それが,とても悲しいという気持ちでした。

 

 

と,自分の感情と頭のなかをスッキリさせるために書いています。

 

明日,手術なのでまた書きます。