south coast diaries -73ページ目

コワい先生になる理由



近疲れがきてて、MA生の時間7:00-9:50PMになるやたら不機嫌である。


別にぶすっとしてるわけではないのだけれども、お馬鹿なコメントをされるとともすると声が尖る。


昨日は最終ペーパーの発表をさせたのだが、ひとりがまとまらないアイディアを長々話した上


I don't know what I'm saying.  (「わかんないや、えへ!」)


と締めくくった。


なめてるのかねきみは?まとまってないなら、事前にに相談に来るのが筋というものでしょう。


頭を抱える思いであるが、


「まとまらないのは、あなたのアイディアはふたつの違うペーパーが絡まってるからだよ、

フォーカスをどちかにしぼりなさい、こういうペーパーにするか、あるいはまた違った

こういうペーパーにするか、選べばすっきりするでしょう」


というフィードバックをあげたところ、相当不服な顔をした上に


Well, I'll figure it out.   (「わかりました」ではなく「自力でなんとかします」)


という。もう知らん、せいぜい頑張ってくれ。


ところでもうひとり、割と授業に出て来ていた生徒が中間のペーパーを出さないままドロンしてしまった。


先程の生徒がその生徒と仲がいいので、帰り道に一緒になった折、


「まあ、会ったら最後のペーパーは出すように言っといてちょうだい。

授業にも結構出てたんだし、単位ぐらいはあげられるからもったいない。」


と言ったところ、その生徒に


「先生がメールしたらどうですか。」といわれた。


、、するわけないでしょう。どれだけ時間があると思ってるんだ。


だらしない生徒を追い掛け回すのなんて仕事じゃないですよ。保母さんじゃないんだよ。

院生なら院生らしくひとりひとり自分の責任を持つのが当たり前でしょう。

、、院生だから院生らしく甘えているだけだとわかっていても。


やっぱり優しくしてるとつけあがるから困るね。






サンクスギヴィング

日は友人がThanksgivingディナーに呼んでくれました。


大いに楽しい夜でありましたが、お客さまのひとりが、こういった。


「ゲットーにいるやつらなんていうのは、なんでそこにいるのかわからない。

ゲットーから出る努力をすればいい。怠惰なやつらになんで金をあげなきゃいけないんだ。

コンドリーザライスみたいに、教育うければいくらでも貧困から身をおこすことはできる。」


その発言にBFふくめ、アメリカ人とフランス人の男性陣が


「そうだそうだ」

「そもそも価値観が違うんだ」

「あんなやつらには、百万ドルやったって無駄になるだけだ」


とブンブン頷いていた。


(日本人の男性方は、たまたまその場にいなかったのか、参加なさっておりませんでした。)


基本的に努力を否定するつもりは決してないし、努力しなければ仕方ないんじゃないの?

っていうそういう考え方自体はわからないでもない。

苦労する覚悟がないくせに不幸せがってるひととか、下積みいやがるひととか、

「もっと大人になってください。」と思うし。


たとえば、Watermarke Girlはいいよね、好きな仕事があってさ、アタシなんてどうせ、って

いじけられたりする時、内心思う。あのね、好きなこと探すのだって楽じゃないんだよ。

私も20代のはじめには迷走したし、「好きなこと」で生きてく覚悟は結構怖いものだったし、

20代通しての初志貫徹ってものもかなり大変だったし。


だから、努力しないひとへの甘えるな、ってプライマルな憤怒ってのはすごいわかります。

それだけの苦労なんてしたくないくせに、って。

だけど、もっと大きい規模で考えるなら、フェアになってみたい、とも思います。


「ゲットーからでる」のには、才能とか教育を受けられるチャンスとか、ある意味恵まれてるわけでしょ。


同じ才能と同じ感性を持ってたとしても、機会に恵まれなかったら出る芽だって出ない。

(言っておきますがライス国務長官は裕福な中流家庭の出身です)。


私の場合、全然親の理解やサポートがなかったら、ここまで絶対に来てない。



奨学金、いい学校、いい先生、PhDプログラム、仕事。

それ全部、私の努力の結果だけなんかじゃなくて単なるラッキー。

それであってもぜいぜい言ってる感じだから、そうじゃなかったら絶対に違う場所にいると思う。


アメリカの中に何百万人もの貧困層はどれだけそのチャンスがあるのか。って。

黒人である場合、彼らにとって実際にゲットーから出るのに、この国でどんなに大変か、って。

じゃあ、大学行けばいい、っていうけれど、いい学校行かなくてどうやって。

大学に行くお金がなくて、ローンも組めなかったら、どうやって。


もちろんオバマ夫妻みたいな例もあるわけですが、それだってある程度はラッキーなんだと思うし、

誰でもが彼らみたいになれるわけじゃない。それは人間的にもっと弱いのかもしれないし、

才能がそこまでないのかもしれないけれども、そういう風に生まれるのだってある程度は

自分の意思と関係ない。


Undeserving Poorという考え方があります。


貧困層というのは、そういう運命になるだけのことがあるのだ、という考え方。


私はあまり好きじゃない。


とてもとても生活に困ってたら、生活が豊かなひととは全く違う行動の選択しかないかもしれない。

私だって生活環境が違ったら勉強なんて全然しなかったかもしれないし、

本なんて全然読まなかったかもしれない。別においしくないしさ?って。

「精神の乾き」なんてことを言えるのはたいした身分だと思う。それよりメシだろう。って。

だから私は、生活が豊かなひとが聖人ぶるのが一番嫌い.。


どんなに努力してもお金にならないきつい仕事しかなくて、やさぐれて、

犯罪、アルコールとかドラッグ以外の道が見えないという不幸っていうのだって楽じゃない。

するべき努力をせずに一時的な現実逃避をしてる間にどんどん現実は手がつけられなくなる、

そういう悪循環が見えたとしても、最初から「ここから出るのは無理だ」と思うような場所。

実際にそういう信じられないくらいの逆境に生まれることがありえるってこと自体

わかってないような有利な立場の白人が、不利な立場のひとについてそういうこという権利ないと思うんだ。

別に、彼らが頑張ってないなんていわない、きっと血のにじむ苦労をしたとしたと思う、

けどもしもそうだったとしても、その苦労が報われるのは、苦労をできるのは、本当は、

とてもラッキーなことだとおもうのですよ。


まあ、他人のふりみて我がふり直せ、ということで。


私は、ありがたい境遇に生まれたのだ、ということを、彼らよりも身に染みて

知っているのかもしれないし、もしそうであれば、それだってラッキーなことです。


不思議なのは、そういう風に考え方が違っても、そういう風に言いたくなるだけ頑張ってきたような

いろんな他の意味で素敵なひとたちであるわけで、新参者を加えてくださる寛大さは否めない。


そういう意味の、感謝祭でありました。









ガーリーな日曜日


American Rag Cieのカフェでハロウィンパーティの時に会ったYさんとランチをしました。

ガーリックシュリンプのフェットチーネとペリエ、最後にエスプレソの幸せ
先月にS女子時代の友人が遊びに来て以来かな、Girl time、、

Yさんは今年の2月にサンディエゴからこちらに来られたそうですが、話を聞くと

新しい場所に馴染むに苦労してるのは私だけではないようです。

でもこうやって新しい出会いというのもあるわけで、それはそれで嬉しいことですね。

(そして強引にChangelingを一緒に観させる私)。

Anthropologieでかわいいものを見つけました。がちょうの計量カップ。


ウェブサイト にはきりんとかマトリョ-シュカとかのバージョンもあってそれもかわいいです。