去年の秋、保護犬の小町が癌で死にました。
自由になってからたった4ヶ月の命でした。

その翌月、父親に膵臓癌が発覚。
年末に一度退院しましたが、実家の玄関で転んで背骨と腰骨を圧迫骨折。
1/4からまた入院生活が始まりました。

そして2019/4/25 7:47a.m.

父親が死去しました。享年83歳と約3ヶ月。

最期の2日間ほぼ意識がなかったくらいで、起きたり寝たりを細かく繰り返しつつも、せん妄はありましたがボケもせず、よく頑張ったと思います。
痛みもあったはずですが、モルヒネも使用せず、本当によく頑張りました。この辺りは、さすが親父だなと思います。
12年前に腎不全で人工透析を始め、その末の死でした。

僕は前日4/24夕方にナレーションの仕事を終え、仮眠してから雨でしたがバイクで家を出発。
東北道を走り、足利に入った2:50a.m.、母から父がもうダメだから直接病院へ行ってくれと入電。
4/25 3:00a.m.に病院に到着。
その後、母も兄家族も到着。

父は恐らくその声を聞き、それから逝ったのだと思います。寂しがり屋の父らしく。

ワンマン社長で事務の母を怒鳴りつけていた姿が一番印象に残っているし、そんな父は大嫌いで、僕は絶対に恋人や妻を怒鳴りつける男にはならないと決めました。

今でも怒鳴るディレクターがいますが、そんな人は大嫌いです。そんなものでいい芝居は出ない。

しかし同時に僕には相当甘い父でした。
仕事は気持ちがこもり、適当な仕事はしない父だと、子供の目にも見えていました。

僕が単独行動が好きなのは、父の背中を見て来たからでしょう。良くも悪くも父の影響は強いのだと思います。

父の死に際して思うのは、人間の死というのは、遺族が悲しいとか寂しいとか感じるのは後回しであって、ただただ、本人が後悔のない人生だったと思えたかどうかが重要であるという事。
その死に様を見て、遺族が何を感じるか、が心が動くべき順番なのではないかと。

死に顔は本当に仏像の様でした。
安らかな死に顔でしたので、恐らく父は父の人生を全うしたのではないかと感じました。
ですから僕が掛けた言葉は、「良かったね。お疲れ様。ありがとう。」でした。

一応葬儀はすべて終わりました。
父も帰りたがっていた家に戻って来ました。

母が1人になるので、これからどうなるかが心配です。これまで以上に実家に帰る頻度は高くなると思います。


ひとつの生き物としての生の終焉を見ました。
物語を間近で見終えました。

それが父で良かったと思います。

有難うと、何度も言います。これからも。


突然、小町の遠吠え(4ヶ月でたった2回の激レア)を思い出すなど。

それも、「ああ、本能に従って遠吠えしたい!したい!していいのかな...!していい?...出ちゃう...!出...(控えめに)うおぅー...」


という何たる可愛さ加減。


声自体は男みたいに低いんだけども。


控えめなのかと思いきや、元気だった時は近くの会社の敷地や他人の家の庭に入りたがって、どんなに引っ張っても頑として動かず、動かせず、仕方なく抱っこしてそこを出るしかなかったくらいに強情で力もあったりして。


控えめで強情で、我慢強くて、分別があって。

頭のいい子だった。


まだ小町の事が頭から離れない。


ペンダントに入れていつも一緒なんだけどな。











ここ数年で、1番永い正月休みを取りました。
昨年は色々あり、前々回は書きませんでしたが年末には親父の怪我と病気も発覚し、母、兄貴と共に親父の看病をしてました(色々な事務手続き含め、兄貴は流石に長男で、テキパキとやるべき事をやっていたので、俺は手伝うだけでしたが)。

そして今日は、親父とは病室で別れ、帰宅。
俺は俺で捨てなきゃいけないもの、整理しなきゃいけないものが沢山あるはずなので、年始は暫くそれをしっかりやって、身の回りの整理整頓をします。
月末からはまた仕事のキープをいただいているので、それまでにやれる事はやる。
スッキリして仕事に向かいたいですな。

写真は足利の夕焼けと、量の多い外食...。
親父がどんなでも飯は食わなきゃなりませぬ。
頼んだら出てきたものは残さず食べなきゃ気が治まらない質なので、いつも通り肥りましたわ...。

ともあれ、明日からはまた東京のスピードに戻らないとね。
頑張ろ。