サンクスギヴィング
昨日は友人がThanksgivingディナーに呼んでくれました。
大いに楽しい夜でありましたが、お客さまのひとりが、こういった。
「ゲットーにいるやつらなんていうのは、なんでそこにいるのかわからない。
ゲットーから出る努力をすればいい。怠惰なやつらになんで金をあげなきゃいけないんだ。
コンドリーザライスみたいに、教育うければいくらでも貧困から身をおこすことはできる。」
その発言にBFふくめ、アメリカ人とフランス人の男性陣が
「そうだそうだ」
「そもそも価値観が違うんだ」
「あんなやつらには、百万ドルやったって無駄になるだけだ」
とブンブン頷いていた。
(日本人の男性方は、たまたまその場にいなかったのか、参加なさっておりませんでした。)
基本的に努力を否定するつもりは決してないし、努力しなければ仕方ないんじゃないの?
っていうそういう考え方自体はわからないでもない。
苦労する覚悟がないくせに不幸せがってるひととか、下積みいやがるひととか、
「もっと大人になってください。」と思うし。
たとえば、Watermarke Girlはいいよね、好きな仕事があってさ、アタシなんてどうせ、って
いじけられたりする時、内心思う。あのね、好きなこと探すのだって楽じゃないんだよ。
私も20代のはじめには迷走したし、「好きなこと」で生きてく覚悟は結構怖いものだったし、
20代通しての初志貫徹ってものもかなり大変だったし。
だから、努力しないひとへの甘えるな、ってプライマルな憤怒ってのはすごいわかります。
それだけの苦労なんてしたくないくせに、って。
だけど、もっと大きい規模で考えるなら、フェアになってみたい、とも思います。
「ゲットーからでる」のには、才能とか教育を受けられるチャンスとか、ある意味恵まれてるわけでしょ。
同じ才能と同じ感性を持ってたとしても、機会に恵まれなかったら出る芽だって出ない。
(言っておきますがライス国務長官は裕福な中流家庭の出身です)。
私の場合、全然親の理解やサポートがなかったら、ここまで絶対に来てない。
奨学金、いい学校、いい先生、PhDプログラム、仕事。
それ全部、私の努力の結果だけなんかじゃなくて単なるラッキー。
それであってもぜいぜい言ってる感じだから、そうじゃなかったら絶対に違う場所にいると思う。
アメリカの中に何百万人もの貧困層はどれだけそのチャンスがあるのか。って。
黒人である場合、彼らにとって実際にゲットーから出るのに、この国でどんなに大変か、って。
じゃあ、大学行けばいい、っていうけれど、いい学校行かなくてどうやって。
大学に行くお金がなくて、ローンも組めなかったら、どうやって。
もちろんオバマ夫妻みたいな例もあるわけですが、それだってある程度はラッキーなんだと思うし、
誰でもが彼らみたいになれるわけじゃない。それは人間的にもっと弱いのかもしれないし、
才能がそこまでないのかもしれないけれども、そういう風に生まれるのだってある程度は
自分の意思と関係ない。
Undeserving Poorという考え方があります。
貧困層というのは、そういう運命になるだけのことがあるのだ、という考え方。
私はあまり好きじゃない。
とてもとても生活に困ってたら、生活が豊かなひととは全く違う行動の選択しかないかもしれない。
私だって生活環境が違ったら勉強なんて全然しなかったかもしれないし、
本なんて全然読まなかったかもしれない。別においしくないしさ?って。
「精神の乾き」なんてことを言えるのはたいした身分だと思う。それよりメシだろう。って。
だから私は、生活が豊かなひとが聖人ぶるのが一番嫌い.。
どんなに努力してもお金にならないきつい仕事しかなくて、やさぐれて、
犯罪、アルコールとかドラッグ以外の道が見えないという不幸っていうのだって楽じゃない。
するべき努力をせずに一時的な現実逃避をしてる間にどんどん現実は手がつけられなくなる、
そういう悪循環が見えたとしても、最初から「ここから出るのは無理だ」と思うような場所。
実際にそういう信じられないくらいの逆境に生まれることがありえるってこと自体
わかってないような有利な立場の白人が、不利な立場のひとについてそういうこという権利ないと思うんだ。
別に、彼らが頑張ってないなんていわない、きっと血のにじむ苦労をしたとしたと思う、
けどもしもそうだったとしても、その苦労が報われるのは、苦労をできるのは、本当は、
とてもラッキーなことだとおもうのですよ。
まあ、他人のふりみて我がふり直せ、ということで。
私は、ありがたい境遇に生まれたのだ、ということを、彼らよりも身に染みて
知っているのかもしれないし、もしそうであれば、それだってラッキーなことです。
不思議なのは、そういう風に考え方が違っても、そういう風に言いたくなるだけ頑張ってきたような
いろんな他の意味で素敵なひとたちであるわけで、新参者を加えてくださる寛大さは否めない。
そういう意味の、感謝祭でありました。