◤◢◤◢◤◢◤◢◤◢◤◢◤◢
ご注意
中期中絶、死産に関する具体的な内容が含まれます
◤◢◤◢◤◢◤◢◤◢◤◢◤◢
入院6日目の記録です。
今日は私の退院と、第3子のお見送りとなりました。メモがありませんでしたので、記憶を頼りにして記載します。2日間シャワーを浴びていなかったもので、昨日は第1子に「まま、病院臭い⋯」と近寄ってもらえませんでした⋯。
入院6日目
6:00 起床
おそらく、この頃に起きました。わたしのベッドの隣に並べたコットに入った第3子に「おはよう」と声をかけて、頬を撫でました。
顔と首に浮腫みが出てきていましたが、ほとんど変わらない状態で安心しました。(意外としっかりしているな⋯数日なら自宅へ連れて帰れるかも⋯?)と思いましたが、いやいや、第2子とは週数や状態が全く違うよ⋯と思い直しました。
他の方のブログで、棺ごと冷蔵庫に入れて安置していたのを見かけました。状態を保つには良さそうですが、私には出来ないな⋯。
助産師さんへ、この週数で死産後に自宅へ連れて帰る人がどのくらいいるか聞いてみたところ、「私の知る限りでは、ほとんどいません。みなさん、状態を気にして葬儀屋さんへお願いされています」と教えてくれました。その後、助産師さんが赤ちゃんの保冷剤を交換してくれました。
退院したくありませんでしたが、帰り支度を始めました。
8:15 退院診察、朝食
医師による退院診察で問題がなければシャワー浴の許可が下りると言われ、助産師さんから医師に伝達していただき、早めに退院診察をしていただきました。
内診台にはため息をついてから上がりましたが、あんなに辛かった内診時のクスコもエコーも全く、全く痛くなかったです。あの痛みは何だったのか⋯。
退院診察の時は、部屋に第3子をひとりにさせてしまうので、第2子の遺影を同じコットに置いて傍に居てもらいました。遺影は入院2日目に夫に持ってきてもらったものです。第2子も、お兄ちゃん・お姉ちゃんになったのか⋯と思いました。
朝食後に、昨晩父が差し入れてくれた第3子用のクマのケーキを食べました。朝からケーキは、さすがに胃もたれしました。
8:30 シャワー浴・搾乳
ふたりの時間が少なくなってしまうので、手早くシャワーを浴びました。さっぱりしました。2日間してなかったので。暗い気持ちも一緒に流されていく感じがして、良い気分転換になりました。
シャワー浴の際に胸を摘むと母乳が出たので、助産師さんに頼んで、母乳を集める用のシリンジ、コットン、綿棒をもらいました。最低限の搾乳をしてコットンに染み込ませたものを副葬品にし、綿棒に染み込ませたものを唇に当てて授乳をしてあげました。
9:30 助産師さんとの対話
- 「また自分の子どもに会いたい」
- 「第2子を看取ったこの病院への思い」
- 「退院したくない」
第1子の出産の時にお世話になった助産師さんが、また来てくれました。「かわいい」と言ってもらえて嬉しかったです。そうなんです、本当に可愛いんです⋯。
『産着、かわいいね。同じ生地で何か作った?』と聞かれ、「あっ⋯作ってないです。手元に残るもの、作るべきでした。なにか作ります。」と答えました。
第2子の時もそうでしたが、副葬品って、全て焼けて無くなってしまうので手元に残りません。遺骨を置く布でも、同じ生地で作ろうかなと思いつきました。
✼••┈┈••✼
また自分の子どもに会いたい
前回その助産師さんと話したのは、確かラミナリア処置の時で、「痛すぎて耐えられない。もう最後の出産かもしれない」と話していたのですが⋯。
「どうしようもなく可愛くて⋯、わたし、また自分の子どもに会いたいって思っちゃいました。⋯あんなに痛くて、辛くて、もうこんな経験したくないって思ったのに。妊娠と出産に絶対はないから、また自分の子どもを亡くすかもしれないのに。私は愚かな人間ですよね?」
『そんなこと、ないよ⋯。この先どうするかは、あなた次第だけど、また産みたいって思えたんだね。だからみんな、あなたに会いたいって思うんじゃないかな⋯。』
「本当に可愛くて⋯。でも、この子を産んで『もう絶対に産まない』って、辛い思い出にならなさそうで良かったなと思います。1人目の子も、2人目の子も、この子も、みんな優しくて親孝行です。わたしはそんな良い人間じゃないのに、みんな優しくしてくれる⋯。」
後から振り返ると、子どもとの死別という喪失感を、第2子の時のように「また妊娠・出産すること」で埋めようとしているのだろうか、とも考えました。表現が難しいのですが、赤ちゃんはモノではないけれど、赤ちゃんを亡くした喪失感はやっぱり赤ちゃんでないと埋められないのではないか⋯と。でも、きっとこれは普通の考えなんじゃないかな⋯。違うのかな⋯。
ところで、私は「レインボーベビー」という言葉があまり好きではありません。「嵐(喪失)のあとに現れる虹(希望)」という意味が込められているそうなのですが、亡くなった子が「嵐」に例えられているのがどうも⋯。亡くなった子は亡くなった子で、次子は次子で。どうしても同じ魂が戻ってくるとは思えないのです。
しかし、さすがに第2子と第3子で奇跡の確率で遺伝子疾患を引き継いでいるのが分かった時は、「もしかしてお腹にいるのは第2子⋯? 私が悲しんでいるから、お空から戻ってきちゃった?」と思った瞬間もありました。もし第3子を満期で産んであげられていたら、もっとそっくりだったのかな。もっと、成長した姿を見たかったな。
「同じ生地で洋服を作ったから、あなた達がきょうだいだってことはすぐ分かるよ」「第2子、この子のことよろしくね」と子どもたち2人に話しかけました。
⋯うーん、やっぱりいつか、誰かに2人を霊視してもらいたい!!話してみたい!!
✼••┈┈••✼
第2子を看取ったこの病院への思い
話は逸れましたが、助産師さんに『(第2子の出産と看取りがあって)ここへ、産みにくるのは、辛くなかった?』と聞かれました。
⋯言われてみると、今までそんな風に思わなかったなと思いました。第3子の妊娠が分かってからも、分娩はここでお願いしようと思っていましたし、この病院に近づきたくないという思いもありませんでした。
第2子を看取ったことは辛いけれど、医療スタッフの方々にはとても手厚くケアをしていただき、笑顔で過ごせる時間もありました。この病院での思い出は、暗くて悲しいものばかりではなかった、というのが大きいです。それは1番に第2子のおかげであり、支えてくれた医療スタッフの皆さんのおかげだと感謝しています。
そして、私はこの病院で2度も帝王切開をしている医療行為の記録が残っており、病院も私も、色々分かっていて安心だという思いが強かったのだと思います。
強いて言えば、NICUのスタッフさんに「第2子にきょうだいができました。あの子がお兄ちゃん・お姉ちゃんになりました」と報告しに行きたかったな、ということです。
✼••┈┈••✼
退院したくない
また、「退院したくない。人に会ったり、社会に出るのが怖い」ということを吐き出しました。第2子の出産後も【きょうだいを連れている家族 】【赤ちゃんを連れている人】を見かけるのが辛かったのです。【第1子の赤ちゃんの写真や動画を見る】ということも辛くなりました。
「入院して、この部屋に居ればそういうことは目に入ってこない。好きな時に辛くなって、好きな時に好きなだけ悲しめる。外に出るのが嫌になります。」
『⋯そうだよね。でも、みんな、そうなんだよ⋯。見たくないものは、見なくていいよ。逃げていいよ。泣きたい時は、泣けばいいんだよ。』
10:30 夫と上の子(第1子)、親族が到着
わたしの親と、夫の親が駆けつけてくれていました。
待合ロビーで待機してもらいました。
10:45 退院
身支度を整え、医療費の説明を受け、退院処方薬を受け取って退院となりました。
助産師さんに案内され、私は第3子が乗ったコットを自分で押し、親族と共に裏口からエレベーターに乗って葬儀屋さんと待ち合わせている部屋へ向かいました。
11:30 お見送り
葬儀屋さんの到着まで10分ほど時間があったので、親族に第3子を抱っこしてもらったり、小さな手や足を見てもらったりしました。第1子も「また抱っこしたい」と言って抱いてくれました。
葬儀屋さんが到着し、私が第3子を抱いて棺へ納めました。手縫いしたおくるみと産着は着せたまま、折り紙や手紙などの副葬品を入れました。そして、その場にいる親族で棺の蓋を閉めました。わたしは「ありがとう」と言いながら手を離しました。火葬日までしばしお別れです。またね。
この日は雨でした。あいにくのお天気の中での見送りとなりました。
12:00 家族、親族と自宅へ帰宅
4日ぶりの家です。妊婦ではなくなった私が帰ってきました。一番安心できる家のはずなのに、寂しい気持ちが。たった6ヶ月だったけれど一心同体だったので、やっぱり寂しい⋯。
帰宅後は何から話せばいいやらでしたが、「産まれた子がかわいかった話」「ラミナリアが痛かった話」「産む感覚が分かった話」「帝王切開の方が辛いと思った話」などをした気がします。
「お隣、貸してね」と声をかけ、第2子のお人形だらけのお仏壇を少し片付けて、第2子のお骨の隣に第3子のスペースを作りました。遺影がないので、病院で撮った家族写真を印刷して飾りました。
また、第3子に似た置物がないかとふと思い、ニッコリ笑顔のかわいらしいお地蔵さんを注文しました。
ꕤ︎︎ お地蔵さんの置物:御影石の可愛らしい小型置物
そういえば、第2子の遺骨は今も家にあります。まだ納骨はしていません。供養については賛否両論ありますよね⋯。そのうち気持ちをまとめようかな。第3子の遺骨も、とりあえず家に置く予定です。
その後は近くの定食屋へ昼食を食べに行き、実母以外の親族は帰宅しました。実母は私の体調を案じて2日ほど泊まっていってくれることになりました。
悪露もありますし、恥骨、腰、背中、頭が痛む状態でした。日常の家事はできても第1子の世話までとなると厳しかったと思うので、いてもらえて本当に助かりました。
<感情の箱>を抱えて生きていく
助産師さんと「退院したくない」という話をしました。
それは【赤ちゃんを連れている家族】【妊婦さん】【きょうだいを連れている家族】を見ることにより、私の感情がいつ爆発してしまうか分からないからです。泣くのはエネルギーが要りますし、疲れます。それが予期せぬ場面を見かけたことにより、コントロール出来ないのは、辛いのです。
⋯私はまた、<感情の箱>を抱えての生活がはじまると思いました。
第2子の出産と死別の時に、<死別の悲しみ、喪失感、他の家族の羨ましさなど>が入った、両手で抱えないと持てないような大きさで、さらに蓋が勝手に開いたりする<感情の箱>を与えられたように感じました。
最初は前に歩くのも大変で、急に蓋が開いて、道端で急に涙が出てしまったりするもので、生活するのが大変でした。しかし、それも時間が経つと、よい意味で順化してきました。
今その、<感情の箱>は、両手で扱えるサイズに小さくなっています。自分で好きな時に蓋を開け閉めできるようになり、蓋もしっかり閉められるようになりました。⋯たまに勝手に蓋が開いてしまって、感情が溢れる時もありますが。
⋯私はまた、あの扱いづらい、大きな<感情の箱>を抱えての生活がはじまる。
母が言った言葉の意味
母は、羊水検査の結果が分かった時から『本当に残念だけど、あなたはもう、自分の身体のことだけを考えて⋯』と私に伝えていました。
その言葉を聞いて、「私のお腹の中の赤ちゃんは私の子だけれど、その私は母の子なんだ」と思わされました。私は胎児のことを大切に思う気持ちでいっぱいになっていましたが、私自身の身体や心を一番に心配してくれた母の言葉にはすごく救われました。
また、その言葉の裏には『赤ちゃんの事を考えすぎると、決断が辛くなるよ』という意味が込められているように感じました。
わたしの母はかつて双子を妊娠した際、『双子は育てるのが大変。ひとりにするなら今だよ。』と医師に言われた過去を持ちます。母はひとりにはせず、双子を無事に産んだのですが、その時の葛藤があったからこその言葉だったのでしょうか。「母はどうしてあの時、生命の選択をしなかったのだろう」と、今度話を聞いてみようと思います。
いずれにせよ、「第2子と同じ遺伝子疾患だったら、この生命を諦める」という私の決断と重い選択を、優しく支えてくれた一人でした。