イングランドとの決戦を制して、ついにクロアチアがW杯決勝進出を果たしましたね。

 

レアルマドリードのモドリッチ、バルセロナのラキティッチという世界屈指の中盤デュオを中心にゲームを掌握し、ユベントスのマンジュキッチ、インテルのペリシッチ、フランクフルトのレビッチの攻撃陣が鋭い矢となって何度も相手ゴールを襲撃。ロブレン、ビダの屈強なCBコンビが攻撃を跳ね返し、ブルサリコ、ストリイッチの両サイドバックが派手さはないが攻守に起点を作っていく。そして最後尾ではGKスパシッチが冷静で狡猾な判断から鋭く正確なセービングでゴールを守る。また相手や試合展開に応じてブルゾビッチ、コバチッチ、クラマリッチというカードを使い分けるチームとしての戦い方の柔軟性も見事。ここでいう柔軟性とは「対応する」という受け身的な意味だけではなく、そこから新しい力を生み出すうえでベースとなる「反発力」という意味も含まれています。

 

全人口430万人のクロアチアが成し遂げているセンセーション。いや、興奮しますよね。そして、こうした展開になると、「強さの秘密は?」「クロアチア式育成法」という言葉が躍りやすくなるものですが、彼らには何か特別なものがあったのでしょうか。

 

最先端のデータ分析?

最新鋭のトレーニング施設?

画期的なトレーニング理論?

 

クロアチアのスポーツは非常に優れていると世界でも高い評判を受けています。サッカーだけではなく、バスケットボール、ハンドボール、テニスも強い。そんなクロアチアのスポーツ事情について元代表FWで現在アシスタントコーチを務めるイビチャ・オリッチがビルト紙のインタビューでこんな答えをしていました。

「クロアチアにはドイツのスタジアムと比肩できるものは一つもない。インフラは最悪なんだ。政府はスポーツにほとんどお金を出してくれない」

 先日W杯親善試合取材で現地に行きましたが、確かにW杯壮行試合として行われたオシジェクのスタジアムは老朽化が進み、また隣にあったグラウンドはぼこぼこで、ネットの破れた錆びついたゴールが転がっているありさま。

 

 

同じ町にあるクラブの練習場にはきれいなグラウンドがありました。でも一面。他のヨーロッパ諸国と比べたら恵まれているとは言えない。

 

 

サッカー協会にも課題はたくさんあります。山ほどある。スキャンダルがメディアを騒がすのも珍しいことではないですし、マフィアやフーリガンの騒動も悩ましい問題。「完備されている」とはとてもいないサッカー環境です。

 

でも、誰もそんな環境のせいにしたりはしない。ないことを嘆くのではなく、ある中でできることに取り組んでいく。アイディアを出し合っていく。立ち止まるのではなく、前へと進もうとする。その精神が彼らのよりどころ。

 

決勝トーナメントに入ってからは3試合連続の延長戦となりながら、クロアチア代表選手の足は止まることがなかった。疲れてないはずがない。ボールがピッチ外に出るたびに、膝に手をつき、大きく息を吸い込む選手たちだが、再開されるとすぐにまた走り出す。全精力をかけて戦い続ける。最後の最後まで途切れることのない懸命なプレーに僕はほんとうに胸を打たれました。

 

決勝ゴールを決めたのはマンジュキッチ。その直前のシーンではGKと激しく交錯し、痛そうに地面に倒れこんでいたのに、目の輝きは消えることなく、さらに燃え上がっているようでした。監督のダリッチは「何人かの選手は片足でプレーしているようなものだった。交代したかったが、誰も変わるつもりの選手はいなかった」と明かして、マンジュキッチは「僕らはライオンのようにプレーしたよ。決勝でも同じように戦うさ」と話していました。

 

何が彼らを走らせるのか。何が彼らを突き動かすのか。

オリッチはこんな言葉を残しています。


「僕らクロアチア人はみんなファイターなんだ。才能だけじゃない。僕らはハードに取り組んでいるんだ、すごくハードに。だって、スポーツは僕らの情熱そのものだから」

ハングリー精神という言葉を使う人がいます。メンタルこそがすべてと声を大にする人がいます。僕も大事だと思います。とても、とても大事だと思います。

 

でも、その言葉に逃げ込んではいけないんです。だからこそ、です。だからこそ、正しい頑張り方を見つけて、身に着けていかなければならないと思うのです。ハングリー精神とは、大舞台で求められる強いメンタルとは、「追い込まれた先にあるもの」ではなくて、自分が心底ほれ込んだものと、どこまでもがむしゃらに向き合っていきたいという決意であり覚悟から生まれてくるものだと思うのです。

 

彼らがハードに取り組んできたのは「サッカー」です。「メンタル」はその結果。選手も指導者も関係者も、サッカーと真剣に、情熱的に向き合っているわけです。真剣にやれば当然ぶつかりあうこともありますよね。でもそのぶつかりから新しいアイディアが生まれてくるはずです。子どもでも大人でも、その中で活路を見出していく。駆け引きで優位に立つための経験が貯蓄されていくわけです。ハード面での環境は恵まれていないのかもしれない。でも、人として成長するための環境がそこにある。だから向上心は枯れることなく、野心を損なうことなく、タレントは花開いていく。僕はそのように感じています。

 

そのすべてがかみ合った時に本物のチームというのは生まれるのかなと思いました。モドリッチは「僕が代表チームでプレーするようになってから、今ほどみんなが一致団結していることはなかったよ。スペシャルなことだ」とコメントしていましたが、その道のりを考えると、ただただ感嘆の思いでいっぱいです。

 

上を目指すことは大切ですし、そのための準備を整えること、環境を作り上げることも必要でしょう。「育成哲学が・・・」「練習施設が・・・」。取り組まなければならないことでしょう。でも、それがないからできないというのでは先には進めない。道に沿って歩くだけが人生ではないし、道を作るのは誰かではない。なければ作ればいい。切り開けばいい。一人でできなければ手を取りあえばいい。つながりが生まれたらそれを広げいけばいい。その一つ一つが素晴らしい出会いであり、経験であり、チャレンジではないですか。

 

とりあえず僕はまたクロアチアに行ってみたい。もっと身近で感じてみたいなと思っています。

決勝戦、どんな戦いになるんでしょうね。楽しみです!

 

 

 

 日本だと時差の関係でワールドカップ観戦が早朝で大変なことと思いますが、こちらは普通の活動時間に試合が行われているので、観戦時間を作るのはそれはそれで大変です。日曜日の日本-セネガル戦もU8のサッカー大会があったので見れず。まあそれはそれとして。

 

 さて、今日同僚が休みなので一人でU8、U9の20人相手にトレーニングをしたんけど大苦戦。オーガナイズがあかんのか、内容があかんのか、コミュニケーションがあかんのか。練習を終えて家に帰ってからも10歳の長男に「8歳くらいのころどんな練習が良かった?」と相談したり、DFBが出しているジュニア指導用の教本を見たり、これまで書き溜めている自分のトレーニングメモを読み返したり。

 

 ただこう、芯を食うようなトレーニングのイメージがなかなか浮かんでこない。

 

 うーむ、難しい…。

 

 

 フライブルガーFCで見ているU16とかだと慣れているというのもあって、パッと出てくるし、出てきたトレーニングメニューをその場でアレンジしてポイントを絞ってコーチングしてと、スムーズにできる。でもトレーニングそのものとどう向き合うべきかというところ、サッカーそのものの楽しさと触れ合うべきところ、友達とわいわいふざけながら楽しみたいというところと、すべてが大切な小学校低学年代。そのあたりのバランス取りがまだ自分の中で身についていないのですね。

 

 トレーニングをどう円滑に、効果的に、効率的に、将来に向けての成長に結びついていくようにオーガナイズできるか。

 

 どうすればうまくいくかというふうに考えていくと、やっぱり選手数と指導者数のバランスや使えるグラウンドやゴール数が重要だなという考えに行きつきます。ちょうど先日、同じU8でコーチをする同僚と来季についての話をしていました。人数が多すぎるので絞りたいという彼。いまはただ楽しくやりたいという子と真剣にサッカーをやりたいという子で差が出てきてしまっているので、適正人数に絞るのは一つの案だと思います。でもただ楽しくやりたいという子を放りだすのは違う。だから他に指導者に回ってくれるお父さんを募集して、それぞれにあったチーム分けをしようと提案するつもりです。たぶん、何人かは手を挙げてくれるはず。どこに属するかではなく、彼らがやりたいサッカーができる機会を作ることの方がお互いにとってプラスになる。

 

 考えて見ると、その点で日本とドイツでアプローチが違うなと感じたんですね。

 

【ドイツ】

20人子どもがいる。どうしよう→適切なトレーニングができるだけの指導者が足らない→指導者を増やす。あるいは子どもを減らす→適切なトレーニングができるグルーピングをする→各学年で同じように調整してやっていく

 ⇒ 選手と指導者の割合のバランスを大切にし、選手それぞれの成長を重視

 

【日本】

20人子どもがいる。どうしよう→適切なトレーニングができるだけの指導者が足らない→でも将来的にどの学年・学校でも状況は大きく変わらないよ→指導者一人で対応できるようにしておかないと→小さい時から先生やコーチのいうことをよく聞くように徹底して指導していく

 ⇒ 大人数の選手でも管理できるような指導でコントロール

 

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 ちょっと雑な分け方かもしれませんが、そういう傾向はあるんじゃないかなと思います。学校の一クラス当たりの人数でもそのあたりの考えの違いは見えてきます。うちの長男が小学校に入学した時、クラスメイトのおばあさんといろいろと話をしていました。

 

おばあさん「ここの小学校は一クラス25人くらいでしょ。それだと先生一人でもしっかり一人一人と向き合えると思うの。町中の小学校だと一クラス35人のところとかあるでしょ?そうなるともう大変よ」

 

 この話から正直両国の違いをすごく感じました。だって日本だと一クラス40人以上というところもざらにあるじゃないですか。それにドイツはここ最近、30人くらいのクラスだと担任一人が見るのは大変なので研修生などをつけて副担任制度の導入を検討しているとこの前ニュースでやってました。一方で日本は逆に増やそうとしてませんでした?

 

 ドイツのやり方にももちろんデメリットはあります。それはそれぞれのクラブや学校のサポート力によっての差が大きくなってしまうということ。先生にしっかりとした能力と経験があり、両親に比較的理解があり、協力姿勢があり、互いにサポートし合える関係のところは子どもたちは本当にすくすくと育っていきます。でもクラブや学校任せになり、先生・指導者のバランスがうまくとれないところだと、子どもたちはほったらかし状態になってしまうこともあります。だからできない子はいつまでたってもできないまま、できる子も担任の先生がキャパオーバーだから全然先に進めない、という事態になってしまう。大都市の子どもが多い地域だとそういう事態になってしまうことも少なくないと聞きます。こぼれ落ちた子供たちを受け止めて、その子たちと向き合って、支えていくのか。この点はドイツが抱える大きな問題の一つではあります。

 

 なるほど、そう考えると、日本のやり方だとそうしたところに歯止めをかけられる可能性はもっているということもできる。ある程度の「グループワーク能力」を植え付けることができるし、ある程度の適応能力」を身につけることができる。それは一つ日本社会の教育におけるプラスだと思います。ただ、あくまでも日本式グループワークに適応するというところへの傾向が強すぎるので、それに合わない人が行き場を失い苦しむという副作用も包括されている点は忘れてはいけないでしょう。みんなで同じことをやることが美徳という感覚だけになるのもどうかなと個人的には思います。幼稚園や小学校の入学式で見たこともない、知らない大人の話をだまって聞かなきゃいけないというのは教育ではなく、修行ですし。そもそも合わせていくべき先にある「グループワーク」や適応するべき「社会観」が一昔前から変わらず、ちっともバージョンアップされないというのも問題ではないでしょうか。人間性というなんとなく小ぎれいで、でも結局何のことを言っているのかは当事者の解釈次第というのも困りものですし、そこの感覚を学ぶべきはずの道徳で点数がつけられるという話を聞く限り、間違った方向に進んでいませんかという危惧ばかりを感じてしまいます。

 

 ドイツのやり方だとうまくやると子どもたちは本当にすんごく伸びるという一方で、うまくいかないときのサポートや体制をもう少しきっちりと整えていく必要がある。日本のやり方だとうまくいかないとき用のサポートや管理体制はある程度できているかもしれないが、子ども本来の持つ能力を伸ばしていくための環境があまり作られていない。だから成長は結局子供の頑張り次第になってしまう。

 

 価値観の違いといえばそうなのだろう。僕個人としては、ドイツで僕ら夫婦も子どもたちもすごく成長しているという実感があるので、やっぱりそれぞれが成長できるための環境があるというのは大事だし、そうした環境づくりというのを大切にしたいなと思っています。日本にある美徳はそのままに、グループワークのあり方や求められる社会観を常にバージョンアップして、子どもたちが自分から取り組んで成長していけるための環境を整え、そのための指導者、教育者を正しく導く育成機関が作り上げる。知識ではなく成熟。日本の大学で教職免許を取った人がすぐに「先生」になれるのはすぐに変えた方がいい。名ではなく実を。

 

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 サッカートレーニングを考えながら、気が付いたらそんな教育のあり方について思いをはせていました。さて、次のトレーニング、どんなトレーニングをしようかな??ベストなことができないときはある。それはそれでしょうがない。だからといって何もしないでは僕にとっても子どもたちにとってももったいない。その中でよりベターなものを考えて、作り上げていく。そうした挑戦が楽しいではないですか。

 

 

 昨年WEBマガジンをスタートさせたことで、相当長い間ここのブログが手つかず状態のままだった。ブログの利用の仕方を考えあぐねていたが、一般受けするテーマではなかったり、WEBマガジンの特集ともテーマが合わない話はたくさんある。自分が書きたいこと、取り上げたいことを、自分のペースで、自分のリズムで書けるという場はやはり必要だなと思う。今回ワールドカップ開催中は、試合分析やゲーム内のポイント、興味深かったシーンについて、ここで取り上げていきたい。更新頻度は正直まちまちになるだろう。今週から来季から指導するフライブルガーFCのU16が本格的に始動する。そちらの準備で気持ちも時間も取られることが大いに予想される。だから、ここに書くことがストレスにならないように、むしろここで書きたいことを書くことを楽しめるようにやれたらと思っている。

 

 開催国ロシアがサウジアラビアに5-0で大勝という派手な開幕戦のあとも、各グループで興味深い試合が続いている。ここまでのところ優勝候補とされている国々は軒並み苦戦している。フランスは幸運もあり、オーストラリアに何とか勝利したが、スペインはポルトガルに3-3で引き分け、アルゼンチンもアイスランドに苦しめられて引き分けどまり。そして昨日はドイツがメキシコに負けた。

 

 W杯の開幕戦でドイツが敗れたのは82年大会以来となる。地元紙では「恥ずかしい敗戦」「今後に不安」という内容の記事が多く、大会前の「本番になれば大丈夫」という楽観ムードは一気に吹っ飛んだ様相だ。確かにドイツは「前大会王者」として納得させられるものは見せられなかった。昨日一緒に試合を観戦していた友人らも「今日のドイツは全然良くなかった。簡単にボールを失い、何度もカウンターからピンチをうけた。チャンスらしいチャンスも少なかったし」とがっかり。

 

 ではなぜ彼らはパフォーマンスを発揮することができなかったのだろうか。

 

 最大の要因はメキシコの対策にある。代表監督ヨアヒム・レーフ自身が試合後に「メキシコはこちらが予想していたのと違うやり方でやってきた」と驚いたように、入念に練り上げられた対ドイツの策略で先手を取り、試合の流れをコントロールすることに成功した。

 

 ドイツはボールを保持すると高いポジションを取る。それは「攻撃的な気持ちを忘れずに、常にアグレッシブに相手を押し込んで、試合の主導権を握り続ける」という基本哲学からきているものだ。ビルドアップ時には右サイドのワイドはのポジションはキミッヒが一人でケアし、左サイドにはクロースが流れ、CBとゲームメイクを担う。左SBのヘクターは高い位置を取り、左MFのドラクスラーとのポジションチェンジをしながら、サイドとセンターの間にあるハーフスペースで起点を作る。トップ下のエジルは相手ボランチ脇の死角にタイミングよく流れてパスを受け、攻撃のスイッチを入れる。空いたスペースにはケディラがボールを持ち込み、相手守備を動かす。ミュラーはミュラー。流れを読む独特の感覚を生かしながら、ゴールに直結するポジショニングを探し続け、CFベルナーが常に裏スペースに顔を出して相手守備を引きはがす。

 

 ボアテング、フンメルス、クロースは近くの選手とのパス交換だけではなく、ボールを動かしながら縦へのパスコースを常に狙う。ドラクスラー、ミュラー、エジルらは相手守備から離れる起点の動きを繰り返しながら、ほかの選手にパスが入った時にすぐサポートに動ける距離感を壊さない。タイミングよく縦パスが入るとそこからダイレクトパスを織り交ぜたコンビネーションでスペースを攻略。もらいに来る選手、裏に抜けていく選手が連続の動きを見せていく。

 

 センターのスペースを消されたら、サイドで起点作りだ。特にキミッヒのアクションバリエーションは大きな強み。ワイドに開いたときにそこから相手SB裏のスペースが取れる時はダイレクトでパスを流す。狙いどころの一つであるこのエリアには、攻撃的選手が常に意識して流れ込む。相手がブロックを築いているときは、まず例えばエジルがサイドへダイアゴナルに走りこみ、相手の気を引き付け、それと交差するように中のスペースに顔を出すミュラーへパスを入れる。そこからサイドのエジル、あるいは前に上がってきたクロースやケディラへのパス、もしくは中に入ってきたキミッヒを使って、シュートに持ち込ませることもある。そこで動きを作ってから、あるいはそうした動きを飛ばしてのキミッヒのシンプルなクロスも怖さがある。精度が高いパスはそれだけで一つの武器だ。

 

 左サイドのヘクターは所属クラブでボランチでもプレーしていることもあり、ハーフスペースに入りこんでのプレーが得意だ。大外をドラクスラーに任せて裏のスペースに抜け出したり、ペナルティエリア内でパスを受けたり、ドラクスラーが中に入りこめば、外に回り込んで相手を揺さぶったりと、状況に応じたプレー選択ができる。

 

 メキシコはこうしたドイツの狙いをことごとくつぶしていった。第一にクロースへのマーク。トップ下で起用されたベラがクロースへ密着。ベラがいけないときでも必ず誰かがマークに行く。特に前半、クロースを経由しての攻撃がほとんどなかったほどに徹底していた。フンメルスサイサイドの守備を強化し、そこからの縦パスを封じた点も大きい。試合から遠ざかっていたボアテングは普段であれば鋭い縦パスを通して攻撃でも大きな貢献をするが、この試合では時折見せるライナー性のサイドチェンジ以外うまく絡むことができなかった。なぜここまでパスコースができなかったのか。

 

 マークをする際、教科書通りであれば相手選手の後ろにつくことがセオリーとされている。だがそうすると足元へのパスを防ぐことができない。ドイツ代表レベルの選手であれば、足元に一度収めたら、そこから周りの選手を使って前へとボールを運ぶことができる。だからこそ、足元にもパスを入れられてはいけない。メキシコはボールサイドにスライドしながら、パスをもらおうとする相手の前後を挟み込めるように守った。サイドチェンジを許さないように相手ボールホルダーにプレスをかけ、マンマークとゾーンを使い分けながら局地戦で優位に戦う。だからパスもなかなか出せないし、出してもインターセプトに会うことが多い。

 

 ただ、中盤での守備を強化し、それを連続してやっていくためには相当の運動量とバランス感覚が必要だ。それぞれがクオリティを損ねることなく、普段の1,5倍は走らなければならない。そして中盤での守備を機能させるためには、余裕をもって攻撃できないように常にボールホルダーにへとすぐ距離を詰めていくことが必須条件になる。前述のクロースへのマンマークもそうだし、サイドへのパスコースを開けておきながら、キミッヒやプラッテンハルトにパスが出ると、メキシコ選手はすぐにケアした。パスの出しどころのないキミッヒが二人に囲まれて苦しむシーンが何度もあった。メキシコは自分たちの持つスピードと運動量をベースに、それをさらに研ぎ澄ませていった。

 

 カウンターの切れ味も素晴らしかった。この点でいえばハビエル・エルナンデスのポジショニングが何より大きな違いを生み出した。ボール奪取の瞬間これ以上ないタイミングでこれ以上ないコースに顔を出し、正確でスピードを殺さないポストワークで何度もカウンターを生み出した。いいポジショニングとはフリーかどうかではない。味方がボールをもって顔を挙げた先に自分が見えるかどうかだ。エルナンデスにパスが入る。中盤選手がサポートに入り、落とされたボールをすぐに縦に展開する。ロツァーノはゴールを決めただけではなく、左サイドから何度も猛威を振るった。パススピードは常に速く、そして正確。それぞれがボールを巧みに操り、うまさを見せることもできる。でもそうした選手がみな、チームのために気合を入れて、走り、戦い、体をなげうち続けた。素晴らしいの一言。これはメキシコだけが見せた姿ではない。スイスも、アイスランドも、オーストラリアもそうだった。これがなければ何もできないというスタンダードの確かさと正しさと大切さを、まざまざと見せつけてくれた。

 

 ドイツの攻撃時のポジショニングはそもそもボールを失わないことを前提条件に考えられたものだ。失うにしても、すぐのカウンターを許さないように周りの選手がすぐにアプローチをしてボールを奪い取るか、下げさせるかして対応できなければならない。だから数的有利が作れていて、そこからギアを入れてリスクを冒してチャレンジするエリア以外での不用意なボールロストは極力避けるようにしている。すぐに相手のカウンターに直結してしまうからだ。他の国もそこがねらい目だというのはわかっている。欧州予選でもそうしたアプローチをしたチームはあった。だがボールを獲れずに逆に追い込まれてしまう。そういうサイクルを作り出すことでドイツは常に優位に試合を運んできた。

 

 だが、自分たちのリズムで戦えないとドイツといえども、普段ならあり得ないミスが出てくるものだ。ドイツ選手は守備時にあまりに安易に飛び込んでは交わされていた。足を出すだけの守備はまるで怖くない。止めるべきところで止めれず、防ぐべきコースを防げずにズルズルとラインを下げる。守備組織の再構築がスムーズにいかないので、4バックの距離と高さがばらばらで、両SBの裏スペースのみならず、フンメルスとボアテングのセンターでも基本的なミスが目立ってしまった。戦術的にみれば、CBが前に飛びだしてセンターのスペースが明けたままになるというのはあり得ない。両サイドが中に絞って対応しなければならない。ドイツ代表選手がそのことを知らないはずがない。メキシコのプレーが、ドイツに当たり前のことを当たり前にできない空気を作り出したのだ。サッカーは相手があるスポーツ。勝つためには相手を上回らなければならない。

 

 

 

 ドイツにも確かに決定機はあった。後半、マルコ・ロイスが投入されてからは活性化し、前半には全くなかったスペースをつく動き、スペースを作る動き、スペースと使う動きがみられだした。だが、どこか力を出し切れないまま終わってしまった印象だ。歯車がかみ合わないことには気づいているし、何とかかみ合わせなければと思いながらも答えが見つからず、無理やりずれているまま走り続けているようだった。

 

 メキシコは間違いなく最高のプレーをした。この試合を勝つにふさわしい試合をした。ドイツはタイトル防衛という大きな目標を成し遂げるためには、こうした「王者対策」をしてくる相手を凌駕していかなければならないのだ。次のスウェーデン、韓国戦も簡単な試合にはならない。自信と慢心をはき違えていたら、ドイツのワールドカップはあと2試合で終わるだろう。直近4大会中3大会で前回王者がグループリーグで敗れるという嫌なジンクスもある。02年フランス、10年イタリア、14年スペイン。ドイツもそうなってしまうのだろうか。あるいはここから這い上がってくるのだろうか。

 

 

 

 

 

 

 

「根性論」は絶悪?

テーマ:

僕は指導者として理想を探し求めている。そして可能な限り多くの人が、可能な限り深いところまで探求してほしいと願っている。どんな指導者が大切かは以前ここのブログでまとめさせてもらったので、まだ読んでない方にはそちらも読んでもらいたい。

 

「優れた指導者の定義とは?」

https://ameblo.jp/robby1977/entry-12294189234.html

 

もちろん、こんな風に取り組める指導者が増えたら素晴らしいし、そうなってほしいし、そうなるために僕は活動を続けていく。でも、理想の求めすぎはよくない。誰もかれもが挑戦できる環境にいられるわけでもないからだ。

 

理想ばかりを見てしまうと、「あいつはダメだ」とそこから外れた人間に手を差し延ばさなくなってしまう。外れてしまった人はどうなる?自己責任?しょうがない?大人に対してはそうかもしれない。でも子供たちは?彼らは一過性の過ちを犯してしまったかもしれない。でも、一度レールから外れたらもう戻れないの?

 

今の日本社会でみんながサジを投げた子らはどこまでも落ちていく。そんな子には支えが必要だ。そうした場合には「根性論」「精神論」大いに結構だと思う。踏みとどまる強さが必要だから。そこから歩き出す勇気が必要だから。中途半端に「文武両道」「自主性」という言葉でごまかす指導者よりよっぽど真摯だと僕は思う。

 

子どもたちみんながみんなちゃんとした環境で大きくなれているわけではない。いろんなことを抱え込んでいる子供達がたくさんいる。それまでの出会いは自分で選びきれるわけではない。全ての指導者、教師、両親がいい人ではない。だからそれ以前に子供達に関わっていた大人全ての、いろんな現場での尻拭いをしてくれている人々を批判すべきではない。

 

「適切なコミニュケーション」「適切な負荷」「社会的な見地」「有効な人間関係」

そうしたものがない環境で、そうしたものに絶望し、あらゆることを諦めてしまっている子供たちが目の前にいたとしたら・・・。そう考えたら、僕が今ちまたで噂の彼(https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20170812-00000006-nkgendai-base)の立場で指導者になったら、同じようにまず厳しく接すると思う。何がダメで、何がいいのかの線引きを毅然と引くことが、何よりもまず大事になるから。

 

我々がしなければならないのは糾弾ではなく、我々反省できる立場にいる人間が反省し、対策を練り、今後につなげていくことではないだろうか。

 

彼のような指導をする人が小学校、あるいはその下の年代にいることが大問題なのだ。そしてもはやこうした指導が必要ではない、せっかくもっと選手としても人間としても成長できる環境にいながら、暴力・人格否定・オーバートレーニングばかりで、子どもたちが解放されて跳ね上がっていく機会を潰していく自称強豪クラブ・学校の育成指導者・保護者が問題なのだ。

 

こうした事態を自認した上で、子供達に関わる全ての大人が、それぞれの立場で自問自答し、改善策を論じ合わなければならない。

 

だからネットワークが必要なのだ。縦だけではなく、横だけではなく、同じスポーツ内、同じカテゴリー内だけではなく、サッカー界だけで何とかなる話ではない。オープンで、建設的で将来性へと繋がるネットワークが。

 

ボトムアップだけではなく、トップダウンだけではなく、

子どもそれぞれの特性に合った接し方が当たり前にある環境を作り出し、

指導者それぞれの得意なやり方を生かしながら進んでいく。

 

我々にはまだまだやらなければならないことが無尽蔵にある。

 

 

友よ

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出会いは全てある種の偶然だ。それぞれの出会いがどんな物語に繋がるかは誰にもわからないし、そのままで縁となることはないだろう。偶然の出会いから生まれた機会を大事にし、手繰り寄せようとするから、ふとしたタイミングでお互いの距離を一気に縮めてくれたりする。

 

僕もそうして人生の恩人となる友人と知り合った。ローランド・ベッケルト。05年だったと思う。僕はFCヴォルフェンバイラー・シャルシュタットという当時8部リーグに昇格したばかりのクラブに移籍した。ローランドはそこの会長だった。

 

僕は問題を抱えていた。海外生活で一番厄介なのはやはりビザに関してだろうが、当時の僕はフライブルク大学を中退となってしまい、完全に途方に暮れていたのだ。そんな僕を助けてくれたのがローランドだった。本職弁護士の彼は「助けられるかもしれないから、事務所に来なさい」と手を差し伸ばしてくれ、あらゆる可能性を考えてくれた。その後無事に就労ビザを得ることができ、自分が今もドイツで生活できるのは紛れもなく彼のおかげだった。

 

そんなローランドが亡くなったと今日ある友人から聞かされた。数ヶ月前に突然倒れ、そのまま他界してしまったという。64歳だった。昨年12月の現役引退後、クラブの連絡網から離れていた僕はそんな大事な事態を全く知らないでいた。南バーデン州サッカー協会にも長年にわたり、様々な役職を歴任し、シャルシュタットでは30年間ユース責任者と会長としてクラブを支えていたローランドの葬儀には、多くの人が弔問に訪れ、故人との別れを惜しんでいたと聞いた。

 

彼との思い出が蘇る。どんなときでも前向きで、いつあっても笑顔で話しかけてくれた。プレーしながらトップチームのコーチをした年があったが、その時はもっと上を目指すべきだと直談判したこともある。こちらが感情的になってしまい、怒りをコントロールできなくなっても、動じることなく受け止めてくれた。

 

8部から7部への昇格戦出場を決めた時には、僕の背中が赤く腫れるくらい力一杯叩きながら喜び合った。いつかのクラブイベントで室内サッカーで対戦した。20歳以上年上のあなたの強靭なチャージに吹っ飛ばされたことを今でも鮮明に覚えている。3年前、本帰国を一度決断した冬、クリスマスパーティで記念品を贈呈してもらった。育成指導者、トップチームの選手として長年クラブのために貢献してくれてありがとうと言ってもらえた。その言葉、あなたにお返ししたかった。

 

彼のような人がいる。

ドイツでも、日本でも、世界のあらゆるところに。

サッカーを愛し、クラブを愛し、街を愛し、人々を愛する。

彼らを中心に人が集まり、笑い声が重なり、喜びが膨れ上がり、悲しみを共有する。

 

スポーツ少年団ではなく、ジュニアユースチームではなく、部活のような単独チームではなく、幼稚園からジュニア、ジュニアユース、ユース、そして成人、オーバー40と各カテゴリーのチームが1つのクラブとして存在するドイツ。

 

継承があるのだ。

どこまでも途絶えることのない人の繋がりがあるのだ。

 

死別は悲しい。まだ整理がつかないくらい悔しい。

でも、彼と知り合い、共に時間を過ごし、

同じ空間を共有することができた幸運に心から感謝している。

 

そして改めて思うのだ。

ああ、彼と出会えたのもサッカーのおかげなのだな、と。

 

サッカーは素晴らしい。

理屈とか、理論とかではなく、

離れることのできない引力がそこにある。

みんなそれぞれ真剣にサッカーと向き合いながら、

でも自分が願うサッカーを渇望して、

やきもきしながらプレーをし、指導をし、応援する。

それでいいのではないかと思うのだ。

乱暴に言ってしまえば、

上手くなろうがなれまいが、大したことではないではないか。

みんな今の精一杯と向き合って、

明日のより良い自分を願って、

ボールを追いかけているのだ。

必死に食い下がって、

上のレベルに行けたら、

プロになれたら素晴らしい。

誇るべきことだろう。

でもプロになることだけが到達点ではない。

 

「僕はサッカーと生きてこれて良かった!」

と僕は胸を張って言える。

何度でも、大きな声で。

 

ローランド、そしてシャルシュタットというクラブは、

知り合いもいないまま渡ったドイツで自分が見つけた最初の家族なんだ。

異国の地で触れ合えた暖かさ。

まだまだ拙い僕のドイツ語を辛抱強く聞いてくれた。

あなたのような大人になりたいと、今も思っている。

 

ローランド、

もう一度会いたかった。

もう一度話がしたかった。

もう一度一緒にサッカーがしたかった。

もう一度愛するあなたのためにサッカーがしたかった。

 

今は、どうか安らかに。

 

僕はあなたから授けられた全てを、

次の世代へと引き継いでいく。

ツイートでこんなことをつぶやきました。

 

「あ、あとA級ライセンス講習会で仲良くしてた同期がドルトムントセカンドチームの監督に就任したので練習見学に行く予定。 指導者としての才能は当時からすごかったし、いずれブンデスリーガまで行くのだろうか。資質がある指導者がしっかりと評価される環境はどうやったら作り上げられるのだろう。」

 

「指導者を公募して集まった人の中から選ぶのか、縁つながりで自分たちの輪を重視するのか、自分たちに必要な人材を求めて主体的なアプローチで探しに行くのか。 ヨーロッパだと指導者へのスカウティングネットワークも相当築かれている。「優れた指導者の定義」がしっかりしてるからできることかな。」

 

フォロワーの方から『「優れた指導者の定義」とはなんでしょうか?』という質問を受けましたが、限られた文字数で答えるのは難しいので、こちらでお答えしたいと思います。

 

僕なりの第一条件はこうです。

 

「好奇心旺盛な指導者」

 

あらゆることに好奇心をもって指導に取り組めているかどうかは指導者の大前提としてすごく大事なことだと思います。

 

でどんな要素を持った指導者が優れているのか。

 

「選手が自分の足と頭で主体的に向き合っていくように導ける人間性を持っていて、ピッチ内にもピッチ外にも様々な可能性(ポジティブ、ネガティブともに)があることを知っていて、それぞれの可能性がどんなものかという詳細な知識を持っていて、何をいつどのように伝えるかの知恵を身に着けている人物」

 

これだとちょっとわかりずらいと思うのでさらに説明していきたいと思います。

 

【指導者に求められるもの】

 

いきなりサッカーとは少し話が離れますが、映画「マトリックス」の劇中で主人公がこんな言葉を言われるシーンがあります。

 

"Ich kann nur die Tür zeigen.Durchgehen muss du allein."

 

何でドイツ語かっていうと、ドイツ語で見たからですね。ドイツ語の方がとてもしっくりくるんです。日本語に訳すと「どこにドアがあるかを指し示すことはできる。だがそこを通り抜けるのは君一人でだ」となります。

 

これがまず指導者に求められていることではないかなと思うのです。

 

世の中には様々な「ドア」があります。サッカーの世界でもそうです。プロ選手になるだけが唯一無地の道ではありません。仕事をしながらサッカーと生きていく道もたくさんあるわけです。自分のレベルと環境にあった形で生涯通してサッカーと携わっていくという可能性を知らない指導者の下だと、プロになるか否かという極論だけになりかねず、追い込むだけ追い込んで高校年代で引退というパターンが減ることはありません。

 

海外でプレーをする、海外のどこで、どのようにプレーをするという選択肢もあるわけですね。あるいは選手としてだけを考えるのではなく、現役引退後のことも念頭に置いて育成年代、あるいは海外留学中に自分に投資をすることの大切さを伝えられるかも重要です。投資をするとは資格を取る、語学を学ぶ、スポーツ学と向き合う、指導者を志すなど、自分の今と将来に必ずプラスになる、さまざまな時間とお金のの使い方を意味します。

 

欧州のプロサッカークラブでサッカーだけをやらせるところはないはずです。ブンデスリーガクラブであれば、大学入学資格となるアビトゥーアをギムナジウム(日本でいう中高一貫進学

校)でとることの大切さを常に選手に訴えてますし、それ以外でも職業資格を取らせるなど、サッカー選手としてだけではなく、一人の人間として社会で生きていくための礎作りを重要視しています。

 

指導者はどこにどんな「ドア」があり、そこを通り抜けるとどんな世界があり、そこを通り抜けるにはどんなことをしなければならないのかの詳細な知識がなければなりません。

 

それがあったうえでそのドアの前まで選手を導く。でもそのドアをくぐるかどうか、潜り抜けられるかどうかはその選手次第。

 

大人の中に「子供のために」と思いこみ、ご丁寧にドアの前まで手をつないでいき、ドアを開けてあげ、ドアの中に道を作ってあげ、ゴールまで何も起こらないようにしておこうとする人もいます。でもそれは社会科見学以上のものにはならないわけです、体験もしていないわけですから。

 

【ピッチ上だと?】

 

ではピッチ上で起こる現象についてはどうでしょうか。

 

例えば「子どもの自主性を重んじる」という考え方がありますよね。で子供たちのやりたいようにだけやらせると。自主的な取り組みは大事ですし、子どもだけの時間も必要です。

 

ただ、「このレベルの子どもたちが、この人数、この広さ、このルール下でゲームをしたら、おそらくこんな現象が起こるだろう」ということが分かったうえで見守っているのと、何のイメージもないままただゲームをやらせるのとでは雲泥の差が生まれます。

 

前者の場合は、そこで生じうるミスを選手に認知してもらうためにあえて「何も言わない」という選択肢の一つを持っているということになります。だから、「なかなかうまくいかない時にタイミングよくストップをかけて、生じたミスについて指摘する。解決策の一つを提示する。そしてまたプレーに戻す」ということができますが、後者の場合は何も起きないまま終わることが多いです。

 

例えば子供のころから戦術指導は必要か、という論争がありますが、そもそも戦術ってなんだ、とか、戦術を浸透させるために年代別にどのようなアプローチが必要か、という知識がないと、この議論をする意味がありません。僕の考えでは、間違いなく戦術を伝えることはサッカーを始めたその時から必要ですし、幼稚園児でも簡単で原則的な戦術はちゃんと理解することができます。「小学生には難しい」とか「枠に閉じ込める」といいますが、子どもの遊びには、必ず戦術に相当するものがあるはずです。子どもたちはどうすればその遊びに勝てるのかを模索してやります。鬼ごっこにだって、「誰かの近くで一緒に動きながら、鬼が的を絞り切れないように逃げる」みたいに彼らなりの「戦術」があるわけですから。

 

逆に言うと、「戦術がその選手の行動を狭めて枠に閉じ込める」という状態になっていたとしたら、身に着けたそれは戦術ではないはずです。それはただの強制ですから。戦術は選択肢を狭めるものではなく、選択肢を明確化するための判断材料です。

 

だから育成指導者は戦術に関するすべてを網羅しなければなりません。そうでないと全体図からシンプルなところへの落とし込みができないからです。

 

フットボリスタに挙がっているDFB主任指導者育成教官フランク・ボルムートのインタビューにこうあります。

 

■戦術についてはどうでしょうか? 戦術的な柔軟性は重要なテーマになりますが、ぶれないベースがなければチームは揺れ動いてしまいます。

「指導者は戦術におけるすべてをマスターすべきだ。個人、パートナー、グループ戦術からチーム戦術に至るまですべての分野でだ。マスターするとは、選手のどこに改善すべき点があるかを詳細に分析し、それを本人に伝えられることだ。もちろん戦術がすべてではない。戦術を遂行するための条件は技術だからだ。正確なパス技術がなければ、ベストな攻撃戦術はできないだろう?」

 

こうした全体のメカニズムがわかれば、どんな要素も一朝一夕にマスターできるようになるわけではないことがわかるはずです。そして「やっていること」、「やろうとしていること」がすぐに身に付くわけではないことを知っている指導者は「わからないこと、できないこと」に目くじらを立てて感情的になることはありません。できるようになるためには様々な段階を経て、時間をかけてしっかりと身に着けていかなければならないものだからです。

 

ブンデスリーガクラブであっても、新監督が就任して戦術がある程度浸透するためにはどんなに優秀な監督で、どんなに優秀な選手がそろうチームでも半年以上はかかります。納得がいくオートマティズムを手にするまでは数年は必要でしょう。ペップ・グアルディオラ監督のバイエルンも、ユリアン・ナーゲルスマン監督のホッフェンハイムもそうでした。

 

【人間性はベース】

 

戦術以外ではどうでしょうか。フィジカルに関する知識、メンタルに関する興味、データ分析への理解、人間関係へのケア。どれも重要です。優れた指導者は様々な要素に気を配れなければなりません。すべての要素に対して専門家並みの力量を持たなければならない、というわけではありません。でも、すべての要素に対してリスペクトをもって接するかどうかは、大きなポイントになるはずです。

 

ドイツ代表監督のヨアヒム・レーフ監督は全スタップの声に非常にオープンな態度をとるといいます。分け隔てなく、しっかりと相手の意見を聞きレ、ディスカッションをし、そのうえで最後の決断に関する責任を毅然とした態度で担う。

 

人間性が何よりのベース。そして人間性とは「人がいい」とか「つねに上機嫌」といった現象面のことではなく、「自分の意見を持っている」「相手へのリスペクトを持っている」「相手の意見に耳を傾けるし、自分の意見を口にする」「取り組むことへ責任感を持っている」といった言動に関わることが大事であり、またミスをしたり、感情的になってしまうというネガティブなことも含まれています。指導者は万能の存在ではない。だからこそ相手のミスにも寛容になるべきだし、自分のミスに謙虚でなければならない。

 

そのうえで、戦術、トレーニング理論、心理学、教育学、教授学、スポーツ生理学、発達学などあらゆることへの専門知識と好奇心をもち、忍耐強く深い愛情をもって選手や関係者の成長と向き合っていくことが求められるのだと思います。

 

そしてこれまでの知識のフィードバックとアウトプット、そして先鋭化できるかどうか。これも「好奇心」と関わってくるところです。今までがいいから、これからも大丈夫というわけではない。

 

ちょっと乱暴にまとめると「好奇心x(人間性+専門知識+相手のアイディア)」となるでしょうか。ぼくもまだまだ探求の旅を楽しみながら、続けていきたいと思います。

 

 

 

【テーマ】

「世界王者ドイツのサッカー:スタンダードとトレンド」

 

ドイツの育成現場を知るコーチの話と
ユーロ2016フランス大会やCL決勝の写真とのコラボ講演会
+育成の実技講習!

 

【内容】

一枚の写真から何を、どこまで読み取れるのだろうか。

CL決勝撮影から戻ったプロカメラマンがとらえた写真を

指導者目線で紐解き、トレーニングへの落とし込みまで考察する初のコラボ企画!

 

-Cロナウドが得点を量産できる秘密

-世界トップレベルの選手が見せる本物の”デュエル”(1対1)

-連続写真が示すスピードの生かし方

 

【日時】

6/18(日) Jグリーン堺にて
17時-19時:講演会@会議室
19時-21時:実技講習@フットサル場
参加費用:¥3,000-
募集人員:50名

 

【講師紹介】
中野吉之伴:
育成コーチ。ドイツ、フライブルク在住。
FCアウゲン(ドイツ) U-15監督 U-15・4部リーグ
ドイツサッカー協会公認A級ライセンス保持。

 

山田一仁:
フォトグラファー。ロンドンを拠点にプレミアリーグ、チャンピオンズリーグ等を取材。プレミアリーグ撮影ライセンスを日本人フリーランスフォトグラファーとして唯一保持。

プロカメラマンがファインダー越しに捕らえた世界から、指導者目線でトップレベルのプレーを紐解いていく。

 

【応募方法】

詳細については

 

kazphoto@nifty.com

 

までお問い合わせくださいませ。

 

 

中野吉之伴

【告知】

6月23/24両日に指導者講習会を開催することになりました。

 

テーマは「最適なトレーニング構築のための原則」。

項目として以下を予定しています。

1:育成とは?育成年代の指導者のあり方
2:分析に必要な戦術的注目ポイント
3:年代別特徴と性質から探るトレーニングの最適化
4:課題から考察するトレーニング構築法
5:コーチングの基本

 

話を聞くだけではなく、トレーニングを見学するだけではなく、自分でトレーニングメニューを考え、実際にトレーニングをして、他からフィードバックを受ける。

 

「話を聞いていいなと思ったことを取りれたいと思います」

 

とはよく聞く話ですが、「いいな」と自分が思う点が本当に正しいのかどうか、どのような捉え方が適切なのかを考える機会を持つのは非常に重要なことだと思います。

 

一人一人と向き合える時間を多く持てるようにとワークショップ参加人数を10人限定とさせていただきました。「講義⇒ワークショップ⇒実践⇒フィードバック」の全工程を通すことで、いろいろな気づきがあるように、こちらも最大限の準備で臨みたいと思います。

 

皆様のお越しを心よりお待ちしております。

よろしくお願いいたします。

 

中野 吉之伴

 

※料金設定

ワークショップ(6/23・24全日程参加。お一人8,000円。限定10名。ソルティーロ関係者7,000円)

講義のみ(6/23 18:30~21:00 お一人3,000円。先着30名。ソルティーロ関係者は2,500円)

見学のみ(6/24 10:00~12:00 お一人2,000円。ソルティーロ関係者は1,000円)

講義&見学(お一人計5,000円。※6/10までにご予約いただいた方は4,500円)

 

お申し込みはこちらのフォーラムからよろしくお願いいたします。

https://docs.google.com/forms/d/e/1FAIpQLScLEjynHiRuTWkwmTXleYHKqc6ZxoK_a2ZXq1zBo6iAFjcavA/viewform?c=0&w=1

 

南三陸訪問記-2015年1月-

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 今日は3月11日の前日。この時期には毎年いろいろと思うところがあります。もちろん震災とはこれだけではないです。阪神大震災を忘れることはできませんし、最近だと熊本でも大きな地震による被害がありました。日本を遠く離れて暮らしている僕とすると、遠く離れて何もできない無力さにさいなまれることが多々あります。とはいえ一個人が何もかもをできるわけではない。でもできないからと何もしないのももったいないと思うのです。何ができるかは人それぞれ。状況も環境も違いますから。僕は自分が動ける範囲内で、可能な限りの活動をしていこうと思っています。

 

 2年前に宇都宮徹壱さんのメルマガ「徹マガ」に寄稿させていただいた南三陸訪問記をここに転載します。実際に現地に赴き、肌で感じ、人と触れ合い、次へのつながりを探っていく。そしていつかではなく、いけそうなときには「動こう」とまず決める。6月に1か月ほど一時帰国することになりましたので、何とか機会を作ってまたぜひ訪問しようと思っています。

 

 そして、ブログへの転載願いに快くオッケーしていただいた宇都宮さんにこの場を借りて感謝申し上げます。ありがとうございました!

 

 

 

「みなさん、ここからの景色を見て言葉を失くされます」

 

 これは南三陸町志津川中学校神谷教諭の言葉だ。その日私は同校サッカー部の臨時コーチとして宮城県南三陸町を訪問していた。到着した私をサッカー部顧問を務める神谷教諭がバス停まで迎えに来てくれた。志津川中学校はかなりの高台にある。下から見上げると、かなり急な斜面に作られた階段を子どもたちが登っていた。車で正門前に着くと、神谷先生は私を町を一望できる場所に案内して、まずそこに掛けられている一枚の写真について説明してくれた。

 

「これが、震災前のこの辺りの景観なんです」

 

 

 2007年9月8日撮影と記載されている。私達がイメージする素朴できれいな港町の写真。真ん中に道路が走り、その両脇に民家が立ち並んでいる。港に近づくにつれ建物の数は多くなり、その向こうに青い海が広がっている。

 

 写真から目を離し、顔を上げて今の南三陸町、あの東日本大震災から3年10カ月たった南三陸町を見てみた。何もなかった。いや、実際には何もないということはない。バス停前には復興商店街が作られ、道路脇にはファミリーマートもあった。全てまだ仮設だが、人々が暮らす息吹を感じることはできた。

 

 それでも高台から震災前の写真と比べると、「何もない」とどうしても感じてしまう。あまりの違いに言葉を失った「みなさん」の気持ちがわかる。震災直後ではなく、3年10ヶ月も経ったはずなのにという思いが交錯してしまう。自分の中にある時間の概念だけでものを考えていたのだ。改めてあの震災における被害の大きさを思い知らされた。そして当時ここから遠く離れたドイツで見た映像を思い出した。呆然と漠然とした思いで立ちすくんだのを思い出した。

 

 そもそもなぜ私が今回ここ志津川中学校を訪れることになったのか。きっかけは3年前に自分で行ったチャリティイベントだった。震災の報を聞いた私はいてもたってもいられなくなり、当時プレーヤーとして所属していたFCヴォルフェンバイラー・シャルシュタットに何かチャリティ活動をしたいとお願いした。クラブからの反応は早かった。「全面協力する」という返事をもらった私は、すぐに日本の後輩に連絡をとった。1年間のフライブルク短期留学後に地元仙台に戻っていた彼は、キリスト教関連の支援団体で義援活動をしていた。今何が必要なのかを尋ねると、彼の答えは「子供用のサッカーグッズを集めて送ってほしい」というものだった。被害の大きかった地域にはサッカー用具が全て流されてしまったところもあると聞いた。

 

 早速フライブルクの友人と協力して準備に取り掛かった。大切にしたかったのはボランティアを強要しないこと。開催もトップチームの試合当日にすることにした。うちのクラブを応援しに来る人達に無理をしない形でサポートして貰えればと。家に眠っている、使われていないきれいなサッカーグッズがあったら寄付してほしいと呼びかけた。そして当時SCフライブルクに所属していた矢野貴章選手(現アルビレックス新潟)にも声をかけたところ、すぐに快諾してくれ、特別にサイン会を開いてくれることになった。パンフレットを作成し、いろいろなところに配布し、いろいろなところに貼らせてもらった。

 

 

 

 モットーは「100人の子どもを笑顔にしよう」。人を助けたい思いがあっても、いきなり10万人を幸せにすることはできない。こちらの思いが押しつけになっては本末転倒になってしまう。でも100人の子どもを笑顔にすることはできるかもしれない。そして1人の子どもの笑顔は1000人の大人を幸せにする力を持っているはずだと信じていた。

 

 チャリティ当日、多くの人がサッカーグッズを持って集まってくれた。5歳位の小さな男の子が自分のユニフォームを持ってきてくれた。U−12チームが自分たちでグッズを集めてきてくれた。U−15女子チームは自分たちのクラブユニフォームを全部寄付してくれた。多くの人が寄付金を快く出し、千羽鶴を折ってくれた。後輩の一人はブンデスリーガの試合を回り、スタジアムでたくさんのメッセージを集めてきてくれた。矢野選手は何百枚ものサインカードを持って会場に現れ、地元の人と交流を持ってくれた。私は日本代表の一人だと勝手に自分に気合を入れ、試合に臨んだ。誰にも注目されない9部リーグの、昇格にも降格にも縁のないリーグ戦の1試合だけど、全力でプレーをした。試合には2−1で勝利、多くの人の思いが重なりあった。小さな街クラブで行われたチャリティイベントで集められたサッカーグッズは140点を超えていた。

 

 

エマー・トプラク(現レバークーゼン。来季からドルトムント)

ユリアン・シュスター

 

 

 成功に終わったこのイベント後、私はさらにブンデスリーガ全クラブにメールを書いて、支援をお願いしてみた。全クラブから返事が届き、「プライベートの寄付には残念ながら応じられない」と伝えられた一方で、どのクラブも何千万円、何億円といった多額の寄付をしてくれていることを知った。こうしたニュースを目にすることがなかったので、各クラブの支援活動をとてもうれしく思ったものだ。

 

 そんな中、VfBシュツットガルトからはひとつの小包が届いた。中を開けるとそこには全選手のサイン入りユニフォームが入っていた。そこには岡崎慎司選手のサインも。「我々シュツットガルトは喜んで協力させていただきます」と書かれた手紙を手に、私は思わず泣いた。いろいろな人の思いがこもったサッカーグッズを仙台の後輩に託し、後日、志津川中学校サッカー部へ無事届けられたと連絡を受けた。

 

 

 ホッとしたけど、これで終わりにしていいものかと思っていた。自分で足を運び、自分の目で見て、自分で現地の子供達と触れ合う活動をしたいと思うようになっていた。それでも日本に一時帰国することはあっても、いつも2週間あまりの短い滞在時間。やらなければならないことに追われ、なかなかその機会を得ることができないでいた。

 

 機会は不意に訪れた。実は昨年1月に一人で一時帰国をした際に東京で講演会を開くなど、活動の幅を広げていけることへ手応えを感じていた。今回の年末年始はスケジュールが噛みあい、1ヶ月弱の滞在が可能だった。そこで東京近辺だけではなく、地方でも活動をしたいなと思い、岩手県の指導者仲間にコンタクトを取ったところ、良かったら自分たちの研修会に参加してもらえないかと返事をもらった。

 

 地図を見ながら予定を立てていると、ふと「岩手にまで行くなら南三陸にもよれるんじゃないかな」と思いつき、仙台の後輩に志津川中サッカー部と連絡をとってもらった。後輩の話だと、当時の顧問の先生はすでに転校されていたが、今の顧問の神谷先生が「ぜひ!」と、さらに私がドイツサッカー協会公認A級ライセンスを持っていることを知ると、「良かったら練習も見てもらえたら」と声をかけてもらえた。自分の得意な形で何かをすることができる。こちらこそよろしくお願いしますの思いで一杯だ。

 

 訪問した日は日曜日。朝9時からの練習には部員14人が参加してくれた。グラウンドはあいにく霜が溶けるとぐちゃぐちゃになるために体育館で行われた。元気いっぱいに挨拶をしてくれた子どもたちと一緒に体を動かしながら楽しくアップをして体を温め、十分に柔軟体操。そして簡単なパス練習から2グループに分けて少人数でのゲーム形式の練習。最後に3チームに分けてドイツの育成層でよく行われる「1ゴール決めたら勝ち残り」「最長3分」「引き分けの場合は長くプレーしている方がピッチを出る」というミニゲーム大会を行った。

 

 1ゴールで勝ち負けが決まる緊張感と広くはないピッチのためにあちこちでガツガツボールの奪い合いが見られた。こうして見ると日本人だからとかドイツ人だからというのは関係ないなと思う。まだ現役選手の私(当時ドイツ8部リーグ所属)も子どもたちに負けじと全力で攻守に走り回り、まだサッカーを始めたばかりの子からのアシストでゴールも決めた。アシストしたことに驚きながらも喜ぶ子とハイタッチをして感情を爆発される。楽しい時間だった。心と心が触れ合っていると実感することができた。

 

 

 練習後、代表で挨拶をするキャプテンに「また来てください」と言われた。「いつ来るかの約束はできない。でもかならず来るよ、ここに。またサッカーをしに来るよ」と答えることができた。そう、続けていかないと、繋いでいかないといけないことなんだ。人と人の縁が繋がりを生み、僕を南三陸へと導いてくれた。僕の思いもまた次へと繋いでいかないといけない。

 

 バス停まで送ってくれた神谷先生に別れを告げ、南三陸を後にした。車窓から見える海は、悲しいほどとても綺麗だった。今度は家族でここに来たいなと思った。復興支援という言葉が軽すぎず、重すぎないようになって欲しい。当地を訪れ、そこで獲られる魚介類に舌鼓を打ち、現地の人と語り合い、「楽しかったです。また来ますね」と言って後にする。それがお互いにとって一番の活力になるんじゃないだろうか。

 

「東北に行くんだ」
「ああ、フッコウシエン?」

 

 そう言葉にすることで距離を生む事実があることも忘れてはいけないのではないかと思う。

 バスを降りるとき車内にあった「BRTが担う東北の復興」と題されたパンフレットを手にした。BRTとはバス・ラピッド・トランジットの略で、東日本大震災で甚大な被害を受けた気仙沼線、大船渡線に代わる交通手段として運行されているバスシステム。深刻な被害が広範囲に及んでいるため、鉄道復旧と平行して、できるだけスピーディで安全で便利な高速輸送サービスとして導入され、気仙沼線は2012年8月から、大船渡線は2013年3月から運行している。

 

 このパンフレットの中で「桜ライン311」というプロジェクトが紹介されていた。岩手県陸前高田市の広田湾から2kmのところに若い桜の木が植林されているという。市内約170kmにわたる津波到達ラインに10m間隔で植林し、震災を後世に伝える活動をしている。その中で代表の岡本翔馬さんの言葉に深く考えさせられたので、引用し、ここで紹介させていただきたいと思う。

 

「自然災害は絶対に人間には防げません。いかに被害を減らすかしかできません。震災以降、約300人の子どもが誕生しています。次の世代に僕らの原体験をどう引き継いでいくかは今の時期から始めなければなりません。それに僕らは悲しく、悔しいことがありましたが、子どもたちにはそれだけの記憶で自分の故郷を捉えてほしくないんです」(※)

 

 桜の花が咲き誇るころ、笑顔の子どもたちと一緒にサッカーができたら。それはきっとすごく素敵なことだろう。またこの地に来る理由が私の中で出来た。

 

※ 引用文献「ソーシャル&エコ・マガジン ソトコト特別編集。JR東日本 BRTが担う東北の復興 柳津~志津川~気仙沼~陸前高田~大船渡・盛三陸沿岸・地域の足」 

 

南三陸訪問記2-2015年1月

テーマ:

以前使用していたブログの内容を再掲します。

 

【臨時サッカーコーチ】

111日、南三陸の志津川中サッカー部での臨時コーチ無事終了。

 

この日は14人の部員が練習参加。どんなチームでもそうだけど、上手い子、そこまで上手くない子、上手いけど守ろうとしない子、上手くないけど戦おうとする子。いろいろなタイプがいる。サッカーをみんなで楽しんで、でもやっていいミスとダメなミスに線引きをする。チームプレーを言い訳にさせない。選手の積極性を引き出しながら練習に乗り込んでいく。

 

僕はチームを見るときにまず一番上手くない子に気をつける。そして練習が終わった時に彼が少しでも成長したと思えるようにアプローチする。だからといって彼に合わせてトレーニングを構築するわけではない。声掛けやちょっとした難易度の設定でサポートする。

 

今日は、ミニゲームの時にそんな彼のアシストから僕がゴールを決めるシーンを作れた。びっくりしたように喜ぶ彼。それが見れて嬉しかった。

 

わずか23時間弱のトレーニングで劇的に成長したりはしない。でも大きく成長するためのきっかけを当たることはできると思う。今回の一時帰国中にASユナイテッドさん、開進第三中学校サッカー部、神宮小サッカークラブ、志津川中サッカー部でコーチをさせてもらい、FC開三コーチ陣、大豆戸FC指導者、岩手県TSGの方々とサッカー談議をすることができた。何かは残せた。それを形にしていけるようにまた僕も頑張っていかないと。

 

南三陸の美しい海を見ながら考えることは無数にあり、感じたことは山のようにある。まだ言葉にできるほど消化できているわけではない。でも子どもたちと笑顔で向かい合って、真剣にサッカーをしたことこそが自分の中で一番大きな意味を持つのだと思う。繋げていこう。続けていこう。

南三陸の復興商店街

 

 

【報告】

 

今回は知人・友人に声をかけて少しばかりの義援金を集めてみました。志津川中サッカー部顧問の方とも相談して、志津川中学校に寄付させていただきました。ご協力していただいた皆様、本当にありがとうございました。

 

今回は大々的に動かなかったので、正直十分納得いくだけのお金を集められたわけではありませんが、現地の方々と話をし、どこに何が足りてなく、どうした活動に必要かを見聞きすることができたのは大切なことだったなと。実際に気仙沼から南三陸を見てきた実感として、まだまだ自分たちにできることはたくさんあると思っています。

 

仙台では支援団体で活発に動いている後輩と数年ぶりに出会い、現在彼らのしている活動について色々と聞きました。そして仮設住宅で暮らす子どもたちのための学童のような活動ができればという彼のプランに協力したいと思っています。子どもたちにとっては体を動かし、笑い合える貴重な場として、また親にとっても閉鎖的になりそうな環境の中で何らかの安らぎとなってくれるのではと思うのです。まだ検討中のプランなのですが、実際に動き出したら、こちらでもまたアクションを起こしたいと思っています。

 

 

【気仙沼】

 

南三陸に入る前日、気仙沼のホテルで一泊。岩手の友人にホテルまで送ってもらったあと、暗い中一人で海までの道を歩いてみた。家は立ち並んでいるのにどこまでいっても暗い道のり。

 

しばらく行くと市庁舎が目の前に。ここは海から500mほど離れているが津波浸水深は1.7m。津波は膝丈の高さでも大人が足を持っていかれるほどの勢いだという。200mほど更に行くと今度は浸水深5.2m。5m。。。2階くらいの高さだろうか。

 

さらにすすむと急に目の前が開けてきた。そして廃墟のような建物も。夜だということもあり、あまりの不気味さに足を止めていると背後から明るい女性の声が。現地の方が港の方へ友人と楽しく喋りながら歩いて行く。ここの人にとってはこれがすでに日常なのだろうか。言葉を更に失わざるをえませんよ。そして港まで数十メートルのところでは浸水深6.3mの表示。

 

 

 

 

港前には復興屋台村が出来ていた。時期が時期だけにそんなに人はいないが、それでもどこもお客さんが入っているよう。僕はなんとなくその中の一店に入ると、おばちゃんが愛想よく「寒いよね、今暖かいの作るから」といって厨房に入っていく。店内を見渡すと、一面がサインやメッセージで覆い尽くされている。

 

 

 

「最初はね、渡辺謙さん(だったと思う)が書いてくれたのよね。その後はみんな色々と書きだしちゃって」とおばちゃん。僕が「じゃあ、漁師のまかない丼ください」と注文すると、「ちょっとサービスしといたから」と明らかに大盛り以上の丼が。さらに「あ、ハーモニカって料理知ってる?テレビとかでちょっと有名になったんだけど、マグロの背びれのところの煮付け。食べてみる?サービスしとくよ」といってまた厨房に。

 

「はい、どーぞ!」とドンと出したあとに、

 

「学生さん?」

 

とヒトコト。

いやいや(>_<) 

でもそうしたやり取りがとても心地いい。

 

 

相当のボリュームだったけど、どれもすごく美味しかった。いろんなことを考えながら、途中からは考えることもやめながら、美味しく頂いた。ちゃんと全部を胃袋に送り込み、大事な大事な力に変えさせてもらった。

 

帰り道なんとなくイエモンの歌を思い出した。

 

 

僕は何を思えばいいんだろう

僕は何て言えばいいんだろう

こんな夜は会いたくて、会いたくて、会いたくて

君に会いたくて 君に逢いたくて

また明日を待っている

 

 

屋台村の前に書かれていたメッセージを何度も読んでみた。

うん、明日に向って歩いて行こう。月次な考えだけど、漠然とした思いだけど、

そう思って眠りについた。

 

【自分と向き合って】

誤解されるかもしれないが、自分は自分のために生きている。ボランティア精神とはそもそもそれがないと成り立たないのだと思う。

 

助けを求めている人の力になりたい。
困っている人を助けたい。
弱き者のそばに立っていたい。

 

友のために。
恋人のために。
家族のために。

 

でもその背後にある、助けを求めている人の力になり、困っている人の助けになり、弱気者のそばに立ち、友のため、恋人のため、家族のために動くのは、そうした自分の働きかけを喜んでもらえることで、「幸せになれる自分」がいるから。

 

志はこの部分を意識できないと善意の押し付けになってしまうのではないだろうか。そうでないと、何かをしてフィードバックがないと「無償でやっているというのに」という思いが出てこないだろうか。

 

僕がお金にならなくても、収入が増えなくても、プロクラブの指導者を目指すのではなく、普通にそこにあるクラブで、ボールに思いを込める子供達のためのサッカーコーチで在り続けたいと思っているのは、子供達の笑顔からもらえる以上の素晴らしいものがないから。ありがとうを言われなくても、名を馳せることがなくても、それ以上のかけがえのない幸せを僕はもらっているから。

 

震災地に足を運ぼうと思ったのも、僕の中では根本的なところで変わらない。いろいろなものを見聞きし、感じ、自分というフィルターを通して、ホンの少しでも心で会話をしたかったから。そしてそれがお互いの力になると信じているから。

 

「3.11」から4年というこんな日だからこそ、言葉としてまとめておきたいと思った。過去を忘れることはできない。悲しみは消えないし、何かで代償できるものではない。でも今の歩みは止めるものでもできない。未来への思いは「過去」を受け止め、「今」を意識した先に、生まれてくるはず。

 

今日、長男に震災についての話をした。震災時の写真を少し見せた。起こったことを伝え、自分のしてきたことを教えた。彼がそこから何かを感じ取ってくれると嬉しいし、彼が自分でも何かをしようと思ったら素晴らしい。そうでないといけないというものはない。でもいつか一緒に行ってみようと思う。家族で足を運び、いろいろなことを考えて、感じて、それでも笑って楽しんで、「また来たいね」といってこれたら素敵だなと思う。