ロビーのブログ
Amebaでブログを始めよう!
1 | 2 | 3 | 4 | 5 | 最初次のページへ >>

お別れ

今回をもってブログをやめることにしましたw

つまらない記事ばかり書いてきましたが、

それでも書くのに時間をかけましたw

そこで気がついたのです。

時間をかけて一体何してんだってw

最後なので、それ相応のことを書きたいと思いました。

それは、この世の最大のうそのことです。

きっと違う考え方の方もいらっしゃると思うので、

ただの独り言としてお読みいただければと思います。

最後のテーマ、それはすべての宗教はうそっぱちとういうことです。

なんだ、わたし、無宗教w

といって安心してはいけません。

いつなんどき、その網にひっかかるか、わからないからです。

それほど、巧妙です。

新興宗教より、大昔からある世界的宗教のことです。

ユダヤ教、キリスト教、イスラム教、ヒンズー教、仏教などです。

もしもキリストの再降臨や観世音菩薩の歴訪があったら、

わたしがこれから述べることが間違っていたことになります。

キリストと観世音菩薩は、いずれも人類を救われるかたとして描かれています。

本当にそうであれば、素晴らしいことです。

また、理想的な「人間」として描かれます。

人間はこうでなければならないという姿です。

しかもキリストは、人類のためにその身を犠牲にされました。

とても崇高な使命です。

つまり、福音書の記述が事実であれば、キリストは救い主です。

キリストに限らず、新旧の聖書に登場する人物に関しては、考古学的な裏づけがとれないとされています。

人物より地名だけが便り(注:変換間違いw)です。

地名は当然ホンモノですw

福音書の記述のように、完璧な方が何の罪もないのに、磔刑に処されるというお話は、人の心を揺さぶります。

そして、このかたの教えを守ろう、述べられていることはすべて真実に違いない、ということになります。

一方、そういう話を創作することは可能か、といえば、可能でしょう。

個人、というより、集団がある目的のために作った、それが宗教だと思います。

ある目的とは何か。

ひとびとの財産を「合法的に」奪うことです。

この場合の「法」は、神の法ですからさからえません。

しかも、その法に従えば救われ、従わないと地獄行きです。

地獄が本当にあるのかどうかわからなくても(知りようがありませんw)、

もしあったらどうする、という不安と恐怖が生じます。

つまり、不安と恐怖を利用しています。

存在しないものを存在しないと証明することは、理論的に不可能とされています。

なので、神は存在しない、地獄は存在しない、と証明することはだれにもできません。

とてもやっかいですねw

宇宙があり、地球があり、そこで生きていられるのは、神様のおかげ、と勝手に考えるかたたちがいます。

しかし、ほとんどのひとが、生涯を通じて、一度も神とまみえることがありません。

新旧聖書を通じて神とまみえたかたはほんとうにわずかです。

人類の始祖アダムさえ、神と直接まみえることはなく、大天使ミカエルとまみえただけです。

天使とまみえたかたもわずかです。

ルシファーさえ、人類にその姿を現しません。

(姿を見せたのは、アダムとイエスさまだけかな?)

観世音菩薩もそうですね。

ルシファーを見た、天国を見た、地獄を見た、というかたたちがYoutubeにビデオをアップしていますが、どれもうそくさいですw

生きている間に地獄を見ることは許されないとされています。

なので、より所は聖典のみです。

だれかが書いた書物です。

書いた目的は、すでに述べましたw

これで、ばいならですw

無神論者

神(の存在)を信じないヒトのことを「無神論者」といいます。

神を信じるひとたちから見ると、とんでもないヒトたちですw

神を信じるひとたちは、自分たちは神様から愛されていると勝手に思っています。

何かいいことがあると、それはすべて神の恵みです。

悪いことはサタンのしわざですw

英語の発音はセータンですw

サタンとは「敵」という意味だそうです。

「悪魔」という意味ではありません。

天使と悪魔といいますが、もともとは両方とも天使です。

天上から追放されて堕天使となったのが悪魔です。

「堕天使」というのをカッコいいと思っているのか、そういう名前のバンドやアーチストがいます。

あさはかですねw

「堕天使」がどんなにつらいものか、そのトップのルシファーのうらみつらみのひとりごとがミルトンの「失楽園」の冒頭に長々と書かれています。

渡辺諄一さまの「失楽園」ではありませんw

渡辺諄一さまの「失楽園」は原作を読み、映画も見ましたw

テレビドラマも見たかもしれませんw

くだらない内容でしたw

ミルトンの「失楽園」は、キリスト教を信じるか、信じないかにかかわらず、崇高な内容です。

こういう作品こそ、本物だと思います。

あっしら日本人は、冗談さえ深刻に受け取るバカと海外では思われているようです。

いわゆる冗談が通じないやつですw

ドストエフスキーの「罪と罰」、ダンテの「神曲」。

どちらも喜劇として書かれています。

基本的にジョークです。

それを妙に深刻に受け取って読んでいるのが日本人なのだそうですw

フランス文学者で作家でもある中村慎一郎さまが、どこかでそのように書いておられました。

私の好きな、あるいは好きだった作家は、なぜかみなさんフランス文学者です。

大江健三郎さま、辻邦生さま、そしてこの中村慎一郎さまがそうです。

辻邦夫さまは、新聞小説の連載途中にお亡くなりになりました。

「眞晝の海への旅」が好きです。

中村慎一郎さまは、「春・夏・秋・冬」の四季シリーズが好きです。

今ではうそくさいと嫌いになった大江健三郎さまは、「狩猟で暮らしたわれらが先祖」と「万延元年のフットボール」が好きです。

大江健三郎さまが「読まない」とのたまうw三島由紀夫さまは「豊饒の海」だけが好きですw

最近の作家の作品は、はなから読む気がしませんw

特に最近の女流作家の作品はごみですw

ノーベル賞を取るかどうかで話題になる村上春樹さまの作品も読む気がしません。

ノルウェーの森とか、カフカが出てくるしw

ノルウェーの森はビートルズだけで結構ですw

日本のミュージシャンは大嫌いですw

見るにも聞くにもたえません。

Gacktとかいうへんてこなつづりもうざいですw

ファンではありませんが、ご本人は素敵ですw

歌よりも、ドラマや映画の主役だといいなと思いますw

神(の存在)を信じるかどうか、どうでもいいです。

神を信じていると称するひとたち、けっこうエゴイストですw

神を信じていない人たちも、困ったときには神に助けを求めますw

神が存在するにしても、どこか得体の知れないところにおられますw

あっしらには関係がありませんw

おばかの天国

この世を何だと思いますか?

わたしは馬鹿の天国だと考えています。

うわっつらの楽しさだけを追い求める馬鹿が楽しく過ごす天国です。

わたしは今はのんきにブログを書いたりしていますが、

あることから4年以上の間、働きたくても働けない状況にありました。

(脳に損傷を負ったためです)

当時は翻訳者として生きていました。

しばらくして言葉が浮かんでこないという症状が現れました。

これって翻訳者にとって致命的なんです。

ふだんの会話さえ言葉に詰まるようになり、ひどいときには口は動いているのに声が出ない。

電話のときには本当に困りました。

好きな歌も歌えなくなりました。

そのうちに全身がむくみ始め、指で押すとかっけのように、ひっこんだままになりました。

においがずれて感じられるようになって、香水や花のいいかおりも得体の知れぬにおいになりました。

まぶたのはりが消えて、垂れ下がるようになりました。

おなかが風船のようにふくらみ、おしりはぺったんこになりました。

ほんとに醜悪でした。

歯茎が腐ってきて、息が腐った魚のようになり、歯を磨いても歯磨きの味がしないほどなのです。

仕事は減っていき、収入はどんどん落ち込み、税金や健康保険料が滞納するようになりました。

最初は貯金を取り崩して対応していましたが、1年が過ぎ、2年が過ぎ、3年目になると、もうアウトでした。

しかも、いつ直るのか、本当に直るのか、まったくわからない状態でした。

医者にかかるお金もなく、何度も食事のできない日々をすごしました。

兄弟などにお金を借りてやりくりしていたものの、それぞれの家庭があるので、いい加減にしろとどなられます。

働け、と言われます。何でもいいから仕事を探せと言われます。

ばけもののような体つきで、話すこともろくにできず、自分でも口臭がわかるような人間が仕事につけるでしょうか?

もちろん「いな」ですw

4年目になったとき、本当にもうあかんと思いました。

役所に出向いても、まず親戚兄弟、同居者が支援することになっているの一点張りでした。

健康保険証も滞納者用のに切り替えられ、医者にもかかれない状況なのに支払いを督促され、3ヶ月に一度、役所にでむいて「今後の支払い計画」を話さないといけないのです。

クルマはとっくに売り払い、お金もないので、役所までは歩いていきました。

ろくに食事もできないので、いつもけだるく、昼間でも横にならないとつらい状況が続きました。

絶望ってこういうことかと実感しました。

フツーに暮らしている人たちがすごくうらやましく感じられました。

楽しいことはひとつもありませんでした。

直接人と話すのが困難なため、facebookやSecond Lifeで時間を過ごしたりしました。

なので、はたからはただ遊んでいると思われました。

近所のスーパーへの買出しだけの毎日になりました。

値下げしてある品ばかりを買いました。

500円が高額に感じられました。

じっとしていると、自然と涙が流れてきます。

その涙さえ、出ないこともありました。

一体いつまで続くのか?

不安しかありません。

ネットの接続料金を払うのさえ、きつくなりました。

そのような何も変わらず、真暗闇の生活が永遠に続くと思われたある日、目覚めたときに何かスイッチが入ったような感触がありました。

え?

ええ?

何かが変わりました。

4年と数ヶ月を経て、おそらく脳の中で詰まっていた血管に血液が流れるようになった、そのような感触でした。

いつもぱんぱんに張っていたおなかが少しずつゆるんできました。

お尻の肉が少しずつふくらんできました。

まぶたもだんだんフツーの状態に戻ってきました。

途中、何度も死を考えました。

「いのちの電話」も利用しました。

「いのちの電話」はボランティアかと思っていましたが、役所の組織なんですね。

区役所のなんとかに相談されたら?という答えがかえってくるのですが、そこはすでに何度も通って門前払いをくっていたところでした。

区役所から年に一度ほどヒトがきましたが、用件は「昨年の収入を申告してくれ」というものでした。

私は、今、役所を信用していません。

ヒトが稼いだものを税金などで取っていって、困っているときに助けてくれないのですから。

役所の人間を見ると、むかつきます。

役所の建物すら、むかつきます。

相談に行っても「相談」にならないのです。

支払いを延期したり、分割納付にはしてもらえましたが、滞納分が上乗せされます。

減額とか猶予はないのです。

収入のめどが立たないのに「計画」、「約束」を求められます。

機械のようなひとたちですね。

税金だけでもいろいろな係りがあって、その間のコミュニケーションがないため、同じことをあちこちで何度も申し上げないといけませんでした。

自分のみじめな状況を、醜態をさらして話すのは、とてもつらい経験でした。

一方、「正常な」ひとたちの世界は、ただきゃっきゃっと笑っていればいいみたいなぺらぺらの世界になっていました。

なので、おばかの天国なのです。
1 | 2 | 3 | 4 | 5 | 最初次のページへ >>