日本だと時差の関係でワールドカップ観戦が早朝で大変なことと思いますが、こちらは普通の活動時間に試合が行われているので、観戦時間を作るのはそれはそれで大変です。日曜日の日本-セネガル戦もU8のサッカー大会があったので見れず。まあそれはそれとして。

 

 さて、今日同僚が休みなので一人でU8、U9の20人相手にトレーニングをしたんけど大苦戦。オーガナイズがあかんのか、内容があかんのか、コミュニケーションがあかんのか。練習を終えて家に帰ってからも10歳の長男に「8歳くらいのころどんな練習が良かった?」と相談したり、DFBが出しているジュニア指導用の教本を見たり、これまで書き溜めている自分のトレーニングメモを読み返したり。

 

 ただこう、芯を食うようなトレーニングのイメージがなかなか浮かんでこない。

 

 うーむ、難しい…。

 

 

 フライブルガーFCで見ているU16とかだと慣れているというのもあって、パッと出てくるし、出てきたトレーニングメニューをその場でアレンジしてポイントを絞ってコーチングしてと、スムーズにできる。でもトレーニングそのものとどう向き合うべきかというところ、サッカーそのものの楽しさと触れ合うべきところ、友達とわいわいふざけながら楽しみたいというところと、すべてが大切な小学校低学年代。そのあたりのバランス取りがまだ自分の中で身についていないのですね。

 

 トレーニングをどう円滑に、効果的に、効率的に、将来に向けての成長に結びついていくようにオーガナイズできるか。

 

 どうすればうまくいくかというふうに考えていくと、やっぱり選手数と指導者数のバランスや使えるグラウンドやゴール数が重要だなという考えに行きつきます。ちょうど先日、同じU8でコーチをする同僚と来季についての話をしていました。人数が多すぎるので絞りたいという彼。いまはただ楽しくやりたいという子と真剣にサッカーをやりたいという子で差が出てきてしまっているので、適正人数に絞るのは一つの案だと思います。でもただ楽しくやりたいという子を放りだすのは違う。だから他に指導者に回ってくれるお父さんを募集して、それぞれにあったチーム分けをしようと提案するつもりです。たぶん、何人かは手を挙げてくれるはず。どこに属するかではなく、彼らがやりたいサッカーができる機会を作ることの方がお互いにとってプラスになる。

 

 考えて見ると、その点で日本とドイツでアプローチが違うなと感じたんですね。

 

【ドイツ】

20人子どもがいる。どうしよう→適切なトレーニングができるだけの指導者が足らない→指導者を増やす。あるいは子どもを減らす→適切なトレーニングができるグルーピングをする→各学年で同じように調整してやっていく

 ⇒ 選手と指導者の割合のバランスを大切にし、選手それぞれの成長を重視

 

【日本】

20人子どもがいる。どうしよう→適切なトレーニングができるだけの指導者が足らない→でも将来的にどの学年・学校でも状況は大きく変わらないよ→指導者一人で対応できるようにしておかないと→小さい時から先生やコーチのいうことをよく聞くように徹底して指導していく

 ⇒ 大人数の選手でも管理できるような指導でコントロール

 

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 ちょっと雑な分け方かもしれませんが、そういう傾向はあるんじゃないかなと思います。学校の一クラス当たりの人数でもそのあたりの考えの違いは見えてきます。うちの長男が小学校に入学した時、クラスメイトのおばあさんといろいろと話をしていました。

 

おばあさん「ここの小学校は一クラス25人くらいでしょ。それだと先生一人でもしっかり一人一人と向き合えると思うの。町中の小学校だと一クラス35人のところとかあるでしょ?そうなるともう大変よ」

 

 この話から正直両国の違いをすごく感じました。だって日本だと一クラス40人以上というところもざらにあるじゃないですか。それにドイツはここ最近、30人くらいのクラスだと担任一人が見るのは大変なので研修生などをつけて副担任制度の導入を検討しているとこの前ニュースでやってました。一方で日本は逆に増やそうとしてませんでした?

 

 ドイツのやり方にももちろんデメリットはあります。それはそれぞれのクラブや学校のサポート力によっての差が大きくなってしまうということ。先生にしっかりとした能力と経験があり、両親に比較的理解があり、協力姿勢があり、互いにサポートし合える関係のところは子どもたちは本当にすくすくと育っていきます。でもクラブや学校任せになり、先生・指導者のバランスがうまくとれないところだと、子どもたちはほったらかし状態になってしまうこともあります。だからできない子はいつまでたってもできないまま、できる子も担任の先生がキャパオーバーだから全然先に進めない、という事態になってしまう。大都市の子どもが多い地域だとそういう事態になってしまうことも少なくないと聞きます。こぼれ落ちた子供たちを受け止めて、その子たちと向き合って、支えていくのか。この点はドイツが抱える大きな問題の一つではあります。

 

 なるほど、そう考えると、日本のやり方だとそうしたところに歯止めをかけられる可能性はもっているということもできる。ある程度の「グループワーク能力」を植え付けることができるし、ある程度の適応能力」を身につけることができる。それは一つ日本社会の教育におけるプラスだと思います。ただ、あくまでも日本式グループワークに適応するというところへの傾向が強すぎるので、それに合わない人が行き場を失い苦しむという副作用も包括されている点は忘れてはいけないでしょう。みんなで同じことをやることが美徳という感覚だけになるのもどうかなと個人的には思います。幼稚園や小学校の入学式で見たこともない、知らない大人の話をだまって聞かなきゃいけないというのは教育ではなく、修行ですし。そもそも合わせていくべき先にある「グループワーク」や適応するべき「社会観」が一昔前から変わらず、ちっともバージョンアップされないというのも問題ではないでしょうか。人間性というなんとなく小ぎれいで、でも結局何のことを言っているのかは当事者の解釈次第というのも困りものですし、そこの感覚を学ぶべきはずの道徳で点数がつけられるという話を聞く限り、間違った方向に進んでいませんかという危惧ばかりを感じてしまいます。

 

 ドイツのやり方だとうまくやると子どもたちは本当にすんごく伸びるという一方で、うまくいかないときのサポートや体制をもう少しきっちりと整えていく必要がある。日本のやり方だとうまくいかないとき用のサポートや管理体制はある程度できているかもしれないが、子ども本来の持つ能力を伸ばしていくための環境があまり作られていない。だから成長は結局子供の頑張り次第になってしまう。

 

 価値観の違いといえばそうなのだろう。僕個人としては、ドイツで僕ら夫婦も子どもたちもすごく成長しているという実感があるので、やっぱりそれぞれが成長できるための環境があるというのは大事だし、そうした環境づくりというのを大切にしたいなと思っています。日本にある美徳はそのままに、グループワークのあり方や求められる社会観を常にバージョンアップして、子どもたちが自分から取り組んで成長していけるための環境を整え、そのための指導者、教育者を正しく導く育成機関が作り上げる。知識ではなく成熟。日本の大学で教職免許を取った人がすぐに「先生」になれるのはすぐに変えた方がいい。名ではなく実を。

 

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 サッカートレーニングを考えながら、気が付いたらそんな教育のあり方について思いをはせていました。さて、次のトレーニング、どんなトレーニングをしようかな??ベストなことができないときはある。それはそれでしょうがない。だからといって何もしないでは僕にとっても子どもたちにとってももったいない。その中でよりベターなものを考えて、作り上げていく。そうした挑戦が楽しいではないですか。