思うのです。
お腹全体に癌が拡がって、お腹を丸められなかった小町。
前脚もろくに力が入らずそっとしか動かせなかった小町。

考えたら、痒いところもかけなかったんですよ。
2ヶ月以上。

そんなの、自分なら我慢できない。
頑張ってたんだなあいろんな事を我慢して我慢して。

本当に、小町を思う度に、彼女には尊敬の念しか浮かびません。
小町が夢に出てきたり出てこなかったり、
田舎の足利に毎週帰ったり。

この2週間はまともに働けもしない内に過ぎました。

で。
これから高速を使う事が多くなりそうなので、先ずはETCカードを申し込み。
本日審査が通ったとの事。
そしていざバイク用のETC機器を買いに行こうと思って2りんかんに行ったら、お高いんですね。
30000円は今すぐ出ません。諦めました。
今30000円を出して、それをペイできるくらいまで頻繁に高速を使うかといえば、答えはNO。
下道でも1時間プラスすれば帰れてしまうので、今すぐにはいらないなと判断しました。

いざとなれば高速出口でETCカードをおっさんに渡してやる....

そして、気分転換というか、高速での安定した走行、長距離運転で少しでも疲れない様に、グリップを変えました。樽型グリップに。
φは22って事だったので、そこだけ気を付けてグリップ購入。

人生初めてのグリップ交換で、大体グリップ交換なんて、おっさんがヒートハンドルにする為に交換作業をするくらいの認識でしたので。

全部、勢いでやりました。

先ずはグリップエンドをプラスドライバーで外し。
もう使わないから純正グリップはカッターで切り裂きました。力は全然いりません。後で再利用するつもりならゆっくりと引き抜かなければならないでしょうが、そうすると恐らく、果てしなく時間が掛かるのではないかと。
こちらはスロットル側。グリップ上部の縁に見える溝。スズキ車は、ここにハンドル側のカリを噛ませて、グリップが抜けない様にしている様でした。だからこちらは接着剤もありませんでした。
溝の拡大。
こんな感じで綺麗なもの。
プラスチック凸部に全部グリップポンドを塗って、新グリップを押し込む。こんな感じになりました。
左は接着剤固定だったので、ハンドルバーには接着剤の残りカスが。
これをパーツクリーナーで柔かくしながら400番の紙やすりでグリップをやすりがけし、綺麗に。綺麗になったら、ハンドル側にグリップポンドを軽く付け、押し込みました。
ボンドの量が多すぎると、こそげ取られて溢れちゃうので少量をエンド側へ。
で、こんな感じ。
こんな感じになりました。

ひとっ走りしてきましたが、掌の湾曲によくなじんで、力を入れずにスロットルが回せます。
楽ー。

交換作業時間は正味30分。簡単でした。左右のグリップがスロットルの直径分だけ穴の大きさが違うので、それを間違えない様に。

また交換したくなったらどんどんやれそう。

見ると、このブログを始めてから、ちょうど10年目だそうです。
だそうですって、自分の記事なんだけど。
 
日頃のあれやそれやを書くのは次第にTwitterに移行してしまったので、めっきり更新の回数は減りましたが、よく続いてる物です。

この4ヶ月の小町の記事みたいに、しっかり長く書きたい時はやっぱりブログだと思うし。

しかしノリが違う。バカでチャラかったんですね。チャらくしようとしてるのになりきれていないと言うか。

今も殆ど変わっていないけど、なーんにも考えていないことがよくわかる10年前の記事達。

若いって素晴らしい。
小町が逝ってまだひと月弱ですが。

まだまだ、小町の動画や写真を見返しては、涙ぐむ日が続いてます。でもそれでも、小町の楽しかった頃の写真を見て、笑える様にもなってきました。
毎日ご飯と水を変え、もちろんお線香をあげて、お話もしていますが、小町の反応の顔が、具体的には思い出されなくなってきました。思い出さなくなってきた、という方が正しいのかもしれませんが。
写真の中にだけ小町がいる様になるのでしょうね、こうやって。

でも、飼い主は多分みんな思う事でしょうが、やっぱり小町を見たい。小町と遊びたい。

そんな風にも思ってます。


それで今朝の事。

僕はギランバレーをやってからこっち、四年程平均睡眠時間が4〜5時間なんですが、たまーに。たまーに、寝入り端に、瞼を瞑っているのに周りが見える事があります。
あれ?これ俺目を開いてるのか?と自分で疑問に思って確かめても、確実に瞼は瞑っている事が。

え?ありますよね?うん、あるある。

で、どうせ周りが見えるのだから、動いてみようと思った訳です。

そして、なかなか動き辛いというか、動き方に慣れない中、やっとこさ小町の仏壇のあるリビングへ辿り着きました。

すると、小町が寝てました。

まだ歩ける頃、いつもおやつを欲しがる時に、僕らのテーブルの傍に来て尻尾を振ってたのですが、そこに、随分小さくなりましたが小町が居ました。

この、右に見えるテーブルの手前に。


うつ伏せに寝ていたので、恐らく曲がらなくなっていた左後ろ脚も曲がる様になってた様子。

小町も僕に気づいたのか少し顔を上げた様に見えましたが、なんせ、何故か大き目のネズミくらいに小さくなってたし、そもそも遠近感がおかしいというか視界が生の視界の感覚とは違ったので、どうも小町だけ遠くてよく見えず。小さくなったと感じたのは遠かったからなのかもしれません。

でも小町である事は確実に分かって、脚も痛くなさそうだしお腹も痛くなさそうだし、何よりベッドから出てリビングの真ん中まで来てた訳で、僕は安心しました。今は自由に動けてるみたいだって。

その瞬間僕にも限界が来てそのまま眠ってしまったので、小町との邂逅はこれで終わりですが、
これが今朝の出来事。

タイトル回収。

ま、どうせ夢なんでしょうけど、ちょっと次から、目を閉じてるのに見える時があったら、意識して動く様にしてみます。夢でも幽体離脱的な事ができたら面白いもんね。

小町が逝きました。

 
8/16に悪性腫瘍だと判明してから、血が滲み続けるお腹の傷を、毎日消毒して包帯を変えてきました。
癌が自壊し始めてからは、数日に一つずつ、お腹全体で自壊が始まり、どんどん大小のクレーターが増えていきました。
中から腐った癌が、膿としてドロドロと血液と共に滲むのを、拭き取り、消毒し、包帯を巻き直す毎日でした。小町は消毒でさえ痛いのに、じっと我慢をしてくれてました。

口内炎で口の中に大きな白いクレーターが出来る人って居ると思います。あれの数倍大きい物が、お腹全体に20〜30個ある事を想像してみて下さい。
小町の癌はそういう癌でした。
最初にあった左足付け根の癌は兎も角、これを切除すると何故か身体全体に一気にこのクレーターとじゅくじゅくが広がるタイプの物だそうで、切除してもしなくても寿命は変わらないとの事でした。寧ろ切除すれば背中にまで広がり、もっと痛くなる。横たわる事さえ出来なくなると。
左前脚も早い段階からビッコを引いていましたが、どうやら左肩の骨を覆う膜に転移していて、それで痛がっていたのだと判明しました。

8月いっぱいまではそれでも少し歩いてくれました。身体を自分で起こすこともできました。
しかし9月に入った途端、調子の良い時以外は小町は極力立たなくなりました。一度立てば多少歩くのですが。

毎日、毎日、小町の傷を消毒し、増えていくクレーターに気付き、血を拭き、ガーゼと包帯を巻き直しました。

歩けなくなった小町の為に、急遽バイクを買いました。

9月中、小町は毎日増えて行くクレーターと戦いながらも、それでも笑ってくれてました。感情を素直に出してくれました。

10月に入ると、ほぼ寝たきりに。
ご飯も食べたり食べなかったり。食べたとしても、量は以前の半分になりました。

この頃から、小町はテレビに興味を持ち、買ってあった音の出る輪っかで遊ぶようになりました。タオルもカジカジする様になりました。

じっと我慢をしていた消毒も嫌がる様になりました。
でもやらなければ。
極力血を拭き取るのもこすらない様にして、痛くない様に工夫を凝らしました。
小町はお風呂にも入れませんから、身体はどんどん汚れていきます。特にお腹と後ろ足周りは、膿と血で固まったりしていました。小町の自慢の綺麗な真っ白い毛が、どんどん汚れて行くのを見るしかありませんでした。
左後ろ脚からも遂に癌が溢れました。
左後ろ脚はパンパンに腫れ上がり、右後ろ脚の3倍ほどの太さになっていました。反対に右後ろ脚を含め他の脚3本は、筋肉が落ち、骨しか無くなりました。
お腹と左後ろ脚は包帯でグルグル巻きでした。
お腹の癌は肛門や膀胱のあたりにも膨らみ、小町のお尻はパンパン、生殖器も右にずれてしまいました。機能が失われなかった事は不幸中の幸いだと思います。

1日10gのご飯を食べるか食べないかの日が続いて居ました。
もう薬を飲むのも嫌みたいで、頑なに薬だけは吐き出していました。犬歯の後ろの歯が抜けていて隙間があるので、そこから一粒ずつフードを入れると、何とか食べていてくれました。
笑顔もだんだんなくなり、それでも手を伸ばして触って〜と甘えてくる毎日。
 
腫瘍はお腹から胸にまで広がり、胸を持って抱っこするのも気を付けないと痛そうでした。
指で触ってその腫瘍の全部の形がわかる程。
胸の腫瘍は最期まで自壊こそしませんでしたが、本当にあっという間に、数日のうちに拡がりました。
 
ですが、散歩の時に敢えて抱えて立っている状態、若しくはおすわりの状態にしてあげると、左右に首を動かして景色を見てました。普段は抱えてあげていない時はずっと横向きでしたから。
 
胃腸だけは元気で、多少緩くはなりましたがうんちもシッカリ。おしっこもしっかり。
逝く前日の夜も、小町がおトイレと決めている公園の芝生に寝かせると、昔と変わらずちゃんと自分で踏ん張ってしていました。踏ん張ると言っても横になったままですが。
 
1番初めにうんちをお漏らししてしまったのはいつだったか。
その時小町は、悔しそうに本当に涙を流しました。見てわかるくらいに落ち込み、この時も丸一日ご飯を口にしなかった様に思います。
同時に、この時くらいから、カメラを向けられると顔を背ける事も多くなりました。
汚くなって行く自分を残されたくなかったのかもしれません。

死の3週間前ほどから、うんちが出る時には僕に向かって「うおぅ」と、小さく遠吠えをして僕に「出るよー」と知らせてくれる様になりました。
その瞬間僕はうんち紙をお尻に当てて、小町の身体を汚さずにうんちを取る事ができる様になりました。綺麗好きな小町ですから、自分でうまくコントロールできないうんちで自分の身体が汚れるのが嫌だったんでしょうね。自慢の尻尾も汚れてしまいますから。その後のシャワーが嫌だったのかも知れないけど。

ご飯は食べないしガリガリに痩せてしまったけど、これだけうんちもおしっこも我慢もできてちゃんと出来るなら、もう少し一緒に居られるなと、考えていました。
 
だけどその夜。
いつものそんな散歩から帰ってからでした。23時。
風邪を引いたのか、小町が鼻水を出し始めました。
鼻が出るなら口を開けて呼吸しなーと言っても、口を開けようとせず、ずーずーと鼻をすするばかり。
でもあまりにも苦しそうなので、ティッシュを鼻に当てて水分を吸ってあげていました。
 
その間も小町はずっと僕を見てきます。視線を外しません。腕を伸ばしてきます。触ってて欲しいみたいでした。
 
僕は小町の要望通りにずっと手を握ってました。
お腹と胸の腫瘍を避け、背中をさすりました。
いい子だねと頭を撫でました。小町は頭を撫でられるのが好きでした。
 
夜中3時頃、小町と手を繋ぎつつ、僕が胡座をかいてウトウトしていると、何処かから小さいポンプの中で水が揺れている様な、ポコン、ポコン、という音が聞こえて来て目が覚めました。
 
見ると、小町の身体からその音がしています。
そして小町が苦しそうに動いて嘔吐。
それで一旦治りましたが、小町はまだ僕を見つめています。真っ直ぐ。苦しそうな呼吸のままで。
 
僕は直感しました。
 
夜が明けたら小町は逝く。
 
こんな時の為にバイクを買いました。
歩けない小町を沢山の場所に連れて行く為と、こんな時の為に。
夜中でもいつでも、小町が苦しければ夜間病院に連れて行って、すぐ治療をする為に。
 
でも出来ませんでした。
恐らくバイクの振動に小町は耐えられませんし、何より夜中。気温が下がってる。
それも小町の身体に障ります。
 
無駄でした。甘かったのです。
 
そんな事を思いながら、せめて小町の体勢を変えて、少しでも楽な体勢を探そう、小町は僕とくっつきたがってるから、そうしてあげようと思いました。
小町を抱き上げて、呼吸が楽になる角度を探し、優しく、でもぎゅっと抱き締めました。
小町はこんな時でも僕を見つめてました。首にも力が入らないので、首も腕で支えてあげます。
でも視線に力がない事がありありと分かります。
 
意識がすでに朦朧としていたのだと思います。
 
しかしいつまでも抱き上げていても、これも小町の体力を奪う。
いつも通り、そっとベッドに戻しました。
タオルを掛けると、こんな時でも大好きなタオルハミハミをしようとタオルを噛みます。
でも苦しいから続かない。
 
僕は左手で小町と握手し、右手で小町の頭や背中を撫でるしか出来ませんでした。
 
5時までそのまま2人で過ごし、その後、どうやら僕は2時間ほど眠ってしまった様でした。
7時に目を覚ますと、変わらず小町は僕を見つめていました。真っ直ぐ。
 
またポンプの音がしました。
小町が黄色い液体を吐きました。
 
口をすすいであげたら楽になるかと、指に水を付けて、小町の口へ持って行きました。ほんの少しだけ、舐め取ってくれました。
 
そしてまた嘔吐。今度はおしっこ。下痢も。
 
2度の下痢。お尻を綺麗にしてあげました。
自慢の尻尾にも少しついてしまいましたが、それも大方取れました。
 
9時に開くお医者様に間に合う様に、8:30に家を出ました。快晴。
 
小町は苦しい呼吸をしたままですが、それでも行き交う自転車やトラックを見ていた様に思います。
ゆっくり、カートを振動させない様にゆっくり、それでも急いで病院へ歩きました。
 
小町に話し掛けました。いつも通りに。「天気が良くてよかったねー。朝だから空気が美味しいねー。後でいつもの公園の芝生でおトイレしようねー。」でもこれが叶わない事は分かっていました。
 
30分歩き、9:00丁度に病院へ。
診察台に移し替える時も、首がだらんと垂れ下がりました。昨晩の散歩の時に首を持ち上げていたのが嘘の様でした。首を抱え、そっと診察台へ。
 
即座に痛み止め、吐き気どめの注射。と点滴。
 
15分程して小町と対面。
呼吸は落ち着いていた様子でした。
もしかしたらまたあと少し一緒に居られるのかな?と少し希望を持ちました。
 
ゆっくり呼吸をしている小町を見ながら、お会計。
その途中ふと小町を見ると、カートの中で今までにない程大きく目を見開いていました。

元々目が大きく美人な小町の目。
その目が、うちに来てから一番大きく開いていました。
 
僕は「こまたん目をそんなに開いてどうしたのー?少し楽になったからお家に帰ろうねー。」
と話し掛け、寒くない様に掛け布団がわりのマフラーを首元まで掛け直し、そのまま会計を終わらせ、病院を出ました。
 
でも病院から出て最初の交差点を渡った時、小町が会計時と同じ表情で全く動いていない事に気付きました。
 
頭の中では「今だったか。」「まだ死なないでいてくれ。」がごちゃごちゃと巡りました。

小町に触ってみます。頭を撫でます。鼻の前に指を出してみます。胸に指を当てます。
 
まだ暖かいのに、あるべき呼吸と、動いているべき心臓は止まっていました。
 
会計時、目を大きく開いたあと、眠る様に目を閉じたので、楽になって安心して眠ったのだろうと思っていました。
でもあの瞬間、本当の意味で、永遠の眠りについたんだと理解しました。
 
小町の頭を撫でました。
「頑張ったねー。凄く頑張ったね。でも楽になったねー。これからは痛くないし歩けるからどこにでも行けるねー。小町は耳が大きいからダンボみたいに空も飛べるぞー。」
撫でながらこんな事を話した様に思います。
マフラーも再度掛け直して寒くない様にしてあげました。
 
小町はいつもの様に眠っている様でした。
雲ひとつない快晴の空の下、少し笑いながら眠っている様でした。気持ち良さそうに。
 
暫く小町とお話をした後、病院に引き返しました。
病院に入ると丁度先生が受付に来ていたので、周りの飼い主様たちもいましたが、
「先生、今小町が死にました。」
と告げました。
 
先生も周りの人達も驚いた様子でしたが、先生は直ぐに診察室へ小町を迎え入れてくれ、改めて死の確認をしてくれました。
 
9:30a.m.死亡確認。
小町の儚かった一生が終わりました。
余りにも切ない、余りにも不自由な一生でした。

ブリーダーの元で、美人が故に繁殖犬として生かされ、産まれてからのたった3年のうちに2度の出産。消耗した身体は乳腺種に侵され、子宮と腫瘍を切除。その間、恐らくろくに散歩もしてもらえてなかったのでしょう。僕が外に連れ出しても最初は立ち竦んで一歩も動きませんでした。
そして僕のうちに来て2ヶ月目には悪性の癌が発覚、場所的に切除も出来ず、残り2ヶ月は歩けなくなって寝たきり。

自由になった4ヶ月でさえも、そのうち半分は寝たきりの一生でした。

そのまま先生方は口、鼻、お尻に綿を詰めてくれ、お腹と、左後ろ脚の包帯も綺麗に巻き直してくれました。一番最初のしこりは左後ろ脚の付け根でした。左脚は既にパンパンに腫れ、上述した様に歩かせようとしても動きませんでした。小町は僕に支えられながら、残り三本の脚で立ち、歩こうとしました。左後ろ脚だけは、もう感覚もなかったのでしょう、ズルズルと引きずるだけでした。
 
処置が終わり、看護師さん、周りの飼い主の方々に見送られながら病院を後にしました。
 
病院から家まで通常、徒歩20分ですが、60分かけて、途中でドライアイスを買って帰りました。
本当の最後の散歩を2人でゆっくり歩きました。
 
その夜の火葬は予約が取れず、4日ほど小町は部屋でスヤスヤと眠っていました。
病院と、ドライフードの会社から届いたお花、立てなくなってから興味を持ち出してよく噛んでいたおもちゃ、そして毛布がわりのタオル。
好きなものに囲まれて、スヤスヤと眠っていました。
 
その間、いつも通りに小町とお話をしました。
小町に沢山チューもしました。尻尾をいじって、頭を撫でて、握手をしました。
ご飯も変えて、おやつもあげて、いつも通りに過ごしました。昼間には抱っこをしてベランダへ。外の空気を感じさせました。
 
そして、火葬。
 
癌は燃えにくいらしく、中型犬と同じだけの時間が掛かりました。脳にも転移していた様です。
脳が黒く残っていました。
 
最後の1週間、明らかにボーッとして元気が無くなったのはこのせいだと思います。そして、最後の夜に肺に転移。一気に終わりの時を迎えました。
 
小町は今も部屋にいます。
49日が過ぎたら、バイクで色んなところに連れていこうと思います。
 
法律的にはグレーだそうですが、迷惑にならない程度に、すぐに自然に還る程度に、粉骨した小町の骨を撒いて回ろうと思います。
 
納骨は、しません。恐らく。

小町の、病気でも自分で遊びを開発し、興味がなかった事に興味を覚え、生きようとする姿に、心が震えました。

寝たきりになってからも、小町は最期の日までいろんな事を覚えようとしていました。
イケメンが好きでした。テレビからイケメンの声が聞こえると、何をしていてもテレビを凝視しました。イケメン繋がりでしょう、近くのバスケットコートに行くと、バスケをする少年達をいつまでも見つめていました。
歩けなくても、首の力だけで1mも移動し、PS4のコントローラーのコードを噛みちぎりました。
調子のいい時はヘソ天からの寝返りを見せ、こんなに出来るよーと、それを連続でして見せてドヤ顔をしました。
留守番中ウンチやオシッコが我慢できない時は、ベッドの上にして、自分は移動してベッドから落ちてました。
お椀の水を飲みづらい時は、前脚に水をつけ、それを舐め取ることを覚えました。
何かハミハミしていると気が紛れるのか、布団がわりのタオルやマフラーをハミハミして遊び始めました。
引き取ってきて二〜三日は、お留守番が嫌で行かないでと鳴きましたが、四日目くらいからは我慢して鳴かなくなりました。
注射も一切鳴きませんでした。お腹の腫瘍の検査の為、太い針を刺されて腫瘍をグリグリされても、そこを見ながらじっと我慢をしていました。
 
小町には我慢ばかりさせていました。多分。
精一杯、仕事以外の時間を小町に向けました。
小町のベッドのあるリビングに僕のベッドマットを移し、小町の様子を見ながら寝ました。
夜中の2時でも3時でも4時でも、小町がウンチやオシッコをしたそうなら外に連れ出しました。
僕に外に連れ出す体力がない時は、抱えて立たせてウンチが出るまで待ちました。
毎日1時間に一回はその様にして起きて、僕もほぼ眠らない日が続きました。2ヶ月程、殆ど眠りませんでした。
でも小町には足りなかったのかも知れません。
僕が在宅仕事でもしていたのなら、もっと小町を理解出来たと思います。もっと小町といられたのだと思います。

貰って来たのが僕でなければ、もっといい治療を受ける事が出来たのかもしれません。

小町の辛かった3年間の記憶を打ち消すくらい、もっと沢山の場所に連れて行きたかった。
もっと沢山の匂いを嗅がせたかった。
もっと沢山の人に会わせたかった。
僕じゃなければ、という後悔の念。
これはどうしても消えません。
そんな事は関係ないと分かっても居るのですが。

そして生き物とは、どうしてこんなに力強いのだろう。どうしてこんなに真っ直ぐなんだろう。
生きるって、どういう事なんだろう。
小町の姿を思い浮かべる度、そんな事が頭を過ぎります。
 
安楽死は選べませんでした。
安楽死をした方が苦しませなくて済む。
でもそれは人間のエゴではないのか。答えは出ませんが、考えるべき事が増えました。
 
そして、朧げながら、犬が飼い主と共にいる時間をもっと幸せに出来る手伝いができないかを考え始めました。
 
ドッグランも、動物病院も、トリミングも、トレーナーもセラピストも、あわよくばホテルもレストランも全てひとつになった犬と家族の為の複合施設の地元での展開。ドッグリゾート。
 そして僕自身の、ドッグセラピストや介護士の資格取得。
 
僕ら人間には自分が望むだけ何でも出来る世界があります。
でも小町達の様な犬には、飼い主だけなのです。
飼い主が全てなのです。

だから、保護犬を貰ってくる活動もしていきたいし、犬との幸せな時間を望む人達の手伝いをしたいと思いました。

新しい夢が出来ました。
小町のお陰です。



僕は馬鹿だから、いつか小町との時間を忘れてしまうかも知れません。
だけど小町が苦しんだ最期の夜と小町の力強い命と、小町の、カートの中の最期の瞬間を忘れたくありません。その為にここに書かせてもらいます。

だからこの記事は半分、ただの自己満足の日記です。
 
せめて、あの病院の会計時、大きく見開いた目の視界の端に、僕が写っていた事を願います。

9/18。左後ろ脚がむくんで曲がらなくなってます。
上の写真の後、自分一人でバランスを取っておしっこをすることが出来ず、初めて転んだまま漏らしてしまいました。
その時に流した悔し涙の写真。目の下、真ん中に雫が一つ。
犬は排泄にプライドがあるそうで、漏らしてしまった事、飼い主に排泄の世話をかける事を嫌がるそうです。この後、悔しさと怒りをぶつける様に、草を無我夢中で毟っていました。
犬も悔し涙を流す事を知りました。
多分機嫌が悪い日は、こういう事を思い出してたりしてたのかもしれません。

 いつもこんな感じ。
 いつもこんな感じ。
 いつもこんな感じで見てた。
10/20くらい。気の早いハロウィン。

動けなくなってすぐの頃。

 ご飯にはしゃぐ小町。
 逝った後うちに帰って来てすぐにベットに寝かせました。
 この眠ってる様に見える写真を撮って、動かない事に気付きました。
 お花に囲まれて。
 小さくなりました。
 何でか笑ってたなあこの時は。
2人してすまし顔。
ニコニコ。

舐める。
 まだ身体を起こせた頃。

呼ぶだけでニコニコ。
 何を見てたんだっけ。
 
 
 
昨日の夜中に一件小町の病状の記事を書きました。

その後、全身どこを触ってもギャン泣きしたので今朝お医者に連れて行きました。
道程20分の途中、カートの中でそれまでボーッとして居た小町がいきなり顔を上げてキョトンとした目でこちらを見ました。

何かあったのか分からないままそのまま病院へ到着。

診察台に乗せる時も、小町、病院で初めてのギャン泣き。

ああ、いよいよダメなんだなと思った瞬間、ふと空になったカートを見ると、うんちがありました。途中でこちらを見上げた時に漏らしたんだな。

と同時に、診察台の上でおしっこお漏らし。

お医者様に謝りつつ処理をして頂き、肝心の診察。

モルヒネ並みの痛み止めを使う様にすれば痛みは抑えられるが、お金はかかるし基本的には矢張り見守るしかないとの事。

それを聞きつつふと小町の顔を見ると、看護師さんに抱えられながら満面の笑み。

今朝から具合が悪かった風に見えたのはずっと排泄を我慢して居て、ここでスッキリしたからだと判明!現金な奴!

お医者様と共に安心の苦笑い。

その後はギャン泣きする事もなく、カートの中でお昼寝しつつ無事に帰宅。
帰宅してすぐに再度おしっことうんち。

今はスッキリした顔でベッドでお昼寝。

取り敢えず、ギャン泣きする場合は「今触られたら漏らす!!」の意味もある事を確認致しました。

毎日大変です。

カートの中で目を覚ましご機嫌な小町。