こんにちは。
今回も、前回記事に続いての内容になります。
おとぎ話「桃太郎」の元になった歴史事実
・西暦153年に討伐された温羅(うら)一族=鬼について
の深掘りが主な内容になります。
以下、宇宙図書館=アカシックレコードにアクセスして、調べた内容になります。
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●温羅(うら)の語源は?
《以前、アクセスしたときに視えたもの》
・湖のほとりに一人の男性と鬼がいて、何かを話している
・薪を男が湖に落とす
・その薪を男が拾おうとする
→意味が分かりませんでしたので、ブログへの掲載を控えました。
《今回アクセスした際も、同様のビジョンが視えました》
・月夜の湖と森
・湖のほとりから人間が薪を湖に入れている(くべている)
そして、「浦」の文字が脳裏に浮かびました。
「浦」の意味を調べてみました。
「浦」
・海や湖の、波が静かな入江(の浜辺)。
・海、湖などの湾曲して、陸地に入り込んだ所。
⇒浦(うら)が、温羅(うら)の語源?のようです。
●温羅一族=鬼は、朝鮮半島から日本に渡って来たという説があるけど、それは本当?
一部の鬼が朝鮮半島から渡って来て、岡山に定住した。
他の鬼は、元から日本に住んでいた。
●温羅一族=鬼が、領主として人間を統治するようになったのはいつ?
明確に何年ごろとは言えない。
ヤマト民族に討伐された年(西暦153年)を起点とすると、それよりも150~200年ほど前から、そういう関係性に徐々になっていった。
⇒西暦でいうと、B.C.50年~A.D.1年あたりから。
(紀元前50年~紀元1年あたり)
●なぜ、温羅一族=鬼は領主となり、人間の上に立ったのか?
・鬼が人から頼られたから。
・鬼は何千年も生きてきたから、知識も知恵もあった。だから、人々から頼りにされた。
●ということは、
・鬼が人を支配・搾取するとか
・労働力として都合よく人を使役する・隷属化する
というかたちではなく、人間側が鬼に対して「よろしくご統治ください。生活の知恵を教えてください。」というような指導を仰いだかたち、という理解でいいの?
そのとおり。
●温羅一族=鬼が治めていた岡山は、稲作もしていた?
してた。
●民は領主である鬼に年貢(米)を納めていた?
納めていた。
●米の取れ高は分配していた?
みんなで分配。
余剰分を年貢として納めていた。
●鬼は働いていなかった?
稲刈りなどを人と共同で行っていた。
鬼も人も笑顔で共同作業をしているビジョンが視えた。
●収穫した米の余剰分を人々が鬼に納めていたのは、鬼に命令されたから?
そうではない。
鬼から知恵を授けてもらったりしたことへの感謝の気持ちという意味合いが強い。
●鬼が人々に教えた知恵や知識とは、具体的にどんなものがあるの?
・天候(天気予報に近いイメージ?)
・建設、建築
・野草の選び方
・食材の調理法
・病人の看病
など
●土地の所有権という概念はあった?
岡山地域の土地(田畑)は、そこに住んでいる鬼と人々みんなのもの、という緩やかな所有の意識だった
(現代的な感覚でいうと、所有というよりも、共有というイメージの方が近いかもしれません)
●ヤマト民族が、温羅一族=鬼を討伐した理由は?
・征服欲があったから
・支配権の拡大のため
●温羅一族=鬼に対して、昔からの因縁や個別の恨みつらみがあったということではなく、単に支配地域を広げたかったというのが、ヤマト民族が温羅一族を討伐した理由?
そのとおり。
●温羅一族=鬼は、人間よりも身体的な力が強かった?
そのとおり。
●その力が強かった温羅一族=鬼が、なぜヤマト民族に敗れた?
人数の違いによる。
ヤマト民族は、おおよそ3~4倍の兵力で攻めてきた。
●温羅一族=鬼だけでなく、岡山に住んでいた人々もヤマト民族と戦った?
そのとおり。
●ヤマト民族に敗れたあと、岡山の人々はどうなった?
戦死した人以外は、生かされ、支配された。
年貢を納めさせられた。
●岡山の人々は生かされた一方で、全体の8割もの鬼が殺されたのはなぜ?
殺された8割の鬼は、ほとんどが討ち死にだった。
また、投降した鬼は、
・(元々心優しき種族だったこともあり)戦意喪失した
・怪我のため、戦うことも逃げることもできなかった
というのがその理由。
●ヤマト民族に幽閉された鬼や使役された鬼は、その後どうなった?
牢屋に幽閉された鬼は、餓死した。
(食べ物は時々与えられたようだが、食べなかった模様)
使役された鬼は、後に、妖怪化した。
ヤマト民族の使役(支配)から逃れたが、人を襲うようになってしまった。
●落ち延びた鬼は、その後どうなった?
・周辺地域の人に匿われた鬼は、最初は民家で暮らしていたが、追手から逃れるために、洞窟や山中に移り住んで行った
・洞窟に逃げた鬼には、仲の良い人間が訪ねたり、差し入れを持って行ったりしていた
・最初から山中に逃げ延びていった鬼もいた
●鬼は2~4mの身長ということですが、今まで、その巨体の骨が発掘されてこなかったのはなぜ?
発掘されたことはあるが、公表されていない。
●ということは、その骨は、今もどこかに保管されている?
保管されている。
●鬼の寿命は、約9,000歳ということですが、そんなに長寿であれば、西暦153年当時、日本列島は鬼の方が、人間よりも、人口が多かったの?
そんなことはない。
人間の方が人口は多かった。
●それはどうして?
一言で言うと、鬼は人間よりも、繁殖回数が少ないから。
●それは、鬼は本能的に、人間ほど頻繁には繁殖行為を行わないということ?
そのとおり。
●具体的に、どれくらいの頻度で鬼は繁殖行為を行っていた?
どれくらいの頻度で、子どもを産んでいたの?
数百年に一度
●温羅一族が治めていた岡山に住んでいた人々とヤマト民族というのは、同じ民族なの?
同じ日本人の祖先といっていい?
同じ民族
どちらの人々も、今の日本人の祖先
●温羅一族が討伐された西暦153年当時、岡山以外の地域(北海道や東北など)に住んでいた鬼は、どのように暮らしていた?
人間とどのような関係だった?
①人里で人間と共生していた
②山中で自然と共生していた
③人間を支配していた鬼も、ごく一部いた模様
視えたビジョンは①②がほとんど。
③は、まれ。
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以上になります。
いかがでしたでしょうか。
個人的には、人間よりも、力も知識も知恵も上回っていた温羅一族=鬼が、人間に対して友好的で、何なら必要な知識や知恵も教えてくれていて、共存共栄していた、、
ということが驚きでした。
当初、想像していた、
・領主は、遊行三昧・贅沢三昧
・民は、労働にあけくれる
というような力による支配・統治形態では、全くありませんでしたので、予想外でしたし、鬼の調和的な精神・生き方はすごいなあと感じます。
そんな心優しき鬼が、攻めてきたヤマト民族との戦いに敗れ、労働力として使役された一部の鬼が、のちに妖怪化して、人を襲うようになってしまった、、、
そんな哀しい歴史もあるようです。
次回になるかどうかは分かりませんが、そこのところも、掘り下げたいなと思います。
とはいえ、すべてを受け入れていただく必要はありませんし、
内容については、ご自身で審神者(さにわ)なさってくださいね。
(ご自身の内に、違和感がないか、しっくりくるかどうかを問いかけてみてくださいね。)
最後までお読みくださりありがとうございます!