能登半島地震をどのようにとらえるかが大事① | みんなのブログ

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意識の使い方、物事のとらえ方などに視点を置き
論理的思考、感覚、超感覚を交えて
時事、歴史、科学、スピリチュアル、宇宙の法則、目に見えない存在など、現時点、認識できている限りのことをお話します。
投稿主は理学部卒です。

本年(令和6年)能登半島地震でお亡くなりになられた方のご冥福をお祈り申し上げますとともに、ご遺族の方にお悔やみを申し上げます。

また、被災された方のお見舞いを申し上げます。

 

一刻も早く被災地の復旧・復興が進むようお祈りするとともに、僕も必要だと感じる行動をしてまいります。


衣食住や燃料の共有・提供などの

当面の生活支援や復興支援に必要なことは、政府・行政や地域の方が取り組んでくださっていますし、近隣地域が無事ですので、今後、被災地のインフラをはじめとした復旧も進んでいくでしょう。

ご記憶にあるかもしれませんが、能登半島では
2023年5月5日に
M6.5 珠洲市で震度6強
の地震が発生しており、その記憶も新しいさなかに今回の地震が起きたわけです。


もしかしたら、こちらの記事をご覧の方の中には、ご家族やご友人が亡くなられた方もいらっしゃるかもしれませんし、自宅が倒壊した方もいらっしゃるかもしれません。


被災された方は、まずは、目の前のこと、今を生きることに集中するよりほかありません。

そして、被災しなかった方は、今自分にできることをやることが大事なのかなと思います。

それは、義援金を送るのも一つでしょうし、普段の生活を通じて、日本全体の生産活動などの一翼を担うことも大事かなと思います。

「これが大事」
と感じることを一人一人がやればいいんだと思います。



原因については、ハッキリしたことは分かっていないと思いますし、僕も、発生直後
「もしかしたら、今回の地震は…?」
と感じたところはありましたが、その後、発生原因について意識を向けても、ビジョンがうっすら浮かぶだけで(ネガティブさは感じないビジョンでしたが)、その原因をはっきりとは掴めませんでしたので、ここでの明記は避けようと思います。


369 Miroku Mindさん
のYouTubeチャンネルで、龍神さんからのメッセージ(今回の地震に関連すると思われる内容)が動画で紹介されています。
https://www.youtube.com/watch?v=twsuwDUfUx4

心を落ち着かせるようなポジティブなメッセージ、と個人的には感じましたので、
・「龍神さん」
・「龍神」というキーワード
に関心のある方は、ご覧いただくのもいいかと思います。

369 Miroku Mindさんのチャンネルは、かなり霊能力・サイキック能力・超感覚に秀でた方々が出演されており、それを元に発信されているメッセージは、傾聴に値すると個人的には感じています。

また、動画視聴者の方々のコメントも、気付きが多いと思いますので、気が向いた方は、お時間が許す限り、目を通されるのもいいんじゃないかなと思います。



さて、ここまでのことを踏まえた上で
既に起きたことは、巻き戻すことができないですし、幸いにも、今、命がある僕らは
・この災害をどうとらえるか?
ということも大事になってくるのかなと思います。


次のことは、今回の能登半島地震に対する個人的なとらえ方になりますが

「M9.0のような非常に大きな地震が起きなくてよかった。」

「もし、そんな大規模な地震が起きていたら、被害はとてつもなく甚大なものになっていた。」

「大地にたまったエネルギーが、年月をまたぎ、M4~8の規模に複数回に分散して発生している。」

ということにしておけばいいのかなと思っています。



というのも、
僕ら一人一人の意識が集まった集合意識が、地震などの災害の規模にも影響を及ぼしますので、今回の震災に対して、
「また、どこかで震災が起きたらどうしよう」
「なんだか心配・・・」
など不安や恐怖を募らせていくことは、まだ発生していない地震に対し、その規模を拡大させるエネルギーを注ぐことになってしまうからです。


ですので、
・地震が複数回に分散して発生し、大地のエネルギーを発散することによって
・M9.0といった大規模地震の発生を回避している『ということにしておく』
というある意味で、ポジティブなとらえ方でいいのかなと、そのように思っています。


あえて、意識して、ポジティブなとらえ方をしておく、という言い方をしてもいいかもしれません。

こういうところでも、意識の力を意識的に使うといいのかなと思っています。


言い方を変えれば、「あえて」
固定観念=思い込み=洗脳
を自分に対してほどこす、、という表現をしてもいいかもしれません。

地震や台風、大雨、大雪などの気象変動は、地球のエネルギーの循環作用でもあり、自然の出来事ですので、ある程度までは避けられないことです。


であるならば、既に起こった事象に対し、僕たちが
・どのように反応するか
・どういう感情になるか
によって、その後に、発生する気象変動とその規模にも影響してきますので、
・僕たち一人一人がどういうとらえ方、意味付けをするか
が大事になってくると思うのです。


とらえ方、意味付けを変えれば、反応・感情が変わる。
↓↓
反応・感情が変われば、今後の気象変動の規模も変わる。

とらえ方、意味付けをポジティブに変えれば、反応・感情もポジティブに変わる。
↓↓
反応・感情がポジティブに変われば、今後の気象変動の規模も小さくなる。




もし僕が、家族や親しい友人を失い、自宅もペチャンコになり、財産も所有物もなにもかも失い、素寒貧(すかんぴん)になったとしたら、、、

こんなふうに思うと思います。

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「家族や友人を失ったことは残念だし、一抹の寂しさもある。」

「けれど、家族たちがいなくなった事実も、残念さも、寂しさも、すべてを自分の中に受け入れる。」

「彼女ら、彼らは、その肉体を脱いだだけ。魂は不滅なので。」

「運よく、自分にはまだこの身体があるのだから、ここからまた歩み出すだけ。」

「そして、今、ここにこうして、水もあるし、食べ物もある。」

「雨風しのげる避難所に避難できて、毛布もあって、寝心地がいいとは言えないまでも、寝ることができる。」

「今後、支援物資も届くと聞いた。」

「それだけでもありがたい。」


「しかも、今この瞬間も、支援物資の調達・運搬に駆けずり回ってくれている人たちがいる。」

「この被災地の復旧・復興に向けて、動いてくれている人たちがいる。」

「そのこと自体も、とてもありがたいこと。」


「日本全体で見れば、経済基盤もインフラもしっかりしているから、政府や行政などの支援も受けることができる。」

「仮設住宅の建設も検討されており、自宅が壊れた住民のうち、希望者は移り住めると聞いた。」

「命ある限り、これから、どうとでも生きていくことができる。」

「仮に一切仕事がなくなっても、最悪、生活保護を受ければ、生活できる。」

「つまり、どうあがいても、生きていくことができてしまうのが日本。」

「それくらい、日本は、法令上、個人の生活が保障されているし、実際に、それを担保できるくらいに経済もインフラも整っている。」

「それもこれもすべて、僕たちより先の時代を生きてきた先人たち、先輩方のおかげ。」

「先人たち、先輩方一人一人が、今よりも豊かな社会を作ろうと努めてきたから。」

「それらを踏まえれば、今までと全く同じ生活とまではいかなくても、生きていくのに困ることなんて、何一つない。」

「ただただ、そのことがありがたいこと。」

「この豊かな日本社会を築き上げてくれたすべての先人たち、先輩方に感謝します。」


そして


「・被災地支援に携わったすべての方
・義援金をくださったすべての方
・生産活動・経済活動に携わったすべての方
・一瞬でも被災地に気を掛けてくださったすべての方
に感謝します。」

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以上のことは、僕個人のとらえ方になりますので、これまでの記事と同様に
「これが正しい」とか
「このようなとらえ方をすべき」
と押し付けるものではありません。


また、もしかしたら、

「実際に被災してないから、実際に家族を失っていないから、そんな綺麗ごとが言えるんだよ。」

「震災の遺族や被災者を前にしても、、自分が被災者になっても、同じことが言える?」

とお感じになられたかもしれません。



もちろん、遺族や被災者の方とお会いした時に、自分がどういう言葉を発するかは、実際にその場面になってみないと分かりません。

また、同様に、自分が被災した時に、そのことをどうとらえ、どう感じるかも、そのときになってみないと分かりません。


ただ、一つ感じているのは、
「仮に自分が被災して、何もかもなくなったとしても、今、書いたこととあまり大差はないんだろうな」
ということです。


といいますのも、僕は、お金や物、人などに対する執着が薄れつつあるからです。



執着=固定観念=思い込み=洗脳

と言い換えてもいいかもしれません。


今、書かせていただいた「執着=思い込み」が、
・震災に対するとらえ方
とも密接に関わってきますので、掘り下げたいと思いますが、、
少し長くなりますので、別記事にして、アップさせていただきたいと思います。


ここまでお読みいただきありがとうございます。