小町が逝きました。

 
8/16に悪性腫瘍だと判明してから、血が滲み続けるお腹の傷を、毎日消毒して包帯を変えてきました。
癌が自壊し始めてからは、数日に一つずつ、お腹全体で自壊が始まり、どんどん大小のクレーターが増えていきました。
中から腐った癌が、膿としてドロドロと血液と共に滲むのを、拭き取り、消毒し、包帯を巻き直す毎日でした。小町は消毒でさえ痛いのに、じっと我慢をしてくれてました。

口内炎で口の中に大きな白いクレーターが出来る人って居ると思います。あれの数倍大きい物が、お腹全体に20〜30個ある事を想像してみて下さい。
小町の癌はそういう癌でした。
最初にあった左足付け根の癌は兎も角、これを切除すると何故か身体全体に一気にこのクレーターとじゅくじゅくが広がるタイプの物だそうで、切除してもしなくても寿命は変わらないとの事でした。寧ろ切除すれば背中にまで広がり、もっと痛くなる。横たわる事さえ出来なくなると。
左前脚も早い段階からビッコを引いていましたが、どうやら左肩の骨を覆う膜に転移していて、それで痛がっていたのだと判明しました。

8月いっぱいまではそれでも少し歩いてくれました。身体を自分で起こすこともできました。
しかし9月に入った途端、調子の良い時以外は小町は極力立たなくなりました。一度立てば多少歩くのですが。

毎日、毎日、小町の傷を消毒し、増えていくクレーターに気付き、血を拭き、ガーゼと包帯を巻き直しました。

歩けなくなった小町の為に、急遽バイクを買いました。

9月中、小町は毎日増えて行くクレーターと戦いながらも、それでも笑ってくれてました。感情を素直に出してくれました。

10月に入ると、ほぼ寝たきりに。
ご飯も食べたり食べなかったり。食べたとしても、量は以前の半分になりました。

この頃から、小町はテレビに興味を持ち、買ってあった音の出る輪っかで遊ぶようになりました。タオルもカジカジする様になりました。

じっと我慢をしていた消毒も嫌がる様になりました。
でもやらなければ。
極力血を拭き取るのもこすらない様にして、痛くない様に工夫を凝らしました。
小町はお風呂にも入れませんから、身体はどんどん汚れていきます。特にお腹と後ろ足周りは、膿と血で固まったりしていました。小町の自慢の綺麗な真っ白い毛が、どんどん汚れて行くのを見るしかありませんでした。
左後ろ脚からも遂に癌が溢れました。
左後ろ脚はパンパンに腫れ上がり、右後ろ脚の3倍ほどの太さになっていました。反対に右後ろ脚を含め他の脚3本は、筋肉が落ち、骨しか無くなりました。
お腹と左後ろ脚は包帯でグルグル巻きでした。
お腹の癌は肛門や膀胱のあたりにも膨らみ、小町のお尻はパンパン、生殖器も右にずれてしまいました。機能が失われなかった事は不幸中の幸いだと思います。

1日10gのご飯を食べるか食べないかの日が続いて居ました。
もう薬を飲むのも嫌みたいで、頑なに薬だけは吐き出していました。犬歯の後ろの歯が抜けていて隙間があるので、そこから一粒ずつフードを入れると、何とか食べていてくれました。
笑顔もだんだんなくなり、それでも手を伸ばして触って〜と甘えてくる毎日。
 
腫瘍はお腹から胸にまで広がり、胸を持って抱っこするのも気を付けないと痛そうでした。
指で触ってその腫瘍の全部の形がわかる程。
胸の腫瘍は最期まで自壊こそしませんでしたが、本当にあっという間に、数日のうちに拡がりました。
 
ですが、散歩の時に敢えて抱えて立っている状態、若しくはおすわりの状態にしてあげると、左右に首を動かして景色を見てました。普段は抱えてあげていない時はずっと横向きでしたから。
 
胃腸だけは元気で、多少緩くはなりましたがうんちもシッカリ。おしっこもしっかり。
逝く前日の夜も、小町がおトイレと決めている公園の芝生に寝かせると、昔と変わらずちゃんと自分で踏ん張ってしていました。踏ん張ると言っても横になったままですが。
 
1番初めにうんちをお漏らししてしまったのはいつだったか。
その時小町は、悔しそうに本当に涙を流しました。見てわかるくらいに落ち込み、この時も丸一日ご飯を口にしなかった様に思います。
同時に、この時くらいから、カメラを向けられると顔を背ける事も多くなりました。
汚くなって行く自分を残されたくなかったのかもしれません。

死の3週間前ほどから、うんちが出る時には僕に向かって「うおぅ」と、小さく遠吠えをして僕に「出るよー」と知らせてくれる様になりました。
その瞬間僕はうんち紙をお尻に当てて、小町の身体を汚さずにうんちを取る事ができる様になりました。綺麗好きな小町ですから、自分でうまくコントロールできないうんちで自分の身体が汚れるのが嫌だったんでしょうね。自慢の尻尾も汚れてしまいますから。その後のシャワーが嫌だったのかも知れないけど。

ご飯は食べないしガリガリに痩せてしまったけど、これだけうんちもおしっこも我慢もできてちゃんと出来るなら、もう少し一緒に居られるなと、考えていました。
 
だけどその夜。
いつものそんな散歩から帰ってからでした。23時。
風邪を引いたのか、小町が鼻水を出し始めました。
鼻が出るなら口を開けて呼吸しなーと言っても、口を開けようとせず、ずーずーと鼻をすするばかり。
でもあまりにも苦しそうなので、ティッシュを鼻に当てて水分を吸ってあげていました。
 
その間も小町はずっと僕を見てきます。視線を外しません。腕を伸ばしてきます。触ってて欲しいみたいでした。
 
僕は小町の要望通りにずっと手を握ってました。
お腹と胸の腫瘍を避け、背中をさすりました。
いい子だねと頭を撫でました。小町は頭を撫でられるのが好きでした。
 
夜中3時頃、小町と手を繋ぎつつ、僕が胡座をかいてウトウトしていると、何処かから小さいポンプの中で水が揺れている様な、ポコン、ポコン、という音が聞こえて来て目が覚めました。
 
見ると、小町の身体からその音がしています。
そして小町が苦しそうに動いて嘔吐。
それで一旦治りましたが、小町はまだ僕を見つめています。真っ直ぐ。苦しそうな呼吸のままで。
 
僕は直感しました。
 
夜が明けたら小町は逝く。
 
こんな時の為にバイクを買いました。
歩けない小町を沢山の場所に連れて行く為と、こんな時の為に。
夜中でもいつでも、小町が苦しければ夜間病院に連れて行って、すぐ治療をする為に。
 
でも出来ませんでした。
恐らくバイクの振動に小町は耐えられませんし、何より夜中。気温が下がってる。
それも小町の身体に障ります。
 
無駄でした。甘かったのです。
 
そんな事を思いながら、せめて小町の体勢を変えて、少しでも楽な体勢を探そう、小町は僕とくっつきたがってるから、そうしてあげようと思いました。
小町を抱き上げて、呼吸が楽になる角度を探し、優しく、でもぎゅっと抱き締めました。
小町はこんな時でも僕を見つめてました。首にも力が入らないので、首も腕で支えてあげます。
でも視線に力がない事がありありと分かります。
 
意識がすでに朦朧としていたのだと思います。
 
しかしいつまでも抱き上げていても、これも小町の体力を奪う。
いつも通り、そっとベッドに戻しました。
タオルを掛けると、こんな時でも大好きなタオルハミハミをしようとタオルを噛みます。
でも苦しいから続かない。
 
僕は左手で小町と握手し、右手で小町の頭や背中を撫でるしか出来ませんでした。
 
5時までそのまま2人で過ごし、その後、どうやら僕は2時間ほど眠ってしまった様でした。
7時に目を覚ますと、変わらず小町は僕を見つめていました。真っ直ぐ。
 
またポンプの音がしました。
小町が黄色い液体を吐きました。
 
口をすすいであげたら楽になるかと、指に水を付けて、小町の口へ持って行きました。ほんの少しだけ、舐め取ってくれました。
 
そしてまた嘔吐。今度はおしっこ。下痢も。
 
2度の下痢。お尻を綺麗にしてあげました。
自慢の尻尾にも少しついてしまいましたが、それも大方取れました。
 
9時に開くお医者様に間に合う様に、8:30に家を出ました。快晴。
 
小町は苦しい呼吸をしたままですが、それでも行き交う自転車やトラックを見ていた様に思います。
ゆっくり、カートを振動させない様にゆっくり、それでも急いで病院へ歩きました。
 
小町に話し掛けました。いつも通りに。「天気が良くてよかったねー。朝だから空気が美味しいねー。後でいつもの公園の芝生でおトイレしようねー。」でもこれが叶わない事は分かっていました。
 
30分歩き、9:00丁度に病院へ。
診察台に移し替える時も、首がだらんと垂れ下がりました。昨晩の散歩の時に首を持ち上げていたのが嘘の様でした。首を抱え、そっと診察台へ。
 
即座に痛み止め、吐き気どめの注射。と点滴。
 
15分程して小町と対面。
呼吸は落ち着いていた様子でした。
もしかしたらまたあと少し一緒に居られるのかな?と少し希望を持ちました。
 
ゆっくり呼吸をしている小町を見ながら、お会計。
その途中ふと小町を見ると、カートの中で今までにない程大きく目を見開いていました。

元々目が大きく美人な小町の目。
その目が、うちに来てから一番大きく開いていました。
 
僕は「こまたん目をそんなに開いてどうしたのー?少し楽になったからお家に帰ろうねー。」
と話し掛け、寒くない様に掛け布団がわりのマフラーを首元まで掛け直し、そのまま会計を終わらせ、病院を出ました。
 
でも病院から出て最初の交差点を渡った時、小町が会計時と同じ表情で全く動いていない事に気付きました。
 
頭の中では「今だったか。」「まだ死なないでいてくれ。」がごちゃごちゃと巡りました。

小町に触ってみます。頭を撫でます。鼻の前に指を出してみます。胸に指を当てます。
 
まだ暖かいのに、あるべき呼吸と、動いているべき心臓は止まっていました。
 
会計時、目を大きく開いたあと、眠る様に目を閉じたので、楽になって安心して眠ったのだろうと思っていました。
でもあの瞬間、本当の意味で、永遠の眠りについたんだと理解しました。
 
小町の頭を撫でました。
「頑張ったねー。凄く頑張ったね。でも楽になったねー。これからは痛くないし歩けるからどこにでも行けるねー。小町は耳が大きいからダンボみたいに空も飛べるぞー。」
撫でながらこんな事を話した様に思います。
マフラーも再度掛け直して寒くない様にしてあげました。
 
小町はいつもの様に眠っている様でした。
雲ひとつない快晴の空の下、少し笑いながら眠っている様でした。気持ち良さそうに。
 
暫く小町とお話をした後、病院に引き返しました。
病院に入ると丁度先生が受付に来ていたので、周りの飼い主様たちもいましたが、
「先生、今小町が死にました。」
と告げました。
 
先生も周りの人達も驚いた様子でしたが、先生は直ぐに診察室へ小町を迎え入れてくれ、改めて死の確認をしてくれました。
 
9:30a.m.死亡確認。
小町の儚かった一生が終わりました。
余りにも切ない、余りにも不自由な一生でした。

ブリーダーの元で、美人が故に繁殖犬として生かされ、産まれてからのたった3年のうちに2度の出産。消耗した身体は乳腺種に侵され、子宮と腫瘍を切除。その間、恐らくろくに散歩もしてもらえてなかったのでしょう。僕が外に連れ出しても最初は立ち竦んで一歩も動きませんでした。
そして僕のうちに来て2ヶ月目には悪性の癌が発覚、場所的に切除も出来ず、残り2ヶ月は歩けなくなって寝たきり。

自由になった4ヶ月でさえも、そのうち半分は寝たきりの一生でした。

そのまま先生方は口、鼻、お尻に綿を詰めてくれ、お腹と、左後ろ脚の包帯も綺麗に巻き直してくれました。一番最初のしこりは左後ろ脚の付け根でした。左脚は既にパンパンに腫れ、上述した様に歩かせようとしても動きませんでした。小町は僕に支えられながら、残り三本の脚で立ち、歩こうとしました。左後ろ脚だけは、もう感覚もなかったのでしょう、ズルズルと引きずるだけでした。
 
処置が終わり、看護師さん、周りの飼い主の方々に見送られながら病院を後にしました。
 
病院から家まで通常、徒歩20分ですが、60分かけて、途中でドライアイスを買って帰りました。
本当の最後の散歩を2人でゆっくり歩きました。
 
その夜の火葬は予約が取れず、4日ほど小町は部屋でスヤスヤと眠っていました。
病院と、ドライフードの会社から届いたお花、立てなくなってから興味を持ち出してよく噛んでいたおもちゃ、そして毛布がわりのタオル。
好きなものに囲まれて、スヤスヤと眠っていました。
 
その間、いつも通りに小町とお話をしました。
小町に沢山チューもしました。尻尾をいじって、頭を撫でて、握手をしました。
ご飯も変えて、おやつもあげて、いつも通りに過ごしました。昼間には抱っこをしてベランダへ。外の空気を感じさせました。
 
そして、火葬。
 
癌は燃えにくいらしく、中型犬と同じだけの時間が掛かりました。脳にも転移していた様です。
脳が黒く残っていました。
 
最後の1週間、明らかにボーッとして元気が無くなったのはこのせいだと思います。そして、最後の夜に肺に転移。一気に終わりの時を迎えました。
 
小町は今も部屋にいます。
49日が過ぎたら、バイクで色んなところに連れていこうと思います。
 
法律的にはグレーだそうですが、迷惑にならない程度に、すぐに自然に還る程度に、粉骨した小町の骨を撒いて回ろうと思います。
 
納骨は、しません。恐らく。

小町の、病気でも自分で遊びを開発し、興味がなかった事に興味を覚え、生きようとする姿に、心が震えました。

寝たきりになってからも、小町は最期の日までいろんな事を覚えようとしていました。
イケメンが好きでした。テレビからイケメンの声が聞こえると、何をしていてもテレビを凝視しました。イケメン繋がりでしょう、近くのバスケットコートに行くと、バスケをする少年達をいつまでも見つめていました。
歩けなくても、首の力だけで1mも移動し、PS4のコントローラーのコードを噛みちぎりました。
調子のいい時はヘソ天からの寝返りを見せ、こんなに出来るよーと、それを連続でして見せてドヤ顔をしました。
留守番中ウンチやオシッコが我慢できない時は、ベッドの上にして、自分は移動してベッドから落ちてました。
お椀の水を飲みづらい時は、前脚に水をつけ、それを舐め取ることを覚えました。
何かハミハミしていると気が紛れるのか、布団がわりのタオルやマフラーをハミハミして遊び始めました。
引き取ってきて二〜三日は、お留守番が嫌で行かないでと鳴きましたが、四日目くらいからは我慢して鳴かなくなりました。
注射も一切鳴きませんでした。お腹の腫瘍の検査の為、太い針を刺されて腫瘍をグリグリされても、そこを見ながらじっと我慢をしていました。
 
小町には我慢ばかりさせていました。多分。
精一杯、仕事以外の時間を小町に向けました。
小町のベッドのあるリビングに僕のベッドマットを移し、小町の様子を見ながら寝ました。
夜中の2時でも3時でも4時でも、小町がウンチやオシッコをしたそうなら外に連れ出しました。
僕に外に連れ出す体力がない時は、抱えて立たせてウンチが出るまで待ちました。
毎日1時間に一回はその様にして起きて、僕もほぼ眠らない日が続きました。2ヶ月程、殆ど眠りませんでした。
でも小町には足りなかったのかも知れません。
僕が在宅仕事でもしていたのなら、もっと小町を理解出来たと思います。もっと小町といられたのだと思います。

貰って来たのが僕でなければ、もっといい治療を受ける事が出来たのかもしれません。

小町の辛かった3年間の記憶を打ち消すくらい、もっと沢山の場所に連れて行きたかった。
もっと沢山の匂いを嗅がせたかった。
もっと沢山の人に会わせたかった。
僕じゃなければ、という後悔の念。
これはどうしても消えません。
そんな事は関係ないと分かっても居るのですが。

そして生き物とは、どうしてこんなに力強いのだろう。どうしてこんなに真っ直ぐなんだろう。
生きるって、どういう事なんだろう。
小町の姿を思い浮かべる度、そんな事が頭を過ぎります。
 
安楽死は選べませんでした。
安楽死をした方が苦しませなくて済む。
でもそれは人間のエゴではないのか。答えは出ませんが、考えるべき事が増えました。
 
そして、朧げながら、犬が飼い主と共にいる時間をもっと幸せに出来る手伝いができないかを考え始めました。
 
ドッグランも、動物病院も、トリミングも、トレーナーもセラピストも、あわよくばホテルもレストランも全てひとつになった犬と家族の為の複合施設の地元での展開。ドッグリゾート。
 そして僕自身の、ドッグセラピストや介護士の資格取得。
 
僕ら人間には自分が望むだけ何でも出来る世界があります。
でも小町達の様な犬には、飼い主だけなのです。
飼い主が全てなのです。

だから、保護犬を貰ってくる活動もしていきたいし、犬との幸せな時間を望む人達の手伝いをしたいと思いました。

新しい夢が出来ました。
小町のお陰です。



僕は馬鹿だから、いつか小町との時間を忘れてしまうかも知れません。
だけど小町が苦しんだ最期の夜と小町の力強い命と、小町の、カートの中の最期の瞬間を忘れたくありません。その為にここに書かせてもらいます。

だからこの記事は半分、ただの自己満足の日記です。
 
せめて、あの病院の会計時、大きく見開いた目の視界の端に、僕が写っていた事を願います。

9/18。左後ろ脚がむくんで曲がらなくなってます。
上の写真の後、自分一人でバランスを取っておしっこをすることが出来ず、初めて転んだまま漏らしてしまいました。
その時に流した悔し涙の写真。目の下、真ん中に雫が一つ。
犬は排泄にプライドがあるそうで、漏らしてしまった事、飼い主に排泄の世話をかける事を嫌がるそうです。この後、悔しさと怒りをぶつける様に、草を無我夢中で毟っていました。
犬も悔し涙を流す事を知りました。
多分機嫌が悪い日は、こういう事を思い出してたりしてたのかもしれません。

 いつもこんな感じ。
 いつもこんな感じ。
 いつもこんな感じで見てた。
10/20くらい。気の早いハロウィン。

動けなくなってすぐの頃。

 ご飯にはしゃぐ小町。
 逝った後うちに帰って来てすぐにベットに寝かせました。
 この眠ってる様に見える写真を撮って、動かない事に気付きました。
 お花に囲まれて。
 小さくなりました。
 何でか笑ってたなあこの時は。
2人してすまし顔。
ニコニコ。

舐める。
 まだ身体を起こせた頃。

呼ぶだけでニコニコ。
 何を見てたんだっけ。
 
 
 
昨日の夜中に一件小町の病状の記事を書きました。

その後、全身どこを触ってもギャン泣きしたので今朝お医者に連れて行きました。
道程20分の途中、カートの中でそれまでボーッとして居た小町がいきなり顔を上げてキョトンとした目でこちらを見ました。

何かあったのか分からないままそのまま病院へ到着。

診察台に乗せる時も、小町、病院で初めてのギャン泣き。

ああ、いよいよダメなんだなと思った瞬間、ふと空になったカートを見ると、うんちがありました。途中でこちらを見上げた時に漏らしたんだな。

と同時に、診察台の上でおしっこお漏らし。

お医者様に謝りつつ処理をして頂き、肝心の診察。

モルヒネ並みの痛み止めを使う様にすれば痛みは抑えられるが、お金はかかるし基本的には矢張り見守るしかないとの事。

それを聞きつつふと小町の顔を見ると、看護師さんに抱えられながら満面の笑み。

今朝から具合が悪かった風に見えたのはずっと排泄を我慢して居て、ここでスッキリしたからだと判明!現金な奴!

お医者様と共に安心の苦笑い。

その後はギャン泣きする事もなく、カートの中でお昼寝しつつ無事に帰宅。
帰宅してすぐに再度おしっことうんち。

今はスッキリした顔でベッドでお昼寝。

取り敢えず、ギャン泣きする場合は「今触られたら漏らす!!」の意味もある事を確認致しました。

毎日大変です。

カートの中で目を覚ましご機嫌な小町。
小町、まだ生きてます。嬉しい。

だけど、本格的に立てません。
四股の筋肉はすっかり落ちて、ほぼ骨だけになってしまってます。老人の手足みたい。
背中の筋肉も落ちて、抱っこすると背骨がガリガリ手に当たります。

調子のいい時は寝返りを自分で打てますが、殆どの場合は寝返りを打とうとして足をバタバタさせて、諦める。そしてクンクン鳴きます。

癌が泌尿器周りにまで膨らみ、お腹の血の巡りが阻害され、肛門周りが浮腫んでいます。
一番最初にしこりに気付いた左後ろ脚の股関節近辺は、既に自壊し膿が止まらない状態。
左脚太腿にまで癌が拡がっていて、左脚からも一箇所、血が流れています。

その他にも、お腹の真ん中、右足股関節も自壊しており、そこら中から膿が流れて居ます。

毎日AP水で消毒して、抗生物質を塗って、吸収率が高いという人間用絆創膏を乗せ、包帯を変えて居ます。お腹グルグル巻きです。

元々我慢強く大人しい子なので、仰向けにされて居てもじっと我慢してくれるのは嬉しいです。消毒中、AP水をひたひたにしたガーゼで膿の傷を拭きますが、我慢してくれて居ます。

もう立てませんし、そんな浮腫み具合なので排泄をなかなか自分の意思で上手くできないため、家に誰も居ない間にお漏らししている事が増えました。

そして悔しさに涙を流しながら、そこは綺麗好きの小町、首の筋肉だけで何とか汚れたベットから降り、床に寝たりして居ます。
身体中に癌が転移してますから、ずりずりしても痛いはずだけど、頑張ってます。

帰って来てそれに気づくと、犬用ウエットティッシュで汚れを拭いてやります。
そんな時にも小町は悔しそうな顔をします。
犬はプライドが高い動物です。
飼い主にそんな事をさせるのは一番嫌う。
でも、「上手に出せたね」と褒めてやります。
気にしなくていいと、言って聞かせます。


犬の最期はご飯を食べなくなったら。
と聞きます。
小町もそうなったら安楽死させようと考えてます。

でも。
いつまで経っても食欲が止まらないのです。

量自体は元気な頃の半分近くにまで減りましたが、がっつき方は変わらない。
ドライフードは飽きたらしくあまり食いつきませんが、鶏肉、豚肉、ヨーグルト、ワンコ用お菓子を混ぜた時は、食べるのです。ガツガツと。
後、公園に生えてる草。そんなに力一杯引っ張って肩の癌は痛くないのか?と心配になる程の勢いで引っ張って食べます。

便意が夜中に来た時などは、何とか自分で立つ仕草を見せます。
なので身体を持ち上げて、小町用トイレに立たせます。
脚の位置を決めてやり、出来るだけ力が入りやすい様にお腹と胸を支え、持ち上げてやります。
小町も踏ん張りますが、おしっこもうんちも出ない時があります。
そのうち小町は疲れて、全体重を僕の手に乗せて来ます。頭は床についてしまいます。悔しそうにクンクン鳴きながら、諦めます。

ここ1週間は、便意尿意のタイミングが夜中に当たってしまったので、この様な格闘を小町としつつ、それでもダメなら深夜何時だろうがカートに乗せて外の好きなおトイレ場所に連れて行きます。
外の空気も吸えて、例え出るものが出なくても、小町の顔は落ち着きます。

帰ってベットに寝かせると、今度は甘えて寝かせてくれない。そのうちまた立とうとし始めるから、おトイレに立たせる。
朝の光が部屋に入り始めて、やっと小町が少し眠くなる。

本当に寝られてません。
だけど、週の2/3は昼間一人にさせているので、せめて一緒にいる間はわがままも聞こうと。

大変だけど、そんな毎日です。

出来るだけ永く生きて欲しいけど、痛くなるだけなら早目に安楽死させた方がいいのか、だけどそれは飼い主のエゴなんじゃないか。

ずっと考えてます。


小町のホワイトドラゴン的な綺麗な尻尾。




北海道の皆さん、自身のその後、大丈夫でしょうか。全道的に停電が復旧して居ないと聞きます。(一部は通電?)
何も出来ませんが、1日でも早く、日常にもどれる様祈っております。
こういう時に、すぐに動ける人間になりたいなと、毎回思います。


昨日、無事にバイクが納車されました。
鈴菌に侵されました。
ST250  typeE。2005年製14670m走行済み。

初の単気筒エンジンの扱い方がわからずビクビクしながらも、よくご機嫌に回ってくれるお陰で、今日は昨日と打って変わって調子の良さそうな小町を近くの道満グリーンパークまで連れて行くことができました。
夜だから真っ暗だったけど。

思った通り小町は景色が早く動くのに夢中で、目を機嫌のいい時のまん丸に開いて身体はリラックス。

道満の芝生の上にリュックを下ろしてファスナーを開けると、歩けない筈なのに身体を起こして芝生に出て、元気におしっことうんち。
そのまま芝生に寝っ転がって、遠くの高速の明かりを眺めてました。
もう鈴虫が鳴いてて、その声にも耳を傾けてる様子。

で。10分もそうしていたら完全に寝始めたので、退散。

ご飯もよく食べて今は寝ています。

取り敢えず、夢であった小町とのツーリングが叶ってよかった。

あと何回ツーリング出来るかわからないし、いつまで一緒に居られるかわからないけど、出来るだけ。色んな匂いと音を経験させたいと思います。強く。
小町は今日は夕飯を残さず食べた様です。

僕は今日は本当に芝居がダメダメで迷惑かけて凹んでます。まあ明日になったら忘れるけど。

お知らせです。

台湾を震撼させ、尚且つ台湾映画のレベルを上げたと言われる衝撃作


こちらに出演しています。9/4火曜日DVD発売です。

そしてもう一つ。

移民の子供に起こった奇跡。
その力は何をもたらすのか。

「ジュピターズムーン」「ジュピターズムーン」公式サイト

こちらにも出演させて頂いております。
こちらは既にレンタル中。

おヒマがあれば是非。
出演情報です。

前回の小町の記事の最後で、PS4で発売されるスパイダーマンのお知らせをしました。

もうCMもやってるからご覧になった方も居ると思いますが、兎に角凄いの一言。

ほんと是非やってみてくださいね。9/7発売です。


そしてもう一つ。

Twitterではお知らせさせて頂きましたが、Netflixで、「グレートニュース」が配信開始しております。

僕は主人公ケイティの上司、アダムキャンベル扮するグレッグを演じさせて頂いてます。

めちゃくちゃな大笑い出来るコメディですので、こちらも是非ご覧下さいね。

本日の小町。

包帯が痛々しいですが、ぐうぐういびきかいて寝てます。

実は6月23日から、マルチーズの雌のわんこを飼ってます。
TwitterとかInstagramでは写真を載っけてるから、仲間の役者も良く知ってくれてて最早仲間内では有名わんこと言っても過言ではない、かも知れないわんこ。

産まれてから3年間、ブリーダーの元でろくにお世話もされず繁殖犬として二回出産、無理が祟って乳腺種発症。これを二回の手術で摘出、子宮もボロボロで子宮も取ったわんこ。これが5月くらいの話。
そして6月に俺がもらってきました。

保護センターが色々やってくれて、検査の結果どこも異常なしの筈だったのだけど、後ろ足股関節内側に硬いしこりがあるのを発見。術後で硬くなったりしてんのかなと思ってたら大きくなってきてる。
獣医さんに細胞診をやって貰ったら悪性腫瘍の可能性が高いと。余命3〜4ヶ月だと。
これを摘出するとなると、場所が場所だけに左後ろ足切断の可能性がある事、そこまで行かなくても、手触りからすると癒着して居て、筋肉を取ることになってしまうかも知れない事、そうすると左前脚が元々痛くてビッコを引いてるので、完全に歩けなくなると。要はほぼ完治は無理、緩やかに死を迎えられる様な治療をして行くしかない事が説明されました。
貰ってくる前の手術で、摘出した腫瘍は病理検査をした上で良性だと分かったのか、疑念が残るとも。

保護センターの人に電話したら何故か謝られたのだけど、兎に角手術をした病院に予約をとってくれるとのこと。
それで相談してくださいと。

俺も、触ってて深いところまで固いから、正直摘出は難しいんじゃないかと直感で感じてはいるのだけど、兎に角診せてみようと思ってる所です。
縫い方がおかしいらしく、今の先生は首を捻ってましたが。

人にも犬にも運命はあって、大体においてそれには抗えないと思ってます。
自分に起きた事、自分で判断した結果も、それも全て運命の掌の上での出来事だと。

でも、今まで3年も辛い人生を送ってきた小町の、残りの時間がそれだけと言うのはあまりにも酷ではないかなと切なくて仕方ないのです。

外の景色を見るのが好きで、脚のせいで早く歩けないし走れないのにポテポテ歩く。俺が犬用バッグに入れて背中に背負って、自転車で移動するとどうやらずっと景色を見て笑ってるらしいのです。ご飯のときくらいしかなかなか家でも歩かないのに、犬用バッグのドアを開けると即座に自分から入って準備万端!と笑うのです。
産まれてから少なくとも左前脚はずっと痛かったんでしょう、兎に角我慢強い。
細胞診の時の注射針を刺されても声も上げなかった。先生も驚いてた子です。痛みや違和感のない状態を知らないんだと思います。その痛みの中で生きて来た子です。

貰ってくる前の病院に診せた結果どうなるかは分かりません。兎に角良い方になる様に。

残りの時間は、甘やかして甘やかして、産まれて来て良かったな、最期に幸せで良かったな楽しかったなと、思わせてやりたいと思ってます。

その為にも仕事頑張らねえと。

最後になりますが、
9/7、PS4で発売されるスパイダーマンに出演させて貰ってます。
オープンワールドのスパイダーマン。隔たりのない世界を飛び回って見てください。
オーラを見られる人がいます。

その人に寄ると、自分のオーラは、本来、赤。
あと、青もあるって言われてたかな。
だけど、見た時の半分くらいはグレーになってるそうな。

じゃあそのオーラの色の意味は?
となる。

ネットで調べて見ると、

赤...情熱、行動力、エネルギッシュ、リーダー気質、頑固。

ふんふん。

じゃあ青。

青...冷静、思慮深い、クール、判断力、独断、献身的。

ふむふむ。

どっちも自分が認識している自分とあってる。
考えて分析して、答えが出たら迷わないし頑固な感じ。

正反対な感じに見えるけど、同居出来るんだよね。

じゃあ、グレーってなんだろ?

グレー...憂鬱、ストイック、頑固、譲らない信念。不器用。

なるほど。

他のサイトで見ても大体こんな感じ。

青で分析して答えが出たら赤で突っ走るけど、人生の半分くらいは憂鬱で不安定。信念を持つ。

こんな感じなのかしら。

先週グレーの時が多いと言われて、体調良くないですか?とも聞かれた。
その後風邪ひいた。

当然、オーラってのは生体のエネルギーの色だし、もしグレーの時が多いって事であれば、半分くらい体調が悪いまま生活してるとも言えるなあと。そりゃ不安定だわね。

そもそも赤と青で両極端で、グレーで不安定。
共通するのは信念を持って頑固ってとこ(笑)

さてさて。

体調不良でもオーラの色が変わるのだとすれば、じゃあ少なくともグレーを消すにはそもそもの体調管理をしっかりしなきゃって事になるわけですよ。

あ、でも、周りの負のオーラを吸っちゃうとも言われたな。うん。

ギランバレーで寝ててから、本当に体力落ちたなという実感はあるので、やっぱり運動しなきゃね。結局人間、身体が資本って事だな!

ただ一つ気になることが。
その時のその人の顔ぶりから、「今言えないことも感じてるな」
と感じたからそれを言ってみたら、「まあ...(苦笑)みたいな返事。

そこを一番聞きたい!

あれ雨降ってる?

なんて事を考えてる深夜3時。


投稿写真

サラリーマン時代、社員旅行の時の写真が出て来ました。23歳かな?

まあそれはそれとして、やっと引っ越しの部屋の片付けも終わりに近づいてきました。
前の部屋より収納が小さくなったので、合わせて断捨離しないとこれ以上片付かない。
ゆっくりやりますか。

この3ヶ月で、色々考えてます。

一生懸命にやっていても、「気付けない」分野と「気付ける」分野。

「気付けない」方は、単に頭や思考や視点が「向いてない」のかも知れないと。
その代わり、「気付ける」方は向いている。

それが、その人の方向性なんじゃないかなと。

やりたい事はやればいいけれど、それで苦しいより、同じやりたい事なら色々気付けて楽しくやれる分野に行った方が全体としてはいい方向に行くのではないかと。

同じ声の仕事の話なんですけどね。

どうしたって人間、楽しいと思えない事ばかりをやっていると固まります。色々。
それより、まずやってて楽しくて、色々アイデアが柔軟に浮かんでくる方がいいに決まってる。積極性も自ずと違ってくる。吸収力も違ってくる。最初に書いた、「気付ける」事が増えてくる。

バンドが方向性の違いで解散なんてよくありますが、そういう事だよなと。


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始まりました。明けましておめでとうござります。
こんにちは。初めまして2018。

そして終わりました2017。

どうもいつもの宮下です。

毎年恒例の年末年始だけのブログ更新です。

2017。
前半。出会いと再会がありました。
沢山の人に知ってもらいました。

後半は、仕事を沢山させていただきました。

元旦のブログには、筋肉と体力をつけるみたいな事を書いた気がしますがめんどくさいので読み返しません。多分あってる。
そして筋肉はついてないと思いますが、体力は戻った気がします。一日中起きていられる。

Twitterであとは呟いてましたね。

いい意味で、ニュートラルに戻った年だったなと思います。

2018。
今年は、無理のない範囲でスピードを上げていきたいと思います。

本年も、応援よろしくお願いします。