1983年9月1日アンカレジを出たKAL機の機影が北海道根室沖で消えた。
日本はソ連機がKAL機と交錯しKAL機を撃墜したとことを把握していた。
このKAL機には269人の民間人が乗っており日本人も多かった。
ソ連に対する対応をどうするか慎重に検討が行われアメリカとの連絡、国連を通じた情報公開をどこまで行うか緊迫した場面が続いたことが伝えられています。
ソ連がアメリカ全土をカバーする核ミサイル基地をKAL機が飛行した地域に設置しておりこれを極秘にしていること、領空侵犯としてKAL機を撃墜していることが描かれています。
実際にはKAL機はアンカレジを出た時から飛行ルートを外れていて定められている通過ポイントを相当外れた飛行を行っていてソ連が極秘にしているルートを飛んでいました。
ミサイルは2発発射されていてKAL機はミサイル発射後30分程度飛行を続けていることも分かっています。着水する時にKAL機の爆発が起きていることからアメリカ側が最後に爆破を行っているとの説があります。
日本がこの地域についての情報を把握していること、この当時のアメリカ・ソ連の関係が描かれていて大変興味深いことです。安倍外相も出て来ます。
私にとっては亡くなった269人の内の3名が知人であることが衝撃で、登場する外務省の人たちが皆若く私にとりお兄ちゃんの様な人たちが重要な業務を行っていることが何とも言えない気持ちです。忘れることのできない事件です。