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ご注意

中期中絶、死産に関する具体的な内容が含まれます
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─もし、体外受精を選択していたら?
──もし、妊娠を継続していたら?
───もし、帝王切開で産んでいたら?

そんな、もしも、のはなしを書こうと思います。



※この記事には、「もし」の想像や、葛藤についての記述が含まれます。













なぜ、今「もしも」を考えるのか


中期中絶という決断に後悔をしているわけではありません。しかし、ふと「選ばななった未来」について、頭によぎってしまうことがあります。




​中期中絶を決断した時は、私たち夫婦の遺伝子疾患があったら諦めると決めていたはずなのに、「どうにか産んであげられないだろうか」と何度も考えました。
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「あの選択は間違いではなかった」と思いつつも、「選べた未来」についてはなすことで、第3子への気持ちや私の思い、私の身体への影響について整理し、今後のことを前向きに考えたいと思いました。










  もし、体外受精を選択していたら

子どもの遺伝子疾患発症は避けられたかもしれない、これに尽きます。けれど、今回お腹に来てくれた第3子には会えなかった。私たちが自然妊娠を選んでいなかったら、出会えなかった命でした。


 ​私たちがこの選択をしたことで出会えた子が、教えてくれたこと、気付かせてくれたことがたくさんあるはず。夫婦でよく話し合い、今後の人生について考えていきたいと思いました。







  妊娠継続を選んでいたら

第3子はお腹の中で、どのくらい成長していたのかな。どんな姿で、どんな表情や仕草を見せてくれたんだろう。


第3子の、生命の終わりのタイミングはいつだったんだろう。結局「出生後の延命治療をどこまで行うか」という選択が出てくるため、親である私たちが決めることには変わりなかったと思います。


一緒に過ごした時間が長ければ長いほど、お別れが辛かったはずです。丁度つわりが治まってきた頃に、胎動を感じ始めており、愛おしい気持ちや、一心同体であるという気持ちが生まれていました。


​「死産または死別」という未来が待っている中で、平穏に妊婦生活を送ることはできなかったでしょう。私が精神的に不安定になることで第1子も不安定になり、夫との関係も悪化していたかもしれません。第2子や第3子はそれを望んでいたでしょうか。一方で、「最後の妊娠」として、穏やかで切ない妊婦生活を過ごしていたかもしれないと考えることもあります(実際には、そんな風に過ごせるわけがなかったと思いますが)。


22週以降の子宮内胎児死亡という結末が待っていたかもしれず、週数によっては出産の目的で経腟分娩を行うか、あるいは亡くなった第3子を取り出すためだけに帝王切開が行われたかもしれません。週数を重ねるほど経腟分娩による子宮破裂のリスクも上がるため、最悪の場合は子宮を失うか、私自身が命を落としていた可能性もあります。


また、妊娠後期に近ければ近いほど、産後のホルモンバランスによる影響も大きかったはずです。今回の19週でさえ、産後の不眠や胸の張りで辛いのに、もっと大きな負担がかかっていたと思います。







  3度目の帝王切開で産んでいたら

​帝王切開での出産回数には限りがあるため、場合によっては子宮を失い、またいつか妊娠・出産ができるチャンスを残せなかったかもしれません。

「もう妊娠・出産できない」という現実を突きつけられることで、妊娠・出産に対する執着心がより強くなっていた可能性もあります。第2子の出産の時以上に【きょうだいを連れている家族】や【赤ちゃんを連れている人】を見かけるのが辛くなっていたかもしれません。

今は「妊娠・出産できる可能性が残されている」という状況や、第3子を妊娠できたことによって、なぜだか以前より執着心が和らいだように感じています。自分が諦めることに慣れてしまったのか、経腟分娩で産むという経験が影響しているのかは分かりません。幸せそうに見える家族やきょうだいにも、もしかしたら共に生きることができなかった家族がいるのかもしれない、と考えられるようにもなりました。この私の妊娠・出産に対する執着心については、いつか掘り下げてみたいと思う⋯。

また、帝王切開後のダメージによって思うように第1子の世話ができず、夫への負担や第1子への精神的負担をかけていた可能性もあります。

さらに、第3子の火葬に立ち会えなかった可能性もありました。帝王切開後は数日間の入院が必要なため、第3子が亡くなるタイミングによっては見送ることができず、死別を受け入れるプロセスにも影響していたと思います。










「もしも」を考えた末の思い


色々と想像してみても、「あの時の決断が、当時の私たちが選択できる最善だった」と信じて生きていくしかないと思っています。

亡くなった第3子への愛おしさや思いは、「もしも」を考えても変わることはありません。
​ただ、「自分の都合で奪ってしまった命がある」という罪悪感にだけは、慣れてしまってはいけないと強く思います。



お腹の子の病気が分かって中期中絶を選択した人たちは、この罪悪感をどのように抱えて生きているのでしょうか⋯。

この話は決して、美談では終わりません。自分が命を断ち切る決断をした事は消えません。けれど、この子との出会いの意味をしっかりと受け止め、今後の人生を生きていきたいと思います。