あれだけの騒ぎがあったのにシリアへ渡航しようと企てたカメラマンがいるそうで、再三の渡航自粛を無視した結果、パスポートを返納させられたってニュースがありましたが、そのカメラマンがやれ報道の自由を脅かすだのとほざいているのには呆れるばかりなのはオイラだけなのでしょうかねぇ?
そもそも日本人は〇〇の自由の自由の意味を勘違いしている節があり、それはマスコミも政治家も官僚も一般の人も同じ事で、自由=何をしても構わないってのはおかしいと思わないのが不思議でならない。
日本人が自由と聞いて想像するのは何の拘束もない自由、しかし日本は法治国家ですので法の下に自由と解釈するのが当然、つまり例え報道であっても法を犯せば罪に問われる訳で、法を犯して逮捕されたにも関わらずそれでも報道の自由を脅かすと言い張れるのだろうか?
例え何があっても自己責任だと言ったとて、今回みたいな事になったとしても、じゃあ救いませんよで済むか?と言えばそうではない。
自己責任を強調するのは日本国政府の悪い癖だし、何よりマスコミは仲間のジャーナリストが拘束されているのに政府のご機嫌を伺う事しか考えないって為体でしたからねぇ。
仲間を救え!!と立ち上がらずに何がジャーナリズムなのでしょう?オイラの友達は、後藤氏を殺したのはイスラム国ではなく日本政府であり、与党に圧倒的多数の議席を与えたのは与党議員に投票した有権者であるから与党議員に票を投じた人全員が殺したんだと言ってます。
まっオイラも似たり寄ったりの意見ですが、救える命を救わなかった日本国だと理解した上で報道の自由を錦の御旗にシリアに出向いたって、向こうには報道の自由なんて御旗はありませんから拘束されて殺されるのが関の山。
何をしても構わない自由を掲げるならば、それは何時何処で死んでも構わないって事と同じだと理解した上で〇〇の自由を掲げるべきで、ただ薄っぺらい正義感や薄っぺらな野心での行動ならばそれは慎むのが筋。
法治国家にいる以上は法の中での自由しかありません、もっと言えば校則やら社則は法より縛りが厳しい訳で、その中での自由もまた自由。
自由と何を引き換えるのか?何も引き換えずに自由を謳歌するのは子供だけでっせ~~~